++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2009年02月27日(金) 「クッション」

わたしはクッション


あまりできはよくないけど
きがつけばクッションだった

いまもクッション
でも 
すっかりふるぼけてしまった

ところどころやぶれていろあせ
すっかりぺったんこ

うけとめるちからもどんどんよわくなって

それでもやっぱりクッション

クッションいがいのなにかに
なりたかったとおもわないわけではないけど


わたしはクッション

きっとさいごまでクッション

クッションであることに
きづいてしまったから

クッションであることを
えらんでしまったから


わたしはクッション
そっと朽ちていく


わたしはクッション

どこにでもある
ありふれた

ただ

クッションでありつづける
クッション。



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                            ゆうなぎ



2009年02月24日(火) 「ハッピーエンド」

   「ハッピーエンド」


物語はハッピーエンドの方がいい

ご都合主義でも
マンネリでも

物語はハッピーエンドがいい


わたしは随分前に
それを落っことしてしまったから

もう 
それはオハナシの中にしかないから


物語はハッピーエンドの方がいい

そしてみんなシアワセに暮らしました が いい


皮肉なもんだね
幸せな人ほど 
ハッピーエンドに満足しない
波乱万丈の悲劇を望む
物語の中だからね
自分の痛みじゃないからね
本を閉じれば
穏やかな日常に戻れるからね

無邪気な残酷さ



わたしは

物語はハッピーエンドの方がいい

ご都合主義でも
マンネリでも


物語はハッピーエンドがいい

その方が いい




         ゆうなぎ



2009年02月23日(月) 「傘は ない」


  「傘は ない」

傘のない生活にも慣れました


雨の日にはできるだけ家にいて
どうしても の 時は
当たり前のように濡れるけど
しかたないのだと 諦めて

濡れネズミの横を
大きな傘で守られた人が
笑いながら行き過ぎる

雨の日に傘をさすのは当たり前
ああ そうなんでしょうね きっと
傘を持ってる人にとっては


傘のない生活にも慣れました
雨の冷たさにも

傘のない生活にも慣れました
この先 傘を持つことはきっともう無いと思います


傘のない生活にも慣れました

けれど本当は
誰よりも傘が欲しい わたしです



ゆうなぎ



2009年02月17日(火) 薄れる輪郭

自分自身の存在感が薄くなっているようなすごく変な感じ。
自分の輪郭がボンヤリしているというか。

過去を引きずって云々じゃなくて
現在抱えている諸々は
気持ちを切り替えれば解決することとかではなくて。
自分の無力さを思い知らされる。

ただ、薬のお陰か
感情に薄もやがかかっているようで
泣きもしないけど
心から笑えもしない。無表情。

たぶん 今はこんなふうにやり過ごすしかないんだろう。
とにかく”生きる” 為には。


ただ、背中のモゾモゾするような この居たたまれなさ。

昨日は昼間の記憶がぽっかりと抜け落ちてて
たぶん・・・昼食も食べてない・・・と思う。
薬飲まないといけないから 三食きちんと食べることには
かなり神経質になってるはずなのに。

それも昼食のこと、食べてないんじゃ?って
気がついたのは夕食の後。

いつも食後に薬を飲む時、薬の袋に
時間を書くようにしているんだけど
昼食後のが書いてなかった。

思い返してみても
大体、10時くらいから16時くらいまでの行動が
どうしても思い出せない。

いや詳しくとかじゃなくても眠ってたとか
それくらいはわかりそうなものなのに。


執着がどんどん薄くなっていっているみたいで
そんな自分が頼りなく 怖い。

怖い といっても
その怖さや不安さえも 
どうかするとボンヤリしたものになってしまうようで。


夜は相変わらず、薬を飲んでも眠れない。
眠れても早期覚醒して眠った気がしない。

本ばかり読んでいる。
元々 活字中毒ではあったけど
今は読む本の分野がものすごく狭まっているし
読む本が無くなるのが怖くて
常に数冊積み上げておかないと安心できない。

反対にテレビはまったくといっていいほどダメになった。

PCを立ち上げるのも億劫になっていて
多分、
ささやかなる本当に細々とかろうじての
仕事のことが無ければ
もっと遠ざかっていただろう。


ふと この先 自分はどうなるのだろうと思う。

考え出せばきりの無いことなのに。

生き延びて独り朽ちていくのか・・・。

わたしは何処に還るんだろう。


今日は病院の日。

いつもの検査。イタイのは嫌だな。
薬はどうなるのかな。

胸の奥底に吐き気があって
中途半端に気持ち悪い。


ただもう 何もかもが ダルイ。


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                            ゆうなぎ                        



2009年02月15日(日) 春よ・・・



***


遠き春よ・・・











いつか・・・・・
この日々を懐かしく思い出せる時はくるのだろうか


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                             ゆうなぎ



