銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2007年01月24日(水) リンが家にやってきた。

今年1月10日に飼っていたフェレット(名前はウリ)が天に召されてしまった。

ウリを失ったことで、僕は自分でも驚くほど強いショックを受けた。
失って初めて、自分がどれほどウリのことを好きだったかを思い知った。


ウリが生きている間、僕の頭の中はいつもウリのことでいっぱいだった。
それはウリが排泄をトイレでうまくすることのできない、手のかかる子、だったからだ。

ウリが起きている間、僕はいつウリが排泄するかどうか、気になって仕方がなかった。
排泄しそうになったらトイレに誘導して、トイレというものを覚えさせなければならなかったからだ。

フェレットは大体3時間ごとくらいに排泄をする。
角にお尻をすりつけるようにして排泄する習性を元々持っているので、プラスチック製の直角三角形型のトイレを角に起いてやれば、大抵の子はそれほど特にしつけをしなくても、勝手にトイレの中で排泄をするようになり、やがてトイレという存在を意識するようになり、トイレ以外の場所で排泄をしないようになる。

ウリは可愛らしい顔つきをしていたが、トイレのことについては全く持って「アンポンタン」としかいいようがないほど物覚えが悪かった。
むしろ、トイレの中ですることを嫌がるくらいだった。

生前、僕はトイレを全然覚えないウリに腹を立てることもあったし、実際にしかりつけたことも何度もあった。

ウリのトイレのことに神経質になりすぎて、買い物に行くのもためらうこともあった(買い物している間に排泄すると困るので)。

だけど、ウリは僕によく懐いてくれた。
僕のお膝の上や、服の袖の中でスヤスヤ眠ってしまうこともよくあった。
それはきっと、本当に小さな頃から(生後2ヶ月)飼っていたことも影響したんだろうと思う。


ウリがいなくなって、ゲージの中はソラという名前のフェレット一匹になった。

ソラはとても賢いフェレットで、トイレを外すことは99%ないし、人の顔色を見ることもできる(僕の機嫌が悪いときは近づいてこない)、結構すごいフェレットだ。

当然、そんなフェレットなので、手のかかることは全くない。

それはとてもいいことなのだけど、ウリがいなくなってみると、何もしなくていいということが、僕にとってすごく寂しいように感じるようになった。

それに、ソラ一匹だけにしては、今持っているゲージはとても広すぎるような気がした。(ゲージの大きさは縦50cm×横80cm×高さ80cm。多分フェレット用ゲージとしてはかなり大きい方)

それから、ソラも一匹だけでいるのは寂しいのではないか、とも思った。


そんな思いから、僕はどうしてもまたフェレットをもう一匹飼いたくなった。

ウリを世話していて初めて気が付いたことを、ウリにしてあげることのできなかったことを、今度こそ実践したいと思った。

そう思い始めてから、僕はアパートの近くにあるペットショップに頻繁に通うようになった。
そこには、輸入されたばかりのカナディアンフェレットが数匹売られていた。

僕は毎日そのフェレットたちを観察して、どの子なら自分でうまく世話をできるかどうかをよく考えた。

ポイントは、うまくトイレができるかどうか、だった。

トイレができない子は、しつけをしなければならないという負担がかかってくるし、トイレ砂の上に糞尿をしないと、トイレ砂の臭い消し効果が効かないので、部屋中が糞尿臭くなってしまう。
ずっと部屋にいて、糞尿をしたらすぐに片付けられる環境に飼い主がいるならいいが、僕は近く職場復帰する予定なので、それはすることができない。
それに、正直に言って、トイレに排泄してくれないときは、その子に腹が立つ。もともと精神的に疲れているときには、そのことで叩いてしまうこともある(ダメ飼い主のすることだけど)。
癒されるはずのペットがストレス源になってしまっては、ペットを飼う意味がない。

