パパが会社に行かない理由(わけ)

2005年09月18日(日) 長期戦への決意

朝動けず出勤できないままのパパさん。
とうとう新職場で2度目となる診断書つきで休職に入る事になってしまった。
休職にはいるにあたり、主治医(転居後かかってる精神科医)に相談にいった。
「家族はどう接したらいいのでしょうか?」
何年もうつ病と付き合ってきた家族の聞く事ではないかもしれないけど。
手をかけすぎても、放置しても、せかしても、何をしてもパパさんの繰り返すこの病気は治る事を知らないような気がして・・・・。

先生の答えは「ここにうつ病の家族へのパンフレットがあるので読んでみて下さい。」だった。

上っ面の知識ならいくらでもあるんだけどな。本も読んだし。
病院から帰宅する車の中で考えた。
まるで不治の病を宣告されたみたいだなぁ・・・。って。結局、黙って当り障りのないように見守る事しか家族にはできないんだ。

「10年たったら治りますか」と聞く私に「必ず治ります」とは言ってくれなかった主治医。つまり、この疾患は体質のようなもので、「うまくコントロールしていけば普通の日常生活が送れるようになります」って感じなのかなぁと私なりに理解した。



2005年09月13日(火) パパさん不調

先週中ごろより不調のパパさん。
先週末から朝になると動けず今週に至ってはうつ気分もあるようで、表情がドンと落ち込んでいるのがわかる。
マッサージ機に乗っかったままになり、「動けんのだから仕方ない」と。
そんな時は、しばし放っておく。
せかしたって、百害あって一利なし(--;
「困ったね・・どうしたらいいかな・・」と義母と話し合う私の会話を6歳の息子はテレビみてる顔しながら案外きっちり聞いてたりする(..;
子育てとうつの看病は、どうやったら両立できるのかな〜!!



2005年09月07日(水) うつとお祓い・・・?

パパさんがうつ病を発症して困った意外な事・・・。
「それって、先祖の供養が悪いんじゃないの?」
「悪霊祓ってくれるいい所紹介するよ。悪霊が写真にでるから・・」のたぐいである。(数件あった)
軽く流せると思ったら大間違い。この手の心配をしてくれる人達は、自分達夫婦を心から心配してくれる身近な友人、親類から・・・という事が多々ある。ムゲにはできないのである。
私はこれで本当に大惨事になった。私の断り方が悪かったのもあるが、一生涯の友人と信じていた人と絶縁状態となってしまった。
宗教(というと語弊があるかもしれないが)や信じているもの・・に関しては信じている人とそうでない人と根本的に話す基盤が違う。その事を、信じている人は忘れがちである。信じる事を前提としてしか話さない人との間には会話が成り立たなくなる恐れがあるのだ。
うつ病闘病でただでさえ辛かった時期に起きたこの絶縁事件はダブルパンチだった。しばらく人間不信となり、相手の意見や気持ちを心の上で受け止め、絶縁された事を恨まず相手をそのまま受け止めれるようになるまで1年以上かかった。

もちろん、中には「よかったら、相談においで。興味なかったら気にしないで」という、相手尊重型の助け舟もある。そんな時は、相手の心配してくれる気持ちをありがたく受け取るようにしている。



2005年09月06日(火) うつと主治医

 どんな疾患もそうかもしれないが、主治医との相性は大切である。
パパさんは発症当初近くて通えそうな心療内科をいくつか覗いて、気の合いそうなA病院に決めた。サバサバした感じのよい女医さんで、私も好感をもった。週1回、「調子はどうですか?寝つきはいいですか?昼間は起きていられますか?」といった淡々とした診療が続く。パパさんとしては「病院に行ったからといって、何か良くなるわけではない。薬処方してもらうだけだ。」とよく言っていた。
確かにすごいアドバイスがあるわけではない。魔法の一言で急によくなる・・・なんて事はまずない。しかし、調子の良い時も、悪い時も含め、パパさんの発言から身体症状まで事細かに記載されているカルテは付き合いが長くなればなる程、大いに役立った。
本人の言う言葉には波がある。うつの波に翻弄されるパパさんの主観のみに頼るとそばにいる私も波にのまれ今が病期のどこに位置しているのかさえわからなくなる。そんな時によく主治医の冷静な判断にはっと我にかえる事があった。
状況はなんら変わっていないのに、うつの調子によって『もう駄目ですモード』から『絶対あと1週間で治るモード』までつらつらと変動するパパさん。それに振り回されがちな私。そんな時は私だけで主治医に相談にいった。そして今のパパさんの状態を客観的な立場から説明してもらうと、どこか落ち着いて一歩ひいた立場から見守ることができた。
その主治医と約2年。買ったばかりの家を売却し、主人の実家に同居する事になるまで、常に冷静に私達を見つめつづけてくれた。転居にともない、転院(通院治療だったが)する事となりあいさつに伺った。
それまである意味1度も自己の感情を見せなかったその主治医がふと一人の人間の表情になり、「よくここまで頑張られてこられましたね。」と目に涙をためてくださった時、それまでのつらさがすーっと薄らいだのを覚えている。



