++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年12月31日(水) 2008年365日目に




毎年、今年こそ穏やかな一年を・・・と願うのに
なかなか思うにまかせないものだけど。

その時はひたすら長く苦しく感じた時間すら
振り返れば過去という名前の痛みに変わる。

絶望も希望も紙一重。
景色は日々目まぐるしく色を変えていく。

かろうじてでもこうして岸辺に泳ぎ着き、
今 呼吸をしていることに感謝を。


ここ2.3日は大掃除とはいかないまでも小掃除モドキをした。
とはいえ、本当に最小限、それもどうも夜眠れないので
開き直って夜中にガサゴソと片付け。

食事を抜いたりは薬の関係でできないので
起きたまま朝食が5時半とか そんなので。

実は今もさっきまで玄関の掃除をしていた。
仏壇と水周りとあとは四角の部屋を丸くで
とりあえず今年の掃除はこれで終わり。

年末年始にかけては実家へ行くので
日記の更新ができてもケイタイからになりそうだ。


来年は亡夫の法要も控えていて節目の年になる。

場所があの悪夢の出来事を思い出させて
いつもフラッシュバックを起こしてしまうから
今年最後のクリニックでそれを話して
新たに薬を出して貰った。
これを飲んで無事に法要を終えたいと思う。

そして願わくば、いつの日か心穏やかに
あの場所に立てるように。


今年も振り返れば、人と出会い、人に支えられながら
また命を繋いできた。

わたしという人間に関わって寄り添ってくれた人たちに
2008年365日目のこの時に
もう一度
ありがとう と言わせてください。


そして どうか 良いお年を・・・。


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                              ゆうなぎ   



2008年12月29日(月) Song for・・・



2008年12月27日(土) NOBODY KNOWS



2008年12月26日(金) 2008年末 日々の暮らし

いよいよ2008年の12月も押し迫ってきた。

正直、あと数日で今年が終わって新年が来るという実感が
今ひとつ湧いてこない。

年賀状は数年前より
本当に送りたい人達にだけメールで送らせていただいて、
その他大勢様には出さないことにした。
諸々のシガラミもあったが、人間関係に疲れ果てていたので
それを通して今に至る。

年賀状自体に否定的なわけではなく、その良さも充分知っているつもり。
手書きにこだわって、それが楽しかった時代もある。
もう遠い昔のことだけど。


年越し蕎麦とお節 夫が生きていた頃は
一応、家の形というか そういうものが細かくあったが
これもかなり簡略化された。

それでも子供達がいるから、年越し蕎麦に
お節も栗きんとんや海老、ぶりの塩焼きや数の子など
一応、できる範囲ででも整えていた。

それも今年からは無理っぽい。年越し蕎麦をかろうじてくらいか。


これはわたしが欝に加えて糖尿病になったことが大きい。

12月の入院直後から比べれば、随分と欝も落ち着いてきてはいると思う。
糖尿の数値も退院後の検査では反対に低血糖に気をつけるように
言われたくらい。
それでも糖尿であることには変わりはないし、薬も飲み続けないといけない。
欝にも波があり、落ち込む時はやっぱり辛くなる。


子供たちには不憫なことと思うが それでもそれに関しては
文句も言わずに わたしを気遣ってくれている。
ダメダメ母更新中だけど ごめんね。


今年は掃除も本当に本当に最低限になりそう。
って、ここ数年は以前からすればまるでできちゃいなかったんだけど
それを上回る勢い。嗚呼!

わたしの実家の方へは行く予定にしてるけどそれくらい。
要するに年末年始、日常とあまり変わり映えしない。


現在の日常を記しておこう。

朝、末っ子と夜明け少し前くらいに散歩に出かける。




食事はほとんど野菜とキノコ、こんにゃく、寒天、
後は魚と鳥ササミなどを使い、自分で作っている。
油モノ、お菓子類はわたしは一切無し。
子供たちの為にたまに買ってくるくらい。

ヘルシーになってそれ自体悪くは無いと思うのだけど
魚も野菜も高いから、スーパーの閉店間際に行って
その日の目玉商品がまた値下げになっているのを買ってきたりして
凌いでいる。

メニューはこんな感じ


(キノコ類と人参、白菜、こんにゃくの煮物)



(大根と鳥ササミにキノコ類とこんにゃくを加えた煮物)


和風ばかりだと飽きるといけないので


(人参、キャベツ、鳥ササミにニンニク、トマト缶を加えて、
塩で味付けをした煮込み風)



デザートにはノンカロリーシロップに粉寒天、カロリー脂肪分カットの
牛乳を買ってきて牛乳寒天を手作り。
これはコーヒーに変えるとコーヒー寒天バージョンもできる。




人間、どん底まで落ちてもどうしようもないんだと悟って
何処か突き抜けると、反転するのかなぁとか思う。
とはいっても七転八倒の末の開き直りに近いようなものだけど。

生きることを放棄できない現実が否応なしにある以上、
そこから始めるしかないってことだ。
無理をしている と心配もされた。
確かに無理してる、それは多分 今も。
苦しくないなんていったら嘘になる。

けど ヘタレのわたしの唯一の強みはシブトイことなんだ。
どれだけカッコ悪くズタボロでもみっともなく足掻く足掻く。

結局、美しい生き方はできそうにない。
なんとも泥臭く、のた打ち回ってしか。


でもいいじゃないか と自分に言い聞かせる。

生き汚くとも生き抜いてみろよ と繰り返し言い聞かせる。


2008年末、こんな風に まだ 生きている。


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                             ゆうなぎ



2008年12月24日(水) 雪の華




支えられて
見守られて
生きていることを

忘れずにいたい。



ありがとう


”Merry Christmas”

