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こちらでは、龍先生から届く便りを掲載致しております。

2009年02月28日(土) 愛嬌(あいきょう)

「男は度胸、女は愛嬌」といった言葉があります。

女性から恋愛のご相談を頂いた際、私は一つのアドバイスとして、「男性に対して癒しや安らぎを与えられる女性になれるように・・・」、といった言葉をお送りする事がございます。
今回お伝えする「愛嬌」という言葉も、そんな女性がお持ちである可愛らしさや、にこやかな表情に通じるものがありますが、もともとは「愛敬(あいぎょう)」という、仏教の言葉が語源となっております。

皆さんも、お寺に行かれたり歴史の教科書で仏像を目にした事があるかと思いますが、その表情はとても柔和で優しいイメージを受けるのではないでしょうか。
そんなお顔の相を「愛敬相」と言い、慈悲深く優しい表情に心や癒されたり、安らぎを覚える面もございます。

人と接する際にもムスッとした不機嫌な顔をされるより、優しい顔や笑顔を持って接して頂けたなら、こちらも素直に心を開く事ができ、笑顔で対応できるかと思います。

また近年では、愛嬌と愛想が一緒の意味として使われる事がございますが、愛嬌においては、「愛嬌のある顔・性格」と表現されるように、その方自身に備わっている事を表し、愛想は「愛想笑い」とも言われるように、その時々の一時的な振る舞いを表す事が多いようです。

改めて、女性の方にお伝えする「癒しや安らぎを与えられる存在に・・・」とは、後者のような一時的なものではなく、仏様の柔和な表情、愛敬相に通じる面がありますが、いつも気持ちに余裕とゆとりを持ち、広い心で物事に臨まれる事によって、皆様にもそういった部分を身に着けて頂けたなら幸いに思います。


2009年02月22日(日) 愚痴

「愚痴っぽい性格」、「愚痴をこぼす」など、思い通りにならない出来事があったり、不満を感じる状況などがあると、ついつい愚痴が口をついてしまうものです。
この“愚痴”という言葉。元々は“愚癡”とも書き、心に迷いがあって光に照らされておらず、真理に暗い事を指しています。

これだけでは、言葉の意味との結びつきがあまり見えてきませんが、仏様の教えの中に「三毒」という言葉があり、この三つの毒とは「貪、瞋、癡(とん、じん、ち)」という煩悩の事を表しています。
これは、人の心に潜むもっとも根強い苦しみの原因であると考えられているのですが、貪とは貪る(むさぼる)心や欲の強さを表し、瞋は怒りの心。そして、愚癡に通じる癡は、癡かさ(おろかさ)や、真理に対する無知を表現しております。

先程から愚癡に関しては、「真理に暗い、真理に対する無知」とお伝えしておりますが、この真理が何を表しているかというと、真実の道理や理を意味しています。

人が愚痴をこぼす時。例えばお仕事においては、「上司が理解してくれない、部下がつかえない、今の職場環境が悪い、給料が安い、休みが少ない」など、言い出したら本当にキリがありません。
家族や恋人、友人との関係においても、「あれをしてくれない、これをしてくれない」など、こちらも言いはじめたらキリがないものです。

しかしそういった愚痴も、働ける場所があったり、家族や恋人などの存在がいて、はじめてそのように感じる状況がある。逆を言えば、仕事があるからこそお給料を頂け、生活もできてといった真理があり、家族や恋人、友達がいる有難さという理を分かっていたなら、愚痴をこぼすような事もない。
だからこそ、そういった愚痴という状態は、「真理に暗い、真理に対する無知」といった、愚か・癡か(おろか)な状態であるといった事を表しております。

仏教の修行はとても厳しいものですので、最後の表現は非常に厳しいものとなってしまいましたが、毎日を過ごしていれば不満を感じる事もあり、ついつい、愚痴の一つや二つをこぼしてしまう事もあるかと思います。

しかし、愚痴ってしまいそうな時ほど物事に対する感謝を思い出して頂く。そんな小さな積み重ねが大きな変化になって行きますが、今回お伝えした本当の意味を知る事で、皆様が人生の歩みをスムーズに、幸せな日々を過ごされる事に繋げて頂ければ幸いです。


2009年02月14日(土) 油断

「油断大敵、油断も隙もない」といった言葉があるように、この言葉も普段、非常によく使う言葉かと思います。
その意味は言うまでもなく、気が抜けたり、注意を怠ってしまう事をさしますが、「油を断つ」と書いてどうしてそのような意味で使われているのでしょうか・・・。

その言われとして、「涅槃経」という仏教の経典の中に、「王、一臣に勅す、一油鉢を持ち、由中を経て過ぎよ、傾覆することなかれ、もし一滴を棄せば、まさに汝の命を断つべし」、という一説がございます。
これだけでは、何を言っているのかあまりよく分かりませんが、より詳しく言うと下記のような意味となります。

ある王様が、家臣(かしん)の一人に油の入った油鉢を持たせ、「もし一滴でも油をこぼしたら、お前の命を断つであろう」と命令し、多くの人の群れの中を歩かせました。命令を受けた家臣は慎重に油鉢を持ち、一滴もこぼす事無く無事に歩く事ができました。
この話のように、「“油”をこぼしたら、お前の命を“断”つ」という言葉より「油断」の語が出来たと言われております。

