私の雑記帳
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2005年11月30日(水) スペシャルな大吉?

昨夜の出来事。

夜遅く、子供達と川の字になって寝ながらぽつりぽつり話す。
「こんな惨めな生活と人生ならば、生まれて来なければよかったし、親を選べないあんた達も可哀相だね・・」と言うと、次女が「でも○○ちゃん(自分の愛称)たちが生まれなければ(お母さんは)今よりもっと惨めだと思うよ」と言った。そうかもしれない。私のなぐさめのためにも存在している子供達が可哀相になった。母だからって強くなれない。

・・・

気乗りがしない仕事だけれど、2社に履歴書とハローワークの紹介状を送った。片方はたぶん面接前に落とされる気配。
地味にこつこつ出来る仕事がないかなぁ。

・・・

本日のヤフー占い

「今日のあなたの基本運はスーパー! ミラクル! スペシャル! な大吉。すごい! すごすぎます!! なんて強い運勢なのでしょう。こんなにすごい運勢はまず出ません。アンビリバボーです!! 精神的にも肉体的にも最も充実した一日となるはず。男性からも女性からも良い意味で「ウワサの人」になること間違いなし。誰もがあなたと友だちになりたがり、あなたの喜ぶことを望みます。絶妙なタイミングのよさと、チャンスを生かすツキや行動力も。自信を持ってGO!」

毎日見ていると↑は一月に1度くらいは必ず出る。「こんなすごい運気はまず出ません」をいままで何度見たことか・・。でも、ちょっと期待してしまった。今日一日を何とか無事に過ごせたのは、もしかしたら本当はミラクルなのかもしれないな。

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お世話になっている役所の田中さんが昨日、テレビに映っていた。ローカル局のリポートで「男に磨きをかける」講座に集まった人へのインタビューの中に彼の姿があってびっくり。ファッションのアドバイスやら、男の料理やら色々やっていたようだが、磨かなくても十分いい男なのに、何やってんだろう。(奥さんもちゃんといるのに)いつも仕事が忙しそうだが、こんなこと気にする余裕があるなら、いくらか平和なのか。来週、役所に顔を出す用事があるので、ちょっとからかって来ようと思ったり、余計なことは言うまい、と思ったり。


2005年11月29日(火) 肉だんごを作った

早く油を使い切ってしまいたいので、久しぶりに肉団子を作った。
スーパーなどのヘボな肉ではなく、なじみの肉屋さんで、その場で挽いてくれる肉を買う。(その方が美味しくて、しかも安い)

問題は、あん(たれ)の方だが、本に書いてある分量だと甘味が足りないので、砂糖を倍に増量して作る。油を熱してニンニクのスライスを炒めて、スープ(プラス酢、醤油、砂糖など)を煮立たせ、水とき片栗粉でとろみをつけ、団子とからめて出来上がり。
私にしては、よい出来で頑張った甲斐あり。

いつもこの調子で家事が出来るなら、私ももう少しましな女になれたかもしれない。

誰かによりかかりたくて、しょうがない。
寂しさを紛らわしてくれる人が欲しい。
もちろん、一時しのぎとわかっていても。


2005年11月27日(日) 追い打ち

昨日の伴奏もなんとか出来て、娘がようやくピアノに興味を持ち、自分から頑張ってくれるようになったというのに、先ほど、上の階の年配の婦人から苦情が来た。クラシックは好きだが、へたなピアノが流れてくると、ずっと体調が悪くて昼間も寝ているのに神経に障って我慢出来ないと何度もくどくどと言う。うちのグラビノーバがおいてある真上が寝室になっているらしい。とにかく悪いのはこちらなので平謝りに謝ったが、これから先の生活を思うと気が重い。今後どうやって娘に練習させたらいいのか。本当は中古でもいつかピアノを買ってやりたかったが、とんでもない。楽器だけじゃない、聴く音楽だって怖くて音は出せない。このマンションに引っ越して2年半、気をつけてきたつもりでも、これからはもっと息を潜めて生活しなければならない。ヘッドホンでなら聞けるとはいえ、ささやかな楽しみだった音楽さえも私から遠ざかっていく。娘も「もう練習できないね」と呟いた。本当に平穏に暮らしたいだけなのに。

