言の葉孝

2010年12月31日(金) 2010年総括

 年末は叔父の葬儀で埋まりました。27日にクモ膜下出血で倒れたと思ったら、一度も目を覚ますことなく、29日にそのまま亡くなりました。絶望的な状況ではあったのですが、まだ2,3日持つかな、と思ってお見舞いに言ったその日に臨終に立ち会うことになりまして。
 そのまま30、31日は通夜、葬式でした。
 叔母も大変な悲しみようで、喪主の祖父があっさりしていた祖母の葬儀とは違った重さがありました。故人の息子である従兄弟は、もっと実家に帰ってくればよかった、9月の祖母の葬儀中の夜伽でやっとまともに話せたのに、といろいろ悔いの残るお別れだったようです。

 さて、そんな出来事で年末を迎えた2010年はいろいろあった年だと思います。

 01月:
  SJC-Pに合格。
 04月:
  部署変更。日本ほぼ縦断の旅
  一度目の基本情報技術者試験失敗
 06月:
  下宿を引き払って実家に引越し。
 07月:
  ap bank fes'10の旅。
 08月:
  新しい自転車、鞄を購入
 09月:
  アラサーに突入。妹が結婚。
  仕事で神奈川県川崎市にてホテル暮らし。
  東海道踏破。
  祖母が死去
 10月:
  二度目の基本情報技術者試験失敗
 11月:
  Adobe Creative Suite Standardを衝動買い
 12月:
  『そうさく畑85』に参加申し込み
  叔父が死去

 重要なやつだけ抜いても、部署変更とか、引越しとか、妹の結婚とか、祖母叔父の死去とかいろいろ大きな変化が起きていますね。
 いろいろありすぎて、部署変更とかSJC-Pの合格が今年のことだったなんて忘れてましたもの。

 サイト……は正直2010年の更新履歴がない状態なんですよね。いまだに終わったダイエット企画のコメントのっけてるし。日記は気まぐれに書いてましたけど。

 趣味としてはTRPGのリプレイにハマッた年でもありました。『ダブルクロス』だけではなく『アリアンロッド』もリプレイはほぼコンプリートしてる感じですね。『ダブルクロス』に至っては小説を書くためにルールブックも買い揃えたくらいです。

 仕事的には……分からんことも多いせいか、あんまりいい社員ではなかった年だと思います。しょっちゅう詰まってはYahoo!ニュースとかWikipedia見てましたし。来年、直るのかな、これ。
 会社的には制度が変わって、成果主義が多少入るみたいなんで、勉強もしっかりしないといけないですかな。正直それどころじゃないんで、あんまり仕事のことは考えたくないのですが。

 あと旅ね。東海道踏破の旅が終わったので、新しい旅を始めようと高い自転車買ったんですけど、まだ買った8月から10回も乗ってないんですよー。冬とか寒くて外出る気になりませんでしたし。
 で、2011年につながるのが、文芸サークルを作る決心ですね。以前も書いたとおり、動機としては馴れ合いの場を作りたいという想いからだったのです。それだけではなく、創作というものだけではなく、文芸というものを自分なりに考え直したい、と気持ちもあります。
 その辺のことは2011年の所信表明にまわしましょう。

 なんかいろいろあったけど、あんまり締まったことのない年2010年でした。
 よく頑張ったポイントは「SJC-Pの合格」と「東海道踏破」くらい?
 これから頑張りましょうポイントはたくさんあるんですけどね。

 では、みなさん2010年もいろいろお付き合いくださいましてありがとうございました。
 よいお年を!


