竜也語り

2005年06月16日(木) 雑誌「お日柄もよく…(82)&(11)」

●(82)誕生日

写真はちょっといつもと感じが違うもの。とは言っても着ている服とか髪型などは同じなのだが、珍しく全身の立ち姿なのだ。だからパーツが小さくなってちょっと人形(?)みたい(笑)。

23歳になったことの報告。誕生日当日は「近代能楽集」の稽古初日だったようで、こんなことは初めての体験だったそうだ。誕生日当日に舞台に立っていたことは以前にあったけどね。蜷川さんにはその日『三島由紀夫が死んだ日』という本をもらい、スタッフからも似顔絵入りのケーキのプレゼントがあり、皆に祝ってもらったのはよかったけど、楽しみはここまで。それからは2回の本読みやら演出の違いの戸惑いやらで大変な誕生日だったもよう。稽古後友人と飲む約束をしていて、家で1時間ほどの仮眠のつもりが「3時間くらい気を失ってた!」だそうだ(笑)。「飲んでいても、翌日のけいこのコトが気になって落ち着かなかったです。そんなはじまりだから、23歳の抱負はまだ考えられないですねぇ。」 でもそんな中1つだけ頼もしい(?)抱負が。「あ、ただ英語はそろそろ本格的に始めたいかなぁ。仕事で外国の方と触れ合う機会が多いので、必要性は感じてるんです。」 やっと本気で考え出した?今回は長く続けてね(笑)。


●(11)憧れの人と…

写真は上半身の笑顔なのだが、お肌にプツプツと…。特に鼻の下の大きなデキモノが気になって…こんなの珍しいのではないかな…。

映画「スチュアート・リトル2」が公開になった頃のもの。竜也くんの言う“憧れの人”とは“ナウシカ”。正確に言えば「風の谷のナウシカ」でナウシカ役を演じた声優の島本須美さんのことだ。「うれしかったなあ。ちょっと涙が出るくらい感動しました。ボクが面白いなあと思って何度も観た作品の主人公と共演できるって、なんだかとても素晴らしいことだと感じました。」と感激もひとしお。ちなみに今度共演してみたいのは「ルパン三世」の峰不二子なんかいいみたいだ(笑)。「どんな形にしても、好きな人と共演できるのはうれしいものです。」と言いながらも「いくら好きだといっても、ドラえもんとCGで共演したいとはあんまり思わないですけどね(笑)。」へっ?いいんじゃないの?ドラえもんとの共演。座興としてこういうのもさ…。
ところで竜也くんがおすすめ(?)する「スチュアート・リトル2」の楽しみ方。「前作も主人公の声を担当したんですけど、その時は僕もまだ16歳で、今とはちょっと声が違う。聞き比べてみたりしても、面白いと思いますよ。」 そうですか…(1)は全く見ていないし、先日放送された(2)も実はじっくり見ていない…(汗)。いつ観賞することになるか分からないけど、ちょっと頭に入れておくね。



2005年06月14日(火) 黎明前(23)

☆雑誌☆


●「Duet」1998年7月号〜“天然。”だから、無敵。〜

写真はまず全身の大きな写真が1枚。髪の毛が少し伸びている感じがする。「サイバー…」の役どころの制服姿でとても都会的な高校生に見える(笑)。後は細かい写真がちょこちょこと。この中に視線を少し斜め下に向けているアップの写真があるのだが、お美しいですね〜。他に収録の合間に畳の上で寝ている写真がある。この写真の下に載っている竜也くんのコメント「寝る子は育つって言うけど、ホントに伸びたんです(笑)」とするとこの頃身長が172cmから178cmに達したのでしょうか…。最後に通りでネコを遠慮がちに撫でている写真。好きな人はこうやってそこら辺のネコをかまってしまいたくなるのだ。

これも「サイバー…」の撮影現場を取材したものである。午前8時に記者が現場に到着すると竜也くんはもうその場所にいたらしい。ドラマの撮影って朝早いのね。スタジオにある純和室の控室に上がるといきなり大の字になり「いやー、畳はやっぱりいいや。触った感じといい、ニオイといい…秩父の実家に帰ったみたい」その通り!私も畳の感覚が大好きだ。畳のよさがわかるなんてやはり竜也くんはオバの心をくすぐります。
寝ている竜也くんに記者が台詞は大丈夫なのかと心配して尋ねると「あのね、ボクの場合は収録の前の晩によーく台本を読み込んでるから大丈夫なの。当日の朝、割り本にサッと目を通せばもうカンペキ。」と自信たっぷり。どんな仕事でも台詞は前もって完璧に覚えていくようで。監督の「おいっ、自分の不幸な出生の秘密を知ったやつが、そんなにケロッとしているか?」という厳しい指示が飛びかったが竜也くんはひるまない。荒波のように押し寄せるスタッフの注文も難なくクリアしたそうだ。こうやって精神も鍛えられえいったんだろうな…。