一刻も早くここから引っ越したいという気持ちが時間と共に募る。ここを出るときは、実家に戻る時だと思っていたけれど。



2005年11月24日(木) 風邪悪化

身体がだるくて切ない。

求職活動もうまく行かないし、参った。

いつも何かに追われているような窮状と、
お金の無さが身に沁みる。




2005年11月23日(水) 風邪をひく

快晴のよい天気。

ついに風邪をひいたようで、身体がだるくて切ない。

お金がないのが本当に辛い。

こんなふうに、惨めっぽく歳をとっていくことが
たまらなく苦しいと思う。


2005年11月20日(日) のどかな一日

よく晴れた、穏やかな一日。

今日まで半額なので、TUTAYAに行く。
次女が聴きたがっているので「POP STAR」(平井堅)と「WISH」(嵐)を借りてやる。長女も喜んで聴いている。(何がいいんだか)「POP STAR」は歌詞があざといほどオーソドックス。平井堅てところが大きくマイナス。
私は傾向を換えた音楽が聴きたくて探したが、これと言ったものがない。本当はパーシー・フェイスあたりを聴きたかったが、やっぱり置いてない。(がっかり。「夏の日の恋」がすごく聴きたかった) ちょっと迷ったが今はモリコーネという気分でもない。モリコーネ、20年くらい前に出たNHKの「ルーブル美術館」シリーズのBGMのアルバムが聴きたい。CD化されていないんだろうな。レコードは確かキングレコードの大月さんに貰って持っていたはずだけど。あのころ大月さんが「モリコーネは今が買い」と言っていたのが強烈に印象に残っている。とにかくあれからモリコーネが有名になる度に、そのことを思い出す。なぜ「今が買い」だったのか、今になって知りたいと思う。とにかく、「ルーブル美術館」聴きたいなぁ。

レンタルは結局、半額ということが後押しして、『新撰組!』のサントラとフジコ・ヘミングのアルバムを借りた。でも結果的には悪くない選択だったような気がする。まだ聴いていないけど。

DVDで「festival express」という貴重なライブ盤がレンタルで出ていて、よほど借りようかと思ったが、これはいづれ買うつもりなので、今日は思いとどまった。実は先日借りてきた『フルハウス』のDVDもまだ見ていないので、たぶん見る時間がいまはない。本当は『コロンボ』シリーズも借りたいが、もう少し余裕が出来たら、見逃しているものを全て見たい。

・・・

今日の夕飯は、ぶり大根。濃いめに味付けしてしまったが、味が染みて美味しかった。ぶりのアラ498円、大根98円


2005年11月19日(土) 悲喜こもごも、多忙な一日

長女が伴奏に選ばれた合唱の本番が今日だった。学区のイベントではあるが、出場校の関係者以外はそれほど人はいない。それでも、親の私はものすごく緊張した。曲は「栄光の架け橋」だが娘は大きなミスもなく、そつなく弾けて本当に良かった。本当にほっとした。たいして緊張していなかったらしい娘本人も、なんとか弾けて安堵の表情。私はあまり褒めてやったことがないが、過剰に褒めてやったので娘も気をよくしていた。娘にとっては、成功したことより母親に褒められたことの方が大きかったかもしれない。「いつか大人になったら、あれ(今回の伴奏)って私の栄光だったよな〜と思い出すよ、きっと」と身も蓋もないことも言ってしまったが、娘も笑っていた。久しぶりの平和なひとときだった。来週の土曜は家族参観で5時間目に全学年が体育館で合唱するが、その時も同じく伴奏するのでうまく出来て欲しいと願うばかり。
最近、娘はようやくピアノが好きになってきたらしく、出ないと言い張っていたピアノ教室のクリスマス会にも急遽参加することに決めた。曲選びについて口を出すと、「だからピアノはつまらない」と言い出すので私はノータッチだったけれど、なぜ流行歌では練習にならないのか、最近ようやく私の言っていたことが理解できるようになったようで、ピアノ曲をやりたいと言い、以前に使っていた教本から、簡単に編曲しなおしてあるが「別れの曲」(ショパン)をやるという。(先生にピアノピースの楽譜を見せていただいたら、目眩がしそうだった)
何のジャンルの音楽を好きでもいいのだが、子供のときに身につけておけば、一生にわたって音を楽しめる。だから、私は娘にもう少しピアノを続けて欲しいと思う。
私自身は歯の矯正もそうだったが、三十路を過ぎてようやくピアノを習い始めた。豊かな中年ライフを目指すはずだった。私生活も体調も悪くなって停滞して数年経つけれど、今からでもまた少しずつ気持ちが豊かになれるよう努力したい。