しばらくの間通い続けた成果が出て、どの子がトイレがうまいかどうか分かるようになった。


そして今日、僕はそのトイレがうまい子をペットショップから買い受けた。

その子はまだ小さく、生後2ヶ月くらいしか経っていない子だった。

とても元気で、やんちゃそうな子だった。
かみ癖が強く、指を本気で噛んでくる子だった。

毛色の種類はセーブル。特に四本の足の部分が色が濃く、茶色ではなく黒色をしていた。

名前は「リン」にした。
由来は、大したものではない。
「クー・フーリン」という、ケルト神話に出てくる英雄にちなんだものだ。
とはいっても、僕はケルト神話に明るくないので、「クー・フーリン」がどんな人物だったのかは、よく知らない。
勇ましい人物だったということだけは知っている。
クー・フーリン自体は短命だったが、リンは長生きしてくれればと思う。

リンをカーゴから出すと、僕の手のひらの上でじたばたと暴れた。
暴れても、僕の手の中にすっぽり入るくらいの大きさしかないので、ふわふわした毛が皮膚に当たって気持ちがいいだけだ。

今、自分の置かれた状況がよくわかっていないのだろう。床に離すと、不思議そうな様子で部屋中のものを嗅いで回った。

ソラと仲良くできるように祈りながら、リンをゲージに入れた。
ゲージに入ると、いつもと違うハンモックに違和感を感じたのか、しきりに臭いを気にしていたが、しばらくすると、すやすやと眠りについた。

ソラの方は、その新参者を気にする風でもなく、マイペースで動いていた。

リンをうまく育てることができますように。

僕は布団に入って寝るとき、リンがうまく育ちますように、と天に祈った。



P.S

2月26日にWEB拍手をくれた方へ。
ありがとうございます。
何のテーマもない日記ですがこれからもよろしくお願いしますm(_ _)m



2007年01月10日(水) 僕とウリとウリエル

僕の家には、フェレットが二匹いる。

名前はソラとウリ。

ソラは賢くて思慮深く、ウリはおバカさんだが優しい性格だ。

僕は一人暮らし。

僕の彼女は仕事が終わった後、毎日アパートに来てくれるが、平日の日中、僕は一人ぼっちだ。

そんな僕の寂しさを、ソラとウリは癒してくれる。

賢くて温かく、遊び相手になってくれる哺乳類のペットは、本当にかわいい。まるで家族のように思えてくる。


ソラとウリはそんな存在だったが、ウリは去年の年末辺りから体調を崩していた。

元気がなく、食欲も減り、おしっこもウンチもトイレでできなくなっていた。

もともとトイレがうまくない子ではあったが、フェレットが自分の寝場所であるハンモックの上でおしっこやウンチを漏らしてしまうというのは、フェレットを飼っている人なら誰しも知っていることだが、普通ありえないことで、それだけ調子が悪いことを意味している。

