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お前も俺も相当馬鹿だ。
それは、真実な気がしてそれでもまだ何かをごまかしている気がした。
廊下にしゃがみこみながら教室内をうかがうその巨体は、よく見知った物だけに。
職員室から戻った先で、ムサシは眉を寄せた。時間も遅く、廊下に人の気配は無い。
目の前の奇妙な姿勢の栗田以外は、放課後の校内での当たり前の風景だ。
「何やってんだ?」
指をたてて、静かにという仕種の気持ちは分かる。本人はさぞ、身体を小さく縮まらせて隠れているつもりなのだろう。教室内の人物に。
「中にいるの、ヒル魔か?」
できるだけ小声で尋ねる自分も相当に付き合いが良いなと思う。
頷く栗田の表情は困惑に満ちている。
こいつがこんな表情をする時は。たいていヒル魔の機嫌の悪さが原因だ。
栗田はその図体に似合わず、他人の顔色にびくつきすぎる。
所詮は気分屋のあいつの機嫌など適当に放っておけば良いものを、上目遣で機嫌を伺うように近寄るから。
いらない波紋が広がって不機嫌が長引く。
勝手に腹を立てているのだから、そっとしておけばいいとムサシはいつも思っている。
「ヒル魔ね、出てけって」
「……何やったんだ」
「僕、何もしてないよ………」
何もしていない栗田に、あいつが出て行けなんて言うわけが無い。
栗田の影から教室内を覗けば、机の上に足を投げ出すいつもの姿勢の背中が見えた。
カタカタと響く音から、いつものようにPCで作業をしているのはわかる。
少し大きく聞こえるキータッチの音は気のせいでは無いんだろう。
タイプミスをしたらしい舌打ちが何度か聞こえて、機嫌は悪いんだろうなと思った。
「ただ、ヒル魔がしゃっくりとまらないみたいだから。」
「………しゃっくり?」
「うん。水汲んできたりおどかそうとしたんだけど止まらなくて」
「へえ」
「うざい、って言われて」
でも、と不安そうに栗田はこちらを見上げる。
「百回しゃっくりしたら、死んじゃうって言うじゃ無い」
お前、本気かと思う程にムサシは脱力する物を感じて。
どうやってこの妙なバカを説得しようかと考えた時。
「そうだな。死んじまうのはまずいよなあ」
ふと頭に浮かんだイメージがあまりに妙案で。ムサシは小さく栗田に耳打ちした。
「ねえねえ、ヒル魔!」
教室内に飛び込んできた栗田を、ヒル魔は心底やかましいと睨み付けた。
その後ろから静かに教室内に入ってきたムサシが物言わぬままである事にも、言われぬいら立ちを感じた。
どいつもこいつも、うざってぇ。
顔を上げると同時に、胸の筋肉がまた痙攣する。
普段なら気にもならない栗田の仕種も、ムサシの意味ありげに反らされる視線も。
何もかも気に入らない。
コントロールできない筋肉の衝動的な動きに、平常心が保てない自分を自覚する。
口を開けばつまらない八つ当たりをしそうで、乱暴にノートを畳んだ。
特にする事があるわけでも無い。
「大変だよ、ヒル魔!」
「うるせえ、帰る」
「れ、練習試合だよ!あの、ほら、神龍寺と!」
「ぁあん?」
「も、申し込んで来たんだよ!」
どもりながら言葉をつなげる栗田は本当に必死だった。
一度は肩に担ぎ上げた鞄を机に下ろした時。
それまで静かに事の成りゆきを見守っていたムサシが、ヒル魔の背後から。
その薄い身体に。
上体全部を使って。
がばり、と抱きついた。
教室の中に沈黙が流れる。
結果はどうなのかと手を握ってヒル魔を見つめる栗田。
目を見開いて、動きが止まってしまったヒル魔。
そして。
一体どうなったんだとヒル魔の背後から首を伸ばすムサシ。
身動きひとつせずに腕の中で硬直してしまったヒル魔の、肝心のしゃっくりが止まったのかどうか。
この体制では顔を覗き込んで確かめる事も出来ない。
わずかに考えを巡らせたのちに、ムサシは両の手のひらをヒル魔の胸に押し当てた。
「横隔膜って、この辺か、栗田」
「うん、そうじゃないかな」
のんきな会話を続けながらムサシはヒル魔の耳に声を落とした。
「止まったか?しゃっくり」
「ヒル魔?」
まさに、後ろから抱き締められた形のまま。ヒル魔は動かない。
また、顔の色を面白く変えてくれるだろうと思っていたムサシは拍子抜けした。
なんだ。
普通じゃねえか。
てっきり、抱き着かれたら赤くなると思った、のに。
後ろからでは、ヒル魔が今どんな表情を浮かべているのかも分からない。
栗田が不思議そうにひらひらと顔の前で手を振っているからして、ほうけているんだろうか。
そんな顔は、まだ見た事が無い。
次からは、あれだな。
手のひらの下の薄い筋肉たちの、どれが横隔膜なのかと思いながら。
今度は正面からにしようと。
そんなのんきな事を考える。せっかくの表情が、顔色が、仕種が、その移り変わりが。
見えないと言うのは随分とつまらない。
そうだな、次は目の前からだ。
我に返ったヒル魔がその後一体どれほど荒れ狂うのかを考える事も出来ず。
ムサシは腕と手のひらでヒル魔の様子を確かめた。
思ったとおりに薄い胸板や、やけに早い心泊数。
背後から見下ろすだけのムサシは目の前の生え際に気が付いた。
色が白いままのそこは、同じ男とは思えない程に細くて色が薄く。
なんとなく、反射的に顔を近付けて匂いを嗅いでみた。
気配でわかったのだろうか、ヒル魔のからだが腕の中でびくりと跳ねる。
何かの整髪料のようなものに混じる、汗の匂い。
汗ばんでいる、肌の臭い。
教室の中でこいつが汗かくなんて。珍しい事もあるんだな。
ムサシは動かないヒル魔の頭に顎を落とした。
少しばかりある身長差が、ちょうどいい高さだった。
まあ、後ろからってのも悪くねえ。
のんきにそんな事を考えるムサシは。
その後に盛大にふきあれるヒル魔の癇癪の予兆にまだ、気が付かない。
050721
PM11:59
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<倉庫にモドル>
武蔵は割合クラスメートに人気がある。
休み時間にわらわらと席を離れ、それぞれがいくつかの場所に分散する中で、武蔵と栗田の周りにも人は集まりやすい。
栗田に伸ばされる手は、菓子をつかむ。
武蔵は時折投げかけられる言葉に、適当な相槌を打つ。
自分の周りからは、終了のベルと共に人が途絶える。
おかげで、誰に見咎められる事も無く、静かに自分の作業に集中できるのがありがたい。ちらちらと周囲に意識を向けながら。
ヒル魔は、休み時間の多くをそうして、過ごしていた。
教室内の会話から価値がありそうな情報拾いながら。
意味も無いつまらない会話ばかりの内容にうんざりしながら。
ヒル魔の指は何度も同じフォルダを開いては閉じた。タッチパネルの上の指は、すでにそのフォルダの場所を覚えている。
「名称未設定」のままのそれは、無意味に開いて閉じてが繰り返されていた。
楽しげな会話が武蔵の周りで起きて、笑いが重なり。武蔵もまた合わせて
笑っている。会話の中身はGWの予定。近づいてくる長い連休に、教室内の空気が日ごとに浮かれはじめていた。
「おい、ヒル魔」
武蔵に名前を呼ばれて、ようやく気が付いたという風に顔を上げる。
「お前も行くだろ?」
前置きも無く、無頓着に同意を求められる。今まで会話に参加していなかった相手に向かって、そういう態度は何だ。まず何をどうしたいのかお前は説明をしろ。
「泥門高 GWバザー」
武蔵が手にした手作りらしいチケットに目を向けてからヒル魔は無言で目線を画面に戻した。
「今ならチケット安いんだとよ」
「行かねえよ」
「栗田も行くよな?あ、3枚な」
「行かねえって言ってるだろ!」
「なんでだよ」
内容も口調も普段とは変わらないお互いの会話でも、距離があるため声は大きくなる。
憮然としたヒル魔の口調に周囲は気にしないふりをしつつ、温かった空気に緊張が混じった。
「興味ねえ」
「なんだよそれ」
不満そうな声にため息が漏れた。こいつは、本気でどこまで馬鹿なんだ。