さらに、話の中に出てくる王様は仏様をさし、その家臣とは仏様のもとで修行をされているお坊さんを表しておりますが、気を抜いたり注意を怠る事によって油がこぼれる。すなわち、気の緩みから戒律を破り、修行の道を踏み外してしまう事がないようにという意味を表した、例え話の側面も含んでおります。

その他にも、「ゆったり」「ゆっくり」という意味を持つ古語、「寛に(ユタニ)」の言葉が変化したという言われもあり、四国の一部では、「ゆっくりして下さい」という意味で、「ゆだんなされ」と言う地域もあるようです。

私から皆さんへのアドバイスの中で、調子が良い時ほど気持ちを引き締めて、気を緩める事の無いようにとお伝えする事がございます。
今回は、油断という言葉についてお話させて頂きましたが、その言われを知る事で、今一度ご自身を見つめ直されたり、今後の生活において、「油断大敵、油断は禁物」という事を忘れずに、毎日を過ごして頂ければ嬉しく思います。


2009年02月08日(日) 厄年について

今年は厄年の方が多くいらっしゃるようで、メールにて「お祓いにいった方がいいですか?」、「祈祷と一緒にお祓いをしても大丈夫ですか?」などのご質問を頂く事が沢山ございます。

その中で、そもそも厄年とは何なのか・・・。
一般的には、その年に「災厄」といった形で災いや悪い事が起こると考えられておりますが、その元をたどると陰陽道に通じ、はるか昔の平安時代にはその概念などがあったと言われております。

そして、お寺や神社においては、ある年齢になるとそれなりの“役”を与えられる事があります。それに伴い、身を清めて行いを慎まなければなりませんが、“役”を与えられる年齢というのは、心身共に何かと変化が起こりやすく、人生の節目になる事が多い部分もありました。
ですので、“厄年”を“役年”とし、役についた方が自分の行いを正しくする事で、「厄」を遠ざけるという考えもあったようです。

さて、厄年にはどうして悪い事が起こるのか・・・。

実は厄年とは、決して悪い事が起こるばかりではなく、その人にとって当たり年になるとも言え、今までに積み重ねてきた自分の行いがその年に表れる状況がございます。
ですので、厄年までに良い行いを重ねて来たのであれば、「その方向で間違ってないですし、今のまま頑張って下さい」という意味で、とても飛躍の年に繋がる流れもあり、反対に自分自身を見つめ直す意味で、良くない事が起こってしまう方もいらっしゃいます。

どちらにしても、そこで起こる物事は神仏様から貴方へのメッセージでもあると言えますが、人間というのは悪い部分にばかり目が行きやすい為、厄年が当たり年にもなるという考えよりも、どうしたら災いや厄を受けずに済むのか・・・。その事に焦点が集中し、現在、自分を見つめ直す機会としてはなかなか認識されていない状況があると言えます。

改めて、上記の「役につく」というお話からも、人のお役にたつといったとらえ方もあるようですが、厄年の方もそうでない方も、その本当の意味を知る事によって、是非、皆様自身の当たり年に繋げて頂ければ幸いです。


2009年02月01日(日) バレンタインをあてにしない事

2月に入り、14日にはバレンタインデーがありますね。
先月末から少しずつその事に関するご相談を頂きますが、どういった物を、どういった形やシュチュエーションで渡すべきか。連絡はどうしたらいいのかなど、一年に一回、自分の気持ちを伝える事ができるチャンスを前に、色々と考えられている女性は本当に沢山いるかと思います。

また男性においては、「チョコをもらえるかな・・・」と期待する気持ちがあるものです。そして毎年そうですが、バレンタインの後「チョコをもらえました」と喜びの声を聞く一方で、「残念ながら・・・」といったお便りを頂く事もございます。
それは女性においてもしかり。意中の男性に思い切ってチョコを渡せる方、そういった流れが巡って来なかったり、あと一歩が踏み出せず渡せないままに・・・となってしまう方もいらっしゃいます。

男性も女性も、後者の状況において落ち込んでしまう気持ちはとてもよく分かります。ただその背景には、物事に対する“あて”がある為に、それが叶わなかった際の反作用によって気分が沈む現象が起こってしまいます。

例えばのお話ですが、2月14日の1ヶ月前の1月14日。その日にチョコを渡したりもらったりして、喜んだり落ち込んでしまう方というのはいない事でしょう。それは、その日に「チョコをあげる、もらう」という考えがないからであって、特別に何かがなくても気持ちの上下が起こる事はないかと思います。

それと同じように、普段の生活の中でも良い意味で物事をあてにしない事によって、自分の気持ちを上手にコントロールする事ができる。
相手にメールを送ってその返事をあてにしたり、学校や会社など、気になる人がいる場所で「あの人・あの子に会えるかな・・・」と思って足を運ぶからこそ、会えなかった時には落ち込んでしまう。

改めて、それはその物事をあてにしているからであって、最初からあてにしない気持ちで臨めば、後に起こるであろう辛さや苦しみなどを未然に防ぐ事ができます。

この時期、バレンタインデーが近づいてきた中、特に心の上下が起こりやすいイベントかと思いますが、その事を良い意味で“あてにしない”事で、イタズラに落ち込んでしわないように・・・。
またその理を知り、普段の生活やその他の出来事においても、感情の起伏を上手く調節する一つの術として、皆様の心に留めて頂けたなら幸いです。



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