チャックルの日記
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2005年08月30日(火) あやちゃん、ありがと!

アパートの下の家は4人家族。両親と女の子2人。上の子が6才のあやちゃん。


あやちゃんは、私がアパートに引っ越した月に生まれた。
小さい頃からちょこちょこと顔を合わせていたせいか、
それとも彼女の持って生まれた人懐っこい性格のせいか、
物心つくあたりから、キチンと明るく挨拶をしてくれるようになった。


あやちゃんのお母さんはまだ20代と思われる。
愛想のいい人で、お互い挨拶を欠かさない。
ただ、恐らく元ヤンキーだったと思われ、
日常の家族の会話にその片鱗が覗き見られる(^_^;)


あやちゃんはそんなお母さんによく怒られている。
「いい加減にしろよ!」「なんでそんなことしてんだよ!」
聞いていて胸が締め付けられるような汚い言葉でののしられても、
あやちゃんは反抗することなく素直に育っている。


そんなあやちゃんが、今日私が車で外出から帰ってきた時に、
駐車場の前で自転車に乗ってお友達と遊んでいた。
私が車から降りるとすかさず
「こんにちは!(^-^)」
と挨拶してくれた。こちらも負けずに
「こんにちは〜!」
と返す。するとあやちゃん、つかつかと寄ってきて
「これあげる」
と何やら手に持ったものを差し出した。見ると、コアラのマーチの小袋。
「いいの?」
と聞くと、
「うん!」
と明るくうなずいて走って行った。


それだけのことだけど、とっても嬉しくて胸が熱くなった。
得体の知れない、ただ上に住んでいる人、というだけの私に
お菓子を分けてくれるなんて・・・子供心にでも私のことを
信用してくれているからできることだよね。有難い。
このコアラのマーチは食べられないなぁ、としみじみと眺めて思う。


妹思いで優しくてかわいいあやちゃん。
お母さんのお叱りにもめげることなく、いつまでも素直に育ってね。
お姉さん、いえおばさんはいつまでも見守っているからね(^-^)


さて、今度あやちゃんに会ったらお礼に何をあげようかな。。。


2005年08月29日(月) 自分の気持ち、再確認!

なんとか重い気持ちと体を奮い立たせて病院に行ってきた。
12時ジャスト(^_^;) それでも4人も待っていて、
順番が回ってきたのは1時過ぎ。遅れて行ってよかったみたい(^-^)


まず、先生には
「パソコンの方はどお?」
と聞かれ
「ますますハマッてます」
と正直に答えたところ、チャットをやる上での注意点を
トートーと説かれました。よほど私のやり方が心配と見えます(^_^;)
目からうろこの話もあり、大変参考になりました。先生、ありがとm(_ _)m


次回の診察日の確認時点になって、そろりそろりと聞いてみた。
「10月復職となると、次回5日の診察日には先生の判断を仰ぐことになりますが、
現時点での先生のお考えはいかがでしょうか・・・」
もしここで否定的な意見を聞いたなら、恐らくへこんでしまっていただろう。
ところが、予想に反して先生は
「今、貴女が復職の診断書を書いてくれと言われれば書けますよ(^-^)」
という明るいものだった。
「あとは貴女の復職に対する気持ち次第、だよ」
と言われ、なんだか責任重大だなぁ、と人事のように思ってしまったのはいつものこと。


そこから、復職に対する今の不安を吐露する。
・今の職場に戻りたい
・でも、上司(女性)と上手くやっていける自信はない
先生は、最終的にどちらの欲求が勝つかだ、とおっしゃる。
女性上司がいても戻りたいか、女性上司は避けたいから異動を希望するか。
難しい選択だから、今週一杯かけて考えてみることになった。


さらに今週は、復職に向けての自分なりの準備をやってみようと思う。
例えば、出勤時間をずらしてでも会社に行ってみる、とか、
以前先生が言われたような、一日外出して時間を潰してみる、とか。


何が有効で、何をやればいいのかは分からないけど、今までのように
家に閉じこもってばかりでは何の利益もないだろうから、
とりあえず外に出てみることにする。


病院からの帰り道、運転しながら気持ちが弾んでいるのに気が付いた。
原因を探ってみたところ、先生に「復職の診断書を書ける」と言ってもらえたことと、
それを聞いた自分が、復職できるまでに回復したことに喜んでいることと、
復職を望んでいることに、気が付いたこと。


実は今までほんとうに自分は復職したいのか疑問だった。
ほんとうは、今の、お金には窮してきたけど穏やかで心地のいい生活から
自分は抜け出したくないのでは?
と疑いの目を向けていた。いくら考えても答えは出なかった。
それが、復職を不安にさせる要素だったのかもしれない。


ところが、今日先生と話したことで、やはり自分には復職したい気持ちがあるんだ、
ということが再確認できた。
回復できたことがもちろん一番嬉しい。でも、それと同じくらい、
復職できる、ということに喜びを感じている自分に安心した。


1年3ヶ月に及ぶ休職生活。辛い時期もあったけど、10年余り働いてきて、
こんなに自由で穏やかだった日々はなかった。
でも、もうそろそろ抜け出してもいい頃だよね。十分充電したはず。
もう回復してきたんだから、これ以上ぬるま湯に浸かっていたら
ほんとうにダメ人間になりそう。
やっと先生に背中を押してもらえたんだし、
もう一度やり直すために、10月復職、必ず成し遂げなくちゃ。
明日からいろいろチャレンジしてみよう!


2005年08月27日(土) 復職に向けての心構え

今日は、母がおばあちゃんのお見舞いに田舎に帰ったため、
父の夕飯の面倒と戸締りのため夕方から実家に行った。


以前、離婚した友達が、
「食事は食べてくれる人がいるから作るんだって、離婚してから知った」
と話していたけど、確かに普段は面倒でなかなか作らない私が、
父のためにメインとサラダとお味噌汁をちゃかちゃかと作った。


母は当初、
「食事は(父が)適当に食べるだろうけど、戸締りが心配だから気が向いたらで来てね」
(父は部屋中開けっ放しで寝るからとても無用心なのだ)
と言っていた。本当は夕飯も頼みたかったんだろうけど、気を遣ってくれたのだ。


調子も悪くないし、『義務』と思うと気が重いから気楽に私から「作るよ〜」と
言ってあげたら喜んでた。


実際八百屋に寄ってから実家に着いてすぐに作り始めて1時間弱、
大した物は作れなかったけど、自分的にはとても満足(^-^)
父も母には言わない「ありがとう」を言ってくれたし(笑)
(たまに作る私なんかにはいいから、母に言ってあげればいいのに!)


