茶畑
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時間が空いているので、これまでの経過と思ったことを羅列してみる。
11月25日引越し。
12月に入り症状が悪化。12/14〜1/14まで仕事を休む。
12/13に薬が変わった。 パキシル20mg。ルジオミール50mg。マイスリー10mgを就寝前。
12/21から手足に赤い発疹が出はじめる。12/22の夜に悪化を自覚するも、12/23(土、祝)と12/24(日)にぶつかり病院に行けず。12/25に以前と同じ皮膚科を受診。「多形滲出性紅斑」と診断される。ネットで調べたらアレルギー症状とのこと。精神科の医師に相談したらルジオミールが原因だと言われる。替わりにアモキサン50mgが処方されるも、再びアレルギーになったらどうしようという恐怖感から飲まなかった。発疹の方は飲み薬(プレドニン、アレグラ)、塗り薬(デルモベート)で治った。
休み1週目は起きられない、食べられない状態。頭の中がぐるぐるまわり、胸が非常に苦しい。辛い辛いと口に出す程。
同じ病気を持つ友人がたまたまメールをくれた。泣きたい時は泣きな、という言葉がうれしかった。
父と母が2回家に来てくれ、母は2日に一回電話をくれた。このことが非常に救いになる。親のありがたさに感動した。旦那にも無理をしなくていい、仕事に戻らなくても家計は大丈夫だと言われる。家族とは本当にありがたいものだ。
休み2週目になると食欲が戻ってきた。昼間に誰もいないことが非常に寂しく感じる。
年末年始、旦那が家にいたこともあり寂しさは軽減されてきた。
1/2、自分の実家と旦那の実家に行って親や親戚に会う。
母の胃の調子が悪い。本人は癌を心配して非常に落ち込んでいたが潰瘍と分かり元気が戻ってきた。薬で快方に向かっている。
年明けから休みの残りが少ないことに焦りを感じ始める。最後1週間の焦りはすごかった。何も予定が無い日は相変わらず寝てばかりだが、夕食の買い物と支度はできた。
1/13、高校時代の友人と会って話すことができた。
友人もありがたい。人には恵まれてるじゃないか私。
1/15、朝から会社に行くことができたものの帰ってきてから不安と苦しさで号泣。実家に電話して母に話を聞いてもらい、何とか落ち着いた。この日に精神科に行き、アモキサンで湿疹が出ることは無いので飲んでみてくださいと言われ、服薬を開始。
現在の薬。変わらず就寝前。 パキシル10mg×2 アモキサン50mg×1 マイスリー10mg×1
1/16は仕事を休んでしまった。
1/17、午後から出社。頼まれた仕事をすることができて嬉しかった。仕事に対する不安とプレッシャーはかなり軽減した。夕飯を作り、風呂を沸かして入った。息切れしていたが動くことができたのは薬のおかげだろう。薬のありがたみを感じたのは9月の服薬開始直後以来のことだ。
今日も午後から出社。昨日よりもバタバタしていたが何とかなった。嬉しい。今日は旦那が出張でいないので寂しいけれど夕飯の支度が無いので楽だ。こんな風に思えるようになったのは元気が出てきたということかもしれない。
明日は朝から会社にいけるだろうか。金曜日だから少し無理しても何とかなるだろう。無理は良くないのだが、私の場合は仕事が原因で鬱になったわけではないので(悪化した原因は仕事のこともあるが)、仕事ができないというのはそれはそれで焦り、ストレスになるのだ。休んだことで、今の仕事や職場に対する考え方も少し変わったので、できれば仕事は続けたい。でも続けられなくても、それはそれでいい、とも思えるようになった。
気長に病気と付き合おう。焦らず寛解に向かえばいい。鬱の症状が来たときのやり過ごし方も、過去の辛い記憶の処理の仕方も、ストレスへの対処の仕方もほんの少しわかったような気がする。ほんの少し。それでいいのだ。
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