月に舞う桜

前日目次翌日


2006年10月30日(月) のびのびのびる。

先週から、仕事の間中すっと「帰ったら前髪を切らなくちゃ」と思っている。でも、未だに切っていない。家では見た目を気にせず子供みたいに前髪をヘアクリップで留めているため、邪魔にならない。邪魔にならないから、「前髪を切らなければいけない」ということをすっかり忘れてしまうのだ。
で、翌朝髪を整えてメイクをしているとき再び邪魔になって思い出す。でも、朝は切っている時間なんてないので「帰ったら切ろう」と思う。これを何日も繰り返している。
この日記を書いている今は少なくとも忘れていないわけだから、日記を書かずに今切ればいいじゃん、と思われるかもしれない。私だって「ぐだぐだ書いてないで、今切っちゃえよ」と思いながら書いているのだ。でも、いざ切るとなると面倒臭い。今もクリップで留めているから邪魔じゃないし。
こうして私の前髪は伸び続けるのであった。

中身の濃い日記をコンスタントに書いていかねばと思うのだけれど、いかんせん平日はその気力がない。ので、こんなくだらない内容でお茶を濁してみる。


2006年10月22日(日) 念願の

※実際にこれを書いているのは29日(日)です。今更書くのもどうなのかと思いますが、どうしても残しておきたいことなので1週間遅れで書いてみます。

恐れ多くも「物書き仲間」と呼ばせて頂いている衛澤蒼さんが海上自衛隊観艦式の予行演習に乗艦するため横浜にいらっしゃったので、お会いして晩御飯をご一緒した。
衛澤さんとは3年ほど前からネット上での親交があったものの、実際にお会いするのは初めて。以前からずっと、直接会ってお話してみたかったので、衛澤さんが横浜にいらっしゃると知ったとき、これはもう、ぜひお会いせねば! と思ったのだった。
待ち合わせの横浜駅に向かう電車の中では少なからず緊張していたのだけれど、すでに待ち合わせ場所に着いていた衛澤さんが私を見つけて手を振って下さっているのを見たとき、私の緊張はすーっと消えていった。衛澤さんのにこやかな笑顔のおかげだと思う。

高島屋にある横浜グッズのお店に行きたいとのことだったので、まずはそこへ向かう。
恥ずかしながら、ネットで下調べしていた衛澤さんに教えてもらうまで、高島屋にそんなお店があるとは知らなかった。ちなみに、観艦式で艦が出入港する瑞穂埠頭の場所も知らなかった。何たる不覚!
横浜駅構内から高島屋まで歩いている途中、横浜がいつもと違う顔を見せているような気がした。工事中の通路とか行き交う人たちの足並みとか外の空気とか高島屋の建物とか、私たちを取り巻くもの全体が余所行きの雰囲気を醸し出しているような。あぁ、きっとこれは私の気持ちの表れなんだ、と思った。遠くから初めて横浜に来た衛澤さんに横浜という街を少しでも良く見せたい、気に入ってもらいたい。そう思って案内している私自身が余所行きの気持ちでいるから、目に映るものもそんなふうに見えるのだろう。慣れ親しんだ横浜の言わばなぁなぁの感じじゃなくて、ちょっと襟を正したすまし顔に。
高島屋の入り口からエレベーターに行く途中に4℃がある。前を通るとき、すかさず「ここが私の好きな4℃です」と紹介しておいた。別にねだってるわけじゃあないんです、ねだってるわけじゃ。

お店には、お菓子やハンカチやキーホルダーやプラスチックの小さな船なんかが売られていた。
横浜名物(?)のシュウマイとギョーザをキャラクターにしたキーホルダーを衛澤さんがお土産に選んでいる間、私はおいしそうなスイートポテト「雅芋」を見つけて、「さつま芋のどこが横浜名物なんだ! 何でスイートポテトが横浜銘菓なんだ!」と思いながらも我が家へのお土産に買って帰ることにした。翌日食べたら、甘さ控えめでとってもおいしかった。

ところで、私はひどい方向音痴である。
晩ご飯の希望を訊くと衛澤さんは中華が食べたいとのことだった。ジョイナスの地図付きレストランガイドを見てお店を決め、ガイド片手にそのお店を目指して歩いた。で、案の定と言うべきか、地図を見ているのに迷いに迷った。ジョイナスって複雑な作りじゃないのに。
衛澤さんも方向音痴だと以前に聞いていたし、実際一緒に歩いてみると確かにその通りのようだったけれど、それでも最終的には衛澤さんが地図を見てくれて目的のお店を見つけてくれた。
本当なら私がスムーズに案内しなきゃいけないのに、何やってんだか、私!

