希望の日記

2005年08月29日(月) 昨日

 昨日は楽しかった。坊さんの家で合評会。好きではないが思いきって出てみた。思ったより楽しかった。薬が切れていて目に見えて機嫌が悪かった。良くない。すごく真面目で良い人たちばかりなのに申し訳ないことをした。でも食事はおいしく楽しかった。カズミの写真を見せたら大いに盛りあがった。やっぱり人気者になりたいんだ。目立ちたがりなんだ。イチビリなんだ。食事の時は良く発言して今までになく喋れた。でもずいぶん過激で失礼な発言もして顰蹙を買ったかもしれない。病気のせいだ。仕方がない。でも自分の吐いた毒で自分が中毒を起こした感じで今日は早引けした。人になれることは大事なテーマだがやりすぎると逆効果ということもある。病気が悪化して気分が悪くなる。人がストレス源なのだから一人になれる時間が大事だと書いてあった。なるほどと思った。u君に私を痛烈に皮肉る小説を書かれてしまった。無意識に人を傷つけるプライドの高い男。というか傷つけることを何とも思わない。こんな人間ではなかったのに。u君の説によるとこの後犯罪などで転落する運命なのだそうだ。気を付けよう。
でもこれ以上自分にあった集まりはないと思うので大事にしよう。皆私より遥かに文学に真摯に向き合っている真面目な人ばかりだ。私は文学も中途半端、仕事も中途半端、私生活も中途半端でどれひとつうまくいかない。どれかひとつくらい真剣にやってものにしたい。
 人が恐かったり不機嫌になる理由はメンタルなもので理由などない。h君があばれた理由と似ているかもしれない。自分が恐いのだ。自分への恐怖が他人に投影されると他人が恐くなり、怒りが湧いてくる。それは避けた方が良い。前は恐怖が内向していたが最近は恐怖が外向しているので人を攻撃しそうになる。ものすごく変だと思う。eg以来一番変わった点だが危険な面でもある。
 人間目的を持つと強くなる。誉められると強くなる。仲間ができると強くなる。だから仲間を大事にしよう。書くことを大事にしよう。
 やっぱり疲れた。なぜ人といるとこんなに疲れるか人はわからないだろう。なれないといけないと思うのだが練習台にされる方は嫌だろう。でも彼ら以上に私を理解できるものはいない。少しくらい付き合ってもらっても良いだろう。もう嫌なことは嫌だ。楽しいこと楽なことがしたい。人付き合いも楽しいことが条件で、練習とか訓練とかする必要はないんじゃないのか。楽しいと思える範囲でないと逆に迷惑だろう。誰が苦しんでいる奴と話して楽しいんだ。でも優しい気持ち、人間らしい気持ちを取り戻せば良いんじゃないか。鬼畜のような気持ちがまだ残っている。



2005年08月26日(金) 今日

 今日のカウンセリングは面白かった。盛りあがった。あの人は奇特な人だ。こんな私のために一所懸命説明してくれる。今日はホワイトボードまで使っていた。Dマンだなと思った。愛社精神あふれる。これだからわが社は繁栄するのだ。自分を愛してもらうというのは良いことだ。おじさんだって愛されないといけない。会長だって皆に愛されている。嫌われたって良いことなんかない。それなのに嫌われることばかりする。だめな私。でも昨日の合評会で誉められたのですごく自信がついた。特に先生に誉められたのがうれしかった。これは間違いないと思われたからだ。少しは才能があるとわかった。拒否している人もいたが。
 愛されると愛情を裏切るまいとする。自信がついて気持ちが安定する。悪いことを考えなくなる。良いことをしようと思う。好循環だ。ゆっくり考えよう。あのくそババアも憐れな存在だ。ただ仕事をするだけだ。安月給で。ゆっくり考えたらあんなやつが私の敵であるはずがないとすぐわかるはずだ。
 昨日は人生で一番幸福だった。自信がついた。人間らしく振舞おうと思った。そうする自信がついた。文学芸術には明らかに効用がある。
 今日のカウンセリングの結論は「オカマだからって何が悪い」というものだ。私は女性的だからおばはんは私を攻撃する。しかし攻撃される理由なんかない。オカマであるからといって攻撃されることを受け入れているから、それが脳を傷つけるんだそうだ。だからそういう攻撃には根拠がないと撥ね付けることが大事なんだそうだ。中学の時の気違い教師もこちらが嫌いだったから、向こうもこちらを攻撃してきたといえる。嫌いだから女性的だからといって攻撃されるいわれはないと毅然として撥ね付けるか反撃するべきであったということでy氏と意見が一致した。今日は不思議なくらい意見が一致したし、二人でとても良い大事な発見を力を合わせてすることができた。それは今まででもこれでもかというくらい自己開示し、必死で説明し、ほとんど説明し尽くしているのだ。ただお互いに警戒感、不信感があったのがすっと消えてお互い好きになり、信頼できた。互いに傷つけ合わないと確信できた。これも小説で自信がついたことが大きかった。自信があれば人を傷つけようとか盗もうとか悪いことをしようとは思わないのだ。初めてy氏と理解し合い、心を許しあった。



2005年08月24日(水) 病気

 あの掲示板で遅れ馳せながらbから返答があったので引き続き参加してやることにした。でもこんなに気を使うんだったら早晩離れないといけないようだ。人間関係が読みきれない。リアルな関係でも完全に破綻しているのにどう考えても無理だろう。無理はしてはいけない。それにしても怒りっぽい。y氏に指摘されてから薬も飲んでいるが確かに怒りっぽい。全然切れる所じゃないところで切れる。相手が自分より強い奴であっても怒るんだから正常ではない。薬と論理療法と、ゆっくり考えることを心がけることだ。周りの人間は途方もなくアホなのだ。それが積み重なってきれるのだ。アホを許してやれ。もしくはアホをうまく利用せよ。アホとはさみは使いようと言うじゃないか。女なんかアホの典型じゃないか。アホにいちいち切れてどうする。



2005年08月22日(月) 掲示板

 あの掲示板本当に嫌だ。もう二度と書きこまない。完全におかしい。キチガイの相手を何で私が無給でやらなきゃいかんのか。もうやってられない。私は誰とでも友達になんかなれない。ゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。
 女がなぜ嫌いか。悪いことをするからだ。誰が悪いことをする奴が好きなんだ。命に関わることまでする。絶対に許さない。何だ、あのスッチーキチガイじゃないのか。死ね。何で私が苛められなきゃいけないのか。全くわからない。世の中が全くわからなくなってきた。何もしていない私をここまでいじめるとはどういう世の中なんだ。女は悪いことをする生き物だ。疑いはない。
 何で私を侮辱するんだ。何でそんなことが許されると思っているんだ。絶対に許さない。私を侮辱する奴は絶対に許さない。何で自分を侮辱する奴と仲良くしなきゃいけないんだ。