これからも・・・ずっと。

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                            ゆうなぎ



2008年12月22日(月) ゆっくりいこうよ

無理をせずに

頑張るということは

難しいなぁ。



だけど
自分を変えていかなきゃ
自分のこの足で踏み出さなきゃ
他力本願だけでは
運命は変えられない。

シビアだけど
それもまた真実。



それでも
 
願わくば わたしよ

せめて、できるだけ笑って
少しでも、肩の力を抜いて

ゆっくり

ゆっくりと


ねぇ

歩いていこうよ。

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                          ゆうなぎ



2008年12月17日(水) ごめんね と ありがとう

いつの間にか口癖が「ごめんね」になっていました。

つい、口をついて出てくる。
対人関係で まず、こちらが退く、という反射的な防衛本能は
長年の色々な出来事で培われてしまった。

自らを省みるということは、忘れてはいけないことだとは思う。
でも必要以上に、我が子に対してさえも
無意識の口癖になっていることに気がついた時には
少なからずショックでした。


よく 強い と言われます。

かなり、ハードな・・・というか
事実は小説より奇なり?
自分でもまさかこんな半生を送ることになるとは
思いもしなかった。

恋愛して結婚して普通に夫と子供とに囲まれて
時には不平不満を言いながらも結構満足して暮らしていく・・・
それで本当に充分だったのに。

皮肉なものです。

波乱万丈なんてドラマや本の中だからこそ美しかったりするけど
現実はそんな甘いもんじゃない。

そこには日々の生活があり、
スイッチを切ったりエンドマークが出れば消えるものでも
途中なり、最後までなり読んで、本を閉じれば戻れるものでもない。
どれだけ落ち込もうと、消えたくなろうと、
そこで力尽きたら、おしまい。

一人ならまだ、おしまいでも自分一人のことだけど
子供三人いれば、三人分の人生を一緒に抱えているようなもの。
少なくともそれぞれが一人立ちできるまでは。

親は子供の人生の一部を抱えているけど
子供の人生は子供自身のものだから
一人で生きていけるようになるまで神様から預かってると
思ってます。


子供というのは
赤ちゃんの時は慣れない育児に加えて夜泣きや病気関係、
ミルクのみ人形じゃないってことを嫌でも実感させられる。
出すものも当たり前だけど出しますからね。
汚いってそりゃやっぱり思いました。
理屈じゃなく、かなりそういうことに関しては苦手だったし。

でも、そんなこといってられない。
だってオムツ替えなきゃ、今、この時にも我が子が泣いてる。
授乳もそう、母乳がほとんどだったけど、途中で病気したりして
ミルクも飲ませました。

母乳もなかなかでなくてねぇ。
母乳マッサージとかもしたけど痛かった〜
授乳できだしても今度は吸われすぎて(出が悪かったらしい)
乳首切れるし、でも吸う方は容赦ないから(笑)

幼児と呼ばれるようになっても行動範囲が広がった分
怪我や病気も増えるし、目は離せなくなる。
小学校に入れば入ったで今度は広がる人間関係、
中学、高校・・・その時々で色々なことがある。

こう書くと苦労ばかりみたいだけど
そうですね、苦労8の喜び2くらいかもしれない。
子育てってものは。

人ひとりの親になることの重みを感じること多々。
三人いれば三通りのそれぞれだから尚更。

ただね、その喜び2が苦労8を忘れさせてくれるものなの。
少なくともわたしにとっては。

全然ダメダメな力不足の母親ですけれども。
これはキレイゴトとか謙遜とかじゃなくて
実際、失敗や試行錯誤、子供と一緒に迷い道・・・
ママでもお母さんでもなくて 
気がつくと おっかあ に なってました。

オシャレなケーキ焼いたり、可愛いお弁当作ったりなんて
ろくにしてないし、
誕生日パーティ?とかにお友達を呼んで・・とか
雑誌に載ってる素敵なママは遥か遠くになりにけり。

夫の闘病から、亡くなるまで、亡くなってから・・・
自宅介護もかなり壮絶でした。

自分自身が鬱病を発症して
今また身体まで壊してしまってからは
坂道を転がり落ちるみたいに掃除すらろくにできてない始末。

洗濯は着るものがなくなると困るからかろうじて。
料理もここ一週間くらいでやっと薬が効いてきたのか
少しずつできるようになってきたけど。
ここまでも長かった・・・。

唯一、収穫は息子達が炊飯ジャーでご飯が炊けるのと、
簡単な野菜炒めとかならできることかな。

できなくなったこと沢山あるけど
それでも、生きてさえいれば・・・って。

もう本当にダメだ・・・もう限界・・って
ベランダに行こうとした事も
病院帰りの道でふらふらと車に引き寄せられそうになったことも
数知れずあります。

下二人の泣き声の二重奏に
長男もテンパって。
わたしは呆然と泣くばかりの時
地獄だ・・・って思いました。

もう耐えられない・・・って極限になった時
横で聞いていた長男が
「お母さんになにかあったら、僕も**と**(弟達の名前)を連れて
同じ方法で後を追う!!」と言いましてね・・・