●「Wink up」1998年8月号〜ひまわりを持った少年〜

ドラマ「凍りつく夏」の放映直前のもの。写真は祐介の姿でひまわりの後ろに立っている笑顔のものと、もう1つこれまた大きな写真だが、これも祐介を表現しているのだろうか?制服姿ではないのだが憂いをおびた無表情という感じで視線を下に落としている。「サイバー…」の頃よりはまた少し幼くなったように見える。こちらの写真の方が好き。少し下を向いているので顎から頬にかけてのラインがぷくぷく〜と可愛いのだ(汗)。これがおっさんだとただのたるみになるのだが…。

インタビュー形式の記事。「『凍りつく夏』の役どころは?」という質問に対し「ボクが演じるのは次男の祐介で資料の言葉通り説明すると…」と本当にこの後資料通りに説明してくれた(笑)。
「凍りつく夏」の収録中、舞台「身毒丸」の日本公演も並行していたのだが、話が舞台のことに及ぶと少し活き活きしているように感じ取れる。「舞台はすっごく楽しみ!去年ロンドンでやったときの反省点がわかってるから、今年はもっとスゴイことをやってやろうって…」とこの後も竜也くんの熱い舞台語りは続く。私は「凍りつく夏」は見たのだが、祐介役は好きである。竜也くんの全ての作品の中でも(とは言ってもドラマに関してはまだ見ていないものが多々あるのだが)ベスト5に入るかも。しかし竜也くん本人はひょっとすると「身毒丸」だけに集中したかったのではないかなぁ…とこれを読んで感じた。



2005年06月12日(日) 舞台「近代能楽集・弱法師」埼玉公演6月11日

◎昼・E列20番台 夜・G列20番台


ネタバレありありです。
この日は昼・夜2回の観劇だった。いつもなら観劇の回数を重ねるにつれ、段段と少しは冷静になってくるものだが、今回はどんどん高揚してくる。しかし毎回感じることだが、俊徳が登場する前、級子が「よございますね…」と言う辺りから皆さんソワソワしだしますな(笑)。「ここへ俊徳さんをお連れ致しましょう」早く私にも会わせてーっ!! 俊徳の登場の瞬間は本当に劇場の空気が雑多に動く…。俊徳が薄化粧をしているのがまたいい。すぐにこの化粧は汗やら涙やらよだれやらで跡かともなく崩れ去るので、前半のこの美少年俊徳は貴重だ(笑)。

2組の両親の前で尋常ではない言動を披露し産みの親を絶望させる俊徳。これらの言動は表向きには親に向けられているようだが、俊徳の意識は絶えず級子の方へ向けられているように感じられる。両親に見せつけていると言うよりは、級子に見せつけているような…。
“あの子の持っている毒に気を付けなさい”2組の両親はあれだけ狂人的な俊徳を感じた後もまだ俊徳を欲しがっている。川島などは15年も俊徳の狂気と付き合って、手におえず殺そうと思い詰めたことまで告白しているのに、それでも俊徳を離そうとしない。 “僕ってね、どうしてだが誰からも愛されるんだよ”

2組の両親を追い出し、やっと思惑(?)通りに級子と二人だけとなった。“この世のおわり”に入る前にひとしきりの二人の会話がある。「あいている目は形だけしか見ないからですよ」俊徳のこの意味深な言葉が印象的だ。
やがて真っ赤な夕焼けが訪れる。綺麗な入り日だと感嘆する級子に俊徳は妖しく誘いをかける。「これだけが見えるんです。はっきりと……僕は確かにこの世のおわりを見た。……僕の目を炎で焼いたその最後の炎までも見た。……何度か僕もあなたのように、それを静かな入日の景色だと思うとした。でもだめなんだ……」私はこの辺り、何故か涙が出そうになった。こんなことは「弱法師」を観て初めてのことである。竜也くんはこの時殆んど動きはない。じっと前方を見据えて静かに低い声で喋っているだけだ。もしかしたら観ているこちらの精神状態が反映されているのかも知れない。私だって人並みに鬱然とした気持ちになることもある。2,3日前に付いたその青あざを俊徳が押すような…そんな残酷さが含まれている俊徳の声だった。