2005年08月21日(日) ゆっくり

 脳が勝手に暴走している。稼げる以上のもを買おうとし、自分より強いものに戦いを挑み、味わえる以上の快楽を味わおうとしている。危険だ。スローダウンしよう。意識してできる。写経でもやるか。呼吸法でも良い。呼吸すらままならなくなっていることに気付いた。旅は危険に満ちていた。心身ともに病み衰えていたのに楽園に行った。危険のいくつかは実現し、私は傷ついた。生きて帰って来れただけでラッキーだ。傘一本なくしただけで。最後オニババに襲われて傷ついた。オニババは私の問題ある精神状態を見抜いていた。自分も問題あるからだ。会社のオニババも自分が問題あるから、問題ある奴に襲いかかってくるのだ。警察の問題だ。杉田かおるみたいなもので逃げようがない。
 一切忘れてゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。素直に考え素直に生きよう。意識してスローダウンしよう。
ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。脳が暴走している。誰に対しても腹が立つ。面憎い。でも差別されたり、苛められたりしたらだれでもそうなるんじゃないのか。でも今は違うから落ち着いてゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。素直に生きよう。
 サドの小説は脳の暴走が描かれている。危険だ。その影響を受けたらしい。そんなことは忘れるべきだ。あるいは高橋源一郎みたいに自分も書き始めるかだ。脳の暴走は嫌だ。人を愛せなくなる。脳の暴走は意識的に止められる。論理療法を使っても良い。
 人を好きになれない。人が恐い。何をするかわからない。でも小説を通じて人を知り、人を愛することが可能かも知れない。
 ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。素直に生きよう。必要な少量のものだけを手に入れて質素に生きていこう。都会人と相容れないのはそこだ。
 旅行に行って良かった。人の恐さも良くわかった。旅の恐さも。楽しさもわかった。自分がどう見られるかわかった。
 車谷の小説はとことん暗い。貧乏とか下積みの辛さを描いて仮借ない。でも作家の神経は繊細で優しい。その優しさに触れるのは良いことだ。
 脳が暴走しがちなのでゆっくり生きたい。ゆっくり考えたい。リスパダールが早く飲みたい。
 自分の頭がコントロールできない。暴走する。y氏にまで腹が立って攻撃しそうになったこともある。店員とももめそうになる。タクシーの運ちゃんと昔はよく話をしたのだが今は全くできない。人が恐い。自分が嫌われていると感じる。良い人を演じる自信がない。自分も人も好きではない。
 しみじみのんびりほっとできることが欲しい。温泉が良かったのでは。快楽を目の前にすると人は殺気立つ。金壷眼になる。それが恐い。自分も煽られてそういう風になる。危ないと思う。全ての良い仕事は優しさに支えられている。ものづくりでもサービス業でもそうだ。小説なんか最もそうだ。優しくなくては書けない。書いても人を感動させられない。人を好きにならなければ書けない。かなりやばい状況にある。
 人間らしさを失っている。かなり前からそうじゃないか。人に興味を持てない。人と競争したり、駆け引きしたり、仲良くするのは難しく感じる。私が焦る必要はない。私は十分強いんじゃないのか。ゆっくり考えたら良いと思う。恐がったりおどおどしたりする必要はない。人生に勝者も敗者もない。勝手にそう思いこんでいるだけだ。だからおどおどする必要はない。どんと構えていれば良い。私はもう全てを知ってしまった。誰よりも強い。だから喧嘩する必要はない。あのババアだって全然恐くない。私のほうが強いからだ。
 少し気持ちが楽になった。疲れが取れたのか。思い出すと沖縄ではひどい目に遭った。行く前から電器屋の店員にまで馬鹿にされていた。理由がわからない。人が好きになれない。それが反感を買うのか。でも誰だってそうだろう。自分の家族や恋人や友達だけが大事でそのほかの他人は好きではないだろう。
 少し気分が回復した。深呼吸ができるようになった。沖縄では呼吸ができないのに気付いて、驚いた。竹富島でははじめて潮の匂いを感じ、深呼吸を何度もした。ヒクソンが山の中で深呼吸を何度もしている気持ちがわかった。体が蘇る気がした。帰りの飛行機で受けたひどい行為が私を打ちのめしたのだ。本当に女は恐い。看護婦を思い出した。死ねと思う。近づくな。私のほうが強いのだ。
絶対優しくされなければ行けないものにひどい仕打ちを受けるとptsdになる。教師とか親兄弟とか、医者とか看護婦とか、女とか、店員とか。私の脳が暴走しているので、それが相手に伝わって下賎なもの達が私に牙をむく。恐ろしいことだ。私はあの職場でキチガイババアに理由もなく何年もいびられつづけた。そして私の人格は崩壊した。そして母親まで離れていった。私の心は壊れた。リスパダールの世話になることになった。
 ゆっくり考えよう。それは意識的にできる。考えられる以上のことを考える。それが脳の暴走だ。近づくものを傷つける。掲示板のあの女。昼寝するなんておかしい。脳が暴走して自分で止められないのだ。かわいそうな奴。私はコントロールできる。ゆっくり考えられる。ゆっくり生きる。素直に生きる。もう考えられることは考え尽くした。私は敗北者なんかじゃない。勝利者だ。自信を持つのだ。おどおどする必要なんかないのだ。
 ゆっくり考えよう。人にも自分にも優しくしよう。私は十分強いので優しくすることを考えるべきだ。優しさや人間らしさを失って怪物になっているのだ。もう一度人間らしい心を取り戻して人を愛そう。沖縄に行っても人を愛する心を失っているので感動しない。感謝もされない。金を払っているのに犯罪者扱い、差別、排除。どういうことだ。九重に行ったのは間違いかどうかわからないがあれから私は十分強くなった。だから必要なのは強くなることではなくて優しくなることだ。考えるのをやめよう。あるいはゆっくり考えよう。そうすれば眠れるようになるし、食べられるようになる。深呼吸ができるようになる。素直に生きられるようになる。
 誰との間にも確執なんか存在しない。ババアであれ若い女であれ、何もトラブルなどない。あるはずがない。幽霊が存在しないくらい、存在しない。こちらが認めない限り、そんなものは存在しない。確執の存在を認めることはヤクザの言いがかりを認めることだ。そんなものはありもしないのに無理やり認めさせられる。
 脳が暴走し始めた。論理療法で何とかならないだろうか。意識の力では限界がある。薬しかないのか。でも薬では原因は取り除けない。脳の物質のバランスが崩れている。見た瞬間に腹が立っている。危険なことだ。無理をしてはいけない。
 ゆっくり考えよう。もしくは考えない。何も意味あることは考えられないからだ。ゆっくり生きよう。しみじみのんびりほっとすることを捜そう。女なんかつまらない。恋してセックスして結婚して子供を生んで育てて、夫の世話をして年老いていく。何が恐いんだ。つまらない奴らじゃないか。
 都会で享楽的な生き方をしている若者は大勢いる。私も少しはまねをしたい。辛いだけが人生じゃない。今寝ていたら少し気分が楽になった。眠れないから脳が興奮してくる。精神的に少しおかしい。年明けからおかしかった。キチガイのせいでキチガイになってしまった。
 ゆっくり考えよう。脳が暴走する。ゆっくり生きよう。私はからまれているだけだ。hやkはただ単にからんでいるだけだ。いくら何でもそれはごめんだ。jalのスッチーも私は何もしていないのになんか弱そうだから苛めてやろうみたいなものだ。こんなことが許されて良いのか。
 ゆっくり考えよう。パニックに陥ったとき、恐怖に駆られたときみたいに慌てて考えるんじゃなくてゆっくり考えよう。脳が暴走する。ゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。
 私は十分強くなった。これからは落ち着くことだ。落ち着いてゆっくり生きよう。慌てふためいたりパニックに陥ることはない。悠然と構えて生きていけば良いじゃないか。何かする奴がいたら注意すればいいだけの話だ。
 悪いことなんかできはしない。からんでくる奴がいれば無視するだけだ。何で相手にしてやる必要がある。ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。



