不機嫌なブーケ QLOOKアクセス解析

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2006年06月25日(日) カルニチンとオルニチン。


金曜日に近所のうどん屋さんで、息子のクラスの交流会があった。
持ち上がりなので、2年目のクラスだが、こう言う集まりは初めて。
学期ごとに3次会まで飲んでた幼稚園時代とは随分違う・・・って
それは飲み過ぎ

上の子がいるお母さんが修学旅行の話をしていたくらいで
無難な話に終始したが、やけに盛り上がった話題があった。

コラーゲンでお肌つるつる。

某社のア○ノコ○ーゲンが効くと言う。体験したお母さんが力説する。
「見た目は同じに見えるかもだけど〜、自分では3日目から違いが判った」
つるつる、ぷりぷり

ひとしきり騒ぎとなる。
「私絶対買うっ!」 と言っていたお母さんのうち、どのくらいの数の
人が購入するのだろうか。 私は買ってしまった
買ってみて気が付いたのだが、これは@cosme(コスメ関係の口コミサイト)
のサプリメント部門で2年連続1位を獲得しているらしい。
女優でもない、ただのおばはんがコラーゲン注射など出来ようか
そんな予算や時間がどこにあろう。 だけどまあ、計量スプーン1杯飲む
くらいであれば・・・


カルニチンとオルニチン
似過ぎているので、初め聞き間違えたのかと思った。双子の名前みたいだ。
某番組で、燃焼系とか、成長ホルモンとか痩せるとか、やっていたらしい。
一気に話題になる。
近所のドラッグストアの薬剤師さんで、ものすごく話好きで、恐ろしいまでに
商売っ気のない人がいる


カルニチンは実は30年以上前からあった物質です、αリポ酸コエンザイム
Q10
もそうですね。これまでも医薬品に入っていたんですよ。これなんか
ほら、αリポ酸が入ってるけど昔からある薬です。ですがまだ、本当の
ところ、どう言う物質であるのか、判らない部分が多いんです。
オルニチンは最近名前が出たのかな?ほとんど何も資料はありません」

おじさん延々と話す。私は資料の本を見せてもらいながら聞いていた。

「生まれた時から何時まで成長のホルモンが出て、いつ頃止まってと言う
のはDNAの中に組み込まれています。それを今からでとって、どうと言う
ですねえ。だからこれだけの商品が出ていても、どれが効くと言う話は
何とも言えないのですよ」

他の店員がこちらを凝視している。当たり前であろう。

「とにかく痩せたいと言うのであれば、食べないしかありません。
ですがそれでは身体を壊してしまいます。カーペンターズの、ほら」

「カレン・カーペンターですね?」

「そう、ああやって拒食症になり、心臓が止まってしまったり。
ですから、ゆっくりやるのが一番なんです。糖尿病の人が実際に使っている
方法を試してみるといいですよ。食べた物を全て書き出すそれを
2週間続ける
。そして無駄なもの、偏った物をストレスにならない程度に
省いて行く
。これで痩せるんです」

大体30分の講義であった。他にもイソフラボンの話や同じ内容量を謳った
サプリでも何故値段が違うのかと言う話など、立ち話は疲れたがためになった。

カルニチンオルニチンもいらないんだ・・・これが私の結論であった。

がっ

今手元にはカルニチンの瓶があるのである。何故だろう
そこら辺は上手く説明出来ない。
製薬会社が作っていたから〜とか、αリポ酸とQ10も一緒に入っているから〜
とかは言い訳になりません。おじさんの話の一体どこを聞いていたんだろう?

夏までにあと2キロ
正にダイエットサプリ会社の広告である。



2006年06月24日(土) 人間の屑。


人間の屑ですね。
面と向かって言われた事がある。一度や二度ではない。
勿論、相手は 私の事をそんな風に言っているつもりはないのだ。
相手の言う「人間の屑」の条件がたまたまぴったりと私にも
当て嵌まっている事を、相手が知らないだけなのである。


本人に問題があるんでしょ。
やっぱり少し異常と言うか。

こんな言い回しもある。私は困ってしまう。
私自身はそうではないと思っているからこそ 安心して相手は話を
振って来るのだ。 問題のある異常な人間に見えないのは嬉しいが
そもそも、そう言われる条件の方には当て嵌まっているのだった。
そんな時は 取り敢えず、今この会話は無事に済まし、何も悟られては
ならないと思う。


決め付けで物を言うのは良くある事だ。私も実に良くこれをする。
何にでも首を突っ込む野次馬だから、余計に何かコメントをしたくて
仕方ない時もあるし、口にする時はやっぱりこんな感じになる。


適度に親しい程度の人と話す時、その人の情報をどのくらいまで頭に
置いて話すだろうか。既に知っている事ならば、関係する話題の時などは
すかさず思い出し、心を配るだろう。
だが、姉がいるらしい程度の情報量で、その姉の子供が思い病で
あると言う可能性まで頭を巡らせたりするだろうか。
その姉が、長く精神を病んでいるかも知れないと言う事まで考えるだろうか。


話題は外から飛び込んで来る事が多い。
それについて語る時、真っ先に顔を出すのは、その人の節度のある常識と
ぶち壊される事もなく、持ち歩いて来た価値観だ。
そこから大きくずれた物、身近でない物には辛辣なコメントが出やすい。

私も、そのテのコメントはガンガン出しているからお互い様なのだ。

屑の汚名は返上出来るのか?
私が相手の言う屑であると言う事を知った上で、その人が私を屑と
呼ばないのであれば、もういいではないか。










2006年06月23日(金) 膝が痛いよ、お母さん。


一旦食べた物は死んでも吐どさない。
息子のこの体質は父親譲りのものだ。他にも余りにも快便とか。
父であった人には思うところは沢山ある。今となっては良い事は殆どない。
だが、胃腸が丈夫な人であり、息子にそれが遺伝しているらしい事は
有難いと思う。

私は子供の頃、ストレスで良く吐いた。
今の息子の歳よりはずっと大きくなっていたが、高校生くらいまで
それがあったように思う。ちなみにそんなでも痩せませんでした


息子が左の膝の痛みを訴えるようになったのは言葉が話せて直ぐで
あったと思う。初めは異常があるのかと思ったが、翌日は全く元気に
走り回っているのと、どうやら叱られた日の夜に、膝の痛みを訴える
ようであった。
叱られて、上手く謝れなくて、お母さんが怒ってて、悲しい、寂しい。
私は「寂しい膝」とか「寂しん病」と呼んでいた。
小さな湿布を貼って、しばらく撫でていてやると、眠ってしまう。
もちろん翌日はけろっとしているのであった。