「それ、いつだ」
「えーと。5日」
まだ気が付かないのかこの馬鹿は。
「お前、その日仕事だろ」
「‥‥‥‥あ。」
梅雨が始まる前。せっかく乾燥させた木材が雨にやられる前に棟上げしなけりゃならないと。栗田に話していたのを忘れているのかこいつは。
「あー‥‥‥‥‥。そうか。そうだった」
振り回していたチケットを、横の女子生徒にすまねえと言って戻す武蔵。
「仕事なら仕方ないけど、武蔵君が忘れていたのによく覚えてるね、ヒル魔君」
「そうだな」
何気ない会話が続いて教室内にほっとした空気が戻る。そうやって、またくだらない会話の流れの中に、今の出来事もすぐに流されるんだろうと思った。のに。
武蔵がふと、俯いて黙りこくった。
馬鹿の癖に。
ヒル魔は眉をしかめ、口の中で小さく舌打ちをした。表情には出さないように気を使いつつも、意識のほとんどが武蔵の様子に向けられる。
こんなときばかり、勘が冴えやがる。
断るにしても他の理由を言えば良かった。
指先で、眺めていた書類を閉じる。
スケジュールと、個人情報。見聞きした内容を細かく分類した書類達。
全部が一人の情報に繋がるもので、「名称未設定」のフォルダの中にしまいこまれる。
俯いてた武蔵の顔が、ふいと上がってこちらを向いた。気が付かないふりをしながらもキーボードの指が緊張に震える。
「おい」
顔をあげないままでは、どんな表情をしているのかわからない。
けれど声の口調で、カンタンに想像が出来る。
「なあ、ヒル魔」
少し悩んで、少し困っているような、単純でわかりやすい武蔵のばか面。
「俺、お前にGWの予定言ったか?」
お前は。こんなところで。
俺に何を言わせたいんだ。
早く、始業のベルが鳴ればいい。
平静を保とうとして、どうしても顔に力がこもる。
眉に皺が寄っている。さぞ、不機嫌そうに見えるんだろう。
作業しているふりをして、無意味に同じフォルダを開いて閉じる。
ただ、そればかりを繰り返した。
汗ばむ指では、いつも繰り返していた簡単な作業さえもうまくはいかない。
がたりと武蔵が席をたってこちらに歩いてくるのがわかった。
無視し続けるのも不自然だと、顔を上げると予想もしないようなにやけ面がそこにはあって。
無駄にでかい図体が、周りの興味深げな視線を遮断する。
「俺、『お前には』まだ、GWの予定言ってねえぞ」
こんな時に限ってベルが遠い。たった10分の時間が、長い。
「………なあ」
お前は。一体どこまで俺を。
ぎ、と見下ろす武蔵を睨み付ける。それが、精一杯の抵抗。
にい、と深まる笑みに対抗できる言葉が見つからなくて、目をそらした。
「なあ、ヒル魔」
こんな場所で。こんな時に。そんな顔で。
これ以上俺を、見るんじゃねえ。
20050712 0200
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<倉庫にモドル>
前を行くヒル魔を見ながら、ムサシは考える。
下校の途中。あたりに人影はない。
次は、どうするかな。
この、目の前の男は、やたらと周囲に恐怖をまき散らしているようで。
友だちだと言うと奇異の目で見られ、良い所もあるというと、奇特な目で見られる。
同情や哀れみのまなざしもあり、相当にこいつは誤解されているなと思う。
それでものそのそと近付いてきた奴には、相当に甘い。例えば、自分や栗田に対して。
一度懐に入れた人間には、かなり無防備になるようだ。
そんなヒル魔が最近、どうにもいじりやすい。
ふとした拍子に意外なリアクションが返ってくる。
恐らくは、栗田と自分にしか見せないだろう仕種。台詞。その、表情。
周りで思われる程凶悪でも無く、周りが恐れる程悪魔でもない。
ただ、人より行動と頭の回転が早いだけの、それだけの男。
それでも時折見せるその仕種にムサシも栗田もおや、と思うのだから「イメージ」の根深さを思い知らされる。
ムサシは、台詞を考えた。
ヒル魔のあのひょうひょうとした仮面をはずす台詞。
最近のムサシの遊びの一つ。
無言で数歩先を歩くヒル魔を、驚かせるような何か。
できれば、顔を赤くさせるようなやつがいい。
釣り上がった目がぽかんと見開いて、それから、さっと赤くなる。
面白い程色の変わるあの、何とも言えない顔を、見たい。
かといって、そう簡単に思い付くわけじゃあない。
思案するムサシの先で、ヒル魔が何かに視線を向けた。
その先に。家の中で優雅に寝そべる猫がいる。
その猫が何をしたというわけではないのだろうが、ヒル魔の目線がしばらく止まる。
腹を見せて床の上を転がり、飼い主相手に思う様にじゃれる猫。
猫、か。
ふと、ムサシの口が動く。思うより先に。
「お前、あれに似てるよな」
何を、と聞くようにヒル魔の眉があがる。
軽く足を急がせ、できるだけ耳へと顔を近付ける。
「手触り」
きゅっと、ヒル魔の眉が寄り。ぎ、とその目が力強く睨む。
返答は、無い。ふい、と顔がそらされてまた、数歩分の距離が空く。
失敗したかな。
思った反応が得られずにそう思ったムサシは。
顔に浮かぶ笑みをとめられなかった。
そうか。時間差で来たか。
やんわりと色付いた耳。
こんなあいつを、どう言い表わしていいのかわからないが。
何度見てもいいな、とムサシは素直に思った。
この遊びは、当分やめられそうに、ない。
1とつけたのは精一杯の強がり。
2を書ける日って来るのか。
20050422このころは日々ムサヒルしてたんだよなあ。
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<倉庫にモドル>
人気のない購買の端、テーブルの陰で黒い小山が動いていた。
何だありゃ。
近付く内に、それが栗田の背中だとわかる。
「何してんだ」
「あ、ヒル魔ー。またこぼしちゃったよ」
学校内で飲食物を扱っているのはこの購買のみ。昼の前後にはひどく混み合うこの場所も、放課後になると人影は消える。せいぜい自動販売機の飲み物ぐらいしか口に入れられる物はないのだ。
校内唯一のそれは、入学当時から品揃えも変わらない。ガラス板の奥に並ぶ200mlの紙パックは、日の光に褪せた白の上に無機質な文字が踊っていた。そのマジックの文字さえも日に褪せ、相当な昔から置かれている事が知れる。
生徒の間でも評判が悪い。
少量なのに値段は500mlの半分。多くの生徒は、校門から少し離れた場所まで教師に見つからないように調達に行く。
栗田はここの品物が気に入っている数少ない生徒の一人だ。
他ではまず見ないようなピンクや黄色のパックが気に入っているらしい。
そして。
ヒル魔が近くにいない時。高い確率で栗田はこうして床にはいつくばる。ムサシが近くで暇そうに栗田を眺めている。床に手をついた栗田は場所を取るから手伝おうにも手が出せないんだろう。
栗田は、見た目を裏切らずに不器用だ。ヒル魔からしてみれば、信じられないような単純な作業にも手こずる事が多い。奴にとっては、紙パックのストローを差す事も針に糸を通すようなものなのだそうだ。明らかに片方の手に力が入り過ぎ、何度もパックが潰される様を見るうちに、ヒル魔が手を出す。
それが、いつのまにかそう、なっていた。
「何飲むんだ?」
「いちごセーキ」
聞くだけで、十分甘さが込み上げてくる。ようやくこぼした分を拭き終わった栗田がばたばたと手を洗いに駆け出した。
「こんな甘いもんがよく飲めるな」
かがんで商品を取り出し、機械の脇の扉からストローを引き抜く。アルミの小さな丸に向かってストローを突き刺し、戻ってきた栗田に手渡してやる。
いつの間にか出来た、無言のルール。
「いいかげん、こいつも変え時だな」
「えー、そんなことないよ」
「てめぇ以外に誰が使ってる?」
「だけど、ここ以外にこれ、もう売って無いんだよ」
飲み物を買うためにいちいち外に出るのは面倒臭い。
こんな自販機を置いておく理由もどうせないんだろう。
校長をおどして買わせるのも訳はないなと考えているヒル魔の隣で、自販機ががたりと音を立てた。