父とは食事の間も終わった後も、復職のことについて話し合った。
一番父が気がかりなのは、復職後与えられた仕事に対しての私の反応だったそう。
「もし大した仕事じゃなくても。こんな仕事、と腐らないように」
と心配して言ってくれたけど、私はむしろその逆。
責任のある仕事はもう嫌。むしろお茶くみでもいいと思うくらい(^_^;)
だから、どんな仕事でも喜んでします、というのが今の心境。


あと、「今までの二の舞は踏まないこと」。
自分の出来ない仕事や、これ以上は無理、という量の仕事がきたときには
きちんと断ること。相手に何と思われても、ここを譲ってしまっては
休職前と同じ結果になってしまうから、無理な時には断ること。
これを念押しされた。


できるかな・・・。頭では分かっているけど、自信ないなぁ。
今まで自分が頼んで断られる方だったから、断られた側の気持ちが
痛いほどよく分かっちゃうから質が悪い。
でもそれを割り切って断れるようにならないと、1年以上も休職した意味がない?!


10月復職が今の目標。下半期開始でキリがいいし暑くもなく寒くもなく、
時期的に最適だと思う。
仮に10月に復職するとなると、来月の第二週目には会社に連絡を入れることになる。
それをするためには、あと2回の診察で判断してもらうことになる。
先生は、何と言うかな。今の私の自信のなさがネックになってしまうかな。
復職したいようなまだ無理のような・・・行け!と言われれば飛び込める感じ・・・
お願い!誰か、背中を押してください!


2005年08月25日(木) 目下の悩み

最近毎日のようにチャットに参加している。


参加者が少ない部屋な上に毎度決まったメンバーしか集まらない(笑)から
お陰ですぐに顔馴染みになった。
今のところみんな老若男女入り乱れてもいい人ばかりで安心して楽しんでる。


そんな中、一昨日仲間の一人(女性)が写真を送ってくれた。
その前にはマイクを使って声だけはお互いお披露目していたけど、
まさか写真まで披露してくれるとは思わなかった。
それも、かなりアップで、多分町で見かけたら分かるんじゃん?て感じ。
(みかけることは絶対ないけど(笑))


驚いた!ネットの中ではお互いは信用しないものだと聞いていたから。
ましてやチャットでしょ?ブログと違って人によっては適当なことを
言いたいことだけを言ってその場を去るとか他人に成りすますとか、
そういう危険性だってあるのに・・・。


でも、そんな中送ってくれたというのは、私を信用してくれたのかなぁ、
と正直に嬉しくなった。
他にもカメラで顔を見せてくれた男の人もいるしね。


ただ、その代わりというのか、「見せて〜」とおねだりされている。
女の人はまだいいけど、男の人はねぇ。
かなりチャットで話していて悪い人ではないことは分かった。
見せてもいかなぁ、という気持ちにはなってる。


問題は、何をどう見せるか、だ。
カメラは一時的だからその方が安心かもしれないけど、
下手したら部屋の中も映るし、素顔を公開するのも気が引ける。
その点写真はちょっとピンボケの遠目のやつを使えば
なんとか言い訳できそうだけど、悪用?されないかちょい気になる。
じゃあしなきゃいいじゃん、て話だけど、
それはそれでやりたい気もするし・・・(^_^;)


・・・あぁ、実にくだらない悩みだ!今日は平和かな。。。


2005年08月24日(水) 見たよ、ガイアの夜明け

昨日放送したものを、ビデオにとってさっき見た。


半分くらいは直接うつ病とは関係のない話だったけど、
いい情報としては MDA JAPAN の存在を知ったこと。


復職を支援する講習会などの活動をしている団体だから、
私も参加してみる意義はあるかも。
ちょっと遠いから通うのが大変だけど・・・。
まずは資料請求かな。それから先生に相談して、だね。


全国でうつ病患者は約70万人以上いるらしい。
その中の一人かと思えば、仲間がたくさんいて心強い?!


気になるのはやはり会社の対応と自分の適応能力。
一応わが社は保健士と産業医との二段構え
(何のために保健士がいるのかは分からないけど)
だから、対応はしっかりしているのかな?
とすれば問題は自分、か。


自信をつけるためにも先の講習会に参加してみた方がいいのかも。
集中力を取り戻すために講習会では小学生レベルの簡単な計算なども
しているらしい。
それくらいなら家でもできそうだけど、知らない人の中でやる、
ということが大事なのかも。
今は決まった人としか接していないし、会っても少人数だから、
職場を想定してある程度人のいる場所で何かをやることは大事だね。


とりあえず資料請求だけしてみようか。あとはそれから。。。


2005年08月22日(月) 今日の診察内容

やはり今朝も時間通りには起きられず、9:30になって仕方なく(!)起きた。


なんで月曜日は起きられないんだろう。ゴミの日はちゃんと8時に起きて、
その後も寝ることなく新聞読んだりご飯食べたり普通に過ごせるのに。
やっぱり『やらなきゃいけない』というのがプレッシャーになっているのかな。
だとすると、復職なんて無理じゃないのかぁ?(泣)


今日はその事には触れず、2週間の様子をかいつまんで報告。
・ゲームセンターに行ったこと
・友達と1年2ヶ月ぶりくらいに会って8時間位一緒にいたけど
 疲れなかったこと
・彼と会った時ケンカして怒鳴られたことで苦しくなったけど
 仲直りしたら楽になったこと
・チャットやってたらウィルス対策ソフトの導入を勧められて、
 その場ですぐに買いに走ったこと(自分としてはその行動力が我ながらすごい!
 と思ったけど、先生には「今まで無体策だったのがすごいね!」と笑われた(^_^;))
・母と買い物に行き、体力的にはクタクタでも楽しかったこと
・友達に勧められて以来チャットにはまり、生活が乱れてしまったこと
・来月から両親がブラジルに行くため、1ヵ月半程は一人になることが
 ちょっと不安であること
などなど。


中でもチャットについては、寝る時間が遅くなることで起きる時間が遅くなったり
昼寝したりしてしまうことに対して罪の意識を持っていたけど、
先生は逆に「趣味をもつことはいいことだ。チャットをやりたいから家事を素早く
こなすとか前向きになれていいじゃない!」と言ってくれた。
いつものことながら、この先生はどんなことも否定しないでくれるから嬉しい。
その代わり、「気をつけて欲しいのは、相手も本心を明かしているとは限らないから
素の自分を見せるのではなく、少し演じるくらいがいい。オフ会には参加しないように。」
との忠告をいただいた。先生は自分ではやらないけど、患者さんからの話で
情報を得ているそうだ。やはり心療内科に通う人は家に篭る人が多いから、
チャットやHPにはまる人が多いみたい(^_^;) 仲間がたくさん!だね(笑)