何時の頃からか、「足が痛いよう」と訴える事が少なくなった息子。
私の記憶では、ここ1年ほどは殆どなかったように思うのだが。
幼稚園年長くらいから、何とか周囲に馴染めるようになり、足の痛みを
訴える事もその頃からぐっと減って行った。


昨夜、息子の部屋から唸り声が聞こえるので 行ってみると足を押さえて
丸くなっている。「足が痛いよ!足が痛いよ!」とべそをかいている。
押さえているのは、やっぱり左の膝だった。
膝はどこも悪くないのだ。悲鳴を上げるほど痛いのは息子の気持ちなのだろう。

昨日、一昨日と、ヨッチャンのチクリ攻撃により、息子の心は傷付いて
しまった様子である。
学校でやったお馬鹿な事を毎日玄関先で逐一親に報告されると言うのは
口下手な子供にとって、結構な精神攻撃になったのだった。
昨日は息子がインターホンで応対したが、ヨッチャンは「お母さんを出して」
の一点張りで、振り向いた息子の顔が情けなかった。
インターホンからは「Rちゃんじゃないの!お母さん出して!」と言う
勝気な声が響いていた。
本当は、子供が特別は好きではなく、小生意気で嘘吐きな子が特に嫌いな
私は、その時点で「何様だ貴様」と思ってはいたのだが。


息子の足をずっと撫でてやる。痛がり方も幼い頃よりずっと激しくなって
いた。私がこれまでして来た事の間違いについて、悲しく考えさせられた。
久し振りに一緒に寝る。息子は更に大きくなっていて、余りの寝苦しさと
多分、すかしっ屁をされてしまったのだと思うが、余りにくさいので
息子が眠りに付いたのを確認して明け方、部屋へ戻った。


息子が弱いとは、私は思わない。
むしろ強かにこれから生きようとするだろう。強かに生きるための術を
仲間や敬愛する人物や書物と、随所で学んで行くのだろう。
私は母親として、息子がそれを出来る力のないうちは があれば一緒に
退けてやる事もしなければいけなかったのだろう。
「何故、お前だけが退ける事が出来ないの?」
こればかりを言って来た気がする。


昨日も一昨日も、結局ヨッチャンは自分の告発によって、息子が私に
叱られ、告発した自分は褒めて貰い、その日の居場所を提供して貰える
と言う、哀れで単純な考えに基づいて行動したに過ぎなかった。
だが、彼も犠牲者だとは もう思わない。

私のような半端な母親に、そんな余裕なんぞない事が良く判った。












2006年06月22日(木) おばさんは、君がきらいだ。


これは実際、小学2年生の子を前にしての私の発言だ。
もちろん前後があるけれど。

ヨッチャン(仮名)は名前を変え、何度かこの日記に登場している。
幼稚園からずっと一緒で、息子とは今年で4年目だ。

いつも居場所を探し、彷徨っているヨッチャン。
卒園した幼稚園付近を7時過ぎても自転車で延々と周回しているので
昨年は先生方も随分心配されていたと聞いた。
彼の言い分が本当であるならば、お姉ちゃんがカギを持って行って
しまったら、家には入れないのだと言う。
可哀相だ、だが事実である可能性は低い。
ヨッチャンの嘘は巧妙だ。小学1年生が吐く嘘とは思えない、いや
ちょっと思いたくない巧妙な嘘を吐いていた。

突然雪の中に仲間を押し倒し、腹を殴る。あとで問い詰められると
一緒にいた別の子に「命令されてやった」と言う。
それだけならまだしも
「ごめんなさい、ボクが悪い事だって判ってるから止めれば良かったんだ
でも逆らえなくて、ボクもちょっとだけ足を蹴りました」
などと言う。 彼が犯人と名指しした男の子は、ヨッチャンの現在の
出入り先の家主の息子だったりする。
恩義も減った暮れもあったもんじゃない。


ヨッチャンは2年生になってパワーアップした。
何か悪さをした際に、うちの息子が「お母さんに、言う?」と先生に
恐る恐る訊ねてしまったのだ。これは先生から聞いた。
「お母さんに言わないなら止めるってかい!って言うと『ちが〜う』って
言ってたんですけどね」
先生は笑っておられたが、どうやら発端はここであったらしい。

ヨッチャンは我が家に来て、息子の悪行をあげつらって行く。
昨日は、牛乳パックを開いた時、過ってヨッチャンの服に少しかけて
しまったと言うものだった。近所のクラスメートの女の子がたまたま
事情を知って、我が家の玄関口でヨッチャンの言っている事が誇張と
嘘である事、全てが既に済んでいる事を激しく暴き立ててくれた。
頼もしい事だ。
ヨッチャンは初めに息子の落ち度を告発した時にこう言った。
「だから、今日は遊べますか?」
息子の弱みを握れば、断れないと踏まれてしまったのだろう。

今日はインターホンに息子が出たが、いきなり
「Rちゃんのお母さん出して!」と言われて、息子は何を言われるかと
すっかり縮み上がってしまった。


私が出て行って、およそ15分の会見が持たれた。
彼が家に入り込みたいのは判っているので、玄関を閉め外に仁王立ちになる。
「Rちゃんが・・・Rちゃんが・・・Rちゃんが・・・」
喧嘩をした、ひどい事をした、意地悪をした。クラスが困ってる。
私の方からは、友達に怪我をさせるから、余り蹴ったりしてはいけないよ。
などと無難なお説教をする。

ヨッチャンにとっては想定外と言うか、直ぐに自分の非を認め息子を
叱り、ヨッチャンに居場所を提供するものだろうと思っていたらしいが
そうならなかったのが不満だったらしい。
何度も「もう帰りなさいね」と言っても一歩も動かず、目も全く泳がない。
挑むように、ずっとこっちを見詰め続けている。小学2年生なのに。
「だけどね〜Rちゃんはね〜」

「ヨッチャン、嘘を吐いたね?」
「へ?」
「冬の日に、K君が命令して腹を蹴った、自分はちょっとだけ蹴ったって
言ったよね?だけどおばさんは、それは嘘だって知ってるよ。
おばさんは嘘は一番嫌いなの。嘘吐きは大嫌いだからRは嘘は吐かない
筈だよ。友達をこっそり内緒で悪者にするのは一番卑怯。
おばさんはね、そんな事をする子供は嫌いなの、帰りなさい」

多分、私の目には火が宿っていたと思うのだが・・・
それでやっとヨッチャンは今日帰ったのだった。

事実ではあるが、子供に言うのはどうかと思う事も言ったので
即刻学校に電話して、担任の先生(20歳)に自分の口から出た言葉も
なるべく事実通り伝えた。

意外な事には、学校内の事情が外へ子供の口によって漏れ出た事に
先生は大立腹の様子だった。
息子が私を怖がっていると言う話はこの時先生との会話で聞いたのだ。

だがこれも、言い訳に聞こえるかも知れないのだが、私が怖いと言う
よりも、母一人子一人であるので、傷付いたり、泣いたりする母を
息子は一番見たくないらしいのだ。
そしてそれを割と簡単に、子供絡みで私はやってしまうのだった。

