言の葉孝

2006年12月28日(木) 世界をどれだけ面白く見られているか


 今日は年賀状の仕上げと、部屋の片づけを少々。まほゆめに関してはスランプに入ったらしく、ほとんど書けていない。その代わりに昨日、ウィキペディアで『鋼の錬金術師』の解説を読んだら、以前書きかけていた「まほゆめ用語辞典」に手を加える気になり、いろいろ書き足していた。

 ところで、今日の『とんねるずの皆さんのおかげでした』の食わず嫌い王選手権に唐沢寿明が出ていた。『白い巨塔』以来、ずっと僕が注目している俳優である。僕はバラエティ番組でゲストに呼ばれて出てくるときのひょうきんな唐沢寿明が大好きだ。
 僕が芸能人で好きな人は、ユーモアのある人が多い。この間、大竹しのぶが出ている番組を見たのだが「あの人もあれだけ弾けられるんだ」と、一気に好きになったものである。

 僕が思うに、ユーモアというのは「世界をどれだけ面白く見られているか」の表現だと思う。人は生きるうえで環境から刺激を与え続けられる、僕はこれを「世界を取り入れる」と表現する。
 その取り入れる世界が面白くて、それを相手に伝えようとすると人間が面白くなる。もちろん、同じ空間にいれば受ける刺激は同じわけだが、それがどう受け取るかが人間性の違いに表れてくるわけである。
 むろん、世界の面白さは分かっていてもその表現の下手な人もいることはいる。しかしそれはそれでつまらない人間とはまったく違うオーラが感じられるものだ。

 つまらないつまらない、と思っている人間が面白いわけがない。そういう人には世界をもっとよく見ればいいのに、と思ったりもする。物事の一つ一つに好奇心を持って接すれば同じ世界でも、受け取るものはまったく違ったりもするのだから。




web拍手レス(今年の年明けには「明智光秀」をやるということで、タイアップのために唐沢寿明をたくさん見ることができてうれしい。とりあえず年明けの「はねるのトびら」は絶対観ようと思う)

 今日のコメント……は、ありませんね。今日もたくさんの拍手ありがとうございます。


2006年12月27日(水) 好きならば広めよ


 結局住所も印刷で済ませ、コメントを一言ずつ書いて今日でいよいよ年賀状作成を終えるつもりだったのだが、土壇場で年賀状の数が足りなくなった。両親が僕の分として置いておいてくれたのが20枚。
 ところが、メールなどを中心に住所を集めたらその数を超えてしまった。会社とバイト先に送る分を合わせて24枚、あと4枚足りない。

 まあ、意外と教えてくれる人が多かったという点については喜ぶべき点だ。とりあえず明日追加の分を買って印刷すればOK。今日みたいにことあるごとに休憩を挟み、『エースをねらえ!』を読んでサボったりしなければ1時間ですべて終わるだろう。

 ……だが、モモサポのほうで関係団体にむけた年賀状も出しておきたいところだし……、どうやら年賀状作成作業から開放されるのはもう少し先のようである。


 先ほど触れた『エースをねらえ!』だが、11月から12月にかけてバスケットボールを取材した今、読んでみると、改めてこの漫画の特殊さが理解できる。
 他のスポーツ漫画が基本的に己を磨き、ライバルやチームメイト、友人など周囲の者たちとの交流をする様子を描く漫画がほとんどであるのにたいし、この漫画の主題のひとつに「日本におけるテニス振興」があることだ。
 主人公の岡ひろみがテニスに打ち込む傍ら、周囲の人物たちは休耕地などん提供を募り、コートを作る。子供たちにテニスを教え、世界のトッププロなどを読んで大会を開き、高いレベルのテニスを見せることによってあとに続くものたちを引っ張っていこうとする。
 そもそも全員が岡ひろみの後押しに尽力するのも日本人から世界トップレベルのプレイヤーを出し、日本人たちが目指す目標とするため、すなわちどこまでも自分たちだけでとどまらず、日本テニス界そのもののための活動だったのである。

 バスケットボールの取材の際、NBA解説者の島本和彦氏に取材したことは先に触れたとおりだが、雑誌を売るためでもあるとはいえ、島本さんもバスケットボールが好きであるがゆえに、子供たち相手にバスケットボールを教えたり、さまざまなイベントを開いたりして、バスケットボール界の活性化を促す努力をしている人物だ。

 本当にそのスポーツが好きであれば、そのスポーツが回りに広がり浸透していくように努力をするものなのだ、ということをよく説いている漫画だと自分は思った。





web拍手レス(だからといって、無理強いや押し付けはいけないですよ?)

