「人が人生を歩んでいく中において、 自分から一歩引いて譲る事が、より 優れた道である。 この一歩を譲る事、それがそのまま一歩 を進める根本に繋がるからである」 今回も、中国の古典「菜根譚(さいこんたん)」にある言葉をお伝えしたいと思います。 さて早速ではございますが、今回取り上げた「譲る」という事について、皆様自身におきましては、どのような場面や状況が思い浮かびますか? 例えば、電車やバスの中で席を譲るという事は、とても頻繁にある事でしょう。車を運転したり、歩いているだけでも道を譲ったり譲られたり、お店のレジで順番を譲る事もございます。 その他にも、物や地位・権利などにおいて、財産を譲る、後進に道を譲るなどの出来事がございます。 こんなにも沢山、また日常にも頻繁にある譲る出来事ですが、実際にそのような状況や場面が巡ってきた時、皆様におきましてはどのような事を心がけていらっしゃるでしょうか。 「もちろん譲るようにしている。なるべく譲るが、心や時間に余裕が無い時は忘れがち。気付いていながらも知らん振りしてしまう・・・。」など、十人十色、人それぞれ様々な対応がある事でしょう。 その中で今回お伝えした言葉では、一歩引いて物事を相手に譲ってこそ、自分自身が歩みを進める事に繋がると伝えています。 人に何かを譲れるというのは、それだけ心に余裕とゆとりがあり、広い視野を持てているとも言えますが、今までの便りでも何度かお伝えしているように、物事と言うのは自分が前に出たり、自分優先に考えてしまうと、かえって上手くいかなくなってしまう流れが往々にしてございます。 今回の「譲る」という事について、改めまして急いでいる時や心に余裕が無い時は、ついつい自分が先になってしまう事がございますが、お伝えした便りを通じて、相手に譲ってこそ自他共に気持ちよく、最終的には巡り巡ってご自身の歩みに繋がる。 そんな理・流れがある事をご理解頂けたなら嬉しく思います。
「影は形に随って直く、響きは声に逐って応ず。 三途の苦果は前因をもって出て、四禅の楽報は 今縁に感じて昇る。」 ◇意味 影は形に添って現れ、山彦は声のままに響くように、今ある苦しい生活も豊かで幸せな生活も、全ては自分の業の結果として感じるところである。 今回のお言葉は、弘法大師・空海が説かれた「十住心論(じゅうじゅうしんろん)」、という本に書かれている言葉となります。 お伝えした言葉の意味を下段にてご説明させて頂きましたが、今の生活を振り返ってみた中で、楽しみや苦しみその全てが、ご自身のしてきた今までの言動によって巡って来る流れがある。その心理を説かれた言葉でございます。 例えば、仕事が嫌い・楽しくない・・・と感じられる状況において、心のどこかで「どうして自分だけ○○をしなくてはいけないのか、○○をしなくてもいいんじゃないか・・・」など、楽をしたい気持ちや逃げの思いがあると、それが業となっていつまでもお仕事をつまらなく感じてしまうものです。 逆に覚悟を決める。ではないですが、「これは自分がしなくてはいけないもの、ごちゃごちゃ言ってもはじまらない」などの決意を抱かれるだけでも、お仕事に対する姿勢から、状況も大きく変わって来るものがあると言えます。 また、誰かに対してわがままを言ったり困らせてしまうような言動があれば、それが業となり、自分から人が離れてしまう状況が巡って来る流れもある事でしょう。 改めまして、影は自分の形に添って姿を現し、引く車は牛の歩みに沿って進んでいくように、何があって今の状況があるのか。 幸せな日々を送られている方も、そうでない方も、ご自身を見つめ直される戒めの意味で、一つの気付きやキッカケに繋がれば嬉しく思います。
とても多くご相談を頂く内容ながら、今までの便りにてその事をストレートに題材にする事はあまり無かったかと思いますが、今回はズバリ「復縁」についてのお話をお送りさせて頂きたいと思います。