ええい、くそ! 息子は不安定になっている。




2006年06月21日(水) mixiへのお誘い。


ある人から、mixiについて誘いを受ける。
噂には聞いているけれど、参加した事はない。

場が場であったので返答し損ねた。と言うか断ってしまった。
しまったなあ、と思う。
やはり面と向かっての誘いは受けにくい物だ。
相手は男性だったし、元クラスメートだし。

「いやあん、自分の日記も見られちゃうって事だしい」

建前に言ってはみたが。

私は ここであれこれ書いている十分の一くらいしか話さない。
話す事は全て、場によっては上滑っている気がして落ち着かない。
書いている方が楽なのだが、思った事をそのまま書き過ぎる。
落ち込んでいる時は、落ち込んでいるまま書く。
落ち込んでいる事は他人には上手く話せない。
話せる人が羨ましいと思う。

と言う訳で、「日記もなあ、知り合いが見るなら差し障りがない
物を書かないといけないし・・・」 などと考えて断ったのだが
夜、風呂に入りながら、どうせならうんと馬鹿馬鹿しい自分の
日常をそのまま書いたらどうだろうと考えた。
ここですら漏れてしまうような、恥ずかしい話は結構あるのだ。
例えばピーをピーしてピーな事とか。
下品ネタと言われてしまえばそれまでだ。知り合いの中身が
実は下品だった
と言う事を知らされると言うのはショックだろう。

だが内気で何考えてるか判らない中年女と言うイメージの方が
ずっと不健康だ。ピーをピーしてピーな事は別に不健康ではない。
自分なりの理論に基づいて行動しているのだが、それがとても間抜けで
あるなどと言う事は良くある事だ。

そうした事を胸張ってこっそりmixiで書くと言うのも面白いかもと思った。

今度彼と会う機会があったら「やります」と言ってみよう。
「いや、もういいわ」って言われたりしてね。






2006年06月20日(火) 玉。


退院してから、まる1ヶ月が経過した。
色々な事があったけれど、1ヶ月だ。もう、いいだろうと思う。


その玉のような物は、おそらくずっと以前からあったのだ。
十年近くかけて、徐々に大きくなったのだろう。
そんな物があると言う事に、気付く事がなければ、は更に大きく
なって行ったのかも知れないし、小さくなって消えてしまっていた
かも知れない。
ただ、一旦気付いてしまったら、日毎大きくなるこのの存在は
重く 苦しくもある。

この、気持ちでは抱えているような気もするが、実際は心の奥深くに
沈んでしまっているものなのだろう。
これまでの生活と、常に私自身の中にあったのだろうある種の齟齬を
切り離して、こねて丸めて作ったものだ。



私の心の中には大きながある。
はもう少しで・・・もう少しでどうなってしまうのだろう。










2006年06月19日(月) ブドウとレモン。


手に届かない、あのブドウは酸っぱいに違いない。

イソップのキツネとブドウに出て来る、これは酸っぱいブドウの機制。
アンナ・フロイトの防衛機制の一つ、合理化機制に含まれる。
防衛機制と言うのは、適応出来なくなった心の状態を何とか適応しよう
とさせる無意識の心の踏ん張りだ。

踏ん張りには内向きなのと外向きなのがあり
例えば「昇華」「代償」などは外向きの踏ん張りだ。
爆発しそうな心を褒められる行動にとって変えてみたり、他の事を
頑張ってみたり。

内向きの踏ん張りには「引きこもりや逃避」「退行」などがあるだろう。
内向きとは言え踏ん張っているので、他の機制に変えて欲しいと思っても
中々出来る物ではない。

「合理化」はこれで言うと外向きなのだが、これをしない人は
いないんじゃないか?と言うくらいものすごく身近な行動であるから
私は好きなのである。


この酸っぱいブドウの機制は「手に届かないものは価値が無いもの」と
自分に納得させて心のバランスを取る行為だ。
これとセットになった「甘いレモンの機制」は逆に「自分の物となった
物ゆえに価値がある」とやはり無意識に自分を納得させる行為だ。

ブドウは甘く、レモンは酸っぱい。
無意識は判っている筈なのだ。だが それではままならなさに押し潰されて
生きて行くのも辛くなる事だってあるだろう。
人間は心の生き物だ。心のバランスだけは常に取ろうと躍起になっている。


まだ10歳ぐらいの子供のころ、父がこう教えてくれた
こっにち来て、レモンの木から教わりなさい
愛なんてものを信じてはいけないということを
お前がいつか、愛がこのレモンの木のようなものであることを
知ってしまうのではないかと、心配でしょうがないんだ
(PP&M 『レモン・トゥリー』)

この歌ではレモン(愛)がいかに見た目と裏腹に酸っぱいものか
お父さんが息子に教える。自分もレモンの機制で失敗しているのかも
知れない。

ところが息子は恋におち、父の言葉を忘れ、手痛い目に遭う。

手痛い目に遭った息子が反省して歌は終わるが、やがてこのレモンは
届かぬブドウへと変わり、新しいレモンが息子の手の中に姿を現すだろう。

人生も甘いレモン。届かぬブドウを追い続けても、疲れて心から駄目に
なってしまうに違いない。疲れた心では何も追えない。
それよりは、選んだ道を時には無理矢理にでも肯定して見せる事も
必要だろう。

それが、本当は自分の欲しかった物ではないのだと言う事は 心の奥底に
そっとしまっておく。
ブドウはほとんど幻想なのだろうと考える。


2006年06月17日(土) リア運、使いますか。


息子発熱で、学校は欠席。
とは言え、それほど高い熱でもないので元気に動き回っている。

母と相談の結果、クジ引きは決行する事にした。
せっかく集めた9枚のくじ券を無駄にするのは惜しい。
子供はどちらかが看ていれば良いだろうと言う事で、昼過ぎに
機動力のある私の方がショッピングモールへと出掛ける事にした。

どうせ外れる事は判っている。何年もクジ引いて最高が500円の商品券だ。
一番の外れはティッシュだが、次に多いのはお菓子一品を選べると言うもの。
上手くすれば駄菓子が4袋くらいもらえるかも知れないなと思った。
くじ引きだけのために行くのも馬鹿馬鹿しい気がしたので、ジーンズを
買って帰る事にする。
何の事はない、収支はマイナスだと苦笑しつつ出掛けた。