他の誰に止められるよりも胸にズンときました。


きっと、わたしは強いというのとはちょっと違う。
むしろヘタレだし。
ただ きっとシブトイんだと思います。


そうそう・・・今日はこれが書きたくて日記を書き始めたんだった。

あのね、今日、末っ子から言われたことなんだけど
いつものように つい 口癖の「ごめんね」を
言ってしまったときに、
「ごめんね はダメ〜」って。

「ごめんね っていわれると悲しくなる」んだそうです。
「だから、これからは ありがとう にして」って。

ああ・・・そうだよね。

たとえば何かをしてもらった時、
「ごめんね」っていうより「ありがとう」の方が笑顔になれる気がする。

「ごめんね」には他に大切な出番がある。

だから、「ありがとう」

早速、実践。
ちいさなことだけど、おおきなことだね^^

教えてくれて ありがとう。

笑ったら それはそれは嬉しそうな顔で
笑い返してくれました。

心なしか空気も ほっこりほっこりあったかくなったみたい。


さてさて そろそろ子供たちを起こして
早朝散歩に行ってきます。

その後は、病院にもいかないといけないので。
また慌しい一日になりそうだけど。




この瞬間に
生かされていることに

気づかせてくれたことに

”ありがとう ”

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                         ゆうなぎ



2008年12月16日(火) なんていうか・・・溜息(つらつらと脳内思考。ひとりごとめいたもの)

一時のどん底の落ち込みから葛藤の末、
少しずつだけどやっと前向きになれたと思った頃に
あるんだなぁ〜こういう事。


子供と出かけたスーパーで例の女社長とばったり。
近所に住んでるんだから、確かにあり得るんだけど。
あちらはいつものごとく、ご主人を荷物持ちに従えて。

凄いなぁと思ったのは、
ニッコリと「こんにちは〜」と声をかけられたこと。

わたしならとてもじゃないが、こんな厚顔無恥なことはできない。
例えば、個人的に喧嘩したとかそういうのならわかるけど。

今回のパターンは仕事がらみの事。
それもまったくあちらの身勝手で振り回され、
近所をいいことに急に呼び出されたり、
徹夜作業(文字通り夕方から朝方)まで
無給でした挙句(でもこれはわたしが馬鹿がつくお人好し過ぎた)
彼女のその分野への仕事の熱が冷めた為に
(具体的に言えば 自分でも予期せぬ妊娠をなさった のだ)
こちらに必要資料を渡すことを怠るようになり、
そのうち促しても、まったく資料がこなくなって。

それでも口約束でも一応、下請け契約をしているのだからと
数ヶ月、何とか聞いていた概略を元に頑張った。
けど資料がなければ、それにも限界がある。

最初のうちこそ、電話で 言い訳とごめんね〜とか言っていたけど
こちらが強く責めなかったから甘くみられたんだろう。
そのまま、資料が送られてくることも無く
尻すぼみのように連絡は途絶え。

はっきり言って、労力に見合うだけの料金もいただいてない。
あの時間を返して欲しいくらい。

それでも、ご近所なのもあったし、
ああ、こういうタイプの人にはたとえ正論でも
反論すること自体、無駄だ ということを
内側から見てわかっていたから。
泣き寝入りした形。

これがしがらみの無い契約なら、契約不履行で
訴えられても文句はいえないんじゃないかな・・・彼女。

道理で人が居つかないはずだ。
あまりにも経営者として無責任すぎる。
その甘えを許している周りやご主人の神経もわからないけど。

ずっと裸の王様ならぬ、女王様で やってきたんだろうな。
本人はいっぱしの姉御肌のつもりで。
何故だか人が離れていく、恩知らずだ!とご本人憤慨していたが
事業が拡張できないのも、その訳も 今ならよくわかる。


無事、ご出産を終えられたことも風の便りで聞いた。
その後、暫くは、すれ違っても知らん顔だった。

別にそれは かまわなかった。
教訓として ご近所の知人に頼まれても
もう仕事は請けまいと思ったけど。


なんで急に満面の笑み(でも何故か上から目線)で
挨拶なんかしてくるのか理解に苦しむ。

御しやすいオヒトヨシのわたし相手なら
もう時効だろうくらいに思ったんだろう。

確かに普通に挨拶は返したし、今後も一線は引いてても
挨拶されれば、普通に返すけどね。


ただ 思ったこと。

”人の振り見て我が振り直せ ”

ああはなるまい と。


わたしは凡人だから腹も立つし、人間ってやっぱり
人からされた嫌なことはなかなか忘れられない。

だから、こうして日記にも書いちゃうわけだ。


でもマイナスの方向に思って、それを恨みの感情にしてしまうと
自分まで結局は醜くなってしまう。

いや、でも、例えば、亡夫の両親、兄弟みたいに
どうしたって許せない ってことはあるんですよ。
そこまで心広く聖人君子みたいにはなれない。
(むしろ 器 ちっちゃいです)

ただね、女社長の場合は、所詮それまでの人だって思うし、
ある意味、わたしは冷たいのかもしれないけど
見切りをつけたら、とにかく関わりたくないのが先にたつ。


今、薬がある程度、効いていて、
少しずつ、また前向きになれているのもあるのかもしれない。

どうせなら、次に顔を合わせた時までに
少しでも身奇麗に自分の女っぷりをもっとあげておくとか。

お化粧とかではなくて
(というか、メイクもわたしくらいの年齢になれば
本当はきちんとしているべきなんだろうけど。
どうも昔から、得意じゃない上に、ファンデーションも
今ではキモチワルくなってしまって完全すっぴんなのだ)
お肌のお手入れくらいなら、高いものを使わなくてもできる。

お陰で歳のわりに皺はほとんど無いし、キメは細かく色は白い。
(あ、キメの細かさとかは祖母から代々の遺伝だし、
色の白いのも外に病院とか用事がある以外、出ないんだから
あんまりエバレないな〜)
これは有難いことだから、より大切にしていこう。

内側の意識革命だって、もっともっと必要だろう。
(自分のダメっぷりは自分が一番よく知ってる)


