あひるの日記

2005年01月15日(土) 心療内科受診、期待の星ユーロジンくんの登場

ポチの家にいるときは、猫がうるさくて常に睡眠が不足していた。
そう、最初はあの前妻がおいていった猫。

猫の動く、ちょっとした物音。

ヤツも生きていますからね。
しかも夜行性ときたもんで。

物音のするたびに目が覚めてしまい、おまけになかなか寝付けない。
やっと眠ることができても夢見が悪く、それに寝ている間中夢を見ているような気がして目が覚めるともうヘトヘトで。

おまけに自宅に帰って眠ろうとすると、生まれたばかりの甥っ子の金切り声に魘され、寝付くのは窓から明かりが白々し、同居中の家族たちが起き出してからだった。

仕事を終えてまっすぐに自宅に帰っても時間は午前0時を回っており、風呂やなんやかんやで布団に入るのは午前2時ごろ。

だいたい午前4時までは何度も時計を見ていた記憶がある。
で、起きるのは午前7時だ。



。。。。。。。どう考えても足りない。



そうすると、オンナのカオというものは劇的に変化を遂げるのはいうまでもない。

・カオがむくむ。
・目の下にクマができ、おまけにシワなんかもできてしまった(^.^;;
・過剰なアルコール摂取による、劇太り(ノ^∧^)ノ





嗚呼、ブサイク




そんなとき同僚がひとこといったのだ。



「眠れないんなら、睡眠薬飲めばいいじゃん」







「\(◎o◎)/!」







そのあとは、ひたすら睡眠薬を手に入れる手段をネットで探した。
いま思えば、そのへんの内科にいって「眠れない」なんていえばすぐにゲットできたであろう。

だが、あひるは無知だった。

んで、その結果、「心療内科」なるものが出してくれることがわかり、それに付随してどうやらあひるのように眠れないヒトはどうやらほかにもたくさんいるらしいことがわかった。

思い立ったら動かずにはいられない。

とにかく会社の帰りに受診できるところ、とある心療内科が20時までやっているという、そこだったら仕事をなんとか切り上げることは不可能ではない。

とにかく、その「心療内科」にいってみた。


とあるマンションの一室にその心療内科はあった。
いままであひるが知っている、いわゆる”病院”とは明らかにチガウ。

おまけに診察室に入ると、そのドクターは真っ白いノートに右手にはペンを握り締め、あひるを待っていた。

そして。






それから約一時間半、あひるは自分自身の生い立ちについて説明するハメになった。





ハメになった、というとイヤーンな感じだが、あひるにとってはそのときこころのなかにあった”家族への不満”を口にだせて、一段落したときにはなんだかなにか詰まっていたものを吐き出せた感じがした。


そのドクターは、なんだかオドオドして頼りにならないような(申し訳ない)イメージだったが、お願いしたとおりにきちんと睡眠薬を処方してくれた。

そのときのメニューは、

・レキソタン(1ミリ)
・デパス(0,5ミリ)
・ユーロジン(1ミリ)

というものだった。



頼みの綱のユーロジンくん。キミ、睡眠薬なんだって?かなりいい思いをさせてくれるらしいじゃないか。キミには期待しているんだよ( * ^。)ノ



ゴクリ。






























眠れないってば(>_<")












とまあ、最初の期待が大きすぎたのか、飲み方が悪かったのか。
期待の星ユーロジンくんはその日は不発に終わってしまい、その晩はもんもんとしたまま布団に絡まり、時間が過ぎるのをひたすら待つという、いつもと変わらない夜をすごした。



2005年01月09日(日) 心療内科受診への経緯

新しい職場は、自宅から約2時間(!)という場所にあったのだが、フレックス制だったのでそんなに苦労はしなかったと思う。
ちなみに、あひるの自宅は中央線なのだが、帰りは東京駅から座って(眠って)帰れるので結構気に入っていた。

