僕の生きる道
ぼく



 初雪

大晦日の朝、初雪が降っていた
とうとう家族には言えぬまま今年が終わる
いや・・家族にはいつか病との縁が切れるまでの
封印だった

僕は強くなった
孤独だと震えていた日も今となれば嘘のようである
僕は10/21日を境に生まれ変わった
体の芯から生まれ変わったように活力がある

周りには理解できず否定する人たちもまだまだ多く
失業した僕を哀れんだり、病魔に侵されていくのだと
思い込んだりしているのかもしれない

僕は降り積もる初雪を見ながら思った
こうして僕が病気になったことを知る記憶も
白紙になってくれれば、みな楽になれるのに・・と


2004年12月31日(金)



 ディナー

僕は最近、努めて人と会うことにしている
なぜなら僕が病人に見えないことを確認したいからだ

久しぶりに会う友人の誰もが、僕の顔を見て
とても元気そうだと言った
勿論僕は元気だが、ふた月ほど前にガンを告知され
治療に臨んできた僕だから、久しぶりに会う友人に
どういう顔をされるかはとても気になるのである

4人で食事をしたのだが、僕を除く3人の皆が揃って
「病人には見えない」と言った

僕は満足だった
お世辞ではない確信がそこにあった
僕が若々しく変化していることを羨んでいる奴までいた


2004年12月25日(土)



 健康診断再検査

僕の再検査の理由は、尿蛋白である
太っているわけでもないのに糖尿の疑いがあるらしい

そういえば健康診断の前日
「あっさりした食事を21時までに終えてください」と
説明書きがされてあったにも拘わらず、イタ飯とワインで
22時ごろまですごしたな

ま、いずれにせよ
検査で体の変化がわかるならそれも悪くない


僕は1日も早く健康の証明をしたいのだ


2004年12月24日(金)



 忘年会

今日は職場の忘年会だった
最近顔色のいい僕は、実は職場の同僚には
病気のことを忘れられているんじゃないかと
思うことがある
無論僕にとってそれはとても気が楽なのだが

今日は久しぶりにワインを飲んだ
体調には何の変化もない
すこぶる気持ちのいい酒だった

酔う前から僕にアルコールを勧める同僚は
僕の病気のことは全く記憶にないようだ
そのくらい僕は元気なのである



2004年12月17日(金)



 説教

今日僕は雇用主に連れられ、ある医師と会った
雇用主は僕の病気のことをその医師に話したようだ

僕が雇用主に病気のことを話したのは
ただ休暇がもらいたかっただけの理由なのに
雇用主は病気のことを知ってしまい辛いと言う

僕は雇用主に授かった力の話をしてみたが
理解してもらうことはなく、早く入院してくれと言う
入院してオペしても再発するかもしれないのに?
入院させれば責任は果たせると思うのかもしれない


僕は病院嫌いではない
僕は自分の納得のいく方法で治したいだけなのだ

ずるずると引継ぎをするのは失敗だったのかもしれない
職場での僕は今とても孤独だ
病気のことは言わなくていいものなら言わずにいたかった
・・・僕はとても孤独だ・・・


2004年12月14日(火)



 健康診断の結果

11/28に受けた健康診断の結果が届いた

“再検査”
しかし・・理由は全然違っていた
血液検査その他の検査はすべて異常なしなのである

僕はどんなことからも逃げようとは思わない
とことん完治を目指すため、再検査の診断があれば
再検査を受け、その病気も完治するつもりだ


僕はどんなことがあっても逃げない
それが力を授かった者の使命だと思うのだ


2004年12月13日(月)



 責任の重さ

1日6時間ほど、週3〜4日ほどの勤務でも
僕の存在は目立つのか、病気を知っている連中は
それを許してはくれない
いっそさっさと辞めてしまえばよかったのかと思う
僕が道義を通したがために、勤務し続けているのだ

雇用主が言う
「私が辛いので外へは出ないで欲しい」と
雇用主がもっと強い人間なら、さほど口外もせず
世間体に負けることもなかったろう
・・・そんなに辛いなら解雇にすればいいのに・・・

しかしそれを僕がとがめることもできない





2004年12月09日(木)



 引継ぎ

今僕は引継ぎなどのためパート扱いで
勤務している

僕のことを心配してくれているのはわかるが
今僕は針のむしろだ
僕は前向きに完治を目指している
その気持ちにうそ偽りはないのに、みな疑う

僕が癌の痛みをこらえて仕事をしていると噂され
家では吐いているかもしれないと陰で言われる


・・・僕が何をしたというんだろう・・・


2004年12月07日(火)



 検索

最近はネットという便利なものができ
『家庭の医学』なんてものもYAHOOで紹介されている

僕は自分の病気を詳しく調べてみた
レベルはどこまで進んでいて、一般的な処置としては
どういうことをするのか

冷静になってもうだいぶ経つので客観的に調べられた
僕のステージはやはり広範囲な摘出手術しかないようだった
放射線治療も殆ど効果がなく、オペをしてもその後5年以内に
再発する可能性は30%にも及ぶとのこと

怯えながら5年過ごすのはごめんだ
僕の選択は正しかった
今後も僕が自分の力を信じることをやめることはない
そして、僕がもっと多くの人にこの力を伝えられるよう
それを実証して見せよう
僕に迷いはない
もちろん悔いもない




2004年12月01日(水)
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