女社長には女社長の生き方があり
それをわたしが良いとは思えないなら
そのことで しかめっ面して、自分を落とすことは無い。

それより流して、自分なりの人生を
できるだけ笑顔でいた方が きっといい。


ふーむ。
それにしても長い長い脳内思考。
ぐるっと一周して、やっと。

もしも、最後まで読んでくださった方がいたら
こんなのですみません と ありがとうございます。


ほんと、煩悩山盛りでお恥ずかしい限りですが、
日々それでもこんな風にして
ぐるぐる回りながらも

生きております。

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                          ゆうなぎ



2008年12月15日(月) 少しずつ

今日は久しぶりに6時から
早朝散歩に末っ子を連れて出かけてきました。


次男も末っ子も
約一週間ぶりの学校だったので
登校するがするまで
内心ヒヤヒヤしてたんだけど
無事に行って笑顔で帰ってきてホッとしました。


わたしは昨日
美容院に行って
髪を切ってきたよ。
久しぶりでさっぱり。


今週は
病院二つと役所に行ったりで
かなり、バタバタしそう。

病院の方は検査もあるので
数値が落ち着いていたら
いいなぁ。

退院してから今日で約10日、
体重は2キロ落ちました。
かなり、食べれるように
なったんだけど
肉はササミだけで
油モノも一切食べてない。

まだ怖いんだよね。。

これらも上手く取り入れながら
バランス良く食事が
できるようになるのが
次の目標です。


嫌なことやキツイことが急に消えるわけじゃないし
それで凹んだり、ヘタレたりもある。
ダメダメの自分に嫌気がさすことも多々あります。

心を穏やかにすることが
何よりも子供たちにも安心感を与えることになると
わかっているし、それを心がけているつもりだけど
機械じゃないので試行錯誤の繰り返し。


自分をいかに許せるか・・・
それは簡単なようで思った以上に難しいけれど。

いろいろなこと

少しずつでも
探しながら見つけながら歩んでいけたらいいなと思っています。

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                            ゆうなぎ



2008年12月14日(日) あらためて

退院直後の日々は
鬱症状が一気に酷くなり、
絶望感でいっぱいでした。


食べるのが怖いという強迫観念があり、
拒食症のようになってしまい。
きちんととるべき栄養がとれてないから
身体も弱ってくる の悪循環。

あと、リアル周囲から、
退院=完治的に思われたり、
全部厚意や励ましからだと
わかってはいても
アドバイス的な事を
わかったように言われるのも
落ち込みに拍車をかけました。

現実、かなり厳しいから。
そうできれば理想とはわかっていても
どう考えても、
例えばわたしの努力だけでは
どうしようもない事もあるわけで。
ジレンマや焦りは誰よりも
自分自身が1番あったから、
余計に追い込まれてしまったみたい。


転機はネットで出会って
素顔でお付き合いもしてきた
心許せる人達の言葉。

勿論 鬱病のことも知っているので
微妙な感情の機微もわかってくれて。

ガチガチになってたわたしの
肩の力を抜かせてくれました。

同時にクリックで鬱の薬を調整して、
筋肉弛緩作用のある薬に変更。
抗鬱剤に関しては
以前から薬の入れ替えを進めていたので
新しい薬を増量して。

パキシルもちょうど量を最少に減らし
断薬が完了。

吐き気止めも出して貰いました。


あらためて、
やっぱり人は人によって
傷つきもするけど、
それ以上に生きる力を
貰っているんだなぁ と。


それでも
鬱と糖尿のバランスをとりながら
生活していくのは難しい。
一人ならともかく
三人の息子達もいるし。

実は入院のショックもあったのか、
次男がまた登校拒否状態に陥り、
末っ子も原因不明の
ジンマシンが出たりで。
泣きっ面にハチ状態でした。

今 まだ 不安定ながら
次男は月曜から学校に行くと
自分からいいだしたし、
末っ子のジンマシンもひきました。

なによりも、
みんなに笑顔が戻ってきたのが嬉しい。


わたしは一日、
三食の食べたものと大体のカロリーを
(あまり神経質に点数計算しちゃうと思い詰めてまた拒食になるので)
いつか使おうととっておいたノートに
その都度書いて
一日のトータルカロリーを記録する事を
続けています。

可愛いノートを使う事で
苦痛でなく、できるだけ楽しく
できたらいいなって思って。

食事の大半は
野菜、こんにゃく、キノコだけど、
少しずつ、ご飯や麺といった炭水化物も
取り入れてます。
あと、魚とかも。

甘い物など間食やジュース類は厳禁。
揚げものは元々あまり食べない方だったし。
カロリー制限はかなり厳しく、
鬱が改善されると同時に
空腹感も出てきたから
皮肉なものだけど。

でも できるだけ楽しみながら
肩の力を抜いてできたらいいなって。

運動も昼間の外出は
病院が精一杯だけど、
早朝散歩を体調と相談しながら
子供とまた再開しようと考えてます。


まだまだ落ち込んだり
ヘタレたりもするけど
ゆっくり頑張っていきたいと
思っています。



ゆうなぎ



2008年12月12日(金) リアルで哀しい夢

昼間眠ると
夜、眠れなくなるといけないと思い、
ただ横になるのもしないようにしていたが
今日は昨夜あまり眠れなかったせいか
机に俯せて、いつの間にか
眠ってしまった。


夢をみた。

所々、現実が混じっているが
本当にあったことではない。
でも、現実の部分がリアルで哀しい
そんな。

わたしは夢の中で妊婦だ。
そうして亡くなった夫がまだ生きている。
ただ、やっぱり夫は癌で余命宣告されている。
告知もしていない。

マンション?のような所に住んでいて
その隣?の住人が
あの女社長のような人。
一見姐御肌だが我が強く
自分を中心に地球は回っていると思っている。

そこでも嫌な何かがあったざらついた感触は残っているが、
記憶はもう曖昧。

あとは産婦人科。
お産する病院を と探し、評判の良い医院を受診するのだが
そこの医師や看護師が無神経で横柄。
(この辺の細かい部分は抜け落ちているが)
揚句、夫に隠していた癌の事がわかる言動をする。
わたしは怒り、抗議して
二度とこんな所には来ない!と言って家に帰る。