 今日も拍手コメントありませーん。拍手はたくさんあったよ!


2006年12月24日(日) 売れなかった複合機


 結局、昨日言っていた複合機(説明を忘れていたが、複合機とは基本的にプリンターにスキャン&コピー機能がついたものである。しかし、ここでは特にプリンターにスキャン&コピー機能、さらにFAX機能までついているものを指す)は今日一台も捌けなかった。
 その代わりにFAXはあれだけ入荷されていたものを売り切ってしまったのであるが。

 店の人からは「年末までに4台売るのが目標なんで」と、言われているので、報告書に「売った」と書くためにも、とがんばったのであるが、今日は複合機に目を向かせることすら困難だった。
 しかも一時の混雑を除いて、人通りはかなり少なく、ヒマであるが故にただ立っているのが非常につらい。

 それもそのはずだ。今日は24日のクリスマスイブ。おもちゃ売り場ならともかく、こんなロマンのロの字のない電器屋なんぞに多数の人間が押しかけてくるのも困りものである。




web拍手レス(ヒマだったのにレジの行列は長く、予想よりずっとFAXがずっと多く売れていた。接客したのが5,6組くらいだと思ったのだが、跡で数えたら僕が実際に売っていたのは8台だった)

 今日もコメントは無しです。でも拍手たくさんしてくれました!


2006年12月23日(土) 無言の挑戦なのか


 昨日からどうも風邪気味らしく、昨日は喉があれ、鼻水が出て、体はだるく、少し頭痛もするという典型的な症状に悩まされていた。ここまで分かりやすく症状が出てくれて大変ありがたく思う。
 翌日である今日はバイトの日でもあり、いまいち休みづらいバイトだ。何とかこの症状を抑えておきたかった、ということで僕はとりあえず薬に頼った。昔から健康で薬に対する免疫がないためか、自分の体には薬が非常によく効く。薬を飲んで一定の睡眠時間が取れれば大抵大幅な回復を見せるのである。
 目論見どおり、やや鼻水は残ったものの、体調は大分改善された状態で今日の朝を迎えることができた。

 ここのところは基本的に毎日曜日と祝日に入っているので、先週の日曜日もバイトであったのだが、そのときは派遣元のメーカーの商品の在庫がほとんどなく、大変売りにくい状況だった。

「在庫がなくて大変でした」と、そのことをその日の報告書に書いて提出したところ、何と、今日には最新の複合機が5台(今までは2台が精々だった)。FAXのほうも6台入荷していたものである。

 一瞬、あの報告を受けて「ならモノは入れてやるから売れるもんなら売ってみやがれェッ!」という挑戦なのかと思った。
 まさか、「在庫があったらバンバン売れてますよ! 在庫を切れさせるなんてなんて営業さんなってませんなぁ!?」という挑発に取られたのではないだろうか、と。

 そもそも入荷する数を決めるのはメーカーの営業ではなく販売店であり、FAX売って二ヶ月たたないワカゾウの挑発なんぞでリスクの伴う大量入荷などさせることはないので、そうではないことは、少し考えればすぐ分かることなのだが。

 そうでなくてよかった。
 よかった……のであるが―――この大量に入荷した商品を僕が最前線で捌かなければならない事実に変わりはなかったりする。




web拍手レス(電気屋さんネタはすでに使っているが、もうひとつ販売員とメーカー営業、お店の三角関係を描いたコメディとかかけそうだなぁ。コメディ苦手だから正直手が出ないけれども)

 今日の拍手コメントはござんせん。


2006年12月22日(金) 年賀状を送ろう

 
 ここ十数年、年賀状などほとんど送らなかったのだが、今年はモモサポの名簿&住所録が手元にあるので、この分だけでも年賀状にして送りたいと思っている。

 最近はメールの普及で、年賀状の数が激減していると聞いた。連絡はメールでできるので住所を教えあう必要が日常には生まれてこないからだ。会社のほうでも年賀状のやり取りを禁止したり、あるいは情報管理の観点から住所が調べにくくなっているという。