2010年12月25日(土) 『KAGEROU』について

 『もしドラ』も「世間で評判が高い作品なんて買いたくない」「表紙につられて買ったと思われたくない」と手を出さない天の邪鬼の僕ですが、不思議と『KAGEROU』は騒がれた当初から読もうと思っていました。

 俳優・水嶋ヒロが作家として生きていくと公言し、名前を隠してポプラ社の賞に応募、そしてめったに出ない2000万の大賞を受賞するという、世間としては「ふざけんな」の一言の話です。
 古くは高校時代から10年近く、漫然と小説を書いてきて、ようやく文芸というものを意識し始めてきた(のではないかと思い始めている)僕として気になっていたのが、「何で水嶋ヒロは作家で食べていきたい」と言い出したのか? という一点でした。

 しかも当初は「俳優止める」とまで言っていたのですから、相当な覚悟です。小説を書くという行為に、どんな想いを持っているのか、です。
 まあ、ゴーストライターですとか、なってない水嶋ヒロの小説を出版社の人間が必死に直したとか言われてますが、そんな大人の事情は世間で囁(ささや)かれている以上のことは推測しかできません。
 多少なりとも知るために、唯一できることは、のはとりあえず「どんなもんなのか?」と読んでみることでした。


 前置きが長くなりましたが『KAGEROU』の感想です。
(キャラクター名などは実名で書いています。極力キモには触れませんが、ネタばれ注意です)

 悪くはない作品でした。「生きること」と「死ぬこと」をテーマにして、ヤスオという男が色々な人と会話をするという感じです。
 前評判でも触れられていますが、文章としても平易で、小中学生の読書感想文にはちょうどいい感じですね。

 話の展開としては登山が一番近いですね。「山頂に行く」という目的があり、それ以外の伏線等はほとんど張られておりません。「ああ、これは伏線だったのか」と思ったところも、物語の本編としては全く関係のないところです。
 「これから何が起こるのか?」という以外は、先の事は考えなくてよいですし、ただその場で起きていること、その場で話されていることに「ああ、なるほど」とか「いいや、これは納得できないな」とか思っていればいいので読む方としては非常に楽です。

 ただ、感動はありません。
 感極まった言葉づかいは最後を除いて皆無ですし、展開としてのどんでん返しはありますが、ドキドキやハラハラといった類の心の動きを呼び込むものではありません。キャラクターとしての動きは、10人に満たない人数の人と会話をするだけで、大きな苦難を乗り越えるわけでも、小さな努力をするものでもないからです。
 水がただまっすぐと流れていくような、そんな作品だと思います。

 僕は作家としても書評家としても大したレベルではないことを自覚しつつ評させていただくと、これが大賞になるほどスゴイ作品にはどうしても見えないのです。

 せめてキョウヤについてもっと深く掘り下げていれば、だいぶん評価は変わると思うんですけどね。大賞に届くかどうかはさておき。
 あと、この作品に対して、作者がいろいろ語る「あとがき」や、そうでなくて大賞に選んだ理由などをかいた「解説」などを巻末に持ってきていただきたかったですね。


 作品とは関係ないですが、最悪なのが帯です。

『第五回ポプラ社小説大賞受賞作
 著者・齋藤智裕が、人生を賭してまで
 伝えたかったメッセージとは何か?

 そのすべてがこの一冊に凝縮されている』

『哀切かつ峻烈な「命」の物語。
 廃墟としたデパートの屋上遊園地のフェンス。
 「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。
 そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。
 命の十字路で二人は、ある契約を交わす。
 肉体と魂を分かつ者とは何か? 人を人たらしめているものとは何か?
 深い苦悩を抱え、主人公は終末の場所へ向かう。
 そこで彼は一つの儚き「命」と出逢い、かつて抱いたことのない愛することの切なさを知る。』

 一読してから、この帯を見たら、この白々しさが際立ちます。
 このコピーを書いた人が、嘘をついていないなら、エレベーターで1回から屋上まで上ることさえ、エベレストの登頂に匹敵する冒険ととれる感受性の持ち主ですよ。

 先に書きましたが僕は、レベルは決して高くないけど『KAGEROU』という作品自体は悪いと思いません。
 しかし、このように作品の評価どころか、性質まで捻じ曲げるような嘘の広告をしてまで本を売ろうとする精神は許せません。


2010年12月23日(木) 『そうさく畑65』に申し込みをしました

 世間のオタクさんたちがコミケの宣伝に明け暮れる中、僕もついに!! 同人誌即売会イベント『そうさく畑』に参加申し込みをしました。

 決めたのは大分前なのですが、サークルカット(当日販売されるパンフレットに載せる広告)を作るのに大分かかってしまいました。

↓こんなんです↓(画像アップロード機能使うの初めて!)


