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2019年03月28日(木) 好きなものを最初に食べるか、最後に食べるか

六年ぶりに会った友人と、寿司屋でランチをしていたときのこと。食事の終盤、互いに相手の皿に残る一貫に目をやり、どちらからともなく笑いだした。
「人間、変わらんもんやねー」
昔からそうだった。彼女は好きなものを真っ先に食べ、私は好物は最後まで取っておく人。だから、今日も彼女の皿にはかっぱ巻きが、私の皿にはイクラの軍艦巻きが残っていた。
彼女は言う。
「男きょうだいが三人もおったら、ごはんどきはほとんど戦場。ちょっとテレビに気を取られてたら、お皿の唐揚げが一個になってたとか当たり前やってん。母親に泣きついても、『さっさと食べんからや』って言われて。そんな食うか食われるかの家に育ったら、大事なもの順に食べていくことを覚えるよ」
だけど、いまはもう、あわてて食べなくても誰もあなたの唐揚げを取ったりしないじゃない?
が、友人は首を振る。旅行先で、彼女の大好物のカニが出た。もったいなくてなかなか箸をつけられずにいたところ、ぐずった子どもが彼女のお膳をひっくり返してしまった。そのとき、「好きなものは一番に食べる」と固く心に誓ったという。
なるほどねえ。以前、やはり好物は先に食べるという人から、「もし突然地震が来て食べ損なったら、後悔するもん」と言われたことがあるが、それよりよほど説得力がある。
そうは言っても、やはり主役は大事に取っておきたい私。「おなかがいっぱいになって、おいしさが半減したらもったいない」という声もよく聞くけれど、私の胃袋はそんなに小さくないから大丈夫。
ちょっと張り込んだ寿司屋のランチで、私の最大の楽しみはイクラ。その“ピーク”を先延ばしすると、期待感が長持ちする気がするの。たとえば、先生に「さあ、今から遠足に行きますよ」と突然言われるのと、何週間も前から指折り数えて当日を迎えるのとでは、ドキドキワクワクの総量が違うと思う。弁当のおかずを考えたり、服を選んだり、てるてる坊主を作ったりといった準備の間も、私はウキウキしている。いきなり遠足スタートじゃあ、そのプロセスがなくてもったいない。
という話をしたところ、友人は可笑しそうに言った。
「ほんま、私らは食べ方が正反対やもんね。ほら、前に回転寿司に行ったときもさ」
私も思い出した。彼女が全種類制覇しようとしているかのように毎回違うものを注文する隣で、私は数種類のタネをリピートしていることに気づき、愕然としたことがあった。
一皿百円なのだ。珍しいものに挑戦して、たとえ口に合わなくてもどうということはないのに、つい間違いがないとわかっているものに手を伸ばしてしまう。かたや、得体の知れないタネが回ってきたら、試さずにいられない彼女。
そういえば独身の頃、好きな人ができると枕を抱えて押しかけるくらいの勢いで猛アタックした彼女に対し、私は感情よりもタイミングを優先、いろいろ計算し、機が熟すのを待った。周囲は私たちを瞬間湯沸かし器と電磁調理器に例えた。
ものを食べたり人を好きになったりといった場面にその人の性格や考え方の癖がよく表れるのは、それらが本能的なものだからだろうか。

ところで、この「好物をいつ食べるか」に関して、友人は結婚以来、夫に思うところがあるらしい。
「まず漬け物で白ごはんを半分くらい食べるのね。単純な人やから、『一番食べたいもの』につい手が伸びるんやろうね。悪気がないのはわかってるけど、どれだけ手の込んだ料理を作ってもそうやから、腹立つで」
うちは漬け物や梅干しはおかずが少ない日にしか食卓に並べないので、こういうことは起きない。でも、仕事帰りに大急ぎでスーパーに寄り、ひと息つく間も惜しんで作った夕食で、家族が料理に目もくれず、漬け物で白ごはんをモリモリ食べたら、やはりがっかりするだろう。虫の居所が悪かったら、「明日から晩ごはんはお茶漬けでよさそうね」くらい言うかも。
なにから食べようが、個人の自由。だけど、夫婦円満には「想像力」も必要よね。

【あとがき】
べ方に性格が表れると書きましたが、たしかに私は人生においてもローリスク・ローリターン派。刺激や冒険より安定・安全志向です。だからこれまでの人生も手堅い選択をしてきたつもり……なんだけど、おっかしいなあ。