比較的早く帰れる日は、有楽町や銀座でおいしいものを食べて酒を飲み、帰りは気絶したようにして家に帰った(−−;
もちろん、仕事はそれなりに忙しかったし覚えることもあったが、ポチのいる職場より格段に楽だし、なによりも精神的に開放された!というが一番大きかったのだろう。

仕事は、普段は会社のデスクワークをするのだが、月に二度はかならず出張にいく機会があった。場所は沖縄から北海道までとバラエティに富んでおり、たまに過密スケジュールため、作業用の機材が送付に間に合わないときは、スーツ姿の両肩にガッチリとパソコンや周辺機器をぶらさげて、フラフラしながら現地に向かった。

現地では、客先の担当者さんとミーティングの後は有無をいわさず拉致られてご当地のおいしい飲み屋さんに連行されたり(@@、飛行機での移動の後などはとても疲れたが、それ以上にとても楽しかった。


ちなみにこの仕事場にいるとき、あひるはたまたま身体が弱っていたらしく、みんなで食べた牡蠣なべになぜかあひるにだけあたってしまい、一晩中上からも下からも出しまくった際にも、その次の日にあひる担当のサービスがあったため、蒼白なカオをして現地に向かい、上からも下からも横からも冷風の止むことのないマシンルームに篭ったのは、いまではいい思い出だ(当時は滝汗)

ま、↑の件は

「体調が悪くて当日担当替えてください」

なんて、あまりにも恐ろしくて口にできなかった。
当時の上司はとにかく怖くて、そしてカッコよくて(オイ)。
・・・・・・とまあ、そういう気持ちのほうが、上回っていたのか体力があったということもあり、そして客先が近県だったというラッキーも重なり、なんとかその場を乗り切った。

しかし、その怖くてカッコいい上司なのだが、ものすご〜く冷たいくて有名な方だった。クールを通り越してまさにコールド。ブリザードの世界だ。
その彼が、牡蠣の苦しみをこらえ、たびたびトイレに立ってはひたすらヘンな汗を流していたあひるにさすがに気づいたらしく、



「キミ・・・・・、コレ(現地での作業)が終わったら帰っていいよ」


「。。。。。。。。。。。。。Σ(°□°lll」




と、その場にいたチーム全員がフリーズしたほどだ。
説明しますと、現地でのサービスが終了いたしますと、飛行機を使ったりする遠方の客先ではさすがに次の日だが、今回あひるが行ったような近県でのサービスは、作業のあと会社に戻りデータを持ち替えて、分析用のツールにかけるという、

「担当者だけ」

の、サービス当日の一番悲しいお仕事が待っている。


ちなみにほかのチームメンバーは、7時間強しかもほぼ休憩なしの深夜作業を終えて、眠い目をこすりながらも通勤とは逆流しながらまっすぐに自宅の布団に直行できるのだ。


その!!(力説)部署内では一番イヤ〜ンな仕事をしないで帰っていいよん、なんていう、とんでもなくやさしいことばをかけてくださったのだ。





メイクミラクル






それからわたしは、その職場で奇跡を呼んだオンナとして一瞬にして有名人♪(←ばか)となったのだが。


この時期に仕事仲間だった方たちは、ほんとうにいい友人となり、男性はもちろん、フロアでは離れたところにいた事務の女性たちはいまでも連絡を取り合って、仕事の帰りは理由をつけて飲み食いをし、そしてポチとの結婚式にも参列してくれた大切な友人たちだ。


まあ、ほかに話をあげるとキリがないですが、上記のように悶絶しながらも、まわりの環境も良好で、仕事もさまざまな事件があったがわたしも気に入っていた。おっかない上司の評価も、


ま、いいんじゃないの。


なんていう評価もいただいた。




なのに。




それなのに。





その前後からわたしの不眠はひどくなり、ポチがたとえその場にいなくてもたびたび発作に襲われるようになってしまったのだ。


仕事中まわりに大声を出すヒトや、大きな音を出すヒトもいない。



















。。。。。。。。。。。。どうして?