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長女と二人で買い物に出て、久しぶりに行きつけの日本茶の喫茶店に行ってみると、当地で作った紅茶がようやく喫茶に出ていて飲んでみたが、さっぱりしていて美味しかった。
前にも日記に書いたが、また和製ロビン・ウィリアムス(瓜二つ)と遭遇。(次女の保育園の同級生の父親で、喫茶店の店長の幼なじみ。その店の設計をした一級建築士)独立なさったそうで、また名刺をいただいた。土曜日なので店は混んでいて、しばらく前にも客として来ていた地元NHKのアナウンサーの顔もあった。お店が有名になるのはいいことだが、土日はやはり混んでいるので、長居も出来なければ、店長やチーフ(奥様)とお話する時間がないのでもったいない。

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娘が丸井のGAPを見たいというので、久方ぶりに行ってみると、以前私がパートで一緒だった苦労人のOさんが掃除婦として床を掃いていた。真面目を絵に描いたような人で、まだこんなに頑張っているんだ、と思うと胸が詰まった。GAPの服なんぞを見ている親子連れは、私たち親子を除けば、みな中流くらいにはお金がありそうだしお洒落だし、親子連れはみな子供に相当お金がかかっていた。そんな中で、寝たきりのご主人と成人しているとはいえ3人の子供と、苦労して立てた家のローンに追われているOさんの苦労を思うと、その場にはいたたまれぬ気持ちになる。Oさんは不器用だけど何事にも一生懸命で、手を抜くということのない人だった。無駄な話しも愚痴も一切言わなかった。Oさんの境遇と自分の境遇など考えると切なくなった。

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夕方久しぶりに、家族で銭湯に行った。
ここぞとばかりにサウナに入るが、なぜか汗があまり出ない。やはり代謝が悪いのか。急いで身体と髪を洗うがその後湯船(ジェットバス)に入っていられたのはたった3分で、時間がなくて泣く泣く風呂から出る。いつも思うが、今度はゆっとり一人で行きたいと思う。

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午前中に行った病院(いつもの泌尿器科)で週刊誌を見たが、今度やるドラマで宮沢りえと瀬戸内寂聴の対談が載っていた。構成されているので、実にたわいもない内容になっていたが、瀬戸内が51で出家して確実に守ったのは男を絶ったことだと言っていたことと、過去の男はすでにみな死んでしまったと言っていたことがやや印象に残った。

・・・

今日は一日ジャニスの「pearl」を聴く。
お気に入りは「TRUST ME」
最近ジャニスに惹かれるのは、何か爆発したいようなエネルギーを抱えているのだろうか。


2005年11月18日(金) 「La Mer」/クリスマスケーキ




ハードで破滅的な曲ばかり中毒のように聴いていた反動で
今日は、久しぶりに優しい曲を聴く。

『French kiss』のサントラにしか入っていない曲だが
ケヴィン・クラインの唄う「La Mer」は、とても渋くてよい。

・・・


友人にメールを送った後だったので、その返事が携帯に来たのかと思っていたら、妙に長く鳴っている。(私の電話とメールの着信音はよく似ているので聞き分けられない)
見るとFさんからの電話だった。まったく気まぐれな出来事なので狼狽する。

用件というのは「仕事のお付き合い(義理)でクリスマスケーキを買うのでお前にやるが、いつが都合がいいか」であった。唐突に聞かれてもどきどきしているので、何を話していいのかわからない。
私から用事もないのになるべく電話しないようにしようと思って日々耐えていたのに、拍子抜けするほどあっけない。まさかこんなことで電話がかかってくるとは思わなかった。

人ごとながら気になっていた、交通事故で入院していた息子は退院したのかをたずねると、つい先日退院したが、風邪でダウンしているとのこと。「そうよね、内牧(地名・・北の果て)の風はさぞ冷たいでしょうから・・」と皮肉っぽく言ってみて、ふと「でも東京育ちなら、こちらより向うの方が寒いでしょう?」と言うと「うちは海の方だけど、こっちの方が寒い」と言った。「晴海だったわね」と言ったら「勝鬨!」と言って怒られた。
なんと、どうでもいい話しなんだろう・・。

