私の雑記帳
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2007年06月27日(水) 相変わらずに、生きている

先月の誕生日の次の日に、気まぐれに電話で占い(霊感)をしてもらったが、彼から近いうちに電話があるだろうという話だった。1〜2週間以内、遅くてもひと月以内と言った。彼と最後に話したのはずいぶん前で、その後は音沙汰もなく、月末になると月々の返済金を振り込んでくれるだけだった。電話があるかもしれないと少し期待したが、やはりない。占いで言われたリミットまであと1日となった今夜、突然電話がなった。
用事ではなかったが「生きてるか?」とだけ言った。
彼は相変わらずマイペースであり、私の入り込む隙間がない。私を愛していないのは明らかだが、そのことにいちいち虚しくなって悲しみたくはないと覚悟は出来ていた。
キャロル・キングが来日するらしいという話を、もし電話があったらしようと思っていたのに、すっかり忘れていたな。
わたしは彼が70年代の洋楽の話をしている時が一番好きだった。たぶん、それだけ。だから彼の存在もそのくらいの割合で、心に留めておきたいと思う。
そういえば最後に逢ってから今日で10ヶ月。これでまたしばらく彼と話すこともないだろう。そうやって彼が遠い人になる。


2007年06月25日(月) ピアノ発表会から

子供たちのピアノの発表会、今年は最初でたぶん最後?の姉妹連弾もあり、先はわからないが節目の年と思い、特に力を入れて、年明け早々から取り組んできた。

実は直前に思いがけない事件が私にも娘にもあり動揺した本番ではあったが、出来は75点くらい。もっと仕上がって欲しかったが、こんなものだろう。
いろいろ思うことは沢山ある。でもとにかく終わった。親の思い出作りのためにやらされているとしたら可哀相にも思うが、親の強制無くしては、上手くなるはずもない。 娘たちはピアノも音楽もたいして好きではない。私がやめてよいと言ったら、たぶん続けたいとは言わないだろう。それを思うと虚しくなる。
弾けるようになりたかったのは、他でもない私自身だったのだから虚しいのも仕方ない。
今年は最後から2番目に弾く、気難しい長女の念願で、従姉妹(私の姪・小1)を私が前日に三鷹に迎えに行き、当日に大きなバラの花束を渡してもらうという段取りに、どれだけ手間がかかったことか。そうまでしても、今年長女には気持ちよく弾いてもらいたいという、出来る限り最大限の私の配慮であった。
1分もじっとしていられない手のかかる姪を連れてくるにあたって大きなリスクもあり、また私と妹との関係も難しいところにあり、本当にぎりぎりのところでの決断だった。花を渡すだけのことながら、親である私から花束を貰うのは嫌だという。しかし、姪以外に適任者はいない。その子の親である私の妹は下の子供(2歳)に手がかかり、どうしても来られないという。だから私が迎えに行き、ご機嫌をとり、なんとか花束贈呈をやって「いただき」、三鷹までまた送り届けた。正直、姪には手を焼いたがこちらの頼みごとに、文句は一切言えない。
それでも発表会が、なんとか済んでくれてほっとした。
今朝になり、先生(私は個人的にも仲良く付き合ってもらっている)から電話があり、まあまあよかったという話と、彼女の兄嫁さん(そちらはもっとすごい先生で、毎年発表会の手伝いに来る。辛口で厳しい人)が、40人の出演者のなかで今回褒めた2〜3人のなかに次女の名前があったというのである。もともと野心?のある子や親のくるようなレベルの教室ではなく、とくにうちの次女は、同年代では下手な方だと思っているぐらいなので、まったく思いがけないことだった。もっときちんと練習させれば、あるいは長女より上手くなるのかもしれない。長女は感情の起伏が激しく(私に似ている)、ピアノを憎んでいるようなところがある。見ていてわかるが、弾き方も(指の形)きれいではない。何度も注意されているが、変な癖が直らない。だからきれいな音が出ない。致命的かもしれない。

