++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年07月31日(木) あの歌を もう一度

あのひとが逝ってから 
ずっと自分の中で封印していた曲がいくつかある。

その一つがこの 槇原敬之の「もう恋なんてしない」
カラオケで歌っていたあのひとの姿や声を思い出してしまって。

マッキー好きなのに揃えていたCD全部仕舞い込んでいた。
どうしても・・・聴けなかった。


『もう恋なんてしない』



久しぶりに

そう5年過ぎてやっと。

きっかけはあるマッキーファンの方のサイト。

わたしが封印してしまった後の
マッキーの歌のことが書いてあって。

その中の「明けない夜が来ることはない」という曲の
歌詞を辿って読んで歌を聴いて
ああ もう一度 あの曲 聴いてみたいなって思った。


『明けない夜が来ることはない』



「もう恋なんてしない」の歌詞
あのひと 今頃 空の上のその国で
それこそ こんなふうに思いながら
口ずさんでるんじゃないかな とか。

半分 あのひとの想いと
半分は わたしの気持ち。


ねぇ 改めて空に向かって言うよ。

”あんた ほんと馬鹿です”

学生の頃、「老醜を晒すぐらいなら俺は早死にするんだ」とか
冗談とも本気ともつかないように言ってた。

そんなことだけ実行するんじゃねぇってばよ!

一緒に幸せになる って方は放り出して置き去りにしたままでさ。


ドロドロの喧嘩して愛憎模様繰り広げて老醜晒しまくって
それでも生きてた方がよっぽど上等だったよ。

もっともっと貪欲に生きることにしがみついて欲しかったよ。
病気と勝負始めるのは遅すぎたし、試合放棄するのは早すぎたよ。
あれは緩やかな自殺だったのかと思ってしまうほどに。

だから。



いや ごめん。

それひっくるめてあの最期の病室で仲直りしたんだったもんね。



久しぶりに聴いた歌でわたしはひとつまた何かを解き放てたかな?


まだ封印したままの曲の中には、もうそのままと思ってる歌もあるけど

最期に目を瞑るときにでも

扉が開けられたらいいなと思ってる。


この空に。




その空に向けて。

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                            ゆうなぎ



2008年07月28日(月) とんぼ




 7月ももうすく終わろうとしている。

 相変わらずの猛暑は続いていて
 洗濯物を干しにほんの少しベランダに出ただけで汗が流れ落ちる。
 太陽の光の眩しさで紫外線に弱いわたしは目を開けていられなくなるほど。


 それでも空と雲を撮りたくて携帯カメラで一、二枚撮ったら
 熱上昇の為カメラ機能がこれ以上使えません 
 みたいな表示が出て びびる。

 一応 一時的なものだったみたいでホッとしたけど
 携帯壊れたら困るから気をつけなきゃ。



 この写真には写ってないけど
 今日 とんぼが空一面に散らばるように飛んでいた。
 今年初めてみた とんぼ。
 なんだか幽玄的な景色だった。


 ぼんやりと

 里帰り途中の魂なのかな とか 思ったりした。



 霊感とかそういうものはまったくない。
 これについてはノミの心臓で臆病者なので
 もし、そういうことがあるにしても
 見えたり感じたりがないように
 あちらの方で配慮してくれているのかもしれない。

 心霊的なものがあるのかないのかについても
 どちらかに決める必要はないと思ってる。
 それぞれの中の想いでいいんじゃないかと。


 つくづく思うけど
 わたしがむしろ怖いのは生きている人間の方だ。
 裏切り、騙し、平気で人を踏みにじる。
 仏様すら時として利用するんだから。


 亡くなった人はとても静かで無力だ。
 ただ見守り 遺してきたもの達のことを想い
 ひたすらに願って祈っている。



 わたしは無神論者だし、宗教的な意味での
 供養ということでいえば その道の方々から
 まるでなってない
 そのせいで苦労が耐えないのですなどと
 言われかねないだろう。