ただ、黙って立っていたムサシがかがんで商品を取り出している。
珍しい事もあるもんだなとそれを見ているヒル魔の目の前に。
ムサシが買ったばかりのパックを押し付けた。
「?」
とりあえず突き出されたそれを受け取るが意味がわからない。
重ねて、ムサシがストローを付きつける。
まさか。まさか、だ。
この場合。
自分の解釈は正しいのかと疑ってみるが。
ムサシは黙ってこちらを見るのみ。
渡されたストローを受け取り、パックに垂直にあてがう。
手許に、ムサシの視線が刺さっている。
こんな事で、動揺なんかするな、と震えそうな指に力を入れ。
突き刺して、ムサシに押し付けるように渡す。
ムサシの無骨な指が、パックを掴むヒル魔の指ごと掴んで、引いた。
何か。何か言うべきか。
触るな、とか不器用だ、とか俺を使うんじゃねえとか。
長い、と感じるような一瞬ののち、指が離れてムサシが腕を引く。
ストローが刺さったそれを、満足そうに見て。
それから視線をヒル魔に向けたまま、ゆっくり中身を吸い込んだ。
口内に広がった甘さのためだろう、少し顔を歪めながら。
「やっぱり、ストロー差すのって難しいモンね」
二人を観察していた栗田がそんな感想をつげ、ストローを口に含む。
ムサシを真似て視線をヒル魔に向けながら。
栗田とムサシの視線に、ヒル魔はじり、と後ずさった。
目の奥に笑いを含むムサシの目から逃げ。
何の意味も持っていない無邪気な栗田の視線から逃げ。
「てめえら、自分で開けられねえもん、飲むンじゃねぇ!」
蹴りあげる足をよけながら、二人は意地悪くヒル魔へ視線を向け続け。
妙な面倒見の良さを自覚させられたヒル魔は、二人へ罵声で応酬する。
そのうちにヒル魔の顔にまで照れが広がり、
ムサシと栗田が満足げ顔を見合わせて笑った。
結局。
彼らが卒業するまでの間。
自販機が入れ替わる事も無く、この場を守り続けたのだった。
750mlの瓶コーラ。西日の図書館。教室内の狭い机。
20050420
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<倉庫にモドル>
疲れた。正直、今日は忙しかった。ムサシはどかりと自室の床に腰を落とした。
かろうじて夕食をすませた身体が、強烈に睡眠を欲している。
朝練。学校。呼び出されて行った現場は混乱を極め、飛び交う怒声の中でこき使われた。
ようやく目処がついた頃に、なんだ、武蔵さんとこの息子さんか、と言われる始末だ。あの時気が附いてもらえなければ、恐らく深夜まで拘束されていたんだろう。
疲れた。
とにかく、眠りたい。
胃が心地良い満腹感につつまれ、座っているだけでもかなりの眠気が襲ってきている。着替えるのも面倒臭い。
あとで母親が、ぎゃあぎゃあと文句を言ってくるだろうがどうでもよかった。
ベットに顔を埋め、このままぐっすり眠れたらどれだけ気持ち良いだろうと思った。
思っているのに。
何かがひっかかる。
何だ。何をやりのこしているんだ。
眠い目をこすって、ぼんやりと室内に目を向ける。
何だ?
このまま眠るには「何か」収まりが悪い。
なのに、そんな気がするだけで、まったく心当たりがない。
今日一日、なんかあったか?
物を考えるのも面倒で、ムサシはただ意味もなく目線を室内に泳がせた。
眠さを含み、その視線も力なく床を這うのみ。まめに掃除をしていない床にはうっすらとしたホコリとゴミだけで、眠気が一段と襲ってくる。
作業着の黒は、そんなほこりを目立たせた。
薄く表面についた白は、手で払ったところで意味がない。
掃除しろって、言われんだろうなあ。
この程度の汚れでは特に気にする程でもない。
のろのろと動いていた目線は、ズボンのホコリの上に着地する。それきり、動かせない程まぶたが重い。
畜生、なんだってんだ。
いっそ、部屋の掃除でもすればすっきりと眠れるのかと考えた時。
ズボンの裾に見なれないものを見つけた。
細く、白い線。
それは、糸くずよりも細く、白より色を含んでいる。
身動きもできず、狭くなる視界でそれを眺めた。
ああ。髪の毛だ。
切れてしまいそうな程に細く、やや黄を帯びているような、髪。
ああ、土曜に来たからか。
眠気が、一段と肩にのしかかる。
あいつのあんな顔、はじめて見たな。
ぼんやりとそう思いつつ、それがどんな顔だったのかよく思い出せない。
そういえば、今日はほとんど顔を合わせていない。
携帯に何か来てるかもしれねえ。
思う頃には、もうまぶたが降りていた。
眠れる。
どこかで、そう思った。
残った意識が土曜のバカ騒ぎを思い返し、ぐずぐずと眠気の渦とまざりあう。
あいつ、あれだ。あの時の顔だ。
はっきりと意識することが出来たかどうか。
ムサシはベットにもたれたままで寝息を立てていた。
満足げな笑いを浮かべたまま。
20050419
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back<<[余熱]
<倉庫にモドル>
ヒル魔は、薄い布の中から頭上に手を延ばした。
指先でサイドテーブルの上を探り、携帯を掴んで引き寄せる。
アラームを設定した時刻まで、あと5分。
いまいましく思いながら、その電源を切った。
軽く寝返りをうちながら、ひじで天井を突くような形で顔を覆う。
身体の一部が熱をもっているような感覚が消えていない事にため息が出た。
夕べは帰宅した後に2度、シャワーを浴びた。
この時期にしては、冷たいと言えるような温度で、身体を冷やした。
なのに。
目覚めのぼんやりとした中でもいつもとの「違和感」を感じる場所がある。
畜生。
浅かった眠りの残滓が、頭の動きを鈍らせる。
腕が、熱い。
肩と、頭。
あの野郎。
わけもわからずに栗田が絡み、ムサシが無遠慮に撫で回した場所。
何だったんだ、あれは。
ごろりと転がり、枕に顔をおしつけた。
目だけで、つかまれた腕をちらりと眺める。
今でも残る、あの手のひらの感触。
栗田に押さえ付けられ、逃げ出そうと暴れていた最中だったのに。
触られたそこだけは別物のように、ムサシの手のひらを受けていた。
耳の先と、脇腹。
触れられた事を思い返せば、すぐに感覚が蘇る。
仕事で荒れ、ひびの入った手の平がこする、痛がゆい感触。
あり得ないと何度打ち消しても、のびてきた腕は現実だった。
二人があまりに楽しそうだったので、こちらも「怒る」立場でつきあってみた。
つきあった、つもりだった。
あれは遊びで、意識する方がおかしい。
そう思いながらも、あの場所でそれを徹底できたのかどうか、自信がない。
静電気の痛みよりなにより、手を伸ばされたあの驚きを。隠しとおせた自信がない。
栗田が戻ってくる少し前の、あの時。
椅子から床の上に落ちたはずみで、組み伏せられた体勢の。
ムサシがほんの少し、動きを止めた時のあの時。
ムサシは何を思ったんだろう。
熱を持った布が気持ち悪い。
冷えた場所を探すように転がっても、すでに夜具はどこも熱を持っている。
肌に直接触れる生あたたかいさに嫌悪しながら。
ヒル魔はそれでも起きあがれなかった。
あんな事で動揺する自分を、どう思ったのか。
不思議そうに見ている気配があった。
とっさに爪を立ててその下から逃げても。
ムサシの意図がつかめずに、反応できなかったあの時。
意図なんて。
ふざけて遊んでいた、以外にあるわけがないのに。
畜生。
掴まれた腕が熱い。
もう一度、シャワーを浴びよう。
あれはふざけて遊んでいただけで。
こんなに意識する方がおかしいのであって。
言い聞かせながら、もう一度ムサシの指を、思い返す。
勢い良く腹や肩にぶつかり、どばたばとした動きの中で掴まれた腕ではなく。
一瞬、触れていった脇や腹でもなく。
柔らかく、撫でるように触れてきた耳の先の感触。
あれだけは。
何かの意図があったと、思った瞬間。
あの、糞ジジイ。
そんなわけがないのに。
あいつが、そんな事をするはずもないのに。
あの鈍感野郎が何を意識するわけがある?