この後俊徳の快感はどんどん登りつめていく。おそらく大人達は知らない、自分しか知らないであろう人間の正直な声、薔薇色の美しい屍、そしてこの世の終わりの瞬間。それを自分は知っている優越感と快感。「見える?見えるだろう?」級子にもこの快感を感じさせるように何度も級子に確認する。俊徳の恍惚が最高潮に達し、最後にそれを全て身体の中から出して、俊徳ははてた。
「この世のおわりを見たね。ねぇ、見ただろう、桜間さん」きっと級子も快感を得たはずだ。そんな俊徳の高慢を級子はへし折った。初めての拒絶に、嘘ばかりついている女は嫌いだ!あっちへ行け!と激昂する俊徳。俊徳が言うように級子は嘘をついたのだと私は思う。たぶん級子もこの世のおわりを見たはずだ。だがこの世のおわりを俊徳から奪うことが自分の役目と宣言する級子。
「それがなくては僕が生きていけない。それを承知でうばおうとするんだね」
「ええ」
「死んでもいいんだね、僕が」
「あなたはもう死んでいたんですよ」
「君は嫌な女だ。本当に嫌な女だ」
「それでも私はここにいますよ」
このほんの一時だけ俊徳は敗北し、そして俊徳をこちらの世界へ戻すチャンスだったような気がする。
「君は行きたいの?」瀕死の状態で俊徳は級子に尋ねる。…“あの子の持っている毒に気を付けなきゃいけませんよ”…
「いいえ、ずっとあなたのそばにいたいわ」…級子のこの言葉を聞いて俊徳は息を吹き返してしまった。竜也くんの演技が私にそう感じさせたのだ。

「何かつまらない用事をたのめばいいんだね」「柔らかい手をしているんだねぇ」あの甘ったるい声で性懲りもなく級子を誘う俊徳にぞっとした。お腹がすいたからと食べ物を要求する俊徳。「僕、腹が空いちゃった」これがまた小面憎い。ここで待っているように言い聞かす級子に「うん」と微笑みながら頷いている俊徳。そして部屋を出て行く級子に向って「僕ってね…どうしてだが、誰からも愛されるんだよ」結局俊徳はまたもとの世界に戻ってしまったように見えた。


***今日の俊徳チェ〜ック***
・最後の「もうだめだ!火が目の中へ飛び込んだー!!」の絶叫に入る前。その自分の目を焼く炎を描写する俊徳の少し静かな演技がいい。この静の部分が一気に最後の絶頂を高めてくれる。こちらも一緒に絶頂…なんてね(笑)
・カーテンコールは昼は3回、夜は4回。私も自分の正直な気持ちのままに手を叩き続けていた。3回目と4回目の幕が上がった時、竜也くんはもう帰りかけていて、慌てて戻って素敵な笑顔を見せてくれた。



2005年06月10日(金) 小説「蹴りたい背中」

この小説も去年芥川賞を受賞した若い女性の作品だ。「現実世界で自分の使う言葉にも敏感になっていたい。」と作者が話しているが、だからなのか、前半は言葉にこだわりすぎて、ものの描写に少しくどさを感じた。後半は比較的テンポよく言葉が流れていったように思う。

唯一のクラスの友人に離れられてしまった女子高生・初実。休み時間もお弁当を食べるのもいつも独りだ。いくら孤独を愛する女性でも、この年頃の女の子にとってこれは辛い。初実は同級生のレベルが低いから、グループに属するのが嫌だから好んで独りを楽しんでいる(実際は楽しんでいるふりをしているだけ)とつぶやいているが、でも所詮それは初実の心の中での独り言。誰もそんなふうに初実を見ていない。しかしこの独り言だけが初実を支えている。でもやはり辛い…、教室で独りポツンとしている姿を同級生に見られている恥ずかしさ…。友達がいないという孤独よりも、そんな孤独な姿を同級生に見られることの方がより耐えられない…そんな気持ちが上手くこちらに伝わってきた。