 こういう解釈を聞くたびにわたしはやり切れない思いに駆られる。

 先立った人にしてもご先祖様にしても
 生きている人間の哀しみ苦しみを勝手に背負わされるなんて
 堪ったもんじゃないと思う。

 誰が 遺してきたものたちの、子孫の不幸を望むものか。

 もしくは何代か何十代か前のご先祖がしたことだとか
 その関係でとか そんなのこそ 亡き人々に鞭打つことじゃないか。

 現世の生あるものの業は、この世界で今を生きるもの自身が
 少なくとも自ら背負うべきだと思ってる。



 逝かれてしまった直後は 頭が空っぽになる。
 それから 遺されたものがすべきこと の激流に
 もみくちゃにされて自分の感情どころじゃなくなる。

 本当に実感するのは その後からだ。

 塞がることの無い穴を胸に抱えながら
 わたしたちは生きていかなければならない。


 当たり前といえばそうだ。その場所はその人だけの場所で
 それは他に代わりなどいないんだもの。
 それほどに命は重い。

 でもだからこそ。

 それを教えてくれた人たちの為にも

 わたしたちは生き延びるべきだと思うんだ。



 生きる道は ある意味、死ぬことよりも難しく険しい。
 だけど この胸に空いた穴、託された命の分まで
 与えられた命の期限が尽きるその時まで

 わたしたちは生き延びるべきだと思うんだよ。





  夕暮れ

  窓を開けてみると
  いつのまにか あのとんぼ達は居なくなってた。


  遠くで雷の音がしていて

  しばらく
  薄昏くなっていく空を独り見ていた

  でも夕立はないまま。



  また 泣きそびれてしまった。


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                              ゆうなぎ



2008年07月25日(金)




久しぶりに美容院に行ってきた。

元々ショートだけど だから余計に伸びるとボサボサになってて。
髪って誰よりも自分自身が見苦しく感じてすごく嫌。

それでも美容院代も馬鹿にならないので
ギリギリまで我慢してうっとおしくなった前髪あたりを
ヘアピンで留めたりしてやり過ごしている。

耐え難いのが根元から出てくる白髪
半分冗談で このまま伸ばしてたら全部白髪になっちゃうかも
とか 息子に言ってたりするけど
ほんと シャレにならない。

さすがにまだ白髪を美しく見せれるほどの歳には至っていないので
美容院でカットして染めてもらう。

自分で染めればもっと安上がりなんだろうけど
壊滅的に手先が不器用なのと
化粧品代がほとんどかからないので
(常にスッピンなので化粧水と乳液代のみ)
いや なに 要するにそれをイイワケにしてるのかもしれないが。

とりあえず 美容院へ行ってスッキリすると
気持ちも心なしか違ってくる。


今は仕事も家で だし、元々外交的な方ではないから
美容院に行く というのも外へ出るきっかけになるし。
ついでに役所での用事をとか
せっかくだから交通費節約で歩こうとか。
確かに帰り道、蛇行歩行してたり、
帰り着くなり氷枕にダウンするにしても
運動不足を強制的に補うことにはなる。

あ そういう意味では病院の定期検査も、
クリニックに薬を貰いに行く(3分診察も含めて)のも
同じことになるなぁ。

あともう少し 行く必要があるけど行けていない病院にも
行ける気力が出てくればいいんだけど
(歯医者さんとか婦人科とか)
でも 病院廻りで運動不足を解消っていうのも
なんだかなーと複雑な心境ではあるが。



 
白髪は数年で一気に増えた。
特にあの数ヶ月で。

一晩で大きなショックの為に総白髪になったという人の話
妙に実感できる。
精神が肉体に与える影響の大きさは
自分自身、考えていた以上のものだったから。





変な言い方になるが

今 頭の中で 書きたいと思っていることはいくつかある。
書きたいというか 書いておきたい というような考えとか想いとか。

でも それを 言葉、文章にしようとした時 
どうにも上手くできない。

すごく矛盾しているんだけど
書きたいのに書くのがしんどい。

だから それは今 まだ書くべき時じゃないんだろうなって思ってる。

出逢うべき人にはどんな回り道をしても出逢うように。
それぞれの その時期 というのがある気がする。

そこに至るまでのもどかしさはあったとしても。



公開日記とはいえ、極めて個人的な事柄の覚書であり
いわば自分自身への自問自答と大切なひとたちへ遺すものとして
この日記は存在するわけだから 
こんなこと、わざわざ記すものではないのだろうけど。




少なくとも髪がさっぱりして頭が軽くなったのはイイ。

うん。良かった。


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                             ゆうなぎ



2008年07月23日(水) 欲しいものは




仕事がひと段落ついて
子供達の学校も夏休みに入り
(お兄ちゃんは夏季講習で夏休み満喫とはいかないのだけど)