2005年01月07日(金) ポチ。そのサン

ポチの性格:

・短気でキレやすい。
・几帳面で整理整頓、お掃除がダイスキ。
・ゲームをこころの底から愛している。
・不都合なことや自分がわからないことを聴かれると、キレる。
・基本的に依存体質
・気に入らないことは、まるで重箱のを隅を針でつつくようにして攻撃する。
・外面がいい。
・家事は進んでやる。
・いってはいけない、最後のトドメを平気でいう。

上記にプラス(なんだかボロクソなのは気のせい)、前回お話したがポチは「NO」となかなか言えない人間なのだが、今日はそのことと、あひるとポチのこれまでの経緯について書こうと思う。


ポチはなぜ否定的なことばを嫌うのか、その理由は、以前付き合っていた彼女にある。

その女性は不倫していたのだが、モメていたらしく、その助けをポチへと求め不倫に終止符を打つべくしていたそうなのだが、結局は影でこそこそと不倫相手と関係を持っていたらしい。

すったもんだの末、ふたりの密会に乗り込んだポチ。
逆切れされた彼女に、


「あんたなんかなにもできないくせに」


とかなんとか、そんなような否定的なことばを散々吐きすてられたことが、あり、結局そのまま彼女と別れたそうだ。

その際に彼女からいわれたことばが、彼のトラウマになった。
ポチはそう自覚している。


それ以来、否定的なことばにかなーり敏感になっている。
なにかの話をしている際にそんなようなことばがでようものなら、即座に


ブチ。


と、キレてしまうのだ。

そうなってしまえば、あとのまつり。



大声でわめきちらす。
わけのわからないことを叫ぶ。
モノを破壊する。


という、なんとも凄まじい光景が。あああああ(TT


普通のヒトだったらこういうときどんな対応をするのだろう。
ちなみに前の奥さんは平然としていたそうな。
逃げ場のない1DKでよくできたな。素直に尊敬する。ブラボー。


だがわたしは違ったのだ。


頭が真っ白になり、
動悸が激しくなり、
ことばを失い、
判断力を失い、




ただただ、怯えることしかできなかった。




はじめてのパニック発作は、そんな感じで発生した。
わけがわからず、わたしはひたすら耐えることしかできなかった。

しばらくすると動悸は治まり、呼吸も楽になった。


ポチと付き合い出してから、不眠に悩まされたが、それは同居していた猫が原因だと思っていた。
1DKの空間、狭い6畳間に猫の巨大なケージ(W90.6×D61.8×H114.2cm)、パソコン用デスク、コンポ、テーブル、棚があり、その隙間にひとり用の布団を敷いてふたりで寝ていたのだ。
ポチと前妻さんは平気だったらしい。


だが、あひるは平気じゃないんだよ!!(怒


猫は夜行性だから夜になると鳴くし、走り回る。
わたしは自宅が食品関係の自営のため、動物と生活した経験はなかった。
だから堪ったモンじゃない。

そのころ仕事は目が回るほど忙しく(@@、ポチの家にいくとポチはその頃非常に不安定で(別居中の前妻にストカまがいなことをされていたので)、たびたび喧嘩をし、そのたびにあひるはパニック発作を起こし、電車がなくなって帰れないときはポチの家に泊まっていたので、猫のせいで安眠できなかった。


おかしくならないほうがオカシイ。



このころ偏頭痛や肩こりに悩まされるようになり、耳鳴りがひどくてほとんど耳が聞こえない状態になったり、たびたび口唇炎に襲われた。

とくに困ったのは耳鳴りで、電話でお客様と話す際に相手の声がまったく聞こえなくなってしまったことで、すぐに病院にいったが、「原因不明」と診断され薬はビタミン剤をもらっただけだった。

仕事ではリーダーに相談し(相談するのも大変だった;;)、なるべく電話で話すのではなくメールでやり取りをするようにして、どうしてもというときにはリーダーが対応してくれた。

この耳鳴りは2週間ほどでだんだん消えていき、自然に治癒していったのだが、口唇炎はビックリした。
だって、

「なんか唇痛いなー」

なんて思いながら仕事をしていて、ふとトイレの鏡を覗いてみると、なんとそこには。




唇が晴れ上がったあひるの姿が映っていたのだ。




ぎょぎょぎょ。





よく見ると腫れ上がったその唇には、ちいさなポツポツとした水泡があるではないか!!!!