2019年03月21日(木) 「自分」をかたち作るもの

三月十七日付の讀賣新聞の家庭欄に、六十代の女性からの人生相談が載っていた。
息子は大学を二回留年した後、結局中退、二十代後半となった現在まで正社員になることなく、アルバイト生活である。国民健康保険料や携帯電話代も親が支払っており、将来が心配だ……とここまではよく聞く悩みだなと思いながら読んだのであるが、つづく文面に驚いた。
「占いでみてもらったら、息子には仕事運がまったくないと言われました。違う日に産み、違う名前をつけていれば、また違った人生があったと思うと、母親の私のせいなのだと悲しくなります。楽になるための心のもちようを教えてください」
人生相談欄を愛読していると、世の中にはいろいろな家庭がありさまざまな苦悩があることがよくわかるが、産んだ日やつけた名前がよくなかったから息子の人生がこんなになってしまった、全部私のせい、とは……。
これほど非生産的な考えがあるだろうか。だって、いまさらどうしようもないことを原因だと断じてしまったら、一生「運に見放された不憫な息子」であり、彼の現状を変える余地はないということになる。まるで救いがないじゃないか。
誕生日や名前がアイデンティティの形成や将来に多大な影響を及ぼすことがあるとしたら、限られたケースだと思う。知人が恋人の親に初めて会ったときに生まれ年の話になり、「あなた、ヒノエウマなの?」と言われてドキッとしたという話を聞いたことがある。もし「丙午の女」であることを理由に交際や結婚を許してもらえていなかったら、彼女は「もう一年早く(もしくは遅く)生まれたかった」と誕生日を恨めしく思うようになっていたかもしれない。また、名前が人生を大きく左右する要素になるとしたら、先頃話題になった「王子様」のようなとんでもない名づけをされたために、親を恨んだとかコンプレックスを抱えて生きてきたとかいう場合くらいではないのだろうか。
人が「自分というもの」を確立していくプロセスに最も強く関与するのは環境である、と私は思っている。生まれてからこれまでどういう人達にどんなふうに育てられ、どんな教育を受けどんな経験をしてきたか。それが性格や人間性、価値観、能力といったものを形成し、将来にも大いに関係する、と。
だから、有名人の二世が不祥事を起こすたび、家にお金はたくさんあるが親は留守がちだとか、小さい頃からちやほやされるだとか、お金目当てに寄ってくる輩や誘惑がいっぱいだとかという状況の中で、勘違いせず自分を見失わずにいるのは並大抵のことでないのだなあと思う。少し前に三田佳子さんや喜多嶋舞さんの息子が事件を起こしたことが報道されていたが、話半分に聞いても、その生い立ちでまっすぐ育てというほうが無理というものだ。
そして、相談者の息子の現状も、環境との相互作用の結果なのだ。環境の最たるものが「家族」だから、その意味で女性が「母親である私のせい」と言うのであれば否定はしないが、誕生日や名前にはなんの罪もない。

こんな私であるから、子どもの名づけの際に画数を調べてうんぬんはもちろんしていない。が、周囲には本やインターネットで画数から吉凶を調べ、運気のよい名前を探してつけたという人がとても多い。占いにはまるで縁のなさそうな男性まで、「本当はつけたい名前があったんだけど、『婚期が遅れる』って書いてあってあきらめた」と悔しそうに言うからびっくりしてしまう。姓名判断はまた別物のようだ。
別と言えば、私は占いはまったく気にしないのに、迷信や言い伝えの類は「ばかばかしい」と一蹴することができない。初めての場所に布団を敷くときは北はどちらか確かめるし、食堂などで茶碗にごはんをてんこ盛りにしている人がいたらドキッとする。雛人形は早めに片付け、「買った靴を玄関に並べるのは明日の朝だよ」と子どもに言い、茶柱が立つとうれしくなる。
「ごはんを残したら目がつぶれるよ」
「嘘をつく子はエンマ様に舌を抜かれちゃうんだよ」
信じているわけでもないのについ従ってしまうのは、幼い頃に祖母から聞かされた記憶と結びついているからかもしれない。