やっと少しゆっくり一息・・とか思うのだけど
悲しいかな 身についた貧乏性。

子供らがいるというのもあるけど
わたしは休み方が下手。

ものすごく休みたくて疲れてるのに
体調が悪く、横になって起き上がれない時でも
あれこれと”しておかないといけないこと”について
気がつくと考えてる。

常に気が張ってる。
見落としとか手抜かりは無いか。
頭がうまく働かずポコンポコンと穴ぼこは多数あるけど
致命傷になることだけは避けなければ。

この頼りないわたしでも一家の世帯主。
生活を支える責任は重い。


先のことを考えないというのじゃなくて
でも 今 考えても仕方ないことは少し頭から追い出し
必要な時にちゃんと考える。
休むべき時にはしっかり休む。


人様が普通にできているようなことが
わたしには上手くできなくて
頭の中がこんがらがる。


頭の中 空っぽにして
ガチガチに防御されてる心の緊張を解いて
手足を思いきり伸ばして


柔らかなタオルケットのような感触

怯えなくてもいい

やすらぎ が 欲しい。


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                          ゆうなぎ




2008年07月21日(月) 迷宮




「迷宮」

それは違うのです という言葉を
何度も飲み込んだ

何が違うのか という問いに
答えられる言葉が見つからなくて

去っていく人を見送る ここは
わたしにとっては 迷宮

人は何の迷いもなく
歩くこの道なのに

まるで深い霧の中のように
迷いながら歩き
見つけたと思った道は
また 元の道

繰り返す言葉に
繰り返す想い

みな歩み去るここに
何故 一人残るのか


答えを知らないのか
答えを知りたくないのか

それすらも霧の中
今日も道を探す 

見えるはずのものを
見ようとしないから迷うのか

見つからぬ答えを見つけるために
今日も道を探す

ここは迷宮


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                             ゆうなぎ



2008年07月20日(日) 夏空




頭の芯の鈍い痛み。
薬を飲んでしのぐ。

倦怠感が酷く疲れがどうにも抜けない。


どこまでが我慢すべき平均ラインなんだろうって
ずっと考えているけど未だわからない。


できるだけ自分の状態に気づかないふりをする。
とりあえず これ以上 今 動く力ないんだ。


我慢できるならしていた方が まだマシ。
それがどんなことにせよ 良くも悪くも。




顔をカクッと上向けて空を見る。

明るい青に白い雲が眩しくて目を瞑る。

息を詰まらせるような暑い空気と
消えない幻聴のような蝉の声



夏は もう わたしにとって 過ぎ去った遠い風景。




氷枕に頬をつけて

眠りたい。


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                              ゆうなぎ                       



2008年07月19日(土) 青い鳥




「青い鳥」


本当は 
誰の肩にも とまっているのかもしれない


見えないのは 見ようとしないから

そこを見れば いつでもいるのに
気づかず瞳は 遙か を追うのか


その肩の小さな重みに気づいて!
ほのかな温もりを感じて!


ここにいるから

いつでも・・・そばにいるから


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                              ゆうなぎ



2008年07月17日(木) わかってるけど




三者面談と個人懇談会のハシゴ
出かける間際までPC立ち上げて仕事。

またよりによって暑いこと。
所々、意識が遠のきそうになって
歩く足は へろへろ蛇行。

頭の中は色々でぐちゃぐちゃ。

でもとにかく最大級の気力発動してなんとか。


クタクタの帰り道 例の女社長とすれ違う。
あちら様は堂々たるモノで当たり前のように無視。

こっちの方が日傘で顔見えないようにしてたり。

やりたい放題利用された挙句
契約不履行で迷惑こうむって文句言いたいのこっちの方なんだけどなぁ。
(言っても無駄で逆ギレが関の山だから言わないけど)
神経太くずうずうしい方の勝ちってことか?
なんとも複雑だけど もう怒る気力すらない。


家に帰り着き、
クライアントさんからのメールチェック済ませて
シャワー浴びて やっと一息 ついた。

しかし 懇談会で先生から
「お母さん、今日は調子が良さそうですね」と言われ
これまた すごく複雑な気持ちになる。

今日なんかは むしろいつも以上に弱ってて
だけど気が張れば身についた仮面は自動的に発動。
シッカリシナケレバ
それで 人様には調子良さそうに見えちゃうんだ・・。


もっと 今にも倒れそうなような感じをそのまま出せたなら
少しは違うのかもしれないね。

でも できないもんな。
倒れる直前まで多分 悟らせずに済むだろう。
嬉しくもない変な自信。


仕方ないよね。こんな風にして生き延びてきた。
これからもこうして生き延びていくしか術がない。


わかってるけど
仕方ないのは百も承知だけど

だけど
だけど
・・・・・・・


弱気の虫を追い払いながら

それでも 少し 遠い目になる。

ごめん。


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                              ゆうなぎ