なんじゃこりゃ、って隣のスーパーにある薬局屋に駆け込んだ。
店員であるオバサンは、わたしの様子をみて静かに「モアリップ」という薬を薦めてくれ、それを迷わず購入した。
その際、そのオバサンは、



「アナタ、疲れているのねぇ。。。。。。。」



と気の毒そうにそういっていたのを、いまでも覚えている。
そんなにひどいカオをしていたのか、鏡でマジマジと自分の顔を見た。
その当時24歳という年齢にはふさわしくなく、目の下には寝不足のためクマと皺(!!)ができ、顔は青白くてストレスでドカ食いしていたたため、肌は吹き出物でいっぱい、身体の肉はパンパンだった。

ちなみにポチの身体の肉もパンパンだった。
わたしがストレス太りしているとき、ポチもポチのあひるの知らないストレスと戦っていたのだろう。


ポチもあひるもストレスには弱い体質らしい。


とまあ、そんなことはさておき。
ポチは「NO」といえない体質のため、自分の不満をなかなかうまく表現できない。
自分の意思表示がうまくできないため、「べつにいいよ」ですませてしまうのだ。
それが積み重なったとき、とある瞬間にブチ切れてしまう。
そのタイミングを計るのは非常に難しい。
こちらとしては、なんでもないことをきっかけにしてとんでもなく怒り出し大声を上げられるので、理解できず、またそのたびに発作に襲われた。

そのきっかけというのは、


用意したシチューの具のにんじんが「星型」だった。
風呂の入浴剤が変わった。



なんていう、とんでもなくツマラナイことが原因で、当時あひるはポチの機嫌を損ねないようにしようと、まさに導火線の上をびくびく歩くような生活をしていた。ポチの顔色を伺うようなそんなあひるの姿に、ポチは余計イライラしたらしい。

あひるはといえば、もう疲れ果てて自分の家に帰っては滾々と眠り、また家では同居していた兄の奥さんと折り合いがあわずにイライラし、生まれたばかりの甥っ子の金切り声に休まる間もなかった。

そんなあひるが、なぜストレスの塊のような当時のポチから離れなかったのか。それは一重にポチのその気質こそが、あひるの父親がそっくりだったため、その呪縛から逃れるという選択肢が存在しなかったのだと思う。


暴力を受けた子供は、同じように暴力をふるう男を選んでしまう。


そんな連鎖的なものだったと思う。


ポチはあひるに向かって手を上げたことは一度もないが、言葉と精神的な苦痛は結構なものだった。

あひるの父親は、あひるが小学校を卒業してから手を上げられたことはないが、言葉と精神的な暴力はたびたびあり、常に仕事でイライラしていた父(困ったことに自営なので自宅に24時間いる)のいる自宅は、まさに導火線の上の日常だった。(ちなみに12歳まで、あひるは父親にたびたび暴力を受けていた)

ひとり暮らしをどうしても許してもらえなかったため、ずっと自宅にいたが、20歳を過ぎたころから父親とのトラブルもなくなり、働き始めてしばし安定していたところへ、年少のころの恐怖が再びポチによってよみがえった。

ポチの導火線を、当時どうやってかいくぐってきたのか、わたしは何度もショック状態になり、耳を塞いで泣いていたことが多かったような気がする。


まあ、そんなポチも前妻との離婚が正式に成立したころで、じょじょに安定と取り戻していった。

仕事も変わり、収入も増えて生活に余裕もできたところに、こころにも安定してきたようで、以前のように頻繁にブチキレることは少なくなった。ちなみに新居は広くて綺麗な2DKだ。猫とふたり(?)、そして週末になると、あひるはポチのところに泊まりにいく、という生活パターンになり。
あひるは、部署移動になりポチのいる会社からあらたに別の会社へと移り、このときにかなり環境の変化が起こったのだ。