スクラッチの時もあるのだが、今年はガラガラを回して玉がぽんと出る
タイプのものだ。ガラガラポン、ガラガラポン・・・
3玉目で既に5000円の商品券が出た。私は平静を装っている。
「あと1回で〜す」当たりが出た後なので、むしろほっとする。
早く終わりたいなあと思ってガラガラを回したら白い玉が出た。
カランカラ〜ン。
1等、商品券1万円。抽選担当のお姉さんたちが声を上げた。
「1等1本、2等1本です。すごいですね!おめでとうございます」 おお〜。

欲しい物を買ってもプラス勘定と出た。駄菓子も2袋当たったし。
意気揚々と家に戻ると、息子がまた発熱して眠っていた。
出掛けていなければ、病院にも行けたのだが・・・

息子の熱は上がったり下がったり、いわゆる蒸け醒めのあるタイプだ。
夜には落ち着いてすやすやと眠りに付いた。病院は土曜の朝に予約を入れた。

9本クジ引いて1万5千円。確かに大当たりだ。
そろそろも溜まっていた頃なのだろうか。だが、せっかくの幸運なのだ
お金で買えないものに一気に使いたかったなどと思うのは贅沢か。
そもそもお金で買えないような物は 小運くらいで手には入らないか。


ジーンズショップでは「こちらなどいかがですか?」と、目の前に出された
何本かの商品のウエストが全て56センチだった。
細身の店員さんなら自分が基準なのだろうなと諦めるが、自分より太目の
店員にこれをやられると無性に腹が立つ。誰が穿くんだこんな細いのっ
あんた穿けるかこんな細いの〜〜〜っ!

せっかくサイズダウンしたから張り切って買いに来たのに
「・・・済みません、もっと大きいサイズありますか?」
と聞かなきゃあならないこっちの気持ちも。


2006年06月16日(金) 熱出す息子。


息子が流行り風邪で熱を出す。
冷却ジェルシートを額、腋に貼り、更にに貼った時 寝ぼけて
「○○、○○、やめて〜っ」 と言われた。
○○はクラスの女の子の名前である。
大人しい女の子で、夢の中でもなければ決してそんな悪戯はしない
のであろうが、それにしても失礼な夢を見ているものだ。
眠りが浅いのだろう。

雨が窓を叩いている、風が吹きつけている。
子供は熱を出すもので、私たちもそれを繰り返して大きくなったのだが
そうは言っても、やっぱり心穏やかではいられない。

旧式のゴムの水枕を作りながら「明日どうしようか?」と母と相談する。
明日は近所のショッピングモールへクジ引きに行く予定であったのだ。
こんな時に限って、相当数の抽選券を持ってたりする。
「どうせポケットティッシュが山になるだけだし」
「でも商品券が結構当たるんだよね、もったいないよねえ」
明日は今以上の大雨になるだろう。


日々は こんな事の繰り返しだ。
息子を見ていると、何がそんなに嬉しいのだろうと言うような顔をして
毎日を生きている。
ほぼ毎日学校で、大きな図体をして泣いたりもしている様子だが、それでも
自分を取り巻く、あらゆる物や事に興味があり、好きであるらしい。

息子は息子であり、そこに自分の希望を重ねて見るわけではないが
子供と言う生き物自体が 希望を体現しているように思えるのは本当だ。
聞いた話によると、ある年齢までは、そうであると言う。


買ったばかりの自転車が、カバーがかかったまま玄関に置かれている。
熱が下がり、雨が上がるまで、ほんの数日の事なのだろうが 今は私まで
待ち遠しい。







2006年06月15日(木) 熟女とは。


熟女が流行っていると言う。本当なのだろうか。

某オンラインゲームで熟女と言う呼び名をもらっていた私だが
私は果たして本当に熟女なのだろうか

熟女の定義を詳しく調べようと思ったら案外そう言った事をきちんと
書いてあるところは少ない。
『熟女』と言う単語で検索すると12,300,000件と言う莫大な数が
ヒットすると言うのに(Google)

元々はテレビなどで オバサンとはっきり言えないような強面の
中年女性タレント
に使われていた言葉であった気がする。
イメージとしては加○まりことか野村サ○チーとか。

だが単語検索でこれだけのヒット数があるのは、熟女と言う言葉が
新しい活躍の場を得たからに違いない。
それは風俗関係だ。迷惑メールにも熟女の字が躍る。
迷惑メールでは30代前半だと言う(嘘か本当かはこの際別の問題だ)
女性が自ら熟女を名乗っている

熟女について調べて行くと、ほとんどが入ってはいけないページ
行き着いてしまうのだった。それでも己の熟女観について激しく討論
している場などもあり、年齢だけで見ると下は30歳〜35歳〜40歳〜
と様々なようだ。ただ20代と言うのは熟女ではないらしい。

上は50歳〜60歳〜65の場合はこれが一杯一杯のようで70歳と言うのは
ぱっと見たところ無かった。

これで行けば私は確かに熟女の年齢だ。
だが年齢さえ当て嵌まっていればいいのだろうか。
熟女は、女性の中年を気遣った言い方なのだろうか。
その割には随分と、迷惑メールの熟女は自信ありげだったが。

検索してみる『熟女 条件』

私は熟女と呼ばれるための条件が知りたかったのだが、出て来たのは
どうやら色んな熟女を選ぶための条件の方であった。
太っているとか、ですね。

熟女の熟は完熟の熟であり、完熟した女性と言う意味で言うと思うのだけど
そういやあバナナも完熟したらシミみたいな黒っぽいのが沢山出て来るしね。
あれはシュガースポットと言って腐っているわけではなく、糖分が
集まった所で、実はとても甘いのです。

花なんかは咲ききった所や枯れ落ちる風情を好む人は結構います。
でも果物にしろ、花にしろ、自然な形で完成し、自己主張などしない。

「私は、〜な熟女で〜す」って言うのは既に旨味はない。

とは言え、自然に年を重ねる事を否定的に見られないのは悪い事ではないし
熟女って言葉自体は嫌いではないので、風俗から飽きられても残って
欲しいかも。多分その時は、私自身 押しも押されもせぬ本格的は熟女と
化しているのだろうし。


2006年06月14日(水) 受信箱。


私のメールの受信箱にはフォルダが幾つかある。
特定の業者の「広告」やサイトで用意している「一言フォーム」などは
自動的にそちらに振り分けられる。

手動で振り分けているものもある。
その中に、個人名のフォルダが一つある。そのフォルダには550通と言う
沢山の受信メールが眠っている。メールがやり取りされた期間はおよそ
半年、やり取りが全くなかった日は ほとんど一日も無かったと言っていい。