あと、両親が居ない間のことは、「東京に居る叔母さんの家にでも遊びに行ったら?」
とのアドバイスをもらう。そっか!そういう手もあったな。


で、先生の本日の診断は「いい感じだね!この調子でいこうね。」とのこと。
今日は復職の話は出なかった(出さなかった)けど、
復職する場合、会社には前月の10日までに連絡することになっているから、
来週あたり先生に判断をあおいで、再来週の診察で最終判断、となるのかな。


はぁ〜、それにしてもほんとに復職できるのかな。
親がいなくなることで多少の精神的変化が起こる→体調を壊す(精神的に不安定になる)
→復職延期  という悪しき循環図が出来上がってしまった・・・。
GW明けに実家からアパートに戻った時に体調崩しちゃったからね、
そのことが頭をよぎる。また同じことの繰り返しにならなきゃいいんだけど・・・。
特に復職活動においていろいろ言いたいこと聞いてもらいたいことも出てくるだろう。
それをどこに発散したらいいものか。両親は「実家の電話を使っていいから(電話代を
負担してくれるということ)ブラジルにかけておいで」と言ってくれるけど、
そうそう甘えるわけにもいかないし。
そもそもいい年して一ヵ月半の間くらい親がいないからって不安になる方が恥ずかしいよなぁ。
親の援助もなく一人でがんばってる人もたくさんいるというのに、私はやはり甘えすぎだ。


復職を11月に延ばせばいいじゃないか、と思いつつ、10月のほうが切りがいいし
11月がダメになるといよいよ無給休職になってしまうから、一ヶ月でも余裕をもって
復帰したいとも思う。
・・・なんて考えるとついつい焦ってしまう。先生にも「『〜ねばならない』はダメだよ」
と言われているけどそこはほれ、気の弱い私だからついつい自分を追い詰めてしまうんだな(-.-;)


でも、まあ今日はとりあえず いい調子だね! と言われただけでもよしとしよう!
少しずつでも前に進めればいいのだ。贅沢言ってはキリがない(^-^)


2005年08月21日(日) 夏の終わり

今日も一日いい風が吹いていた。
日差しは相変わらず強いけど、この風のお陰でそれほど暑さを感じない。


先週の金曜日に『ウォーターボーイズ』(再)が終わった。
なんだか夏も終わった気がしてなんだか寂しくなっちゃった。
テレビで四季を感じるなんて俗っぽいけど、確か昨年は
同じく再放送の『ビーチボーイズ』で同じ感慨にふけったような気がする。


お盆を過ぎた辺りから、せみの声も少なくなったようだし、
夜には鈴虫も鳴くようになった。
今年は何も夏らしいこともしないまま終わってしまいそう。
(でも、例年になくスイカはたくさん食べたぞ!)


明日は久しぶりの病院だ。もし10月復職が可能なら、
そろそろその判断が下される頃だ。
早ければ来月の頭に会社に連絡をして、まずは部長面談、
それから保健士・産業医の順番で面接だ。
私の夏は、復職活動開始と共に終わりを迎えそう・・・。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


今日は久しぶりに夕飯を作った。
お味噌汁に豚ニラ炒めにサラダ。たいしたものではないけど、
トウモロコシに枝豆にオクラにおかひじきをそれぞれ茹でて、
タッパに入れて冷蔵庫に入れてという作業は、結構時間もかかる。
面倒くさがりで気が向かなかった私にしては上出来だ。
この調子で今度は外出ができれば、復職も近いに違いない。
明日の診察では何を言われるのかな。不安なような先生に会うのが
楽しみのような、複雑な気持ち。ちゃんと起きられるかな・・・。



2005年08月20日(土) 満足な一日

行ってきました、母との買い物。


目的は母の、ブラジル行きのための買い物だったのに、
なぜか私が靴やTシャツなんか買ってもらっちゃって。
しかも往復の電車賃&食事代全部母持ち。
年金暮らしの親に、言うことも聞かず独身で勝手三昧心配かけ放題の、
こんな私がこんなに甘えてしまっていいのだとろうか(>_<)


でも、正直嬉しい。買ってもらったこともさることながら、
それ以上にこうして母と二人で出かけられるようになったことが。


そもそも母と私は長い間折り合いが悪かった。
きっかけは中学生のときに私の「家に居て!」という涙ながらの頼みを聞き入れず
パートへ出てしまった母に反抗を始めてから独立して家を出るまでの長き間、
私は母にずっと反抗していた。社会人になっても事あるごとに反発しケンカが
絶えなかった私達。見かねた父が、
「お前達は母と娘なんだから、ケンカしないで仲良くしてくれ」
とぼやいたほど。


そんな私達が普通の親子になれたのは、母の入院・手術がきっかけかな。
手術自体はたいしたことなかったけど、それを機に私は独立しようと決心したし、
結果的にはお互いが距離をおくことで冷静にそして優しくなれたみたい。


ほんとうは私、母を尊敬しているんだ。
好奇心旺盛で趣味にしたものは徹底的にやり遂げてモノにする。
話は上手で面白くて人に好かれやすくて友達も多い。
昔は尊敬する父と結婚できた母はすごい、と思っていたけど(笑)
今は母そのものをすごいと思う。私は到底かなわない。
何一つとっても母より優れているものはない。
ま、強いて言えばパソコンが少し出来ることぐらいかな。
でもこれは仕事でやむを得ず覚えたことだから自慢にはならない(-.-;)


恥ずかしくて尊敬しているだなんて口が裂けても言えないけど(^_^;)
ようやくこの穏やかな落ち着いた関係になれたことが嬉しい。
いつまでもこの関係が長く続くように、母にはそして父にも
元気で長生きして欲しい。
そのためには、心配かけないように早く元気にならなければ。


今日は素敵な靴も買ってもらえたし、体力的にはとても疲れたけど
精神的には全然疲れなかったし、母と楽しい時間を過ごせたから
とても満足な一日だった。。。



2005年08月19日(金)

今夜は月がきれいだ。満月かな?