 せっかく買ったので、ということでイラストレーターを使ってサークルのロゴを作っているうちにずいぶん経ってしまったんだぜ!

 というわけで、来年から関西社会人文芸サークル『文机(ふづくえ)』を立ち上げたいと思います。まだまだサークルの体すら立ってないですけどね。
 メンバーとしては今のところ、小説サイト『それはなにかとたずねたら』のリープさんが参加してくださってます。
 その他、オリジナル文芸やりたいけど、発表の場がないなー、とか、そろそろ一人で創作やるのも飽きたしだれか文芸話で盛り上がれる場が欲しいなぁ、とか思っている方はぜひどうぞ。

 発行する文芸誌『コトダマ』(安直な名前)ですが、とりあえずは作って参加するところからなので、中の作品はほとんどネット既出の作品です。ショートショートくらいは書き下ろしたいところですけど。

 さて、どうなるかな。

■そうさく畑
http://sousakubatake.jp/

■それはなにかとたずねたら
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Denei/9793/index.html


2010年12月11日(土) 最終的な目的を見失うな

 楽天の渡辺選手が横浜に行ったニュースを見ました。

 僕は結構新チームで上り調子だった野村さん時代の楽天をひそかに応援してました。田中のマー君も、高校時代、華々しく取り上げられまくっていた斉藤のハンカチ王子が大学に行っている間、一つのプロ野球チームのエースとして地道にがんばっている姿が好きでした。

 野村さんが監督を辞めて、
 ブラウン監督になったときに最下位になって、
 楽天が斉藤君がプロ入りしたと同時に田中君の熱愛報道がでて、
(関係ないかもしれないですけど、堕落しそうな予感がしてイヤ)
 星野さんが監督になって、選手増強して。
 
 ……なんか好きな要素なくなっちゃった感じです。


 星野さんについては、阪神を優勝させたとき、あれだけ弱小といわれていたチームを引き上げてスゴイ人だな、と思っていたのですが……。
 今回の楽天監督になって、結構お金に任せた増強をしたと思ったら、岩隈さんの楽天残留が決まって、その代わりに今回の渡辺さんの金銭トレードです。

 チームというのは国とおんなじで人の集まりでしょう。
 楽天というチームが好きなら、チーム内の選手もそれぞれの個性を気に入るファンもいるわけで。

 別にトレードや金銭による増強をするなとは言いませんが、まだ手にしていない岩隈さんの契約金をあてに、先に増強ありきで交渉しつつ、契約金がふいになったとたんに生え抜きの渡辺さんを金銭トレードに出すというのは、ちょっとファン心理を考えるといただけないやり口だと思いました。

 星野さんは結果さえだせばいいというところでしょうが、結果というのは最終的にスポンサーのイメージアップや獲得したファン数だと思うんです。その手段の一つがリーグ優勝や日本一というだけで。
 プロだから数字ばかり見てドライにやりゃいいってもんじゃないでしょう。

 この増強でリーグ優勝、日本一は狙えるかもしれません。しかし、独りよがりに勝っても、イメージアップやファン獲得に繋がらないんじゃないかと思います。

【岩隈残留“余波”…楽天、契約更改済みの生え抜き放出 - スポニチアネックス 12月9日(木)7時1分配信】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101209-00000000-spn-base