同じようにクラスで友達のいない男子・にな川。ひょんなことからにな川と行動を共にするようになった初実は、彼に対して不思議な感覚を覚える。そこら辺がこの「蹴りたい背中」というタイトルに含まれているのだろう。自分のタイプの男の子ではないんだけど、絶対につき合いたいなんて思わないんだけど、それでも彼が今傍にいる自分の存在を無視し背を向け、他の女子のDJを聞いている…その彼の背中。その背中を名状し難い衝動に駆られ思いっきり蹴る。そうか、こんな時は背中を蹴ればいいのね(笑)。認めたくないけど相手に対する好意は自分の中に存在しているのに、なのに何故か憎たらしくて…無性に相手を痛めつけてやりたい…。じゃぁ、どうしようか…。頭をぶつのではつまらない。普通すぎる。お尻を蹴っ飛ばすのでは、これではちょっと色気がない。では背中を蹴ってみようか…。作者の感性に感心。

ところで初実が蹴りたい背中の持ち主・にな川であるが、この男子はファッションモデルの女性・オリチャンの大ファンという設定だ。同じように芸能人の大ファンである私は、このにな川というファンの姿がどのように描かれていくのか…これに興味を持った。男と女であるので、その珍動(?)はまた少し違ったものであるが、それでもファンの心理の根底は同じである。この小説の中には、そんな“ファン”という族に対する作者の痛烈な一撃がある。これは実際誰か芸能人のファンであるならば誰でもある程度気が付いていること。でも敢えてそれをどこかへ押し隠し自分で見えないようにしている事実。
「“オリチャンから与えられるオリチャンの情報”だけを集めているんだ。実際の生のオリチャンを知らずに。」
自分でもそんなことは重々理解しているつもりだが、このようにはっきりと活字にされると少し凹む(笑)。…でもね、オリチャンの言葉だけから情報を得ることがファンとしてのルールなのよ。むやみに自分から偵察して相手の深いところを見ようとしてはいけないの…。そんなことを活字に向かって語りたくなった(笑)。



2005年06月08日(水) 舞台「近代能楽集・弱法師」埼玉公演6月5日

◎さいたま芸術劇場 C列10番台


ネタバレありです。
4年ぶりの再々演にあたって竜也くんも、ある意味蜷川さんも危惧していたこと…“竜也くんはもう少年ではない…”この日4年ぶりに俊徳を観たが、思ったより前述の不自然さは感じなかった。俊徳を演じている時の竜也くんは20歳になる少年に見えていたと思う。特に級子に媚びたような声で甘えるようなしぐさやその表情などは。しかしカーテンコールに立った時はちゃんと青年に見えてしまうところが不思議を言うか、さすがと言うか…。

さて、この「弱法師」は私が竜也ファンになって初めて観劇した演目である。であるからこちらにも思い入れというものがあるのだ。4年前と比較することがいいことであるのか、邪道であるのか分らないが、でも私の場合、前回との比較も感想の一部であるので…。
まず冒頭の演出が違っていた。前回は級子が一人家庭裁判所の机に座っているところで幕が開き、2組の両親が通路から登場するという演出だった。この時の4人を迎え入れながらゆっくりとおじぎをする級子(高橋恵子さん)の物腰がしっとりしていて、しかし調停員としての毅然さも備わっており、私が印象に残っているシーンの1つだったが、今回は幕が開いた時点でもう5人が揃って部屋に座っていた。
そして竜也くん。4年前に比べ随分と縦横無尽に声色を使い分けていた。高低強弱と…。これは前回の方が好きであった部分もあるし、今回の方がよいと思った部分と様々であった。「お母さん…虫けら。」この台詞は前回の方が好きだ。より強い拒絶を表したかったためか、今回は少し声が低すぎるような。確か前回は甘ったるい声色でこの台詞を発し、それが人を小馬鹿にしている態度を上手く表現し、俊徳の優越がよく伝わってきた。そしてちょっとがっかりしたこと。それは俊徳が登場し、級子に自分の右側にいるのが産みの親であることを伝えられた時の俊徳の反応。今回は表情を動かさず微動だにせず、ただ真っ直ぐ前を見据えていたが(これもやはり俊徳の強い拒絶の強調か)、前回はほんの気持ちだけ産みの親の方へ顔を向けたのだ。そして冷たく一瞥をくれた(とは言っても目は見えていないのだが)。この時点で俊徳はまだ黒いサングラスをかけた状態であるが、その冷酷な目が何故か手に取るようにこちらに伝わってきた。前回のこの俊徳の表情が私はとても印象に残っており、大好きなシーンであったのだ。
竜也くんは今回の公演前、10代の頃のようなあの激しさを失ってしまっているのではないか…と不安そうだった。これがこういうことなのだろうか。確かに目を見開く狂気的な表情は少なくなったように思える。しかしそれに代わって多彩な表情が新たに生まれてきているわけで。かえって表現の幅が出てきたということだと思う。そして最後に私が最も竜也くんの成長を感じたこと。それは外見的なことなのであるが…白いスーツがキマリすぎ!似合いすぎ!カッコ良すぎ!(笑)。前回ももちろん素敵であったが、ほんの少しスーツがダボダボしていた感じだった。そしてそのことが、このスーツが俊徳の意思に関係なく育ての親に着せられてきたものであることをこちらに想像させ、いくら主導権を握って周りを困らせてはいても、俊徳の不憫さを引き立てた。

