言の葉孝

2006年09月29日(金) 夏休みを共に過ごした相棒よ


 思い返してみると、今日は特に日記に書くようなことはなかった。授業のほうでもさほど感銘を受けた授業があったわけではない。
 日記は書くのは楽だが、心動かされる事が少なかったというのは、悲しいことではないだろうか。

【夏休み中借りていたパソコンを返す】

 9月29日は、春学期の最後から夏休みを挟んでやく2ヶ月間借りていたパソコンを返す日だった。夏休みも情報センターは開いていたのだが、授業もないのにわざわざ来させることはないと思ったのだろう。
 夏休みの最後の就職活動から、日記の執筆、モモサポの仕事など、さまざまなことで世話になってきたパソコンなので、正直返したくなかったが借り物なのだから仕方がない。
 夏休みを共に過ごした相棒よ、さらばである。

 更新し続けて、取り替えながらずっと借り続けているレッツノートであるが、いつかは卒業して持ち続けるわけにもいかなくなる。
 社会人になったら、まず自前でノートパソコンを買うことが目標になりそうだ。





web拍手レス(今のバイトでも3ヶ月働けば十分ノートパソコンが買えるくらいのお金は稼げそうだが、いまいち不安定で貯金が残ったためしがない)

 今日も拍手コメントなし。


2006年09月28日(木) 論理の有用性について

 一昨日に引き続き、教科書購入のネタである。今回購入する2教科分において、俺は4000円弱と踏んでいたのだが、実際には5000円弱だった。財布の中をかき集めてみるtも、300円ほど足らない。
 仕方が無いので、今回は文化社会学の教科書は諦め、問題集でもあり、講師の宣言から使う可能性が高い論理学の教科書を買った。

【論理の有用性について】

 僕が取っている「論理学」の教科書『論理開眼 「事・物の理ヲ論ラフ学ビ」としての論理学』(山川偉也 清水真一・共著/世界思想社)の5、6ページにはこういう文章が紹介されている。

『むかし、ローマに住んでいたストア派の哲学者エピクテトスが、論理に関するある問題について授業をやっていた。すると、興ざめした面持ちでそれを聞いていた一人の若者が、エピクテトスに、「論理学なんて、なんの役に立つんですか。無用なおしゃべり術にすぎないじゃないですか。もしあなたが、論理学が有用だと信じていらっしゃるのなら、その理由を、わたしに納得できるように説明してみてください」と言った。以下は、エピクテトスと若者との間で交わされたその後の問答である。
  「きみは、わしにそれを証明してほしいのだね」
  「はい、おっしゃるとおり」
  「すると、論理学が有用だということを、論理的に証明しなければならん。そうだね?」
  「そう」
  「よろしい。ところで、わしが「論理学の有用性」についてこれから証明するとして、きみはどうやって、その証明が正しいか正しくないのかを判定するのかね。ひょっとすると、わしは、詭弁で君を欺くかもしれない。その場合、きみはそれを、どうやって詭弁だと判定するのだね」
 若者がちんもくするとエピクテトスは言った。
  「ほら、論理学が必要だということは、きみ自身認めているんだよ。そしてきみは、論理学が必要だということを論理的に認めてさえいる。なにしろきみは、わしに論理学が有用である理由を納得できるように説明してほしいと求めたのだったからね。ところが、分かるかね、論理的に考えること抜きにしては、論理学が必要かどうかさえ、判定しようがないのだよ」
(『エピクテートス 人生談義』第2巻第25章より――原訳改変)』

 これは、論理の存在意義について明確に語る問答である。何も知らない状態の人に、物事の概念をできる限り正確に伝えるためには論理が不可欠だ。

 例えば「三角形」という図形がある。僕たちはこれが何なのかをイメージで分かっているため、一応この単語が出れば即座に「三角形」がどんな図形なのか分かる。
 だが、仮に「三角形」を見たこともない、聞いたこともない人がいたとしよう。図形を見せずにこれを説明できるだろうか? おそらく辞書を引かない限り、「3本の線分(直線→まっすぐな線と言い換えるほうが良い)に囲まれた図形」という、できるだけ簡単な言葉を用い、且つ明快な説明はできないだろう。
 それでも、少し分かりにくいので、「三つの点を打ち、それらの点をまっすぐな線で結んだ図形」という説明はどうだろうか。

 こういった説明を可能にし、相手に納得、理解させることのできるものが論理である、と僕は理解している。論理であるならば、コンピューターにでさえ、物事を理解させることができるのである。


 イメージや概念というものは非常に伝わりにくい。伝わりはしても、実際のモノを見せない限り、伝わったイメージが伝えた側のイメージと全く同じであるということはまずあるまい。それより、概念や想像など実際の形を持たないイメージの場合、伝える側でさえハッキリと細部までイメージができているかどうかも怪しいのである。
 だが、最大限の努力として、論理的な説明をすることで限りなく正確に伝えることができる。

 イベントの企画にしたって、企画者からスタッフへは、企画内容として企画者のイベント当日のイメージなどを伝えて共有しておかなければならない。
 書類等のフォーマットが決まっているのも、より論理的に分かりやすく内容を把握できるからだ。
 要するに、論理とは実務的なコミュニケーションでは必須のものなのである。


 小説を書くにも論理は必要だ。
 なにしろ、自分の頭の仲に思い描いているイメージを文字だけで表現しなければならないのだ。特にファンタジーだと実際には無いものばかりだからその説明には毎度毎度苦労をしている。
 モノだけではない。心の動き、身体の動き、文章はできる限り、自分の頭の中に思い描いたイメージを読者にも共有させるものでなければならないのである。

 もっとも、論理を使えといっても、既に我々は自然にそれを使っており、論理とは離れ得ない暮らしをしている。
 ただ、普段何気なく使っている論理を意識し、それをより効果的に使うことは、人生に大きなプラスであることは疑いようもない。





web拍手レス(コンピューターを動かしているのも全部論理なんだよなぁ)

 今日も拍手コメントはなし。


2006年09月27日(水) 二度目の“初回更新”

 水曜日は授業が無いので、自由なオフの日になる予定だったが、やるべきことを考えているうちに、そういうわけにはいかなくなったらしい。
 好きなだけ寝たいところを、アラームで8時におき、9時に家を出る。その足で向かったのは光明池の運転免許試験場である。

【二度目の初回更新】

 7月に俺宛に送られてきた免許更新案内のはがきによると、俺の更新者区分は“初回更新者”らしい。ちなみに、俺が免許をとったのは平成14年7月、つまり今は5年目なのである。
 どうしてこんなことが起こったかというと、俺にとって初めての更新が、事情により特殊であったことが考えられる。

 先に述べたことがあると思うが、俺は大学3回生のときにカナダに留学している。実は、本来の初回更新はこの年だったのである。調べてみると、“事情”でその年の更新ができない場合、その前の年に更新をしてもよいらしい。
 それで、俺は免許を取った翌年である平成15年に一度免許更新を行ったのだ。だが、やはりまともな形の更新ではなかったためか、今回が初回更新扱いになっているらしい。

 なぜ俺が、こんなに初回更新を気にしているのかというと、この更新に伴う“講習”のためである。初回講習は2時間。それから3年間、無事故で通せば次の更新の講習は、1時間ですむはずなのだが、俺は“記録上は”無事故なのにもかかわらず、2度も2時間講習を受ける羽目になったからだ。
 要するにせっかく授業のない日なのに、何が悲しくて2時間も大して身にもなりやしない授業を受けなければならないのか、という愚痴である。