2010年12月10日(金) 汝平和を欲さば、パラベラム

 Wikipediaのトップページを見たら、新しいページとして『汝平和を欲さば、戦への備えをせよ』という項目がありました。なんでこの項目が作られたかは、11月からの情勢を見れば明らかですね。
 銃の弾丸として非常にポピュラーである9mmパラベラム弾のパラベラムとは、この言葉のラテン語「Si vis pacem, para bellum」の後半を取ったものだということはその筋には有名な話です。
 むろん会社は武器製造の会社なので戦争はビジネスチャンスとして歓迎するところなのでしょうが、建前では「武器は守るためのもの」という精神がこめられているのです。
 そしてこの弾は非常にポピュラーと述べましたが、それゆえに手に入れやすく、威力は低いものの扱いやすい、という話です。つまりこれは「軍隊でなくても、一般人レベルで自分の身や家族を守るのに使える」ということを指します。
 ……と、言い切っちゃうともっと詳しい人からツッコミが入りそうなので弾丸の話は程ほどにしておきましょう。


 平和というものは、言い換えれば非平和との戦いです。

 戦争を経験した世代は既に大部分が失われた日本では、平和が既にあたりまえのものだと思われているように感じますが、それは断じて違います。

 今の平和な時代は、太平洋戦争で払った犠牲に対するお釣りみたいなもので、本来は他国に守ってもらいつつ「自分は戦争しない」というだけで得られるようなものではないと思います。
 日本で最初に国家らしきものがあった弥生時代から昭和まで、平穏な時代を生きていても、人は常に戦う覚悟があったでしょう。それをなくしてしまったのは太平洋戦争以後が日本の歴史の中で初めてのことなのです。

 誤解を招かないよう、はっきり言っておきますが、僕は日本に軍備を強化しろとか、核配備をしろと言っているのではありません。
 今回の主題は、平和はタダでは手に入るものではなく、人任せで維持できるものではない。一市民の心構えとして、政府や自衛隊だけの他人事ではすませてはいけないということです。

 国としての姿勢はともかく、日本人の一人ひとりに対し、もし日本がこれから戦争状態に移らざるを得なくなったとき、それを国の所為だと責任を押し付けて済むものだと思うなといいたいのです。

 誰の所為であろうが、死ぬときは死にます。
 生きること、人間という動物として命を持つことは、即ち命懸けです。

 自分と家族の命が危険にさらされたとき、誰が悪いのかを考えて取り乱すのか、それとも落ち着いて拳銃にパラベラムを込めるか。
 平和な時代に暮らさせてもらっている僕たちとしては、その選択がいつでも突きつけられる可能性があることを考えておかなければなりません。
 

【汝平和を欲さば、戦への備えをせよ - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9D%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%82%92%E6%AC%B2%E3%81%95%E3%81%B0%E3%80%81%E6%88%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%82%99%E3%81%88%E3%82%92%E3%81%9B%E3%82%88

【9mmパラベラム弾 - Wikipeda】
http://ja.wikipedia.org/wiki/9mm%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%A0%E5%BC%BE


2010年12月08日(水) 何かに浮かされる

 この二週間くらいですかね、全く仕事に手が付きません。
 何かというとインターネット開いてるし。昔から難しくて分かりづらいことがあると、ネットに逃げる悪癖はありましたが、今回ほど酷くありませんでした。
 それでいて遅い仕事に自分が困るわけでも、上司に怒られるわけでも無く、妙に宙吊りな感じです。
 結構残業はしてるんですよねぇ。なら早く片付けて早く帰ったらいいし、帰った後やりたいことがいっぱいあります。
 でもどーにもならない感じです。

 ああ、そういえば前に麻雀にハマッた時、試してみたいことを思いついたとき、全然仕事に手が付かないことがありました。あのときに似てますね。

 ……いっそ、働く時間をずらせないものでしょうか。11時まで働くから午前はデフォルトで半休にしたら丁度よさそうなんですけど。
 前はフレックス制度あったんですけど、なくなってしまったのが悔やまれます。