次女は、やる気も向上心も無いが、何も考えていない分、素直に吸収できるところはある。とにかくまさか、あの厳しい人が少しでも褒めたというのは本当に驚いたし嬉しかった。といっても所詮はなにもかも親の自己満足だが。

うちにはオルガンに毛が生えた程度のグラビノーバしかなく、ハッキリ言ってそれでは練習にはならない。でもピアノを置ける環境ではなくまたお金もない。続けさせるには、なんとかしなければ、と焦りが強くなってはいる。本当はやっぱりピアノが欲しい。そもそも今うちはピアノを習える状況ではなく、かなり無理をした大きな贅沢であることも私の胸のつかえになっている。いまの私の置かれた状況では分不相応もはなはだしいと自分でよくわかっている。



頑張らなければ、と思う気持ちと、何もかもが虚しい気持ちが入り乱れている。暗闇に引き込まれそうなのだが、気持ちを切り替えて落ち着きを取り戻そうと、いま懸命になっている。いやでも辛くても、やはり生きなければならない。

三鷹で妹に思いがけない、きついことを言われた。
それはお互いの考え方の違いであるから、私は形こそ謝罪したが、ショックはおおきく、やはりどこまでいっても妹とは分かり合えないのだと心底身に沁みた。妹に気づかれぬよう私は、声を殺して泣いた。
身内だろうが血のつながりがあろうが、他者とは分かり合えない。
大人になってから、元は私の失言からだったとしても、私の心に残るいくつかの厳しい言葉を私は忘れてはいない。無論、引き金は私なのだから妹をせめられはしない。だとしても、私はひどく傷ついたり虚しい思いをさせられたのもまた事実である。

わたしは今度こそ、これ以上傷つきたくないから、これからは心の距離をとろうと決心した。
期待しても仕方がない、考え方がまるでちがう。子供の頃に散々いじめたことを私は悔いているし大人になってから何度か謝罪もした。私の罪はなくなりはしないが、未来に向かっては、私なりに妹とはうまく仲良くやっていきたいと本気で思っていた。 でもその方向が妹とは違う。
悪意ではないので妹にはわからぬだろうが、私は大人になってから妹の言葉で何度も傷ついた。
(もちろん、私も知らずにひどいことをしたり言ったりしているのだろう)

でも、もうたくさんだ。
私の気持ちなど、もうわかってもらえなくていい。もう近づかないことに尽きる。心に壁を作り、自分が傷つかないように、より注意するのだ。
人を恨むより、自分の身は自分で守らなければならない。
だれかにわかってもらいたいなどと思うのがほとんど無理な話であり、期待をするから落胆もする。

寄りかかりたいけれど、本当は誰もいないことに、悲しいけれど気が付かなくてはならない。
満たされない気持ちはどうすればいいか。少なくともそれは自分自身でなんとかすべきことであり、自分のご機嫌を他者にゆだねてはならないと、幾度となく思う。
でも、私はさみしくて泣く。泣いても事態は変わらず、まだ生きなければならないことを虚しく思う。



2007年06月12日(火) 手紙

久しぶりに友人に手紙を書く。

メールというものはとてつもなく便利、手軽だ。
でも、そのせいで、私は手紙を書く機会がほとんどなくなってしまった。
たいして緊急の用事でもないが、電話するには忙しい友人に申し訳なく、ためらわれる。
理屈はともかく、とにかく手紙にしたかったのだ。

彼女は私が尊敬する数少ない古い友人だが、彼女とは今は接点がない。
彼女はミクシ日記をまめに更新しているので、近況は伝わるけれど、私からは遠い人になってしまった。かつて私が崩れ落ちるほどダメになった時、親身になって心配してくれたし、何よりどんな時でも私を傷つけない優しさが(慈愛)私はいつもありがたいと思う。
しかし、彼女は私よりも彼女と気が合う友人が沢山いる。
私と関わるときは、だいたいが私側の問題で、彼女の悩み事ではない。
だから、電話もためらわれる。

