私の雑記帳
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2007年02月28日(水) 離婚4周年

離婚して今日でちょうど4年経った。

元夫は、ほぼ毎日顔を出すが、それは娘たちがいるからで
我々の間にはもちろん恋愛感情はない。
一時は夫婦という運命共同体であったし、
今でもちょっとした情のような感覚はある。
でも、それは決して恋愛ではない。



昨日が給料日だった彼から案の定、今日3万円が振り込まれていた。
彼に貸したお金は百万を超えるが、昨年末に彼が債務整理をしたので
今年から毎月3万ずつ返済してくれるようになった。
そういう約束は守ってくれる人である。

娘の具合が悪くて病院にいた昨日、夜中に嘔吐し頭痛がおさまらない娘は
今日も登校できず、再び今日総合病院を受診した。
二日続けての病院行きは本当に疲れた。娘が幼児ではないだけ
ましだと思わなくてはいけないのだが、私も頭痛がひどくて
やりきれない状態であった。
今日は小児科を受診したが、頭痛と嘔吐の因果関係はないだろうとのこと、
たぶん胃腸が弱っているらしかった。


彼は、振り込んだと伝えるために昨日か今日、電話をかけてきたと思う。
でも私は彼と話したくなかった。
いや、もちろん彼と話したい。会いたい。(もう半年会っていない)
でも用事がなければ電話をくれないし、電話してくるのは
用事がある時だけというのが、どうにもやりきれない思いがするのである。
話せば、絶対に私は愚痴をこぼすだろう。
いつになったら会えるのか?と同じことを聞き、
「ほら、また始まった」と言われるのが虚しいのである。
確かに土日なく働いていて、東京で危篤の母親が入院していて
私と会える時間など作りようがないことはわかる。
でも、そんなものわかりのいいフリをする自分が辛くなってきている。
彼が電話をよこさないのは、私と話す用事がないからである。
用事がないというのは、「話したい」と思ったりしないことなのである。

とても悲しいのは、彼は私に(精神的に)依存させてはくれないことだ。

だから私は電話に出たくなかった。
かかってくるとわかっている電話になど出たくなかったのだ。
そして、私に会う時間を工面できない彼に向かって
恨み言を口にし、嫌われる自分がリアルに想像できるのが
また悲しいと思うのである。折りを見て、振り込みは
確認出来ていると、こちらから伝えようと思う。


2007年02月27日(火) 人間ウォッチング

昨日、長女が学校の昼休みに頭にボールがもろに当たり
気分が悪くなったそうだが、今朝は痛みや痺れで調子が悪いという。
学校にはちょっと行けそうもないないというので
欠席する旨を学校に電話した。

長女が学校を休むのは、たぶん3年ぶりぐらいである。
とにかく、担任にも言われたが念のために病院を受診することになった。
(福祉の世話になっているので病院受診は大変に肩身が狭いのであるが)

医者である義弟にどこの科を受診したらいいのか電話で聞いてみると
やはり脳外科ではないかという。

うちから一番近い某総合病院の脳外科を受診した。
覚悟していたが、いつもながら総合病院は本当に待たされる。
具合が悪い時に、これほどの肉体的負担を強いられるのは
本当にやりきれない思いである。
(私も頭痛がひどくて、体調が悪かったので)

2時間もまってようやく順番がくるが、
まずはCTを撮ることになり、西館のCT室まで行った。
そこは待っている人が2人くらいで空いていた。
と、そこに反対の入り口(夜間救急の入り口側)から
初老に近い小男と中年男性の3人組がやってきたが、
その初老の男の手元がどうも怪しい。
何かでくるんであって隠しているが、テレビなどで見る
どう見ても手錠をはめた人の感じなのである。
しかしながら、解せないのはその3人がなにかを
親しげに話しているのである。そのうち若い女性一人が
やってきてその話しに加わっているようだった。
私の勘違いなのだろうか・・と思ってしまったほど。
だが、次に検査室に呼ばれたその一行の後ろ姿をみた時に
その初老の男に、逃亡を防ぐ為と思われる紐が
腰に巻かれていて、それを付き添っていた中年男の一人が
しっかり握っているのが見えた。やはり、一行は警察と
犯罪者(逮捕された者の意)だったわけである。