聞いてもいないのに「先に言っておくけど、ボーナスは○日だから」と言った。Fが夏にお中元商品で知り合いに頼まれた商品の代金約24万は私が娘の学費から立て替えたが、最悪はそれをボーナスで返すからと言っていたが、まさか本当になるとは思わなかった。
「先方は(商品代金を)払ってくれないの?」と愚問するが「もう無理」とそっけない。「あなたはそれでいいの?悔しくないの?」と更に当たり前のことを聞いたが「仕方ない」と言うだけだった。
私が先月、詐欺師の口車に乗って発注し買い取らなければならなくなった時の代金は7万弱だったが、その時は商品は私の手元にあった。しかし、Fの場合は客に依頼された分なのでまるまるの損失。人ごとながら、痛恨すぎる。
そういえば、去年も仕事がらみで貸したお金を12月のボーナスで返してくれたことを思い出した。その時は忙しいから振り込んできた。そっけなさすぎて、そのとき私は二人はもう終わったと思った。あれから1年経ったのか・・。

先日、過去の日記を読み返したが3月の日記に「彼は未練というものを全く持たない・・・」というくだりがあった。wetな私とは正反対のdryな性格が羨ましくてたまらない。クールな思い切りのよさは少し見習いたい。

「出来たら年内に食事でも・・」と話したら、返事だけは乗り気だったので少し嬉しくなったが、相変わらずものすごく忙しい、死にそうだとぼやいていたので、多分そんな時間はないだろうと思う。息子二人がそれぞれ受験だし、お金はないし、仕事は忙しいし、Fの頭の中には生活だけで精一杯。私のことなんか、もともと何もない。

でも、それが私たち。
かまってもらえないのが寂しいという気持ちを越えて、私たちは、元々そういう間柄なのだと強く思う。一番さみしいことは彼は私がいなくなっても悲しまないだろうということ。そんなふうに考えると悲しくなるけれどそれが現実、仕方ない。
いつか遅かれ早かれFはいづれ当地を離れるだろう。その時になって狼狽しないよう、私は今から心の準備をしている。こんなふうに、少し離れてFのことを考えられると気持ちも軽くなる。本当はもっと早くからそうすべきだった。わかっていても私はずるいから、心だけは本当に彼に頼りたかったのだ。


2005年11月16日(水) 「summer time」

ようやく、ジャニスのベスト盤を借りてきて聞いている。
聴きたかったのは「summer time」だけれど、
この曲も含めてジャニスの曲は小さなボリュームで聞くのはとてももったいない。CDウォークマンで大音量で聴くのが一番いい。

音楽を聴くと、彼を思い出してしまうので辛い。
今日も、電話をかけてしまいそうで、その度に思いとどまった。用事がないのに、電話してはいけないのだ。そんなふうに彼を頼っても、何も得られないことはとっくに知っているくせに、寂しくて気持ちが揺れてしまう。

私はとてもさみしい。寂しくてさみしくてたまらない。
でも、誰にも頼ってはいけないのだ。
お酒が飲めたなら、とっくにアル中になっているだろう。


2005年11月15日(火) LOVE




いろんな自分の荷物を少しずつ処分している。
そんな中、以前から探していたオフコースのカセットが出てきた。
20年以上も前の曲ばかりだが、どの曲も素晴しくて懐かしい。
ここ数日はジャニス・ジョプリンにどっぷり浸っている毎日だが、昨日からはオフコースも加わった。音楽は私の心を本当に慰めてくれる。

Fと再会した三月に、私に書いてくれたラブレター代わりの歌は
ジョン・レノンの「LOVE」の歌詞であった。
私の人生の中でも数少ないロマンチックな思い出なので
今や未来はどうなろうと、あの時のことは一生忘れないと思う。
Fはジョンが好きらしいが、私は好きではなく
むしろポール(&ウイングス)派なので、割に気が合わない。
で、オフコースを聞いていると「I LOVE YOU」という曲には
ラジオから流れてくる風の、ジョン死亡のニュースが流れる。あの事件はそんなに昔だとは思えないけれど、ジョンが死んだとき、彼はまだ40歳だった。(そんな若かったとは・・)
ジョンにもpeaceにも興味はないが、オノ・ヨーコにはいくらか関心がある。夫が射殺されてからの長い人生を彼女はどうやって乗り越えてきたのだろうか。