【あとがき】
「丙午の女」の迷信、ご存知でしたか?丙午は60年に一度訪れる干支です。その昔、丙午生まれの八百屋お七という女性が激しい恋心の末に、「火事が起きれば愛しい彼に会える」と江戸の町に放火した事件が起こり、そこから「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫を食い殺す」という俗説が広がったようです。直近の丙午の年(1966年)には、女の子が生まれるのを恐れて出生率が前年に比べて25%下がったそうですが、この迷信を知っている人はもう少なくなっているだろうから、次の丙午(2026年)ではそんなことにはならないでしょうね。
ところで、「王子様」と名づけられた男性は高校三年生のときに家庭裁判所に申し立て、改名したそうです。「過去の思いを断ち切って新しい人生を始める」という思いを込めて、新しい名前は「肇(はじめ)」。ずっとみじめな思いをしてきた。名乗ると初対面の人に笑われたり、店で会員証などを作る際に本名かと疑われたり。地元では有名人になっており顔写真が出回っていたため、街で見ず知らずの人から「あっ、王子様だ」と言われたことも。母親は「私にとっての王子様」という思いから、誰にも相談せず役所に届け出をしたそうですが、「こっちからしたら『ふざけるなっ』って感じですよ。子どもが大きくなったときのことを考えたのかって」と男性。
……考えていないでしょうねえ。男性が言うには、弟もキラキラネームだそうです。


2019年03月15日(金) web日記界華やかなりし頃

ふと思い立ってフェイスブックにログインしたら、懐かしい人から友達リクエストが届いていた。大学時代のサークルの後輩である。気づくのが遅れたことを詫び、メッセンジャーで近況を報告し合う。
フェイスブックをしているとこんなふうに昔の友人・知人と思いがけず再会することがあるが、いつも不思議に思うのが、何十年ぶりであってもまったくそんな気がしないこと。送信者の名前を見て顔を思い出した瞬間、あの頃にタイムスリップする。彼女とは私の卒業式以来会っていないはずなのに、例会だ合宿だテスト明け打ち上げだと一緒にわいわいやっていたのが、ほんの二、三年前のことのようだ。
サークルはいまどんな感じなんだろうねと言ったら、後輩は最近サークルに顔を出し、現役会員と話す機会があったという。
「そのときに、去年一回生の入会はゼロだったって聞いて、びっくりしちゃいました」
私も驚きのあまり、キーボードを叩く指がフリーズ。今年度、新入生の入会がなく、現在二十名足らずで活動しているだなんて。
私が在籍していた頃は、会員数百五十を超える大所帯だった。私の同期は七十名近くいたが、新入生のためのサークル説明会にはその三倍も四倍も学生が集まり、大教室に立ち見が出たことを覚えている。当時は「このサークルに入るためにこの大学を選んだ」という会員がたくさんいた。
しかし、それはいまや昔だったのである。その後ブームが去り、当時に比べて活躍の場が減っていることは知っていたが、ここまで人気が下火になっていたとは思わなかった。
思えば、あの時代がわがサークルの全盛期だったのかもしれない。マンモスサークルゆえの揉め事はあったが、大勢で切磋琢磨するのは楽しかったし、輝かしい成績を残した先輩がたくさんいて誇らしかった。そして、実力のある者にもない者にも力試しの場がいくらでもあった。
そんな華やかなりし頃を知る者としては、「『今年はなんとしても新入生を入れなければ。サークルをつぶしたら、先輩方に申し訳ない』って言ってました」なんて聞くと、胸がきゅっとなる。

「古巣に戻ったら、辺りの様子が一変していた」という浦島太郎のような気分はつい最近、別のことでも味わった。
この日記『猫の夜更かし』を始めるにあたって、レンタル日記サービス「エンピツ」に登録した。過去にお世話になっていたとき、サポートがとても親切だったからだ。
が、すぐに異変に気づいた。サポート先と記されているアドレスにメールを送っても、エラーで戻ってきてしまうのだ。理由は「送信先の受信メールボックスの容量オーバー」とある。レンタル料を振り込んで何日も経つのに、入金確認の連絡がないのもおかしい。
調べてみると、数年前からユーザーから運営側に連絡が取れなくなっていることがわかった。「無料お試しユーザー」のままではじきに日記を書き込めなくなり、IDが抹消される。それは困る。どうしたものか……。
それはさておき、この情報を得る過程で驚いたことがあった。レンタル日記サービスの草分けである「さるさる日記」が八年も前にサービスを終了しており、簡単にサイトを開設できることから多くの日記が登録されている「Yahoo!ジオシティーズ」もまた、この三月末で終了すると知ったからだ。
「ちょっと離れているうちに、web日記の世界はこういうことになっていたんだ……」
SNSが隆盛を誇るいま、これも時代の趨勢であるが、自分が何も知らずにいたことに軽いショックを受ける。
日記読みを趣味にしていた十数年前、読み物系サイトが集まるリンク集がいくつもあった。ReadMe!に日記才人、テキスト庵に日記圏というのもあったっけ。そこには毎日更新する熱心な日記書きさんがたくさんいた。「アクセスを増やす方法」は好んで書かれたテーマで、投票ボタンやアクセスランキングといった仕組みはモチベーションの維持に貢献していたのではないだろうか。日記の内容をめぐって複数の日記書きさんが議論を戦わせることもあった。書き手と読み手の交流も活発で、オフレポをよく見かけたし、日記書きさん同士の恋の噂を耳にすることもあった。「日記読み日記」なるものがあったのも、魅力的な日記がたくさんあったからだろう。コミュニティは非常に活気があった。
いまもどこかにそういう場所はあるのだろうか。