しかし2DKになったとはいえ、猫が夜鳴かなくなったわけではない。自宅では生活習慣の違う家の人間たちの動く音、声に悩まされていた。(このときは神経過敏になっていた)

だがそのなかで、あひるの職場が移動したことは、あひる自身の負担を軽減させてくれた唯一のものだった。

あひるとポチは職場で知り合ったので、モト同僚でありなのだが、この業界はほかの職種より極端に女性がいなかったりする。しかも広いビルのワンフロアに二十代の女性はあひるしかいなかった。
そのため、周囲からは珍しがられてよく声をかけらえたものだ。
相手の男性からしてみればそれはなんでもないことなのだが、ポチにとってはイライラのネタにしかならなかったようだ。

そのため、その件でもポチとはよくモメた。

まさにモメるネタにつきないカップルだったのだが、相手はあひるとポチの関係は知らないし、ポチはそのころは立派な既婚者だったので周囲には内緒にしていたのだ。


ポチと共有の時間が減る。
仕事上ポチとの共通点が減る。
仕事帰りにポチのところにいかなくなる(場所的にむり)

ヒャッホー(嬉


こんなにうれしいことはない。
ポチとの時間が共有の時間が減るということは、自分の時間が持てるようになるということだし、仕事中ポチの視線を気にしなくてすむ。
終電にも乗り損ねるような職場から、仕事帰りの平日に自分の時間を持てるようなる。


これだけが救い(T_T

実際そのとおりになり、自分の時間が持てるようになったわたしの最初の行動は、



心療内科受診





だった。


このときにあひるは初めて「心療内科」を受診することになった。



2005年01月06日(木) ポチ。そのニ

今日は前回に引き続き、ポチのことを。

ポチは何回もの話し合いを経て、前妻さんと別居することになりました。
その際、

「自分が責任をもって面倒を見るから」

といって、猫を飼ったんですね。
ポチはとても抵抗したそうです。
その理由は、

以前付き合っていた彼女が、ポチのマンションに捨て猫を拾ってきて飼い、その果てに増殖し、彼女との破局の末に引越しの際にその猫たちを野に放ったという哀しい、

。。。。つーか人間として最低なことをした経緯があったからだ。
もちろん、前妻さんはそれを知っている。
それを承知の上で「生涯面倒をみる」といっていた、その猫を、前妻は


ポチのところにおいていった。


きいい。
いま考えても猛烈にハラがたつ。

もちろん、引越し先が動物禁止とか理由あるだろうけど。
もともと飼っていた住居も動物禁止じゃないかとか。
まあ、いろいろいいたいこともあるのだが。

結局この前妻さん、正式に離婚が成立する際に再度の確認をしたが、猫を引き取りかんしては、首を縦に振らなかったらしい。

もう最低。
バカヤロウ。

ポチも、まさかおいていくとは思わなかった、と嘆いていた。

その後、仕事を変えたポチは会社が契約していた住居をでるにあたり、新居に移る際は(また動物禁止のとこ)、わたしが預かったりで、かなりこの猫には頭を悩まされた。

まさか捨てるわけにもいかんし。
猫に罪はないしねー。

しかし、この猫は前妻を連想させるものがあるのも事実だ。
正直。

かわいくない。(><

しかし、完全室内飼育という以外はすべて放置だった猫。
この猫の、去勢手術及びワクチンの接種はわたしが金をだして手配したんだ、このヤロー。

この猫、その後あひるとの結婚とともに新居に移る際、またモメた。

新居は、一戸建て新築。

あひるの両親は、新居が猫のせいで傷むのを恐れ、



捨てちまえ。



と、あひるの両親にいわれたものですが。

その頃には既に猫に情が多少なりとも芽生えていたので、ポチとともに新居に引越し、数年たった今ではりっぱな家族の一員です(@@

さて、猫の話がしばし続きましたが、ポチは前妻さんと別れるにあたり、まさに、

住居
仕事
オンナ

のみっつを、見事に変えたわけです。


スッゲー。




。。。。なんか、ポチのことを書こうと思っていたのに、猫メインは話になってしまった。

ほんとうは別居中に素敵に


付きまとわれたり、
金銭を要求されたり、
まちぶせされたり、


そんな話を書こうと思っていたのになぁ。。。。







ま、いっか。

あ、ちなみに別居中に金銭の貸し借りはしなかったようです。
この方、過去にカード破産したという素敵な前歴があり(同居していた際はポチが家計を管理していた)



一度貸してしまったら、最後だ!!!!