先方はもっぱら携帯メールを使っていた。私は携帯メールを上手く使え
ないので、PCのアドレスに打ち込んでもらっていた。
携帯メールでも信じられないほどの長文が打てる事を 私はこのやり取りで
知った。 だが余りに長いと打つのに40分程かかってしまうと言う。

互いの居住地は遠く、結局一度も会った事は無かったが メールは日々の
生活の中、一定のリズムを持ってやり取りが繰り返された。
内容は、もっぱら他愛ない日常の報告であった。
それは交換日記に似ていたと思う。

子供や家の事が中心だった私の生活の中にも、それとは別なリズムが
生まれた。 他人には余り話せない事も、途中からは気楽に話していた
ように思う。 何故そこまで相手を信用したかと言えば、相手にとっては
大して得にもならないと思われる行為を 根気強く続けてくれていたと
言う事が、何より嬉しかった事があったからだろう。

実際の私は 寂しがりだがひどく臆病で、8年前に手酷い思いをしてからは
「普通の人」の顔をして毎日を生きているのが精一杯だ。

ここ半年で私は良く笑うようになった。心がほどけて行くのが判った。
言ってみれば「元気?」「お疲れ様」と互いを労うやり取りだけであったが
柔らかい気持ちでいられた半年であったと思う。


そんなやり取りの終わりは突然にやって来た。
それがいつか来る事であるのは、判っていたわけだが 時期の予測は
少なくともこちらからは全く付かず、今となっては そんな物なのだろうと
思うだけだ。

メールやチャットでは、随分と余計な事まで話してしまった。
やがてどこの誰かも判らなくなって行く人に話す内容でも無かった事も
あり、向こうも迷惑だったのだろうが、こちらも少し悔やまれる。
やがては先方ではそんな話も「ネタ」などと言われて「聞いた話」の一つと
なって行くのだろうか。

ここを見る事も実際は、最早ないだろうと思われる。
それも多少は悲しいが、逆に安心して書いている。

先方は最後まで 誠意を見せてくれたので、それ以上何も望むべくは
ないが、受信箱に未読メールがあるのを見付け、それを開いて そこに
迷惑メールでブロックし切れなかった風俗系のメールが入っているのを
見付けた時は、今はまだ 本当に悲しい。

メールだけのやり取りも、会えない時はメールなどと言うやり取りも
自分にはもう当分、出来そうもないと思う。












2006年06月12日(月) キャラミルやってみる。


実は、リンクして頂いているサイト様へ遊びに行った時
面白そうな物を発見。 早速出掛けてみました。

少し以前に成分を解析してみたりもしましたが、今回はキャラクターの分類

しかもウラとオモテに分かれていたり「へ〜」ネタにしろ色々考えさせ
られました。

『キャラミル研究所』と言うところでテストをしてくれます。
リンクは貼りませんが、興味のある方は一度訪ねてみるのもいいかと。

既に結果の出ている方もいらっしゃるかも知れませんね。


私の場合はこれでした

ウラゲノム(モノを考える時のクセ)は3つに分かれます

「ナイト」
遠足の[しおり作り係]に燃えるタイプ・・・と言う事みたいです
人当たりは良い一方、受身なところも

「ジェネラル」
暑苦しいおっさんのイラストが出たのでびっくりしました。
押しが強く、重戦車のような精神だそうです
イエス・ノーがはっきりしていて「なんかえらそう」だそうです・・・

「フィーリング」
ゆるゆるで風まかせな面があり寅さん的であるようです。
ふや〜っとものを考えるのが好きで、悩みが無さそうに見られがちだって。

サイトでは各特性をもっと詳しく分析してます。

オモテゲノム(話し方のクセ)は1つです

「スマート」

良く喋るけれど、べったりのコミュニケーションは好まないとか
そう言った事が書いてありました。


どうなんだろうなあ、って余り考え込むようなもんじゃないんでしょうね。

重戦車で風まかせかあ。
でも、全く違うぞとは言えない自分がいる。
こう言うのもたまには面白いですね。

ただ、互いの相性までは気にはなりませんけどね。

ちなみに既婚でやってます
独り身でも結婚経験があれば既婚ですよねえ。
案外、そこで一番迷ったりしてた。



2006年06月09日(金) 秋田の嫌な事件。


秋田の男子殺害事件は、容疑者が泣きながら殺害を自供したと言う
ところまで報道されている。

容疑者逮捕に至るまでの週刊誌掲載記事の突っ走った内容や
(結果的には逮捕された)子供を亡くしたばかりの筈の母親がテレビで
「自分は疑われている」と訴えるなど、気色の悪い事尽くめの事件である。

容疑者が、まだ容疑者扱いされていなかった頃のテレビ出演は
私は観ていなかったのだが、逮捕後は家族がわざわざ録画までして
くれたので、観ないわけには行かなくなった。(観たかったんだけど)

互いを利用していた感のある、容疑者とテレビ局であるが
任意同行となった時、容疑者が担当となっていたテレビレポーターに
携帯電話をかけていた
と言う事実には驚いた。
これで冤罪ならある意味 途轍もなく義理堅いと言えなくもないが
自供した今となっては異常以外の何物でもない。

いや、でもこれは単に 私がいつも心に携帯電話な人間じゃないから
そう思うのかな。 自分も少しずれているので自信がなくなって来た。

今のところ、動機に関する事は一切報道されていない。
新聞等で見ているだけのこちらは、動機が語られないうちは薄気味悪さは
増すばかりだと言う気になるが

地元小学生や家族の方などは、取り敢えず単独犯であると言う自供が
あった段階で、幾らかは落ち着きを取り戻されたかと思う。
長い長い20日間であったろう。


2006年06月08日(木) ワンピースと宝石。


花柄のワンピースを買う。

モノトーンにしたのは 沢山の色味が入っていると顔が負けてしまう
事が多いから、と言うのもあるが
身に付けたい宝飾品があって、それに合う服を選んだから。

宝飾品は好きだけれど、時折箱から出して、光を当てて楽しんだり
するのが好きなのであって、身に付けるのは全然苦手だ。
上手にお洒落に取り入れられる人を見ると、羨ましく思う。

もっとも今だと 気が付けば、息子のビー玉箱に入れられてしまっている
と言う恐ろしい事態も、家では起こりかねない。


家に帰って、早速ワンピースを着てみる。
チョーカーのように短くした、宝飾品を首に着ける。
ちょっと太目の猫の首にが付いたように見えた。

あんまり似合ってないのかも知れないなと思う。




2006年06月07日(水) 美容室にて。


美容室に行って来た。

退院してから鏡を見たら、有り得ないほど白髪が増えていた。
子供を産んだ時もそうだった。 身体に負担がかかると白髪が増える。

どこかにがいるなら一度聞いてみたい。
何故痩せないのに、白髪ばっかり増えるんですか。


私より2歳年下の店長は いつもテンションが高いが、今回は低かった。
子供の運動会で体力を使い切ったのか?と思ったがさにあらず
「今年に入ってから何やっても駄目」 なんだそうである。
「昔は多少の無理が利いたけど全然駄目になっちゃって、気力も何だか」
そう言いながら、私の前髪を撫で上げる。「うっ」 白髪がこんなに。
「現実を直視するのは苦しいですか?」
くそう、他人が凹むのを見て、浮き上がろうとしているな。