すると その医師から
電話があり、
謝罪と、だから今回の事は人に言わないで欲しいと言われる。

保身ミエミエのあまりの勝手さに
わたしは電話口で
絶対許さない!と叫ぶ。

そこで目が覚めた。


変なところだけリアル。
感情の再現。
これもフラッシュバックの一種だろうか。
今でも あの頃 を思い出すと
息がうまくできなくなるのに。

確実に死へのカウントダウンを刻んでいる人の側に
なすすべも無く、いるしかできない筆舌に尽くしがたい苦しみ。
泣くこともできず。



   「冷たい頬」

 ふぅ・・と吐く息が白い
 曇り空 天気予報では「雪が降るでしょう」
 スーパーから買い物袋下げて出れば
 景色は闇に溶けかけてる

 沈んだ哀しみは沈ませたまま
 そうでないと心の重さで
 動けなくなるから

 前を向いて歩く
 歩くことだけを考える
 そういう 痛みの忘れ方があってもいい

 階段を踏みしめる
 かじかんだ手にくい込む荷物

 よいしょ って掛け声小さくかけて
 思わず小さく笑った


 負けるな

 負けるな

 負けるな

 わたし


 降り出した雪が
 冷たい頬にひとひら


 まだ 泣いちゃいけない




忘れられるはずも忘れたことも無い。

リアルで哀しい夢を
みた。

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                          ゆうなぎ



2008年12月11日(木) もう一回



「HANABI」/ Mr.Children




簡単なようで
わたしには難しいけれど
ゆっくりと
生きていってみよう。

日々のひとつひとつを
大切に愛おしみ繋ぎながら。



ゆうなぎ



2008年12月10日(水) 月下の明かり

真っ暗闇の中、
全てに見放されたようで
1%の希望すら
失いかけてた。

そんな時に
そっと照らされた明かり。

眩しすぎるほど強くはなく
それでいて
わたしの凍えた心を
温めるように。


また
落ちるかもしれないけど
絶望に囚われるかも
しれないけど

それでも
たとえ 他の大切なものが手から零れ、
はかなく
消えてしまったとしても

この月下の明かりだけは
寄り添うように
いてくれるのだと。


それを知った時

カミサマに
まだ生きていてもいい
と 言われた気がした。



ゆうなぎ



2008年12月09日(火) コワレカケ

病院行ってきた。

いつももう限界だと思いながら
それでも何とか気持ちを励ましてきたけど
身体もしんどいし、欝も酷い。
もうこれ以上底はないと思ってたけど
あったんだな・・って。

糖尿内科に午前中
クリニックに午後受診してきたけど
途中の道でもふらふら。
先生の前でもぐったり。
声がぼそぼそとしか出なくて質問に答えるのもやっと。

糖尿内科の方は栄養指導あったけど
栄養士さんが状況把握を細かくしているわけもなく
聞けば聞くほどまた落ち込む。
以前より随分痩せられたのにどうしてでしょうね〜とか
言われたけど、そりゃそうだ。
食べるの怖いんだもの。こっちが聞きたい。
細かい食事の点数計算・・。
「お仕事は?」と聞かれ、説明するのもだるくて
「されてないですか?」の質問に はい。
そしたら当然のように
「食事の支度はご自分でされてると思いますので・・」
もう、欝で家事がどんどん出来なくなってるとか
そんなのいう気力もなく これにも・・・はい・・。
要するに「バランスを考えた食事を作られると
子供さんの為にもいいですから・・」と言うことで
本当にもっともだと思う。
欝がこんなに酷くない時ならね と これは心の声。

普通の人には簡単なことがもどかしいほどに出来ない。
文字通り身体が動かない。
運動って言われても病院にくるだけでヨロヨロしてるのに
散歩とか歩くだけとかのレベルですらも通院で精一杯なのに。

午後からの心療内科クリニックで先生に入院していたことと
糖尿病の薬を飲み始めたこと。
欝の具合が酷くなっていてとてもきついことを何とか話す。
それで 薬が変わった。
吐き気があるので吐き気止めも出してもらった。

本当は1、2日間ごとに薬の微調整をした方がいいけど
通院に時間がかかるし、体調的にもきついだろうから
一応、2週間分のお薬を出しておきますとのこと。
ただ、きつい時は、遠慮や無理をせずに受診や電話でもいいから
してくださいね と言われた。

なんとか家に帰り着いたらグッタリ。
今日は他にも色々あって
(書きたくないから、このことについては書かない)
踏んだり蹴ったり、泣きっ面に蜂。

涙が止まらなくて一人、部屋で泣きつづけた。
感情が戻ったとかじゃなくて
まるで以前の感情の制御ができない時みたい。
いや 前は身体がこれほど悪くなってなかったから
まだ良かった。
今は波のように
虚無感による虚脱状態と感情の暴走が交互にくる。

あれがどん底の苦しさと思っていたけど
どん底っていうのはキリがないのか と。


自分がおかしい状態なのを自覚するというのは
どうにもやり切れないものがある。

おかしかろうと苦しかろうと日々の生活は容赦ないから、
一日一日を這うようにして何とかツジツマをあわせながら
生きている。
ギリギリの綱渡り。
この綱のなんと頼りなく細いことか。