警察は、決して弱い者の味方ではないと実感したのは
一昨年、あることで警察で事情を聞かれた時に受けた屈辱的な
態度であったが(こちらは被害者であったにもかかわらず、
大変不愉快な思いをすることになった)
降って湧いたような災難に、人はいつ遭遇するかわからない。
昨今の冤罪のニュースを聞くだに、自分が何かの事件に
巻き込まれることが今後あったら、と思うと本当に怖くなる。
知人の友人も、被害者であったにもかかわらず警察によって
あらぬ疑いをかけられ、家庭が崩壊してしまったと聞いた。
幸福など、壊れるのはあっけないものである。

だから私は、犯罪者になる予定はないものの、今後警察に
何か協力できるようなことがあったとしても、極力、協力など
しないだろうと思う。(もちろん、内容にもよるが)
ことなかれ主義というのは、我ながら嫌な感じであるし
自分の矮小さをみっともないと思わないでもないが
正義感などを振りかざして、はからずも自分が傷ついたりしたく
ないのである。
若い頃ならちょっと軽蔑したかもしれない、小市民なのである。


娘のCT検査の結果、異常はないということがわかった。
医師は検査結果を、画像を細かく解説しながら話してくれた。
どこも悪くはないと。
「では、頭が悪いのは治しようがないのですね・・」と
冗談を言いたかったが、不謹慎なので、だまっていた。

朝から出かけて、帰宅したのが2時であった。
私自身が頭痛がひどくてロキソニンを飲んだが、いまも痛い。
やはりいつも不健康、なのである。



2007年02月26日(月) 喪失

父の知り合いのKさんが、今度副知事に就任することが
夕方のニュースで報道されていた。
私が中学の頃には、何度か一緒に越後湯沢へスキーに行ったことを
思い出す。
そういえば昨年末に、Kさんのお母さんが亡くなられた。
不幸(葬儀)は、わりに続けておこる。
何年か前にも、わりに続けてそういうことがあったが
最近また不幸が続く。親戚では父方の伯父が亡くなった。
寒い時期に、不幸はわりに重なる。



今の状態を自分で何とかできないのは
自分自身の甘えに他ならないのだが、
私は次の一歩を踏み出せずにいる。



忙しいであろう彼からは、連絡がない。
仕事に忙殺されていることはわかるが、
彼が私を愛していないことが嫌でも身に沁みる。
言葉を変えれば、私を必要とはしていないのだ。
何度も彼の経済的危機を助けてきたが、
虚しいことであったと思う。
でも、いま考えても彼を見捨てられなかった。
彼が悪いのではなく、彼に惹かれる自分が憎い。


2007年02月24日(土) とりとめもない愚痴

20年来の友人であり、お姉さんのような存在である知人の
お父さんが亡くなられた。

最近の彼女のプログから、かなり深刻な状態であることは
知っていたが、こんなに早く逝ってしまわれるとは思わなかった。

【[「死」は「生」の対極としてではなく、その一部として存在している】


☆★

私の父も、最近はめっきり弱ってしまった。
もう一度ヨーロッパに連れていってやりたいと思うが
日本から専門の通訳兼荷物持ち兼ガイドを頼みたいなどと
言っているので、経済的に無理である。
(10年前のフランス・ベルギーへの個人旅行に連れて行った妹は
精神的にも金銭的にも、大変無理をした)
妹は大学でフランス語をやっていたので、ほんの少しは会話が出来た。
学のない私は、7年前からラジオ講座やテレビ講座で断続的に
勉強(とも言えないレベル)していたが、ここ数年間の波瀾な人生で
何もかもが無期限中断状態になってしまっている。

7年前から今までに始めたことは、ピアノとフランス語(これは独学)と
歯列矯正(見た目のためではなく老後の健康のため)と普通自動車免許取得であったが、
いづれも豊かな中年ライフを目指そうという、わりに前向きな気持ちから
取り組みだしたつもりである。

ピアノもフランス語も、子供の頃から好きだった
ミッシェル・ポルナレフへ傾倒していたことが影響して始めたのに
趣味とも言えないレベルである。
歯列矯正は身体のために思い切ったのに、その後の原因不明の体調不良への
遠因ではないかと複雑な心境である。
(酷い歯並びがましになったのは嬉しいが)
そして、かなり思い切ったいい歳をしての免許取得は
何度も事故を起こし、何台か車をダメにして(数万円という格安のボロ中古車ばかりだが)、
運転の適正の無さに情けない思いをすることになった。


