綿霧岩
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ちょっと前、この冬はじめて見た雪は、強くて冷たい風と一緒に、上に下に舞いまくっていました。 それは、花びらのようにも、ゴミのようにも見えて、なんだか納得のいく気持ちでした。 日本全国で降っています、とテレビの画面で雪を見たときとは、やはり違う感じがしました。画面で見る雪は、音のない気がしたんです、「死」という概念を形にしたかのように、おもいっくそ静かで冷たくて、時に若人はそれに憧れたりするが所詮生き物はそこに居続けられない、というようなものに思えたんです。それ故に、雪に接したら、自分が、体温があって音も鳴る、ことを実感することだろうと思っていたのでした。
が、直接自分に降りかかってきた、上下左右前後から、雪ひとつぶひとつぶは、音を含んでいるようでした。 とりあえず、花びらでもゴミでも、私と同じ時を、生きているようなのでした。
私は子供の頃、ピンク色が大好きだった。 ピンクでありさえすればその内容や形はどうでもよく、ふりかけからおもちゃ、カーディガンなど、己の目に映るピンク色を、今思えば徹底的にヒイキにしていた。外でたまーに、ピンク色の車が走っているのを見つけたときは、奇跡を見たかのような興奮状態になり、いつまでも目が離せなかったが、車なのですぐに見えなくなり、ピンク車の夢かまぼろし感は募る一方だった。 が、いつのまにか私のピンク熱は冷めていった。 なんの自覚もなく。たぶんその頃は小学生で、まわりの大勢のそれぞれの子供の存在に圧倒されて、それどころではなくなっていたのだろう。 それにしてもいともあっさりと、私は、あれほどまでにピンクを好きだったことを綺麗さっぱり忘れ去っていた。 それどころか、記憶のある限り、好きな色は?と聞かれてピンクと答えたことは一度も無い。 赤、青、黄、緑、紫、橙、黒、白、グレーなど好きな色はそのつど変わったが、ピンクは違う、と避けていたのだ。 完全に、ピンクは私の色ではない、と思っていた。 本当に忘れていたのだ。ピンク色がいちばん好きで、特別だったことを。 二十年くらいの間。 あの頃のピンクに対する情熱に比べたら、その後、好きな色は?と聞かれて答えてきた色なんてまったく話にならないくらい、好きだったのにだ。 いや情熱、というかもう、私がどうしてもピンク色を選ぶことは、私にとって当たり前のことすぎて、自分がそんな情熱を持っているなんてぜんぜん知らなかったんだけど。 どうでもいいことではあるが、最近そんなことを、思い出した。 なんとなく、今、好きな色はピンクだ、と思う。 あの頃の情熱には、到底かなわないけど。
すっかりしっかり冷え込むようになった。 舞台の本番が終わった翌日に知人の葬式があり、その帰り道には友人と結婚について話をしていた。
そしてまた、さっぱりと何も無くなった。 わたしの顔だけは、肌荒れをひきずっている。
淋しかったり悲しかったりするとき、冬の寒さはあっけらかんと明るくあたしを照らすのだ。
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