筋肉ダルマにそんな頭があるわけが、ない。
ただ、触ってみたかっただけなんだ。あいつは、そういう奴なんだ。
口に出す前に行動して、問いつめれば首を傾げる。
あいつは、そういう奴なんだ。
勢い良く上半身を起き上がらせて、そう考える。
気にする分だけ、無駄ってもんだ。
だから。
シャワーでもあびて忘れれば良い。
月曜、学校で会った時に。
何喰わぬ顔でおう、と言えるように。
忘れちまうに限る。
それでも。耳の先には残るんだろう。
あの、小さな接触。
荒れた指先の、優し気な余熱が。
20050419 ちなみに武蔵は夜寝る前に、手のひらに残った感触を思い返して寝たら忘れる。清すぎる‥‥
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back<<[静電気]
<倉庫にモドル>
自分の部屋の中にヒル魔がいる。
それは、何度見ても随分奇妙で慣れないものだなとムサシは思った。
学校が休みでも、栗田やヒル魔と一緒に過ごす事は多い。
大抵が誰かの家に集まり持ち寄った雑誌をめくりながらだらだらと時間を過ごす。
ヒル魔は白紙に何ごとかを書き記し、データをPCに打ち込み続ける。
栗田は手にした菓子を口に放り、その合間合間に話を続けた。
会話は、途切れている時もあればひどく盛り上がる時もあり。
そのどちらも楽しかった。
お菓子が切れたから買って来るねと栗田が出て行き、会話は途切れたきりだ。
学校では多少の気まずさがあっても、不思議と休日にまでは持ち越さない。
「いつもとは違う場所で会う」事が、上機嫌にさせるからだろうなとムサシは思う。
時折紙をめくる音だけが沈黙を撫でた。ベットの上から、雑誌ごしにヒル魔の姿をぼんやりと眺めていた。学校であれだけ感じている居心地の悪さは、今は、無い。
春とは言え、そろそろ柔らかな日射しが熱を持ちはじめる頃。
ちょっとした陽気の中、狭い部屋に男が3人。それなりに熱気がこもる。
窓を開けても通気が悪いこの部屋は、正午を少し過ぎた今が一番熱をはらむ時間だ。手にした雑誌で軽くあおぎたくなる中で、ヒル魔の周りだけが穏やかだった。そこだけ温度が違うような顔で画面を眺めている様は見ていて、面白い。
男にしてはやけに細い指が見事にキーを操作する様も。
室内唯一の椅子を占領しているヒル魔の真剣な横顔も。
下から斜に見上げると余計に際立つ顎の細さも。
ふい、とヒル魔の片手が何かを探すように動いた。筆記具か、手が付けられずにいる麦茶のグラスなのか。探る指先が、何かにふれて、跳ねる。
「痛ってえ」
画鋲でも落ちていたかと身体を起こすと、いまいましそうにヒル魔は舌打ちをし、再び作業に戻る。
「どうした」
「何でもねえ。静電気だ」
へえ。
静電気。
気にした事もない言葉だった。
そういえば今時期は少しホコリっぽい。かもしれない。
試しにベッド脇のスチールパイプに手をのせてみたがうんとも寸とも言わない。
枕元の電気スタンドに触れて、その電球にも指を触れてみたが結果は同じだった。
「なんともねえぞ」
「バカか、体質も関係してんだろ」
言われてみれば、ヒル魔はいつも乾いている印象を受ける。尖った髪や態度や口調に関わらず。汗自体をかくことがひどく少なそうな、さらりとした肌をしている。気がした。
思ったうちに、触ってみたくなった。
のそりとベットから降り、ヒル魔の後ろから右手を延ばす。
「何だよ……つ、てえっ」
細い右の手首に触れるか触れないかのところで、ヒル魔の腕がびく、と跳ねた。
ムサシの指先には、ほんの少しぴり、と走っただけなのに。ヒル魔の目がぎり、と光る。
「何だてめえ!」
そんなに痛いもんなのかと、今度は逆の手を延ばした。逃げられる前に触っておこうと、髪の生え際に指を突っ込む。
「う、っわ……」
ぱちぱちと音がたち、ヒル魔は目を細めて身体を震わせた。やはりムサシの指先に残る電気の刺激はとても少ない。ヒル魔が言う通りに、体質の問題なのだろう。
面白い、とムサシは思った。
髪の中に指をすすめ、気泡が弾けるような小さな音を楽しみたい。
じり、と更に一歩近寄るとヒル魔はひじで応戦する。しかし、姿勢が悪い。椅子に座ったままのヒル魔と背後に立っているムサシでは。
体格の差も利用して、そのままムサシはヒル魔によりかかった。
「っつ、て、めえっ……」
無造作に髪をかき回すと、思ったよりも柔らかな髪の毛が指に絡みつき。手のひらに、指に、ちりちりと刺激を伝えてきた。ひとなでしただけでそれはすぐに治まってしまったが、手を引っ込めるのも何となく治まりがつかずに、そのまま髪の毛をかき混ぜ続けてみる。
「…っの、野郎!離せ!」
腕の下で暴れるヒル魔の腕はむなしく空を切り、何も無い場所をいたずらに殴る。
自分の固く太い髪質とはまったく違う感触が、面白いかった。
近所に住む、毛が長いあの猫を撫でるとこんな感触だろうな、と思う。
いつもの髪型も嫌いじゃあないが、別に下ろしていても構わんだろう。
「は・な・し・や・がっ……っ、………!!」
ムサシに完全に押さえられている身体が沈む。しまった、抜けられた、と沈んだ身体に合わせて腕を延ばす。椅子からずり落ちるように身体を逃がしたところまではヒル魔のねらった通りだろう。しかし、椅子のキャスターがずる、と滑り、ヒル魔はそのまま床の上に崩れた。むろん、ムサシはそうとはわからずにヒル魔をおいかけ。
薄い床の上に二人分の体重が音をたてて落ちた。
「ぅげっ……」
「おお、すまんな」
腕の下にヒル魔の上体を押さこむ体勢に、ムサシは面白い事になったなと思った。ムサシにとっては、何をするにの非常に都合の良い体勢だ。
ムサシの下敷きになったヒル魔は、這い出す事さえ出来ないだろう。
ここでこいつをうつ伏せにして、腕を取れば決まるな。
すでに当初の目的がなんだったのかを忘れ、ムサシはヒル魔の身体をいかに固めるかに集中していた。いつもは口で簡単に言いまかされるムサシにとって、ここは腕力でイニシアティブを取れるチャンスだ。
「いい加減に……」
組み伏せたヒル魔の顔が、ひどく近い。
睨みつけてくるその目に力が無いのは、そのせいなんだろうか?