この日はいつもの美容師さんが一人お休みで、忙しそうだった。
私に付いてくれたのは、この店に最近入ったばかりの人だ。


25歳だと言う彼女は、実は一見30を超えているように見えた。
美容師さんは華やかでほっそりした人が多いので、珍しいタイプだ。
そして、自分の事を これまた良く喋るのだった。
シャンプーしながら、同棲中の彼の事を喋っている。彼は年下で
仕事柄すれ違いが多いが、自分が一人暮らしで、彼が実家なので
気が付くと同棲と言う形になっていたと言う。
「どうでしょうね」
と話を向けられて、私は困った。励まして欲しいのかと思う。
「ええと、知ってる人で良く似たケースが2つあるけど
今は結婚して幸せになってるよ」
幸せになっていると言う部分は半分だ。洒落にならない相談の電話が
突然来たりする。でもまあ、結婚しているのは本当だし・・・
「そうですかあ」
それほど、嬉しそうとも取れない返事。

カラーリングも彼女がしてくれたが、上手だなと思った。
この時はほとんど、カラーリングに集中しており、彼女は無言だった。


再びシャンプー。 大変なのは、実はここからだったのだ。
同い年の 別な男性が、話に登場して来た。その辺りから彼女の手元が
怪しくなって来た。 夕べも河川敷に二人で遅くまでいたと言う。
「そんな〜そばによるとチュチュチュチュウしちゃうぞって言うからあ」
何故かそこだけ、DJがレコードを回す時みたいな音を出した。どもったらしい
「いやちょっと寒いだけだけだからっ本当に寒いだけだからねって」
「・・・今時の夜の河川敷は、まだ寒いでしょうねえ」
私は何を言っているんだろうと思う。

シャンプー泡が耳に入った!しかも結構大量に。
彼女は話し続けながら、泡を取り除いたが話は止まらない。詫びもない。

「で、だけどお前彼氏居るだろうって言うから、でも誕生日プレゼント
買ってもくれないんだよ
って言ったらオレが代わりに・・・」

シャンプーが終わり、ブロウも仕上げ以外は彼女が担当した。
「彼は音楽をやりたい人だから、じゃあ歌ってって言ったら河川敷で
特別に〜とか言って歌ってくれて」
「ええと、それは23の彼?」
「あ、違う違う別の彼」
「ああ」 初めは判っていたつもりの話が段々解らなくなって来た。

「で〜調理師免許があるから、今度料理を作ってやるぞって」
「ほう、それは羨ましい」

この反応は本心だったりする。
私は手が小さくて指も余り長くない。料理学校で、太い大根のカツラむき
やっている時、不器用さも手伝って指を切り、流血してしまった。
男の人が大きな手と長い指で、悠々とカツラむきをする。素晴らしい。

髪の毛は既に乾いている。 やっぱりこの日は人が足りずに忙しくて、
店長は別のお客さんから中々離れられず、仕上げに回って来られない。
彼女は私の髪の毛のすそを愛おしげにうちまきに指で巻きはじめたおい

「で、今度ノベルサ(飲食店街の微妙な名所)に連れて行ってくれる事になって」
「・・・。ああ、その25歳の方の彼が」
「はい〜、でも私、彼氏いるよ?ってちゃんと言ってるからいいですよね」
ノベルサの観覧車ってさ、一つだけ黄色い箱があって、それに乗ると
幸せになれるんだって聞いた」

入院中に聞いた話を無責任にたらい回す。

えええええっ本当ですかっどうしよう、それって付き合っちゃうって
事なんですか??」
「いや、幸せになるって聞いたなあ、幸せになるのは良い事だよね」
うわあああああ、息子さんとは行かないんですか?」
「光るの綺麗だから見せてやりたいんだけどね、寝てる時間だから」


やっと店長が来てくれた。
仕上げを済ませ、会計を済ませ、いつもは挨拶に店先まで来る店長が
出て来ないのでおかしいなあと思っていると、ずっと彼氏の話をしていた
彼女がちょこちょこっとやって来て
「あの〜私、もう直ぐこのお店やめるので〜」

ええええええっ 何故かとても驚く。

「お世話になりました〜」 って入ったばっかりなのになあ。


そうか。そう言えば 少し前にも美容師さんが変わっていた。
店長は店長として頭の痛いこともあって疲れているのかも知れないな。
3人の子の父。ご苦労な事です。
だけど、カラーリングは上手いけど、あの子は確かにこのお店には
余り合わない気がするもんなあ。 辞めると聞いて驚いたのは
惜しいと思ったからじゃないし。

仕上がりは気に入ったけど、こんなに疲れたのは初めてだ。

「もう直ぐ、階下に出来る魚屋さんにボクから言っといてあげますよ
リリオペさんと言う人が来たら、声を掛けないで、そっと品物を
選ばせておいて上げて下さいって」

次に行く時は、店長の体力や気苦労の問題が少しは軽減されていると
いいと思う。 それと私の白髪も。




2006年06月06日(火) 解り合う(応え)。


人は絶対に解り合えない、頑張っても気持ちの1割すら伝わる事はない。


人は中々「自分が間違っていた」とは思わない生き物だ。
その割には 口にはしないにしろ、「彼(彼女)は間違っている」
彼(彼女)は詰まらないやつだ」などとは簡単に思ってしまう。
それも本当に、他人から見れば割とどうでもいい様にも思える事で。

「自分が間違っていた」と思わない事自体は それほど間違った事ではない。
生きるために基本となるのは主観であって客観ではない。
客観で動く人間は、主観で動く人間に必ず後れを取ってしまう。
生きて行くのに、時には致命的な不利を食ってしまう。

物事を客観視出来ない人間がいるために問題が起きる事がある。
だが主観を押し通せる人間はいつも必ず強い。
強いと言う事は、基本的に間違いではないのだ。

だが人間は、いつも誰でもそれほど強いわけでもない。
主観同士のせめぎあいになると、強弱がはっきりと分かれてしまう。
せめぎ合っていると互いが意識した時から、折り合う事はない。
だからどちらかは 一歩引く事になるだろう。
引いた方は 正しい方でも、賢い方でもなく弱い方である。

