銀河鉄道を待ちながら
鬱と付き合いながらの日々を徒然に

2005年07月23日(土) ちょっと振り返る

今はお昼過ぎだが、今日はまだ何もしていない。

掃除、洗濯など家事でやらなければいけないことはたくさんあるが、そのままにしている。

こうやって日記を書きながら、東京に来てからの3ヶ月と少しの間を、ちょっと振り返っている。

わずかの間にいろんなことがあったような、逆に何もなかったような、不思議な感触がある。

こちらに来てからしばらくの間、石川にいるときよりも飲みに行くことが多くなっていた。主に仕事の同僚とだったが、今月からは少し減った。

土日に、池袋や新宿、銀座などに遊びに行くことも多かった。

何かをしている時間というのは、格段に増えた気がする。

だからこそ、自分の中に充実感や満足感が十分にないことに違和感を感じる。

一体、何が原因なのだろうか?

仕事がうまくいってないからだろうか?仕事の質が全く変わったせいで、ストレスを感じていることは確かだ。

緊張で食事が喉を通らない時期が続いたこともあった。一日3食とっていない日の方が多くなった。体重も減ってしまった。

住環境が変わったせいだろうか?今まで住んでいたところが快適だっただけに、東京での不便な生活に不満を感じることは多々ある。

でも一番大きな原因は、こうやって日記を書いたり、本を読んだりする時間がなくなったことのような気がする。

人付き合いが嫌だということではなくて、自分を見つめるというか、自分を表現する時間というのが、自分にとって大事だということにあらためて気が付いた、といったところだろうか。

「同僚と飲んだりする時間が自分を表現する時間になれば、こんなに楽なことはないのに」
と思わないわけではないけど、そこはそれ、世の中をうまく渡っていけるように出来ている人と、不器用な人と、いろんな人がいるということなんだろう。






2005年07月17日(日) 人体の不思議

連休だったので、石川県に帰った折、金沢市が誇る「21世紀美術館」に立ち寄った。

目的は、ちょうどこの時期開催されている「人体の不思議展」だった。

「人体の不思議展」は、今回の金沢での開催以外にも、これまで各地で多くの入場者を集めた有名なイベントで、どんな内容かと前から気にはなっていたので、これはいいチャンスだと思っていた。

その日は晴れていたこともあり、美術館は家族連れ等で賑わっていた。

驚いたのは、「人体の不思議展」にも家族連れの人たちが多かったことだ。
そこに展示されているのは、正真正銘本物の「人体標本」で、人間を縦割りにしたものや、横割りにしたもの、内部構造を見やすいように、かなりエグイ角度で割られた頭などである。

小さなお子さんは、ショックを受けないのだろうか……?
様子を見ていると、案外子どもの方が何も考えずに興味津々にじっくりと見ている気がする。

自分はというと、10分でギブアップ。

「自分もこうなっているんだ……」

と内臓やら脳みそやらを見ているうちに愕然としてしまって、胃がむかつき始めてしまった。

出口付近で、脳みその活用状況と骨の密度の検査を有料で受けられる催しがあったので、せっかくだからと受けてみたところ、結果は最悪。

脳みそは普通だったが、骨密度は80歳クラスで、「精密検査が必要」とのコメントが記載されていた……。

まあ、今みたいに食うものも食わず、寝ず、運動せずの暮らしをしていたらそうなるわな。
と納得する。



2005年07月09日(土) サイドビュー

友人Tが主役として出演する劇を見に行った。

狭いところだとTからあらかじめ聞いていたので、劇場の小ささには驚かなかったが、思いのほか観客が多かったせいで、急遽舞台の真横に用意された小さなパイプ椅子の座席から劇を見ることになったのには驚いた。

普通の劇場なら、舞台は最前列の観客席より一段高くなっているはずなので、真横に席があるということ自体が考えられない。

舞台と客席にはっきりとした境界線がない、その劇場ならではのハプニングだったのだが、おかげで、役者と観客の両方を同時に視界に入れながら劇を見るという、劇団関係者でもない限りめったにできない経験をさせてもらった。


劇の内容も、最初描いていたその劇に対するイメージをいい意味で裏切ってくれて、意外性があってよかった。


今回の経験は、劇を見る視点の幅を広げてくれたように思う。











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