そんなこんなで、衛澤さんのおかげで何とかお店に入ることができた。入ったそこは、ラーメンと餃子が売りらしい中華食堂。私が頼んだのは、石焼ビビンバ風のチャーハン(器がジュージュー言って、お焦げができてる)と餃子のセット。衛澤さんの食べていたラーメンがおいしそうだった。人が食べているものほどおいしそうに見える。
私たちはまず、名刺交換をした。衛澤さんの名刺に書かれた肩書きは「文筆業」。すごい。私の肩書きは「作家」なんだけど、「文筆業」のほうが「何でも書けます、書きます」という心意気が伝わってくるし、重厚な感じがする。だいたい、私の肩書きは「言ったもん勝ちだろ」という勢いでつけてしまっただけで、実際は作家でもなんでもない。でも、衛澤さんはれっきとしたプロの文筆業なのだ。名刺の大きさは同じでも、重みが違う。私は、渡した名刺の「作家」という文字をペンで塗りつぶしたくなった。実体を伴わないのに「作家」と書いた名刺をプロに向かって堂々と差し出しているのだ。お恥ずかしい限りですじゃ。
救いだったのは、衛澤さんが私の名詞を褒めて下さったことだ。私自身とても気に入っているデザインなので、非常に嬉しかった。桜が斜めに散りばめられた、自慢の名刺。私がデザインしたわけじゃないけど。

私たちはそのお店でいろいろな話をした。2時間くらいは居座っていたと思う。私は普段、人から本名で呼ばれるので、肉声で「桜井さん」と呼ばれるのは神戸新聞社さんの電話取材を受けたとき以来だった。衛澤さんと話していて、何度か「あ、桜井って私のことなんだ」と思ってしまった。未だに自分のペンネームに慣れていない私。
衛澤さんは、想像していた以上に(失礼な!)穏やかで落ち着いていて、紳士でジェントルな方だった(あ、紳士とジェントルは同じか)。
そして、「気遣いの人」だった。ご自分のこともいろいろとお話して下さったのだけれど、途中何度か「こんな話、してもいいですか」と確認する遠慮がちな表情が印象的だった。してもいいも何も、私は初対面の人に自分のことをあれこれ話すのが苦手なタチなので、衛澤さんが話題を広げてくれるのは大変有難いことだった。それに、初対面の私に向かって自分を開いて下さったのは本当に嬉しいことだ。
他人に対してどんなふうに気遣いをするかで、その人の歴史が垣間見れる気がする。衛澤さんの配慮は元々の性格もあるのだろうけれど、これまで生きてきた中での積み重ねが大きいのだろうなと思った。年上の方とお会いすると、人は何年生きているかじゃなくて、どんなふうに年を重ねてきたかが大事なんだといつも実感する。

が、そんなことよりも(……って、これまた失礼な!)、一番印象的だったのは衛澤さんがやはり関西人気質だったことだ。どんなときでも笑いと突っ込みの心意気を忘れない。個人的には、ときどき混じる関西弁に、萌え。

そんな感じで私がこっそり萌えている間に時間はどんどん過ぎ、帰らなければいけない時刻になってしまった。誰がって、私が。本来なら、夜行バスで帰る衛澤さんをお見送りして然るべきなのに、逆に衛澤さんに改札まで見送ってもらってしまった。またまた何をやってるんだか、私。
お店を出る前、衛澤さんはお土産を下さった。それも二つも。以前タイに行かれたときに買って来たと言うかわいいマスコット人形と、「ほぼ日刊イトイ新聞」でおなじみのTARO MONEYだ。嬉しい。マスコットは強運のお守りだと言うので、タイでそういう言い伝えがあるのかと思いきや、衛澤さんが勝手に決めたらしい。色違いをいくつか買って帰って、あげる相手に最後まで選ばれずに残ったから運が強いのだ、とのこと。さすが関西人。話術が巧みなんである。こっちの友人にそんな理由で「これは強運のお守り」と言われたら、即座に「って言うか、ただの残り物じゃん」と突っ込むところだ。でも、衛澤さんの言い方には妙な説得力があって、私は「これを持っていればきっと運に恵まれるんだろう」と思ってしまった。恐るべし、関西人。この商売上手!(お土産をもらっておいて、なんちゅう言い草だ)

駅まで歩いているとき、なんと衛澤さんは「ご婦人をあまり遅くまで連れ回してもいけないので」と仰った。これには心底びっくりして、恐縮してしまった。わたくし、殿方に「ご婦人」と呼んでもらえるほど大層なものじゃありませんことよ。