と、さすがにポチも感じたらしい。




ポチは拒絶のことばを嫌う。
簡単にいうと「NO」といえない人間なのだ。
だから同居していた際は、彼女が

この服がほしい。

といわれれば、駄目といえずにお金を無心していたらしい。
そんなことをしていれば、たとえ共働き(しかも家賃の半分は会社もち)でもお金は貯まらなかったらしい。

つか、アタリマエだっつの。


しかし、その「NO」と言えないのが駄目なんだ、と再三忠告したあひる。
その甲斐あり、別居中、


「生活費足りなくなっちゃった。お金貸してー」


という要求に対し、


「NO!!!!」


と、言えたらしい。
おめでとう、ポチ。




しかしね、あひるはポチと夫婦生活をして4年になるが、彼から拒絶のことばを聞いたのはほとんどない。
あひるは何度も「イヤではないか?」と確認するほど。
そのポチにそういわしめたのだから、彼女はよほどのものだったのだろう。オツカレサマ、ポチ。



2005年01月05日(水) ポチのこと。そのイチ

熱が上昇し、現在停滞中だが寝てばっかりで眠れないので日記をかくぞ!

今日はポチのことを書こうと思う。

ポチはバツイチだ。
わたしはポチの前妻を知っている。
顔も見たことがある。

とまあ世間でいうと、あひるとポチは世間でいう不倫をしていたわけだ。
そのころ、あひるは別の男とも付き合っており(これまた妻持ち)、あひるがその男が壮絶なバトルの末、別れることに成功したのは一重にポチの支えがあればこそだ。今もとても感謝している。

その約一年後、ポチは半年間という別居を儲け、こちらも別れることに成功した。

前妻さんとはファミレスでお茶した仲だ。
ま、呼び出されて

「アンタなんなのよ」

って、いわれたんだけどね。

ま、前妻さんからしてみれば、わたしは浮気相手なわけだし当然のことだ。
このときはうまく丸め込んで和やかなままお茶は終わったが。

ポチと前妻さんは、とても共依存的ご夫婦だった。
ポチとはじめてきちんと話したとき、

「俺」

という一人称ではなく、

「奥さんが」

ということばを使用していたのがやけに印象的だった。
ハタからみていれば、ただのノロケのようにしか聞こえず、ヤケに不愉快なおもいをしたのを覚えている。
そこであひるの彼女に対する印象は、

「ひとりではなにもできないオンナ」

となった。

その後、きちんと話を聞いてみても。
はたまた本人と直接話をしてみても、それは正解であった。

彼女はポチの行動をすべて把握していないと気がすまないらしく、仕事中であっても、仕事仲間と飲んでいても、携帯電話の着信音はひっきりなしに鳴っていた。
週末は必ずふたりで過ごし、自宅には彼女が待ち構えている。
夫婦で一緒に暮らしているのだから、当たり前なのだが、ここで普通じゃないことがひとつある。

それは、6畳の1DKという部屋で二人で暮らしていたということだ。

極めつけに、その6畳の部屋には、畳ひとつ分以上はあろうとする「猫の飼育檻」があったのだ。
はじめてポチの家に遊びにいったとき、

どこに座れっての?(@@

と、思ったものだ。ヤレヤレ。

いま考えてみても、よく別れられたと思う。

わたしが遊びにいったときは、前妻さんは実家に帰省中であったが。
その間にも携帯と自宅の電話は鳴りまくっていた。

ここでいわせてもらうが、ポチと前妻さんの破局はあひるのためではないのだ。
もちろん、前妻さんには関係がバレて不愉快な思いをさせたのは事実だし、そのことには今も申し訳ないと思う。
だが、ポチは。