私は月が好き。不思議と心が落ち着くから。
真夜中に部屋の明かりを消してベランダに出て
空を見上げて数時間。
何を考えるでもなく過ごす、この時がたまらない。


月は、ブラジルの空からでも日本の空からでも
時間は違っても変わらなく見えるもの。
遠く離れていても見上げれば心が通じそう。


宇宙船が月まで行く世の中だけど、
私には今でも月の中にはウサギが見える(笑)
現実はどんどんシビアになっていくけど、
いつまでも、ウサギが見えるような
穏やかでちょっぴり子供の心でいたいな。。。


2005年08月17日(水) 彼。

さっき、彼とけんかしてきた(-.-;)
彼が悪いのに逆切れされてムッとしてたらさらに怒られた。


彼は今私から遅れること10ヵ月後に『躁鬱』になって休職した。
彼の場合は異動がきっかけだ。最初は愚痴だけだったのが
ついに仕事を半日、一日と休むようになり、見かねた私が
「心療内科に行けー!」とせっついた。最初は「追い詰めるな!」と
怒っていた彼だけど、最後は自分でも何とかしたいと覚悟を決めて
私が通っている心療内科に行った。
今では時間帯こそ違え、同じ月曜日の午前中に別々に診察を受けている。


彼の場合も私と同じく診断書がその場で出されて、次の日から休職した。
今4ヶ月目だ。


まだ休職期間が短いのと病名や薬の内容から判断して、私の方が軽い方かもしれない。
そのせいか、二人でいてもっぱら気を遣うのは私の方だ。
ま、これは今に始まったことではないからやむをえないけど・・・。


二人がまだ元気に働いていた頃は、週に3日は会社帰りに会っていたけど、
休職してからは10日に一度会うか会わないかのペース。
それで寂しいと思わないから不思議だ。さすがに15年も付き合っていると
感覚も鈍くなるのか?それとも愛情が薄れた?(笑)


彼は20代の頃何度も浮気をした。二股も平気でかけていた。
30代に入りさすがにモテなくなってからは落ち着いてきたが、
都合が悪くなったり機嫌を損ねると突然音信普通になり、
それが3ヶ月とか半年続いたりしてきた。


昨年も私が休職に入ってから半月ほどした6月下旬、会社帰りの彼を駅まで車で
迎えに行ったら、5分遅れたことでキレた。
主治医の先生には「時間を意識しちゃダメだよ。」と言われていた私が
5分遅れただけで、だ。彼は元々時間には厳しい人だったけど
私が病気であることも、先生に言われていることも承知の上でキレた。
その日から音信不通に突入。


でも、いつもの私だったら気をもんで無視されるの承知でメールしたり
例え理不尽なきっかけだったとしても自分を責めて
連絡が来るのを待ちわびていたものだ。


それが昨年は、胸のつかえが取れたように音信普通が逆に精神的に自由をもたらし、
せいせいしてしまっていた。
先生にそのことを話すと、「貴女は元々彼を必要としていないんだよ」と言われた。
そうかもしれない、と納得したもんだ。


だから、ブラジルに行ったときも当然彼には告げずに飛び立ち、
向こうでも彼のことを気にすることもなくノビノビ過ごしてきた。
今年1月に帰国してからも私から連絡することはせず、
姪っ子達と密に過ごしたり自由に友達と会ったりして楽しんでいた。
なにせ、焼きもち焼きで寂しがり屋の彼といたときは、
友達と会うことはもちろん家族と過ごすことすら反対された始末。
だから、この音信普通の期間は気を遣わなくていい、自由を謳歌できるまさに天国だった。


その天国が終わりを告げたのは3月に入って、彼から頻繁にメールが届くようになってから。
どうやら彼は、私がブラジルに行っている間、メールをしていたらしい。
ところが海外だから当然圏外でつながらない。ブラジルに行くことは休職してすぐに
話してはいたから察しはついていたと思うが、それなりに心配はしていたみたい。


最初はメールも無視していたけど、あまりにしつこいしからそっけなく返していた。
「会おうよ」との誘いも無視して何度かやり取りが続いたあと、
「私が病気で大変な時にいつものようにささいなことで逃げ出してしまうなんて、ひどい。
一番側にいて欲しいときにいてくれないなんて、恋人とは言えない。一緒にいる意味ない」
と私から別れ話を持ち出したら一度話し合いたいといってきた。
私もこのままメールだけで終わらせてしまうのも気後れがしたから、9ヶ月ぶりに会った。


彼はものすごく反省していた。そして謝った。その上でヨリを戻したいと言ってきた。
私はそんな彼に条件を出した。
「どんなに怒っても手を上げない。私の自由を認める。両親に挨拶する」
彼は了解した。
ただ、最後の両親への挨拶は、心の準備をするために時間をくれとのことだった。


私自身、彼との事を両親に話すのはまだ気が進まないでいたからそれは了承した。
だって、うちの親のことだから、紹介すればすぐに結婚しろとうるさくなることは
目に見えていたから。私はまだ結婚したくない!できれば一生結婚しないでいたい。


そんなこんなでヨリを戻してから今日までは、彼の発病・休職という事件は起こったものの
二人の間では穏やかな時間が過ぎていた。
それが・・・。


今日は久々に彼が大爆発!元は自分が悪いくせに(-_-#)
ま、私もネチネチしつこく責めたのがいけなかったけどね。
「お前のお陰で体調が悪くなった」とまで言われムッ。


それでも彼を家の近くで下ろした後、アパートに戻ったら言い過ぎた自分を反省。
詫びのメールを打ったら近頃にしては珍しくソッコーで返信がきた。
「俺も悪かった。ごめんね」。へ?彼が謝った?!今まで自分が悪くても
キレた直後は私に頭下げたことなんてない人が。。。


思わず泣いちゃったね、情けないことに。やっぱり私は彼のこと好きなんだ。
単純だけど、そう実感した。彼は今気が弱っているからかもしれないけど、
それでも謝ってくれた。優しい言葉を書いてくれた。それが嬉しかった。
次はまたいつケンカするかわかんないけど、もうダメだ、と思うまで、
とりあえずもう少し彼とは一緒にいてみよう。私の一目惚れから始まって
かれこれ20年の付き合いだ。自分の生きてきた半生よりも長い。
こうなったら腐れ縁?もうちょっと、側にいてみるか。。。


2005年08月15日(月) 歴史のこと

今日は実家でNHKの生番組を途中まで見てきた。


私は基本的に戦争の歴史が苦手だからほんとは見たくなかったけど、
リビングで父が見ていたから仕方なく・・・。

見た感想は。。。
所詮、民主主義の日本と社会主義の中国の人とが議論し理解しようとすること自体
無理があるように思う。
だって、彼らは必要かつ平等な情報を得られているのかな?
話によると、日本を批判している割には中国の教科書には
誤った記述や写真が載っていると言うし。
ちゃんと情報を得た上で自分の判断で行動起こすなり議論するなら分かるけど、
政府から与えられた情報やインターネットの、もしかしたら偏っているかもしれない
情報だけで判断しているんだとしたら、土俵が違うんだから理解しあうなんて
無理だと思うな。


