綿霧岩
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2017年09月26日(火) オリジナルバランス

素敵な人はいっぱいいる
素晴らしい人はいっぱいいる
こんな人になりたいと憧れて
どうしてこうなれないんだろうと思ってみたりもする
だけどね
素敵な人たちが素敵なのは
その人が一番輝けるその人だけのバランスを取り続けようとしてるからなんだ
だから誰かになろうとするんじゃなくて
私は私のバランスを探そう
あなたはあなただけのバランスを探すんだ
それは他の誰にもできない
私だけの
あなただけの
一生という一瞬の光


2017年09月13日(水)

「こ」の方向感覚は抜群です。
いつでも自分がどちらを向いているのか、自分ではっきりとわかっています。
なので「こ」の足並みには、迷いがありません。
特に速くはないけれど、一歩一歩、納得しながら、進んでいます。

リズムは一定ではありません。
それはゆっくりになったり、急ぎ足になったり、突然止まることもあります。
場合によっては、その停止はずいぶん長い場合もあります。
はたから見たら、もう二度と動くことはないだろうと思われるぐらいの長い間、止まっていることもあります。

そんなときも「こ」に迷いはありません。
止まっているときも、動いているときも、いつでも深く納得しているのです。

「こ」から始まる言葉は、
「こども」「こま」「こかいん」「こじき」「こうそく」「こうかん」「こくはく」「こりあんだー」
などなど。

「こ」は安定している感じがするので、結構人間にモテます。
「こ」がいると、なんだか安心できるのです。

けれども、「こ」を連れまわしたり、「こ」を自分の思い通りにすることは、
絶対にできませんので「こ」が気になる方はご注意を。

「こ」は誰のリズムにも合わせることはありません。

「こ」は、ただ「こ」であるだけです。


2017年09月12日(火)

「け」の表面は固いです。
なので、「け」の通った所には、跡がはっきりついています。
地面が削れていたり、えぐれていたり、木の枝が折れていたり、果実から汁が出ていたりします。
さらに、そういう自然豊かな場所では、「け」は普通に歩いたりはしません。
どういうわけか、ぴょんぴょん飛んだり、またはずっと着地したまま一本の線を引くように前進します。

そんな「け」を、ちょっと怖いと思う者もいるでしょう。
怖い以前に、とても固いので危険視されることもあります。

「け」から始まる言葉は
「けんさ」「けんこう」「けが」「けいと」「けーき」「けみかる」「けう」「けんか」「けし」「けつえき」
などなど。

なんとなく不穏な雰囲気がある「け」ですが、
「け」の中身が実はとてもやわらかいことをお伝えしておかなければならないでしょう。

そう、「け」には中身があります。
それもとても柔軟で、感じやすく、決まった形のない中身です。

また「け」は、都会のオフィスの中や街の人通りの中では、どういうわけか非常にスムーズに移動します。
どこにも、だれにもぶつからず、床を削ることもなく、音もたてずに静かに移動するのです。

一体どうして、自然の中と都会の中で、「け」は変わるのでしょう?

これは憶測にすぎませんが、もしかしたら、「け」は自分でも自分の気持ちを持て余してしまう思春期の人間のような状態なのかもしれません。

しかしきちんとしたデータではないので、確かなことは言えません。
「け」については、まだまだ解明されていないことが多いのです。


2017年09月10日(日)

はじめは「く」はまっすぐでした。

長い間、まっすぐでした。

あるとき、「く」は思いました。
「つまらない。」
まっすぐであることが、つまらないと思ったのです。

そのときから、「く」は曲がることを始めました。
少しずつ、少しずつ。

兎に角長い間まっすぐだったので、「く」にとって曲がることは、とても難しいことでした。


「く」から始まる言葉は
「くうき」「くつ」「くし」「くろう」「くき」「くるま」「くま」「くんだりーに」「くち」
などがあります。


あるとき、「く」は疲れていたせいか、勢い余って思いっきり曲がってしまいました。
すると、なんと「く」はまたまっすぐになってしまったのです。
「なんということだ。これじゃ何もしなかったのと同じじゃないか。」

そのとき以来、「く」はとても慎重になりました。

今では立派に毎日、毎分、毎秒ごとに、そのときに最も適切な曲がり具合を細かく調整できます。

「く」に出会ったら、ちょっと気をつけて見てみてください。
少しずつ少しずつ調整しながら、曲がり続ける「く」を発見できることでしょう。
まるで、不思議な回転をする時計の針みたいに。


2017年09月09日(土)

「き」はどこにいるのでしょう?