2005年09月04日(日) うつと子育て

我が家には6歳になる元気坊主がいる。クラスに1人はいる、おちょけ者でとにかくよく動き、よくしゃべり、忙しい子である。
パパさんが発症した時、坊は3歳になったばかりだった。2歳位で話せるようになり、3歳にもなると周りの言う事も理解し、その場の雰囲気も理解するようになる。
朝はパジャマのままコタツに倒れこんだまま動かず、夜は眠れず夜中までゴソゴソするパパさんと、生活パターンを教えたい盛りの3歳児。生活がかみあうわけもなく、かなり難航した。
パパさんが休息したい時にも容赦なく「遊んで〜」となり、対応しきれないパパさんは最後は子供と喧嘩になる。大泣きする坊と潰れて倒れるパパさんとの間で随分私も潰れてました(^^;
子供というのは敏感なもので、いくら子供の前で深刻な話しを避けているつもりでも、パパさんの調子が下り坂になると、坊もどこかイライラして怒りっぽくなる。初めての子育てでただでさえ不安になりやすい新米ママとしては、「キレる子供に育ってしまったらどうしよう!!」同年の子供と比べては「うちの子は情緒不安定なんじゃないだろうか」「大きくなって、うつで休むパパをみてパパを尊敬しなくなったらどうしよう・・。登校拒否になったら・・・」と心配はつきなかった。
 そんな時、役にたったのは匿名で相談できる子育て相談メール。自分の不安を一気にはきだすかのごとくメールしても、本当に親身になって私のつらさを受け止めてくれた。何度救われたことかわかりません。
 それから忘れてはいけないのが、お義母さん。私が心配すると、「大丈夫。大丈夫!あんなに健康で、元気いっぱいで、な〜んの心配もないじゃない。上出来!上出来!」と明るく励ましてくれました。このお義母さんが何とも心の広い人で、だからこそここまでこれた・・といっても過言ではありません。
 親戚だろうと、友人だろうと、相談所であろうと、誰か一人でいい。頑張ってる自分を認めてくれ、つらさをそのまま受け止めてくれる人がいる事。それがうつ病パパさんを支えつづける(時には足ひっぱてるかもしれないけど)孤独な作業を唯一支えてくれる事でした。
 今もパパさんの調子が悪い時には、傍から見て坊がトバッチリをくらう時もあります。でも、私自身がパパさんの病気を前向きに捉える事を忘れずに接していけば、坊もパパさんの病気をいつか私と同じように受け止めようとしてくれるのではないだろうか・・・そう願う今日この頃です。



2005年09月01日(木) うつと家族の理解

自分の夫がうつ病だとわかった時、看護師である私は「まずは休息。家族の理解ある態度が大事。」と考え、その事にすべてを尽くすようにした。「大丈夫。必ず治る。今は休む事が一番大事。」と声をかけ・・・。自分にも自信があった。私はうつ病について理解してるし、決して怠け病ではない事も知っている。と。
そうしているうちに、主人は不安になれば私に意見をもとめ、私の言葉で安心するようになり、いつの間にか私にすっかり頼るようになってしまった。

休職1年経ち、復職に失敗した5月、「出勤できないのは、妻と喧嘩するからです。」と言った主人の言葉を聞いた時、私の中で全てが崩れてしまった。
「私が頑張った1年はなんだったの?周りの皆は第2子を次々と授かり、幸せいっぱいな顔をしている。そんな中、1日中家に主人が療養しているため友達も呼べず暮らしてきた。それでも、治って欲しいとあらゆる事をしてきた私は・・・?」
随分心が荒れた。不整脈を感じるようになり、胃痛が出現し・・・。子供まで何かを感じるのかどこか怒りっぽくなり、それを見るにつけ悲しくて病気をうらんだ。うつ病さえなければ3歳児を育てる幸せいっぱいの家族のはずだった・・・と。世間は家族に「理解ある態度」を簡単にもとめるが、うつ病の家族を持つ家族の苦悩はなかなか理解されない。そのサポートシステムはまだまだである。

あれから2年。
自分が妻として「うつ病への理解ある態度」がとれているかどうかはわからない。未だに「今回倒れたのはしゅうのせいだ」といわれる度に私自身も崩れてしまう。
でも、どんな人が私の代わりに彼の妻になろうとも、完璧にサポートできる人なんて絶対いない。きっと私じゃなくても同じように「○○のせいで調子くずした」なんて事になるんだろう。
なぜなら、それは病気が言わせる言葉だから。だから、真正面から言葉をくらわずにちょっと流して聞いてみる。そう言い出したら、「あ〜今調子悪いんだなぁ」ってくらいに考えてみる。
そして、愚痴れる相手に「ん〜な事いわれた!!」ってプンプンッと話しして、「あんたのせいじゃないから」って一言薬をもらう。

発病から3年。まだまだ、駄目妻だけど、やっぱりパパさんには治ってほしい。理解してるつもりなんだけどな・・・。


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しゅう

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