銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年03月26日(月) 地震がやってきました。

昨日午前9時42分に石川県で地震がありました。最大震度は6強。かなり強い地震でした。

僕は地震が起こったとき、ちょうどパソコンに向かっていたのですが、最初揺れ始めたときはまさか棚に乗っているものが落ちそうになるくらいの揺れになるとは思っていませんでした。

僕自身は地震を怖いと思っていないので、揺れに耐えながら冷静に、避難場所やもしものとき自分が持っていなければならないものを考えていたのですが、ペットのフェレットはすごくびっくりしたらしく、一匹はゲージの一階部分で固まり、もう一匹はゲージ内のプラスチック製のトンネルに身を隠し頭だけぴょこんと出していました。

揺れが収まった後、すぐにテレビをつけてどこが震源なのか表示されるのを待ちました。
「震源は金沢以外の地域で、しかも相当大きかったはず」という勘が働いていたので、少しドキドキしながら画面を見つめていました。

速報は間もなく表示され、震源が能登の近海で、しかも能登の方が震度6強の揺れだったことを知って、僕はうなりました。
能登地方には古い家屋が多いのを知っていましたので、被害が相当なものになることは簡単に予想できたからです。

一番被害が酷かったのは、輪島市という街なのですが、多くの家屋が倒れたり傾いている様子は、気の毒としか言い様がありません。

道路の欠落、土砂崩れ、断水の状況を見ていると、被害に遭われた方の生活や、復旧に費やす労力、費用のことが頭に浮かび、うなるしかありません。

死者が一名だったことは、倒れた家屋の数を考えると、不幸中の幸いだったかもしれません。亡くなられた方には失礼な表現かもしれませんが……。

身近に起きた今回の地震で、僕は地震の影響というものを今までより少し多角的に見ることができるようになりました。

逆に言うと、今まではちょっと想像力が足りなかったんでしょうね。
自分の地震に対する姿勢を反省させられた出来事でした。



2007年03月22日(木) 職場復帰はむずかしい

職場に復帰してから一週間以上が過ぎました。

僕には何にも仕事がないので、毎日資料を読み漁っているだけなのですが、周りの人たちが交わす会話を聞いていると、自分がどれだけ周囲の人たちのレベルに追いついていないかがよく分かり、これじゃいかんなあ、と思いつつ、どうすることも出来ないのでただ毎日流されています。

分からないことがあって隣の人に聞こうとするとき、必ず「この質問ってレベル低いかなあ」ということが気になり、結果質問する態度がおずおずとなってしまいます。

とりあえず、コミュニケーションだけは図ろうと、挨拶や会話だけは欠かさないようにしています。
(これだけ出来るだけでも上出来かな?)

周囲の人たちは、僕が休んでいた一年四ヶ月の間、ずっと仕事をしてきた人なわけで、更にいうと、僕が毎日半日で帰るところを一日中ずっと仕事をしているわけで……追いつくどころかますます離されていっているということになります。

そういうことを深く考えるとガックリしてしまうので、意識的に目をそらすことにしています。

一年四ヶ月……ブランクは思っていた以上に大きいようですが「ま、しょうがない」と思うことで、何とか日々過ごしています。

職場復帰はなかなかむずかしいものですね(^_^;)



2007年03月13日(火) 職場に行ってきました。

今日は記念すべき(?)僕の職場復帰の日。

とはいうものの、実際には職場へ行くのが怖くて怖くて仕方なかった。

「自分は皆についていくことができるだろうか」

前日からそのことが頭から離れず、よく眠れなかった。

シャワーを浴びて、身支度をする時間を計算すると、午前7時に起きれば十分すぎるほどに間に合うのに、僕は6時くらいから起きて、忘れ物はないか調べたり、皆に最初に挨拶するときのことをイメージしたりして、焦りを感じながらそわそわしていた。