「き」はかくれんぼが好きなのです。
少し探せば、私たちの近くの暗い所に隠れています。
大きな声で呼んでも、自分から出てきます。
楽し気に、はずむようにして、寄ってきます。

そんなかわいらしい子供のような面を持つ「き」ですが、
「き」は感情表現がはげしいことでも有名です。
さらに、その気分はくるくると変わります。
ニコニコしていたと思えば、激しく泣き出したり、頭から火が噴き出るほど怒ったり、急に何もかもがおしまいのように落ち込んだと思ったら、すべての意味をはぎ取るように笑ったり。

「き」から始まる言葉は
「きず」「きく」「ききみみ」「きるてぃんぐ」「きぐるみ」「きもち」「きむち」「きんだん」「きつね」「きんかん」
などでしょうか。

「き」はいつも暇なので、遊んでいるのです。
子供みたいな「き」は、実はこの世界の歴史と共に何千万年も生き続けている存在です。
世界に生まれるあらゆる感情を「き」は何度も経験し、翻弄され、吟味してきました。

今ではその感情たちは「き」の遊び道具です。


2017年09月08日(金)

「か」は、止まっていません。
スピードが速いです。
「か」を見つけて、あ、「か」だ、と思っている間にいなくなっています。
「か」はとてもとても高い圧力をかけられて動いているので、超高速です。
そして、自分ひとりで止まることはできません。
何かにぶつかったり、「か」を抱き止める者が現れれば、やっと止まりますが、何にも出会わない場合は、永遠に、矢のように飛び続けます。

そんなわけで、「か」は宇宙空間にいることが多いので、宇宙存在だと思っている人が多いのですが、実は違います。
「か」は地上で生まれました。

「か」から始まる言葉は
「かみのけ」「かき」「かい」「かぶ」「かず」「かろうし」「かんこんそうさい」「かじ」「かんむり」
などなど。

実際のところ「か」は、なぜ自分が動き続けているのか、今どこに自分がいるのか、生まれた地上はどんな所なのか、何も知らないのです。
「か」は孤独です。
それでも「か」は「か」であるが故に、飛び続けます。
淡々と。
何かに出会うまで。


2017年09月07日(木)

「お」は「あ」にどことなく似ています。
「お」はまるで、「あ」のお兄さんです。
ちなみに、「あ」は活発な妹です。

「お」は「あ」に匹敵するパワフルさを持っているのですが、決して妹より前に出ようとはしません。
「お」は思慮深く、独自のこだわりというか、美的センスを持っているのです。
そう、「お」はアーティストなのです。
こだわりが強いが故に、ちょっと性格は難しいところがあります。
こだわりのない妹のように素直に楽観的に物事を捉えないので、世渡り下手で、見ている者を歯がゆい気持ちにさせたりもします。
しかしまた、だからこそ、熱狂的ファンがいるのも「お」なのです。

「お」から始まる言葉は
「おか」「おく」「おいらん」「おんがく」「おとこ」「おんな」「おーけすとら」「おや」「おなら」「おくら」「おに」
などなど。

「お」は普段はなんとなくめんどくさい存在として、周囲に認識されていたりもするのですが、
実のところ「お」の底力はとんでもないものがあります。
「お」は自分でも自分の考えていることが複雑で難解だと思っていますが、
結局の所、「お」は常に「世界平和」や「愛」について考えているので、いざという時は「お」の近くにいれば全力で守ってくれます。

今日はそんな「お」のお話でした。


2017年09月06日(水)

「え」。
皆さんは「え」をどのように感じておられるでしょうか。

私は、呼吸や排泄のように、人体から出てくるものというイメージがあります。
とても生理的です。
でも、生理的なだけではなく、一応、意識的に止めてみたり、コントロールしてみることもできる、生理的機能のようです。
例えば血液の循環とか、胃の消化機能とか、そういうものは普通の人間は、意識的に止めてみることはできません。
そういうものとは違って、無意識の領域にも、意識の領域にも、両方に足を引っかけているもの、それが「え」です。