私の抱えるさまざまな問題や苦しみ、それをどうしたらよいのか。こんな時、誰かに優しくしてもらいたい。話し相手になってもらいたい。でも、だれでもいい訳ではない・・というのは前に書いたな。

手紙を書く、というのはその行為が楽しい。
なのに、いまやその手紙を書く相手もろくにいないわけだ。

私はいま自分がどうしたいのかも、よくわからない。
私が何かを書こうとすると、いつも最後は迷子になって終わる。



2007年06月11日(月) ドラマ好きのたわ言

毎週楽しみに見ているドラマ「時効警察」、今回のはものすごくカメラワークが荒いし、ストーリーもシュールっぽいのだがどこか稚拙な気がしていたが、ラストのスタッフロールでわかった。主演のオダギリジョーが脚本と監督を兼ねていたのだ。
ジョーが以前、NHK教育のインタビュー番組に出た時に超短編自主映画(8mm?)をみたが、芸術的というより、独りよがりのへんてこな映像だったと記憶している。
今日の「時効警察」はその延長だったわけだ。ジョーがこのドラマの続編の出演を受けたのも、1本は自分が撮りたいという条件がついたのではないかと思う。ありそうな話だ。
ジョーはたいして上手くはない役者だが、今の時代に合った不思議な魅力は
ある。ただ永続的ではないと思う、あくまでも今が旬なのだ。
私は、ジョーのファンだと思うが(わりにひいき目で見ているし)脚本や監督は辞めたほうがいい。というか才能がない。
見ている視聴者が酔ってしまうような変なカット割りやハンドカメラで
揺れる画像、狙いがあろうとなかろうと、あれは素人臭くて変。学生の自主映画を、リッチに撮っている感じ。今回、すごく驚いたもうひとつはあの大森南朋の名前を出演者のその他大勢の中に見つけたことである。見つけた私もすごい(自画自賛)。思わずビデオ録画したドラマ映像をもう一度確認してみた。見つけるのに苦労したが、たぶん、本当に1カット、台詞も一言だけのチョイ役が彼だったと思う。本編と関係ない、象の飼育係の役が大森だろう。
ジョーと仲が良いのだろうか。友情出演というやつだろうか。
ドラマは次回が最終回。ドラマについて語り合う相手が欲しい。



日本では夜中の2時からだったので見られなかったF1カナダGP、琢磨が6位だったなんて、見たかった!!ビデオを予約したはずなのに、テープが回っていなかった。見たかった、本当に悔しい。



血圧の薬が切れて二日、今朝測ってみると上は144で下も100、やはり私の高血圧は本物なのだ。明日には、かかりつけのクリニックを受診しようと思う。


2007年06月09日(土) <お気に入り>

最近の私のお気に入り服は、黒の薄手のハイネックのノースリーブシャツ。胸元が日焼けせず、薄手ですっきり見える。通販で買った安物だが珍しく「当たり」であった。
今朝、長女に「この黒シャツがお母さんの最近のお気に入りなんだ〜」と言ったら「お気に入りの(物の)数が多い人ほど、それだけ若く見えるんだってさ。本に書いてあった」と言う。ふむふむ、確かにお気に入りがあるって楽しいことや嬉しいことかもしれない。お気に入りと思えるものが沢山あることは幸せだし明るく見える=若く見える、ということかな?と思った。
折りしも昨日、娘に届け物があり、娘の通う中学に顔を出したのだが、娘の同級生が「○子のお母さん、若いよね」と言ってくれたらしい。その時も私はその黒シャツを着ていたのだ。

だが、しばらくして娘が「実は本に書いてあったというのは嘘。本当は私が作った言葉」と笑っている。くそ−、騙された。
適当なことを言った娘だが、それでもあながち間違いでもないように思った。まぁそんなもの、単なる気持ちの持ちようなんだけど。