今日だって、小泉首相がちゃんと謝罪したじゃない。
それなのに、これ以上何を謝罪しろと言うのかしら?
この60年間、日本は核も持たずに平和に対応してきたのに。
中国を始め多くの国にたくさん援助しているし、
意思がないだの言われながらも大人しく暮らしてきたじゃない。
それを、これ以上何を求めているのかな?
やっぱりあれかな、補償という名のお金が欲しいのかな。
敗者、と言う名の上にあぐらかいて好き放題言いたい放題のような気がする。
特に中国はソ連が強いときは仲良くして、崩壊してから日本を特に敵視してきたりして、
いいように日本を利用しているだけのような気がする。
韓国も、民主主義?と思えるような弾圧とかしちゃってさ。
なんか、嫌いになってきちゃったかも・・・。


とはいうものの、余り戦争歴史について詳しいわけでもなく
(どちらかというと殆ど学校で習ったことは忘れてるかも(^_^;))
ましてや今は自分のことですら手に負えていない私が偉そうに語れるはずもなく、
早く中国も韓国も日本のことを正しく理解して、仲良くなれたらいいなぁ、
と思った次第。


こんなことを考えることが出来るのも、休職して時間的にも精神的にも
余裕がある今だからかな?
だとしたら、体調崩したのも悪いことばかりじゃないかも。
最近は衆議院解散後が面白くて、新聞読み漁っているし。
働いていたらきっとここまで興味湧かなかったかも。
選挙が楽しみだなんて初めて。今まではただ義務で行ってただけだけど、
今回は街頭演説も聞いてみようかな、なんて考えているし。


なんにしても、生きていく上で楽しみや興味を持てることが出来ることはいいことだ!
歴史のことも滅多に考える機会もないから、今日はいい日だったのかも。
考えるチャンスを偶然にも与えてくれた父には感謝!だね(^-^)


2005年08月13日(土) 楽しかったけど

日記を書く気にならないということは、それだけ疲れたということか(-.-;)


彼女は元気だった。ちょっと痩せたみたいで、顔色もよくなかったけどね。
車で送り迎えをしてくれたし、よく気を配ってくれた。
何度も「大丈夫?疲れてない?」と気に掛けてくれた。
私はその度「大丈夫だよ〜(^-^)」と答えたけど、
実は話の途中、結構意識が飛んでたりした(^_^;)


退屈だったわけではなく、やはり人と会話する力や集中力が退行しているのか、
耳から入ってくる言葉についていけなかったり理解しようとする気も起こらなかったり
(それって彼女にとっても失礼・・・m(_ _)m)


大丈夫かなぁ、こんなんで。復職して仕事に付いていけるのかな。
今回の再会を機に、リハビリ兼ねて他の友達とも会えるようになるといいな。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


以前から興味があったフリマが、市内のショッピングモールでやっているとの情報を
彼女の子供から仕入れて、帰りがてら寄ってみた。が、すでに終了していた。
それでも、毎月第二土曜日に開催していることを知り、ますます興味が湧いた。
場所柄、知り合いに会いそうで気が引けるけど、一度はやってみたいフリマ
(ほんとうはネットオークションに出品したいけど大変そうだもんなぁ)。
今度見学に行ってみよう!


2005年08月11日(木) たまにはブラジルのこと(2)

私がブラジルに行って一番気に入ったのは、人種差別がないこと。


滞在したポルトアレグレは、黒人の割合は少ないものの街中でよく見かけた。
特によく行ったピザ屋には、店員の中に白人も黒人も居た。
それがみんな仲良く、楽しそうに談笑している
(注:ブラジルでは店員と言えどもおしゃべりは当たり前。楽しく働くのが良し(?))


私にはその光景がとてもまぶしかった。それだけでとても嬉しくなった。
ブラジルにももちろん奴隷制度があって、アメリカ同様暗い歴史もある。
それが今では何事もなかったかのように白人・黒人双方が仲良くできるのは、
根が明るい陽気な国民性のお陰?アメリカとの違いはここからきているの?
多分、いろんな人種が住んでいて、混血が多いお国柄のお陰かもね。


もちろん日系人も同じく差別なく暮らしている。以前行ったロスのお店で感じた
日本人に対するさげすみともとれそうな態度は一切取られる事なく、
躊躇も遠慮もなく楽しく過ごすことができた。だからブラジル人の差別のなさが
とても気に入ったのだ(^-^)


滞在中に行った、唯一の旅行と呼べるグラマードへの2泊3日の旅の間、
夜一人で町をブラブラウィンドウショッピングしていたとき、
ふと立ち寄った靴屋では店員が話しかけてきた。
すかさず私が「ノンファーロ、ポルトギス(ポルトガル語は話せない)」
とだけ言うと、残念そうな笑顔を残して立ち去った。
その後お店から出ようとしたら、背後から「バイバーイ!」と複数の声が。
ブラジルでは英語は殆ど使わないからおかしいと思いつつ振り向くと、
先ほどの店員と他の店員数名が私を見て笑顔で手を振っているではないか。
あの時は驚きと共に嬉しかったねぇ。
もちろんこちらも笑顔で手を振り替えして店を去った。


その帰り道では道端に立っていたおじさんが、「チャイニーズ?」と聞くから、
「ノン、ジャポネ!(いいえ、日本人です)」と答えると「オー!サヨナーラ!」と
これまた笑顔で答えてくれた。思わず会釈をしてきたよ。


もちろん、ブラジル人だって人の子、いつもこんな陽気だとは限らないし
みんながみんな陽気で明るくていい人とは限らない。
最近ではブラジル人の間でもうつが浸透してきて、お義兄さんの患者も
うつ病が増えてきているとの事。信じられないけどね。


それでも根本に流れている国民性はやはり陽気!暢気!!ケセラセラ!!!
そんなブラジル人の中でいつの日か暮らしてみたいと願う、今日この頃。。。


2005年08月10日(水) なんだかなぁ。

さっき、会社から届いた通知を見てやる気が失せてきた。


それは8月分給与の精算通知だった。
先月下旬から有給休職扱いになったことで、7月分の諸々と精算した結果、
2万円を会社の口座に振り込むように、との内容だった。


ここにきて2万円もっていかれることも非常に痛い(>_<)
しかも精算内容が全く意味不明だし。でもこれは会社側の
独自の難しい計算式があるんだろう。深く詮索しないことにした。


しかし、それ以上に力が抜けてしまったのは、今更だけど給料の低さ。
10何年も働いてきて、手取りが20万ないというのは、やはりいかがなものか。


会社仲間内でもうちの給料は低い、ともっぱらの噂だったけど、
実際改めて明細を見て考えてみるとやっぱりなぁ。


余りの少なさに、復職する意欲まで失いそうだ(-.-;)


・・・いかん!たとえ少なくてももらえるだけ有難い。ましてや今は休職の身。
お金の有り難味は身に沁みている。復職して家賃払って光熱費払って
普通に食べて穏やかに生きていければそれでいいじゃないか!!!