「え」から始まる言葉は、
「えら」「えくささいず」「えんどうまめ」「えき」「えび」「えんぴつ」「えごま」「えんきんほう」
などなど。

「え」は人の生理に寄り添っているので、基本的には人にはとても優しいです。
控え目でさえあるでしょう。
しかし、優しくしてくれるからといって、控え目だからといって、無視し続けていると、ある日とんでもない爆発が起こります。
「え」を怒らせたら、生命の危機ともなりうる、ちょっとすごいことになります。
「え」を大切にすることは、地球を大切にするようなものですから、くれぐれも皆さま「え」を大切にしましょう。


2017年09月05日(火)

「う」はどうも取り止めがありません。
すぐそばにいたと思ったら、果てしなく遠くに行っているような、
まるで魔性の女のように、一つ所に落ち着いていないのです。
私との距離が決定できない、同時にあらゆる場所にいるみたいな、量子力学的な存在、それが「う」です。

「う」ではじまる言葉は
「うちゅう」「うみ」「うま」「うし」「うんどうかい」「うきぶくろ」「うろこ」「うんこ」
などでしょうか。

「う」は「う」であるがゆえに、なかなかその内側を他人にさらけ出しはしません。
ものすごく小さな小さな針穴のような穴から、その中身は漏れ出ているのですが、なにせ小さな穴なので、たとえそれに気づいた者がいたとしても、その全体像は外からは決してわからないのです。

そのわからなさ、マジカルな存在感、ゆえに「う」の虜になる者も、不安を煽られ胸をかきむしる者もいるでしょう。
まさに「魔性の女」です。

でも、そんな取り止めのなさを決して怒ってはいけません。
なんといっても、それが「う」なのですから。


2017年09月04日(月)

「い」は、一見、さりげなく見えます。
しかし実は「い」は、さりげなく見えて、確固たる何かを持っていると思います。

「い」というのは、とても人工的というか、自然に口を開けて声を出しても「い」の音にはなりません。
口の形を意識的に変えて、はじめて「い」になります。
つまり、「い」は知的作業の産物、とも言えるのです。

そう、「い」の持つ確固たる「何か」というのは、「知性」です。

「い」から始まる言葉は、
「いま」「いし」「いくら」「いんたーねっと」「いず」「いご」「いんこ」
などなど。

「い」から私は、「あ」に負けず劣らない強さを感じます。
吹けば飛びそうにさりげないのに、こんなに確固としてるって、よっぽど強いと思います。
何が強いって、その知的度合いです。
宇宙レベルの知が「い」には内包されているのではないでしょうか。
余談ですが、人でもそうですね。
本当に強い人は、強そうにはしません。
本当に偉い人は、決して偉そうにしません。


2017年09月03日(日)

「あ」という言葉を目と耳でおもいうかべた時に、私に浮かぶものは、こちらに向かって口を大きく開けている人の顔です。
「あ」はそれを使う者自身を開くようです。
大きく咲き開いた花のようにも見えますね。
「あ」を向けられたこちらは、花に向かう蜂のように、その中へダイブしていけるような、母性のような女性的な、あたかも聖母を前にしたかのような、許されている感覚さえ覚えます。

「あ」から始まる言葉は何があるでしょう。
「あい」「あじ」「あたま」「あんこ」「あつい」「あめ」「あり」「あき」「あきる」「あきらめる」「あっぱく」「あんず」「あし」「あきなう」「あまがさき」
などなど、今一つ統一感はありません。
しかしどの言葉も、一番始まりに「あ」があって、その始まりの「あ」を言われたその瞬間は、私はこちらに向かって堂々と力強く、開かれている感触を覚えます。
その次からの展開がどうであれ。

そう、「あ」は何だか堂々としているのです。
押しが強いと言ってもいいです。

例えば、「ああ。」とため息交じりに、またはそれを越えて悲嘆にくれた調子で、「ああ!」と叫ぶ人がいたとして、
やはり、それは堂々と世界に対して開いていると感じます。
開きなおっていると言っても良いかもしれません。
余談ですが、落ち込んだ時は、「ああ」と声に出してしまえば、もうこちらのものなのかもしれません。
少なくともその「ああ」は自身を開くことでしょう。
あっけらかんと。


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