 しかし、前回はビデオ講習で眠っていられたのに対し、今回は最後まで講師が授業を行い、「二度目に眠ったら講習質から出て行ってもらいますからね(=免許の更新はできない)」と脅されたので眠ることなどできなかった。
 だが、今回は講師がよかったのか、なかなか面白い講習になったので眠気に耐えるのもそれほど苦労は無かったのは幸いである。





web拍手レス(ちなみに“記録上は”の意味はあまり深く考えないでおくれやす)

 今日の拍手コメントはナシ。


2006年09月26日(火) その俺が、言葉を失ってしまったら

 教科書が高い。
 今日の分だけで8080円。応用言語学1教科だけで2冊6000円強は詐欺だと思う。しかもまだ2教科分残っていて、確実に総額で一万円は超える計算だ。というか、興味本位で選んだ教科なのに、1教科残して全て教科書アリとはどういう悪戯だ。

【応用言語学で失語症について学ぶ】

 それはさておき、今日は1〜4限目ぎっしり詰まった授業だったが、中々実入りの多い授業だった。
 まずは、教科書代でボられた応用言語学であるが、本日の主題は“失語症”である。脳梗塞などによって脳の言語中枢の機能が損なわれた結果、言語をつかうという一点において、大きな支障をきたした言語障害の一種である。

 外見的には丁度、“現地の言葉を知らない外国人”のような感じである。本人はいたってまともであるが、言葉を聞いて理解できない、言葉を使って理解させることができないために、周りからは認知症や知的障害を疑われる。
 だが、コミュニケーションや言葉を使わない作業は普通に使えるので、その点で認知症などの障害とは異なっている。

 ビデオを見せてもらったのだが、この内容が衝撃的だった。
 例の一つとしては“コップ”“灰皿”“エンピツ”など、単体の言葉を言ってそれを失語症患者の老人にどれか答えさせることはできるものの、「“エンピツ”を“灰皿”に載せてください」という言葉に、老人は“エンピツ”のつもりで“コップ”を持ち上げ、そのあとはどうすれば分からなくなってしまったのである。
 また、「コレは何ですか?」と“リボン”の絵を見せると、老人は「結び合わせ」と答えた。そのあと、これは“リボン”だと教えてやると、老人は「そうか、これは“ボタン”……“ボタン”でした」と、全く違う言葉と解してしまった。
 そして、その老人は、言葉は流暢に話せるのだが、時々語彙が変になったり、発音が全く違っていたりすることがある。これを感覚性失語症(Broka失語症)というそうだ。

 感覚性失語症のほかにビデオで紹介されていたのは運動性失語症(Wernicke失語症)だ。ほとんどの発音に問題があり、なかなか単語も思い浮かばないので、非常にたどたどしい話し方になる。
 この症状も別の患者で紹介されていたが、これが中々興味深かった。先ほどの老人とは違い、彼にはモノの名前を書いた紙を見せて、それが何か指し示させるということを行わせていたのだが、不思議なことに“鋏”“計算機”“竹”などの漢字は理解できたものの、“はさみ”“けいさんき”“たけ”と、ひらがなで書かれた途端に理解できなくなったのである。
 要するに、表意文字である漢字は絵のようにイメージで理解するが、表音文字であるひらがなは先ず文字を発音として脳にインプットされ、それを意味に変換するという作業が頭の中で必要であり、漢字を理解するのとは別ルートになるので理解できなくなる、ということらしい。
 表意文字と表音文字を同時に使う文化を持っているのは日本だけなので、世界の失語症研究者からは、この現象は興味深いものとして注目されているのだという。

 俺がこのビデオをみて衝撃的だったのは、ここまでピンポイントに人は機能を失うことがあるという事実、そして自分が“こう”なったら、と考えてしまったからだ。

 俺にとって言葉は全てだ。
 本を読む。小説を書く。
 俺という人格はいつのころからか、言葉を追うことで形成されてきた。

 言葉を取り込むことで喜んで、言葉で表現することで自分を外に出す。
 その俺が、言葉を失ってしまったら―――

 今の俺には、その仮定からは目をそらすことしかできない。





web拍手レス(教科書を買ってしまった後で、アマゾンとかで中古価格の教科書を探せばよかったと気付いてしまったのだがどうしよう。返品はもう利かないし)

 本日のコメントはなし。


2006年09月25日(月) この世でトップクラスに嫌な職業

 京都勤務で帰ってきた後の月曜日は正直辛い。疲れきった頭で売り上げの報告書を書かねばならず、それが終わってようやく寝付けたのが結局3時半過ぎだった。

【メルマガと学生対象割引カードの勧誘】

 今日は月曜日。先日の金曜日にめでたく夏休みもあけたので、大学生の俺には問答無用の平日である。昨日、時間割と講義計画を見比べて、受ける授業を検討したところ、2、3、4限目が埋まる計算だ。
 今日は前々から近くのスーパーの営業部で働くマタカ氏の要請により2限目は“自主急行”してスーパーのお得情報を流すメールマガジンと、ウチの大学生限定のスーパーの割引カードの勧誘の仕事を行った。

 前にもこの手合いの一日バイトを行ったことがあるのだが、あの時は、ほとんど登録者は現れなかった。だが、今はデジカメやファックスを売って多少は経験をつんだ俺である。少しは進歩するものかと思いきや、意外に難しい。

 まず、決定的に違うのがターゲットの質だ。
 いつもの販売業務ではファックスやデジカメを買いに来た客を口説き落として、自社製品を買わせる、つまり目的として買う気はある。
 しかし、この業務のターゲットは普通に学校や会社に行くために道行く人々。無論、わざわざメルマガの登録を行いにやってくる人間などいない。

 第二に薦めるものの質が違う。
 デジカメでもファックスでも、一応研修は受け、その商品の良さを理解している。が、今回薦めるメルマガも、割引カードもイマイチ旨みというものが感じられない。支払いは発生しないものの、わざわざ足を止めて個人情報を漏洩してまで得たいものでもないのである。
 自分でもそう思うのだから仕事に熱が入らない。今回は結構気楽に参加していたので、プレッシャーもストレスもないのだが、「特に必要だと考えていない人にお勧めできないものを売る営業」は、俺がこの世でトップクラスに嫌な職業だと思っている。

 まあ正直なところ、気の進む仕事ではないので、あまり実績を残して再び引き受ける羽目になるのは嫌なので適当に切り上げればいいと思っていたのであるが。






web拍手レス(最近妙にアクセス数が多いと思ったらまたArcadiaの捜索掲示板で最強モノの話題があがってました)

 今日もコメントはなし。


2006年09月23日(土) 半年振りの講義


 昨日はなんだかんだで3時半過ぎという時間の就寝時間であった割りに、朝は起きられたし、久しぶりの講義でもそれほど爆睡せずに済んだのであるが、いまそのツケが来ている。
 まだ12時過ぎなのにも関わらず、異様に眠い。何とかカフェインを入れて持たせているが、一度眠れば夢を見る隙も無く眠りの世界に落ちるに違いない。

【半年振りの講義】

 既に卒業単位数は満たしているので、今学期は完全に興味本位の受講になる。まだ正式な履修登録はしていないが、『社会学』や『現代技術論』など、シラバスを見て面白そうな教科を選んでみた。文学部生には随意科目扱い(履修は可能だが卒業単位数には含まれない)だが問題ない。