ボロボロになって離婚し、ひどい生活を送る私には
とてもではないが父を外国になど連れて行く術はない。
私が行くということは、娘二人をも連れて行くことである。
そんなお金などあるわけがない。
父に、貯金をはたくように言ったが、別れた元夫が1年半ほど前に
また父(の年金でためたわずかな蓄え)から100万弱のお金を
借りにきてまだ返していないという。(このことは、口止めされたが)
離婚する前に、父や私の妹から借りた700万近いお金の返済も
全く滞っているというのに、まだそうやってお金に迷惑をかける
元夫。

情けない。父への迷惑はつまりは私の責任なのだ。
私がバカな男を選んだばかりに、父にいまだに迷惑をかけている。


離婚する少し前から自暴自棄になって、目茶苦茶な生活をした私
だったが、いまはその時期のことを思い出すとその愚かさに
吐き気がするほどの[醜い汚点]として私の歴史に刻まれてしまっている。
意識的に思い出さないようにしているが、完全に忘れることなど
不可能であり、あの頃の自分は屑であった。そして、その事実は
消えないのだ。

考えることを辞めたいといつも思う。
「赤い靴」のように、死ぬまで辞められないものなのか・・。

昨年、ようやく得たパート仕事も、結局私はずっと逃げ出したくて
椎間板ヘルニアが判明したのを口実にして、半年で辞めた。
その後、ある登記関係の事務のパートを得たが、そこでの仕事も
結局は耐えられなかった。わずか2週間であった。

こんなことは愚にもつかない甘えだと重々承知しているが
私に勤まる仕事はそう簡単には見つからない。
人間関係などを含め精神的に耐えられないのだ。
かと言って自分で何か仕事を始める才覚もない。
福祉の世話になって、子供にも惨めな後ろめたい思いをさせて
このままずっといるわけにはいかない。

何とかしなければ、と焦っていても何も変わらない日々が
ずっとずっと続いている。


2007年02月22日(木) 自立できない

かつての自分の愚かな行動を思い出さないようにしていたのに、昨夜はなぜかふつふつと記憶がよみがえってきて、とても苦しくなる。
あんなバカな事をしていた自分がいまでは信じられないほど。たぶんこれからも、時々こうして思い出して苦しむ事になるのだろう、きっと一生。

求人誌を見ていると、自分がいかにダメな人間であるか痛感させられる。
甘えた事を言っている場合ではないことは十分に自覚しているつもりだが、私が勤まりそうな仕事がない。先刻妹に言われたことだが、私は興味のないことは結局のところ続かない。では、何に興味があるのかというとそれもわからない。事務も嫌だが接客や営業はもっとダメ。
そもそもがおっかなびっくりの状態なのに、ここのところの肉体的な衰えを思うと、何を初めてもすぐにダウン(精神的にも)してしまうのが目に見えている。
そう思うと、私は全くダメな人間なのだと思う。
どうしたらいいだろうか、先々のことなど不安で仕方がない。すでにいま生活していることさえ、もろい基盤しかないというのに。


2007年02月20日(火) 体調不良

ここのところ、すこし躁状態ではなかったかと
思われるほど、衝動買いをしてしまい途方にくれている。

昨日から次女が嘔吐で学校を早退し、今日は休んだ。
高熱も出て、弱っている子供を見るのは
親としては辛い。
しかし私も、ここのところ胃がむかむかする状態が続き
ひどい頭痛も続いている。
風邪なのかよくわからないが、調子が良くない事だけは
確かで、寝たり起きたりの生活になっている。

それよりも気になるのは、私の記憶力の低下である。
気のせいというか加齢によるものですませていいのか
心配になるほどひどいのである。
人の名前が思い出せない。何をしようとしていたのか
思い出せない。
思い出せないことがたくさん。
ここ3〜4カ月くらいでものすごい勢いでひどくなっている。
いきなり病気だと短絡的に考えたくはないが、
「一体、なんだろうか」と悩む事に困っている。

明日はPTAの係の仕事で学区の巡視(自転車で)当番である。
たいしたことではないけれど、知らない人たちと組んで
「こんなこと、なんの効果があるのだろうか・・」と思うような
不毛な活動に、面倒くさいと思う気持ちが強い。
いま、胃が気持ち悪くて頭痛もあるのに、出かけたくないが
行かねばなるまい。