2005年08月20日(土) 帰宅

 帰ってきた。楽だ。嫌なことが思い出される。試練の旅でもあった。運転手にまで馬鹿にされた。仕事をする女が苦手だ。もろにぶつかる。接したくない。看護婦、OL,スッチー。死んだら良いのにと心から思う。どんだけ根性が悪いのか。近づきたくない。仕事嫌いだからなあ。仕事の厳しさが嫌いなのだ。
 人を愛せなくなっていることに気付いて愕然とした。九重以降に起こったことだ。心が冷えてきた。残酷な気持ちになった。女が嫌いになった。母が私から離れていった。母にまで見放された。私のような気味の悪い人間は嫌だと思ったのか。九重以降私に起こった変化は良かったのか悪かったのか。弱くても人を愛せる方が良いんじゃないのか。強くなっても人を傷つけたり、愛せないというのは致命的だ。本当に疲れている。あのキチガイババア。倦むことなく私を傷つける。nにしてもそうだ。キチガイとか犯罪者に狙われる。でも自分を守らないといけない。人を愛することを思い出そう。呼吸さえ覚束ないことに気付いた。食欲もない。眠れない。何かが取りついている。欲に取りつかれている。そんな人間ばかりだ。人間らしさを取り戻したい。そうしないと生きていけない。体も動かない。頭も固まっている。何の役にも立たない。欲だけが一人歩きする。盗人か。ホームレスと間違えられる。店員にまで馬鹿にされる。金払ってまで馬鹿にされるとはどういうことだ。
 九重に行ったのはどうだったのか。y氏と付き合うのは良いことか悪いことか。若者とか女とか薄気味悪いから近づかないのが身のためだ。好きでもないのに近づくな。自分のやりたくもないことをやるな。仕事以外は義務ではないのだ。
 掲示板が嫌になったのも人を愛せなくなったためか。でも自分を守るために人を愛することをやめるのは悲しいし、そもそも不可能じゃないか。文学芸術を通じて人を愛することはできる。それをライフワークにしよう。私の東京への思いは結局片思いに終わり、東京は嫌いになった。大阪はもとより嫌いだ。田舎者はもっと嫌だ。人を愛せない。どうしてだろう。y氏にも違和感を覚えている。
 疲れている。戦いの日々に疲れている。疲れているのでできていたことができない。愛することができない。休養して元気を取り戻し、再び人を愛そう。自分を愛そう。本当に疲れているだけでなくて壊れている。九重に行ったのはどうなんだろう。もう危険水域に入っている。悪いところは改善しよう。仕事も今のままで良いとは思っていない。趣味の小説はうまく行った。改善したからだ。良い仕事とは言えないが仕事ではある。人を幸せにする。美や真実を知ることができる。
 人から差別されたり、嫌われたりするのは辛いことだ。自分が嫌なことは人にしないようにしよう。女が好きになれないからといって嫌ったり、差別するのはやめよう。全ての人を愛するよう努力しよう。
 この旅は良かったのか。辛いことが多かったが自信にはなった。でもこれからは金の力に頼らず、自分の努力で頑張ろう。
 やっぱり私はおかしい。気を付けないといけない。稼ぐ以上に使おうとしている。お金で快楽を買うのはやめよう。皆家族や恋人や友達との愛を楽しみに来ているのに、私は非人間的な快楽に取りつかれている。店員や車夫馬丁にも馬鹿にされる。仕事もできないのに金を遣うな。無駄遣いは一切禁止。勤勉に働け。
 やっぱり人のいないところに行くべきだった。なるべくいないところを選んだのだが。波照間なんか最果てだ。仕事真面目にやろう。病気で役に立たない人間を養ってくれる会社はない。仕事をやっていないものだからまともな人物には見えない。それで馬鹿にされる。本質的な問題だ。お金の力で文校なんかに入ったが単なる道楽にならないようにしたい。有意義な生きガネにしたい。
 立ち直りたい。そのためには今の自分の悪い点を素直に認めることだ。悪いのに認めないのはヤクザか精神障害者だ。h君はあんなことをしでかして反省する必要はないと言ったらしい。やっぱり悪いがまともではない。冗談では済まされない。人が私に抱く不快感も似たようなものだ。まともじゃない。誰も相手にしないのは無理はない。だめ人間だったらだめじゃなくなるように頑張ろう。もう頑張れるときだ。自分へのご褒美はもう十分過ぎるほど受け取った。勤勉に働け。真面目になれ。人を愛せ。
 余り調子が良くない。でもおかしいというほどではない。自分をまだコントロールできる。脳が暴走しているのが実感できた。でも全ての人間はクレージーだ。快楽を追求する。都会人はそうだ。快楽を極限まで追求する。私は田舎者だからそれに罪悪感がある。リスパダールが必要なくらいいらいらするのはおかしい。さっきそれがわかった。原因はわからないがスローダウンすることが必要かも。南の楽園にたびたび行こうかな。そういう人間もいっぱいいる。そういう生き方しかできない人間も大勢いる。波照間島に大勢いたじゃないか。
 スローダウンしよう。暴走してはいけない。楽しい。人生は楽しい。楽に生きる。自分にも相手にも楽にする。
 jalのスッチーほんとに死ね。キチガイだ。人を差別するな。私が反省することは何もない。あのキチガイが悪いのだ。キチガイはどこにでもいる。ブスでババアで根性が悪い。ほんとに死ね。
 九重に行く前はおかしいと指摘されることなどなかった。あれから本当におかしくなった。精神をコントロールするのが難しくなった。暴走してはいけない。でもだめなものはだめと言おう。暴走せずいつも穏やかな気持ち、やさしい気持ち思いやりをもって生きよう。
 私は被害者だ。被害者が自分を責めることはよくあるが間違いだ。キチガイが悪いのだ。わかったか。
 ゆっくり考えよう。私の頭は暴走しやすい。私は十分早く考えられるのでゆっくり考えて人に合わせてやれば良い。私の中には完璧な優しさが備わっているので心配する必要はない。
 でも相当疲れている。石垣も行く前には全く盛りあがらなかった。お金の力で気を引きたてようとしてもだめだ。ご褒美と称してそんなことをしても内側から湧いてくる気持ちがないから、危険な目にあったりする。人を愛せないというのもある。人を疎ましい、おぞましい、恐いと思う。これは実際いやな目にあっているから仕方がない。当然そうなるだろう。ゆっくり考えることだ。暴走するに任せてはいけないのでたえずブレーキをかけてゆっくり考えるようにしよう。文学の再生力を信じる。いったん壊れても再びつなぎ合わせてよみがえる。人をどうして嫌だと思うのか。わからない。差別しているのだろうか。本能的に避けてしまう。ゆっくり考えることだ。暴走しているから人を拒絶してしまうのだ。会社でもおぞましい嫌な奴ばかりなので自然に人を嫌うようになる。薄気味悪い奴らばっかりだ。恐くてたまらない。
 文学は純真無垢なものだなと思った。車谷の小説を読んで思った。そんなにひねくれたものではない。素直に思ったことを書くものだ。小説くらい自由に思った通り書いたら良いのだ。書きたいことを。書きたくもないことをひねくれて書きにくく書くものではない。書きたいことを自由に読みやすく書くものだ。人を騙したり担いだり傷つけたりからかったりするものではない。人生もそうすれば良いのだ。純真無垢に素直に生きたら良いじゃないか。自分が生きたいように楽しいように楽なように得するようにゆっくりと素直に生きたら良いじゃないか。ひねくれて苦しいように無理して生きにくいように人を恨んだり傷つけたり馬鹿にしたりして生きてもしようがないだろう。
 一人で生きるのは辛いものだなあ。いつからこうなってしまったのだろうか。人を愛することができなくなった。いつからかわからない。素直に生きよう自分の心に素直に生きよう。したくないことはしない。腹が立てば怒る。悪いことをされれば怒る。誰に気兼ねも要らない。人が好きになれない。人の悪い面ばかり見えて愛することができない。文校でも人が恐いし、愛することができない。素直に人を愛せば良いんじゃないのか。人が嫌いだということはない。最近のおかしな精神状態がなせる一時的なものだ。ゆっくり考えるようにすれば良い。深呼吸して落ち着いて考えるのだ。脳が暴走している。明らかにおかしい。マンションを買う話を始めてからおかしくなった。まだ早すぎた。落ち着いて考えよう。
 落ち着いてゆっくり考えよう。素直に生きよう。ごくごく素直に生きよう。自分の思っていることと逆のことをする必要がなぜあるのか。脳がストレスで傷だらけになっていて使い物にならなくなっている。それを何とか使えるようにしたい。小説なんか始めたのはそのせいだ。意識してゆっくり考えよう。それがきっと良い作用を及ぼす。スイッチが入る必要がないのに闘争または逃走のための反応が生じているかのようだ。今その必要はないとはっきり言い聞かせよう。
 素直に生きよう。ゆっくり考えよう。ゆっくり生きよう。慌てる必要がどこにある。脳が暴走しないように注意しよう。ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。暴走を止めよう。素直に生きよう。ゆっくり生きよう。ゆっくり考えよう。



2005年08月19日(金) 帰ってきた

 石垣から無事帰ってきた。体はほぼ無事だが心はそうも行かない。かなりタフだった。数々の差別体験、かなり応えた。特に最後のjalのすっちー。死ねといいたい。jalなんかもう終わりなんだよ。国内線のくせに。お前らだって落ちこぼれじゃないか。より弱いものを見つけて苛めて、自分の慰めにする。かわいそうな奴。もう一度言う。死ね。
 でも大体は良い旅だった。この時期沖縄に一人で行って無事帰って来れた自分を心から誉めてあげたい。立派だ。
 ずっと調子は悪かったが、最後に少し上向いた。旅の終わりという解放感がむしろ私を慰めた。民謡酒場で地元民と一緒に踊ったことは忘れられない。自分の殻を破った気がした。



2005年08月15日(月)

 今から石垣に行く。セネカの全集を注文するときおかしな女と衝突しそうになった。女が本当に嫌いなのだ。好戦的になっている。すごく危険だ。私の脳細胞が周囲と関係なく勝手に興奮しているのがわかる。それが自分でモニターできるのが成長した。やっぱり関西が合わない。都会が合わないという説もあるが東京だったらここまで嫌悪感はないと思う。いずれにしろ人がストレスの原因になっているので一人になる時間を作った方が良い。これは発想の転換だ。人中が薬とか言ってストレスを与えていたかもしれない。休息とか一人の時間が回復につながるかも。
 ずいぶんおかしな人間だなあと思う。父親を見ても兄を見ても立派なところとおかしなところが同居している。良く似ている。トラブルを起こしたくない。機嫌よく過ごせば良いじゃないか。楽なこと、楽しいこと、得なことを追及しよう。機会主義で良いじゃないか。争いを好まない。無理をするから不機嫌にもなる。日本人は無理を強いる。それがストレスの元だ。勤勉でなければならない。高校を出たときほとほと嫌になった。
 リラックスしよう。凝っては思案にあたわず。レイドバックしてこよう。
 よくバカだと言われた。自分でもそう思う。その意味は自分の損得を考えず良い人に思われたい、好かれたい、愛されたいために自分の利益に反することをしてしまう。仏のようだった父親に似たのだ。仏も良いけど自分で生きて行けなくて人に迷惑かけたら愛されるどころじゃないでしょ。アメリカ人なんか徹底している。ピューリタン的だ。プラグマティストだ。損することはどんな理由があってもやらない。得することは恥ずかしがらずにやる。楽で楽しいことをしよう。そして得することを。でも危険とか苦痛に快楽を求める性癖があるのよね、人間て。スポーツなんて全てそうだ。きついし、辛いし、危険だし、痛いし。バカじゃないのか。でもやる。生きていくことににているからだ。