 ついでにゼミの教授がやっている『応用言語学』もとることにした。が、はっきり言って下手を打った感が否めない。なまじ知っている教授だけに下手な真似ができないのである。
 だが、一応卒業論文のテーマにしている(あまり書く気はないが、一応勉強はしている)、『英語支配』などの問題も応用言語学に含まれるのではないかと思われるため、為にならない授業ではあるまい。

 周りでは「どの教授が簡単か」「どの教授がとりやすいか」と侃々諤々の様子だが、そこで悩み、ぎりぎりまで休んで綱渡りのような単位取得を目指すより、普通に興味が持てて取り組みやすそうな授業をとり、普通に出席して講義を受けているほうがはるかに楽に単位を得られると思うのだがどうだろう。
 とはいえ、経済学部の授業などは、とても興味を持って受講するという感じの講義ではなさそうだ。僕も経済学部に進んでいたら、そのような基準で講義を選んでいたのかもしれない。





web拍手レス(今回はガイダンスで1時間少しの授業ばかりだったが、次回からはみっちり90分だ。それに耐えられる自信がない)

 今日の拍手コメントもなし。


2006年09月21日(木) プロットの練りこみ不足


 “まほゆめ”が書きあがらない。どうしても書きあがらない。分量的にはあとちょっと、5分の1くらいのはずなのだが。やる気はあるし、一応パソコンの前には座ってるし、周りに漫画はあまりないし(でも筆が止まっていればとりに行くが)、BGMはばっちり流してる。

 原因は一応思い当たる。設定というか、アイデア不足だ。歩いているとき、本を読んでいるとき、ボーっとしているとき、俺はよく小説のアイデアを思いついたりする。そういう時はとても小説を書きたくなる。
 だが、自然に思い浮かんでくるアイデアは少し偏りがあり、今書いている部分に必要なアイデアはまるで足りなかったりするのである。そういう時は筆が止まる。

 あと、筆が止まるのは、実際書いてみると自分の予想していた展開とは違った方向に行ってしまったり、自分の考えていた展開では矛盾が生じたりする場合だ。
 また、抽象的にはこうしたい、というアイデアがあっても具体的に描写するとなると、とても表現が難しかったりする場合もある。

 これらは全て「プロットの練りこみ不足」によるものであるといってもいいと思う。
 作家がプロットを書く上で思い描かなければならないのは、プロットとして書き出されることだけではない。そのプロットを踏まえて実際に書くことを考えなくてはならないのだ。
 早く書き出したいあまり、「とりあえずこれだけ考えておけばいい」「詳細は実際に書きながら詰めればいい」という考えでプロットを書いていれば必ずどこかで躓いてしまうのである。
 たまに、まったくプロットを考えなくても躓かないことがあるが、それは前からずっと書きたい場面で、何から何まで頭の中で具体的にプロットが煮詰まっているからだろう。
 そういう場面を躓かずに書くときは、作家としては非常に気持ちがいいが、しっかりとプロットを作っておけば、いつも同じように気持ちよく書くことができるのではないだろうか。





web拍手レス(割とちゃんとプロットを書き出した『呪縛の蝋』はなんだかんだで割りと執筆スピード速かったし)

 今日の拍手コメントはなし。


2006年09月19日(火) 遅めで短い夏休み


 現在9月21日の午前3時半。夕方8時から1時過ぎまで寝てしまったのでもうすっかり眠気はなくなってしまった。自由とは「いつでも好きなだけ寝られること」と定義しても構わないんじゃないか、と俺は思う。

【片付け】

 昨日は仕事が全て終わったと言ったが、後片付けがまだ残っていた。テントを畳み、ポータブルステージを運んで学生課に返すのである。
 全部終わってから休みたい気持ちもあり、できれば昨日やっても良かったが、昨日は敬老の日であったため、学生課自体が開かないので、やりようがなかったのである。

 しかし、モモサポはテントの片付けだの、物品運搬だの、本当に手際よくなった。前はテントの鉄骨を組む段階で試行錯誤していたし、テントをたたむのも一苦労だった。もっともハートフルロードは借りて扱ったテントなどの数が半端ではなく、あのころは冬で風が物凄く邪魔だったこともあるが。


 さて、これから2日間は何も予定が入っていない。まっさらな2日間だ。つまり大学が始まる直前にしてようやく得られたまっさらな遅めで短い夏休みである。
 あまり有意義に過ごそうと意気込むと失敗するので、今回は思い切り自堕落に過ごそうと思う。





web拍手レス(でもとりあえずまほゆめ最新話は書き上げておきたいですね。今のところの目標は脱月一更新なのですが、なかなかクリアできません)

 今日のコメントはなし。


2006年09月18日(月) 一段落した後の休みは格別だ。


 12時間寝た。昨夜は1時半就寝、そして起きたのが9時半。いい睡眠だったと思う。

 17日から学校に泊り込んで準備をしていた。去年の12月にやったモモサポ最初のイベント・ハートフルロードでは前日まで作業は残っていたが、今回、作業はその日の夕方で終わっていた。後は、段取りを詰めるだけだっただけでも進歩はある。
 というか、一回でいいから、もっと余裕を持って当日を迎えてみたい。大学祭の実行委員会のほうはどうなのだろうか? 一回生のときに所属したときはそれほど切羽詰った記憶は無いが、トップのほうはどうだか分からない。

 本番は、思い返すと死ぬほど恥ずかしい。どれだけ空気読んでなかったんだ、俺。みんな何も言わないのが逆に怖い。口にするのが嫌なくらい何か含むところがあるのだろうかというのは、web拍手で聞いた「疲れたときほど余計なことを考える」というやつだろうか。
 準備はがんばった気がするが(あくまで気だが)、本番での立ち回りはマジで思い返したくない。具体的に考えると、きっと俺は恥ずかしさで、穴に引きこもってしまう。

 それはさておき、今日の休日はほとんど寝てばかりだったが、いい休日だった。先週一週間はまったく休みの日が無かったし、最後の3、4日は平均睡眠時間が4,5時間である。体力的にもへばっていた。
 これで、まだやることが残っていると全く気が休まらないのだが、仕事が終わった後だと何の気兼ねもなく休んでいられるので、思いっきり不毛に一日を過ごすことができる。仕事の後だからと自分を甘やかすこともできる。
 要するに、気の休まる仕事の後の休日は格別だということだ。

 明日はまた片付けに行かなければならないが、午前中に終わるだろう。午後はどうなるか分からないがゆっくりすごしたい。





web拍手レス(そんな不毛な一日を送っていたので、この日記を書きだすにはとてつもない、精神力が必要なのであった、まる)

>私も最近似たようなことがあったので。ケンカまでにはならなかったんですけど。 疲れている時は余計なことを考えがちで。あまり無理しないでくださいね。

 よ、余計なことなんでしょうか……? 確かに考えすぎかもしれない可能性は否めませんが。
 いやいや、それでも綺麗サッパリ気にしないということはできないですよ。自分でそう思うなら、そこを改善するようにしないと……。

 とりあえず、無理はしないように気をつけます。
 心配してくれてありがとうございます〜。


2006年09月15日(金) 「疲れている」は免罪符ではない。

 昨日はちゃんと日記を書こうとしたのだが、一昨日がサークルの仕事(参加者を我々の企画に誘導するチラシ作り)を家に持って帰っていたので、ほとんど徹夜だったことがあり、そのまま風呂にも入らずに寝てしまった。
 だが、昨日は昨日でサークルの仕事来てもらった参加者に、エコ楽器の作り方を説明するマニュアルづくり)をまた持って帰ってきていたため、早々に寝てしまった。