2008年07月16日(水) メッセージ ” 親の心 子の想い ”



* いつの日か この日記を読むかもしれない3人の息子達へ*

***


この日記を君たちが読むことがあるのかどうか 
わたしには わからない。

ただ もしも 読むことがあっても それがずっと先であることは
確かだと思う。それはわたしの生死に関わらず。

その頃の君たちは それぞれ どんな大人になっているんだろうと
わたしは考える。
その時をこの目で見届けたいと思ってはいるけれど
こればかりは 神のみぞ知る だものね。


この日記を読んでその時 君たちはどう思うんだろう。

かなりのヘタレっぷりだし、赤裸々な心情満載なので
呆れたり、ショックを受けたりすることもあるかもしれない。

でも それでもいいと思ってる。
その時の君たちが感じるままに受け取ってくれてかまわない。

ああ、お母さんもこんなにヘタレたり、泣き言書いたり
ダメダメだったんだなぁ と思ってくれれば
そう「親っていっても一人の人間であることに変わりはないんだな」
って感じてもらえたら きっと この日記もわたしも嬉しい。


少しだけ 親と子の話をしてもいいかな。

これは わたしと君たち兄弟 の 親子 と
お祖父ちゃんとお祖母ちゃんとわたし の 親子
それぞれの話。

わたしはねぇ 一人娘だったので 
これでもかなり厳しく束縛されて育ったんだよ。
お祖父ちゃんは家庭、家族第一の人だけど
その思い入れが強い分 自分の”こうでないといけない”という
やり方でわたしを育てた。
転ばぬ先の杖だったし、常に管理されていた。
我が子に失敗という傷を負わせたく無かったんだろうね。

お祖母ちゃんはお祖父ちゃんよりも大らかではあったけど
それでも わたしは無邪気というよりも
変に大人びた子供だったと思う。

期待を裏切らないこと 大人の望むいい子であることが
常に頭にあった。子供同士の付き合いはそのくせ下手で
だって どう接したらいいのか わからなかったから。

一時はかなりの いじめられっこ だったよ。

教室で一人 ぽつんと孤立。
酷いあだ名つけられたり靴とかランドセル隠されたりとか
先生の対応なんかももっと大雑把だったから
今なら 大問題になるようなことも 当たり前のように
放置されてたりで。
 
でもそのおかげで 周囲の空気を読むことには自然と長けていった。
過敏なほどにね。

それと その頃から しぶとかった?のかな。
苛められる自分の中の要素を無くしてやろうって思ったの。

視力悪いと無意識にモノを見るときに目を細めるでしょ。
それが癖になっていて瞼の筋力が弱くなってたんじゃないかと思う。
他人から見たら 目つきが悪く睨んでるように見えたらしいのね。
だから 目を大きく開く練習を毎日鏡の前で した。
これは小学生の頃だけど鮮明に覚えてる。
我ながらその努力の甲斐あってか 瞼に筋力がついて
普通の状態でもしっかり目を見開いていられるようになった。

本格的に変わったのは中学校入学からかな。
新しい環境になったのは何より大きかったと思う。
目の癖も完全に治っていたし。

周りに溶け込む術。自分を守る垣根。
でも それと周囲には悟らせないように。

目立たなかったけど 普通に友達もできて
もう苛められることはなくなってた。

元々 そんなに人とつるんで何かをしなくても平気な方だったし。
考えたら う〜ん・・変に醒めたようなヒネた子だったなぁと
思うけど。

でも親とか先生って絶対なものだって刷り込みは強くあった。
言うこと聞いていれば間違いはないんだから って
これは親に散々言われてきたことでもある。

弊害は自分の行動に対して常にOKを出して
貰わないと安心できなくなってしまったこと。

これで後々大人になってから随分と苦労したよ。
失敗が怖くてその手前でリタイアしてしまう。
頑張りすぎて完璧にしようとして それができないと
もう自分はダメだと思って自滅する。
そして余計自分を信じられなくなる。

今ならわかるけど失敗はできるだけ沢山した方がいいんだ。
失敗して痛い目にあって そして それから 自力で立ち上がれた時に
それが自信になって 自分を支えてくれる。