2005年08月14日(日) 休み

 今日も休みだ。エアコンつけっぱなしで寝てしまった。鼻がおかしい。大丈夫だろう。掲示板は相変わらずキチガイの巣だ。眠れない奴、起きられない奴、病院通いの奴、ヤモリを飼っている奴。キチガイの展覧会。私の悩みは職場にキチガイや犯罪者がいることだ。私の精神状態が問題なことは一度もない。機嫌が悪いのは良くない。良くないのはわかっているが自然にそうなってしまう。それが治るまで人前に出ない方が良かろう。人と喧嘩になりやすいのはそのせいだ。楽しいことをやっていればだんだん気分が良くなるだろう。俵山に行った時は劇的に気分が改善した。パーティーとか飲み会に最近出たりするのは人に機嫌を直して欲しいと思っているからだ。でも大概はうまくいかない。余計気分が悪くなることもある。hとかそばにいるだけで嫌な気分になる。爬虫類を見ているようだ。ワニ。背中を見せると飼育員でも食べようとする。決して馴れることはない。犯罪者。キチガイ。何でキチガイのせいで私が気分悪くならないといけないんだ。小さい頃兄と姉はひどかった。二人で仲良く喧嘩していた。本当に気分が悪かった。虐待だ。本当に仲が良いんなら疎外されているのと気持ち悪いのと。仲が悪いなら気分が悪いし。近すぎるんだ。関係が。あれで気分が悪くなった。私が2兆%正しいので反省してはいけない。何でキチガイのせいで頭がおかしくなって私が精神分析されなきゃいけない。逆だろう。お前らが病院行けよ。もしくは牢屋に入っていろ。中国の皇帝のように振舞い、気分良く過ごそう。
 防犯意識を高めよう。犯罪者やキチガイを近づけてはいけない。仲良くしてはいけない。それで言うとy氏と付き合うのも疑問である。金持ちは泥棒である。勤勉な泥棒。威張るな。自分が泥棒だと言っているようなものだ。
 やる気が起こらない。うつかな。不機嫌で誰にでも頭に来る。気分良くしよう。働かなくてはいけない。勤勉でなければ。お金儲けをしたいのであれば。hの犯罪者顔。男盗女娼。私は創作に賭けてみよう。ボランティアでも良いが、向き不向きから言ってこれが一番面白い。勤勉でなければ。勤勉な人間だ。私は。その対象を奪われていただけだ。気が進まないことはやりたくないものだ。自分の仕事は実に味気ない。でも金をもらっているから真面目にやろう。楽しくないけど真面目にやろう。真面目だけが取り柄だ。
 悪には近づかない。悪に甘い顔をしない。悪を理解しようとしたり、許そうとしたり、取りこもうとしてはいけない。y氏とはその点が相容れないが譲る気はない。悪に甘い顔をしたためにこんな苦しみを味わっている。今からでも遅くないから悪と縁を切ろう。悪は単なる思考の習慣だ。簡単に断ち切ることができる。勤勉でなければ今も将来も乗り切れない。仕事は完全に閉ざされている。でも今の仕事をやり抜くこともできるのだ。楽しく明るく仕事ができるのだ。あのいキチガイや犯罪者とは関係なく真面目にできるのだ。北原の御蔭だ。というより当たり前だと思うけど。kやhをどうするかなんて二度と考えるな。考える必要はない。私が2兆%正しくてあいつらは極悪人なのに何で私が譲歩するのか。何で私が悩まなくてはいけないのか。病院いけ。監獄行け。私は中国の皇帝のように振舞っていれば良いのだ。
 仕事が充実していないので、遊びを充実させよう。そうすると心も体も喜び活性化し、生き帰る。また働こうという気持ちになる。
 全力で生きよう。自分の力を生かしきって存分に生き、安らかに死んでいこう。死は生の一部であって恐れることはない。神の定めたものに悪いものはない。甘美で素晴らしい死を迎えよう。そのためにも今しっかり生きよう。怒ったり腹が立ったりするのは自分が十分生きていないからであって、人は何も悪くない。
 悪と言うと善悪二元論といって批判されたりする。なぜ批判されるのかわからないが、悪とは悪い思考の習慣で、完全な悪人というのはいない。心に悪がプログラムされているがそれが暴走しがちな奴が悪人だ。宅間がわかりやすい。あれだってまともであればそこそこ役に立つ人間だ。わざと悪いことをしてはいけない。悪とは習慣にすぎない。訓練次第で矯正できる。今からでも遅くないから矯正しよう。さもないと生きていくことさえ難しい。y氏は幼い頃虐待に近い躾を受けたと言う。確かに気が弱いところがある。私はサディスティックなところもあるのでつい苛めたくなる。善悪二元論を批判されたのでついかっとしてコメントはいらないなどといってしまった。でもそれはそのときの本当の気持ちだ。でもそれを言うとカウンセリング否定に他ならないので失礼なばかりか意味不明な話だ。喧嘩が嫌なら離れれば良い。y氏は虐待の経験からまだ立ち直っていない。私の善悪二元論に母親の姿を見て怯え、遅まきながら抗議しているのだ。大変気の毒な話だ。でも普通のカウンセラーだったら流すところではないかなあ。私は付き合うべきではない気がしてならない。犯罪者は確かにかわいそうだが仲良くすると不利益を受けるから付き合わないと言っているのだ。y氏も会社から見たら問題社員かもしれない。人事から働き方の問題点を指摘されて論争したらしい。組合のノウハウがあるので負けないらしい。相当攻撃的でしつこい。でなければ私なんかに二年以上も付き合わない。いくら仕事とは言え。嫌だったら断るだろう。医者と違って断っても捕まらない。私は同じことをやっているのか。問題児と付き合って問題児扱いされる。その相手にもう問題児は相手にしないと言っているので気分が悪いだろう。
 悪は根深い問題だ。悪は良くないと言っただけでこの反発。人間の中に悪が組み込まれている以上、これを除去することはまず無理だろう。これは役に立つからあるのであって上手にコントロールしていこう。
 少し気付いた。気分が悪い理由。何か我慢している。無理している。楽なことから逃げて苦しい方に行こうとしている。それは気分悪くなるだろう。見ているだけで気分が悪い。苦しみに耐えている人間を見ているだけで気分が悪い。人間は爬虫類じゃなく哺乳類なので優しいのだ。すごくはっきりした。私はストッパーが外れて暴走しかかっていた。それが恐いのだ。y氏は楽しく楽に行こう。生きるほうに行こう。おいしい方に行こう。マゾは早死にする。小説も楽しく書いたら一発で人気者。この調子で行こう。怒ったり不機嫌になって人に迷惑かけるなんてバカだ。損得で考えた方が良いじゃないか。何で損することばかりするのか。
 善悪で分けたりするやり方に危険で無理なものを感じたのだ。その感受性は正しい。善悪なんて簡単に分けられない。おばさんでも見た目はグロいけど、敵に回すと面倒でしょ。本当に時間と労力の大変な浪費だ。おばさん嫌いなのは仕方ないけどうまく付き合えなかったら損でしょ。機会主義者で良いじゃないか。アメリカ人嫌いな理由がそれだけど、機会主義者だから嫌いという言い方はおかしいとy氏は極めて適切な指摘をしたまでだ。どっちが損か得かその場その場で判断したら良い。それが結局一番理にかなっていて賢い。もちろん失敗も数多くするだろう。でもそこから多くを学んで変えていけるじゃないか。アングロサクソンが嫌われながらも隆盛を極めているのはやり方が結局一番理にかなっているからだ。もちろん修正は必要だけどね。弱肉強食的な考え、ダーウィニズムにはついていけない。でも損か得かという判断をその場その場でやろうという行き方は理にかなっている。馬鹿っぽく見えて一番賢い。損得でいうと一番得をする。損得だけじゃないという考えの人は別だけど。だけどそういう人は必然的に苦しむ。自分をもっと楽にしてあげようよ。y氏は極めて適切な助言をくれたのだ。
 大きな気付きに至った。皆さんの御蔭だ。苦しいときを経てこういう大きな気付きがあるから生きることは価値がある。優しくできるし、明るくできる。いくらでも社会に受け入れられる自信がついた。
 今の尾羽打ち枯らした私が強がっているのは確かに笑止だろう。金も権力も女も無縁な私。でも創作は私を救ってくれる。あのチューターだって金を稼ぐ道では大したことはない。でも俺は辛酸を嘗めた。でもあのままでは生きられなかったかもしれない。わからない。でも私もすっかり立ち直った。この調子で行こう。楽しいこと、楽なこと、得なことを選んでやっていこう。あのババアは現れるべくして現れた。前の職場でも既に私の扱いはおかしかった。社会的にランクが下がるとどうしてもおかしな扱いになる。
 本当のことを冷静に考える勇気ができた。強がったり、威張ったりしなくても自分の価値を認めてもらえる方法を見つけた。それは創作だ。学識も要らない。カウンセリングに必要なものは学識でも学歴でもなく人間力だ。常識だ。愛だ。温かいハートだ。それを疑ってはいけない。



2005年08月13日(土) 作家

 作家として生きていこうかな。手首が治ったような気がする。奇跡だ。あの病院はすごい。我慢して通って良かった。
 何かものをやることが億劫だ。何もかも。うつ入っているのか単なる怠慢なのか。一番嫌われる。嫌われても仕方ないが。書くことは勤勉で長いこと書いている。作家になろうかな。まだ緒に付いたばかりだ。少し才能があると気付いた。努力してみたら結果が出る気がする。大作家にならなくても小作家くらいにはなれるんじゃないか。学識なんか要らないから学者先生にコンプレックスなんか持つことはない。何て自由でカッコ良いんだ。
 不機嫌になる。うつはいっている。長く機嫌が直らない。旅行の計画も身が入らない。まあぼちぼちやろう。人と喧嘩しやすいのはテンションが合わないからだ。不機嫌だからだ。全て嫌な人に見える。意地悪に見える。相手をするのが気が重い。元気な時はそんなことはない。石垣に行っても無理に人に交わろうとせず。孤独に過ごそう。人がストレスの原因なのだ。人から離れないといけない。俵山に行って癒されたのは何もない、誰もいないところでゆっくりできたからに他ならない。離島でも一人でのんびりしよう。頭が回らない。頑張ろうという気にならない。旅行は頑張るために行くんじゃない。保養のために行くんだ。ゆっくりのんびりしてたら良いんだ。
 書くことは王国を作って王様になることだ。何でもできる。犯罪でも革命でもなんでも自由だ。おとなしくしていないで自由に振舞ったら良いじゃないか。それが創作の楽しさじゃないか。王様として堂々と振舞おう。変な犯罪者や、似非学者や、似非カウンセラーにぺこぺこするこたあない。私は立派な作家先生だ。
書くことは実に罪のない穏やかな行為だ。全ての職人仕事がそうであるように優しく穏やかで罪のない権力ともお金とも無縁な行為だ。これに没頭すれば良いと思う。書くことでさえ人を傷つけようとする女がいる。それが嫌で掲示板を逃げ出した。本性がそうだからどうしようもない。書いても喋っても全て人を傷つける。最低の女だ。絶対に攻撃を止めない。恐ろしくなって逃走した。あの変な部にいた時もそうだ。何でキチガイと一緒にいなきゃいけないのか。全くわからない。
 目立ちたがり、または芸術化肌、イチビリ、お調子者であって権力志向の強い奴と決定的に対立する。母親と姉がそうだった。どうしたら良いか。逃げるか、戦うか、取り入るか、いずれかだろう。仲良くやる。果たして可能だろうか。でも俺がn姫とか言う馬鹿に何かしたか。勝手に向こうから喧嘩を売ってくる。仲良くなんて無理じゃないか。楽な道を行こう。
 防犯意識を高めよう。犯罪者と近づかない。犯罪者の真似をしない。犯罪者に甘くしない。犯罪者に染まらない。犯罪者を近付けない。
 どうしたら良いか。わかった。防犯意識を高めることだ。私が最高権力者だったらどうするかと思うことをすることだ。迎合するな。犯罪者に甘くするな。犯罪者を受け入れようと努力するな。あのババアをどうしたいか。どうしたら良いかではなく、どうしたいか。無視したい。支配したい。コントロールしたい。偉そうにしたい。犯罪者なんかに気を使いたくない。hも同じことだ。偉そうにしたい。自由にしたい。離れていたい。優位に立ちたい。そう思うならばそうすれば良い。何であんな奴に偉そうにされなきゃいけないのだ。どうしたら良いか。したいようにしたら良いんだ。どうしなきゃいけないということはない。取りたい態度をとり、一番楽な態度を取れば良いのだ。無視したかったら無視しても良い。無視する権利がないなんてお前は中国の皇帝か。何様だと思っているのか。キチガイ。だから犯罪者だというのだ。犯罪者を受け入れる義務はない。わかったか。バカ。
 だからキチガイで犯罪者なんだろう。hやkは。キチガイや犯罪者は普通にいるのだ。世の中に。キチガイとどうやってうまくやっていけるんだ、。というより何でうまくやらなきゃいけないんだ。犯罪者は絶対に遠ざけなきゃいけないだろう。仲良くしちゃいけないだろう。hやkは生きてることが20000000000000000000000000000%間違っている。ただそれだけだ。私が2兆%正しい。ただそれだけだ。文句あるか。キチガイの犯罪者め。