 しかし一年に一度のこの手紙のやり取りで、「ああ、こんな人もいたっけ」と、思い出し、それが不思議と細いながらの縁を守ったりする。そういうささやかな礼を今後は少し大事にしていきたい。





web拍手レス(無論、去年と同様、交流のあるオンライン作家の皆さんにはメールアドレスの分かる限り、年賀メールを送る予定です)

 拍手コメントはありません。


2006年12月21日(木) こだわりで一匹タヌキ


 今日はサークル(モモサポ)の集まりの予定だったが、キャンセルということになった。
 やっと信用が得られてきたのか、他に誰もいなかったのか、モモサポを二つにグループ分けしたうちの一つの班長を任されたので、割と張り切っていただけに、今回のキャンセルは肩透かしを食らったような形だ。
 正直、なぜ自分が仕切ろうとするとこうなるのだろう、と思う。

 ちょっと前から今モモサポを統率しているタカスギ君や、前回ハートフルロードを開いたタニナカさんのように、『仕切る』ということを一度やってみたいと思っていた。
 確かに、そういうのが「格好いい」「気持ちよさそう」「憧れる」というのはあるが、僕は人を使う、物事を取り仕切るという能力に欠けていることは自覚している。だからこそ、実際にやることで学び、欠けている部分を補ってさらに成長しよう、という気持ちのほうが大きい。
 なんというのか、タカスギ君や、タニナカさんが持っていて、自分が持っていないもの。それを確かめ、手に入れたかった。
 実は、夏休みが終わったあたりから、何度か試そうとしているのだが、そのたびに妙な躓き方をして挫折している。

 ところで僕が仕事をする上での性格は“一匹狼”(狼というほど雄雄しくないつもりなので、一匹タヌキのほうがしっくり来るのだが)似近いものがある。仕事を請け負ってそれを責任を持って完遂しようとするのだが、いまいち他人と協力して仕事を進めようとしない。特に出版会では大抵一人で動いて記事を書いているし、今度のオクトではとうとうほとんどの記事を自分で書くことになってしまった。
 その理由のひとつが『他人を信用できない』というのがある。「能力がない」と判断しているのではなく(それが当てはまることもあるが)、「自分のイメージ通りの仕事はしてくれまい」という不安だ。いちいち自分のイメージ通りに事が進まないと仕事をする気にならないというのだから困ったものだ。
 それは「こだわり」というのだろう。それは人のためではなく、大抵自分の満足のためで、それもどうでもいい、意味のないことだったりする。そのこだわりが僕から協調性を奪っているのかもしれない。
 これから社会に出るにおいて、こういったことはなくしていかなければなるまい。





web拍手レス(……愚痴のつもりではなかったが、今読み返してみると紛うことなき愚痴だな/汗)

 今日も拍手なんかなかったんだからね! 静かで清々したわ!


2006年12月20日(水) 遅筆の理由


 もう一ヶ月半も小説に手を染めていないと、さすがに筆も鈍るか、というわけでもなく、元から僕は遅筆気味だ。

 特に“まほゆめ”は、ファンタジーなだけに、もうちょっと弾けた感じが欲しいのだがベタすぎるのを嫌ったためか、いまいち動かしにくいキャラばかりでまいる。今度はファルガール達アダルトパーティーの話を書いているのだが、ファルガールとカルクは結構喋るのだが、マーシアとクリン=クランを喋らせることがなかなかできないのである。
 なんというか、ファルガールはいい感じで弾けている。よってその突っ込み役としてのカルクもうまく機能している。それに同情しつつも全く手助けする気配のないクリン=クランも立場が弱いだけに台詞をはさみにくいがまあ分からないでもない。
 問題はマーシアだ。ファルガールに惚れているだけに、ブレーキ役はやらないだろうし、かといってファルガールの行動に徹底的にノらせるのも最初クールビューティーでイメージを固めていただけに、何かものすごく違う気がする。

 さて、どうするかな……




web拍手レス(……自分が書いている小説のことを話すのは、すごく恥ずかしいな! だってカルクとかマーシアとか言ったって分からない人がほとんどだろうに)

 すまない、今日も拍手コメントはなかったんだ!