互いの目線が絡み、ヒル魔が先に目をそらす。頬から目尻にかけて、ひどく印象に残る赤が散っている。
すぐ目の前のヒル魔の横顔に何かがひっかかってムサシはそのまま動きを止めてしまった。この顔は、あれだ、えーと。
「痛ぇえええっ」
こちらに向き直ったヒル魔の顔にはしてやったりの色が浮かんでいた。細い爪がムサシの腕に食い込んでいる。ひるんだ所で腕の下からヒル魔の身体がするりと抜けた。
「何やってんの?」
戸口からののんきな栗田の声に、ヒル魔がびく、と身体を向ける。
髪は派手に乱れ、床を転がったせいで服もよれている。両手で二の腕を掴み、うろたえたように栗田をみあげるその顔は、予想するような怒りは浮かんでいない。
用心するように、足だけでずるずるとヒル魔は床の上を移動し、ムサシから距離を取っていく。けれど、いつものような罵声も睨みも飛んでこない。
そう。
怒っているようには感じられない。
ムサシの顔に笑みが広がった。
「おう、栗田。こいつ面白ぇぞ」
「何、言って……」
「頭触ると、静電気すげぇ」
「ああ、乾燥してるもんね」
コンビニで買い足した菓子を袋から出しながら、のそのそと栗田がヒル魔に近寄る。
「あれ、でもヒル魔、めずらしいね」
身なりを整えているヒル魔の手を、ひょいと栗田が取って首をかしげる。
「手、すごく汗掻いてる」
治まりかけたヒル魔の顔色が再び変わり。
怒鳴り散らされる前にムサシは栗田へ声をかけた。
「栗田、そっち押さえろ」
「え?こう?」
「そこどけ、糞デブ!何してやがる!」
座った状態で栗田によりかかられれば、まず、動けない。
「いや、こいつの髪がな」
「どけ、栗田!てめえ後で覚えてやがれ!」
「あれだ。パチパチ君だ」
「うわ、ムサシそれ古いよ」
がんがんと肘や足で抵抗するヒル魔を気にもせずに、栗田はスナックの袋を開ける。
「もう少し待ったら充電できるぞ」
「テメー、どけ、畜生!!」
ヒル魔の手が届かない距離を保ちながら、今度はどこを触ってみようかとムサシは考えた。
耳が、いい。
どうせなら滅多に触れない所が、良い。
ばさばさと乱れた髪が顔にかかるのは新鮮な眺めで、二人は抵抗する凶悪な友人を楽し気に眺めていた。
「……っ、デブ、このっ」
「無駄な抵抗だな。諦めろ」
結果はどうあれ。ヒル魔に対してせっかく取った好ポジションだ。
「栗田、のっかれ」
「てっめ……」
盛大なヒル魔の怒声。
気にせずに菓子を食べようとして、あたりにまき散らす栗田。
それを眺めるムサシと。
あんたたち、いい加減にしなさい!
階下から、ムサシの母親が怒鳴る声も含めて。
彼らの休日はこうして過ぎる。
栗田がおぼっちゃまくんにしか見えない時がある。
ムサシはどう見ても銭形かゴルゴ。
ヒル魔はラムちゃん。
すごい面子だよこれ。
あと、ムサシの毛って凄いと思う。全身。くまなく。
あと、先週のジャンプで大発見。ヒル魔の目、青いよ!びっくり!
20050418 上記発言は書いた当時の物です。……ばか…。
言われて気がついたので追記。当時の私の脳みそになんか虫が沸いていたとしか思えませんが、ゴルゴは13です……。ばか……。
過去の自分の恥じに今の自分がやられてしまうとは思いませんでした。
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<倉庫にモドル>
このところ、二人の様子がちょっと変だ。
栗田は、ここは自分がなんとかしなくちゃね、と考えた。
でも、何が変だと言うわけじゃない。
何だろう。
元々ヒル魔はあんまり目を合わせて話しをしない。
ムサシだって、元からそんなにしゃべる方じゃ無い。
だから、二人の目が合ってもすぐに逸らすのもいつもの事だし。
ムサシが話し掛けようとして、途中でやめるのもいつもの事。
だから、別におかしな所は無いはずなのに。
二人の様子が、「ちょっとだけ」変だ。
栗田は首をかしげた。
喧嘩をしたようにも見えないし、
仲が悪くなってるようでもないし。
ぎくしゃくしている割には、いつも一緒にいるみたいだし。
何だろうなあ。
栗田は選んだ商品が運ばれてくる間中、出口の見えない問題に首をかしげた。
今日も外は春の雨。水音も立てずに無数の細い糸が地に落ちて行く。
雨という気配を感じさせない程のひそやかさで、水の気配だけが濃く
立ち篭めていた。
部室が無い現状では、教室でだらだらと過ごす以外にする事がない。
面倒臭くて、帰ろうと思ったのに。
栗田が待っていてくれと言い残して、出て行ってしまう。
ヒル魔はため息をついた。
すぐそばのムサシに聞こえないように、小さく、小さく。
昨日は恥ずかしかった。
うかつに口に出さなくて、本当によかった。
「手弁当」。
知らない言葉をムサシが口にするので、なんの気なしに、検索してみた。
けれど、よくわからない。
手作りの弁当でいいのかと検索語を変えてみた。
そのうちに。
実は別の意味があるんじゃないかと調べてみた。
結局、自分が考えた意味は見つけられず。ムサシを相手に、バカな想像をしたという事実しか残らなくて。
はずかしくて、顔が火照った、昨日の放課後。
何を考えていたかなんてばれるはずも無いが、さすがに顔を合わせづらい。
そんなこちらの都合も知らずに二人きりにさせた栗田が憎い。
何やってんだ、あのデブは。
突然席を立ったヒル魔を、ムサシは驚いて見上げた。
「どうした?」
「ちんたら待ってられるか。ちょっと見てくる」
じゃあ、俺もと声をかける前に教室から出て行かれる。
なんだかよそよそしい態度は昨日から続いていた。
まさか、パソコン見たのばれてねえよな。
こちらも弱味があるので、強気にどうした、と聞く事も出来ない。
どうしたもんか。
ぎしり、と椅子を傾けさせて後ろの机に寄り掛かった。
ひっくり返る程に反り返って、足を前の机に乱暴にのせる。
学年中から恐れられているあのヒル魔が、最近やけに気にかかる態度を取る。