2005年08月12日(金)

 今日から盆休みだ。余り嬉しいと感じないのはなぜだ。最近鬱気味だ。原因はわからない。疲れているのか。いらいらして人と衝突しやすい。カウンセリングの日だったがうまくいかなかった。自説を一所懸命話したが納得しないようだった。前半の人気者と権力者の両方を目指す奴とは必ず衝突するという話をした。小学校のとき私をいじめたkというやつ。小六の担任、中学の担任、高校の担任、大学の同級生、あのキチガイオヤジ、女の集団、kとh、森という奴、pc所長。文校のチューター。女の集団は軟派系であって権力を求める。最低最悪だ。私が本当に衝突するのは女の集団だ。個人であっても良い。男は好きなので妥協できる場合が多い。これがキチガイでイチビリだと衝突しやすい。中学と高校の担任だ。人気者であってリーダーになろうとする奴は私をターゲットにする。これは小さい頃変なガキと付き合ったために私がやんちゃ坊主にされてしまったからだ。本当はリーダーになるべきだったのに、すっかりやる気を失ってしまった。これからどうしたら良いだろう。まず防犯意識を高めることだ。犯罪に関わるような奴とは近づかない、近付けない。自分が犯罪に手を染めることはしない。防犯意識を高めればおかしな権力者によって迫害されない。もしそうなったら逃げるか喧嘩上等だ。あのキチガイババアを抑えるのに何年かかったろう。7,8年かかっている。貴重な人生を台無しにされた。犯罪者は許さない。喧嘩上等だ。負ける気がしない。
 この話しは一応聞いていたが次の犯罪者の話になると全く否定していた。私も頭に来たのでコメントは要らないといってやった。あいつも攻撃的な性格なのだ。ネットで臨床心理士グループと抗争になったという。信じられない。行かなきゃ良いだけじゃないか。攻撃的なのだ。
 とにかく犯罪者を受け入れない。許さない。これによって危険は格段に低下する。イチビリでなければ、俺より目立つな的な攻撃はなくなる。もしそれで攻撃するなら喧嘩上等だ。そこが一番変わった点だ。恐くなくなった。誰を相手にしても全く恐くない。自分が強くなったわけでは決してない。でも徒に恐れなくなった。相手がどんなに強い相手であっても。こう言ったらどう言うだろうとか全く思わなくなった。hやkは何の理由もなく喧嘩を売ってくる。キチガイであり犯罪者なのだ。絶対許さない。犯罪者に犯罪行為をされると善良な人間は自分に落ち度があったと思う。犯罪者はそんなことは思わない。ただ気に入らないから攻撃してくる。喧嘩上等だ。犯罪者は絶対許さない。犯罪が許されると思っている奴は絶対許さない。これができると格段に楽になる。楽な人生を選ぼう。悪や犯罪は苦しみの道だ。善は楽な道だ。小説も一番楽な書き方をしたらうまくいった。一番苦しい書き方をした前作は失敗した。人生も同じだ。楽な道が一番正しいのだ。犯罪を苦労して受け入れて自分が散々苦しむ。これからは楽をするのだ。人生を楽しむのだ。
 喧嘩上等。これが一番楽な道じゃないのか。俺に勝てる奴なんかいない。俺最強。そう思っていれば良いのだ。あとは犯罪者を近付けない。犯罪に手を染めない。これで100%安全は確保され、楽しい人生がやってくる。
 芸術家タイプで権力欲が強い。これが一番衝突するタイプだ。こちらがどう思っていようと200%衝突する。英会話が得意な奴といのはこういうタイプが多い。女はほとんどがこのタイプだ。だから必ず衝突する。性別は余り関係ない。しかし男だと同性愛が働くから妥協の余地があるのに、女は同性だから真っ向から衝突する。この間の祭りのときもあった。中学の担任は合唱団出身の上に英語の教師。最悪だ。高校は国語の教師。大学のあのキチガイは芝居などやる奴だった。解決は喧嘩上等とまず思うことだ。衝突を恐れない。喧嘩を恐れない。喧嘩はコミュニケーションだ。しかるのちに妥協の道があれば探る。犯罪に手を染めない。相手につけこまれる口実を与えるからだ。仲良くなんかしなくていいんじゃないか。あとは権力から離れて芸術に生きる。私は傷つきすぎた。政治経済はもうたくさんだ。あとは真面目であること。真面目であれば誰もつけこむことはできない。一番楽な道を選ぶことだ。生きるときも小説を書くときも。それは喧嘩上等、先手必勝だ。一番楽な道が必勝の道だ。



2005年08月11日(木)

 今日は何事もなかった。沖縄行きの計画を立てないといけない。思い出すと皆良い子達ばかりだった。変な女も一人いたがそれもありがちなことだ。現実の方がもっとひどい。子供や若者が好きなのは無邪気だからだ。私は汚れている。子供にこの汚れは良くない。だから近づかない方が良い。子供のために。いまさら立派な大人になるのは不可能だ。
 昨日書いたことはすごく核心をついている。目立ちたがりな奴と衝突しやすい。でも喧嘩上等だ。私は絶対悪くない。今日hが私に犯罪行為を行った。あいつは本当のキチガイだ。いい加減にしろ。犯罪者のいいなりにはならない。絶対に許さない。犯罪者に甘くしてはならない。防犯意識を高めよう。自分であれ、他人であれ、犯罪行為を許してはならない。何で犯罪者に甘くしなきゃいかんのか。あほだ。犯罪行為に厳しくしよう。許すということと、犯罪行為とは違う。宗教と法律は違う。法律が終わってから宗教が始まる。hやkのやっていることは宗教や道徳の届かない犯罪行為だ。全く無視し、拒絶して良い。
 いろいろ勘繰ったりしてはいけない。思考の悪い回路を動かしても何の得にもならない。本来の素直な良い性格を出せばいいだけじゃないのか。いい人間であっていいのだと思った。悪い人間ぶるのはやめようと思った。自分も犯罪者から遠く他人も犯罪者とは遠くありたいと思った。そうであれば全然いい人で構わないと思った。犯罪者に甘くしてはいけないと思った。優しいのと悪や犯罪に甘いのは全然別個のことだ。犯罪に甘いのはただのバカというだけでなく同罪なのだ。犯罪者と見なされてしまうのだ。それで得することなど絶対にない。犯罪者を許すな。自分が犯罪者の仲間になることも許すな。悪について考えたり、犯罪的なことを考えるたびに良いことをする時間が減っていく。例えば小説を書こうと思ったら時間がいくらあっても足りない。35で作品書いて死んでしまう人もいる。芥川もそうだ。鷺沢もそうだ。今始めよう。自分に幸運にも才能があることがわかった。この道に打ち込んでみよう。そうすれば初めて友ができると思う。