此処にこうして書くのも
ある日まったく嫌になるかもしれない。

今は何かに挑むような感情で書き殴っている。
それがいかに見苦しく醜いことかは自覚しているつもりだけど。
それでも。

笑ってしまう。
まだこれでも落ち着いた方なのだ。こんなのでも。

薬が効いてきてくれたのならいいな。


明日はあいかわらず 見えない。

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                             ゆうなぎ   



2008年12月08日(月) 真夜中 弱音


                        「月光」/ 鬼束ちひろ



退院2日目だけどあんまり調子良くないです。

食べる量はとにかく激減しました。
内容はこんにゃくとか野菜、きのこ類
それを薄味煮物風にして。

それでも食べるのが怖い。
でも食べないと薬飲めないから
(食事できなくて薬だけ飲むのは禁止。
低血糖になりすぎて倒れてしまうかららしい)
三度三度 なんとか食べてるけど
薬飲んだ後は
これはまだ薬に身体が慣れてないのもあるだろうけど、
なんとも言えずきつくてふらつくし。

これはそのせいか鬱病の方からなのかわからないけど
首筋から肩にかけてがカチカチでツライ。
今までそう感じなかった吐き気も出てきました。

明日、退院後の栄養指導などで
午前中は入院していた病院へ。
午後からはクリニックへ行く予定なので
クリニックの先生に欝症状のこととか
相談してみようと思ってます。

今までも色々あって自分的に余裕が無いことはあったけど
夫の亡くなった時には精神面だったし
もう少し体調もマシだった気がします。

今回はとにかく心身に一分の余裕もない感じで苦しい。

まるで今までの分 全部から改めて襲いかかられてるみたい。
人生の折り返し点過ぎて 
少しは楽になってくれるかと思っていたら
それどころかこの始末。
運命のカミサマは どれだけわたしからむしり取っていけば
気が済むんだろう・・・。


身体の方も心の方も病気とうまく付き合いながら
生きる方法を探していくしかないんだけど
わかっているんだけど。

心も身体もついてこない・・・。


全身神経が剥き出しにされているようで
触れられるのも痛いのです。

・・・ごめんなさい。

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                         ゆうなぎ     



2008年12月07日(日) 良かった?




退院して良かった。
インシュリン注射せずに良かった。
薬で済んで良かった。

良かった
良かった
良かった

本当に良かったと
思ってるんだものね。

仕方ないけど

ごめん、
笑えないよ。


退院しても完治じゃない。
寧ろ闘いの始まり。

インシュリン注射じゃないのは
しなくてもいいレベルだからじゃなくて
自分でするのが
無理だと判断されたから。

薬は食事と一心同体。
食べなきゃ飲めない。
食べずに飲まなきゃ良くない。
高血糖と低血糖、
両方の狭間で
ヤジロベイの様に
怯えている。

鬱病の薬と合わせたら
9種類になったよ。
でも注射がないだけマシ?

ちゃんとコントロールすればいい。
慣れてしまえば大丈夫。

言うのは簡単。
でも現実、やるのには
かなりエネルギーが
必要。

たった独りの闘い。
今までだってそうだった。
また加わるだけ
続くだけ

わかっているよ。
わかっているけど
疲れきった心には
気が遠くなるようで。

それでも
出来る限りやるだろう
命を繋げる作業

しぶといのが取り柄。
まったく
笑えないけど。


うん、大丈夫。
だいじょうぶ。
ダイジョウブ。

だからそれ以上

何も言わないで。

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    ※退院してきました。
     ご心配をかけてすみません。
     何とかでもやっていこうと思っています。
  

                              ゆうなぎ



2008年12月06日(土) 入院日記 3

(入院三日目)
病室の窓から見える空は
鉛色。

強い風が木々を烈しく揺らして
波立つ心のように
ザワザワと鳴る。


朝一で膵臓CT。
その後は、いつものメニュー

気になってつい、
糖尿病の携帯サイトを見て
落ち込む

食事制限コントロールは必須だし、
薬も飲み続けることに
なるだろう。
加えて
高血糖、低血糖
どちらになっても
昏睡状態になって危ない。
合併症の恐怖も
付きまとう。

これらと一生付き合って
いかなきゃいけない。
鬱病も抱えたまま。

わかっていたつもりの事が
改めて心にのしかかる。

未来に希望を託すには
歳をとりすぎたし、
すべてを諦められる程、
枯れていない。
中途半端な年齢。

泣きそうな気持ちだけど
泣くこともできない。

外からみたら
普通にできていると思う。
けど 心は虚ろ。

鬱の波に
飲み込まれそうだ。

−−−−−−−−−

午後過ぎ
主治医が来て
膵臓CTに異常なかった事と
明日、予定通り
退院してよい事を
告げられた。

後は週明けに栄養指導。
それからは自宅で
二種類の糖尿病の薬を
一日三回飲みながら
通院で様子をみていく。

退院は嬉しい。
予定通りに自宅に
戻れることになって
ホッともしている。

でも半面
これからの事を思うと
不安でザワザワする。
小刻みに震える右手を
同じように震える
左手で祈るように
押さえている。


ただのヘタレの
考え過ぎだろうか?
鬱病ゆえの過敏反応?
たかが 自己管理を
すればいいだけの問題?
不安に怯えるのは
甘えでしかないのか?

だとしても
頭ではわかっても
気持ちがついていけない
自分を叱咤しても
力が入らなくて。

だって
いつまで 死ぬまで?
何処まで 死ぬまで?

どれだけ往けば
心安らぐ日は
くるんだろう

あと どのくらい
頑張ればいい?