本当はもっと街を見て回りたかっただろうに、私と食事することを快く受けてくださった衛澤さん。せっかくの初めての横浜だったのに、時間を奪ってしまって申し訳ない。でも、別れ際まで何度も「(横浜に来て)良かったぁ」と、社交辞令ではないと思われる口調で仰っていたので、私はその言葉のおかげで心苦しさから解放された。と同時に、横浜に住んでいて良かったなぁと心底思えたのだった。
衛澤さんとお会いしていた時間は本当にあっと言う間で、私は帰りの電車の中で「あれも話したかった、これも話したかった」とちょっと悔やんでいた。機会があれば、またいつでも横浜にいらして欲しい。
それにしても、衛澤さんと出会うきっかけを作ってくれたネットという文明の利器と、出会いというものの不思議さと、この絶妙のタイミングと、それからついでに自衛隊にも感謝感謝。


2006年10月21日(土) 環境復活!

新しいパソコンを買いました! 
無事にセットアップとネット接続が完了し、久しぶりにパソコンからの更新です!
あとはバックアップしてあったデータを戻して、必要なソフトを入れるだけ。
やっぱり、新品のパソコンって立ち上げもシャットダウンも早いのね!
今日はとりあえず、ネット復活のご報告のみの日記となってしまいますが、また来週から通常通りサイト営業をして参りたいと思います。何卒よろしくお願いいたします。


2006年10月19日(木) それでも空は静かに晴れて

またまた携帯からです。
パソコンがない=ネットができない生活にもだいぶ慣れてきました。意外と。
おととい、会社のパソコンから掲示板の業者書き込みの削除だけはしましたが(あまりにも見苦しかったので!)、普通の書き込みへのレスをする余裕がありませんでした。でも、読むだけはきちんと読ませて頂いております。パソコンが壊れて、掲示板が見るに堪えないものになって……という状況に置かれると、温かいお心遣いが尚更ありがたく感じられます。
あー、この二日見ない間に、また掲示板が大変なことになってるのかなぁ。嫌だなぁ。もし覗いて下さっている方がいらっしゃいましたら、お見苦しくて申し訳ありません。

最近、いいお天気です。休憩中、窓の外の青空を見上げていると、会社を抜け出してふらっとどこかへ出掛けたくなります。例えば大学の中庭とか、大きな公園とか、決して綺麗とは言えない横浜の海を眺められる、みなとみらいとか。でも、今一番行きたいのは、やっぱりヨ○バシなんです!


2006年10月15日(日) パソコンが逝ってしまわれました

携帯からです。携帯からの更新は初めてなので、きちんと書き込めるのか少々心配ですが。
パソコンの復旧に失敗しました。もはや何度電源を入れても英文のエラーメッセージしか出てきません。その上、探しに探してやっと見つけた保証書は、購入した家電量販店の延長保証期間も過ぎていました。
そうなると、修理に出して、直るかどうかも分からないパソコンの帰りを待ち、戻ってきたらセットアップを一からやり直す、という道のりが途方もなく思えてきて、途端にやる気が失せてしまいました。
新しいパソコンを買います! 今度の週末に買いに行きます。もう機種も決めちゃったもんね。
というわけで、しばらくネットができませんので、掲示板とメールのチェックもできませんが、ご了承下さい。
なんだか、仕事なんてやってる場合じゃない! って気分なんですが。明日にでもパソコンを買いに行って全部設定してしまいたいのにぃ。
必要なものはだいたいバックアップを取ってあったのが不幸中の幸い。サイトや小説のデータが消えたら、立ち直れないよ、ほんと。


2006年10月12日(木) 取り急ぎ

実はパソコンの調子がすこぶる悪いです。
週末に復旧を試みる予定ですが、最悪、しばらくネットに繋げられない可能性もあります。そうなった場合はここの日記更新および掲示板へのレス、メールの返信が滞ってしまいますが、何卒ご了承下さいませ。
なお、10月11日までに頂いたメールには全てお返事差し上げています。