そしていよいよ出社の時刻が来た。

職場は自宅から歩いて15分ほどのところにあるが、職場が近づくにつれ、僕の心臓の鼓動も早くなった。

「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせるが、効果はない。

僕の机がある部屋の扉を開けるときは、何度も深呼吸をした。

ようやく踏ん切りがついて、扉を開けると、部屋の中にはポツリポツリとしか人がいなかった。
少し、来るのが早かったのだろう。

僕は席次表を見て、自分の席に座った。

机の上にはパソコンと、業務のマニュアルらしきものだけが置いてあった。

パソコンは既に立ち上がっていた。外見が古ぼけていたので、もしやと思いパソコンのOSを調べてみると、WIN98だった。
僕が余剰人員として配置されていることがそれだけでよく分かった。

しばらくすると、休職中お世話になっていた課長が部屋に入ってきたので挨拶に向かった。

いつも携帯の声だけを聞いていたひとだが、実際会ってみると想像していた容姿とは全く違っていたので、少し意外に思った。

課長に挨拶した後、僕は課長に引きつられて各課の挨拶に回った。

その後自分の席に戻り、僕の受け持つ仕事の説明を受けた。
僕のやる仕事は単純作業で、期限のない、楽なものだった。

僕の課の人たちは皆優しそうな人ばかりだったので、少し安心した。特に僕より年下の青年は、とても親切にしてくれた。

「何とかやっていけるかな」

自信はないけど。

僕はそう思った。



2007年03月10日(土) あ、ダンディだ

雨上がり決死隊が司会を務めるアメトーークを見ていたら、ダンディ坂野が出演していた。

ダンディをテレビで見るのは久しぶりだったので、「あっ、まだ芸能人としてがんばってるんや」と本人には失礼なことを思ってしまった。

ダンディ坂野は石川県出身の数少ないタレントの一人だ。
僕がダンディを知ったのは「爆笑オンエアバトル」がきっかけだった。

詳しいことは忘れてしまったが、かなり初期の頃からダンディのことはチェックしていた。
別に「この芸人は売れる!」と思っていたわけではなく、単に芸風が好きだっただけだ。

ダンディのネタははっきり言って「さむい」
さむいところがおもしろい、という芸風だ。
「その芸風好き」という人と「何がおもしろいか分からない」という人にすっぱり分かれるタイプの芸風だと思う。

石川県出身だと僕が知ったのは、彼が売れ始めてからのことだった。

石川県民として(僕は生まれは愛知県だけど)活躍が続くように願っていたのだけれど、予想通り(これも失礼だけど……)売れっ子の時期はすぐに終わり、ダンディをテレビで見る機会はすっかりなくなってしまった。