2005年08月10日(水) 滋賀

 今日は滋賀工場に行って来た。眠かった。でもあそこにいるよりましだろう。行きがけ、大阪駅で山田さんに会った。電車に乗るとm君に会った。まだ私を覚えていた。少し嬉しかった。あまり勘繰ったりせずに素直に生きるのが良い。草津で小説を何冊か買った。あのアメリカ人は思い出すだけで胸糞悪い。いやなやつはどこにでもいる。嫌な奴に会いに行ったようなものだ。あの手の奴とはいつもトラブルになる。まず中学生の時に現れた。ガキ大将みたいな奴。そして高校のときも大学のときも。私が自己中心的だから、ああいう奴と衝突するのだろう。掲示板の中にまでいる。あのキチガイ女はなんだ。今すぐ死ね。完全な犯罪者兼狂人だ。一生そこにいろ。ばーか。世の中犯罪者とキチガイだらけだ。犯罪者に甘くしてはいけない。吉本ばななを読んだらキチガイ女の文体とそっくりだったので気分が悪くなった。超自己中心的で暴力的、犯罪的。完全に狂っている。犯罪者や狂人と仲良くする方法などない。防犯意識を高めよう。
 宮本輝と角田光代を買った。女の作家は何となく参考になりそうな気がする。書くために小説を買ったのは初めてだ。私の文体は純文学向きではなく、エンタメ向きだとわかった。今回の作が好評なのはそれを生かしてエンタメに仕上げたからだ。純文学なんか書いてる場合じゃない。
 自分が中心になってちやほやされたい奴、あるいはリーダーシップを取りたい奴がいると必ず私と衝突する。私を敵視する。私にも少しだけ人を惹きつける何かがあるのだろう。それが妬ましくて猛烈に攻撃してくる。あの会社のキチガイババアはまさにそうだ。嫉妬の鬼になってものすごい勢いでライバル意識剥き出しにしてきた。あれは一体何なんだ。病気になった。大学時代もそうだった。中学のときも高校のときもそうだ。自己顕示欲の猛烈に強いヒステリーみたいなババア親父が俺を攻撃してきた。遅刻して一番悪い理由が共通していた。俺が話しているとき遅れて入ってくると注目が妨げられるから。はあ?一体どんな理由なんだ。それが体罰を加えるほどの理由か。完全に頭おかしい。大学のときのあのキチガイ野郎も同じ理由で俺を苛めた。私は目立ちたくない。控えめにしたい。でもそれでも気に入らないのだ。いるだけで気に入らないのだ。だから喧嘩上等だというのだ。自己顕示欲の強いオニババ体質の奴が私を目の敵にする。これは宿命だろうか。避ける方法はないのだろうか。戦い続けなければならないのだろうか。e女史も同じ理由で私を目の敵にしたのだ。私に悪い点はない。犯罪者を許してはいけない。自分の中の犯罪者も許してはいけない。私にもオニババ的な部分がきっとあるのだ。きっと私にもそういうタイプの奴に惹きつけられる部分と張り合いたい部分があるのだ。でも女だった場合は全く惹きつけられない。反発するだけだ。あの和祭りの時も変な女が私を邪魔者扱いした。私も本能的に嫌いなので態度に出るのだろう。転校したとき苛められたのは敬意が足りなかったのだ。礼儀が足りなかったのだ。小泉も同じ理由じゃないのか。一般大衆の人気は抜群だが、党内ではキチガイ扱いだ。実際キチガイだし。あのほのぼのした女が一番良い。私に必要なのはああいうタイプの女だ。なぜこんなことになるかはわからないが絶対に放置してはならない。喧嘩上等だ。hやkのいうことで正しいことなんか一欠けらもない。完全なキチガイであり、犯罪者だからだ。犯罪者のいうことなんか誰が聞くか。喧嘩上等じゃ。
 和祭のとき思ったがまだ少し早いんじゃないかな。いろんなところに出るのは。文校くらいにしといたら。文校でもやっとなれたくらいだ。わざわざ出ていって恥をかく必要はない。自分に酷なことはやめよう。人前に出るとナーバスになるのはまだ早いというサインだ。集団が病気の原因だから一人の時間を作ろうという考えもありもっともだと思った。掲示板でも結局傷ついただけで終わった。本物のキチガイには勝てない。何で好き好んでキチガイのうようよいるところに出入りするのか。自虐にもほどがある。防犯意識を高めよう。



2005年08月09日(火) 飲み会

 今日は文校の飲み会だった。どうも調子が悪かった。昨日から気分が悪い。イベントに連続して出たのは良くなかったかもしれない。過ぎたるは及ばざるが如しだ。イベントの話は不評だったし。俺って嫌味な性格かも。謙虚になろう。背伸びしても自慢してもしようがない。でも小説はTさんに在特に出せといわれた。素直に嬉しかった。今度の合評が楽しみだ。何が良かったのかな。題材が面白いのと文章がうまいのが噛み合ったのだろう。理想は内容は何もないのに文章だけで読ませる芸だ。無理かな。谷崎も内容が面白い。人と一緒にいても楽しくない。最近はちょっとおかしい。薬を飲んでおとなしくしていよう。



2005年08月08日(月) 月曜

 今日は思ったより辛くなかった。ゆっくり眠れたからな。疲れていたんだな。昨日のいろんなことを思い出す。バングラデシュ人は優しかった。やっぱりアジア人は優しい。アメリカ人は意地が悪い。バカだし、単細胞で機会主義者で深みに欠ける。気をつけよう。ポーランド人はもっと深みがあった。でもあの軽さが救いかもしれない。目で見たものしか信じないんだろう。無神論だといっていた。最近は多いのかな。あの京都の女の子が忘れられない。かわいい子は恐い気がする。すごく近寄りがたい。ものすごく遠く感じる。不細工な子は安心していくらでもしゃべれる。癒し効果が高い。ああいう子を見つければ良いんだ。優しい子。セクシーでない子。おとなしい子。子供っぽい子。子供が好きという気持ちと通じる。子供は傷つける力を持たない。そこが安心できる。私は母性が強いと気づいた。まるっきり女の子だ。リラックマの絵本を買った時点で女の子だ。女嫌いだし。
 仕事は真面目にやろうと思った。学生に恥ずかしくない大人に早くなりたい。今まで恥ずかしいとか思わなかったが、やっぱり若者に対して今の自分では顔向けできない。しっかりしようと思った。給料分の仕事ができるようにならないと。真面目がスタートラインで、スタートラインにすら立っていない私。頑張ろう。
 防犯意識を高めよう。気を張ってしっかりしないと自分が一番危ないと思う。犯罪者と付き合ってはならない。犯罪者を近付けてはならない。犯罪者を許してはならない。自分が犯罪的なことを考えることを許してはならない。自分の心に戸締りをしよう。大学に入ったとき勉強する気を失った。バングラデシュ人に告白した。それから真面目な気持ちを失った。正気さえ失った。今やっとそこから立ち直ろうとしている。長かった。しかし遅すぎることはない。
 アメリカ人には辟易した。死ね。9.11万歳。滅亡しろ。
 嫌いだったら嫌いで良いんじゃないか。偉そうな態度とる奴いるけどおかしいと思う。何だ、あのhは。犯罪者だろう。どう考えても。kだって頭がおかしい犯罪者だ。犯罪者と仲良くする必要があるのか。犯罪者には厳しくしよう。これがテーマだ。犯罪者に甘くすると結局自分が犯罪者になる。失礼は犯罪者の始まりだ。自分の中の犯罪者に気をつけよう。犯罪者に甘くしちゃいけないんだって。簡単なことだ。努力も何にも要らない。犯罪者を許すことに大変な努力と犠牲を払うとは何事だ。バカなことをするな。私の頭の中には膨大な無駄な回路ができてしまった。考えなくても良い全く無駄な悪の回路ができたために仕事ができないだけじゃなく、つい悪事を働いてしまう。知らず知らずに。必要な義務を怠ることは立派な悪事だ。頭に大変おかしな回路ができている。目の前の大事を解決せずにろくでもないことを考えている。無駄だけではなく犯罪者を飼っているようなものだ。自分の中の犯罪者を許してはいけない。薬とカウンセリングで十分だろうか。心理療法も必要だろう。そんなことをやっているうちに人生は終わるだろう。悲しいことだ。もっと人生を楽しみたい。それを仕事にしたい。楽しむこと、楽しませること。
 小説には悪の回路は生きている。一気に読めてしまうのはそのせいに間違いない。ただし実生活では大きな負担だ。全く頭と心が動かない。大変だ。実生活と空想生活をはっきり分けよう。犯罪を許してはいけない。自分の犯罪を許してはいけない。そうすれば自然に人の犯罪も許さないだろう。