意外にあいつと気が合うとわかったのは随分前で、親しくなってからはどんどんその距離が近付いた。
近付いたと、思っていた。
まさか、嫌われちゃいないよな。
そう考えてみると、心当たりがいくつもあった。
いつもこちらを見ているようなのに、顔を向けるとすぐに逸らされる目線。
何かとぎゃあぎゃあ噛み付いてくる口調は普段からなのに、自分に対しては、どこかよそよそしい気がする。
登校中も、すぐそばにいる割には声さえかけてこない。
……嫌われてんのか。
それは、そう思う事は、とても胸に重く沈んだ。
いつのまにか、親しくなる事はあっても。
自分から働きかけて距離を縮めようとした事はあまりない。
いや、全くない。
だから、悩んでいる。
嫌われたく無いと思うのも。
もう少し親しくなりたいと思うのも。
全部、初めての事だけに方法がわからない。
人の懐に入るのも、弱味を握って主導権を掴むのも、弱々しく見せて虚をつくのも、あいつはとてもうまくこなす。そんな相手が自分に対して距離を置いているのだ。
どううまく立ち回ろうとも、その距離は一生縮まらない気がした。
「おまたせー。あれ、ヒル魔は?」
がらりと戸が引いた者にすがるように目線を延ばしたが。
それは、望んでいた人物ではなかった。ため息がばれないように、机から音をたてて足を下ろす。
「ああ、遅いから探しに行ったぞ」
「えぇ、行き違いになっちゃったかな」
そんな事は無いだろうなと少し思って、ムサシは自分で考えを打ち消した。
「待ってりゃ来るだろ」
栗田の両手の荷物を見て、正直げんなりしながらそう答えた。
こいつも、悪いやつじゃないんだがな。
なんだってこうも甘い物が好きなんだ。尋常では無い量の甘物に自然と片眉があがる。
「えーとね、ヒル魔と、ムサシの分もあるよ」
ぐえぇ、と声にならない呻きをかろうじてのみこんだ。
「用って、何だ」
箱を開けたとたんに広がる独特の臭い。
鮮やかに飾られた甘い凶器はショーウィンドウ越しに眺めるものであって、食べる物じゃぁ、ない。
にこにこと一つ一つを並べながら栗田はその商品の説明を始めた。この上なく楽しそうな笑顔を浮かべて。
まさか、ヒル魔は逃げたんじゃないだろうな。と考えて、もう一度打ち消す。
あいつは、少なくとも栗田の事はとても気に入っている。
「なんか、ここのところ、練習できないからストレスたまってるンじゃないかなって思ったんだよー。甘いものって、ストレス解消に良いからね!」
ムサシにとっては、皿の上がまさにストレスの塊だ。
「あとね、飲み物。コーヒー切れててこれしかなかったんだよ」
どん、と置かれたのは見た事も無い甘ったるそうな飲料が2本。そして、濃縮還元の果汁飲料。
せめて、これで流し込むしかねえなと、手を延ばしかけて。
ふと、ヒル魔はどうなんだろうと思った。
あいつが、甘い物を食べているところが想像できない。
何となく、甘味が全面に押し出されたパッケージを選んでいた。
我慢すりゃ、飲めない事はないだろう。
覚悟をきめた時に、教室にふらりとヒル魔があらわれた。
「おう」
「ヒル魔ー、どれ食べる?」
指差す先を見て、思った通りにヒル魔は苦々しそうに眉を寄せた。
ヒル魔の制服の肩から背中にかけての色が濃い。いくぶん髪がしんなりと柔らかさを含んでいる。外に、おそらくは屋上にでも行っていたんだろう。そうして、栗田が帰って来るまで時間を潰していた。ここで、二人で過ごさなくてもすむように。
だから。この大量の甘物を見ても、驚かない。
どこかで栗田が戻ってくるのを見ていた証拠だ。
ヒル魔の行動を予想して、そんな卑屈な考えに自然と眉が寄った。
これは考え過ぎって奴なんだろうか?
「甘くねえやつ」
「じゃあね、これとこれ」
「……」
ぱくぱくと口を開いて、閉じて。いまいましそうに音をたてて椅子に座るヒル魔。なんだかんだでこいつも、栗田には甘いのだと思った。
ぐさりとフォークを突き刺して、丸ごと持ち上げた甘物の端に噛み付く。食いちぎるかのような食べ方を見せ、ヒル魔は甘ぇ、と呻いた。
「えー、それ、甘さ押さえたやつだよ?」
やっぱり、甘い物は苦手なのか。
ヒル魔とは目が合わない。ヒル魔が顔を向けようともしないので、むしろぶしつけに眺めてみた。流し込むように果汁をあおり、ふうと息をついてフォークの先の残りを一気に飲み下した。
「あー、アイスもあるんだよ!来る途中で理科室の冷蔵庫に入れてきたの。取って来るね!」
ばたばたと教室を出て行く栗田。その慌ただしい足音にかき消されても良いのに。小さな舌打ちをムサシの耳は拾ってしまった。
甘さに対する、苛立ち。だと。思う事にしたい。
教室には静けさが戻った。皿の上のひとつを片付けたヒル魔は、口の中の甘さを押しながすように続けざまに果汁をあおる。そうして、その視線が、手付かずのこちらの皿を捕らえた。
手にしたものの、すぐに飲む気にもなれなかった甘味飲料水を、見ている。
「てめぇ、甘いもん平気なのかよ」
「ん?ああ」
言われて何気なく口をつけ、想像以上に濃厚な甘さにむせ返った。
下を向いて、げほげほと息を整えているムサシに上から声がかかる。
「無理してんじゃねえか」
「い、や。気管に入った」
「嫌なら嫌って言えばいいじゃねえか」
「別に」
「何でそっち選んだんだよ」
ぼそりと小さいつぶやきは。咳に打ち消されてしまうほどだったのに。
小さな小さなその言葉を、ムサシの耳は拾っていた。
思わず顔をあげると、驚いたようなヒル魔の表情がそこにあった。聞こえると思っていなかったのだろう。
「何でって」
虚をつかれ驚いた顔はしばらくぽかんとこちらを眺め、それから急いで目がそらされる。その仕種で、自分が聞き間違えていない事を知った。ヒル魔の目はどこかに逃げたきり、こちらを見ようともしない。
何だってこんなに避けられているのかが気になった。
避けられていると言うより、むしろ逃げ腰と言った方が近い。
こんなに凶悪で。誰からも一目置かれているこいつが。
俺に逃げ腰になる理由は何だ?
