私の雑記帳
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2009年09月30日(水) 美味しいもの

自分の体力の無さをひどく実感できたのは数少ない実りかもしれない。
これで働きに出たいなんて笑わせる。
引きこもりでなまった身体を何とかしなくては・・。

時間を有効に使うこと。
自分の体力で出来ることは限られているんだ。

おいしい物を食べたい。
例えば、美味しい果物。
美味しいメロンジュース。
美味しいサラダ。

細くてしゃきっとしたそばと、とびっきりダシの利いたそばつゆ
美味しいサンドイッチ

さっぱりしていて美味しいもの。

美味しい朝ごはん。
目黒の都ホテルの和定食(赤だしの味噌汁と厚い焼き鮭とやわらかい梅干)

そんなことを考えながら、もう少し頑張ろうと思う。


2009年09月29日(火) 私だって限界

父がすっかり弱ってしまって、それを見ている私も辛いし
もっと頑張って・・と思って病院での付き添いを私一人で
続けてきたけれど、だんだんそれが当たり前になっていく。
私はどんどん消耗して疲労が限界に近くなっているのに
だれも思い量ってはくれない。
私の苦しみなんて、他者にはどうでもいいことなのである。

親(父)も子(娘達)も、私をなんだと思っているのだろう。
私に、して欲しい事ばかり・・
だれも私を思いやってくれない・・。
いい加減にしてくれ・・、自分の事はなるべく自分で何とかしてくれ。
私にだって何一つ余裕は無いんだよ・・・


2009年09月25日(金) 孤独

自分の中にある揺らがないものって、いくつあるんだろう。

身体がぼろぼろだと何にも出来ない。
昨日は朝から大変調子が悪く、父を見舞っていても
胸が苦しく床に転げまわりたいほどだった。
このまま死んでしまうのかもしれないとさえ思った。
単なる疲労だとは思うが。

あれだけ腹を立てていた父の事だが、今は生き死にがかかっていると
思うとやっぱり優しくしてしまう。

私は、私が患者だったらしてもらいたい事をやるだけだ。
でも、私が患者だった時にはほとんど誰にも世話にならず
身の回りのことは全て自分でやった。
来月の入院もほとんどそうなるだろう。
昨日、寝ようと思ったら、娘達は自分達の布団だけ敷いて
寝ている。こいつら、ほんとに腐ってるなと思った。
私があれほど、今日は胸が苦しくて辛かったと話したのに
私の布団は敷布団だけ落としてあるだけなのである。

たいして長い期間ではないが父の介護を、できるだけのことを
している私だが、私は子供たちにそういった精一杯の
気持ちをもらえる日はないだろう。
親子の関係が、私と父よりも、私と娘の方が希薄なのだ。

他者に期待してはダメだ、と自分に言い聞かす。
私以外の何者も、私の思い通りになるために生きている
わけではない。
優しくされた時に当たり前だなんて思ってはならない。
好き勝手に生きてきた代償なのだろうか。

理由を考えても意味が無い。
私は一人ぼっちだし、それ以上でもそれ以下でもないと
淡々と事実を受け止めよう。

さあ、朝は忙しい。はやく行動し早くしたくしよう。
はやく病院に行かないと。
今日は無事に過ごせますように。



2009年09月23日(水) ぐるぐる回る

今日も父を見舞う。
一時の危機は脱したと思うが、これから先の父の残りの人生を考える。

私は疲労困憊していてとてもしんどい。父のために、いや私の自己満足のためによかれと思うように行動してゆく。
ふと、思う。誰もが父の病状と回復見込みの程度を考えている。そんな時、いまその父より血圧の高い私自身が脳梗塞か心筋梗塞で倒れて死ぬかもしれない。だれもが父の病状に感心が行っている時、私自身が死ぬ。
それは私本人でさえ夢にも思わないことだろう。いま次の瞬間、私の意識が無くなり、私がこの世からいなくなる。

そうなったら遺された娘達、遠くに離れた妹、死に損なった父、どれほど驚くだろうか。
勿論、そんなことは起きないと思う。でも、そんなことをふと想像する私は頭がおかしいのだろうか。


今日、車を運転している時、ふとちょっと前の恋人のような(結局は恋人ではなかったが)大好きだった彼のことを思った。私は彼に夢中だったが、彼にとって私は都合のいい女でしかなかった。今まで何百回も何千回も、そんなことを考えたが、彼との別離を決めてからもう1年半、ようやくようやく、彼が過去の人になっていく。思えば元々何の思い出もない希薄な関係だった。お金のことで結局は利用され、私自身が愚かな人間であったことを嫌というほど自覚させていただいた。彼のことはなんというかあこがれていたけれど(恋なんて熱病)、苦しい思いをして諦めた。諦めるしかなかった。そうするしかなかった。表面上はともかく私は辛かった。そしてようやく、耐性が出来てきた頃に、自分の病気があり、父の骨折と心不全が起きた。
父がこんなになるまで、私は父に辛く当たってきた。理屈でおかしいとわかっていても、そうしなければいられなかった私の心は、反省したところでしょうがなかったと思う。後悔はしていない。それは私がそういう人間だから・・としか言いようが無い。
父が危なくなって、ああ、なんて私は悪い娘だったんだろう・・なんて思わない。そんな単純なことではない。
でも、そのような確執を超えて、やはり生き死にがかかってきていること、そして私たち姉妹は父のおかげで人並みに大きくしてもらったという父なりの愛情について十分すぎるほどありがたみを感じているのである。
いま、私がやらなければならないことは、今目の前の状況に、後々後悔しない行動を選択するという、それだけである。
天命には逆らえないが、とるべき行動はこれからも選択できるのである。私はそれを間違えてはならないと思う。
勿論、人生においていくつもの間違いだらけの選択をしてきた私なのだが。