2010年12月07日(火) お客様の珈琲

 仕事の都合でこの2,3ヶ月足繁くユーザーさんのところに訪問して打合せしています。
 そうすると、一応訪問した側なんで、よく珈琲が出していただけるんですよ。

 ところが僕は子供舌なもので、珈琲とかはカフェオレレベルに牛乳が混ざっていないと飲み辛いわけでしてどうしたものかと思っています。

「要りますか?」と聞かれれば、「いいえ、結構です」と言えるのですが、黙って出されるので……。聞かれる前から「結構です」と、断るのもアレですし……。
 最初は無理して飲んでたのですが、最近ちょっと胃腸が怪しくなってきたので、最後まで手をつけずに過ごしています。

 ……せめて日本茶ならなぁ。
 お酒といい、コーヒーといい、なんで日本で出てくるデフォルトの飲み物って僕の苦手なモノばかりなんだろう。


2010年12月06日(月) 想の十戒

 2日の日記で触れた「ヴァン・ダインの二十則」に対して「想の十戒」というものを考えてみて欲しいと楽助さんからリクエストがあったので、考えてみました。
 ミステリーではなく、面白い小説を書くために守りたいことです。

 それは以下の10項目です。

�ー膺邑�は読者が共感できるキャラクターでなければならない。

�∈鄰罎任鰐棲里北簑蠶鶺�がされていなければならない。

��作中で提起された問題はその作中で全て答えを出さなければならない。

�ず鄰罎寮瀋蠹�は必要なタイミングで必要な量だけ公開しなければならない。

�イ�っかけなく状況を変化させてはならない。

��作品には新鮮な情報が含まれていなければならない。

��背景の描写を疎かにしてはならない。

�┷て颪函△修譴紡个垢覯魴荳�は具体的に描かれるべきである。

��キャラクターは言動の裏まで設定しているべきである。

��読者を魅せる演出がされているべきである。


 では、それぞれの項目について細かく解説してまいります。

�ー膺邑�は読者が共感できるキャラクターでなければならない。

 主人公は、読者が最も感情移入しやすいキャラクターであり、そのキャラクターが倫理に反する考えや、いたずらに鬱々とした考えを持つキャラクターでは主人公のこれから起こす行動や言動に期待が持てない、つまり、続きを読む気が失せてしまいます。


�∈鄰罎任鰐棲里北簑蠶鶺�がされていなければならない。

 問題提起というものはその作品の存在意義を定義するものです。
 「この物語は何をする物語なのか」は作中で明確に定義されていなければなりません。
 絵本の桃太郎を例にとると、「鬼が島の鬼が暴れて困っている」という問題提起があり、そのことにより自動的に物語の目的が「鬼を倒すこと」となり、桃太郎という物語は「桃太郎が鬼が島の鬼を退治する物語」という定義づけがされます。


��作中で提起された問題はその作中で全て答えを出さなければならない。

 これは僕の好みでもあるのですが、僕は読後、作中で提起された問題に対して出された解決によって、得られるカタルシス、本を読んでいくにつれて心に溜まったわだかまりが完全に拭い取られたスッキリ感は非常に重要だと思っています。
 だから、提起した問題を放ったらかしで物語が終わることは断じてあってはならないと思います。

 やはり桃太郎を例にとって極端な話をすると、鬼を倒しに家を出たはずの桃太郎が、途中の村であった娘と恋に落ちて、嬉し恥ずかしラブストーリーを展開した挙句ケッコンして物語を終わらせる、とかですね。
 

�ず鄰罎寮瀋蠹�は必要なタイミングで必要な量だけ公開しなければならない。

 よくダメな作品(とくにファンタジー)の典型的な例として挙げられるのが、「設定の一気語り」です。
 何も知らない読者が、設定だけ読んでも疲れる上に頭に入らない。いざ、その設定を使う部分に来ても思い出せないというのがオチなのです。