リンダ・マッカートニーは乳ガンで死んだが、ポールは再婚した。
そういえば、ジョージ・ハリスンも癌で死んだ。

ジャニスがドラッグで死んだのは最後のアルバム「pearl」が発売される直前で、彼女はまだ27歳だった。1970年10月というから今年でもう35年も経つ。

出来ることなら、もう一度70年代に戻って音楽を聞きたいと思う。いかにせん、当時の私では幼すぎた。私の音楽の情報源はラジオとFM雑誌だけだった。
初めて行ったコンサートは75年のカーペンターズ。それ以前の音楽となると、リアルタイムというのはほとんどない。

私もずいぶん歳をとってしまったと、しみじみ思う。


2005年11月12日(土) 寝ても醒めても

昨夜は、深夜まで求人誌を見ていたが、
何一つ見つからず、自分がとことん無能な人間に思えて情けなくなった。

再び習慣になってしまうのが怖くて、
睡眠薬を飲まずに寝ようと試みたせいか、
悪い夢を何度も見て、その度に目が覚めた。
疲れを癒すはずの睡眠で、どっと疲れている。

・・・

夕方、同級生がやっている美容院に、長女の髪を切りに行ったところ
娘の同級生(超超イケメンの男の子)のお母さんも来ていた。
なぜか「(卒業で)もうすぐお別れですね」と言うので、
「(私学を)受験なさるのですか?」と私が聞いたら、
「うちは○中(公立)ですが、S子ちゃんは雙○を受けるのでしょう?」と言う。
「そんな頭もお金もない」と即刻否定したが、
なぜ、そんな話しになっているのかわからない。
同じクラスに英和を受験する子がいるが、そのうちは
会社経営をしていて、有名塾にも通っているし、何から何まで
うちと生活レベルが違う。
「てっきり、S子ちゃんは雙○を受験するのだとばっかり思ってた」と言われたが、学力レベルも経済的にもその他、何をとっても遠く及ばない私学受験の噂が流れているというのが惨めな気持ちに拍車をかける。
母子家庭で福祉の世話になっている家の娘が私学など行けるものか。


イケメンの母に「卒業式は洋服?」とも聞かれてしまった。
そういえば英和を受験する娘さんのお母さんは確か入学式の時に着物だった。 私は、着物を持っていない。
着物を着たいわけではないが、そういう会話から浮いている自分が身に沁みる。

長女は帰ってから急に塾に行きたいと言い出すし、その理由もはっきりしない。 なんとなく塾というものに行ってみたい好奇心だけだと思うが
そのセリフが、今の私には更に追い打ちになる。

ピアノのことといい、私学受験の噂といい、
なんでこの時期の私に重なるのかねぇ。
いろんなツケが一気にまわってきたのかもしれない。
私はなんだかんだ言いながらも、結構ずるく生きてきたところもあるわけだから、ここで帳尻があうように出来ているのかもしれない。
きっと、いまが頑張りどき。


2005年11月10日(木) 「栄光の架け橋」伴奏

今日も職安に行き相談員と話すが、すぐに見つかる可能性は低いから地道に探してはどうか、と言われる。

長女が、小学校の合唱の伴奏に選ばれた。
オーディションらしきものがあり、娘よりレベルの高い子もいたが何せうちが一番早くから楽譜を渡されて練習してきたせいもあり、完成度ということで長女が選ばれた。
しかしながら、ピアノが家になくて、オルガンに毛が生えた程度の超旧式のグラビノーバ(しかもヤフーオークションで購入)しかないのは、いかにもさみしく娘が可哀相。
お友達でもあるピアノの先生とも話したが、グラビノーバではどうしても鍵盤を叩きつける弾き方になりがちだということ。それは私自身がよく知っている。
惨めな我が家の娘がピアノを習っていること自体、贅沢だと思うし、伴奏に選ばれてしまって晴れがましい気持ちとよそのPTAの目(耳)がとても気になる。娘の学年は約140人いて、ピアノを習っている子は何人もいるし、確実にうちより上手な子も何人もいる。

たぶん音楽の先生が娘に目をかけてくれているのは、たまたま以前、私とアルゲリッチを聴くためにサイトリーホールに行ったことがあり(当日、アルゲリッチは病欠だったが)娘がその話しをしたからだと思う。こんな田舎に住んでいて、サントリーホールに音楽を聞きに行っただとか、アルゲリッチは聞けなかったが共演の教科書にも出ていたマイスキー(チェロ)は、生で聴いたとか話したらしいので、先生の関心を引いたのだと思う。(ちなみに、その先生もサントリーホールに行ったことはあるそうなので)
べつに親の私が音楽に造形が深いわけでもないし、高尚なわけでもない。教養という意味では皆無である。あ〜ぁ。