2006年12月19日(火) 補講で映画2つ


 本日から実質的な冬休みだが、補講ということで学校に行かなければならなかった。
 とはいえ、好きな授業のひとつである「アメリカ文化研究」である上、今日は映画を観るだけという話なので、それほど嫌ということではなかったのだが。

 今日観た映画は、アメリカの結社文化を学ぶ上で取り扱っていた『モブスターズ』の後半部分を最後まで観た。『モブスターズ』は簡単に言えば有名なギャングであるチャールズ・“ラッキー”・ルチアーノが全米マフィアの頂点に立つまでを描いた作品である。ただし、極力不自然な説明を抑えているためか、何の知識もなしに観ていると非常に理解しづらい構成となっている。
 しかしそれでも、マフィアの世界のにおいを楽しむには十分いい作品ではある。

 また、もう一本別の映画を見た。『マイ・ビッグ・ファット・グリーク・ウェディング』という一度では憶えられないタイトルの映画なのであるが、本筋としては非常にシンプルな話で、ギリシャ系の家庭に育った女主人公・トゥーラが、アメリカのWASP(白人の中でも上流階級)の男性イアンと恋に落ちる話である。
 このギリシャ系の家庭は大家族で、ひとつのコミュニティのようになっており、付き合う人も結婚する人もすべてギリシャ系の人。宗教はギリシャ正教、文化はギリシャ人のもの。家族として受け入れるのも当然ギリシャ人という考え方の家庭だった。
 だからトゥーラとイアンが結婚するにおいても大騒ぎになったが、結局イアンは家族の許しを得るために、とギリシャ正教の洗礼を受け、ギリシャの文化をすべて受け入れることにした。
 こういう話だけ書いていると、暗い話のようであるが、映画の調子としてはコメディタッチで、何度も笑える場面が出てくるし、大家族の楽しさ存分に描かれていて、すごく幸せそうな映画だ。
 ……ただ、家族のほうでイアン側の文化をまったく理解するどころか知ろうともしないのがどうも納得できないのだが。




web拍手レス(む、今気づいたけど、土曜日って祝日だからバイトあるんじゃん、土日連チャンって辛いんだよなぁ。まあいいか)

 今日の拍手コメントはありませんのよー。


2006年12月18日(月) ことばを知らなかった少女ジーニー


 日記を書くのがあまりにも久しぶりすぎて少々書き方を忘れてしまった。やったことといえばバスケの記事をまとめるためにbjリーグの試合を見に行くなどある意味バスケ漬けの生活を送っていたことくらいである。
 他にも何かあったような気がするのだが、ずっと記事のことを考えていたせいか、いまいち思い出せない。作った記事を、インタビューさせていただいたNBA解説者の島本和彦氏に届ける関係でできるだけ金曜日に記事を完成させたかったので、最後の3日間はまともに寝た憶えがない。
 日曜日はバイトだったが、土曜日は12時間寝て、「一日パジャマを脱ぎません宣言」ということでリラクゼーションに勤めた。そのリラクゼーションの一環がドリフターズ40周年記念盤『8時だョ! 全員集合』というのはどうだろうか。

【ことばを知らなかった少女ジーニー―精神言語学研究の記録(スーザン・カーチス/築地書館)】 評価:B

 父親の虐待によって、ずっとトイレつき椅子に縛り付けられて13年間をすごしたジーニー。そんな環境で育ったジーニーは発見されたとき、13歳でありながら言葉を持たない野生児だった。そんなジーニーを発見から、その言動や成長度合いを逐一記録して言ったのをまとめたのがこの作品だ。
 ドキュメンタリーでもなく、ノンフィクション小説でもない、ただの研究記録をまとめたものであるこの本は、ストーリーなどはほとんど語られず、淡々とジーニーの観察記録と、その考察で構成されている。それが、余計にこの実話に生々しさを与えているような感じである。
 ジーニーという存在は悲しいが珍しい。それゆえに、不謹慎ではあるが、非常に好奇心のそそられるものである。だからこそ、このつまらない形式の本でも読破できたのだろう。何の教育も施されていない人間がどう育つか、それがどう取り返しのつかないものなのか、ジーニーはその手本のひとつといえるだろう。




web拍手レス(←あんまり久しぶりすぎてうっかり書くのわすれるところでしたよ/汗)

 それでもコメントは無かったりするんですな(笑)。

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