実は、その前から、ウリの体には異変が起きていた。
飼ってからしばらくすると、下半身麻痺のような状態に陥ってしまっていたのだ。

獣医に見てもらったが、その原因は分からなかった。
レントゲンも撮ってもらったが、骨に異常は見当たらなかった。


今日、僕は夕方頃、急に眠くなって布団で寝ていた。

彼女がアパートに帰ってきた音で、やっと起きたという状態だった。

起きた頃には、もう午後七時を回っていたと思う。

起きた後もしばらく僕は、布団の中で横になっていた。

すると、隣室から彼女の声がした。

「ねえ、ウリがおかしいよ」

僕はぎこちなくなっている体を動かし、ウリのいる部屋に行った。

彼女はウリをゲージから出し、腕に抱いていた。

僕はウリを彼女から受け取った。

ウリを触った瞬間、僕はまずいと思った。ウリの体は冷えていた。体温が下がっていたのだ。そして、呼吸も浅く早く、ぜいぜいと喘いでいるかのようだった。

目に元気がなく、だらりとしている。

獣医に診せようと思ったが、もう動物病院はどこも閉まっていた。

僕はなるべく体温を上げるために、ウリに厚手のタオルを被せ、ハンモックに戻した。

獣医には明日すぐに診せに行こうと思った。

彼女との食事を済ませ、彼女が帰った頃にはもう午前0時近くになっていた。

ウリの状態は一向によくなる気配を見せない。

心配だったが、どうすることもできない。

僕には見守ることしかできなかった。

僕はフェレットたちがいる部屋の事務机の椅子に座ってウリを観察していたのだが、急に眠気が襲ってきて、気が付くと眠ってしまっていた。

起きたのは午前2時30分ころだったろうか。

ウリの様子を見ると、もうウリはピクリとも動かなくなっていた。

僕はゲージからウリを出して、いつもしているように、ウリを胸に抱いた。

低かった体温がますます低くなっていて、ひやりとした。

目は半眼になっていたので、そっと閉じてやった。

眠るように逝ったのだろうか。目を閉じてやると、ただ眠っているようにしか見えない。

僕はウリの死に直面して、しばらくの間、ただ呆けたように椅子に座ってウリを抱いていた。

生命の入っていないウリの体を、生前と同じようにあれこれと動かしてみた。ウリは体温が低いだけで、いつもと変わらないように見えた。

でも、死んでしまったことは事実なのだ。

受け入れがたい現実だったが、受け入れて、やるべきことをやらなければならなかった。

もう随分と夜遅くなってしまっていたが、彼女に一報し、ウリの体は袋に入れて外にある倉庫へとしまった。

倉庫へとしまうのは可哀相だったが、保存のことを考えると仕方がなかった。翌日、どこか良い場所に埋めてやろうと思っていた。


後になって思えば、もっと頻繁に獣医に見てもらえばよかったとか、もう少し丁寧に観察すべきだったとか、いろいろな後悔が脳裏をよぎったが、もう後の祭りだ。

ウリには申し訳なかったと思う。


そもそも、名前がいけなかったとも思った。

ウリは、別に体型が瓜に似ていたから、とうわけではなく、熾天使ウリエルから採ったものだった。

天使の名前を付けてしまったために、神の下に早く呼ばれてしまったのだろうか。それとも、ウリエルという大天使の名前を勝手に使ったために、神の怒りを買ってしまったのだろうか……。

どちらにせよ、ウリは旅立ってしまった。

もう一緒に遊ぶことも抱っこすることもできない。

ウリは幸せだっただろうか……?
僕のことを恨んでいるだろうか……?

幽霊になってウリが僕の前に現れたら、僕はまず「ごめんね」と言いたいと思った。



2007年01月03日(水) 蓬莱軒に行ってきました。

今日は1月3日、いわゆる正月三が日の最終日だ。

去年の同じ日の日記を見ると、こう書いてあった。

「今年の自分のテーマを漢字一文字で表すなら、きっと「再」ということになるんだろう。3月か、4月くらいには、仕事への復帰が待っている。仕事人として「再生」するのだ。今度は、強いハートをもって仕事に臨めるようにしたい」

そのときは、まさか入院するまでうつが悪化(というより、もともと自分が思っていた以上に症状が重かったのだろう)するとは夢にも思っていなかったことがよく分かる文だ。
見ていて苦笑するしかない。

ただ、テーマが「再」だったことは確かだ。

壊れて崩れていった体を、少しずつ、本当に少しずつ、パズルのピースを一つ一つ嵌めていくような日々だった。

今、そのパズルは80%近く出来上がっている、と思う。
残りは後少し。
今度こそ、あせらず完成させたい。


さて、僕の実家の愛知の空は、今日も晴れていた。
石川県の冬とは大違いだ。
特別寒くもなく、出かけるにはいい日だ。

僕がベッドから目を覚ましたのは昼過ぎだった。

朝起きられなかったのは、前日の夜から今日の朝まで中学時代の友達と遊んでいて、寝たのが午前8時近かったことが原因だった。

今日は大学時代の友達と夕飯を一緒に食べる約束をしていたので、寝過ぎなくてよかったとほっとした。

今日集まるメンバーは僕を含めて全部で5人。

僕一人が男で、後は女性だ。

僕はどちらかと言うと女性と話す方が気楽に話せるので(ただし30代後半の女性は苦手)、男女比は特に気にならなかった。

なぜ女性と話す方が得意なのかというと……たぶん、僕が半分おカマだからだろう(笑)

それはさておき、皆の集合時間は午後6時ということになっていたのだけれど、僕とUちゃんとTちゃんはその時刻より一足早く合流し、名古屋のパルコで買い物をすることにした。