…ともう感じたことは山ほどあるのだが、何せ私も1回目の観劇であり、気が付いていないことが沢山あるはずなのだ。それは追々書いていこうと思う。ちなみに今回の級子役の夏木マリさん。想像していたより普通だった。もっとえぐい級子を期待していたのだが(笑)。でもポイントの台詞「いいえ、見ないわ。」本当はちょっとだけ級子は“この世の終わり”を見たのではないか…?それでも敢えて拒絶した。そんな感じが伝わってくるような、決意の強い眼差しをこの台詞前の間に見せたように思えた。


***今日の俊徳チェ〜ック***
・煙草はふかしているだけねん。喉を大事にしているのでしょう。
・泡ふく熱演。でもこんなところ大好き♪
・カーテンコールはいたって静かなもの。少し笑顔を見せてくれた。



2005年06月03日(金) 雑誌「お日柄もよく…(81)&(10)」

●(81)赤い疑惑(2)

写真はまたまたあぐらをかいているもの。笑顔ではありません。

「赤い疑惑」の後半のお話し。「ボクは『赤いシリーズ』自体を知らない世代なんですが、」…バリバリの赤いシリーズ世代の私にとっては、これはちと淋しいコメント…。
今回の「赤い疑惑」は時代設定も当時の70年代のままにしてあるようだが、「セリフの言い回しや言葉遣いに関して、今の若者はまず使わない表現だし、聞いたら抵抗感あるのかなぁ、なんて最初は思ってたんですけど、実際に演じてみたら、違和感なくこの世界に溶け込んで行けたんですよ。」私は古典を演じる竜也くんのあの美しい日本語を聞くのが大好きなのだが、70年代は巷でどんな感じの日本語が喋られていたのだったかな…。もう忘れてしまったが、まぁ古典と言う程ではないが、ちょっと時代遅れ(?)の日本語を語る竜也くんを堪能出来るのかぁ…。また1つ楽しみが増えましたな。
今回竜也くんは、演劇や映画とはまた違った面白さを体験出来たそうで、「初めてですよ。こんなに楽しんでどういう芝居をしようか、相手はどう出てくるのかと、期待しながらスタジオに入ったのは……」と楽しく仕事をこなしたようだ。余談だが、「現代劇に出演するのもかなり久しぶりのことでしたが、」って…なんが時代劇俳優のようなことを言っていた…。


●(10)トレーニング

写真は腰から上の立ち姿のものが1枚。斜め下を憂い顔で見つめているもの。この写真、何故か竜也くんの骨盤(?)の幅の無さが目に留まる。写し方の角度によるのかも知れないが、細いし、華奢だし…(汗)。

「いら夏」撮影真っ只中のもの。この年の夏は猛暑だったかな…?「この頃はドラマのロケでずっと鎌倉にいるんですが、兎に角暑い。『鎌倉っていいところでしょう?』ってよく聞かれるんだけど、朝から晩まで撮影しかしてないから『鎌倉は暑い!』っていう印象しかないです。」と鎌倉の情緒を楽しむ余裕はなさそうだ。そんな暑さの中、竜也くんはジム通いを始めた。このトレーニングの甲斐があってか、このドラマの後の舞台「エレファントマン」ではわりと筋肉が付いていた。舞台中のメリックの写真と共に「竜也…肉体美」なんてタイトルを付けたスポーツ新聞もあったような…。この竜也くんが通っていたジムは、スケートの清水選手などが通っている有名なプロスポーツマンばかりが行くジムらしく、竜也くんは知り合いのラグビー選手に紹介してもらったようだ。皆さんウェイトの重さと鏡しか気にしていないような状態で、ただ黙々とトレーニングをしているそう。「そんな人たちに交ぜてもらい、コツコツとトレーニングしてます。……アミノ酸を飲んだりしながら、ただひたすら鍛えてますよ。だからって、急に重いものが持てるようになったり、ムキムキのカラダになったりはしないんですけどね。」とちょっと言い訳(?)らしき言葉を最後に付け加えて。でもそんなマッチョな男達に囲まれている竜也くんも絵になるかなぁ…と。…スイマセン…悪趣味でした…。