改めまして、恋愛や結婚などのお話を頂く中で、特に「復縁」に関するご相談がとても多いのですが、今まで復縁をされた方を見ていての共通点として、私からもお伝えさせて頂く言葉ではあるのですが、過去の自分から新しい自分へと別人のように生まれ変わる事。 ご自身を変える事がとても大切であり、また重要なポイントになってくる面がございます。
例えばのお話ですが、皆さんは同窓会などに参加され、久しぶりにお会いした友人がとても変わっていた事にビックリされた経験はございませんでしょうか。 それと同時に、以前は全く意識をしていなかったものの、その変わりように「カッコよくなった。可愛くなった・キレイになった」と感じ、「いいなぁ」と思われたり、恋愛の対象として急に意識してしまう事などがあるかもしれません。 その他にも、親戚や知人の子供に久しぶりに会うと、その成長や変わりぶりに、とても驚かされる事などがございます。 上記の事と同じように、お付き合いしていた二人が離れてしまう出来事において、その時は、もう恋人として見れなくなってしまった部分がある為に、別れというものが訪れてしまう状況がございます。 言うなれば、意識する部分が無くなってしまったとも置き換えられますが、相手がビックリするくらいご自身を変え、新しい自分になる。別人のように生まれ変わった自分になれれば、相手との復縁も大きな割合で兆しが見えてくるものがあるとお見受け致します。 そして一番のポイントである、何をどう変えれば、自分自身を別人のように生まれ変わらせる事ができるかについて・・・。 その答えは人それぞれ違ってくる面がございますが、一つ例えをあげるなら、今まで自分の事だけしか考えておらず、ワガママを言ったり、意地や見栄を張って相手を困らせていた言動を見つめ直し、心の底から相手の立場や気持ちになって物事を考えられるようになる。という事も、自分を変える為の一つだと言えるでしょう。 その他にも色々なポイントがございますが、僭越ながら、こちらの「零からの便り」や、当ホームページにございます、「お客様の声」にある、お客様と先生方のやり取りの文章の中に、多くのヒントが隠されていると感じる次第です。 今回の便りは、「復縁」に要点を当てさせて頂きましたが、広い意味で、目を通された方がご自身を変える為のキッカケに繋がれば嬉しく思います。
2008年05月04日(日) |
毎日を幸せに過ごす為に・・・ |
「福(さいわい)は来たしがたくして、 禍(わざわい)は招きやすし。」 人生とはなかなか思い通りに行かず大変なもの。幸福をつかむ為には、本当に努力や頑張りを重ねなければならないものの、幸せに気付かない事もある。 手に入れた幸せは、それに慣れてしまうと実感しにくく、逆に禍は目に付きやすいものである・・・。 今回お伝えさせて頂いた言葉は、「南総里見八犬伝」や、「椿説弓張月」などの作者で知られる、滝沢馬琴の言葉となります。 上記の解説の通り、幸せを得る為には日々の努力や精進が必要となりますが、それを手に入れた後、ご自身の中での慣れや当たり前の気持ちが芽生えてしまうと、今度は上手く行かない事や不都合にばかり目が向いてしまうものでございます。 ごくごくシンプルにお伝えさせて頂くならば、毎日を健康で過ごせる事は当たり前のように思えますが、病気になったり体調を崩した時に、改めて健康である事の幸せや有難さに気付くものです。 今の日本では、よほどの事がない限り、食べ物や寝る場所に困るという事もございません。 普段生活していると、そのような幸せに気付きにくく、ストレスや嫌な出来事に心がとらわれてしまいがちですが、今一度、今ある喜びに目を向けらる事によって心に余裕とゆとりを持ち、気持ちを大らかに過ごせるように・・・。 皆様の日々の幸せに繋がるキッカケとなれば嬉しく思います。
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