【関係というものはいつでも不安定で】

 激情に身を任せて日記に書こうと思って、途中で眠ってしまったのだが、昨日、ワキニシ君と喧嘩をした。
 木曜日は、部室の深夜使用の許可をとってあり、みんなで遅くまで残って仕事を大きく進めようというつもりだったのだが、タカスギ君、ワキニシ君が両方とも用事で早く帰ってしまった。

 あとはヤシダ君と二人で看板づくりの作業を進めていたのだが、その作業は体力こそあまり要らないのだが神経を使う仕事で、ひとつ終わらせるのに長い時間が掛かる。しかも作る看板自体がたくさんあるのだ。
 そして、作業を行っているうちに10時近くなり、インターンならぬアルバイターンとやらの研修で仕事を離れていたワキニシ君が帰ってきた。

 初めは、凄いと褒めていたのだが、しばらくすると折角決めた文字の配置に次々と注文をつけ、俺が見せたチラシも地図がどうのこうのと指摘する。その指摘は俺自身の理性も間違ってはいないと思っていたのだが、それでも納得はできなかった。
 俺とヤシダ君に仕事を任せて、自分は仕事を離れていたのに、帰ってきたとたんに今まで二人がやった仕事をあっさり否定された。それが気に入らない。

 我慢できずに俺は、ワキニシ君にそう怒鳴ってやった。


 だが、それでも仕事を中断するのは俺にとって論外である。
 そんなつまらない理由で放り出すのはあまりにも無責任だし、何より、それで逃げるのは非常に間違っている。

 だから、喧嘩をしてしまったワキニシ君と会うのは憂鬱、しかもまだまだ作業が残っており、気を抜けばため息ばかりがでそうな状況でも、サークルの部室に来た。
 だが、予想外にも、遅刻をしてきたワキニシ君とは案外普通に話せたし、冗談を言い合って笑ったりもした。

 実はワキニシ君と俺の関係がこじれたことで、困っていたであろうヤシダ君だが、俺はあまり気の合う人だとは感じていなかった。だが、今回のことで、随分なだめてもらったし、ついイライラをぶつけてしまっても、寛容に対応してくれて、非常に感謝している。
 今回のことで、ヤシダ君をずいぶん見直した。

 昨日喧嘩したのに、今日冗談を言い合ったり、昨日はあまり好きではなかったのに、今日は好感をもてたり。
 人間関係というものは複雑以前に不安定だ、ということが良く分かる二日間だった。それは、俺自身の心が不安定だったからかもしれない。

【自分が疲れていることに甘える】

 この数日間の自分の姿を振り返ると、顔から火が出そうだ。穴があればそこに入ってしまいたい。
 確かに、ワキニシ君の指摘には正しいと感じながらも未だ納得できていないのだが、それに対する対応は大人気ないものだった。ヤシダ君に対しても、冷たく対応した。

 ワキニシ君もヤシダ君も、それは僕が疲れているからだ、と落ち着いた対応をしてくれている。よくがんばっている、今日のMVPは君だ、と僕を褒め称えもしてくれる。
 だがそうまでして慰められている僕は、なんと情けないことか。

 「疲れている」は免罪符ではない。
 イラついているからといって、辛く冷たくあたっていいわけがない。

 たとえ許されても、自分で自分を許すべきではないのである。




web拍手レス(明後日はイベント本番。明日は学校に泊り込む予定なので、日記の更新はありません。つーか、結局あれから“まほゆめ”一字もかけなかったよ/泣)

 今日の拍手コメントはありません。


2006年09月13日(水) 早起きがいくら得なのかは知らないが


 寝坊した。
 とはいえ、スケジュールが乱れるほどではない。朝のゆっくりした時間が好きな僕は11時に家を出ることが多い最近は基本的に8時に起きることにしている。ゆっくり準備に1時間かけるとして、2時間は自由な時間があるわけだ。
 その時間を、小説の執筆や、サイトの巡回、もしくは前日書き損ねた日記を書く時間に当てている。

 だが、今日起きてみると10時、家を出るのに準備を急ぐ必要はまったくないが、それでも朝の貴重な2時間は失われてしまったわけだ。

 早起きをして得をした気持ちはしたことがないのだが、寝坊をすると損をした気分には確かになる。


【モモサポの看板作り】

 イベントで誘導や、告知に使う看板を作っていた。今まではダンボールに模造紙をはって作るだけのものだったのだが、今回は本格的に木材やベニヤ板を買い込んできての看板作りである。

 とりあえず、ローラーを使って白く塗りつぶし、乾いたところでA4用紙に大きくプリントした文字を切り抜いて作った“型”を貼り付ける。その型以外のところは新聞紙などでしっかり防ぎ、スプレーで色をつけて完成。

 文章で書いていると本当に楽なものだが、ペンキは乾くのは遅いし、おまけに今日は雨だったので非常に作業がやりにくかった。ペンキを一応吹き付けたのは良かったのだが、新聞紙があまりガードの役目を果たしていなかったらしく、青のスプレーがうっすらと他の部分も染めている。

 散々苦労してこの結果だと、いっそこのまま放置して、こういう表現なんだと白を切ってやろうか、と思ったが、明日ペンキで上から白く塗りつぶして大まかには補正する予定である。

 今日の作業は、人数がそれなりに多かったこともあり、近頃ではあまりないくらいにハイテンションな作業になった。





web拍手レス(ううう、この土壇場にきて作業量が異常に多くなりました。今週末の更新は無理かもしれません。普通に定期更新とかしてる作家さんたち。あなたたちは本当に人間ですか)

>「彼が気になる。一挙手一投足を追ってしまう。彼に笑われると、自分を嘲笑っているような気がする。
>→(発展)気がつくと彼のことばかり考えているようになる。ふとした拍子に彼を思い出す。そして胸が痛む。
>→(さらに発展)彼と目が合うとドキドキしてしまう。彼もこっちを気にしているのかも、と勘違いすらする。

>……結果。なんだこれはつまり、あなたはワキニシ君に恋をしたんですよ(はぁと)(楽天的)

 自分で書いている途中でも、そうとも取れる部分もあるな、と思っていました(苦笑)。いかに、愛憎が表裏一体なのかを物語る例ですね、これは。

 ちなみに、今日はワキニシ君とは普通に笑って話せましたよ。ここのところのアレはなんだったんだ、といえるくらい。
 嬉しいには嬉しいが、あまりにあっさりしすぎていて、少し怖いですね。もう少し様子を見ることにします。


2006年09月12日(火) 嫌いになりかけている。

【空き箱の弦楽器、完成】

 今日は弦を張るだけの作業だけだ。説明文も「弦をはる」の一言だけの作業。だが、その弦を張る作業のことこそ詳しく書いているべきだった。

 ギターの弦というものはとにかく扱いづらかった、前に使ったときの癖が残っていて、中々まっすぐに張れないし、手がまっ白になるまで力いっぱい伸ばしても、ヒートンと蝶ネジにひっかけて固定しようとすると緩んでしまう。
 少しでも緩めば音は出ない。せっかく音が出るように決まっても、もっときつく張ろうとしていじれば、もうその音は失われてしまう。