君たちも お祖父ちゃんもお祖母ちゃんが
人一倍 愛情に溢れた人たちだというのは感じてくれてると思う。

でもこれも今だからわかるけど 
失敗やケガをさせないようにすること は
必ずしも子供にとってはいい事じゃない。

型に はめ込まれすぎてしまうと 子供の方はどんどん息苦しくなるし
子供自身の自分で生きていく為の力が育たない。

少なくとも わたしはそう実感してる。
未だにその呪縛に苦しめられてる部分があるから尚更。


だから君たちには とにかく
”〜でなければいけない” 的なプレッシャーはかけたくないと
思って接してきた。
これが完全な正解だとは思っていないけど 自分がそれで苦しかった分
親になった時に子供に対して 自由に羽ばたける心と生きていく為の
精神的な逞しさを持てるようになって欲しいと思った。

わたしのような 籠の鳥じゃなくてね。 



でも ここで矛盾かもしれないけど 親になってみてわかった親の気持ち
というのもある。

少なくとも母親は大なり小なり 
あの激痛(男性ならショック死するとさえいわれる)に耐えて
我が子をこの世に産み落としてるわけで。

そんな我が子が失敗したり痛い目にあうのをやっぱりできれば
見たくないと思うのもまた親の心。
束縛系の親って確かに方向は違ってしまってるかもしれないけど
それだけ 愛情が深いとも言えるんだよ。

子供って結構残酷で 感情コントロールできなかったりすると
死ね とか平気で口に出しちゃう。
ウザイ とか 産まれてこなきゃ良かったとか 
そりゃもう あの産みの苦しみ いっぺん味わってみるか?!
って言いたくなる より なんていうか もう 
がっくりと膝つきたくなるようなこというよね。


全部の親がそうとは言わない。
そんな全人類性善説自信もってぶち上げられるほど
わたしは世界を知らない。

だけど 少なくとも子供から死ねとか
一時の感情から出た言葉でも言われたらそりゃショックだよ。

親も人間だからね。

たとえば方法間違ってたとしても子供からしたら見当違いでも 
必死で子供の為なら死ねるとか思っちゃってたりするから。


わたしがお祖父ちゃん、お祖母ちゃんと対する時
いくら歳をとっても わたしは子供。
だからね 子供の気持ちも わかる。

もう中年って言われる歳なんだよ。
いい加減 呪縛解いてよ
〜でないと人間失格 みたいな言い方やめてよ とか
思うもんねぇ。
なんでかたくなにわかってくれないんだろう、今のわたしに
逆効果なことばかりしたり言ったりするんだろうとかもね。



でも 親として君たちに接する時に 
子供の想いを知りつつも 親の愚かかもしれないけどその心を
思い知るんだ。


子供に感情があるように

親にも感情がある。


親だって間違いもすれば迷いもする 生身の人間だってこと。

昔の?親っていうのはそんな自分の弱さみたいなものを
見せたくない美学みたいなのがある人が多いように思う。
だから余計に拗れたりしちゃうのかもしれないな。


お母さんね、今なら お祖父ちゃんは決してスーパーマンでも
間違いを全然しないわけでもないこと わかるよ。

それは反面 とても寂しいような心細いことなんだけどね。


むしろ 歳をとるごとに わたしは理想の娘像からどんどん
離れていってしまった。
誰よりも 幸せに と願ってくれた両親の夢を粉々にしてしまった。
だから 今も 微妙に関係は拗れてる。
この捻じれはもう戻らないのかなと思うと辛くもある。


でも わたしは わたしの両親を やっぱり 愛してる。

人生の苦さを
両親の育て方の、存在のせいするようなことだけは したくない。
これは わたしの問題だから。


理解のないコトバで深く傷つけられても
それに気づいてすら貰えなくても
ずっと最期まで 籠の鳥のままでも。



うまくいえないんだけどね。


わたしは親を振り切れなかったけど
それでも 後悔はしてない いや ちょっとはしてるか?(笑)


君たちは親(わたし)を振り切ってくれてかまわない。
いや 完全には ちょっとさすがに寂しいけどさ(笑)


自分の人生は自分のもんだ。自分が選べばいい。

親ってのはね 最後には振り切って踏み越えて往くべきものなんだと思う。
たとえ ぎゃーぎゃーわーわー喚いててもね。
踏み越えられて遥か後姿を見せる我が子に毒づきながらでも
エールを贈ってるんだよ。


何かあって 助けてと思う瞬間

無意識にひとが呼ぶのは 
おとうさん おかあさん だったりするんだって。



それだけで 充分なのかもしれないね。

親も

子も。


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                               ゆうなぎ