「自分が自分自身であるために、彼女と別れるのだ」

と。

何度もそういっていた。
いま思えば、自分自身にいいきかせていたのだろうか。

上記は綺麗ごとだが、実際には。

彼女が鬱陶しくなったのだ。

ただそれだけ。

結婚暦は二年といったところか。
前妻が働かなくなったことをきっかけに、経済が破綻し。
その救いをポチはあひるへと手を差し伸べ、一年後ポチは離婚。
ポチは実母に借金をし、約300万を彼女に慰謝料として手渡した。

そんなポチの性格は。

短気で。
キレやすくて。
面倒見がよくて。
やさしくて。

あひるの父親にそっくりだ。






2005年01月04日(火) 扁桃腺が。。。

あひるです。こんばんわ。

正月気分の抜けきらず、ポチをたたき起こして梅粥を作らせ熱も下がったので車でお買い物。
精神系のくすりと風邪薬は一緒に飲むなと医者にいわれたので、昨日今日とパキシルを飲まなかったら下痢が治まった。はやりヤツが犯人か。
こころのなかで断定の印を押しながら目標のものを購入。
そして目についた回転寿司を指差した。
具合がよくなったら腹が減ったのだ。ポチも同意。
あひるは6皿。ポチは10皿を食す。ウマかったー!
イカがとにかくうまかった。今度からいつもアソコにしよう。うん。
しかし、食したあと急に腹の具合が。。。うむむ。
ポチが本屋にいきたいといいつつもそれにどうにか付き合い、最後には綱を引き寄せて駐車場へ。自宅に到着し胃薬を飲む。せっかく摂取したんだ意地でも吸収してやるぜ!へへん。

ポチに体温計るようにいわれる。と、37.5。ありゃすこしあるじゃん。
しかも扁桃腺がパンパンだ。早く気づけよー。(涙
寿司飲み込むときどうも食べにくいと思った。。。。
ポチは今日からFF(ネットゲーム)を再開するそうだ。
12月31日から1月3日までは、あひるの相手をするためにネットゲームを休止してくれた模様。感謝感謝。大掃除とか頑張ったもんね。
思う存分楽しんでおくれ!思えば2003年、2004年はネットゲームだけのために喧嘩ばかりしていた。結局あひるがゲームをやめることで喧嘩はなくなったが。ネットゲーを夫婦で同レベルであげていくって結局は無理なのよ。。ま、あひるが飽きたんだけどね。ゲフッ。



2005年01月03日(月) あけまして。

新年を向かえ、なにかのきっかけにとなればと思い日記を書こうと思う。
目標は三日坊主にならないように。

はじめてなので自己紹介など。

名前:あひる
巣:東京の田舎
家族:夫(以下ポチと命名)と猫。
病歴:
1999年〜2002年まで鬱と不眠に悩まされるが、仕事を辞めたと同時に勝手に断薬。どうしても眠れないときや発作時のみに残っていた薬をすこしずつ消費。2004年12月、再び心療内科に駆け込む。診断名不明。
現在の薬:
パキシル 30ミリ
デパス 15ミリ
レキソタン 8ミリ
テトラミド 20ミリ

こうやって見ると結構薬飲んでるな。。。年末から飲み始めたパキシルは副作用の下痢っぴに悩まされる。ビオフェルミン、マツキヨでかった下痢止めも効かず。が正露丸を飲むと一発で効く。。。。。すごいなぁ(感心
とりあえず年明けに一発目医者に相談しよう。(風邪だと思ってた><)

今日は、二時間ほど歩いてふた駅先の神社へ夫と二人で初詣。やきそばとたこやきを半分ずつ食す。ウマー。
また二時間歩いて帰宅。帰るころにはフラフラ。
フラフラだと思ったら熱があった。夜になるにつれてがんがん熱は上昇。
マズい。夜はポチと離れてべつの部屋で眠る。


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