 今、友達の一人が調律師の専門学校に行っているのだが、こんなことばっかりやっているのかと思うとつい尊敬してしまう。


【嫌いになりかけている人】

 最近、ワキニシ君が非常に気になる。
 8月ごろから、どうも意見が合わないと思い出してから、機会があれば、彼の行動に気分が損なわれるようになってしまった。

 彼は「人生は楽しむべきだ」という思想の持ち主だ。
 俺はことあるごとに述べるとおり、「楽しい」に懐疑的な思想であり、うぬぼれに近い心境で、ワキニシ君の思想を「浅い」と考えている。
 そして、彼の熱く語る言葉に、行動が伴っていないと感じている。

 そうして彼をある意味、否、明らかに見下しているからだろうか。

 俺の仕事で彼にツッコミを受けると、他の人にツッコミを受けるより酷く気分を害される。
 彼が俺を笑うと、嘲笑に思えてしまう。
 彼の一挙手一投足を気にするようになり、気が付くと必死に彼の行動に穴を探している。
 それが見つからなければ、自分が優越感を感じるネタを逃したと感じて残念に思う始末だ。

 以前はほとんど気にならなかったはずだ。そして彼の性格は基本的に変わっていないと思う。
 それなのに、俺はワキニシ君を嫌いになりかけている。

 それを感じているのか、ワキニシ君もどことなく俺への態度がぎこちなくなっている気さえする。

 これは、良くない傾向だ。
 だが、この感情の負の連鎖をとめるには、きっかけが必要だと思う。

 それまでは、忍耐だ。
 彼のことでイラつく心を抑え、なるべく彼のいい面を拾っていくことを心がける。
 あとは、きっかけさえ掴むことができれば、以前のような関係に戻れるはずだ。





web拍手レス(僕は時々、こういった負の連鎖にとらわれることがあるが、いまだにそれを抜け出せたことがない)

>「呪縛の蝋面白かったです。読むのかなり遅くなりましたが。」

 ありがとうございます!

 僕自身、ネット小説はメインの小説しか読まない傾向があり、あまり短編が面白いと思ったことがないので、他の人にもそう思われているのかもしれないと思っていたのですが、割と「面白い」といってくれる人がいて、ホッとしています。
 うふふ、書いてよかった♪


2006年09月11日(月) これを自己満足と呼びたいのならば、呼べばいい。


【商店街の掃除と旗立ての手伝い】

 俺は、就職活動の際、履歴書の特技欄には「早起き」と書いた。予定さえあれば、どんなに早くにでもおきられるし、寝起きはかなりいいほうである。
 今日もその特技が役立った。

 何しろ、昨日は12時帰宅、遅い夕食をとり、風呂に入って、歯を磨き、報告書を書き上げて眠ったのが午前2時すぎ。
 そして今日は大学に隣接する商店街の掃除と、モモサポも参加するジャズストリート(後で気が付いたのだが、以前の日記では時々「ジャズフェスティバル」と表記してしまっていた。それはこのジャズストリートの元ネタ、高槻の有名なジャズ祭りのほうだ)の幟(のぼり)を立てる手伝いをする約束をしていたため、8時半には学校についておかなければならない。
 よって、今日の起床は6時、7時出発だった。

 流石に睡眠4時間となると頭に霞がかかった状態で電車に乗っていたのだが、いざ作業が始まってみると、いつの間にやら目が覚めてしまった。その前に飲んだカフェオレが利いたのかもしれない。

 作業は200メートル近い商店街の通りの雑草や目に付くごみを取り除く作業と、幟を立てる作業の2つがあったが俺が主に手伝ったのは前者だ。商店街の通りは舗装されており、用意された道具の中に鎌が入っているのを見つけたときは使うのかと思いきや、商店街通りの歩道はレンガ敷きで、その隙間から結構生えている。
 結局、そのレンガの隙間から生えている草を取り除く作業だけで二時間半、掛かった。


 この商店街の清掃作業、実は結局モモサポから参加したのは僕一人だけだった。

 モモサポは大学の学生も含めた地域の交流を深めるのが主な目的で、地域の団体の御用聞きではない。だから、何でもかんでも頼まれればやる、というのは何かが違うというのは分かる気がする。
 それを前置きして、一応声をかけてみたのだが、結局誰も集まらなかった。同じことをヤマトモ君か、タカスギ君あたりがやれば数人は集まっていたかもしれない、それは活動への熱心さからくる人望の違いだろう。
 とはいえ、ヤマトモ君は今日、たまたま大事な用事があったためにこなかったのであって、彼の性格上、それさえなければ僕とヤマトモ君の二人で参加できたのだろうが。

 作業の間に考えてみたのだが、先ほど言ったように、今回の清掃作業は本来のモモサポの目的とは外れている気がする。だが、それでも特に用事が重なっていたわけではないし、日ごろからこうして協力しておくことで、今後いろいろと用事を頼みやすくなる。
 そういう意味では、この活動は小さいし、サークルとしての活動の本道からは離れているかもしれないが、決して無駄ではない。

 結局、道端の草を刈っても、大して見た目は変わらなかったし、草を根から刈り取るために土をほじくり出したこともあって、かえって汚くなってしまった感が否めない。
 活動としては不毛だったかもしれないが、前日もキツイ日程だったのにもかかわらず、朝早くから、地味な上あまり楽ではない活動にしっかりと参加したことでは、自分を褒めてやりたい。

 これを自己満足と呼びたいのならば、呼べばいい。だが、生きていくうえで時々自分に満足し、自分を好きである気持ちを保つことはとても大切なことだと、俺は思うのである。


【空き箱の弦楽器】

 商店街の清掃作業は午前で、午後からは通常通りのモモサポの活動である。今日は看板作りがメインだったはずだが、今日はいつものようにタカスギ君、九州の実家から帰ってきたヤシダ君に、大学祭実行委員の助っ人・クチヤ君に俺で四人いたので、看板ひとつにそんなに人では要らんだろうと言うことで、俺一人だけ空き箱で弦楽器を作る作業を任された。これは差別なのか、それとも俺だから期待されているのか。後者であることを願うばかりである。

 弦楽器といっても作り方は簡単で空き箱に糸鋸で音の反響用の穴を開け、ヒートンや蝶ねじといったねじを取り付け、そこに弦を引っ掛けて張るだけである。
 とはいえ、用意されている空き箱は紙製なので、問題だったのが、ねじを取り付けて弦を張るには紙製の箱はあまりにも強度が低いことだ。

 そこで、看板作りで余ったベニヤ板を拝借して補強した。これでねじをとりつけ、弦を張ることができる。
 今日は弦を張る直前まで仕上げた。明日、看板用の塗料や、不足分の弦を買いにいったあとに、少し作業をすれば完成である。

 これで親指ピアノに加えて作品は二つ目。まだまださびしいのであと2種類は増やしたいものだ。




web拍手レス(まほゆめの執筆のペースが上がってきました。このままイベントの準備が順調に進んで金曜日に休みが取れれば、その日に書き上げられるかもしれません)