「ダンディはトーク下手だなあ……」
売れっ子で、バラエティ番組に多数出演しているときに僕はそいう印象をダンディに対してはすごく感じていた。

トーク、というか即興性というか、そういう部分が強くないとお笑い芸人は幅広く活躍できない、と僕は思っているのだけど、ダンディはそこがうまくなかったんだと思う。

今は一発芸人としてがんばっているらしいけど、いつか新境地を開いてもう一花咲かせて欲しい、と陰ながらダンディを応援する今日この頃です。



2007年03月07日(水) 今更デスノートです。

今日、病院でカウンセリングを受けた帰りにマンガ喫茶に寄った。

そこで前々から気になっていたマンガ「デスノート」を全巻一気に読んだ。

ので、今日はその感想と読んだ後に思ったことを日記に書こうと思う。

デスノートのあらすじはこうだ。

死神界という死神が住む世界で退屈な思いでいた死神デュークは、自分の暇つぶしのために、デスノートと呼ばれるノートを二冊わざと人間界に落とす。
デスノートは、殺したい相手の名前をそこに書くだけでその殺したい相手を殺すことができるとてつもない力を持ったノートだ。
デュークは、それを拾った人間がどのようにノートを使うか、ノートを使うことでどんなことが起きるのか、それを傍観して楽しもうとしたのだ。
二冊の内、一冊は夜神月(やがみ・ライト)という青年が拾う。
ライトはデュークにノートの内容を説明されると「僕が世界を変えてやる」と心に決める。
自分のことを「キラ」と名乗り、ノートによって次々と凶悪犯罪者を殺すライト。
そうすることにより「悪い事をするとキラによって殺される」という意識を世界中の人間に植え付け、犯罪を発生させることを防止しようとしたのだ。
ライトの企みは成功するかに見えたが、そこに「L(エル)」と名乗るライバルが現れる。
Lは世界中の犯罪者が恐れる腕利きの追跡者(探偵)だ。
Lはキラを捕まえるべく、様々な手段でキラを追い詰めようとする。
そして、ライトとLとの壮絶な戦いが幕を開ける……。

まあ、こんな感じだったような。
一回通して読んだだけなので、多少違うかも、ですが。

さて、それでは読んだ感想なのですが……。
デスノートの感想は数えきれないくらいの方がブログ等で書いているので、正直、今更僕が書いたってなあ、と思うのですが一応。

まず一言、とてもおもしろかったです(←当たり障りのない言葉)。

マンガの質としてはかなり高い方だと思います。

話の内容と絵が非常にマッチしていて、キャラクターが生き生きとしています。人がよく死んだり、心理描写が多いので、もっと濃い目の漫画家を起用した方がよいのでは、と考える人がいるかもしれませんが、僕はこの漫画家さんがベストだと思います。絵の無機質さが主人公(ライト)とL(やライトと敵対する側)との心理戦の緊迫感をうまく引き出しています。

肝心のストーリーも、マンガとしては十分な構成を持っています。

ずるずると話を引きずらないで、終わるべく所で終わっている所も評価できます。人気があるからといって下手に延命させると徐々に作品の質が落ちていきますから。

と、褒めちぎりましたが、もちろん難点もあります。
というより、突っ込んだらキリがないほど「粗」はあります。
粗についても、数限りなくいろいろなブログ等で書かれているので、詳細は述べようとは思いません。
ただ、その粗を踏まえた上で、総体的には「よかった」と言える作品だと思います。


次に、作品を見て思ったことを書こうと思います。

このマンガでは作中、「キラの効果で犯罪発生率が激減した」という描写が何回か出てきます。主人公ライトの思惑通り、キラに殺されることを恐れて人々が犯罪を行うことが減ったのです。

僕がこの作品で一番考えさせられたのはこの部分でした。

僕は「もしキラという存在が現実にいたとしても犯罪発生率は殆ど変わらないだろうな」と思いました。

なぜなら、犯罪は貧困や家庭環境などの社会的要因や性格などの人格的要因などが複雑に絡み合って半ば必然的に生まれるもので、キラという存在があったとしても、犯罪を起こす人間にとっては抑止力となりにくいからです。

また、もう一つ理由があります。それは、キラが行った行為(犯罪を犯した人間を死に追いやる)は、刑法の犯罪抑止力の延長線上にあるもので、決して目新しいものではないからです。極端に言えば、キラの行為は現行の刑罰をより厳しくしたもの(例えば、万引きでも死刑にするとか、そういうもの)でしかないのです。

また、キラがいたところで、戦争がなくなることはないでしょう。パレスチナとイスラエルの関係のように、歴史的にも感情的にももつれてしまった糸は、デスノートではときほぐすことはできません。

その考えは、僕を打ちのめします。「この世界には神はいない。救いがたいものだ」ということをあらためて認識させられます。

しかし、一方でこういうことも思うのです「この世界にデスノートはない。そんな便利な道具はない。だとすれば、一歩一歩人間は理想とする社会になるよう進んでいくしかない」それはポジティブで、正当な考え方です。

ライトのように、犯罪を減らそうと考えたとき、我々デスノートを持たない一般の人間は、犯罪が起こる背景を詳細に分析し、原因を捉え、それを踏まえた上での的確な防止策を練るしかないのです。


