舌癌とともに生きて...サクラ メイ

 

 

開業医受診 - 1987年01月26日(月)

2つの総合病院には私もかなり幻滅していた。

夫も私以上に感じていたのだろう。



「僕が小さい頃お世話になっていた耳鼻科に行こう。あそこは親子2代の耳鼻科だし、今の院長先生は、大学病院に勤めていたこともあるとても親切な先生だ。」


私は夫に従って市内の小さな耳鼻科を受診した。



E耳鼻咽喉科。

私はここの院長先生のことを忘れないだろう。

穏やかな、患者の話をよく聞いてくれる、とても丁寧な先生だった。



私はYM病院で受けた検査のこと、結果がグレーであったこと、NB病院に紹介されたが門前払いに近い状態だったことなどを話した。

先生は「ここでYM病院と同じ検査はできます。けれどそれではYM病院と同じ検査結果しか出ないかもしれません。ならば、最初から大きな病院を紹介したいと思います、いかがでしょうか?」と言った。

夫は「お願いします。」と答えた。



紹介してくれると言ってくださった病院は2つ。

先生が勤めていたTD病院と、SD病院だった。



私はTD病院が遠いこともあって、少し迷ったのだが、夫は即座にこう言った。

「TD病院をお願いします。」



夫の考えは「先生の出身病院で、今でも当時の知り合いの先生が残っている病院の方が、きっと丁寧に診てくれるに違いないよ。」ということらしかった。



私はE先生が書いてくれた紹介状を持って、TD病院を受診することになった。






...

夫の怒り - 1987年01月22日(木)

NB病院の放射線科部長先生は、結局何も見もせずに私をYM病院の耳鼻咽喉科に戻した。

私は仕方なく、またYM病院の耳鼻咽喉科へ行った。

YM病院の若い医師は「それでは、先日と同じ検査をしてみますので、帰りに予約を取っていってください。」と言った。

私は言われるがまま予約を取った。



夫は話を聞いて不満そうだった。

「一度してグレーとしか言えなかった同じ検査を、あんな痛い思いをする検査を、なぜもう一度するんだ?」

けれど、ほかにどうしろというのだろう。




2回目の検査の日がやってきた。

私が検査に出かけようとすると、たまたまお休みで家にいた夫がこう言った。

「検査には行くな。」

「え?だって予約が。。」

「いいんだ、もうあの病院には2度と行くな。」


夫の剣幕に私は病院に行くことを止めた。

病院から確認の電話が入ったが、申し訳ないが体調不良でまた改めて予約の取り直しをするとだけ答えて、電話を切った。

そして2度とYM病院には行かなかった。



...

紹介状 病院2つめ - 1987年01月21日(水)

翌日、YM病院の紹介状を持ってNB病院の放射科を訪れた。

紹介状の宛名は「放射線部長」


NB病院の放射線部長先生は、紹介状を読み、私を見ると、私に触れもせず、患部を見ることもなく、電話に手を伸ばした。

「あ、もしもし、紹介状を持ってこられた患者さんのサクラさんですけどね。この方の年で××っていうことはあり得ないですよ。そちらでもう一度診てくださいね。」


どうやらYM病院の耳鼻咽喉科に電話しているらしい。

何の診察もせずに、私の“できもの”を良性と判断したらしかった。




私は私を診察しもしない先生の手で

私を「グレー」としか診察できなかったYM病院に戻された。



その時のNB病院の診察料は、あたりまえかもしれないが、しっかりと通常の料金を請求された。



診察料返せ、時間をかえせ。

(と、心の中では、今でも思っている。。笑)




...

検査結果 グレー - 1987年01月20日(火)

検査結果が出た。

YM病院の耳鼻咽喉科の若い医師はこう言った。

「検査の結果、良性とも言い切れませんし、悪性とも言い切れません。つまりグレーです。」


良性ではない。

悪性でもない。


ガンではない。

ガンでないとは言い切れない。



意外な結果だった。

治りにくいおできだから検査を受けたのだ。

しかし、期待していた答えは今、若い医師が言った言葉とは全然違う物だったはずだ。

「良性です、心配はいりません。」そんな答えを期待していたのではなかったか?




若い医師は続けて言った。

「NB病院の放射線科に紹介状を書きます。そちらでもう一度検査を受けてください。」


私は「はい。」と言うしかなかった。


そして翌日、NB病院に紹介状を持って受診した。








...

検査 1回目 - 1987年01月17日(土)

YM病院の耳鼻咽喉科での検査は、麻酔無しで舌の細胞をつまみとるという簡単なものだった。


寒い日で、ろくに食事も摂らずに検査に出かけた私は、検査が終わると病院の隣にあったハンバーガーショップでコーンスープを飲んだ。

冷えた身体にコーンスープはじんわりと染みわたったが、それ以上に細胞を採ったばかりの舌の傷にしみた。


検査の時にはさほど痛くはなかったのだが、時間が経つにつれなんともいえない痛みに悩まされた。

検査の翌日、用事があって実家に帰ったのだが、奥歯が舌の傷に触っているようで耐えきれず、実家近くの歯科医院で奥歯を削ってもらったのだった。


舌に歯が触る。

検査のあと、少し舌自体が腫れていたのもあったのだろう。

そんな風に感じたのは、それが初めてだったのだが。


実際は気が付かなかっただけで、私の奥歯は常に私の舌を刺激し続けていたのだ。


...

病院選び - 1987年01月10日(土)

年が明けていよいよ病院に行くことになった。

このあたりは病院の数も多く、どこの病院に行こうか迷ったのだが、義母が手術をしたことのあるYM病院を選んだ。

病院の案内に電話をかけ「舌にできものがあるんですが、何科を受診したらよいでしょうか」と尋ねると「耳鼻咽喉科です」と教えてくれた。

そして、翌日YM病院の耳鼻咽喉科を受診した。




今、思えば、整形外科や内科が評判のよい病院だからといって、すべての診療科が腕がいいとは限らないということだ。

最初の病院選びをもっと慎重にすればよかったなと思う。

しかし、結果的に言えば、最初の病院に不満を抱いたため、今の病院にたどり着いたのだと思えば、YM病院でよかったのかもしれない。



...




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