 今日の拍手コメントはなし。


2006年09月09日(土) 厄介な客に振り回されたい


 この土日は先週と同じく、京都でバイト&父のマンションで一人泊りである。

【電器屋でデジカメ販売員バイト】

 先週は所属メーカーの製品がまったくといっていいほど売れなかったため、企業からツッコミが入ってしまったわけであるが、今日は出だしからメーカー製品、しかも上位機種が売れた。その後、立て続けにメーカー製品を含む2台が売れ、休憩に入る3時には6台売っている状況となった。
 だが、休憩後、特に夕方はほとんど出番がなく、接客もできないので時間が長く感じられて辛かった。こういうときの心境は、たとえ厄介な客でもいいから振り回されて接客に走り回りたいものである。実際にそんな客に当たると非常に嫌なのだが。

 夕方から夜にかけて結構ヒマであったため、最後の3時間は倍の長さに感じたものであるが、9時間際になって接客が入ってしまった。幸い、飛び込みということを自覚しているのか、さっさと購入して帰ってくれたのでよかったが。(しかし配送希望のややこしい客だったのでレジの人はかわいそうだった)


 というか、日曜日は終わったあとに大阪の家に帰らなければならないのだが、帰った後も報告書を書く作業が残っている。「その夜のうちに送ってくださいね(はぁと)」と言ってのけるメーカーは鬼ではないだろうか。(←大阪まで帰ると12時ぎりぎりになる)
 労働時間は拘束時間9時間、休憩1時間挟んで実働8時間。これで日給11,400円、時給に換算すると給料は割りといいのだが、実際には拘束時間には移動の2時間半や報告書を書く1時間が加わって拘束時間は12時間半である。しかも給料及び交通費が支給されない研修も考えると妥当どころか、少し休めなのではないかと思う。




web拍手レス(本日の売り上げ総数7台。売上高は分からないので何気に台数ではデジカメコーナーでトップだったりする。これは誇っていいのだろうか)

 本日のコメントは無し。


2006年09月08日(金) 振り出しに戻る


【振り出しに戻る】

 せっかく一生懸命考えた某スーパーの企画だったが、既にスタンプラリー的企画が丁度実施されていて(買い物したらスタンプがもらえるというもの)、リアルRPGはボツ、使えると期待していた広場は公団所有だったのが公募で売りに出されている途中らしく、使用できないということでフットサル企画も微妙となった。

 先方の希望としては、スーパーへの集客はあんまり考えず、にぎやかし程度でいいので、学生たちが気軽に集まって遊べる場を作ってほしいということだった。
 簡単そうで難しい注文である。

 書いてみたらほとんど書くことのない一日だったらしい。


【重いもの】

 タカスギ君は先週末にボランティアサークルの合宿に参加してきた。その結果、いろいろ得られたものはあるらしく、帰ってきてからは俺やワキニシ君といったモモサポの主要メンバーにモモサポの目的意識の大事さなどを説いて回っている。

 ワキニシ君は、「そんな重いことばかりを言っていては誰も付いてこれなくなる」と反論していた。
 彼が基本的に掲げている「みんなが楽しくやればいい」という意見には、最近「楽しい」ということに懐疑的な俺はあまり賛成できないのだが、彼のこの意見にはひとつ考えなければならないことがあると考える。

 確かに、全員がタカスギ君ほどモモサポの先は見据えることはできない。タカスギ君は中心のメンバーだけ分かっていればよいというが、それでも全ての活動をその目的につなげなければならないと考えると、やはり動きがとりづらくなることは否めない。
 また、もし中心以外のメンバーから企画が出たとして、「目的に合わないから」と切り捨てることもできないだろう。
 しかし、サークルとして闇雲に活動しても仕方がない、目指すべき目的は持つべきだとも思う。

 その辺の結論はまだ出ていないのであるが、ただひとつ言えることは、「重いことも抱えることも大切だ」ということだ。
 「自分たちには荷が重い」「やることが大きすぎる」、そういって自分たちでもできることを、自分たちがすごしやすい雰囲気で活動するのはいいことだが、それはぬるま湯に漬かっているような考え方ではないだろうか。
 重いとは思っていても、敢えて挑戦する。辛いと思っても踏ん張ってみる。それでたとえ失敗しても、前よりは重いものを背負うことができるようになっているはずだ。

 いかに重いものに耐えられるか、それは「人としての器」と呼ばれ、重いものを持てるようになる、これが「成長」と呼ばれているのではないかと俺は思う。
 大きくなることを選択するか、現状維持を選択するか、タカスギ君とワキニシ君の論争の根本は、この選択なのではないかと感じた。




web拍手レス(明日は例の電気店のバイトだ。メーカー製品が売れるかどうか、ひとつ挑戦してきます)

 今日のコメントはなし。


2006年09月07日(木) 休日を有益に過ごすのは難しい


 今日は一日休養をとらせてもらった。土日がバイトなので平日で一日休める日を作っておかないと辛い。

 映画をみたり、FF10を進めたり、あるいは小説を書いたり、いろいろしたいことはあったのだが、結局一日の大部分を『のだめカンタービレ』を読むのに費やしてしまった。最新刊が出たため、少し懐かしく感じていたところだったのだ。

 休日を有益に過ごすのは、平日を有益に過ごすよりはるかに難しい。


【はなびと過ごす】

 元気なはなびをできるだけのびのびと遊ばせてやりたい気持ちはやまやまだが、俺の部屋は子猫を放すには少々モノが置かれすぎている。
 特に問題なのが机の下で、そこにはパソコンやら電話回線やらのケーブルがたくさんあり、それを噛んで遊んだりするのだ。おまけに猫が好みそうな、丁度身体が納まるくらいの狭い空間なのである。

 だが、放している間のはなびは、子猫だけあって動作が中々かわいい。走る音はパタパタと軽快で、家具の下の狭い空間を匍匐(ほふく)前進で進んでいくのはテルモには見られない光景である。
 だが、捕まえたいときにベッドの下や家具の下に逃げ込まれると、非常に厄介なのであるが。





web拍手レス(昨日の分の日記もよろしく)

 今日のコメントもナシ



2006年09月06日(水) 一人と一匹部屋


【スーパーの集客イベント企画会議】

 最近は専らジャズフェスティバルの準備の作業がほとんどだったのだが、今日のメインはその次に控えているイベントの企画会議だ。
 僕たちは大学の近くのスーパーの営業所の人にコネがあるのだが、その人に「たくさん人を呼んでシャワー効果が狙えるようなイベントをやってくれ」と頼まれた。あまり商業的なイベントは俺たちの趣旨に沿わないところもあるが、そのスーパーは駅に隣接し、地域の中心部にあるといっても過言ではない位置づけにあるスーパーなので、まあ今後のためを考えればやっておいて損はないだろう。

 今のところあがっているのが、俺が提案した「リアルRPG」と他の人が提案した「フットサル大会」。

 「リアルRPG」は、スタンプラリーを複雑にしたようなイメージで、ただスタンプを集めるだけでは面白くないから、スタンプを手に入れるためにミニゲームとかさせたらどうだ!? という発想から生まれたイベントだ。
 スタンプを押すだけではなく、そのスタンプ台の場所などは明かされず、周りの店員とかに聞いて特定するというあたりが「RPG」なのである。

 「フットサル大会」は、事前に20チーム分くらいの選手を集めておき、フットサル大会を開くそばでサッカーグッズの販売をはじめ、縁日のようにスーパーボールすくいやわたがしなどを売ろうという計画らしい。

 「リアルRPG」は割と新しいアイデアなのはいいし資金面でも十分やれる確信はあるが、集客の点において難しい。イベントの性格上、あまり見た目的に派手なものができないからだ。いろいろあるが、ハマれば、他にはない、面白いイベントになると思う。