パルコで時間を潰したのは訳があって、今日皆で一緒に食べようと決めているものは「蓬莱軒」というお店のひつまぶしだったのだけれど、そのお店がある場所がパルコの隣にある松坂屋だったからだ。

僕は、ひつまぶしを食べることも楽しみだったけれど、それ同じくらいに楽しみだったのが、そのパルコでの買い物だった。

僕は、今日の時点で、僕が持っている上着に合うズボンを二着しか持っておらず、せめて三着にしたいという思いが募っていた。そこでこの冬、新しいズボンを求めて必死に金沢中の服飾店を回ったのだが、ついにどこのお店でも気に入るものが見つからなかった。

がっかりしていた僕だったが「でも金沢になくても名古屋なら」と、名古屋のパルコにある僕が好きなブランド「キャサリンハムネット」の服飾店にいいものがあることを期待をしていたのだ。

パルコに入ると、僕は早速「キャサリンハムネット」に向かった。

UちゃんとTちゃんは僕と一旦別行動を取ることになった。
僕が服を見ている間、他の店を回ってくるということだった。

金沢にはキャサリンハムネットの専門店はなく、ただセレクトショップでわずかな種類が売られているだけなので、僕は専門店であるというそのお店に大きな期待をしていた。

きっと、これが本当のキャサリンハムネットなんだ!、と驚かされるに違いないと思っていた。

しかし、実際行ってみると、僕の期待はすぐに失望に取って代わった。

お店の中には、冬の大バーゲンということでたくさんの商品が置かれていた。というより、散らばっていた。

まあ、それはいいとしても、品揃えの悪さには閉口した。

(僕が思っているイメージの)キャサリンハムネットの服は全然なく、何だかバーゲン用に売れ残りの品を集めてきただけの、フリーマーケットのようだった。

当然、いいズボンなどあるわけもなく、数分で僕は店を出た。

来た時期が悪かったのだろう。そう思いたかった。

その後、UちゃんとTちゃんと合流し、しばらく後にSとIちゃんと合流し、全員揃ったところで目的地の蓬莱軒に向かった。

午後6時少し前だったが、店の前には30人近くの人が並んでいた。
そこまでの人気とは知らず、とても驚くとともに「これだけ人が並んでいるのだから」と期待も高まった。

一時間くらいは待つかな、と思っていたが、客の回転が早いらしく、30分くらいで店内に入ることができた。

僕とSは「うなぎだけ大盛り」を、他の三人は普通のひつまぶしをオーダーした。

それで、味はどうだったかというと……。

○、だった。

天然ものと思われるうなぎは肉質がよく、たれは香ばしく、量も十分。
お米もおいしく、並んで食べた甲斐はあったと思う。

もっと味について記録しておきたいところだけど、僕は舌が肥えておらず、文才もないので、残念ながらそれができない。

まあ「おいしかった」とだけは、はっきり言えると思う。

ただ、個人的には、以前食べたことのある「いば昇」のひつまぶしの方がおいしかったような気がする。

ひつまぶしを食べ終わると僕らは近くにある飲み屋に入った。

飲み屋の中はほの暗く、話しやすい雰囲気だった。

そこで皆の近況や職場のこと、今思ってることなどが聞けた。

今日集まった女性のメンバーは全員独身だったが、4人いるうちの3人は結婚について非常に興味を持っていることが会話を聞いていてよくわかった。
いや、興味を持っているというよりも、彼女らにとっては至上課題であるらしい。

三十路が近づくと、彼氏のいない独身女性は結構焦るものらしい。
(三十路をだいぶ越えると、今度は結婚を諦めるらしい)

かしましい女性陣の中、僕は隅にひっそりいただけだったが、楽しかった。

今回の集まりの言いだしっぺは僕だったが、また来年もこのメンバーを集めようかな、と密かに思った。


それにしても、Iちゃんが参加してくれたのは僕には嬉しいサプライズだった。

大学時代から、Iちゃんは僕にとっての「アイドル的存在」で僕は彼女の「ファン」だったから、今日のように普通に友達として話せることはハッピーなことだった。


でも今日一番ハッピーだったのは、皆と会えた、そのことだった。
(クサイけど、ほんとにそう思った)



P.S

23日にWEB拍手をしていただいた方へ。
こんなつまらないものを読んでくださってサンクスです!
これからもつまらないですがまた読んでください!