2005年08月07日(日) ホームパーティー

 昨日は生駒でホームパーティーに参加。楽しかった。やっぱり金持ちは違う。大画面のプロジェクションtv、数百万かかっているav,セカンドハウスだそうだ。奥さんも医者できれい。何不自由ない暮らし。どんな違いなんだ。貧乏人でも金持ち気分が味わえる。もうちょっと若ければなと思うがいいじゃないか。あのおっさんだって52だと言っていた。あんなに食ったのは初めてだ。金持ちは気前が良い。反面しっかりしていて厳しいところもある。金銭感覚は見習う必要がある。他のサークルのことを盛んに気にしていた。張り合うところもあるのだろう。人が集まるところが偉いのだ。心理学の集まりとは対極にある。でも人になれるのが目的のひとつなのでどちらでも良い。私は頭おかしいわけではないという結論に達したので健全なサークルに参加しよう。金持ちだと余裕があるので人に優しくできる。貧乏人は悪い人間ではないが、ひどい目に遭っているので余裕がなくひどいことをしやすい。どちらも悪い人間ではない。もっとしゃべって参加するようにしよう。うつが入っているのと女が嫌いなのではしゃげない。女なのに女らしくもなく、男なのに男らしくもない。女が嫌いとは思わんかった。帰りの電車で女も良いなと思った。人の優しさに触れたのが良かった。もっと溶け込むように努力しよう。しゃべりでは関西人に負ける。
 真面目に生きていこう。もう真面目が何かもわからなくなってきた。真面目は私の拠り所だ。人とちゃんとお話できなかった。今日はちゃんと話そう。女が好きではない&不真面目なのだ。真面目になろう。少しずつでも良いから真面目になろう。
 昨日は自分の女性性を強く感じた。女に強い嫌悪感を感じ、男にときめいている三島由紀夫みたいな自分がいた。悲しい。でも認めよう。でもモデルみたいなきれいな子だったら胸がときめく。一体どっちなんだ。快楽は恐ろしいところもある。ダークサイドを解き放つ。男にときめいた私は何だろう。恐い。女に生まれたら良かった。かわいらしい女になって良いお嫁さんになって賢い母になって生きたかった。人間嫌いの根底にそれもあるかもしれない。
 薄気味悪い気もした。金持ちは良いけど、少し薄気味悪い。私は金とは縁がない。だから金銭感覚が違う。金持ちはお人好しな面もあるが恐い面もある。余り近付かないほうが良いんじゃないか。銀行に入ったときも変な奴ばっかりだった。金は人を変える。金は縁がない。金に恨みは数々あれどという奴か。貧乏人同士で仲良くしていたほうが良いんじゃないのか。金持ちじゃないサークルが良いかも。ながちゃんとこみたいな。でもあの徳之島のおっさんには引いた。差別するつもりはないが、でも体が差別しているんだ。きっと。
 昨日あった嫌なこと。あのおっさんにカメラのことで怒られた。話が全然できなかった。女と会話できなかった。何か怪しまれた。おばさんに怪しまれた。嫌だったら付き合うべきではない。でも文校も最初は全くこの通りだったから自分に原因があることは何となくわかる。それが何なのかはわからないし、従って直すことはできない。でも数こなすうちにわかってくるんじゃないかと思っている。何事も練習だ。大体ほとんどの人間は薄気味悪い。例外はない。親兄弟でもそうだ。人間同士と言うのはそういうものだ。芸術はそれを緩和する。私は芸術に生きよう。病気の人は集団がストレスの原因らしい。だから一人になれる時間を増やすといいらしい。全然逆のことやってるじゃん。昨日はちょっとハードル高かった。私はいつも困難なことにチャレンジしてしまう。実現不可能なことに挑んでしまう。ハードルを低くしてできることからやっていったほうが良い。
 人に好かれる努力をした方が良いんじゃないのか。小説書くのもあれは人気者になりたいがために他ならない。性に関係なく人気者になれるのは文学芸術の良さだ。文学芸術しか生きる道はない。谷崎は書けなくなったら死んだほうがましだといったという。そのくらいの覚悟が必要だ。
 私も何が何だかわからなくなってきた。自分の人生がわからない。もうちょっと真面目になろうと思った。真面目に仕事しよう。真剣にそう思った。一歩間違うとメサイアコンプレックスといわれる。文校でもsさんという年配の人とかu君には好かれた。私が好き嫌いが激しいのと同じく人にも嫌われやすいのだ。人になれていないからな。先生というか権力者に嫌われやすい。私が女だったら全然問題ないのに。
 本質的な問題は避けたほうが良い。誰もそんなことは気にしていない。もっと現実に目を向けろとy氏にも言われた。目の前の○○のここが嫌いというのは正常だが、女が嫌いだというのはおかしいといわれた。そんな法則性みたいなことを発見して何の役に立つのという当然の疑問だ。女だって女同士だって仲良くしてるじゃないか。自分が女だから女と仲良くできないってどんな理屈なんだ。全く間違っている。女同士だから気持ちが分かり合えるというのがあるじゃないか。だったら女は男と違うから分かり合えないという理屈も成り立つ。それは明らかにおかしい。帰りに女の子と一緒になったがおしゃべりできたじゃないか。気持ちの問題だ。かわいかったといのもあるけど。興味の問題だな。いくら見た目が気に入らないからといって心を閉ざすのはいけない。礼儀に反する。私は弱すぎる。卑怯過ぎるので我慢して付き合うと言うことができない。そういうところを直すのが練習でsstにも通じるのだ。ただ漫然と快楽だけ求めていてもうまく行かない。気持ちの問題だ。
 なぜ行くかという目的意識をはっきりしたほうが良い。私はやる気をなくしている。それが生き方に現れている。そこから直すことが必要だ。自分に厳しくしよう。人間関係がうまくいかないから練習したいという自主sstという目的なのだから謙虚な気持ちが必要だ。小学校からもう一度やり直す気持ちで謙虚にならなくてはいけない。自分に厳しくしないといけない。あの人はよっぽど自分に厳しいと思う。医者の仕事で稼ぎながら、趣味の世界を十分楽しんでいる。厳しくてついていけないかもしれない。真面目に生きよう。人間真面目が大事だ。社会生活がうまくいかないからサークルに行っても精神病院じゃないから迷惑だろう。でも目的意識さえはっきり意識して自覚を持って謙虚な気持ちで臨めばうまく行くだろう。自分に厳しくしよう。
 昨日はいくら何でもハードル高かったなあ。気軽な飲み会から参加にすれば良かった。我慢大会みたいだった。dvdもカラオケも壊れて初対面で歓談てどんだけ辛いんだ。自分を苛めるのはやめよう。あの人も自分を苛めるタイプだな。人を支配したい権力欲の強いタイプに多い。あまり近付かないほうが得かもしれない。年寄りの冷や水で怪我をしないことだ。石垣も十分注意したほうが良い。
 和祭というイベントに参加した。面白かった。勉強になった。若者は偉い。そして純粋だ。恥ずかしくなる。俺は不真面目だからなあ。真面目になろう。心が洗われる思いだった。立派だ。若者は。若いというだけですごい価値があると思った。真面目で純粋だ。やっぱり心が汚れている。真面目になろう。女も男もない。人間として立派になろう。真面目になろう。でも昨日は一言もしゃべれなかったので今日はよくしゃべれた。進歩している。何事も練習だ。体で覚えよう。仕事頑張ろう。疲れた生活ではなく張りのある真面目な生活に近づこう。不真面目な甘い考えは捨てよう。若者に対して本当に恥ずかしいと思った。人と一緒にいて落ち着くということが大事だ。でも人に嫌われたり、馬鹿にされたり、気味悪がられたりすることが多い。これを直していって人に嫌われないようにしよう。慣れだ。何事も練習と慣れだ。アメリカ人とは相性が悪い。バングラデシュ人は気に入った。とても賢くて話が合う。頭の良い人は好きだ。博士過程を出て教授になるそうだ。エリートだ。外国で一人で暮らしていると大変だろう。交流したくなる気持ちはとてもよくわかる。私は話をしていても緊張して関係がうまく持てない。心の問題で親しい気持ちを感じられない。それが人を警戒させるのだろう。打ち解けられない。あのバングラデシュ人と話している時はふと気持ちが柔らかく溶けて行くのが感じられた。人といてリラックスして本心から楽しいのが普通だ。人を愛することは素晴らしい。それと京都から来た女の子は良かった。すごく優しい。ほんわかした感じで寛げた。癒された。器量とか気にしないほうが良いなと思った。性的なことは抜きにした方がいいなと思った。もう性とか色気とかいう年じゃないじゃないか。そういうことから解放されたいとは思わないのか。頑張ってきたじゃないか。無理に抑えつけるのじゃなく自然に枯れていけたら良いなと思う。女性に性的なものではなく母性的なものを求めるのは間違いだろうか。
 真面目に生きよう。自分に厳しくても良い。病気になってはいけないが、やるべきことをやろう。昨日に比べたら体も口も動いた。昨日はほとんどしゃべれなかった。少しのトレーニングですごい効果だ。頑張ろう。もう頑張れる体になった。
 私は人と仲良くしたい。一緒にいて寛げるようになりたい。でもまだ準備ができていないんだ。だから練習しないと。体が人を拒否している。今日はっきりわかった。すぎく人を恐れて拒絶している。心を開くことだ。あのバングラデシュ人と京娘だけに心を開くことができた。それでも大きな進歩だ。人に心を開くことだ。
 ところで今日のy氏のブログは辛口、というより叫びに近いようなものがあった。かなりしんどいんじゃないのかな。私のせいではないと思うが。私はまだまだあの人のお世話にならなければならない。それははっきりわかる。私のような重いクライアントを抱えるのは負担だろう。申し訳ない。もう治ったとか全く病気じゃないとか不遜なことを言わないで謙虚な気持ちが大切だ。



2005年08月06日(土) 休み

 いつも楽しく自分を盛り上げていこう。楽しみはいくらでも見つけられる。今日は楽しいホームパーティーだ。医師のお宅で映画鑑賞、バーベキュー、カラオケだ。住む世界が違うかもしれないが頑張ろう。
 今朝薬が飲めないので早朝覚醒して、ババアのことを考えていた。本当にしつこいと。自分を認めさせたいと言うあくなき嫌がらせ。。気が狂いそうになる。死んでくれ。貴重な40代の数年を台無しにされた。俺の人生台無し人生だ。これから余生をゆっくり楽しもうと思っているのに。でもこの戦いは私の勝利だ。この間私にお菓子を持ってきた。以前にはありえなかったことだ。北原のために席替え、iの分離など自分に向かい風が吹いていることに気付いて私に和解を申し込んできたのだ。どこまでも腹黒い奴。死ね。あんなキチガイのことは気にせず楽に楽しんで生きて行こう。大画面tv欲しいな。リボ払いで買ってしまおうかな。
 土居という奴は本当に気分が悪くなる。絶対一緒にいたくない。なぜか私に攻撃の矛先を向けてきた。本当に恐ろしい。掲示板引退して正解だった。
 今から生駒に行ってくる。いきなりホームパーティーはさすがに緊張する。でも良い人だろう。多分。楽しんでこよう。気に入られて長く付き合いたい。