 「フットサル大会」は事前に参加者を集めておく分、ある程度の盛り上がりは期待できる。ただ、事前に登録した参加者以外の客はどうするかという話になる。また、サッカーグッズ販売などは資金面で難しい。そこは販売などはあきらめて、代わりに当日に来た人でも参加できるミニゲーム(障害物ドリブルのタイムトライアルとか、シュートの的当てとか)などを用意すればいい。
 見た目的にも派手だし、安全にいくならこっちだろうか。


【部屋の同居人】

 俺の部屋は長らく一人部屋だったが、このたびめでたく“一人と一匹部屋”になった。
 同居人ならぬ同居“猫”がやってきたのである。

 名を“はなび”といい、テルモとは別の猫だ。

 1,2週間くらい前に、動物病院の看護士をやっている妹が猫を連れて帰ってきた。「動物病院ならなんとかしてくれるだろう」という安直なイメージからか、よく妹の病院には猫が捨てられていたらしいのだが、それではいけないと考えた妹の病院では今、捨てられた猫は安楽死させる方針が立てられている。
 だが、はなびはどうやら“捨てられた猫”ではなく、“迷い込んだ猫”であるということで処分は免れたらしい。
 ただ、厄介なことにウィルスに感染しているらしく、拾われた当時は猫風邪で鼻水などがひどく、ボロボロでお世辞にも可愛いとはいえない状態だった。おまけに左目には病気の影響で硬い膜ができている。
 症状はともかく、ウィルスの感染者ということで特にテルモは近づけてはいけないため、はなびは隔離して世話をされていた。

 隔離場所として、しばらくは我が家の和室に住まいを構えて世話をされていたのだが、夏休みがあけて、母のお絵かき教室として和室が使われるため、その代わりに俺の部屋にはなびがやってきたというわけである。

 今は症状もすっかり治まり、何度か洗われたおかげで左目以外はまともな子猫である。だが、左目ゆえに引き取り手も現れないだろう。そんなわけで、おそらくはなびは今後もウチで飼われる方針である。





web拍手レス(猫と一緒に暮らすのはいいのだが、様子を見に来た母親や妹がやたらと俺の部屋に入ってくるのは困りものだ)

 今日の拍手コメントはなし。


2006年09月05日(火) 誕生日のめでたさなどマヤカシだ

 正直な話、俺は誕生日はあまり特別な日であると考えない。今日から23歳になった俺には大して変化というものが見られないからだ。
 確かに去年の誕生日時点の俺と比べると、就職活動を初めとした濃い経験から内面的にずいぶんと伸びたところもあるだろうが、それは大局的にみた変化であって、昨日から今日になっていきなり変わったわけではない。

 だが、昨日までさっぱり話題にも出ていなかった誕生日が、昨日、母と妹の口から出たとき、正直ほっとしたのは否めない。
 今日が素敵な日になれば、日常的に時々訪れる巡りあわせのいい日よりも少しだけいい気分になれたに違いない。

 だが、世界は俺の誕生日など意に解しないわけで、俺は雨の中学校まで一時間歩く羽目になり、バイト先に突然呼び出されて研修も行うという、あまり巡りあわせがいいとはいえない日になった。

 それが日常的に時々訪れる巡りあわせの悪い日よりも少しだけ不愉快な気持ちを抱いたものである。


【モモサポで親指ピアノ作り】

 今度の和泉市五十周年記念で行われるイベント『ジャズストリート』。その中で我々モモサポは『エコ楽器づくり』というイベントをやることは前にも述べた。

 ただ、対象が子供たちなので、あまり難しいのはできない。しかし簡単すぎても感動に乏しい。そこで、僕たちは前もって難しい楽器を作り、サンプルとして子供たちに見せてやることにした。
 そのひとつが『親指ピアノ』である。

 いらない木の箱に反響用の穴を開け、細い三角錐材で浮かせた竹ひごを並べてつくるのであるが、木の箱が手に入らない。
 当たり前である。木の箱などというぜいたく品は誰一人としてゴミとして扱わない。竹ひごも同様だ。三角錐材など、日曜大工店で買う以外、どうやって手に入れるのだ。おまけに木の箱に反響用の穴を開けるには糸のこが要る。

 これのどこがエコ楽器なのだという問いは胸にとどめておくべきだろうか。

 さておき、それでもできれば子供たちに喜んでもらえる可能性は高いので、製作に取り掛かることにした。
 今日は箱を作ることからはじめた。木の箱が手に入らなかったのだから仕方があるまい。木材を骨組みに、釘を打ち付け、ベニヤ板を張って箱を作るのであるが、これが中々困難を極めた。

 まず、ベニヤ板が切りにくい。繊維に沿って切るならともかく、繊維を横切る形だと途中で曲がるし、ささくれ立って非常にやりにくい。安物を買ったせいだろうか。
 また、釘を打ち付けているうちに、あちこちがひび割れてしまった。他のところに打ってごまかしたが。

 そうして何とか箱らしきものはできたが、それは箱と呼ぶにはあまりに歪であったのである。

 だが、穴もあけたし、手間のかかる部分は終わったので、明日には完成するだろう。

 
【バイトで再研修】

 先週の土日はバイトであったわけであるが、バイト先の派遣会社に頼んだメーカーの商品はあまり売れなかった。それで営業さんが懸念を抱いたのか、「売れていないじゃないか」というツッコミを派遣会社のほうに入れたらしい。
 当然だろう。たかがバイトに一日一万円以上の給料を出してわざわざ派遣しているのであるから売ってもらわないことには元が取れないということだ。

 そんなわけでツッコミを入れられた派遣会社から電話がかかってきた。売らない販売員を派遣したとあっては派遣会社としても信用問題になるので、オブラートに包みながらも、「なぜ売れなかったのか」と聞いてきたのである。
 店によっては、とあるメーカーの商品を売れと指定する場合もあるらしく、そうであれば言い訳にもなるのだが、俺の場合は特にそのメーカーのデジカメを売ろうと積極的に客の誘導はしていなかったので、言い訳の仕様がない状態だった。

 かくして、俺は誕生日に梅田まで呼び出され(あくまでも任意という形だったが)、他の商品に興味を持っているお客を依頼メーカーの商品に誘導するための研修に赴いたのである。



【大人になる話】

 子供のころは早く大人になりたいと思った。
 そして、今現在、そのころ定義していた大人にはなれたはずで、少なくとも周りから子ども扱いされることはなくなった。

 法律的に車の運転ができる。
 酒は嫌いだが飲める。
 出不精気味なせいか、夜遊びや旅行も両親はむしろすすめられているくらいだ。

 就職活動のため、外出するときは高確率でスーツ着用という生活をした。
 大抵「暑くないか」「苦しくないか」といわれるが、僕はスーツを着た自分を気に入っていた。
 なんとなく、大人になれた気持ちがしたからだ。

 だが、気持ちだけだ明確には僕は大人ではない。
 父や母を初めとする、自分が大人と呼んでいる人たちと僕には大きな差がある。


 今更ながら、大人とはなんだろう、と時々考える。
 
 経済的に自立をすれば大人だろうか。そもそも家から独立すれば大人だろうか。



 ふと、気が付いた。所詮、僕たちは自分のためにしか生きられていない。


 子供のため、あるいは妻のため。
 大人と呼ばれる人たちは誰か、他の人の人生をも少なからず背負って生きている。





web拍手レス(mixiの方で去年に引き続き、一龍さんのところの“との”ご招待の会話式日記をやっております)