2008年07月14日(月) 蝉の声




吹き荒れる嵐のごとく過ぎた一週間、やっと週末に滑り込んだと思ったけど
なんやかやとあり 結局 削るのは休むはずだった時間。

クーラーの利きがどうにも良くなくてフィルター掃除はしてるのに
(何しろ夏の命綱なんで)おかしいなぁと思い 思い切って
説明書と格闘しながら内部掃除をする。
汗まみれになったけど そのおかげでやっぱり格段に違う。

土日休みにしてる仕事も結局、少しでも進めておかないと と。
でも実際問題、出来る時にできるだけやっておくことを
した方が万が一、自分にアクシデントがあった時の為にもいい。
請けた仕事に関してはプロもアマチュアも無い。
等しく責任を負う。
むしろ独学アマチュアを自覚しているわたしなどは
だからこそ全力投球で我が身に厳しくなくてはいけないと思ってる。

プロの方なら程よい力の抜き方も
また それでもそれなりの結果を出せるだろうけど
それは実力に裏打ちされてのもの。

わたしがこの仕事を仕事と呼びたいなら、
その足りない実力の分だけ
貴重な与えられた機会のその時その時を生かせるように
必死で喰らいついていくしかない。

週末の〆は子供らと遊ぶ。 といってもゲームだけど。
それでも貴重な親子のふれあいの時間。



かなりやったつもりだけど
まだ 片付けなければいけない用件は後から後から。
まったく余裕がない。

仕方がない ってこの台詞をわたしはどれだけ繰り返せばいいんだろう。

気を抜くと 溜息ばかり出てくるし、
治りきれない傷の痛みにどうしても気がいってしまうけど。

考えないようにするのはとてもムズカシイ。
完全に考えないなんていうのはムリ。
だけど とにかく 自己催眠。
そうでなきゃ やっていけない。


今日も末っ子と早朝散歩の予定。
もう少ししたら起こさなきゃ。



心配かけているトモダチ。
なかなか連絡もできずにごめんね。 
何とか頑張ってます。しぶとさが身上だもの。
だから待っててね。
いつも ありがとう。


昨日、窓開けたら いつの間にか蝉の声が聴こえてて
夏 本番。

今週は また一段と忙しくなりそうです。


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                              ゆうなぎ
  



2008年07月11日(金) それで いい。




やっと一息つけるかと息継ぎをしようとした上から
大きな波がザンブリと視界を塞ぎ
しこたま また塩辛い水を飲まされる。
そこらじゅうの傷口に塩水は沁みて痛いが
声を出す余裕すら すでに無い。

もう嫌だ、今度こそ限界だと繰り返しながら
それでも手足を動かし犬掻きをしようとする
わたしを強いと ヒトは言うのか。


こんな強さなど 欲しいと望むものか。



好きなように思えばいい、
煮ろうと焼こうとご自由に。

今更 泥かぶろうと勝手に決め付けられようと
それがどうだというのだ。


残された最後の力振り絞って
たったひとつのタイセツナモノだけ必死で胸に抱く。


もう

それでいい。

それだけでいい。

ワタシニコレイジョウサワルナ
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                            ゆうなぎ



2008年07月10日(木) 年月(としつき)回想




あと1時間半ほどで子供を起こして朝の散歩に出かける。
今日の早朝散歩は6時からの予定。

わたしの方は実は3時半過ぎに目が覚めた。
やっぱり昏い風景の夢をみて、眠れたという感覚がなく
脳天のあたりが鈍く痛んで ひたすら全身がだるい。
寝汗でぐっしょり濡れたTシャツを着替えて顔を洗って
薬飲んで暫くしたらやっと少し頭が現実に対応してきた感じ。

連続早朝散歩はさすがにわたしの身体には堪えるようで
やっとの木曜日。

でも末っ子、すごく楽しみにしてるのわかる。
顔が違うもの。宿題も積極的に頑張って済ませるようになってて。
生活リズムも子供にとっては良い感じになると思うんだ。


昨夜は PC立ち上げられず仕事できないまま、ダウンしてしまった。
今日は日記書いて頭はっきりさせて早朝散歩に出て
子供達の朝準備の後、無事全員送り出したら
洗濯物干した後から とにかく仕事に集中するつもり。
PC立ち上げたら何とかなる はず というか する。