解り合えないと言う言葉は、この積み重ねで生まれて来るのでは
ないかと思う。
せめぎ合いに弱い。主観に間違いはないのだと言う意識が強くても
それを押し通すだけの強さがない。
得意じゃない、面倒だなどと言っても、物事は結局 押し通せた者が強い。


解り合うなどと言う言葉を(否定的にせよ)胸に秘めている心優しき
人間は、穏やかにせめぎ合わず、一生を暮らすのが望ましいのかも知れない。
強いの前には肩を竦め、やり過ごすしかない事も多いだろう。

だが、自ずと内省的にならざるを得ない面があるだろう こう言う人は
強い客観性(知性)をフルに活用する人生を送るのが、おそらく最も似合う。
賢い者が強いと言う状況を選んで生きる楽しさもあるだろう。


ただ、解り合えない事の理由を 相手の中にも見付けたような顔をして
他人に対する誠実を捨ててしまうのは悲しい。












2006年06月05日(月) フラカ。


同じ香水を何度もリピートして、いつも付けていた時期があった。

これまで上手く行かなかった事は? と人に問われれば

高校時代T先輩とO先輩に失恋した事
志望大学を1個落ちた事かな?


くらいしか思い浮かばなかっただろう頃、だからとても昔だ。


使っていたのは、ロベール・ピゲ『フラカ』の オー・ド・トワレだ。
香水を使いたくて仕方ないのに、一部の香りをのぞいては酔ってしまって
駄目だった。 大丈夫なのは、これとディオリッシモくらいだったのだ。


似合うか似合わないかなど、当時は判らなかった。
着け続けられる香水(トワレ)がコレであったと言う事だ。
だが愛用品だった。

フラカが廃盤になった事を知ったのは、使わなくなって相当の年月が
経ってからだ。そして細々とではあるが復刻し、販売されている事を
知ったのは、ネットで ごく最近の事だった。

この香りが、非常に濃厚である事、マドンナグウィネス・パルトロウ
愛用している事もネットで知った。

若い私は何も知らなかった。真昼間から着ける事もあったし 濃厚と
言うよりは花畑にいるような香りだと思っていた。
良くカサブランカの香りに例えられるらしいが、フリージアなど 香りの
強い花ばかりを束ねたブーケのような、そんな香りと言う記憶がある。
もう一度、嗅いで見たかった。

5年ほど前、そんな思いに駆られ 以前利用していた香水専門店を
一度訪ねている。 フラカと言う名前を出したが
「知らない。日本では売っていないと思う」 と言われた。


今回、お世話になったのは香水をはじめ、輸入雑貨やブランド品の
オンラインショップで活躍されておられるグレースワールドさんだ。

こちらの都合で かなり無茶を言って海外から直輸と言う形を取って頂いた。
その際の見積り等も、実に懇切丁寧に出して頂いた。
商品は思っていたよりずっと早く手元に届いた。
現在販売されている物は 当時は高くて買えなかったオードパルファンである。

真っ黒なボトルが懐かしい。
ああ、これだ、確かにこの香りだ。こんな華やかな香りを身にまとい
膝より随分短い、ひらひらとしたスカートを穿いて、あっちへうろうろ
こっちへうろうろしていたんだ、私は。

これを纏っていた頃は確かに若かった。
綺麗だったかどうかは、主観によると思うが。
そして多分、傲慢で愚かだったのだろう。
だが、若い娘が傲慢で愚かである事は、それほど悪い事だろうか。


もう一度だけ見たい風景、嗅いでみたい香り。
そんな気持ちがあるならそれは、諦めてはいけない物だと思う。
それを探す事で、新しい発見もきっとあるはずだ。
今回、そんな思い出探しの味方をして下さったグレースワールド
中野店長さんに、感謝したい。

私と似てるかも知れない探し物がある方は 上のリンクから、是非。





2006年06月04日(日) 大運動会、晴れ。


♪運がいいとか悪いとか、人は時々口にするけど♪ (無縁坂 グレープ)

元歌が古いかも知れない、古くてもいいものいいですけどね。

それでも思わぬところでツいてたりする事がある
セ●ンイレブンのくじを3本引いたら3本とも商品が当たったり

でも全部普段は絶対買わないって言うか要らない物だったり
無駄運。

それに比べれば運動会が大快晴と言うのは素直に神様に感謝すべき
幸運に入るのかも知れないと思う。
昨日までの雨と寒さが嘘のような抜けるような青空が気持ち良かった。


1,2年は競技は午前中まで。息子は2年なので 今年までは家族も
何かと楽ちんだ。

じーちゃん「R太はどこにいる?」
私「あれ、あそこの水色の半袖で鼻をほじってるのがそうじゃないかな」
じーちゃん「なんで鼻ばっかりほじってるんだ」

かけっこ

じーちゃん「R太はどこにいる?どうなった?」
私「あれ、あそこの等外の席で鼻をほじってるのがそうじゃないかな」
じーちゃん「なんでどこ行っても鼻ばっかりほじってるんだ」

そんな感じで障害物も等外、やる気がないわけでは無いが等外でも
余り気にしてもいない様子だ。

息子が気を入れていたのはアニメONE PIECEのテーマに乗って1,2年
合同で踊る表現と言う種目だ。
家では音楽がないのに、一人で延々と踊っていて少し怖かった。
正面まで行って見てみたが、活き活きとポンポンを振っていた。

「そうかあ、そんなにこの踊りが好きだったのかあ」 と改めて思う。


紅白リレー
同じ2年生と言えども代表選手となれば気迫が違う。感動した。
仲良しの近所の男の子が、これがまた滅茶苦茶足が速い。
速い子は速いんだなあと、当たり前の事に感心する。


息子は運動会を学校イベントとしてだけではなく、自分の中でも
大きなイベントとして捉えているようだった。
学校行事としての運動会は紅白リレーのあと、低学年の閉会式が行われ
一応終わりになるのだが、息子のイベントは校庭を出たところに
出ている店で、カキ氷を買ってもらって、ようやく終わり
なるのだった。

これは昨年、イチゴ味のカキ氷を言われるまま買ってしまってから
息子が勝手にイベント内に取り入れた事であり、今年はメロン味
買っていた。

ワタアメ屋も当たらないくじ1等がDSLite、当たらないって^-^;)
も香具師のおっさんが売っていて、学校は路上駐車にはうるさいが
こうした物は放置なのかと思うと意外な気がする。
確かに祭りではあるのだが・・・

DS-Liteのくじはまずいだろう。





2006年06月03日(土) 頑張れ私、半身浴。


ワンサイズ小さいジーンズが穿けたからと言って
喜んでいてはいけない。
何故ならそれは1ヶ月前まで、普通に穿いていたジーンズだからだ 
(リリオペ)