もうじき年度が変わる。
そうしたらまた家庭調書なるものが何枚も渡される。
親の職業(勤務先)や、保険証の番号まで書かなければならない。
うちのように、現在無職であると書くみじめさ、
保険証がないと書くみっともなさ、つくづく自分がなさけなく思う。
私に人並みの甲斐性があれば、こんなみじめな気持ちにならなくても済むのに。


2007年02月16日(金) もう未来を通りすぎたのだ

私はいつも不機嫌である。

生活の基盤となるものがないことが大きい。

何とかしなければとは思うが、世間に出て行く気力とか
勇気とかエネルギーが足りない。
軟弱というか根性無しというか。

20代のバブル絶頂のころ、私は東京の小さな出版社で
働いていた。当然、貧乏でお金はなく、したがって
欲しい物も買えなかった。でも、若かったから、まだ未来があると
信じていられた。
「いつか、いまの状況を抜けてなんとかなる」と夢のようなことを
漠然と信じていた。
だから貧乏でも、かまわなかった。

今は、中年ババアとなり、未来もなにもない。
娘二人との3人暮らしも来月で5年目に突入する。
この4年はいろいろあった。
不安定な母親に娘たちも大変だろうと思う。
私には確固としたアイデンティティーのようなものがない。
だから、後悔してばかりの人生である。
本当にここ数年間の出来事は、吐きたくなるような
無様な醜いことばかりで、なるべく思い出さないようにしているが
それでも、時にはふと思い出して苦しくなる。
どんなに辛い事があっても、昔は頑張れたのは
「未来」にはきっとマシなことがあると信じていたからだと思う。

中年になったいま、私の思うような夢など何も叶わなかった事が
嫌というほど日々胸に突きつけられている。
鏡を見て思う。私がどんなに若く見えたとしても、もうこの衰えは
どうにもならない、と。
お金もなく、若さもなく、きれいでも可愛くもなく
生活能力のない、理屈っぽい女が私なのである。




2007年02月14日(水) 自立と機嫌

ここ数日、体調が良くない。
明日は子供の参観があるので、明日まではなんとかもたせたい。

もうダメだと思って仕事を辞めて半年。その後10月に
ある小さな事務所に採用になって働き始めたけど
諸々の不都合があったりして2週間で辞めた。

その後は、社会が怖くて仕事を探せない。
声高に主張するつもりはないが、他人の何倍も
気が弱い私は、どんなところに行ってもつまづくだろう。
ここ1年で得た自己認識は、私はどこでも勤まらないということだ。
妹が「好きな事はとことんできるが、それ以外は
耐えられないのだから、自分の好きなことを仕事にするしかない」と
言ったが、本当にそうだと思う。
他人との摩擦に傷つき、すぐに死にたくなってしまうような
やわな自分。理屈でわかっていながらどうにもならない。
一人でこつこつとできる仕事が欲しい。

私の機嫌が悪いところに持ってきて、次女がドジばかりして
私の神経を逆撫でする。
言葉の暴力で次女を虐待してしまった。でも、そんな時の自分の
気持ちは抑えられないと思う。いや抑えようと思う気持ちはある。
それでも、やはり腹立たしさの方が勝ってしまう。
ゲームばかり、やりたがる次女にはピアノの練習と勉強をした時間だけ
ゲームをやってもいよいと煎ってるが、それがまったく比例しない。
ピアノを5分もやったかと思うと、自分では15分はやったと思っている。
しかも5分どころか2〜3分やると、すぐに喋ったり、席を立ったりして
集中して練習できない。なのに、ピアノはしっかりやったと言い張る。
ピアノは正味10分も練習していないくせに、ゲームはその5倍はやってしまう。
うるさい、やぼなことを言うのはいやだが、いかにも「なまけもの」的な
次女に対して、ある種の憎しみのようなものが沸くことがある。
決してきらいではないのに。
そんなとき、母親であることのデメリットを感じる。

あぁ、経済的に自立する日はくるのだろうか。
体調も良いとは言えない日々、悲しいことに最近物忘れがひどくなっている。
いま考えていたことが、思い出せない。
老化なのだろうか。それとも病気・・・?

自分ができる仕事が欲しい。


2007年02月06日(火) 歳を越して

立春を過ぎて、ようやく新しい年がはじまった。

どうか、実りのある一年になりますように・・。

最近、月がとてもきれい。
夜に洗濯物を干しながら、なんとなく見入ってしまうことも。
太陽と月、この二つが好き。


pearl〈パール〉 |MAIL

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