娘の伴奏の本番は1度だけではない。
父兄の見学がない、学校内の生徒だけの行事ならともかく、中学も含めた学区の大会でもその合唱をやることになり、そこで最初の伴奏本番がある。そしてその1週間後、月末の土曜日に家族参観があり、5時間目に全学年が体育館で合唱をするが、その時の6年の合唱でも娘が弾く。まるで運動会の時に弾くというのと一緒で、どちらもよりにもよってPTAが山のように集まるとき。
そつなく弾き終えれば、とてもいい思い出になるだろうが、失敗した時のことを思うと、複雑である。

長女はピアノが長いこと嫌いだったこともあるし、家にピアノがないこともあって、決して人より優れているわけではないから。今年のピアノの発表会も身の程知らずの曲を選んで、やはり失敗している。

私が見栄っ張りなのかもしれないけれど、
惨めな思いはさせたくないと思う。
これが他人の子なら「きっと、大丈夫」なんて
私も気休めを言うだろうけれど。
そんな親の気持ちを察して娘は「先生に、断ってこようか?」と言う。
本当は弾きたいくせに。
卑屈な親を持つと子供は余計な苦労をする。
ともあれ、5年生の時はリハーサルばかり弾かされて、本番は
ピアノの先生の娘さんが弾いたという寂しい思い出もあるので
1度でも本番でひけるというのは、ありがたいチャンスだと思う。
本人のいい思い出になればよい。


2005年11月08日(火) さみしいけれど

今日は長く通っている歯医者と、婦人科を受診。
歯医者は相変わらず、慎重な治療が続いている。
婦人科では血液検査の結果が出ていて、あれほど高かった
プロラクチンの値が正常値に戻っていた。
しばらく様子をみるということになり、1週間に1粒の薬が
10日に1度の服用になる。50日後にもう一度プロラクチンを
はかってみるとのこと。

昨日のパートの件はやはり断った。
単純作業と言っていたが、あれはかなり肉体的に辛そうで
私などはあっと言う間に身体を悪くしそうな気がした。

今日は職安で仕事を探してみる。
明日もいくつもり。

・・・・・

どんなに寂しくて、誰かにかまってもらいたいと願っても
それは叶わない。
自分のご機嫌は自分でとるしかない。
彼にもっとかまって欲しいと思うが、それは無理。
芸能人に恋をしたも一緒で、ただのファンでいるだけなら
かまわないけれど自分の身近に感じたいと思ったら
自分が不幸になるだけ。
なまじっか、1年に数度くらいは会えるから未練もあるけれど
向うは私のことを親しい女友達としか思ってはいない。
だから、私は自分で自分の心に折り合いをつけなければならない。

彼だって、友達だって、娘達だって、他者との関係に
期待しては自分が辛くなる。
だれも私を助けてはくれないし、大事な存在だからこそ
私を傷つける側にもまわることがある。

だから、私は自分に折り合いをつけなければならない。

離婚して、想像もしなかった思いがけない奔放な経験をしたけれど
墜ちる所まで墜ちて、惨めな生活を余儀なくされている自分が
みっともなくて、消えてしまいたいと思う。

辛いことばかりで、なんのために生きているのかとも思う。

こんな親を持った娘たちも不幸だと思う。
今の私の気持ちなど、知るよしもないだろうし、
また将来、今の私の気持ちがよくわかるようになるような人生を
送って欲しくはない。
ただ母親も寂しかったのだ、ということがわかってくれればいいとは思う。

子供を支えなければならない私が自分自身を支えられない。
もっともっと若い頃、40を過ぎた自分がこんなにも情けなく
もろい大人でしかないなんて、想像出来なかった。
世間からはみ出した私のような人間の気持ちなど、誰にも
わかってはもらえない。


2005年11月07日(月) 立冬

朝から快晴。
汗ばむほどの陽気に、半袖のセーターを着る。

面接に行ってきたが、どうも気が乗らない。
やる気はあるけれど、単純作業に息がつまりそうな職場で
バート待遇で賃金はとても安い。
贅沢を言うつもりはないけれど、それでは生活できない。