元の浜に戻った浦島太郎はあるはずの場所に家がなく、知っている人が誰もいなくなっていることを知り、竜宮城での日々が恋しくてたまらなくなった。そして、竜宮城に帰る手立てを求めて玉手箱を開けてしまう。
私は太郎のように「あの頃に戻りたい」とは思わないけれど、刺激的でおもしろかったなと懐かしくはある。

【あとがき】
自分が日記読みという趣味からこんなに長く離れていたとは、まるで思っていませんでした。せいぜい二、三年の気分。
元の浜に浦島太郎が知る人は一人もいなくなっていましたが、私もそれに近い状況です。無理もないですね、十何年も経っているんだから。
そうそう、この日記を書いた四日後、有料ユーザーへの切り替えが行われました。管理人さんに手紙を送ったので、それを読んでいただけたのだと思います。長年運営してくださっていることに感謝です。


2019年03月12日(火) マイルール

隣のテーブルで、大学生風の女子グループの会話がエキサイトしている。
「こっちはもう支払い済ませてるんやから、さっさと品物送って来いって話よ」
「メルカリで『即購入禁止』って意味わからん」
「事務局に通報したり。『購入手続きしたのに、勝手にマイルールつくって発送してくれない出品者がいます』って」
どうやらグループの一人がメルカリでトラブルの渦中にあるらしい。レア物を見つけ、すかさず購入ボタンを押し決済したところ、出品者から「プロフィールも読まず、購入前にコメントも送ってこないような常識のない人とは取引できない」と言われたという。
欲しい商品があれば、即座に購入ボタンを押す。それがメルカリでの買い物の仕方であり、出品者に「購入してもいいですか?」とお伺いを立てる必要はない。だから、この出品者はたとえ購入者のことが気に入らなくとも、速やかに商品を発送しなければならないのである。
メルカリは誰でも簡単に物を売ったり買ったりすることができる便利な場所だが、敷居が低い分、出品者と購入者の間で揉めることは少なくないようだ。私の周囲でも「値下げ交渉に無理して応じたのに返事がないまま、結局購入されずじまい」「発送した品物が受取人不在で戻ってきたので着払いで再送したいが、連絡が取れない」「届いた品物に商品説明になかった不具合があったが、出品者が返品に応じない」といった話はときどき耳にする。他人事ながら、面倒くさいなあと思う。手軽さが売りのはずなのに、本来なら必要のない対処に時間と神経をつかわなければならないなんて。
私はめぼしい物を見つけたら、これまでの取引評価を見て優良出品者を選ぶのはもちろんだが、プロフィールも必ず見る。そこにマイルールがいくつも書かれていたら、敬遠する。先日もちょっと気になる物があったのだけれど、「いかなる理由でも返品不可」「即購入お断り。購入されても発送しません」と強気の言葉が並んでいたため、縁がなかったと思うことにした。
「腹が立つけど、今回はキャンセルしたら?ぜったい『悪い』の評価をつけてくるやん、そしたら気分悪いで」
となだめる声に、心の中でそう、そうと頷く。どんなにレアな物か知らないけれど、今後あなたの出品物に関心を持った人がその評価を目にすることを考えたら、全然お得じゃないと思うな。

ところで、メルカリはオンラインのフリーマーケットであるが、こういう日記サイトもバーチャルな空間に開いた個人商店みたいなものではないだろうか。
客層が厚く評判の大型店あり、お客はほぼ長年の常連さんという地域密着型の店あり、知る人ぞ知る隠れ家のような名店あり。サービスの行き届いた店があれば、お客におもねらず店主のこだわりがよく伝わってくる店もある。
そしてこのたび、私もその界隈に小さな店を構えた。多忙につき、月1回程度の更新となるだろう……と書いたら、「そんな頻度でやる意味があるの?」と不思議がられそうだ。でも、「書けるときに書く」というマイルールに従い、ほそぼそと営業していけたらと思っている。どうぞよろしく。

【あとがき】
日記サイトと一口に言っても、そのテイストはさまざまですね。誰にも自分の好きなタイプの文章があって、自然とそういう日記をブックマークしているのではないでしょうか。そうですね、私は自分の思いや考えを淡々と綴っているような日記(とくに長文の)が好きです。