父は多分、一命は取り留めただろう。だけどこれからどのような状態で生きるのかわからない。私は来月には筋腫切除の開腹手術が待っている。
それが終わり、身体がある程度回復したらまた果てしない就職活動(レジも店員も出来ない、何の技術も資格もとりえも無い)が待っているはずだった。一刻も早くそれを何とかしなければ、福祉の恩恵から抜け出さなければ、私の平和はないはずだった。でも、父がこうなってしまって、私は父を置いて、そして子供たちを育てながら、こんな弱い体(意志も弱い)で、仕事なんて見つかるわけが無い。
父のリハビリを手伝い、できるだけ普通の生活が送れるように手を貸し見守ることが、私の使命だと思う。でもそれでは生活は?
 今回の父の怪我と病気で元夫にとてつもなく世話になった。元夫が私たちにかけた迷惑(借金)は膨大だが、父にこれほど尽くしてくれたことを私は生涯忘れないだろう。今や家族なのだが、では復縁できるかというと、それは出来ない。私が保険証を手に入れる一番簡単な方法なのだが、その一点は私の最後の砦だと思っている。だめな夫に見切りをつけ、三行半を突きつけたのはこの私である。それが、保険証の無い生活がみじめだから、籍を入れましょうとは思えない。元夫は金のこと以外は私たちによく尽くしてくれている男なので役には立つが、私はやはり結婚生活をさんざん裏切られたという思いがあるし、元夫をもはや愛してはいない。ふるい友人であり子供の父親であるが、彼もまた彼という人間でしかなく、決して生まれ変わったかのように別人のように立ち直ってくれているわけではないのだ。
私が私であるように、元夫もたぶん根っこはかわっていない。だから今の状況ぐらいがちょうどよい関わり方なのだ。

話が逸れた。

父の事もあるし私の体調もあるし、自立の道はさらに遠くなった。
あと2年で娘達の大学と高校のダブル受験がある。元夫にそれをどうにかできるお金はない。
父はどうなる? 私はどうすればいい?

私が何をどう選択すれば、後悔の無い人生を送れるというのだろう?
そればかり考えていると、自然とかつて男からの愛情を渇望していた自分が遠くに思えてくる。それに加え、筋腫の手術である。自分の人生が一気に消費された感じがする。

私はこれからも日々悩んで生きていくだろう。愚かでバカで、私の思うカッコいい人生とは対極の惨めな人生だが、そうやって悲観して卑下して愚痴って嘆いていても、明日はもう数時間後にやってくる。
いましばらくは父の介護を後悔無いようにやるしかない。
私は妹にずいぶん助けられている。妹の大変さを考えると、私など、自分で父の世話を出来る分、自己満足も得られるわけで、幸せなのかもしれない。それなのに妹は私を気遣ってくれる。手伝いに行けない分、父にかかる費用は全額自分が出すといってくれている。個室に入れられるのも妹のおかげである。それなのに妹は常に私に感謝をしてくれる。私には出来ないことばかり。

人生で得られる教訓はいくつもある。経験で学ぶ事も沢山ある。
それらを通して私は少しでもマシな人間になるしかない。

そして、自分でもわからにうちに倒れて、父より先に逝くなどという親不孝をしないよう、自分をもっと本気で守らなくてはいけないと思う。

なんだかこんなハードな状況をどこか俯瞰?してみているもう一人の自分がいる。なんだか、この世の出来事があっけなく泡沫のような気がしてくる。
いまもなんだかどこか半分、夢の中の出来事のような感じすらある。
現実を受け入れたくない為の、自己逃避なんだろうか。
体調が悪い。なのになんでこんな日記なんか書いているのだろう・・


2009年09月21日(月) 家族

毎日入院している父を見舞う。
すっかり病人老人になった父を見るのはとても辛い。
良かれと思って入れた個室、どうも父は寂しいらしく
大部屋に行きたいらしい。
個室は私たち家族の都合だけだったかも知れないと思うと
ちょっとやりきれなくなる。