2007年01月02日(火) 何者にもなりたくない、ですか、そうですか。

1月2日という日は、何だか中途半端な日のような気がする。

元旦ほど正月だという実感が湧かず、かといって3日ように正月が終わるのだという感傷に浸るような日でもない。

宙ぶらりんの、持て余し気味の日のような気がする。


僕は昼ごろに目を覚ました。
家族はちょうど外食がてら買い物に行くところだったので、僕もそれについていった。

行った先はダイヤモンドシティキリオというところだった。
ダイヤモンドシティは近年になってできた大型ショッピングセンターで、幅広い年齢層に受け入れられるように、センター内外には実に様々な店舗が軒を連ねている。

僕らはまず腹ごしらえをするために、サンマルクカフェ、という店に入った。

ここは焼きたてパンがバイキング方式で食べることのできるところで、僕のお気に入りの店の一つだ。

ちなみにサンマルクカフェは金沢にもあるが、同じような形式の店ではない。おそらく、客層を考えてその土地にあった形式が採られるのだろう。
正直に言って、僕は金沢にあるサンマルクカフェよりも、そこのサンマルクカフェの方が好きだ。
そこの方が、より安価で、しかも満足度の高い料理を食べることができるからだ。

僕が頼んだメインディッシュは鴨肉のロースト。
僕は鴨肉に目がない。

厚くスライスされた鴨肉をほうばり、それを噛むとおいしい鴨の味がふわっと口の中に広がる。そしてその感触もたまらない。

パンは8個くらい食べただろうか。
数え切れないくらいたくさん食べたので正確な分からない。

食事を終えると、父親は衣服が置いてあるところに行き、妹はゲームセンターに向かった。

妹は「太鼓の達人」が大好きで、ゲームセンターがあるところに行くと、一回はプレイしないと気持ちが治まらず、駄々をこねるらしい。

僕は妹のプレイぶりを見ていた。

妹はやや自閉症気味で、障害者と言っていいほどの知能(いわゆるボーダーの子)しかないので、ゲームでも何でも、あまり上手ではない。

とはいえ、そういうことは本人にとってはどうでもいいことで、自分自身が楽しめればそれでいいらしい様子だった。

僕はゲームセンターの中をぐるりと回ったが、特にやりたいゲームはなかった。昔はゲームセンターを遊び場天国のように思っていたが、今は何の感動も感じない。どうして昔はそんなにゲームセンターが好きだったのか、考えてみると不思議だ。

妹がゲームをやり終えた頃になると、いつの間にか家族全員がその場に揃っていて、そのまま帰ることになった。

家に着いた後、僕は少し寝た。そして起きるころには夕飯が出来ていたのでそれを食べた。

その後、僕は中学時代の友人Mにメールを送った。今暇だったらちょっとお茶でもしないか、という誘いのメールだった。

Mから返事が来た。いつでもいいよ、ということ内容だった。

じゃあ今からそっちへ向かうよ、とメールを送って僕は家を出た。

MはAの家に遊びに来ていた。Aも僕の中学時代の友人だった。MとAはお互いの趣味の方向性が似ていた(二人ともアニメや漫画好き、悪く言えばオタク)ので、とても仲がよく、毎日のようにつるんでいるらしかった。

僕はMとAを僕の車に乗せ、近くのジョイフルに向かった。

ジョイフルはご飯を食べに来る店としてはどうかと思うが、ドリンクバーだけを頼んでたむろするにはいい店だ。

僕ら三人は、午後9時から午前3時半まで、実に6時間半もの時間、そこでとりとめのない話をずっと続けた。

まあ誰しもそうだろうけど、そこで話した内容は本当にどうでもいいようなことばかりだった。逆にどうでもいい話をそれだけの時間続けられたのは、ある意味すごいことなのかもしれない。

