++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2010年06月29日(火) *アップアップ

子供がまた学校を休んだ。

もう大丈夫かと思っていただけに
内心すごくショックだったけど
わたしがあまり動揺したり酷く落ち込んだりする方が
良くないことは今までのことからもわかるので
できるだけ普通どおりに接するよう心がけた。

明日は行くといっているけど・・・
焦らずにいくしかない。。。


こういう時に一人で考え何とかしないといけないというのは
正直今のわたしには辛い。

でも両親はもうあてにできないし、兄弟姉妹もいない。
こういう家族の問題に関して、
結婚したこともなく子供をもったこともない恋人には
理解しがたいと思うし。
特に子供のことについては、友人達や恋人には
中途半端に話したくないという思いもある。
わたしの不器用な言葉では今の状態をちゃんと
表現できる自信が無いから尚更だ。


それにしてもどこから整理しててをつけていけばいいのか。。。
あとからあとからやってくる障害物。


大人としての余裕 なんてものがすっかりすり減って


酷く

疲れている。



2010年06月27日(日) *エレーン



                中島みゆき / エレーン





いろいろ書いてたけど
結局、全部 消した。

まとまりのつかない込み入った感情や状態を
文章にするのが上手くできなくて
途中で疲れてしまったのと(たかがこれくらいで?)
そうなると長々と書いた文章というのが
変に中途半端でとても見るに耐えないモノに思えて。


でも 再度 別のことを書き出したりしてる。


あの後のことだけいうと

下二人は学校に行きだした。
これはほんとにホッとした。
先週の後半は休まずに連続登校したので
このまま安定していってくれたらいいなと思ってる。

問題は魔の月曜日。
休み明けを乗り越えれば弾みもつくと思うので。

割り切れないものや抑えなければならないものが
あるにせよ、そうして学校がただ、楽しいだけのもので
ないにせよ。何とかでも自分の中で何とかおさまりをつけて
生きて行く芯の強さを身につけてくれたら・・と願ってる。


わたしはまた睡眠が狂いだし、離人感と意識が飛ぶのに
悩まされている。
持病の数値はイエローカードのまま。
クリニックでは薬の調整中。


(子供に対して)親の無力さ、
反対に(親に対しての)子供としての自分の無力さを
日々痛感しては落ち込みもするけれども
それはどこかでまだ変な
自分に対するプライドがあるからかもしれない。
”こうあるべきなのに、こんなはずじゃないのに”
なのに できていないできないジレンマ。


小さな底の浅い人間の癖に
自分というものをここまできてもまだ
諦めきれてないところがある。
それは体調のことであったり、外見のことであったり。


友人知人が読めば笑われてしまうかもしれないが
わたしは元々ナルシストなのだ。

人目を惹くような派手なスゴイ美人では決してないけど
色白にきめの細かな肌は自慢だったし、
すっと通った鼻筋から唇も好きだった。
可愛らしさとか華やかさとかはないけれど(これはコンプレックス)
図書館の隅の席で静かに本を読んでいるような自分を
わたしはかなり好きだったのだと思う。
密かなる屈折した自己愛。

だから尚更、今の壊れてしまった自分 というものに
苛立つんだろうな。
と これは自己分析。

褒められるのも好き。認められたいと常に思っている節がある。
どういえばいいんだろう。
そう、強烈に求められたいという隠された欲望。
絶対にそんなそぶりなんて出さないけどね。


恋人の好きなところのひとつは
わたしを賛美しつづけてくれるからだ。
恋人は女性に口マメではないし、
女友達に囲まれているようなタイプでもない。
それでも何故か、付き合いだしてからずっと
病気になり、歳をとってきたわたしに対してさえも
いつまでも変わらず綺麗だ と言ってくれる。

もうダメかもとか落ち込みつつも
わたしが女でいよう、女でいたい、と思えるのは
彼の存在のお陰だと思う。


ああ いっぺん こんな風に書いてみたかった。

自惚れのみっともなさとか慎みのなさに
笑われたり呆れられたりするのが怖い小心者のわたしは
良い子でいることにずっと囚われていて
日記というカテゴリーの中でさえも。

そんな良い子でもなく もっと我がままでズボラ奔放で
ギラギラした欲望だってもっているというのに。






叫びと呟きの狭間で
問いかけ続ける

生きていてもいいですか

と。



2010年06月23日(水) *ナンテ トオイ・・・

末っ子が登校しだしたと思ったら
今度は入れ違いに真ん中が不安定に・・・。

まさに一日の間すらない入れ違い状態はきつい。
こういう連続はよくあるけど一番堪える。
息切れを通り越して呼吸困難になり、心が折れそうになる。

あと少し、あそこまで むこうまで・・・と
膝をつきつつもよろよろと這うようにしてでも
とにかく なんとかする わけだけれども
それも今回まではもったけど次もなんとかなるとは限らない。