残った力を振り絞って
自分に言い聞かせる。

恐れるな。

今まで何とかでも
そうやってきた様に

一つずつ
積み上げながら
生きていくしかないのだから。


暮れかけた窓の外は
相変わらずの風。

ザワザワザワザワ

明日 退院します。



ゆうなぎ



2008年12月05日(金) 入院日記 2

今は入院2日目の真夜中。
カーテンを閉めた窓の外から
しとしと雨の降る音がしている。

消灯時間の21時半過ぎに
看護師さんから眠剤を
貰って飲んだ後
少しうとうとと眠ったようだが
やっぱり2時過ぎくらいに
目が覚めてしまった。

どうにも眠れないので
入院2日目の事を
思いだしながら
書き記しておこう。


(入院2日目)
前夜、眠剤飲んで寝るも
早期覚醒で2時過ぎに
目が覚める。
トイレに行き、
戻ってぼんやり天井を
見ているうちに
少しうとうとしたようで
次に目が覚めたら
5時前だった。

元々 今の眠剤は
短期間でも深い睡眠を
得たいという希望で
出して貰ったもの。
何しろ家だと朝、
子供達を送りだしたりが
あるので。

だから半面、
こういう場になると
精神的緊張も加わって
効きが実感しにくいが
仕方ない。

不思議とぼんやりするのは
苦にならない。

ついつい、
先の事など考え過ぎて、
不安になってしまうのは
困りものだけど。

テレビを見たいとも
まったく思わないし、
数冊もってきた本も
わたしに似合わず
1ページ1ページを
たどたどしくなぞるように
読んでいる。


そうだ 二日目のこと。

朝は血糖値を測る為の
指先からの採血から
始まる。
これは
朝、朝食後、昼、昼食後 、夜、
夕食後、寝る前 にある。
後 二日目には
昼食前と2時間後の
いつもの採血があり、
これがまたなかなか
針が血管に入らず
手の甲からも取れないかと
やってみるがダメで
4回目のチャレンジで
やっと成功。

看護師さんも
恐縮されていて
こちらも申し訳ない
気持ちになる。

が さすがに終わった後は
貧血寸前でグッタリ。

この後 洗髪室を借りて
髪を洗う予定だったが
30分起き上がれず。

それでも
根性で用意して、
洗髪室で悪戦苦闘しつつ
髪を洗う。

わたしが共同浴場での
入浴が苦手というか
無理なので
入院が短期間な事もあり
身体は蒸しタオルを
借りて拭いて凌いだ。

今が夏でなくてよかったと
心底思う。

薬は二種類
一つは毎食後
もう一つは夕食後
どちらも必ず食事を
取った後にしか
飲んではいけない。

食事をしないまま
飲んでしまうと
低血糖になってしまうから
注意するようにとの事。

鬱の薬もあるから
ややこしいので
書いて忘れないようにする。

二日目はとにかく、
採血で始まり、
採血に終わった感じ。

血糖値はある程度
落ち着いてはきたが
どうにかすると
ふらふらする。

気になって聞いてみると
薬に慣れてないうちは
薬が血糖値を下げる時
そういう感じになるそう。
あまり続くようなら
また教えてください
との事。


ここまで書いて
さすがに疲れてきた。

夜が明けて
今日、3日目には
CTの予定。

内臓疾患が無いかを
確かめる為で
大丈夫だと思いつつも
緊張感は拭えない。


今 早朝
4時を少しまわった所

眠れなくとも少し
目を閉じてみよう。



ゆうなぎ



2008年12月04日(木) 入院日記 1

現在、入院二日目の夕方。
少し落ち着いたので
細かい所までは無理でも
できる限りの、気持ちや出来事を
書いておこうと思う。


(入院一日目)
長男に付き添われて無事入院。

ただ、下二人の子供達の動揺激しく、
昨夜眠れなかったせいもあるのだろう、
朝になっても起きれず。
結局、学校には事情を電話して
休ませる事に。
お兄ちゃんが帰ってくるまで
二人で留守番しておくように言って
家を出る。
短期間だとわかっていても
後髪をひかれる思い。

受け付け時間より早く着いて
少し待っている間に
長男はコクリコクリと居眠り。
疲れが寝顔に出ていて不憫。
せめてと肩を貸す。

わたしも一睡もしてないのだけど、
気が張り詰めているからか眠気はない。

病院ではたまたま知人が働いていて、
いい人なんだけど正直今は
気を遣ってしんどい。
今更とはいえ、病気のこと、
特に鬱病の事などは
知られて嬉しいものではないし。


病室に着いて、
着替えと荷物の整理を済ませ、
一通りの入院説明があり、
アンケートを書く。
終わった頃、長男は弟達の待つ自宅へ。
その足で子供達は実家に。


その後、早速に採血。

主治医がきて
今後の治療方針を話してくださる。
今のわたしの状態、鬱病の事や
家庭環境も考慮して
インシュリン注射を自分でというのは
不安があるし無理だろうという事で
薬での治療に変わったらしい。
インシュリン注射の事を考えて
すごいプレッシャーかかってたから、
心底ホッとした。

今日の夕食から
薬2種類を飲んで、
朝 昼 夕 寝る前に採血して
血糖値を測りながら
様子を見ていくらしい。

鬱の薬は眠剤のみは
看護師さんが管理。
そのつど貰うことに。
後はいつも通り、自己管理で。

退院は早ければ
土曜日くらい。

退院後は
二日に一度くらいの割合で
通院しながら薬を飲んで
治療という形になる。

鬱と糖尿と両方あるから
できるだけわたしにとって
良い方法でと主治医が
かなり考慮してくださったようで
有り難い。

夕方から夜にかけて
昨日からの緊張とプレッシャーからか
頭痛が酷く、
頭痛薬を出して貰う。

採血はやっぱり苦手。
針が怖いのと、
刺す痛みに極端に
弱いせいもあるが、
わたしの血管は
かなり細いらしく
なかなか針を刺せる血管が
見つからないようで。
下手をすると何度も刺しかえて
やっと、になるから
入院一日目の夜にして
両腕が注射痕で
アオジミになってしまった。