と自分に言い聞かせて今日は寝ることにする。はぁ〜。。。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


昨夜は夢の中にベッカムが出てきた(^-^) ヴィクトリアも一緒だったけど・・・。
片言の日本語で親しくお話できちゃった!夢なのに嬉しかった。
いい目の保養でした(*^m^*) ムフッ!


2005年08月09日(火) せっかく曇りだったのに

今自転車がパンク中。近所には自転車屋さんが2軒もあるけど、
そこよりも修理代が安い、自転車で20分ぐらいのところの自転車屋さんに
頼もうと常々思っていた。


今日はそれを実行するに相応しく、曇りで風も心地いい。
よし!今日のお昼は修理中に近くの喫茶店で食べよう!
と目論んだまではよかったが、その直後出鼻をくじくごとく小雨がパラパラ。


そして止むのを待っている間にどうしようもなく眠気が襲ってきた(>_<)
負けてなるものか!!!
と力んだものの、やはり自然の欲求には勝てずいつしかうたた寝の世界へ・・・。


けーっきょく今回も修理はお預け。はぁ、いつになったら風を切って
サイクリングが出来るのか。自分の意志の弱さが原因だけに腹が立つ(-.-;)


2005年08月08日(月) 診察内容

午前中行って来た、週に一度の診察日。


いつものように先週の行動の報告をした後、
最後に10月復職に付いて恐る恐る話してみた。
反応は悪くなかった「目標にするならいいんじゃないかな」。
あくまでも“目標”として賛成とのこと。
なぜなら、『ねばならない』だとプレッシャーになってしまい
焦ってしまうから。
とりあえずはよかったぁ〜(^-^)


なぜ10月復職を考えているかといえば
〆7遒竜詢舛ら5割カットになりいよいよ財政が厳しくなる
△修鵑蔽罅⊃材や食費を援助してくれていた両親が
 来月から1ヵ月半ブラジルに行ってしまい、
 ますます財政が貧困してしまう
2屡彰のスタートで自分としても気持ちの切り替えがしやすい
 (我が職場は半期決算もあり半期を意識しているから入り易い)
ほとんど金銭絡み(>_<) それでも復職する理由付けとしては
十分だと先生は言ってくれたからいっか(^-^)


仮に10月復職になった場合、やらなければいけないことは
『出勤予定時間から帰宅予定時間まで、外で時間を潰す練習』
だそうだ。午前だけでも午後だけでもどこに行っても何をしてもいいけど、
動き回れる体力と気力をつけること、これが重要になるとのこと。
復職に向けて面談が入ってきたときに、相手の都合に合わせて
動けるだけの体力ができてないといけないしね、とも言われた。
確かに体力も心配だけど、集中力が続くかどうかが不安だぞ。


そうそう、先々週、昔(5年以上前かな)、彼とよく会社帰りに寄った
ゲームセンターにふと一人で行ってみた(まあゲーセンと言っても、
ショッピングモールの一角に隣接してあるナムコランドだから
家族連れも多いし気楽な雰囲気)。1時間くらい遊んで帰った。
それが、先生に言わせるといい傾向なんだって。
いや、ゲーセンがいいと言うわけではなく
(でも非難も否定もされなかった。よかった(^_^))
気の向くまま行動できてそこである程度時間を潰せたというのがいいらしい。


だから、復職の練習ではゲーセンに一日置きでもいいから通う、
というものでもいいそうだ。そんなんでいいのぉ?
実際はお金ないから(T_T) 図書館に通い詰めるくらいしか
出来そうにないけど、兎に角今は自由に行動できるようになること、
これに尽きるんだそう。


それなら、と近いうちに夏休み中の友達を誘ってどっか遊びに行こうと
思っていることを先生に話したら、「自宅に呼ぶのだけは止めてね」
と言われた。それは嫌になっても「帰れ」と言えないから。
また、「遠出は止めようね」。せいぜい半日で日帰りコースのみ。
それは同じように、疲れても嫌になってもすぐに帰れるように。
要するに、あくまでも自分のペースで自分主体で動かないといけないんだ。


今はまだ暑さのせいもあるけどなかなか自分から動く気にはなれないから
ハードルは高いかな。
図書館も地元のは古くて暗いからなんとなく行きたくないし、
実家の近くの図書館は新しくて居心地もいいけど遠いからわざわざ行くのは
ガソリン代ももったいないし、市営のジムは安くていいけど
よく利用している彼から「一人になりたいから来るな」と言われているし(T_T)
ゲーセンはお金かかるしウィンドウショッピングは興味ないし・・・。
友達の家を渡り歩こうかな。それも面倒だな。
何がいいかな。何なら動く気になるかな。まずはそれから探さなきゃ。


2005年08月07日(日) たまにはブラジルのこと(1)

最近、ブラジルに関するブログを覗いているうちに、自分でも書いてみたくなった、
ブラジル滞在のこと。忘れないうちに少しずつね。



昨年ブラジルはポルトアレグレの姉の所に行ったのは病気療養のため。
ブラジル行きは両親の提案だったけど、先生に相談したら色々条件は付けられたけど
病状が落ち着いてきた頃の休職4ヶ月目にOKが出た。
その条件とは
々馥睥更圓枠鬚韻襪海函粉超が変わると悪化する恐れがあるから)
⊆分から進んで行きたいと思う場所以外は行かない
お姉さんの手伝いは決して無理はしないこと
ぅ屮薀献襪録得未良佞合いが多いけど、無理しないで断ること
タ事の席の飲酒は避けること
などなど。先生もブラジルについていろいろ調べてくれたみたいで、診察の度に
知識や話題が増えていった(笑)


ブラジルに行くに当たって最も心配なものの一つに、24時間かかる飛行距離。
でも元々飛行機が好きだったから、24時間それも一人で乗っていることには
全く抵抗なかった。10年くらい前にも一度行っていたしね(ただしあの時は
休みが一週間しかなくて、さらに風邪引いたから地獄の強行軍だった(>_<))。