どこまでわたしはもつのか・・・
細い細い糸の上をわたっているような綱渡り状態。

考えれば目がくらんで足を滑らすから
できるだけ感情を隔離しておくようにしてるけど
これが難しい。

何処までなのかワカラナイというのは一番不安だ。
先が見えないということが震えるほど怖い。

これは子供たちのことに限らず、
自分自身が不安定であるから尚更なのだろうと思う。

それでも少なくとも成人するまでの子供たちのことに関してだけは
抱え込む とか そういうのじゃなくて
親として してやりたい。

わたしは親としてはダメダメだけれども
唯一できるのは 変な世間体とかプライドとかを捨てて
(実はこれが一番勇気を必要とする。
わたしの両親は良くも悪くも常識人で
わたしもその教えを深く刻まれて育ってきたので)
子供と向き合うこと、自分を晒してみせることだから。

形に囚われないこと。
名を惜しんで実を失わないこと。

捨てて 捨てて 捨てて
まだ無くさなければならないのか?と思うけど

それでもこの大切なものだけは
どうしたって捨てられるはずがない。


考えることは大切だけど
考えすぎるくらいなら
頭を空っぽにして考えない方がいい時もある。


そういいながら今も禅問答みたいに 考えて いるわけだけど。




耳鳴りは潮騒のように遠く近く寄せては退いて
低く高く頭に響く。

幻の海は切なく懐かしく わたしを誘うけれど

その静かに藍く待つ場所への道のりは



なんて 遠い・・・。



2010年06月18日(金) *ある告白。

書きたいことはあるのだけど
毎日にあっぷあっぷでPCを開く気力すらなかったりで。

いざ 書こうとしてPCの前に座っても
どうにも言葉が出てこなくてもどかしいが
せめてできるかぎりでも書き残しておきたいと思う。



末っ子がまた学校を休みがち。
少し前に体調を崩して休んでからぽつりぽつりと
休む日が増えて、心配していたのだけど
昨日、一昨日は行ったが今日はまた休んだ。


真ん中と末っ子は小学校時に数度
不登校状態になったことがある
それも少しのズレがあったとはいえ
二人ともが重なって行けなかった時期もあって
これは辛かった。

強引に行かせようとしたこともあったし、
なだめすかして子供と一緒に毎日登校したりもした。
保健室登校でほんの数時間でも・・・と。
それでもやっと登校したと安心した一時間後に
学校を上履きのままで飛び出したと電話があったり・・
子供には子供の思いや止むに止まれぬものもあっただろうが
親はひたすらに心配し、半狂乱になって探し回った。

見つかった我が子にすがりついて人目もはばからずに
泣きながら、とにかく無事であったことに心から感謝した。

学校や担任の先生とも何度となく話した。
相談所やカウンセラーを勧められもした。

でもそういうのでどうこうできる問題じゃないってことは
多分、わたし達家族じゃなければわかっては貰えない。

外からの助言を受け入れないとか頑なになるとかいうつもりはない。
けれども、懸命に話しても話してもどうしようもなくズレていて
わたしは疲れ果てるばかりだった。


所詮、無理やり強引にでは問題解決にならない。
子ども自身が考えて納得しなければダメで。

学校や先生は勿論、心配してくださり精一杯ご尽力もいただいたと思う。
それでもやっぱり学校にも学校の、先生にも先生の立場があり
それは良く分かるし、感謝も申し訳ないとも思うのだけれども
微妙にズレた認識がやりきれなくなったりもした。

あの日々は一言では語れない・・・。

トンネルから抜けて登校するようになった時
普通に学校に行ってくれるということがどんなに嬉しかったことか。

成績云々ではなくて元気に楽しく登校してくれたら。
それだけをずっと祈っている。

だからまた再度 不安定になっている現状が心配で仕方ないのだ。
もっとどっしり構えていればいいのかもしれない。

でも持病を抱え、薬を飲みながらの日々、
持病は一進一退状態で膨れ上がる不安を抑えつけながら
いっぱいいっぱいでやってる。



教育現場の苦労というものに対しては
実はかなり知っているといってもいい。
それは亡くなった夫が教師だったからだ。

教師や学校側の内情については、むしろ
その過酷さに同情して理解している方だと思う。
苦情の類もだから言ったことはない。
知っているからこそいいにくい ということもある。



亡夫は教員としては生徒からも慕われ、先輩から可愛がられ
保護者からも頼りにされていた立派な人であったと思う。
何より、弔問に来て下った方々の人数がそれを物語っていただろう。