「何見てンだ」
ふと、気がついた。こいつは俺に対して、なにかと距離を置こうとするのに。そういえば、逃げられた事はない気がした。ヒル魔の手腕ならば、完全に俺を避ける事も簡単だろう。
栗田と二人でつるむ事も可能なはずだ。登校中に俺をみつけて、嫌だったら道を変えればいい。何だ。混乱する。
「お前…………甘いもの苦手だろ」
「……だからどうした」
だからどうだっていうわけじゃない。
普段使わない頭で物を考えると混乱するだけで、埒があかない。
「やっぱりな、って思った」
ぎ、と睨まれた。
その睨み付ける顔に迫力がないなあとぼんやりと思う。
どうしてだろう。のんきにそんな事を考えてヒル魔を見る。
そうして。ムサシははたと思い付いて口を開いた。
「顔、赤くねぇか?」
その言葉が何かのスイッチだったように、ヒル魔の顔が色を変えた。
そうだよな、冷静に凄まれるから恐いんであって、こいつが顔赤いとどうも迫力が出ねぇ。
見つけた答えは今日一番のひらめきだろう。自分にしちゃ、上出来の答えだ。
みるまに耳の先までが赤く染まったヒル魔は、ふるり、と身体を震わせ。
「甘いもんが苦手で悪いか、残りは全部てめぇが喰え!」
皿に残っていた甘さの塊が、ムサシの手付かずだった皿の上に勢い良く押し付けられる。
ど真ん中にフォークが突き刺さったそれのおかげで皿の上には恐怖の小山が完成していた。
が。
「いいか、栗田が来る前にその皿、全部片付けろ!俺は甘臭ぇもんが、大嫌いだ!」
一口噛み締めて、甘ぇ、とムサシは呻いた。
何かを考えていたと思うが、脳天をつくような甘い刺激が強すぎて、思い出せない。
色々考える事はあったはずなんだが。
「砂糖が脳に回って、死ね」
ヒル魔は言い捨てると、こちらに背を向けてしまう。
足を机の上に投げ出し、それきり何も語らない。
甘さに耐えながら咀嚼する音だけが雨音に混じった。
しばらく間を置いて、ヒル魔がため息をつく。顔に差した赤みは大分落ち着いたようだ。
遠くから栗田の足音が近付いてくる。その足音に混じり、小さな、小さな音をムサシの耳が拾った。
それは、本当に小さくて。
吐息とは、こういうものかな、と考えて、ムサシはがりがりと頭を掻いた。
うまくいかないだけでなく。
この間から、何かおかしい。
ヒル魔はねえ。あんまりムサシの前で恥ずかしいと、目から☆が出ます。
効果音は、ガン!で。チカチカで。少女漫画で。恥ずかしくなれ。
20050418
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<倉庫にモドル>
[弁当]
栗田とヒル魔とムサシと、三人の間でくだらない会話がだらだらと続く。
外は雨。春とはいっても、こんな天気の日は肌寒い。
体育館はスペースがとれず、廊下も他の運動部に占領されて。
こんな日は、する事もみつからない。
来週末には桜が満開だから、どこかに花見に行こうと栗田は主張する。
面倒くさいと乗り気にならないヒル魔は栗田の話を聞き流しながら、
膝の上に愛用のvaioを広げていた。
ムサシは机の上の見飽きた雑誌をぺらぺらとめくった。
三人でどこに行こう?と栗田がこちらに会話を振る。
どこでもいいと相づちを打つと、てめえは花より食い気だろうとヒル魔が笑った。いつもの会話がいつもの様に流れる中で、鞄の中で携帯が鳴った。
工務店や現場で知り合った、他店の棟梁からの電話。
用件はいつもと同じ。手が足りないから手伝いに来てくれというやつだ。
大した礼も出来ないけど、頼むよと言われれば構いませんよと返すのが礼儀。
手弁当で行きます、気にしないで下さい、と伝えれば電話の向こうは恐縮するように頼む、とくり返した。
収入にならない仕事でも、いずれはこの仕事につくだろうこの身にとっては、
今の年令からでも経験をつめるのはかえってありがたいとお決まりの台詞で会話は終わる。
特に変わった内容でもなく。
いつもの会話のはずなのに、ヒル魔がこちらを見つめていた。
何やら、おかしな顔をして。
不審に思われるような会話ではなかったはず、だ。
ヒル魔はすぐに目を伏せ、ノートPCを操作しはじめる。
何か気に触るような事でもしただろうか、と気になった。
栗田との会話も上の空で、ちらちらとヒル魔の様子を伺うと。
ついさっきまでの暇そうな雰囲気と変わり、眉根にしわがよる程の
真剣さで画面を睨んでいる。
「だったら、来週はうちで花見にしようよ!お弁当は用意するから!」
同時に、ヒル魔の顔が赤く染まった。
珍しい事もあるもんだと、思わずまじまじと見つめてしまい、
目があった瞬間に。ヒル魔の耳まで赤が走った。
大きな音をたてて、PCの画面が閉じられる。
「どうしたの、ヒル魔。トイレ?」
「……ああ、ちょっと出てくる」
乱暴なほどの足音が遠ざかり、再び栗田は熱く休日の予定を語り出す。
「今日みたいに雨が降っても……ムサシ?」
「来週の天気でも調べとくか」
「やめなよ、勝手に触ったら怒られるよ」
「おう」
返事にならない返事をしながら、そっと画面を開く。
ヒル魔が何を見ていたのか、気になった。
ウィンドウがいくつも開き、そのどれもが検索画面のまま。
キーワード欄に打ち込まれた言葉は、どれも同じ。「手弁当」。
なんだ?
「手 弁当」「手で 弁当」。
手弁当、の意味がわからなくて、それで検索していただけなら。
あの反応は少しおかしい。
何より、それを調べるだけならこんなに手間もかからないだろうに。
自分が知らないだけで、「手弁当」に何か他の意味でもあったんだろうか?
手弁当。
手づくりの弁当。
電話の中では「自分で必要な物は揃えて手伝いに行く」という意味で、使ったと思う。
多分、ヒル魔は他の意味を探したかったんだろう。
でなければこれほど言い方を変えて何度も検索はしないだろう。
けれど、言い方を変えても出てくる物はたかが知れている。
現に上に見える画面は皆、似たような内容でしかない。
「ムサシー、ヒル魔帰ってきちゃうよ?」
「おう」
何もわからない。
とりあえず元の画面の順番にでも戻そうとして、一番後ろの窓に気が付いた。
検索の言葉は「弁当 ロ」。
ますますもってわからねえ。あいつ、何考えてるんだ。
PCの画面を閉じ、元の席に戻る。ヒル魔はまだ、戻ってくる様子がない。
手の、弁当。同じ男とは思えないような細い、ヒル魔の指。華奢な手の弁当。
最後のはなんだ。ロ?口か?
弁当は弁当だろ。口の弁当。手と、口の、弁当。手と、口?
花見に行く。弁当の時間に、ふたを開ける。
なぜだか中にはヒル魔が入っていて、
俺に向かって手を差し出す。桜のように色のついた、唇と一緒に。
まさか、な。
流れるようにバカな想像をしてしまい、自分で自分を即座に打ち消した。
しかし。
それだけでは、止まらなかった。
むしろ、どんどん下世話な方へと流れて行く。
ヒル魔の器用な白い指がちらちらと頭に浮かんで消えて。
よく動くわりには小さな口。薄い唇。それが、重なる。
頬が熱い。まずい。
ヒル魔の野郎。あいつ、何考えてやがるんだ。
俺は。何を考えているんだ。
「ねえ、ムサシ。週末の天気どうだった?」
「あー、ああ」
ヒル魔が戻る気配はない。
「ムサシ、顔赤いよ?」
「週末は暑くなりそうだとよ」
窓の外に目を向けるて、ごまかす。
ちくしょう、ヒル魔にどんな顔をすればいいのかわからなくて。
ムサシは大きくため息をついた。
俺は、何を考えていやがるんだ。
20050413 なんつうか、結論が全く見えない話だったんですが妙な所で好評でした。こういうのはありなんでしょうか。
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<倉庫にモドル>
校門の前でいつものように少しだけ時間をつぶす。
ヒル魔はため息をついた。桜もだいぶん散り、
足下にちらばった白い残骸をやつ当たる気持ちで踏みしめる。
そろそろ、いいか。
遅刻しない程度には急がなけりゃならない。
この面倒臭さが、自分の行動の不可解さを全部表している気がする。
軽く下駄箱へ走り込み、いつもの位置に手をのばすと。
「おっ………う」
そこに、機嫌が悪そうなムサシが、立っていた。
「な、なんだよ」
とっさに、両手を上着のポケットにつっこんだ。
薄い鞄をひじで支え、できるだけ自然に見えるように胸をはる。