 設定は小出しで構いません。きちんと物語に沿って必要な分を公開していれば、意外とするりと読者の頭に入るものだと僕は考えています。
 だから、設定は別の紙にまとめておきつつ(設定の筋を通すためにこれは必要)、その設定が必要になったとき、初めて公開しなければなりません。


�イ�っかけなく状況を変化させてはならない。

 物語は進むと状況が変化していくのは当然ですが、何の前触れもなくいきなり変化してはいけないと思います。
 例えば絶対に素顔を見せないマスクのプロレスラーがいて、なんの状況の変化も前触れもなく、いきなり横断歩道の真ん中でマスクを脱いだら、読者は驚きはするでしょうが、混乱して話の展開についていけなくなります。

 事故死や、心不全などによる病死などならば、何の前触れもなく起こりうる変化ですが、なるべくならしないほうがいいです。

 動機にも注意を払わなければなりません。
 意外と見落とされやすい、というか僕が苦労しているのが、物語中に設定された問題に対して、主人公がなぜ解決に動こうとしているかということ。
 FF12のヴァンなどが悪い例の典型で、成り行き以外に主人公としてその物語に関わっている理由がないのは、�,亮膺邑�への共感の問題も関わってきます。


��作品には新鮮な情報が含まれていなければならない。

 読者が作品に求めるのは、その作品のオリジナリティです。例えば設定のアイデア、例えばキャラクターの造詣、主義主張、マイナーであまり知られていない事実等、何でも構いません。
 ダン・ブラウンの『ダヴィンチ・コード』は実のところ展開ではさほど目新しいものはありません。ただ、ストーリーの芯に入っている美術品の薀蓄は他に例を見ないものであり、とても新鮮でした。(意外と嘘も多いようですが)
 そういった新しさを与えられる作品は面白くなりやすいと思います。


��背景の描写を疎かにしてはならない。

 読者はただ文字を追っているわけではありません。本の中のキャラクターがその場をどのように感じているかを想像しながら読んでいます。
 特に現代日本以外を舞台とする作品では、その時代や舞台の雰囲気というものも作品の魅力に大きく関わっています。

 これを疎かにすると、読者がいまはいつで、各キャラクターがどこにいるのか分からなくなるなどストーリーの展開に追いつけなくなるということも起こり得ますので、5W1Hなどの情報は書くようにしましょう。日本語の場合は主語が抜けても文章として成立してしまうところがあるので特に注意が必要です。

 ストーリー的には必要がなくても、熱いのか、寒いのか、明るいのか、暗いのか、どんな音が鳴っているのか、その想像の手助けとなる表現はしておくべきだと思います。

 また、問題提起の部分にも関わりますが、その問題が引き起こす影響なども描写される背景の中に取り込まれていると尚いいと思います。

 ただ、背景の描写はあくまでも読者の想像力を助ける補助的なもの。あまりに凝り過ぎ、書き込みすぎては物語の筋を見失いかねないので注意が必要です。


�┷て颪函△修譴紡个垢覯魴荳�は具体的に描かれるべきである。

 物語を面白くするのは、困難に対してどう立ち向かうか、という部分です。 
 それは深刻な悩みであったり、密室殺人の謎であったり、あるいは強大な敵かも知れません。
 これらの壁を乗り越えるのが物語の醍醐味である以上、この壁を乗り越えるのがなぜ困難なのか、どう困難なのか? は、実感をこめて描写しておかなければなりません。

 戦闘に関していいますと、強いとだけ表現されている敵に対して、ただ修行を積んでそれ以上の強さを得て乗り越えるだけなんて、全く面白くない展開であるわけです。
 なぜ強いのか、どう強いのか。その強さに対してどう対策を立てるのか。修行するにしても、どう修行して、どう効果が現れたために倒せたのか、という論理的かつ具体的な説明が要るのです。