2005年06月01日(水) 舞台「メディア」

◎B列一桁番台

女は一度母親となってしまったらもう女として生きることは許されないのだろうか。現実の世界でも母親が女として生きてしまったがために生まれた悲惨が比較的多いような気がする。
自分が恋した男・イアソンを英雄にのし上げるため、メディアは実弟までも殺害し、イアソンと二人祖国を捨てここコリントスへ逃れて来た。メディアの助力によりめでたく英雄となったイアソンは、メディアとの間に二人の男の子までもうけるが、出世欲の強いイアソンはコリントス王の娘との結婚話にいとも簡単に乗ってしまった。裏切られたメディアは憎しみに捕らわれた阿修羅と化し、自分達の子供を自ら殺害するという形でイアソンへの復讐を遂げる。

イアソンへの愛があまりに強すぎたため、イアソンへの恨みつらみをぶちまけ、いかに自分が不幸な女であるかと嘆くメディアを演じる大竹しのぶさんは圧巻。その姿があまりにも激しかったのでメディアに対する同情心はあまり沸いてこなかった。自分が仕出かした“子殺し”という重罪を全てイアソンの裏切りのせいにして、支離滅裂な論理で自分を正当化し、挙句に「嗚呼、なんて不幸な女だろう!」と叫ぶメディアの姿はある意味あっぱれ(苦笑)。

自分を正当化することに長けているのはメディアだけではなく夫・イアソンも然り。ああ言えばこう言う…二人の正当化合戦は理屈抜きで面白く、彼等の勝手な言い分がまっとうな考えのような錯覚に捕らわれる。本当にお互い勝手なことを言っているのだ。愛情深い人間関係を築こうとするならば、その瞬間に破綻を期するであろう理論を平然と捲くし立てるのだ。彼等のそんな禁句が意外にも裏の実に思えてくるのは、大竹さんの取り付かれたような演技と、イアソン役の生瀬さんの低く響き渡る説得力ある声の成せる技?

最後までメディアは子供の殺害を悩みぬくが結局二人の間に授かったものを抹殺したことで彼への復讐を遂げた。自分の悪行によって他人に殺されるくらいなら、いっそ母親の自分の手で…と一見子供達を想う母親らしい理屈だが(まぁこうやって自分に言い聞かせなければメディアは子供を失う悲しみのあまり発狂していたのかも知れないが)、でも私にはメディアの女の命が子殺しに走らせたと思えてならなかった。結局イアソンに母親としての自分より、女として自分を踏みにじられたことが許せなかった気持ちの方が勝ったのだと感じられた。

メディアは子供を殺害する前に、王の娘・イアソンの婚約者も毒殺している。だがイアソンのことは生かしたままだ。子供を殺害することでイアソンの血筋を途絶えさせる…イアソンにより深い生きる苦痛を与える…という復讐の形なのかも知れないが、どうして女は自分を裏切った男より、その相手の女の方に強い憎しみを持つものなのだろうか。さてここで究極の選択。私だったら…どちらかを選べと言われたら、十中八九男の方を殺害することを選択すると思う(←現実にそんなことはしませんよ(笑))。 そりゃ自分の婚約者や子供を殺害されれば男は嘆き悲しむだろう。しかしその絶望が永遠に続くとは思えない。時間はいつしかその絶望を希望に変え、男はまた新しい恋をし、そして子供をもうけ…なんていう日が未来にやって来るかも知れないのだ。だったら…なんてことを考えながら観劇していた。

今回の舞台は舞台一面に水が張り巡らされていた。当然水に足を取られ役者達は皆動き辛そうだった。劇の冒頭、子供達が小船に乗って遊んでいる場面がある。子供達は悠々と水上を滑って行った。そうなのだ。水面は船に乗れば楽に移動出来るのだ。それを知ってか知らぬのか、無理に水の中を歩いている大人の姿が、自ら好んで憎しみの渦に飛び込みもがいている人間の姿と重なった。


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