2005年08月05日(金) 防犯意識

 防犯意識を高めよう。今日カウンセリングがあった。話が噛み合わなかった。最近誰とでも衝突しやすいのでそのせいかもしれない。私をいつも病人扱いするのでそうじゃないと言ってやった。私は統合失調症でも人格障害でもない。うつ病ですらない。ノイローゼでもない。立派でまともな人間だ。ただ理不尽な攻撃を受けてストレスがたまっているだけだ。攻撃を止めさせれば良いだけの話だ。無抵抗な人間が際限なくいじめられればおかしくなるのは当たり前だろう。反撃する。報復する。抵抗する権利がある。それが防犯意識だ。誰でも信用して良いのではない。あんなキチガイなんで許せる。女なんか全員頭がおかしいのに何で信用するのか。
防犯意識を高めよう。今日は良く働いた。ついにdvdレコーダーの設置に成功した。高い金を払った。ぼったくりだ。読み違えた。自分でできると思ってケチったのが間違いだった。節約しようと思っているがなかなか難しい。真面目に生きよう。真面目に生きればキチガイにからまれたりしない。我慢は良くない。自分が正しいと思ったらきちんと主張しよう。あとはコンパと沖縄だ。楽しもう。苦しむことなどかけらもない。防犯意識は自分にも向けなければいけない。自分が間違ったことをしていたら改めなければならない。さもなければ信用を失うだろう。
掲示板やめると気持ちが良いなあ。過去嫌なことがあっても我慢していたけど、我慢する必要なんかかけらもないんだ。職場でも同じことだ。我慢することなんか何もない。防犯意識を高めよう。一緒に仕事なんかしてる場合じゃないだろう。いい加減にしろ。世の中変な奴ばっかりだ。何で簡単に信用するのか。今までこれだけひどい目に遭っているのに。防犯意識を高めよう。私は病気なんかじゃない。病気に甘えてはいけない。



2005年08月04日(木)

 私は何も間違っていないと気付いた。何で自分を責める必要がある。自分が間違っていると決め付けている。私は何も間違っていない。人が間違っているとも言っていない。誰も間違っていないだろう。でも私は苦しむ。私は防犯意識が極端に薄い。危険なものにわざと近づく。犯罪者に寛容で自分も容易に犯罪に手を染める。規範意識が薄い。大変問題だ。これはなぜそうなるかわかっている。大事なのは後悔することではなく、今すぐ改めることだ。防犯意識を高めること。自分の中の防犯に特に注意を払うこと。これは誰も注意できない。自分だけがセーブすることができる。規範に反していないかチェックできるのは自分だけだ。他人の違法行為には即座に抗議しよう。相手が関西人であろうと構わない。
 母親が私のことを諦めたことは本当に理にかなった正しいことだ。誰も間違っていない。この15年間母は私に異様に執着してきた。それは明らかに間違いである。それがなぜ起きたかもわかる。でも正当化はできない。否定しなければならない。過ちは直ちに改めなければならない。これからは楽しみを求めて生きていこう。私がババアを嫌う理由もはっきりしている。一日にしてそうなったわけではないので一日で直る訳ではない。多分ずっと嫌いだろう。hは私を嫌っている。でも嫌われても困るし、危害を加えられる理由など絶対にない。あいつが仕事ができたら俺に危害を加えて良いのか。冗談じゃない。ばかにするな。
 出世する望みは絶たれた。その上に何であんなババアにいじめられなければならないのか。いい加減にしろ。防犯意識を高めよう。悪を許してはいけない。自分にも他人にも誰にもいじめられて良いと言う理由はない。女を遠ざけなければならない。絶対に近寄ってはいけないし、絶対に近づけてはいけない。絶対にこの判断は間違ってない。自分を大事にしなければならない。
 防犯意識を高めよう。女とは臨戦態勢だ。何の理由もなく危害を加えてくる。直ちに反撃しなければならない。そもそも近寄ってはならない。以上。
 はっきりババアや女に敵意を剥き出しにすべきだ。俺が今までにされたことから言って当たり前だ。なぜ女に優しくする必要がある。全く意味がわからない。hやkも同じだ。何で仲良くしなきゃいかんのか。全くわからない。防犯のためにはっきり女を敵に回そう。うっかり攻撃されるのは真っ平だ。臨戦態勢に移ろう。今までと全く同じだ。
 真面目に生きよう。真面目さで見返してやる。一生懸命やるつもりはないが、真面目にやるつもりはある。簡単なことだ。必ず見返してやる。
女との関係は本当にしゃれにならない。抜き差しならないところに来ている。必ず被害を受ける。何もしていないのに。そうであれば、反撃する。報復する。近寄らない。臨戦態勢を整える。宣戦布告する。一切関わりを持たない。先制攻撃をする。いずれかもしくは全てを採用する。敵意剥き出しで良いんじゃないか。こんなにひどい目に遭って何で優しくしなきゃいけないのかわからない。少なくとも20年は冷却期間が必要だと思う。就職してすぐ関係が悪化した。死ぬほど嫌いになった。それを整理するのに20年かかった。その結論がそれだ。だから間違いない。



2005年08月03日(水) 防犯・自衛

 私に必要なものは防犯意識だと気付いた。自分の中にさえ泥棒が侵入しているのに気付かない。気付いているのにほっておく。全ては小学校のあの出来事に遡る。悪に対して寛容というのは良さそうで良くない。朱に交われば赤くなる。腐ったみかんのたとえもある。自分の外の悪だけじゃなく自分の中の悪を厳しく排除しなければならない。私が宗教や倫理、道徳、哲学に惹かれるのも自分の問題に気付いているからだ。仕事は一所懸命やれといわれても今すぐは無理だ。だが真面目にやれといわれたら今すぐできる。簡単だ。骨身にしみこんでいる。どんなつまらない人の嫌がる仕事でも真面目にやる自信がある。少なくとも真面目にやろう。金をもらっている分を少しでも返そう。
 女は合わない。今までどれだけひどい目に遭ったか。それでなぜ近づこうとするのか。近づくことを許すのか。絶対に許さない。女が側に近づくことを絶対に許さない。
 防犯に心がけよう。自分の中にいる泥棒にも気をつけよう。外から入ってくる泥棒にも気をつけよう。女と絶対近づかないようにしよう。絶対にうまくいかない。嫌いなのに仲良くする方法を知らない。女同士は仲悪いに決まっているのに仲良くできるのは、小さい頃から訓練しているからだ。私はしていないのでもろに攻撃される。だから絶対に近づいてはいけないし、絶対に近づけてはいけない。文学は悪を許すところがある。善悪は関係ない。道徳的に正しいからといって誉められたりしないし、背徳的であっても面白ければ許される。一生文学に住み続ける決心をするかだ。それならそれで良い。



2005年08月02日(火) 防犯

 私は防犯意識が薄い。危険なもの、害になるものを平気で導き入れてしまう。泥棒や詐欺師を招き入れてしまう。小さい頃からそうだ。防犯意識を高めよう。真面目に生きるということも防犯につながる。おかしな奴と仲良くしてしまう。危険や不利益を招く奴とは一切付き合ってはならない。女は100%私に危険をもたらすので近付けてはいけない。



2005年08月01日(月) 真面目

 真面目が一番だ。真面目であれば誰も文句は言えない。女が嫌いだ。今まで頑張ってきて結局駄目だったのだから余程合わないのだ。嫌いなのだ。もう良いんじゃないか。自分を許してやろうかと思う。この大嫌いな女と付き合うという重荷を免除しようと思う。その代わり命がけで自分を守ろうと思う。俺がこんな境遇になったのは女のせいだ。絶対に許すことはできない。どうあっても必ず衝突せずにはすまない。俺も嫌いで向こうも嫌いだ。絶対に近づくべきではない。うまくやっていこうとしても絶対にうまく行かない。嫌いだからだ。大嫌いだからだ。もう自分を許そうと思う。嫌いなものは嫌いで良いと。
 女が喧嘩を売ってくるなら喧嘩上等だ。いくらでもやってやる。自分の身は自分で守るのだ。ほっといてうまく行ったか。五年間いじめ続けられた。女だから男をいじめても良いのか。頭に来た。必ずはっきりと反撃してやる。
 私は統合失調症でもうつでもノイローゼでも人格障害でもアダルトチルドレンでもない。お前らが頭おかしいだけだ。以上。
 自分の身が守られていると考えるのが間違いで、自分で守らないといけない。私が女嫌いなのはすぐわかる。だからいつでも臨戦態勢でなければならない。喧嘩上等。いつでも戦う。
 もう全ての問題は解決した。真面目に働き真面目に遊ぶ時が来た。40代が一番楽しいらしいのにババアのせいでほんとに苦しく死にかけた。本当に殺してやりたい。許すとか仲良くするとかありえない。戦って戦って戦い抜くぞ。キチガイはお前だ。いい加減にしろ。
 良い人はもう止めた。バカみたいだ。あのキチガイババアみたいのが現れたら全く無力だ。ナチスと仲良くしようとしたイギリスみたいなのは駄目だ。戦わないと。あんなキチガイと一緒にいるだけで頭おかしくなる。


 < 過去  INDEX  未来 >


リスパ

My追加