夜、ドイツで行われているサミットに出席した安倍総理と昭恵夫人がテレビに映っていたが、私が「森永製菓?のご令嬢だったという昭恵夫人て、実年齢よりも老けて見えるよね」といったら、長女が「きっと<お気に入り>の数が少ないんだよ」とすかさず言ったので、二人で笑った。






2007年06月04日(月) 「山あらしのジレンマ」

ヤマアラシのジレンマ [超心理学]

 独国哲学者ショーペンハウアー(1788〜1860)の寓話に基づき,対人関係の二律背反性を表す為に用いられる名称。寒空に2匹の山あらしが居る。互いに身を寄せて暖め合おうとすれども,相手の体の表面に付いている針が自分に刺さり,苦痛を感じて離れる。そこで体を離すと今度は寒さが身に染みる。それを繰り返す内に適当な距離を見つけ出すと云われる。この寓話の葛藤は互いに傷付かない距離を保持しようとする対人関係に例えられる。


2007年06月03日(日) 私はどこにいるのだろう

自分が実にくだらないダメな人間であると
自己嫌悪の強くなる時、いったいどうやって
気持ちを立て直したらよいのだろう。

どうやって自分を支えたらよいのだろうか。

他者とのかかわりは苦手なくせに
誰かに寄りかかりたい。
たしか「山あらしのジレンマ」?

誰にも何も期待すまいと思う。
他者は私の思うように都合よく動いてくれる
わけがないのだ。
でも、ふと寂しくてたまらなくなった時に
誰か話し相手になってほしいと思う。
すこし元気がでるまで。
そんなふうにかんがえるのも、やはりエゴなんだろう。


2007年06月02日(土) 来年はいよいよソーラン節(運動会日記)

昨夜、第9回アルゲリッチ音楽祭(別府)が夜遅く教育テレビでやっていた。第五回のときに記念で東京・サントリーホールでも公演が行われたので、別府に行くよりかなり近いと思い長女と聴きに行ったのに、当日アルゲリッチ体調不良でまだ来日せずで代役であったという苦い経験がある。それでもこの時は、チェロのマイスキーは予定通り出演していたのでマイスキーだけは演奏を聴くことができたという思い出が。後に娘の音楽の教科書にもマイスキーは載っていたのでなおさら。また、学校の音楽の先生にもこのことを話すと、当地は田舎なので、ちょっと驚かれる。まるで音楽に多少関心がある家庭と思われそうだが、そうではなくて私にクラシックの教養も知識も全くない、ズブの素人なのに。
で、その因縁?のアルゲリッチの演奏をテレビでやっていると知り、つい夜更かしをしてしまったが、今日は次女の小学校で運動会であった。

早朝4時半から起きてお弁当の鳥のから揚げを揚げたり玉子焼きを焼いたりお結びを握ったり、奮闘。お昼は家族で食べるので、作る量が多い。苦手なお弁当作りで、出かける前にすでに疲労困憊。
そして本番の運動会は、親の社交の場でもあるため、かなり気疲れした。
肝心の娘は個人走で2位だった。運動が得意ではないからよく頑張ったと思う。午後最後のリレー、不注意で見逃してしまい娘を見つけられなくて痛恨の極み。いったい何をしにいったのかと思うくらい。付き合いで話し込んでいて、5年のリレーが始まったのを知ったのは、スタートのピストルの後で、娘をとうとう見つけられなかった。虚しい・・・・。

一番最後は六年生の組体操と、ソーラン節をアレンジした曲で踊りをやる。揃いの青の法被を着て裸足、約120人の六年が運動場いっぱいに踊り、ちょっとした迫力で一番盛り上がるので、見るのが楽しみ。これをやると、六年生はいよいよ卒業の年という気がする。長女も2年前に踊った。来年、プログラムに変更がなければ次女もこれを踊るのだ。
本州に住んでいて、なぜソーラン節なのかは不明。

写真は、次女の団体競技のタイヤ取り。(他に竿のような棒も取る)だんだん集団になってきて団子状態で膠着している場面。





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