 困難はイコール提起された問題であるため、この項目はその作品の一番の見せ所となりますので、ここは特に注意すべきところでしょう。


��キャラクターは言動の裏まで設定しているべきである。

 キャラクターの立たせ方は物語を書く人には一番苦労する点の一つです。そこで安易に使われがちなのが、「瞳や髪の色」「語尾や口調」です。
 それらを使うのは悪くないと思います。しかし、キャラクターはその言動の裏まで設定しているべきだと考えます。そうすれば読者のキャラクターへの感情移入も行われやすくなりますし、物語としても演出のネタにできたりします。

 例えば、先日話題に出した「ボクっ娘」。ライトノベルではよく出されますが、なぜそんな一人称を使っているのかという理由が語られることはあまりありません。
 たとえば、女性であることに反発を感じているなどの理由があると、一人称を「ボク」から「わたし」に変化させることで心の葛藤をクリアできたという証明の演出が可能になります。

 基本的にストーリーは複数のキャラクターがそれぞれもっている物語を一本に繋げてできるものなので、��がよくできている作品は名作である確率が高いです。


��読者を魅せる演出がされているべきである。

 起こったことを淡々と描いているだけでは小説とはいえません。面白い作品は心動かす演出によって読者をどんどん作品の中の世界へ引き込んでいきます。
 
 この演出は現実では“できすぎ”と思われるシチュエーションがほとんどですが、物語というものは多少読者の憧れを具現化したような存在なので、そのようなシチュエーションも許容されるものと僕は考えております。
 人物が登場するタイミング、台詞の掛け合い、状況描写など、物語の展開と一緒に読者の気持ちを盛り上げる演出はエンターテイメントを目的とする作品ならば意識して然るべきなのです。

 ただ、あまりに盛り上げようとしすぎてかえって白々しくなってしまっている例も少なくないのでやりすぎるべきではありません。


 以上、10項目でした。自分も守れているとは思えませんが、この10項目が守れていれば、面白くなりやすい。そう考えて、僕は小説を書いています。


2010年12月02日(木) アガサ・クリスティと麻雀

 昨日、ヴァン・ダインの二十則の話を出したとき、アガサ・クリスティの「アクロイド殺し」を引き合いに出しましたが。この作品には僕の興味を引かれる項目がありました。
 この作品の中には麻雀をする場面があるというのです。

 舞台はイギリス。1920年代にはヨーロッパで麻雀が流行したということで、その風俗を描く一環として、その場面を描いたのだろう……ということです。
 その考察については、参考サイトの『TWICE TOLD TALES』の記事が詳しいです。別訳でもう少し長い抜粋は『Classic story』の記事が読み応えがありました。
 また他のサイト『希覯本』では、原典で各用語がどう書かれていたかも書かれています。

 例えばチーはCHOW(チョウ)、親はEast Wind、三萬はThree Characters、役満はPerfect Winという具合ですね。
 鳴きなどはそのまま採用されているようですが後は、結構英語化されてるようです。牌なども漢字が読めないので、英語が牌に刻まれているとか。

 この『アクロイド殺し』の麻雀の風景からすると、今の日本の麻雀とそう違いを見出せませんが、同じ英語を使って麻雀をするアメリカ式麻雀はけっこう面白そうです。
 ツモを始める前に、「チャールストン」といって、不要牌の交換が行われるのですね。コレは多分ブリッジあたりの既存のトランプゲームから来たものでしょうが。
 他にもオールマイティのジョーカー牌が入っていたり(つまり、カンの上にもう一枚積み上げられる)、毎年、その年限定の役が更新されて、大変役が多いのだとか。
 それもアメリカ人の自由な発想からか、麻雀の根底である四面子+雀頭という縛りさえ通用せず、その形ではない役がたくさんあるようです。
 後々日本に輸入されてきたSeven Pairs、つまり七対子もアメリカから輸入されてきた役なんだそうで。