2006年10月08日(日) もうずいぶん昔の話

高熱の出る風邪に比べて、熱が出ない、もしくは微熱で終わる風邪は治りにくくて厄介だと思う。熱が出ると、そのときは非常にしんどいけれど、熱が下がってしまえば同時に風邪自体が吹っ飛ぶ……ような気がするんだな、経験上。
で、今回の風邪は高熱なしバージョンのため、しつこい。ずっと体の隅っこでくすぶっている。
私は人より筋力が弱く、肺活量もあまりない。だからか、一度咳が出るとなかなか止まらないし、痰を出すのが下手だ。そんなわけで過去に3回も肺炎に罹っている。遠い将来、たぶん肺炎で死ぬと思う。高齢で体力が弱っているときに風邪をこじらせ、肺炎になって亡くなる人は多い。私もそのパターンだろう。前に「私、肺炎で死ぬと思うんだよね」と言ったところ、母に「そうだろうねぇ」と頷かれた。
自分の死因を予想するなんて縁起でもないと思われる方もいるかもしれないが、人はいずれ死ぬのだし、肺炎なんていう死因としてはポピュラーなもので人生の幕を下ろすなら、私個人としては諦めのつく終わり方だなと思っている。逆に言うと、肺炎以外の原因で死なないように気をつけたい。まぁ、何となくそう思っているだけで、健康のために何か実践しているわけでもないんだけど。
話が逸れたけど、とにかく未だに咳が収まらないんである。と言っても、四六時中出ているわけではなくて、朝と夜が調子悪い。風邪引きの人に聞くと、やはり朝晩の体調が良くないという人が多い。だから、咳の出る風邪ってそういうものなんだろうなと納得したのだけど、でも不思議。
それにしてもパブロンはよく効く。咳が出るときのエネルギーって凄まじいし、ちょっと落ち着いたあとは体力をかなり消耗している。そこから考えるに、咳を止める薬はかなり強いものなんじゃないかと思い、ビビリながら飲んだり飲まなかったり。

……咳の話でこんなに行を費やす予定じゃなかったんだけどな。
体調が戻りきらなかったり暴風雨に見舞われたりして、この一週間もあっと言う間に過ぎた。あっと言う間すぎて、あまり覚えていないくらい。
そんな中で唯一心に残っているのが、ソース焼きそばのこと。
火曜日だったか水曜日だったか、会社で頼んだお昼の仕出し弁当の中にソース焼きそばが入っていた。お祭りの出店なんかでよく売っているような、チープなやつだ。それ自体は別にどうってことないのだけど、お弁当の蓋を開けてソース焼きそばを見た瞬間、私は小学校の給食を思い出した。そりゃあもう、15年も前のこととは思えないくらい鮮明に。
小学校の頃、一番好きな給食のメニューがソース焼きそばだった。当時、私は今よりももっと小食で食べるのが遅かったので、いつも給食を残していた。あの頃は、食べること自体があまり好きではなかった。でも、学校から配布された献立表にソース焼きそばと書いてある日は、給食を楽しみに学校へ行った。もちろん、ソース焼きそばは残さずに食べることができた。
給食に出ていたソース焼きそばは、もちろん出店や会社のお弁当に入っているやつみたいにチープではなかったけれど、特別豪華というわけでもなかった。でも、私にはものすごくおいしく感じられたのだった。麺が家で食べるものとはちょっと違っていて、あまり長くなく、断面が丸ではなくて四角だったし、ちょっと柔らかかった。他に思い出すのは、イカが入っていたこと。足はなく、胴の部分だけ。
中学に上がった直後は、「小学校のあの焼きそばが食べたいなぁ」と何度も懐かしく思い出したものだ。大人になってからはすっかり忘れていたし、家で焼きそばを食べても思い出さなかったのに、給食とは似ても似つかない会社のお弁当を見て、久しぶりに記憶が蘇った。
小学校の給食はメニューの組み合わせがだいたい決まっていて、ソース焼きそばの日はたいていロールパンとフルーツポンチがついていた。そんなことも思い出しつつ、私は目の前のチープなソース焼きそばを食べるのだった。


2006年10月01日(日) 湧き水の如く

こんばんは、山瀬まみです。
……と、物真似ができそうな声になっている桜井です。
か、かんでもかんでも鼻水が止まらない!
というわけで、私がティッシュを大量消費している間に、10月1日になりましたね。おかげ様で「桜色の風 月凪の歌」開設から丸1年が経ちました。月並みですが、早いです、本当に。
一応、桜と月をサイトのシンボルとしているのに、気がついたら中秋の名月が終わっちゃってるし……と思ったら、今年は10月6日だそうですね。お月見って9月のイメージがあるので、中秋の名月も毎年9月なのかと思っていましたが。
あー、何か1周年企画とかやった方がいいんですかねー(←鼻水が脳にまで回っているせいで、やる気が微妙)。


桜井弓月 |TwitterFacebook


My追加

© 2005 Sakurai Yuzuki