でも、
インシュリン注射を
自分でしなければ
ならない事を思えば
文句をいうなんて
バチがあたる。

内臓疾患が無いか明後日CTを撮ることになった。



ゆうなぎ



2008年12月03日(水) 師走 北風

入院することになりました。
正確にはもう今日になるわけですが朝一番で。

急なことで自分自身、まだ気持ちが動揺しています。


糖尿の数値がこのところ高く
二週に一度の受診となっていたのですが
その受診日の昨日、いつものように尿、血液検査をしたら
血糖値が酷く上がっていて
主治医から即入院を・・と言われました。

わたしの場合、子供たちの学校のこともあるし
実家の両親は介護があるので、できるだけ入院は避けたかった。
主治医もその辺の事情はわかってくださっているので
その後、再度 動脈からの採血をして
とりあえず血糖値を下げる為にインシュリンの点滴をしながら
30分ごとに指先から採血して血糖値を見ていくことをしました。

一応、インシュリン点滴のお陰で 
一時的に血糖値は下がってくれたのだけど
本来なら最低2週間は入院して
インシュリンの治療をするのがベストなんだそうです。

入院に関してはできうる限りしたくなくて。
でも、このままでも自然に数値が下がるということはないし
もう薬で下げることができるレベルではないので
インシュリン注射はしないといけない。

結局、とにかくインシュリン注射が
自分でできるようになるまでだけでも
とのことで数日間を目安に入院することにしました。

本当はそのまま入院を・・・といわれたのですけれど
子供達のこともあるし、そうなると実家の両親にも
連絡して事情を話さないといけないので
お願いして次の日、朝一番に・・ということになりました。

帰宅して 学校から帰ってきた子供達に
入院することになったことを話して。
実家に電話して、とりあえず入院中、
子供達は実家から通学。

みんな当たり前だけどショックだったようで
でもとにかく入院が決まったからには仕方ない。

入院の朝は学校に事情を話して長男が付き添ってくれることに。
病院からも途中で倒れたりするといけないのでできるだけ誰かに
付き添ってもらってくるようにと言われたので。

こういう時、母子家庭の切なさが身に沁みます。
両親には介護があるし、わたしは兄弟がいないので。

不安そうな末っ子や無口になってしまった次男に
「頑張ってできるだけ早く注射の打ち方を覚えて退院してくるからね!」
「心配しなくても大丈夫だよ!」と笑顔で言いつつ。

でもその実、一番怖くて不安なのはわたし自身なのです。
 
慌しく入院準備の荷造りをして。
入院の為の手続きの用紙を書いて。

何しろ本当に急なことだったから
仕事を含め、気にかかることもあれこれあるし
とりあえずできることや、すべきことをメモして
自分で出来る限りのことは病院からするようにしなければ。

欝の薬もそのまま飲みながらの治療になります。


いい年をして恥ずかしい話ですが、入院決定となった時
動揺してぽろぽろと泣いてしまいました。

考えないように
気を楽にして といわれても

考えないといけないことは沢山あるし
わたし以外にそれをする人間はいない。
長男はしっかりしている方だと思うし
頑張ってくれてはいるけど大人とは違う。


欝病だからなのか
ただ わたしがヘタレなだけなのか
踏ん張らないといけない今
情けないけど 心が折れそうです。

折れそうだけど、折れちゃいけない。

それだけ思って思って。


師走 北風

今年の終わりになって吹く風は冷たいけど


病院は携帯持込可なので
携帯から日記更新できたらします。

泣き言になるかもしれないけど
許してください。


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                            ゆうなぎ



2008年12月01日(月) 2008.12.1(月)

体調は相変わらずで治まったかと思ったら
また不正出血があったり・・という具合。


精神的にも身体のことがあるせいか
どうにも落ち着かない。

今の自分の精神状態が 
少しでも良くなっているのかどうかもわからない。

我がことなのに おかしな話だが
どこからをキツイとかツライとかいっていいものかが
判断ができない。

これを先日、クリニックの先生に話したら
それは無理もないことです
と言われた。

長い年月、酷い欝状態にいると
自分の良かった時の状態がわからなくなるものらしい。

焦らないでいいですよ
まだ治療を始めたばかりですからね と。

糖尿病でインシュリンを打つことになるかも・・
という話もしたら 

欝状態が軽減されれば、自然と糖尿病に関しても
状態が良くなってくると思うので 今はインシュリンを
使ってもいいんじゃないかと思います 
とのこと。


明日の病院での検査数値でインシュリンを使うかどうか決まる。
そうしてインシュリンもずっとじゃなくて数値が安定してくるまでと
主治医に言われてはいるのだけど。
今の自分の身体に必要なものならば仕方ない・・・
理屈ではわかっているつもり。
でもやっぱり、できることなら使わずに済ませたいという気持ちがある。

考えないようにしてはいるが
それでも不安というか、落ち着かなさが迫ってくる。

かろうじてパニックにならないで済んでいるのは
精神に薄い膜が張られているような感じなのは
薬が効いてくれてるお陰なのかな。


どうなるにせよ、とにかく明日・・・
明日が こわい やっぱり。

もう12月1日。

一年の終わりの月。


残りの今からの「今年」
それから
「来年」という未来

何もかもがキツイよ。
なんだか もう だって。

少し休ませて。
何も考えられないし
頭がまわらない。
身体も頭も鉛のように重いの。


ごめん。


これで最期にはしないから

ちょっとだけ。


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                           ゆうなぎ


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