「デスノート」という作品は、僕にそんなことを考えさせてくれた、いいテキストでした。



2007年03月04日(日) 僕+A+M<3

前日、3月3日の深夜11時頃、僕は中学時代の友人AとMに「これからお茶しないか?」と連絡を取った。
こいつらなら絶対まだ起きてるし、暇なはずだという読みがあった。
予想どおり、OKの返事がすぐに返ってきた。
そして、近くのジョイフルで待ち合わせしようということになった。

僕はすぐに身支度を整え、ジョイフルに向かった。
絶対こっちの方が早く着くと思っていたのに、僕が着いたときにはもう二人はジョイフルの前でぶらぶらと待っていた。

僕は待たせたことを詫び、店内へと入った。

土曜日ということもあってか、深夜にもかかわらず客は多かった。周辺に24時間オープンしているレストランが少ないことも原因かもしれない。

僕らは今年の1月2日にも同じように深夜に会っている。
偶然、今日僕らが座った席もその日と同じ席だった。

僕は二人の近況を聞いたが、特に変わりはないようだった。前に会ってから2ヶ月しか経っていないのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
Aは相変わらずニート。Mも相変わらずフリーターをしていた。

話していて気が付いたのだが、Aは自分のどんな恥部もさらけ出して話すが、Mは逆に自分の話はなるべく避ける。
今日、Mが実は大学を中退していたという話を聞けたのは、おそらく奇跡的なことだったろう。

僕の目から見て、二人は「一般人」の枠内から少し外れているように思う。

Aはニートだということもあるが、思想的なところで独自なものを持っているし、Mは(詳しい話は聞けていないが)趣味が変わっていて他者とうまく溶け込むことが苦手だ。

そんな二人とうまく交わることができている僕も、もちろん一般人ではないのだろうと思う。「類は友を呼ぶ」とはよく言ったものだ。

そんな三人が集まって何を話すのかというと、これが案外真面目な話だから面白い。

自分の人生観や最近のニュースについて思うことを、だらだらと話すのだ。

まともな社会からはみ出した三人がそんなことを話したってしょうがないのだから、客観的に見れば笑止だと言わざるを得ない。が、僕らにとってはそれが面白いのだがら仕方ない。

会話の中で、おもしろいことを二人は言っていた。「いつかゲームを作りたい」それが彼らのささやかな願望らしい。
Aの話では、Aの友人にプログラマーはいるので、後は脚本家とプロデューサーがいれば何とかなるのではないか、ということだった。
「でもまあ、脚本家は見つかったかな」
Aは言う。
「誰?」
と答える僕をAは指差した。
僕に脚本を書けということらしい。
僕は笑って「どんな脚本になっても知らんぞ」と答えたが、頭の中では「やってみたい」という気持ちがもう湧いていた。
自分が脚本を書いたものがゲームになる。想像しただけでも楽しい。

気が付くと、僕らはジョイフルで6時間過ごしていた。

少しだれてきたな、という感じがしていたので、僕は二人をドライブに誘った。午前6時近くのドライブだ。

二人は断らなかった。二人ともこの学生時代のような羽目を外した遊びが面白かったのだろう。

その後、僕らは一宮から22号線に乗り名古屋へ向かい、名古屋に着いた後そこでUターンし、今度は岐阜の関市まで行った。

車内は、僕が運転手でAが助手席、Mが後部座席という配置だった。

自然に僕とAが話す機会が増え、Mは主に聞き役に回っていた。Mにとってはその方が気楽だったろう。

ドライブの最中、Aは深刻なことをさらりと言った。
「おれは後14、5年経ったら自決するつもりだ」
それがAの人生設計らしい。
「おれは自決するときすぐに死ぬ方法は取らない。じっくりと死というものを味わって死にたい」
そうAは言う。
Aは、このまま生きていればやがて生活できなくなることを自覚しているのだろう。Aは「おれはそうしたいからニートをしている。覚悟はできている」と以前言っていた。
何とも言い難い、破滅的な人生だが、もしかしたらそれがAらしさなのかもしれない。
Aは非常に腕のいい絵描き(二次元のみ)だが、芸術のセンスが優れている人間はなぜこうも歪んだ人が多いのだろう(僕の偏見だろうか?)。