さらに問題の言葉の壁。英語もポルトガル語も全然出来ないけど、必要と思われる会話は
お姉ちゃんがFAXで送ってくれたし、「あんたは抜けているから」と心配する
母親を尻目に本人はいたって冷静だった(つもり)。


だけど、終わってみればロスでの乗り換えの時に座席にコンタクトレンズ関係や
サプリメントを入れたポーチを置いてきたり(当然回収されてしまい、戻ったときには
すでになかった(T_T))、
サンパウロでの乗り換えの時には間違って税関の外に出てしまったりとか、
大なり小なりポカをやってしまっていた私。
よく無事に行けたもんだ(>_<)


しかも、出発の一週間前になって持病の腰痛が再発してしまい、思いスーツケースを
持ち運ぶことや長時間座りっぱなしの体勢に不安があったにも関わらず、だ。


この腰痛に関しては、チェックインの時に母が担当者に「この子、腰を痛めているんです!」
と訴えてくれたら、『助けてください』(ポルトガル語)と書かれたバッジを
渡されて、「これを身に付けていれば荷物はポーターが運んでくれます」と
言われた。
しかも、サンパウロでは他の乗客よりも優先して乗せてくれて、その時客室乗務員が
手荷物を持ってくれた。いやぁ、母の何気ない(こともないか!?)訴えが
ここまで徹底されているとは思わなかった。やるなぁ、バリグ!


飛行中は天候も穏やかで、隣に座った女性二人はまだ20代なのに南米ツアーのお客だとかで、
(他のツアー客はみんな定年後のご夫婦と聞いて納得。20代で友達同士で行くなんて
ほんと珍しい!)私が一人で行くと聞いたらいろいろ気を遣ってくれて、
お陰でとても安心して気持ちよく過ごせた。


☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆


疲れた〜!続きはまた今度♪


2005年08月06日(土) ビューティフルサンデー

今日は調子が良かった。なぜなら昼にホットケーキを作ったから。


掃除や洗濯をしたところで、それは決して調子の良い表れにはならない。
少々調子が悪くても洗濯ぐらいはやるからだ。


でも、他の家事に比べて嫌いではないが得意ではない料理をするかしないか、
これは私にとって調子を測るバロメーターに十分なりうる。
(ホットケーキは決して“料理”ではないだろう。ただ、“調理”にはなる?)


さらに今日は食器を洗いながら気が付くと鼻歌を歌っていた。それが
『ビューティフルサンデー』。いや〜年がばれる(^_^;)


今NHKでは今年の紅白で歌って欲しい歌のリクエストを募っている。
私は是非この歌を応募しようかと思うくらい好きだ。


それを口ずさんでいたとは、余程調子が良かったとみえる(←いつものように
なぜか人事の口調(>_<))


この調子なら、10月復職も夢じゃないかな。願わくば、友達に会いたい気持ちに
なってくれれば、もう大丈夫だと思うんだけど、まだそこまでは・・・。


でも、今度の診察で10月復職を打診してみようかな。先生の反応が怖い(-_-#)



2005年08月05日(金) 良点

欠点の反対語が分からなかったから勝手に『良点』と付けた。


今日は7:30に起きてゴミを捨てて食事した後、一気に洗濯を2回して
布団干して掃除機かけてトイレ掃除した。自分でもよくやったと思う(^-^)


午後はその分やることもなく、食後にくつろいでいたらふと
「自分のいいところって何だろう」と考えた。


そもそもこの疑問にはいわくがあり、私を休職に追いやった、
というか休職への背中を押した上司が春の面談の時に私にした質問だった。


「クルミンのいいところは?悪いところは?」


当時すでに尋常ではなかった私は
「いいところなんてありません。悪いところは面倒くさがりで
優柔不断で・・・全部です。」
と憮然として答えた記憶が。


今同じ質問されたら、いいところは未だ見つからないものの、
もう少しまともな受け答えが出来ただろう。
相手があの上司だったせいもあるだろうけど、いくらなんでも
この答え方はないよなぁ・・・。




復職するに当たってこの上司はネックだ。
休職する原因は仕事が忙しくなったから。後輩は自分の仕事しかしなかったし、
補充で来た派遣社員も突然辞めたしミスが判明し応対に追われるし
新年度に向けて改革だ!とか言って動いていた同僚に振り回され雑用が増えた。
そこまではなんとか残業してしのいでいたが、4月になり配属された新しい上司が
改革しようとして手始めに私に白羽の矢を立てた。
彼女は言った「クルミンはみんなの礎だから。クルミンがこうして
私に怒られているのを見ている他の子は、二度と同じ過ちを起こせないから
もっとたいへんだよ。シンドイだろうけど、がんばってね。」
何のことはない、見せしめだ。細かいことをチクチク指摘されて怒られて、
みんなの前で頭ごなしに怒られた。
(みんながその都度声を潜めピリピリしてたのは背中で感じていた。みんなも怖かったんだろうな。)
業務日誌の書き方が悪いと言っては書き直しさせられ、挙句の果てには
一日に何の仕事をどれだけやったか報告するために
時系列で日誌を書かされ毎日5時になると20分近くかけて報告した。
お陰で日誌を書く・報告するというだけで1時間程時間を取られ、そのために
残業になると言う事態を招いてしまっていた。
ただでさえも忙しいのに、上司への仕事の説明・新人の指導・主任としての
仕事に加えミスの後処理や上司からの指摘への対応など、一時たりとも
気が抜けなかった。
すでに精神状態はおかしかったから頭が働かなくて仕事は捗らず、やみくもに
時間だけが過ぎていった。


それでも不思議と不満はなかったんだよなぁ。上司に怒られるのも自分が悪い、
仕事が捗らないのも自分の能力が足りないせい、みんな自分が悪い、
と思い込んでた。
ましてやあの上司を恨むなんて思っても見なかった。今、冷静に考えてみると、
上司の仕打ちは相当ひどいものだったと思う。そこまで厳しくする必要が
あったのか?と疑問に思う。
上司に悪意はなかったことは認めよう。彼女も最初が肝心と意気込んでいたんだろう。
職場をいいものにしようと必死だったんだと思う(言っていることは間違っていなかったし)。
そして次のチーフを育てるべく私に期待して、だからより厳しくしていたんだと思う。
でも、すでに追い込まれていた私には逆効果、それを受け止めるだけの
余裕はなかった。
だから結果的に彼女が私の休職の背中を押した形になったんだ。
彼女さえいなければ、彼女がもっと違う態度で接していたならこんな目には
あわなかっただろう。


だけど、休職はしてよかったと思う。疲れは溜まっていたから。
彼女のことがなくても、私は疲れきっていた。自覚していなかっただけ。
背中を押してくれた彼女には感謝すべき?(^_^;)




そんな軋轢のあった彼女がいる職場に復職して、果たしてうまくやっていけるのか?
主任の肩書きが取れたから、あの時のように直接上司とやり取りをする場面は
少なくなるだろう。平社員→リーダー→主任→上司 の流れだから、
リーダー・主任を飛び越えて上司と平が業務の話をすることはない。
彼女と接しなければ、やっていけそうな気はする。個人的には嫌いじゃないし
(と思っているけど、再会するまでは自信ない(>_<))、意識しなければ
大丈夫かな・・・と。


でも、先生はそこを疑問視する。
仲の良かった友達もうつ病で退職し親しく話せる人もいない職場の中で、
ましてや元凶の上司が居る中で上手くやっていけるか?


