A Dream Is a Wish Your Heart Makes
DiaryINDEXwill


2004年10月28日(木) しばしの別れ

旦那が一足先に関西へ行った。
仕事を探す為に。
マメと少しでも離れるのが辛かったらしく、少し涙目。

私たちも引越しの準備をしたらすぐに行くからね。


2004年10月26日(火) 昨日の続き

結局、旦那との話し合いも平行線のままだった。
姑と喧嘩になったのもつらかったけど、姑にあんなことを言われたのに旦那が何も言ってくれなかったことが一番辛かった。
これからも何かあってもこの人は私を守ってはくれない。そう思った。

10時頃に四国の姉ちゃん(と私が呼んでいるが他人)から電話がかかってきた。初めは旦那と話していた。どういう話になったのか旦那が説明している。(後で聞いた話では旦那は姑に何も言わなかったことをとても怒られたらしい)途中で私に代わったけど『もう別れる。』としか繰り返さない私を心配して車をとばして来てくれた。

車で少し走って静かな場所で暖かい缶コーヒーを飲みながら、ゆっくり私の話を聞いてくれて、自分も同じような経験をしたことやいろいろな話をしてくれた。

あの時もそうだった。去年の春、姑の監視がイヤで家から出られなくなっていた。カーテンも開けず電気もつけずに1歳になったマメと家の中に引きこもっていた…そんな時に家に来て『おいしいプリンを買ってきた。』『お昼食べる時間がなかったからここで食べさせて』そんな理由で家に遊びに来てくれて『天気がいいのにカーテンくらい開けや〜換気もせなマメの体にもよくないで』と言って窓と玄関を開けに来てくれた。そのうちに徐々に外に連れ出してくれていろんな人に会わせてくれた。
初めのうちは一度外に出ると今度は家に帰りたくなくて、車でうろうろしたりしていた。でもいろんな人に話を聞いたりしているうちに姑の目が怖くなくなっていた。

この人がいなかったら、たぶん私は壊れていたと思う。

落ち着いてから家に帰って旦那ともう一度話し合った。
旦那は私とマメと別れたくない。ずっとそう言っていた。
姑に何も言えなかったことを何度もあやまっていた。
それを信じてもう少しがんばってみよう。


2004年10月25日(月) 決裂

姑の所へ関西へ引っ越すことを話しに行った。

長くても2年で帰ること。
私たち夫婦が1からやり直すためにはそれが今一番の最善策であることを話した。

『私を見捨てるのか?』
『向こうの親(私の母親)の面倒を見るのか?』
と泣き出す…

2年で帰るし、まだ私の母は50代前半で元気に働いている。
何より数年前に少し年下の人と再婚をした。
隣の家に住むだけで、母親の面倒を見ていくつもりはない。

私の母の口癖は
『老後はあんたらの世話にはならん。』だった。小学生の時から聞かされていた。事実老後は老人ホームへ行くといっていろんな準備をしていた。

さんざん話したあげくに私が最近働きだしたことにまで口を出してきた。
『マメ(2歳)がかわいそう…』
その言葉に切れてしまった。
私は子供ができる前から『子供が出来たら3歳までは一緒にいたいから仕事は辞める』そう旦那と約束していた。そのために働いて今のうちに貯金をしておこうとがんばっていた。
そして妊娠…仕事はどうするのか姑&小姑(旦那の姉)に聞かれた時に『辞める』と言ったら『続けたほうがいいんじゃないの?』と言われ旦那もそう言い出した。結局私は仕事を続けることになってしまった。

生後2ヶ月半の息子を保育園に預ける…毎日お迎えのバスを見送りながら泣いた。

会社に復帰して2ヶ月ほど経った時にマメが高熱を出した。
保育園には預けられない。月末の締めがあるから会社も休むことができない
とりあえず会社に連絡したら子供を背負ってでもいいから来てくれと言われ本当におぶって行った。しばらくしておとなしくなったから一人で寝かせて急いで仕事を終わらせてつれて帰った。
マメはおとなしくなったんじゃなくて、熱が上がりすぎてぐったりしていた
40度の高熱。かかりつけの小児科へ行くと夜に急に様子が変わるかもしれないからその時は○○病院へ行くように。と指示をされて帰った。
その日の夜に嘔吐。急いで○○病院へいくと『気管支喘息です。すぐに入院してください』と言われる…

やっぱり働きにでるんじゃなかった…
会社では私の変わりはすぐにできる人がいる。でもマメの母親は私しかいない。そう考えて2ヶ月後に会社を辞めた。

いろんな思いをして仕事に行っていた。あの時姑が仕事を続けろと言わなければこんなことになっていなかったかも…と考えたときもあった。
なのに今さら『保育園に預けて働きにいってマメがかわいそう』なんて姑の口から出てくるなんて…保育園に預けるといっても月に一度か二度のことやのに…もう止められなかった。2年前のあの思い。仕事を辞めてからずっと続く姑の干渉。『なんで今さらそんなこと言うんですか?あの時どんな気持ちで私がこの子を預けて働きに行ってたと思うんですか?』そう叫んだ後はよく覚えていない。また姑に何かを言われて歯止めがきかなくなった私は2階の自分たちの家に戻って離婚届をもって旦那にたたきつけた。
『もう無理。別れて』そう言って離婚届を持っている私に姑は言った。
『言ったら悪いけど血筋が血筋やね』
『どういう意味ですか?私の母が離婚してること言ってるんですか?50近くになって再婚したからですか?』
自分の娘(旦那の姉)だって離婚して帰ってきて子供を保育園に預けて働いているのに。私だけなんでこんなこと言われないとあかんねやろ?
だいたい旦那はなんで何にも言ってくれへんねやろ?

ボロボロになって家に戻ってそこからは旦那との話し合いになった。
もうあの姑とやっていくのは無理。でも旦那にとっては【お母さん】やからもともと他人やったうちらが別れよう。そう言った。
もう何も考えたくなかった。
『血筋が血筋やね』母の何を知ってるんやろう?結婚生活をまっとうすればいい血筋で離婚した親の子供は悪い血筋とでもいうんやろうか?
母の人生、自分の人生を全部否定された気がした。

何もしたくない。
何も考えたくない。
ただすぐ上の階に住む姑から離れたかった。


2004年10月16日(土) 悪夢の始まり

思い出してみればこの日の決断が私たちの現在(いま)を
だめにしてしまったのかな…

とにかく旦那の姑と離れたかった。
マンションの3階に姑、2階に私たちが住んでいた。

今日は誰かが家に来ていた。何時に帰った。
今日は何時に出て行って何時に帰ってきた。
いつもベランダから見ていた。

休みなのに顔を見せにこないとか『じゃあ下に遊びにくればいい』といえば親からすることじゃない。なんていう。
旦那と結婚してからの5年間で少しずつすれ違ってしまった姑との仲はもう修復しようがない。

幸い関西にある私の実家の隣が空家だった。家賃がタダだったし私の地元だから安易にそこに引っ越すことに決めてしまった。

その決断が失敗だったことは1年近く経ってイヤというほど私たち家族を苦しめていた。


mom |MAIL

My追加