2009年02月11日(水) カタカタカタ

気にせずに とか
大らかな気持ちで とか
そりゃ それで済むのなら
わたしだってそうしたい。

自分自身の考え方とか気持ちの持ち様の問題なら
それは確かに有効手段だと思う。


でも自分以外の人間の事についてになると
そう簡単にはいかない。
子供とはいえ、当たり前だけど別の人格。

親は関わり、対話することはできても
結局、彼ら自身が 
時には回り道をして、時には立ち止まり
迷い、探しながら、気づき、見つけていくしかない。
そして、それは決して無駄なことではないと思うんだ。

親にできることはそれを見守ることじゃないだろうか。


でもこの 見守る というのにはかなりの根気と我慢を必要とする。
また、学校や周囲のオトナの”こうあるべき”が
加えてプレッシャーをかけてくる。


実際、いくらキレイゴトを言われても
現実はそれで済むわけじゃない。

ゆっくりでいいと言った同じ口が
程なく痺れを切らし、そんなことではダメだと駆け足を求めてくる。
この滑稽ですらある矛盾。
話し合い という名の 追い詰め。


今 この国では自分のペースで生きるという
単純なはずのことが とても難しい。



色々あって、でもとにかくこの日々を
あっぷあっぷと犬掻きで溺れかけながらも
生き抜かなければならないわけで。

欝の薬は増えた。糖尿の薬も合わせると結構な量になる。
これはもう納得の上で。
でもそのお陰で とにかく こうして生きている。

副作用で不正出血とかしてる。
あまり続いて酷いようなら、また薬の変更とかも
考えないといけないだろう。



トンネルの先はまだまだ見えない。
いくら薬で感覚を麻痺させているといっても
きつくないわけじゃない。
薬を飲んでも眠れない日が続く。

どれだけ楽観的に考えたくても、考えられる状態じゃない。
問題は山積みで、どれだけ必死になっても
とうに、この手で抱えきれる範囲を越えてる。
誰かの手助けが望めるわけでもない。
ロクに事情も理解していない人間に中途半端に介入されても
かえって混乱するばかりだ。



この現状を
この毎日を
生きてみて

それでも
アノヒトタチは
同じように言えるのだろうか。

気の持ちようだ なんて世迷言が。



生きてますよ。
どれだけズタボロになろうが
ぼんやり生きる屍と化そうが

生き抜くことが今の目標です。

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                            ゆうなぎ     



2009年02月06日(金) 疲労


「infection」鬼束ちひろ



何もかもに酷く疲れている。

力がまるで入らない。
最後に残っていた執着すら薄れていっているようで
自分の輪郭は曖昧になるばかり。


亡夫の法要は何とか無事終えた。
ただ、どれだけ年月が過ぎても
クリニックで薬を増量して貰っても
それで忘れられるわけでも
傷が薄れるわけでも無いことを
改めて思い知った。

あの悪夢の出来事さえなければ
せめて、あの時、あの場所でなければ・・・
そんな過去の”もし”を
いくら思ったところでどうなるわけでもないことは
自分自身が一番わかってる。

憎しみからは何も生まれはしない。
ましてや、つうじる相手でもないのだし
もうアノヒトタチとの縁は切ったのだから
考えないこと、忘れてしまうこと。

周囲からもそういわれてきたし
自分自身も繰り返し自分に言い聞かせてきた。

考えたくなどない
無かったことのように記憶から消してしまえたら
どんなにいいだろう。

言うのは易しい。
二度と行くことがない場所なら、少しはマシだったかもしれないのに。

ああ・・・また、詮無いことを考えてしまう。


でも、ただ過去に囚われてばかりいるわけじゃないんだ。
わたしも子供達も現在(いま)を生きようと必死にもがいている。
それなのにあのトラウマが、古傷のカサブタがその度に剥がれて
現在(いま)を生きるわたしたちを苦しめる。
歩もうとする足に絡みつく。

それぞれがなんとかしたいと思っているのに
それぞれが空回りばかりしている。

どうしたら
どうしたら
どうしたらいい?

途方に暮れて立ち尽くしても

答えは見つからないまま。


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                             ゆうなぎ



2009年02月05日(木) 「冬の夕暮れ」



「冬の夕暮れ」

風に揺られるブランコ
誰もいない公園

忘れられた赤い手袋ひとつ
ベンチの端っこ

バスから降りた人が白い息 吐きながら帰る
ぽつりぽつり つきはじめた街灯


ふと立ち止まる
流れていく時間に
少しだけ逆らいたくて


無くした手袋

あれは雪の色

大切に大切にしていたのに

想いすぎて無くしてしまったもの


どこかで赤い手袋を無くした誰かも
立ち止まっているだろうか

降りはじめた小さな粒を
肩に受けながら

無くしたものの温もりを
想い出しているだろうか


冬の夕暮れに


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                             ゆうなぎ


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