皮肉なことに夫自身はいつもコンプレックスの塊で
文字通りに学校で自分をすり減らし、良い教師を演じ
外でそれを見せない代わりに酒に溺れ、物に当たり壊し、
わたしに絡み、暴言を吐くという形で、家で出していたわけだけれど。
優しげな外見で軽く甘くみられるというジレンマを
吐き出せるのはわたしに対してだけだったのだろうけれども
サンドバックの役割というのも長く切れ目無く続けば耐え難いもので
外側から見るよりもずっとわたしたちの家庭は複雑に歪んで屈折していた。

良い教師=良き家庭人というわけではない。

夫は優しい良い人だったけれども
とても弱い人だった のだと 思う。

弱いものと弱いものが一緒にいれば
どちらかが強くなるしかない。
でもそれが夫を追い詰めたのではなかったか・・という
苦い自問。
中途半端なわたしの強さと辛抱が
反対に家庭の崩壊の時を早めてしまったのだとしたら?

結果的にアル中に近いほどのお酒とタバコとストレスが
夫の命を縮めたのだから。


でも

わたしに他に何ができただろう。


いや、その感情もどれだけの理屈もわたし側からのもの。
今 遺されたこの身には所詮言い訳に過ぎまい。

やめよう。



明日、末っ子は学校に行けるだろうか。

見守るしかない。


わたしたちは

わたしも
子供たちも

答えが欲しいんじゃない。
知ったかぶりの見当違いの答えなんてイラナイ。

ただ 受け止めて欲しいだけ なんだ。
でも それがとても難しい。



ワタシハガッコウガキライダ





そうして
明後日は祖母の一周忌。

そのあと すぐに伯母の四十九日がくる。



これからを思えば、胸が締め付けられるようで
息が苦しい。

逃げ出す場所もなく追い詰められていくばかりのようなのに
何処かに消えたいと思っても死にたくないと思うのは生来の臆病さ故か・・
いろいろな生き様と死に様を目の当たりにしすぎたからだろうか。



生きることも、死ぬことも怖いわたしが
その最期にみるのは どんな景色なのだろう。




 分け入っても 分け入っても 青い山   (山頭火)


 捨てきれない 荷物のおもさ まへうしろ (山頭火)





2010年06月01日(火) *オオカミニナリタイ

イイヒト って何だろう。

イイヒトでいることに自分自身も違和感がなく
何処から見ても見通しのいい生き方のできる人が
本当のイイヒトなのかもしれないな。

イイヒトって評価は 結構安易にされる。
ある意味 気弱で御しやすい(と思われる)人に対しても
言われるコトバ。

わたしなんかさしずめ後者の方だろう。
気弱で御しやすいのも争いを好まずに
何かあると自分の方が退くのも
要するにごちゃごちゃするのがメンドクサイから
なんだけどね。

本来のわたしは
他人が認識しているわたしよりも
利己主義だし冷淡。

ただ奥深くに隠して踏み込ませないだけ。

まぁ 人間多かれ少なかれ 秘密や奥底に眠る闇みたいなものは
持ってるんだろうから、とりたててわたしが特別というわけでも
ないだろうけど。

ただ歳をとり、死について改めて触れ、色々考えた時に
今の上っ面だけイイヒトの自分っていうのに
なんともいえない苛立ちを感じてきて。


先日 亡くなった伯母は善良な人だった。
自分のことを後回しにしてでも人のことを
気にかけるような人だった。

そんな伯母がお見舞いに行く度に
このままじゃ死んでも死に切れない と。

苦労して苦労して、人の為にやってきて
やっとこれから自分のことを・・・って時に
病気で斃れて さぞや無念だったことと思う。

勿論、わたしの知らない部分も沢山あるだろうし
伯母の人生が不幸ばかりだったなんて
言うつもりはない。

それはわたし自身の人生が他人からみてどうであれ
不幸だけのものではないのと同じことだ。


でもだからこそ湧き上がってくる強い思いがある。

人様からどう思われるか とか
世間の常識 とか
まず 自分ではなく人を思い遣る とか

そういうの もういいんじゃないか って。

もっと好き勝手にしたいように生きてもいいんじゃないか って。

もっとワガママに、もっと我慢せずに怒って
キライなものは嫌い、イヤなことは誰がなんと言っても嫌。
したくないことはしない。


わたしの持つ秘密や闇はまだ眠っている。
わたしという存在がこの世界から無くなった時に
はじめて他人はわたしの闇を垣間見るだろう。
時限爆弾みたいに。


染み付いた生き方を根本から変えるには
歳をとりすぎてしまったけど

見通しのいい、綺麗な生き様や
イイヒトなんざ くそくらえ だと

強がりでも
足掻いてみっともなく往生際悪く

それを生き恥だというなら
最期まで
大きな何かに挑むように
せめて 吼え続けたい と

泣きそうになりながらも

そうでないと悔しくて
悔しすぎるから

この臆病者は 思うのだ。


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                  ゆうなぎ


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