代わりに掃除の方は壊滅的で掃除機出す気力なく
拭き掃除もできてない為、仏壇にさえ薄っすらと埃。

バチアタリな奴め!と言われそうだけど
空のアノヒトは結構 まぁ仕方ないよと言ってくれそうな・・
ってこれはわたしのイイワケかな。

でも現状見てるよね?・・・とかつぶやきつつ
朝の水とお茶あげながらゴメン!と手を合わしといた。


早いもので来年はまた法要の年がくる。
この年月が もう なのか まだ なのか
少なくともわたしの中で消えることのない情景はいくつもある。


再発を聞いたあの日。

入退院と手術を繰り返し、合間に放射線や抗癌剤での治療。

電話で呼び出されて余命告知された雨の日。

最期になった まだ動ける時に家族で行ったピクニック。

脳に転移して、いつ逝ってもおかしくないので
覚悟していてください と言われた 白い壁の部屋。

それから・・・。


本人へ余命告知しなかったのは良かったと今でも信じてる。
その為にひとりで抱えなければならなかったものは
重く苦しかったし、アノヒトは薄々気づいていたのかもしれないけど
だったなら 尚更。

ひとりで病院帰りに毎日通ったラーメン屋で黙々とラーメン啜りながら
一緒に沢山のもの呑みこんだ。

人間は自分で考えていたよりも いざとなると
強くもウソツキにもなれるもんだな と思った。


人それぞれ。

強いばかりが良いわけでもないし
強いばかりの人間も
反対に弱いだけの人間もいない。

いろんなものがいろんなことがいろんな想いが
絡み合って人生の時は紡がれている。


それぞれのやり方で生きていくしか。



正しいか間違っているか
あの時 もし・・

今だから思うことも沢山あるけど

その時にはそうするしかなくて
それが わたしの精一杯に下した決断だったから。


生きてきた人生。
その中の苦しさや辛さを
全て誰かのせいにすることだけはしたくない
と思ってる。


自分の信じているものが全て正しいなんて考えるほど
自信家じゃないし いつも矛盾とヘタレを内包しながら
無様に生きてるけど。

たったひとつ、人生を誰かのせいにしてしまうことだけは
しない と誓った自分に。


やっぱり わたしはヘタレの癖に頑固者なのかな。
こんなところだけは(苦笑)


ああ もう6時になる。子供を起こして早朝散歩に行こう。

今日も晴れて暑くなりそうだ。


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                              ゆうなぎ

 



2008年07月09日(水) ちいさな青



今朝も早朝散歩。末っ子と。
今日は近くの小さな公園まで行って
自動販売機で子供達用に野菜果物ジュースを買って帰ってきました。


その日のうちに宿題を終わらせることができたら
次の日には早朝散歩することを約束。

早起きして歩くことは基本的に良いことだと思うし
何よりも末っ子自身がとても楽しみに張り合いにしているので
やっぱりその気持ちに応えてやりたい。
それに早朝散歩すると末っ子はスムーズに登校できる感じだから。


正直 今 わたし自身はかなり無理してる。

おかげさまで内職SOHOの仕事が入り
それはとても有難いことなのだけど
諸々のやらなきゃならないことが
こんな時に限って重なっている上に
苦手な夏の暑さで体調が悪い。

頭痛と胃痛で薬が手放せない。
汗が半端じゃないせいか薬で抑えきれなくなってて
皮膚アレルギーが出て身体が痒い。

食欲もほとんど無い。水だけはできるだけ飲むように心がけているけど。
(身体壊してから水分はほとんど水のみ。たまにお茶。
ごくごくたまーに無糖コーヒーやノンカロリー飲料飲むくらいになった。
これだけでも糖尿の数値を即入院から薬を飲まないでいいように
下げることができた。それでなくても色々な薬を飲んでいるわたしには
一つでも薬を飲まずに済ませられることは有難い。
習慣にするまではさすがに口寂しいけど、慣れると案外平気になる。
水はお茶などとはまた別らしい。新陳代謝を良くするらしいので
水をしっかり飲むことはお勧めです)

精神的にも安定剤と抗欝剤常用で息切れしながら
何とか毎日を繋いでる。

普通なら早起き、早朝散歩で身体を動かす=身体に良い
となるんだろうけど この状態の自分には辛い。


子供も3人いれば1人が何とか落ち着いたと思ったら
別の子が悩んでいたり、迷っていたり
当たり前と言われればその通りだけど
独りの肩には荷が重過ぎて
思うように動けなくなっている。
自分の心身の不甲斐なさに情けなくなることも度々。



きつい ゆっくり眠りたい



トモダチ 心配かけてごめん。
弱音はここで吐くよ。

へろへろだけど
今は踏ん張るしかないんだ。




見つけた ちいさな青

ひそやかに でも 確かに 其処に。


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                             ゆうなぎ
   