まあ、話し相手がいないのは兎も角として、やっぱり上司がネックだよなぁ。
そこはあれかな、復職に向けての部長との面接のときに相談するしかないかな。
それによって元の職場に戻るか他に異動するか決まるのかな。


私としてはやはり元の職場がいい。今更知らないところに行って
一から始めるのは抵抗ある。だったら上司のことは我慢して耐えていく方が
いい。
復職はお金のため!と割り切れれば上司のことにも目をつむれるのかな。


もし元の職場に戻るなら、自分の良点を見つけておかないとな。
今度はまともな答えをしよう。ほんとの自分を見せよう。


2005年08月04日(木) 世間は動いている

そう、自分の時間は一年二ヶ月前で止まっているけど、
世間は、会社は動いているのである。当たり前だけど。


昨夜、唯一職場のメンバーでメール交換している後輩から
メールが届いた。


そこには、昨年の秋に職場ごとフロアーを移動したとあった。
元々ビルの何階に居たのかも思い出せないほどの私には、
新しいフロアーのイメージすら思い浮かべられなかった。


同じ会社で別の部署で働く友達が、
「復職してくる子はみんな浦島太郎状態だよ」
と言っていたけど、そうだろうなぁ、仕事も人も
何もかも常に変化し続けるもんね。


私は復職すれば、休職前の肩書きが外れて一平社員に戻る。
それ自体は却って仕事の量や人間関係を考えれば有難い。


肩書きがあった頃も、周囲の人とは下手に接していたから、
ここで平に戻っても違和感や苦労はないと思う。


フロアー移動も、新しい場所で多くの新しい人に囲まれて
心機一転で望むにはいいかもしれない。
(異動の激しい我が職場は、すでに半分以上が知らない顔(-.-;))


・・・こうして何とか復職に向けて明るい材料を探して
(こじつけて?)いる私。お金もないし、10月復職を
本格化しないといけないと、焦り始める今日この頃である。



2005年08月03日(水) やっぱり甘いのかな

最近、いろんな人のブログ読んでいると、
復職した人・これからする人の苦労が伝わってくる。


不安を抱えての復職の様子を読んでいると、
やはり先生の言うとおり私は自覚が足りないのかも・・・。


でも、認識するのも怖いんだよね、ますます復職が
プレッシャーになりそうで。


復職にはかなりの度胸と体力が必要みたい。
先生の「理由はなんにしろ、どうしても復職したい!
という気持ちがない限り、私はGOサイン出さないからね」
との言葉にもやっと素直にうなずける気がする。


はぁ。


2005年08月02日(火) 後輩からの葉書

嬉しかった!今日は3月末に辞めた後輩から葉書が届いた。


彼女には辞めるときにお餞別の品を手渡し出来ないから
自宅に送った。日本語学校に通って勉強する、という目標を
持っていたから、コーヒーブレイクに使って、と一言添えて
マグカップを送った。


彼女からはすぐお返しの品と手紙が送られてきた。
元々マメな子でよく気が付く子だったけど、辞めてから
4ヶ月も経つのにこうしてまだ葉書を送ってくれるところが
可愛い(^-^)


その上、最後に「コーヒーブレイクで使わせてもらっています」
なんて一言も書いてあった。ほんと、ツボを押さえた子だ。


お陰で今日は一日気分よくすごせた。久しぶりに彼からスロへの
お誘いメールが来て3週間ぶり位に再会したのも、彼女の葉書の
お陰かも?!


2005年08月01日(月) 自分のことを理解していないのは自分!?

今日は週に一度の診察日。


先生にショックなことを言われた。「自覚してない」と。


先週一週間の行動を順を追って説明したところ、いい傾向にあるとの事。
しかし、診断書をもらった水曜日を前後にして明らかに行動が異なるそうだ。
大まかに分ければ水曜日までは『受身(能動態)』、木曜日以降は
『行動的(受動態)』。


その原因は先生曰く「診断書をもらったことによって『また一ヶ月休める』
と気が楽になったから」。


「そ、そうかなぁ?」余り意識していなかった私。そこへ先生がふと
「復職、重いね」と一言。


「?」


「自分で思っている以上に復職が重くのしかかっているんだよ。貴女自身は
簡単に考えているようだけど。」
・・・つまり、復職に対する自分のほんとの意識がどうなのか、自分自身が
分かっていないらしい。自覚がないというのだ。


いや、参りました。昨日も「会社に送り迎えしてもらえれば仕事だけなら
出来そう(^_^)」なんて暢気なこと思っていたのに、私の深層心理は
どうやら深刻らしい。


そう、この「送り迎え付き」の考えも、まだまだ能動態。受動態で
動けるようにならないと復職は無理だとのこと。


自分では復職に対して最近は抵抗感じていなかっただけに、先生の言葉は
意外でショックだったなぁ。


あと、病名については「傷病給付金の支給を考えて休職に相応しく、
貴女に妥当なものにしておいた」とのこと。あの先生らしい気配り(^-^)


病名は、嘘は書けないけどある程度幅が利くらしい。私も依頼すれば
『うつ病』と書いてくれたそうだ。


それは抵抗あるけど、その話聞いてなんだか気持ちが軽くなった。なんか、
病名=烙印押されたみたいな悲しさや苦しさのようなものがあったから。


でも今後は余り病名にはこだわらずにいこう。いくつかの神経症の中では
うつ病に属して、その中でも色々あるなかの一つなんだ。ただそれだけのこと。


大事なのは今の自分の状況。状態。自分を理解できていないという事実、
これの方が重要だ(>_<) 


先生は「もっと自覚した方がいいね」と言われたけど、
一体どうすればいいのだろう・・・。




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