ムサシからの言葉はない。何かまずいことでもしただろうかと、
思い返すが見当もつかない。
めったに感情を出さないムサシが、眉根にしわを寄せて。
不機嫌そうに俺を見ている。
「そこどけよ。靴出せないだろが」
乾きそうな咽で声を絞り出した。ただでさえ、ムサシといる事は
緊張が続くのに。
正面からこうして黙って立たれては決定的に間が持たない。
ムサシの顔を、まっすぐに見ることさえできないのがばれてしまう。
そろそろ周囲の空気が慌ただしい。
遅刻のリミットが近いため、二人に構う者はいなかった。
むっつりと黙ったまま、ムサシはヒル魔の足下に靴を投げた。
うっすら灰がかかった上靴に、「蛭魔」の名前がにじんでいる。
俺の、上靴。
「な、んだよ」
ムサシの意図がつかめないまま、それを足で引き寄せ、
つま先だけを乱暴につっこむ。紐靴はそう簡単に足の侵入を
許してくれず、ヒル魔はつま先で床を何度もたたいた。
唐突に、ヒル魔の足下にムサシがしゃがみこむ。
足首をつかまれ、反射的に逃げようとするが、両足を固定される。
つんのめり、ムサシに倒れそうな体をなんとか支えたとき、
ヒル魔は今度こそ、体をこわばらせた。右足の、靴紐がほどかれる。
「足、入れろ」
「あ、ああ……」
素足だった事を後悔した。
じかに肌に触れてくるムサシの手のひらが、やけに熱い。
伝染するように、体を熱が走り回った。ムサシが。俺の靴を。
足下にしゃがむその大きな背中は、自分の靴紐を結ぶためだけに
丸められている。
なんだ。何が起きているんだ。
抵抗できなかった。今、顔をあげられては困ると思った。
随分時間をかけて右足が終わると、今度は左足の紐を引かれた。
乱暴にされたため紐がからまり、ムサシがため息をつく。
その息が。足に触れる。
熱い。
たかが、靴をはかされているだけなのに。
こんなにも動揺する方がおかしいのに。
息があがる。
こめかみを流れる血流の音が聞こえた。
たまらず、目をそらして息をはいた。
ポケットの中で握りしめた両手は、とうに汗ばんでいる。
目を閉じ、目を開け、目のやり場に困って、上を向く。
あたりに、生徒の姿はない。
落ち着け、と自分に念じる。
しばらく足下でごそごそとしていたムサシが、ようやく立ち上がる頃。
まだ頬が赤い自覚のあるヒル魔はうつむく事しかできない。
「手、出せ」
やばい、と思った時には両手をつかみあげられていた。
どさり、と鞄が足下に落ちる。
なんだこいつは。
朝っぱらから人の足を触って、今度は、手を、と。
罵る事さえできなかった。
ムサシの視線が、ヒル魔の指先で止まる。
肌の色に近いテープが両手の何本かの指に巻かれていた。
一つは、はっきりと血が滲んでした。
ため息をつかれ、ヒル魔は両手をふりほどいた。
「なん、だって」
「昨日の練習だな」
言葉につまる。
「感触がおかしかった。すまない」
「別に、てめぇのせいじゃねえよ」
昨日。キックの練習中に日が暮れた。
それでもお互いに途中で止めるのがもったいと練習をくり返した最中に。
何度か、ムサシに蹴られていた、指先。
あれほどの破壊力は、武器なのだから。
たかが指先の怪我ぐらいで、ためらわれちゃ困るんだ。
そう、言いたかった。
ヒル魔は、鞄を拾うともう一度両手をポケットにつっこんだ。
「上手くなりゃいい。お互いにだ」
「痛くないのか」
「大したことねえよ」
ムサシのため息には、少し安堵が混じっているようだった。
『いつまでも蹴られてる俺じゃねえ』
『これは貸しだ』
いつもならぽんぽんと出てくる言葉が全部咽で凍り付く。
心配、していんだろう。ムサシが。俺を。
嬉しくて、恥ずかしくて、黙っていると、つまらない事をしゃべりそうで。
とっさに、靴紐を見た。
ぎゅうぎゅうと締め付けられて、あまった紐が踏み付けそうなほどに長い。
「不格好だな」
自分の事も言ったつもりだった。ムサシの不器用さにかけて。
返事がないので、ふと顔を向けると。
そこに、顔をそむけるムサシがいた。そむけている、首までが赤い。
「俺は、お前程器用じゃねえんだ」
自然に、笑えた。
おかしな空気の、出口が見えた。
「はは、確かにてめえは、器用じゃねえな」
照れを隠すようにムサシは足下の鞄を拾い上げ、先を歩き出した。
誰もいない廊下を歩くムサシの背中を見ているのは、
自分だけだと思うと急に気分が良くなった。
その背中が、少しこちらを向く。
「ヒル魔。」
「あん?」
「朝は、声ぐらいかけろ」
今日、何度目かの驚き。まだ朝だというのに。
予想もしない驚きを、こいつは何度放り投げてくるつもりなんだ。
立ち止まらずに教室へ向かうムサシの背中を。
顔の火照りがおさまるまで、ヒル魔は追い掛けることができなかった。
青春万歳!
あー、指先だけでこんなにきっついんです。ヒルが足首を怪我するなんて耐えられません!ひい!
今、せっかく波なんだから。現時点ねたとかでいってみてもいいのか。
学生か。ガクランか。
でもはずかしい。ポケットとか下駄箱とか。
恥ずかしいよ。もうおばさんだよ。
20050411
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<倉庫にモドル>
桜という花は、あまり好きじゃない。
白すぎて、小さな虫に見える。
一つ一つは白いのに、びっしりと集まれば
ほんわりと色がつく。
とても、居心地が悪い。
気にくわない花だと思っていた。
のに。
今年の春はずいぶん様子が違う。
たった一人が、いるだけで
こんなに風景を変えるなんて、
知らなかった。
毎日が、新しい発見。
あいつと知り合って初めての春。
20050404このころは日々ムサヒルしてたんだよなあ。
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<倉庫にモドル>
通学路は、はっきりと色が分かれる。
黒と、白と、肌の色。
見慣れた道は新鮮さが消える過程で色も消えた。
目に入るのは、人の背中。動く色。
ざわめきと、けだるさ。
春の眠気。
飛んでくる桜の花びらはどこから来るのか、知らない。
そんなものが、全部静かになったとき、ああ、と思う。
いた。
大きな背中。
寝癖がついている髪をむぞうさになでる、腕。
少し猫背で、歩く速さは遅い。
何も考えていなくても、勝手にそいつの背中を俺は見つける。
糸に引かれるように、意識が引き寄せられる瞬間。
音が消える瞬間だ。
歩く癖のせいで、右足のかかとが少し、すり減っている。
買ったばかりの靴がそうなったのはきっと仕事中も
あれを掃いているからだ。
新しい空気と、新しいにおいに満ちたこの通学路で、
すこしくたびれた背中。
のしのし、というのが似合うと思う。
後ろから走って蹴飛ばしても、きっとあまり気にしない。
それで、「おう」と短く声をかけてくるだろう。
黒い制服の背中に足の跡が付いても、あいつは文句を言わない。
学校までの短いみちのりを、ああ、とかそうだな、とか
そんな片言でつなぎながら、俺と歩く、だろう。
すこし歩調を落として、距離を保つ。
すりへったかかとに白い物。あれは桜の花びらだろうか。
道をたどると、踏まれた一つの花。
同じように、右足で踏んでみる。
かかとに同じように花びらがついたかもしれない。
左足についた泥のハネは、昨日はなかった。
ここ数日の晴天ではつかないものだから、
きっとそういうところで仕事をやったんだろう。
のそり、というその歩みが止まらないように、
突然後ろを振り返らないように、
俺は足音を潜めて歩く。
おなじ道を、後ろから歩く。
校門まであと少し。
ひらり、と舞い落ちてくる小さな白が、
あいつの髪にからんだ。
近くに桜の木があるのかもしれない。
学生はみんな知っているようなところに。
今日は、あの白がいつ落ちるのか。
それを見ていようと思った。
俺だけが、その瞬間をみれればいいなと。
思った。
あいつの後ろ姿を観察するための、少し遠回りする通学路。
今日も、同じ展開。
それが少し楽しい。
それがとても嬉しい。
20050403 日記はじめてすぐにこんなもん書いて……。遠い目。
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<倉庫にモドル>
やまだ