ドライブの終わり、二人を家に送ったとき、Aは車を降りるときにこう言った。
「じゃ、近いうちにまた」
またすぐにでも会いたい友人として認めてくれたということを、暗に言っているような気がした。

Mとは普通に「じゃ」とだけ言って別れた。
Mと僕とは連絡を取っていなかっただけで、もともと中学時代から仲が良かったから、友達だと今でも互いに思っているはずだ。Aのような表現をしてさよならを言う必要はない。

僕が家に戻ってきたのは、9時を少し過ぎていた頃だった。

ほぼ12時間、僕らはずっと会話を続けていたことになる。
よくそんなに話すことがあったものだ。

次に会うのは夏休み、お盆辺りになるだろう。
そのときが今から楽しみだ。



2007年03月03日(土) 恩師とお茶。友人とお茶。

昨日から、僕は愛知県の実家に帰ってきている。

職場復帰が決まったことや結婚式の日取りが決まったことの報告、それに結婚式に呼ぶ親戚の範囲をどうするかの相談のための帰省だ。

まあ、どれも電話で済ますことのできるものだけど、会って話した方が話が進みやすいし、事のついでに友人に会うこともできるので、そうしたまでだ。

それらの用事は、昨日の晩ご飯の間に全て終わった。
結婚式についての両親の考えは分かったので、後はそれを参考に自分たちの考えで事を進めればいい。


お昼過ぎに、僕は高校時代の友人Yと一緒に、僕らの高校時代の部活の顧問だった先生とお茶をした。

場所はコメダ珈琲店。僕は初めての入店だった。(名物のシロノワールは食べなかった。今度実家に来るときは食べようと思う)

そのT先生のことを、僕ら高校時代の仲間内では「親方」と呼んでいる。
中背だがでっぷりと太っている風貌が、何となく土方の親方のようだったから出来たあだ名だ。
そのあだ名を考えたのか誰なのか、今はもう覚えていない。……たぶん、僕なんだろうと思う。僕は周囲の人間にあだ名を付けるのが得意だった。

親方と再会するのは8年ぶりくらいなのだが、親方は殆ど変わっているように見えなかった。
親方は顔や体も丸いが、性格はもっと丸い。
生徒思いのいい先生だ。

久しぶりの会話は楽しかったが、何を話したかはもう覚えていない。
でも、それでいい。会ったということが重要なのだ、と思う。

その後、僕とYはこれまた高校時代の部活仲間のMの家にお邪魔した。
Mは既に結婚していて、子どももいる。ついでに、家も持っている。中古住宅だが、アパート暮らしの自分と比べると羨ましい限りだ。ま、人は人、自分は自分だけど。

Mの子どもは生まれたばかりだが、健康そうで何よりだった。
僕の姉の子どもが障害児なので、子どもが健康であることの幸せは、他人より少しは理解しているつもりだ。

会話の殆どは他愛のないものだったが、一つだけ、気になること、というか、これから考えないといけないことについては真面目に話し合った。

それは、毎年恒例になっている、大晦日の日に行っている部活仲間の集いのことだった。

その集いは高校在学中から続いているから、過去12回行っている。一大イベントといってもいい。毎年、大晦日の日はオールナイトで遊ぶのが僕らの過ごし方だった。

それが、ここ数年、仲間の結婚や出産で参加人数が減ってきているのだ。
実際、去年は僕を含め3人しか集まらなかった。
そして、ついに今年はもうその集いが出来ないところまで来てしまった。
僕が今年中に結婚するために、さらに参加人数が減るからだ。

僕らは話し合って、とりあえず今までの集いに変わる何かをしよう、ということに決めた。
具体的な結論には至らなかったが、今後話し合おうということになった。


今日は恩師との旧交を温め、友人一家との親睦を深めた、有意義な一日だった。



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