ここでダイエットネタをやって心配した業者さんから個人的なお手紙を
頂いた事もあったんですが。親切な業者の方、大丈夫です。これは半分
趣味なのでご心配には及びません。

痛い苦しいの入院生活でも1キロしか痩せなかった。
これはどうした事だろう・・・と考えてみたら病院内は乾燥がひどく
患部にも乾燥は天敵なので、ずっとスポーツ飲料を飲んでいた事に思い至る。
アミノ酸が入っていると書いてあったから良いと思ったのだが、実際は
糖分の方が多かったに違いない。


食生活は入院で(ほぼ)改善、夜更かし改善。
ジムボールを買って、部屋中をボールと一緒にゴロゴロ動き回る。
ストレッチもします。でも体重は大して変わらない。

自分の身体を良くみてみよう。

どうにも筋肉の上に燃焼の悪そうなお肉が乗ってる感じ。
これを何とかするべきなのだろう。

半身浴

これはいい!温め過ぎちゃ駄目とかお医者には言われてるけど。
半身浴は自分には合っていたようで、するすると体重が落ちた
万歳。


子供が生まれてからずっとカラスの行水で、子供が一人で風呂に入るように
なってからも、油断するとふざけているので ちゃんと洗ってるか確かめたあと
残り湯でさっと入るだけ。夏はシャワー

汗が出るほどぼうっとお湯に浸かった記憶などもうずううっとないもんね。
冷え性だからいい筈なんだけどね、半身浴


ダイエット目標を6月10日にしてみた。
この日は高校時代のクラス会があるのだ。動機がしょっぱいと言うなかれ。

今何キロで、目標何キロとはさすがに書けないけど

退院して3キロ減。運動と半身浴。夜食べない。
身体が柔らかくなって来たので、あと2キロ何とか行ってみたい。ご〜


2006年06月02日(金) 生まれ変わるんだね。


今日は朝から庭屋さんが来た。

去年の秋、何本かの木を移動し、新しく木を入れた。
庭の雰囲気も随分変わったので、更に細かな木を移し変える事に
なったのだった。

母はツツジやサツキなど、樹木類を前の家から持って来た。
私がそこへ草花をどんどん植え込んで行った。
草花は無茶苦茶に増え、庭はごちゃごちゃになってしまった。


今回、庭屋さんには 私は巨大化し過ぎたギボウシとシマススキの
移動を頼みたかったが、母は枯れたクロフネを抜く事に執念を
燃やしているようだった。

クロフネツツジは薄桃色で 茶の混じった葉の色も品があり、美しい。
15年ほど大切にして来たクロフネツツジが枯れてしまった。
正確に言うと、台木が成長して駄目になってしまったのだ。

台木はバラのようだった。
実は一昨年、母は自分でデジカメに伸びた台木を収めている。
そう言う事をしているからツツジの方を駄目にしてしまったと思うのだが。

今年も早くから台木の成長は頼もしく、接いだクロフネが既に死んで
いるのは、素人目にも明らかだった。
「見るのも腹が立つ。捨ててもらう」 と母は息巻いていた。


庭屋さんは雨の中でも寒くても、丁寧に草花を一切傷つけず仕事をする。
札幌はここ1週間、ずっと寒くて雨だった。


庭屋さんに出す飲み物の買出しに行って、大雑把な植物の移動について
お願いしてからは母に任せた。本を読んでいたら うとうとしてしまった。
目が醒めた時は庭屋さんは帰ってしまっていた。

クロフネ捨ててもらってスッキリしたかい?」
と訊ねると、母から意外な答えが返って来た。

「あれねえ、今人気のバラなんだって。欲しがっている人もいるんですよ
捨てるんですか?勿体無いって言われてね〜。家の角(目立つ)に
植え込んでいってもらったんだよ。
時々刈りに来てくれるって」

ええええで、何て植物なの

「カタカナみたいで長いから忘れた」 おい。

頭の上に全く違う植物を載せて15年というのは、花にしてみればどう言う
状態なんだろう。環境が変わり、上が衰えると、本来の生命力の強さで
取って代わった。

「可愛げがない」などと言われながらも、ちゃっかり写真に収まったり
「珍しい」の一言で、特等席に置かれ 新しい生をもらったのだ。

生まれ変わったんだ、お前は運がいいね。
元の花は綺麗は綺麗だけどどこか儚いと言うか、要するに我が家の
手入れが悪かったんだけど、今度は大丈夫そうだね。
放って置いても生えて来たくらいだし。


3時間ほどの作業で庭は様変わりした。
これから私の担当は南向きの庭であり、そこには草花と小果樹がある。
もう直ぐ子供が争って食べに来る。
(美味しいと言うより、争うのが好きなのだろう)


☆ちょっと画質が悪いですが2004の問題の台木(名前不明)
 


2006年06月01日(木) 習慣。


馬鹿な生き方などと言う物はないと言う人がいるだろう。
だが馬鹿な生き方と言う物はある

常に選択を迫られ、間違うと元の道は遠くなり過ぎて 戻るのは
ほとんど不可能なので、選んだ先でまた選ぶしかないのだが
そこでまた間違う。間違うと・・・


そもそも人生の選択に間違いなどと言う物はないと言う人もいるだろう。
だが選択間違いと言う物はある
それを言うなら間違わない人などいないという人もいるだろう。
そんな人には今結構ポジティブな心境ですねっと応えておこう。


選択肢は実は、頻繁ではあるが いつも似たような形で現れる。
だから毎度間違う人は人生の学習能力が無い人と言えるかも知れない。
自分の間違い自体に何時まで経っても懐疑的とも言えるかも知れない。

こないだは右へ行って間違ったので・・・今度こそは右だ

と言った感じだ。これをやり続けると人生の負けは混むが 競馬なら
たまには勝つかも知れないな
と思う。


私は人生の学習能力がない。今までは、や何やらのせいにして来たが、
結局、そう言う事なのだろう。
判ったのだからこれからは学習する方向で行けばいいのかも知れないが
判るだけならずうっと前から判ってはいたのだと思う。
判る事と、それが出来る事はまた別の問題なのだ。

10回ほども考える機会があって、それを全て間違った方に答え
何が何だか判らなくなって途方に暮れる。
あらゆる事を喋り過ぎにも拘らず、訊ねたい事は何一つ訊ねておらず
持ち札はいつもゼロである。


習慣をしばしば失くす。
習慣と言う物は変わるだけでも割と億劫だが、失くすと とても苦しい
習慣を残す事だけについてだけでも考えるべきだった。

間違った選択を振り返ると言うのは、こんな感じだ。



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