『麻雀実録バトル 裏技ウォッチ』にある「アメリカ式の上がり役」という記事でその片鱗を見て取れますが、なかなかアメリカらしい役がありますよ。

 例えば「Civil War(南北戦争」
 色Aの数牌で1、8、6、1、色Bで1、8、6、5を揃え、北×3、南×3を加えて完成します。
 これは南北戦争が1861年から1865年まで続いたことを表しているのです。北と南については言うまでもないでしょう。

 他には「Seven Up(セブンアップ)」(同じ色の数牌で1〜7とそろえ、東、南、西、北、白、発、中を一枚ずつ揃えればOK)等の役があるそうです。

 役はともかく、チャールストンやジョーカー牌入りのアメリカ式麻雀はちょっとやってみたいですね。


【アクロイド殺し - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E6%AE%BA%E3%81%97

【希覯本 アクロイド殺し】
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~katsurou/rare/ackroyd.html

【TWICE TOLD TALES 若島正 - クリスティと麻雀】
http://www.inscript.co.jp/wakashima/Mystery/w23%20Christie.htm

【Come Tonight All gamers - 欧米の麻雀】
http://www.h-eba.com/heba/majan/america.html

【麻雀実録バトル 裏技ウォッチ - アメリカ式上がり役】
http://www.inukai-cc.jp/cat10/



2010年12月01日(水) ボク少女とヴァン・ダインの二十則

 Wikipediaは一般人が編集できるシステムになっているため、結構オタクな方面で妙に詳しい解説が見られたりします。

 ある時、ふと思い立って、「ボクっ娘」をwikipediaで調べたら「ボク少女」という項目が出ました。この単語を使われたのは見たことないのですが、まあ辞書的な言い回しで味があるといえばありますな。
 「ボク少女」の使用例としては、キャラクターの特徴づけが主たるもの、と説明されています。

 wikipediaなど、インターネットの辞書を調べていると、リンクをたどって、いつの間にか全く関係のない項目を読んでいることがよくありますが、今回の場合も、ふと気が付いたら、「ヴァン・ダインの二十則」という項目を読んでいました。
 なぜここにたどり着いたのかというと、ボクっ娘は「叙述トリック」に使われることもあるからです。

 叙述トリックというのは文章から連想される先入観を逆手に取ったミステリーのトリックの一種です。例えば、ボクっ娘の場合は「僕」という一人称だから「男性」だろうという思い込みを利用するのですね。

 で、ミステリーの華であるトリックですが、ストーリーをただ追って楽しむだけではなく、読み手も謎解きを楽しめるという一種のゲームブックも兼ねているもので、そのゲームのルールが暗黙の了解として存在するようです。
 例えば「本編の中にトリックを解き明かす全てのヒントを入れておかなければならない」などの決め事でそれが守られていないミステリー作品は読者に対して公平性を欠くとして非難される場合もあります。

 叙述トリックはそういう意味で公平でないため、ミステリーファンからは嫌われる場合が多いです。例えば、「語り手」が犯人である場合などは、読者は犯人から受け取る情報を元に、推理をすることになります。つまり、読者として与えられる情報が信頼性に欠けているわけです。
 これは、ミステリー用語でいうところの「信頼できない語り手」といわれます。

 この叙述トリックはアガサ・クリスティの「アクロイド殺し」に端を発するものとされており、この作品が発表された当初、「語り手が犯人」という読者を騙すような手法に相当な論争が起こったそうです。

 このような読者に対してアンフェアな要素を極力廃するために考えられたのが「ヴァン・ダインの二十則」というわけです。
 しかしこの二十則、推理ゲームではなく、自由に小説を書きたいと考えると結構視野の狭い、好みの偏った法則で、ストーリー的にはこの二十則を破ったほうが絶対に面白くなると思います。


【ボク少女 - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%82%AF%E5%B0%91%E5%A5%B3
【ヴァン・ダインの二十則 - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%89%87

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