2008年07月07日(月) コトバの欠片いくつか




「この想いだけ抱えて」


きみの瞳はいつも
遠くを見ていて

だから わたしは時々
とてもとても 不安になるの

いつか飛んで行くんじゃないかと
風船を必死で握りしめる
そんな小さなオンナノコみたいになる


何処にも行かないと
きみが言うたびに

わたしの胸はズキンと痛むの

飛びたい鳥を閉じこめる
そんな檻になった気がして

何だか胸が苦しくなるの


ふたつの心を抱えて
わたしは ちょっとうずくまる


ただ・・・
ただ 好きだと
その想いだけを抱えて

もしできるならこのまま

わたしは飛んでいきたい
遠い遠い世界に


この想いだけを抱えて

わたしが飛んでいきたい

わたしが飛んでいきたい


***


「ドウカワタシヲミツケテ」


何だか空気が違う
勘違いなんかじゃない

何だか自分と周りの境界線が
しっくりといかなくて

とてもとても
気持ちが悪いんだ

絶え間なくやってくる吐き気
繰り返される希望と絶望

受け入れられたいと願う心と
奥底で他者を拒否するもの

底なしの寂しさと
堕ちて往く甘い悪夢

何だか奇妙に歪んだ景色

この違和感


何処にいくのだろう
このまま

何処にいるのだろう
わたしは


誰か
誰か

お願い

わたしを見つけて

ドウカワタシヲミツケテ


***


「きいてわたしのこえ」


きこえる わらいごえ

いつか みたふうけい

てくてくと つづくみち

わたし ひとり

ただ あるきつづける

しらない うちの

のぞいた まどのなか

ここにも わたしはいない

えいえんの さめないゆめをみる


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                               ゆうなぎ



2008年07月04日(金) そしてもう一度この場所に立って


四面楚歌のようで。

何処にも・・・
この場所でさえも言葉が臆病になって喉につかえてしまって。





呑み込むしかできなくて
たまらなく苦しかったんだ。

いや それは今だって。





でもね

思い出したの。

この場所の意味を。
この場所で書くことを決めた時の覚悟を。


わたしは
わかっていたはずだ。

わかっていて
それでも 此処に遺しておきたいと思ったんだ。





決して美しくはないけれど
へたれながらも足掻きながら諦め悪くも

わたしがどんな風に考えて生きていたかということを

わたしの愛するひとたちへ
わたしの人生の欠片の一部を。





わたしは あいかわらず ちっぽけで弱虫で

だけど

それが強がりでも

それだけは失くしたくない
失くすわけにはいかない

わたしの信じるタイセツナモノ。



人間(ひと)としての
矜持(プライド)


それは本当にたったひとつだけど

わたしを形創ってきたもの



だから今とても苦しいけど
改めてこの場所に立って


もう一度

生きていく覚悟を決めるよ。


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                               ゆうなぎ



2008年07月01日(火) 早朝散歩

朝5時半起き 末っ子と早朝散歩。









雲の動いていく様を歩きながら眺める





あ ちょっとお疲れ たんぽぽ 




わたしの場合は早起きというよりも前の日から徹夜。
早く起きなきゃと思うとまず気になって眠れないので。
それで末っ子起こして、一緒に歩くから かなりこれ 実は堪える。

早朝散歩というと「それは健康にいいですね」と言われるけど
欝のニンゲンって(個人差はあるだろうけど)
朝が苦手という人 多い。 わたしも そう。
夜 何とか眠れても 一度寝ると今度は朝 頭が上がらなくなる。

だから 早起きしなきゃの時には敢えて眠らず徹夜。

そうして子供達出して、洗濯物とか最低限その日にやっておかないとと
決めた家事とか(予定のある時は)病院へとか区役所へとか済ませて
帰ってきて それから 氷枕してダウン。
さすがに完全に意識失うし、その後は機能停止状態。

携帯に無意識に出たりしてる時が たまにあるらしいけど
相手も内容も覚えてなくて後から 相手から言われて焦ることもしばしば。


正直 無理してると思う。
それも良い無理の仕方(という言い方も変だけど)じゃないな〜と思う。
でも 今 どうしても必要な無理だから してる。

穴ぼこだらけで 充分できてはいないにしても。


早朝散歩は末っ子にとって楽しみになってるようだし
普通の人間にとって早起きはいいことだと思うし。


だから とりあえず 今は無理を続ける。


明日も何とかするつもりだけど もつかな〜身体。

しかし週末までが長いなぁ。

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                                 ゆうなぎ    


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