>「面白いです。はやく聖地への旅路の続きが読みたいです。」

 ありがとうございますー!
 続きは鋭意執筆中です。どんなに遅くても9月中にはアップしますので、見捨てないでお待ちあれ。


2006年09月04日(月) 肩には角材、頭にはベニヤ板


 昨日の疲れが取れきっていないのか、八時におきるつもりが一時間半も寝過ごし、以後も油断をしては眠気に襲われる一日になった。

【モモサポで買い物】

 モモサポのタカスギ君と先週作ったリストをもとに岸和田あたりの業務用商店街に買い物に行った。
 初めは岸和田を目指していたのだが、途中で南大阪では代表的な日曜大工店・コーナンを見つけて先に看板を製作するための木材を買っていくことにした。
 そこで、安い角材やベニヤ板、糸鋸などを首尾よくゲットしたのはいいのだが。角材やベニヤ板は長さ1.8メートル。

 車内の縦幅ぎりぎりである。

 後ろの扉から角材は少し斜めに、ベニヤ板は天井に沿うようにして差し込むことで何とか積み込むことはできたが、乗ってみると、角材は助手席に座っていた俺の右肩へ、ベニヤ板にいたっては俺とタカスギ君の頭で支える形になる始末である。
 あまりじろじろ見られることはなかったのであるが、むしろ写真に撮っておさめておきたいくらい滑稽な光景だった。

 ともあれ、何とかリストにあったものはほとんど手に入れたので、明日からは作業もどんどん進むだろう。





web拍手レス(眠いのになんでこんなに遅くまでおきてるんだろう……)

 今日も拍手コメントはなし。


2006年09月03日(日) 知識不足、経験不足は泣き所


 ハードな日程だったため、今週末の分の日記を一日分で済ませる。

【某京都の電気店でデジカメ販売 第一週 その1】

 ついに迎えた吉祥院でのバイト派遣初日。12時から21時までの9時間労働の始まりである。

 初日の何が嫌かというと、システムが分からないから周りの人(客含む)に迷惑掛けまくらなきゃ仕事ができない点にある。電気店とひとくくりにしても、会計の仕方とかぜんぜん違うからだ(たとえ同じグループの店舗でもである)。初めにひとつ売るにも、うまくできる自信がなくて、接客しても「頼むから売れてくれるな」と心で願っていたくらいだ。

 それとデジカメの販売は俺のようなシロウトでは知識が足らない。「各社の特徴は?」とか聞かれても俺としては「カタログを見てください」としか言いようがない。
 富士フィルムが高感度(ISOであらわされる。基本的に高感度だとシャッタースピードが速くブレを抑えられ、暗い場所でもたくさん光を取り込んでくっきりとした写真が取れるようになるが、急いで光を取り込むために、ノイズというシミのようなものが現れやすくなる。これを取り除く技術・ノイズリダクションも各社の競争事項らしい)に強いとか、Z1000のカシオは高画素数(画素数が高いときめが細かい写真が取れる)に強いとか表面的なことしかいえない。

 しかしIXYシリーズですごく売れてるキャノンはおしゃれな外見以外そういった売りがあまりないのであるから始末が悪い。感度がISO1600の機種が多数出ているにもかかわらず、最高感度ISO800で高感度を売りにしているのである。

 そもそもそんな表面的な数字でデジカメの良し悪しは判断できないらしい。持ったときのバランスとか、シャッターの硬さとか、液晶画面の見やすさとか、F値とか、インターネットのカメラ批評を調べてみると、人気機種でも文句は山ほど出てくる。
 それでもいいところを強調するには知識が必要で、客に信用してもらうためには少しでも細かく語れることが重要だと実感する。

 特に今日失敗したのが、案内するにおいて「この会社の特徴は? この会社の特徴は?」と聞かれ、しどろもどろに答えていたら「君の案内じゃ信用できない。とりあえずカタログを持って帰って検討します」と最後に言われてしまった。
 さらに、あるカメラのズーム機能が見たいというので、実機(店頭では実際に電源を入れて使える商品が何機種かある)を操作して見せたら、ズームのボタンが分からず、最終的に客の方が焦れて逃げられてしまった失敗もあった。

 そんな調子で自分の説明に自信がもてないものだから、商品を見ていて、且つ他の店員がまだマークしていない客を見つけても「ご案内しましょうか?」とは中々言いづらく、積極的な接客ができないのがなんとも泣き所である。

 第三週(←他の店員と話していたら「かきいれ時の三連休を休んじゃ駄目だろ(汗)」と突っ込まれた)以外の全部の土日にこの仕事が入っているのでこの一ヶ月で何とか人並みに接客できるように経験をつみたいものだ。
 おそらく、慣れたと思ったところで終了して他の仕事に回されるのがオチだろうが。




web拍手レス(誰か、いいカメラ語りのサイトがあったら教えてください)

 今日も拍手コメントはなし。いや、拍手は来てるんですよ!?


2006年09月01日(金) 片道二時間半、だが最高の場所。


 たいしたことはなかったが、一応記しておく。

【派遣先の事前面談】

 アルバイトで電気店の販売員をしていることは先に述べたが、今日は派遣先の電気店に事前面談に言ってきた。ざっと入ってくるバイトの人となりを見るための面談なのだが。就職活動が終わったというのに、何が悲しくてまた面接を受けなければならないのか。

 だが、お客様は神様ということで、派遣会社の客はメーカー。メーカーの客は電気店。電気店の意向には逆らいにくいのである。

 わざわざ京都の吉祥院までたかだか15分の面談に片道2時間半、交通費は後払いなんだが1300円位(定期の区間は抜いて)。
 なんか交通費だけで今月の小遣いが枯渇しそうだ。

 ま、たいしたことは聞かれなかったのだが、付き合ってもらった営業さんによると、チェックリストを片手に色々聞かれることもあるらしい。特定のメーカー商品に限らず、満遍なく売ることを確認される、だとか。

 あと、なんか展示台の交換にも立ち会えたのが嬉しい。いままで土日にしか入ってなかったから、客の少ないうちに交換しているのを見逃していたのだ。長引きそうなので営業さんはもういいよと言ってくれたのに甘えてその場を辞したが、思えばもったいなかった。

 しかし……バイトというものはひとつのところに留まって、慣れてくると肉体的疲労はともかく精神的疲労はかなり癒されるのだろうが、僕の場合はほぼ毎回職場が変わるためそういった慣れとは無縁な仕事なのだ。
 特に今回は割と厳しいところらしいというのを散々聞かされているため余計に緊張する。

 とにかく、今週を乗り切ってしまえば軌道に乗るのだが。




 ところで派遣先が京都ということでかなり遠くなるのだが、実は僕にとってはいい場所だったりする。
 実はうちの父は週末には家に戻る半単身赴任状態で京都駅近くのマンションに住んでいる。
 つまり、場所が今日とであれば、土日の間の夜はそこですごすことができるのだ。土曜日の夜はゆっくりできるし日曜日の朝は朝早くおきる必要もなくなる。おまけに交通費は大阪からのものなので、近場にただで泊まれる分、交通費を節約できるのである。

 その分を差し引けば不安も少しは取り除けるような気がする。




web拍手レス(なんてことのない日記でこれだけ長い文章を書ける俺は一体)

 今日もコメント無し。

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