指定された12時半に受診した総合病院は、一時間以上も待たされて
怒りきれない。「何のための予約なのか」と文句を言ったが
ただ謝るだけ。謝罪の気持ちなど心にもないくせに。
科の窓口に予約券を出したときに、せめてあと1時間以上は待つと
教えてくれないのだろうか?1時間以上過ぎて、こちらがたずねると
あと3〜4人後になるので・・と平気で答えるその無神経さに
腹が立つ。
検査結果は特に異常なし。数字やデータに出ない以上
私の辛さというものは示すことができない。
もう、諦めている。

さみしい。


2005年11月06日(日) でも生きなければ

私は意識してもしなくても人に期待し過ぎる。

心のどこかで誰かに助けてもらいたいと感じている。
口ではきれいごとをいうくせに、本当はすがってお願いしたいほど
人に頼りたい。
でも、人は助けてなんかくれない。
ごく少数の友達の中には、本気で心配してくれている友人も
いるんだけれど、それはありがたいと思っているんだけれど
たぶん、私はそれ以上のことを望んでいる。
今だけでいいから、私をなぐさめて欲しい・・と。
でも、みんな生活して生きている。
私の慰め係をつとめるほど暇じゃないし、
私のことを手に負えない、とも思っていると思う。
私にかける言葉もないんだと思う。

こんな時にsexするのが一番気が紛れるのだろうけれど
悲しいかな、相手がいない。
誰でもいいわけじゃないし、いままで関係してきた男は
切ってしまった。(携帯もアドレスも変えた)
こんなにバッサリと切ったのは初めてのこと。
sexだけなら悪くない男もいたが、心が伴わないのはもう不毛だし。
これから先、誰とも寝ないのかと思うと、それはそれで寂しいと思うが
今は、彼以外の過去の男とは決別したいと思っている。

頼まれ事で、雑用的な仕事が山ほどありこんな時間まで
起きているハメになった。
やることはまだまだ山ほどある。
月曜日はパートの面接があるので、明日中(すでに今日)に
履歴書を書かなくては。写真も撮りにいかなければ。
この歳でフルに働いても10万そこそこのお給料にしかならない。
それでは子供二人を養えない。
なんとかしなければ、と焦るばかり。

私がしなければならないのは、
まず、人を当てにしないこと。
ひっそりと生きたいと思う。
もう、この世に夢も希望も無い。
ただ、悲しかったり苦しい思いをするのはできるだけ避けたい。
だから、私は自分を出さず、ひっそり生きたいと思う。

いかに−(マイナス)を減らす努力をして生きられるか、ということ。
私は一人でも生きられるようにならなくては。


2005年11月05日(土) ひとりぼっち

頼れる人なんて、誰一人としていない。
それがわかっているのだから、人に期待しちゃ駄目だ。
なるべく世間と関わらずに生きていきたい。
ぶちのめされていく、自分自身。


2005年11月04日(金) 虚しい

私の存在も、もれなく意味がないのだろう。



2005年11月01日(火) 恐怖と苦しみ

名を騙られたJ社から、留守電が入っていた。

先方の担当者と今日は連絡がつかず、
思い余って先日の刑事課の担当刑事に電話する。
警察の態度は冷たい。
被害届け(形式に則って書かれた正式なもの)がないので
ちょっとしたいたずら、程度にしか扱ってくれない。
J社も、気味が悪いというだけで、金銭を含めた実質的な
被害を数字等で表せず、被害とは何か?ということになって
被害者にもなれないらしい。
それは私も一緒。
被害者なのに、正式に言うと「双方の認識の相違」とかいうだけで
騙されたとは言わない、と警察は言う。

警察は決して弱者の味方ではない。
私のようなバカは、だまされても仕方がないということ。

警察ではその男の目星はついているらしい。
ただ、いつどこで奴と接触するか時期を伺っているらしい。
こんなのは、たぶん大した事件じゃないのだろう。

私は犯人に多くをしゃべり過ぎた。
今回のことは泣き寝入りできても、今後どんな形で
私へ被害を与えるのか(与えないのかもしれないが)
怖くてたまらない。
一生、その恐怖に怯えなくてはならない。
家族、身内に迷惑をかけたくない。
ものすごい恐怖心と苦しみが私を襲う。

苦しくて苦しくてたまらない。

私の人生こそ「つまらない、取るに足らない」人生だと思う。
例え死んでしまっても、その後になぜ私が死んだ?ということになって
いろいろと暴かれたくない。
死ぬ勇気もないが、死ぬわけにも行かない。

追い詰められる、というまさにそんな気持ち。
私はこれからどうしたらいいんだろう。
自身の内面と対峙して、苦しみぬいている。


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