昨夜遅く妹からメールがあり、今日14時着の新幹線で帰省し
父を見舞い、15時過ぎのひかりで戻るという強行軍で
こちらに来るという。(当地滞在1時間、病院滞在30分くらいだろう)
たぶん父の顔を一目見たい、また見舞いたいという気持ちが
本当なら時間の余裕などない妹に無理をさせているのだろう。
もし、万が一という事だって可能性はある。だから見舞わずには
いられないのだろう。
親が元気なうちに、もっと孝行できればよかった・・。
人間は本当に無力だ・・。


2009年09月19日(土) 長生きしてよ

昨日、父の具合が急変して緊急入院になった。
高血圧による心不全。肺に水がたまっている。
呼吸が苦しく酸素をやっているが、意識はある。
無理にも受診して本当によかったと思う。
医師の話では、血圧を下げ、適切な治療をすれば順調にいったとして
2週間くらいで退院できるらしい。ただ、心臓なので急変すればアウト。
元々、父の70年来の友人の息子(Yさん)が開業した医院にかかっていたので
紹介状も懇意に書いてくれたらしい。
ちなみにYさんは私より1つ上で同じ中学だった。

人手が足りなくなる連休に突入したが、そのせいなのか病院の対応がお粗末なので腹が立つ。しかし人質をとられているのでそう文句も言えない。
本当は今日、病棟に移る予定だったが、段取り悪く、まだ救急のベッドにいる。
父は何とか治ってくれるだろうか。背中を圧迫骨折して、半分寝たきりになっていて、ようやく良くなってきたというのに、今度は内臓である。父がもし良くなったら前から行きたがっていたオーストリアに連れて行ってやりたい。仕事を持っている妹がお金は出すと言ってくれている。でも、旅行に耐えられるほど回復してくれるならなんとしても連れて行ってやりたいと思う。弱っていくばかりの父を見るのは心底しのびない。


2009年09月17日(木) 頭の中はいつも迷路

地獄のような時期がかろうじて過ぎて、いまは状況的落ち着きを取り戻しつつある。

常々思うことであるけれども・・・
自分はそれほどバカでも鈍感でもないと思っている。
でも自分が思うほど利口でも頭が良いわけでもない。
(学問も含むし、学問ではない事も)
繊細というと聞こえがいいが、ようは神経質ということ。
なんでこんなに考えがまとまらなかったり、自分では
しっかりしているつもりでも安易な考えで、底の浅い意見、もしくは
なにも生み出せなかったり。
他人のアラは目に付きやすいが、自分がしっかりしているかというと、
案外私が心の中でバカにしていた人達(←語弊がある表現だが)より
劣っていたりするから落ち込む。

ああ、回りくどい。
私にもっと考えをまとめられる能力、語彙、そして
もう少し揺らがない意志とか、一貫した考え方とか
そういった能力があれば、もう少し自分がラクなのに・・と思う。
実際バカなんだから仕方がないけれど、バカなら馬鹿で
自分を疑ったりしない人間なら、もうすこしましな生き方が
出来るのかもしれない。

毎日新聞に連載している林真理子の「下流の宴」という新聞小説を
読んでいる。
私はどんな人種にも属せない中途半端な人間だ。
野心を持つには、年をとりすぎた。
そして、チャンスは誰にでも平等ではない。

それでも私は生きていかなければならないし、このまま何の心の平安も
もてないまま、年をとっていくのかと思うととても辛い。

私は何がしたいのだろう・・。
やはり、一人前に生きるというのは社会参加しかない。
もう一度、私が社会参加できたら、もう少し自信をもてるのだろう。
経済的自立と、社会参加(まともな仕事を得る)、
私一人ではどうにもならない。
かつての上司兼同僚(かつての同志)にずっと頼んできたが、
遠隔にいるので仕事にはならないといわれている。
私が先日、度重なる借金を断ったので(私のクレジットカードで
一時的にお金を用立て、今までも散々、力を貸してきたが)
それが気に入らなかったようで今、音信不通になってしまっている。
仕事の能力はある人なのだが、人を見る目がないので、
何度も事業に失敗しているのだ。
片方で無能な人間を馬鹿にして、片方で信じていたものに裏切られるという
その繰り返しで、結局成功できない人なのである。
私が結婚して子供を持ったときに、金が無いのによく子供なんか
持つね・・と言われたが、時期なんか待っていたら子供なんてもてない。
その元同志は、数年前に奥さんに子供が出来たが流産で失っている。
結婚したのは私より早かったのだから早く子供を持てば違った人生だったろう。
子供もなく、金もなく、彼らは昨年離婚した。
私は彼らより惨めな生活だが、たった一つ、子供がいることで
生きていられると思える。

なんてそんなことを言ったところで何の役にも立たない。
子供が小さい時に、子供にひどい思いをさせた罪は私の心の中で
一生消える事も許される事もない。

私が私のプライドを取り戻せるような生活(仕事)、
立派なかっこいい仕事ということではない、
人並みな地道な仕事ということ。
今はどうにもならないしあてもないけれど、
諦めずにとにかく生き続けるしかない。
自分の体調のこと、衰えていく父を支えながら、子供を育てながら。
とにかく悲観しないこと・・。


pearl〈パール〉 |MAIL

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