話の内容は、もう殆ど忘れてしまった。
お互いの人生観や、最近のニュースの話、今その場にいない共通の知人の話などをした気がする。

その会話の中で僕の印象に残ったのは、Aが言った言葉だった。

それは「おれは何者にもなりたくない」というものだった。

Aはいわゆるニートで、仕事を殆どしない人間なのだが、そういう状態に敢えて身を置いているのは、それが理由らしい。

そう、Aは「敢えて」確信犯的にそうしているのだ。

そのAの考え方をAに直接どうこう言うつもりは、僕には全くない。

それを聞いても僕は「そういう人間もいるんだな」と少し驚き混じりで受け止めるだけだ。

ただ「なるほどなあ」と合点がいったのは、そういう意思を実践しようとすれば当然Aのようにニートになるより他はないのだろう、ということだった。

人は社会で生きていくのに、お金を稼いでいくのには、必ず「何者かにならなければならならない」。それは自明のことだ。

ある人は車の整備士に、ある人は看護師に、ある人は消防士に、警察官に、公務員に、ファイナンシャルプランナーに、教師に、プログラマーになる。とにかく、何かしらの「者」になって生きていく。

Aはそれが嫌だというのだ。

Aいわく「おれはおれのままでいたい」

Aが考える「おれ」とは何なのか、何者かになるということは「おれがおれでなくなる」ことになると本当にそう言えるのか、疑念は湧いたが、そこを深く突っ込んでいくような野暮なことはしなかった。

30歳近い大の大人がそう言うのだ。本人にしか分からない背景を背負っているのだろう。

とはいえ、いつかその背景も深く聞いてみたい気はする。

ジョイフルを出て、僕らは行く当てもなくドライブをした。

ドライブの最中も、話すことは下らないことばかり。
でも、それがいい。

結局、僕が家に帰ったのは午前6時半頃だった。

昼夜が逆転してしまうな、と思いつつ僕はベッドに潜り込んだ。




P.S

2月14日にWEB拍手してくださった方、大変ありがとうございます。
とても嬉しかったです。
御礼を言うのが遅れてすみませんでした m(_ _)m
(この文を見ていただけることを祈ってます)



2007年01月01日(月) ああ、元旦なんだなあ。

今日は元旦。

元旦の日の朝食は、我が家では特別なものとして扱われている。
まあ、大抵の家庭はそうなのかもしれないが……。

特別、といっても、それほど大したものではない。
ただ、全員がテーブルについて、朝食の前に日本酒をお猪口に注ぎ、「あけましておめでとう」と皆が同時に言って、一杯やるだけだ。

僕は大晦日から徹夜をしているので、朝食の間も眠くて眠くて仕様がなく、さっさと食べ終わると、二階の自分の部屋に行ってすぐに寝てしまった。

起きたのは午後5時頃。完全に昼夜逆転してしまったわけだ。

去年は元日早々中学時代の友達に会いに行ったが、徹夜明けの今年はそうする元気は出てこなかった。連絡すれば、多分会うことは可能だっただろうけど……。

空いた時間を有意義に過ごそうと思ったが、駄目だった。
起きてからもずっと眠気が取れず、夕食を食べるとまたすぐ寝てしまった。

何も考えずに寝た。考えるのも面倒に感じたからだ。

結局、僕は元日のほとんどを寝ることに費やしたわけだ。

これほど元日らしくない元日を過ごすのは人生で初めてかもしれない。
今年の元旦は、僕にとってただの一日でしかなかった。

新年になって気持ちを新たに……という気分でもない。

僕のうつは徐々に良くなっているものの、依然として残遺症状が残っていて、本を読むのも一苦労、考え事をするのも一苦労だ。

気持ちを新たに、と言ってすっぱり気分が変われるのならば、僕のうつはとっくに治っているだろう。

寝る直前、僕が寝ている部屋のデスクの上に、小さな鏡餅が置いてあることに気が付いた。そういえば、一人暮らしになってから、鏡餅を買ったことが僕にはない。

「正月か……」

と、しげしげと鏡餅を見た。

ああ、餅が食べたい。

そう思いながら、僕は眠りについた。




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