不機嫌なブーケ QLOOKアクセス解析

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2004年12月31日(金) せめて良い話。


当の昔に故人となっているが 母方の祖父は明治の生まれの人で、昭和天皇が
正月 テレビに映ると「よお、天ちゃん」と手を振り返しては姑である曾祖母の
不興を買っていたらしい。その曾祖母もやはり明治の生まれであるが、お姿が
画面に映ると「有難い、有難い」と言って正座してひれ伏していたと言う。
テレビのある家にご近所が大集合すると言うそんな時代だ。
曾祖母は「新選組!」でぐっさん演じる永倉新八が 晩年暮らした小樽の街で
案外ご近所で同じ時代を生きた人だ。永倉より全然年は若いのだが。
「よお天ちゃん」の祖父が天皇陛下を小馬鹿にしてそんな事を言ったのかと言うと
そんな事は無い訳で、それが祖父なりの敬意と親しみの表現だったのだろうと
周囲は言う。船会社勤務だった祖父は戦時中乗っている船が撃沈され、髭剃り一本
だけ持って泳いで逃げた人だ。我が家では今も余りな時に余りな行動を取ると
「ひげそり一本持って逃げるような」と言われる。
天皇に戦争責任と言うのはもっと後の生まれの人達の世になって交わされる様に
なった話であり、祖父や曾祖母にとっての天皇陛下は手を振ったりひれ伏したり
する、有難かったり 敬意を表したりする存在であったらしい。

平成天皇は親とほぼ同世代、皇太子や秋篠宮、紀宮はこちらと同世代と言う事で
本質的に開かれていようがいまいが、微妙な親近感漂う今の皇室だ。
紀宮の婚約も「まあ、良かった」と何となく思う。お兄ちゃんの秋篠宮が
「誰かいい人いませんか?」みたいな事を聞いていたと言うエピソードも 事実
だったら微笑ましい。結婚する気が無い人が強引にと言うのはよくないが、気の
合った人と巡り合えたのなら何よりだ。お嫁さんになるよりは娘さんを貰う方が
皇室に関して言えば まだちょっとは楽そうに思えるし。

開かれた皇室をこちらも望み、皇室内部の中にも望んでいる人がいたのなら
希望通りと言うか、開かれて来ている気がする今日この頃だ。
開かれ過ぎて、一般の家庭と同じレベルで論じられたりしているし。
「お姑さんのお誕生日に行かないで自分の身内の葬式に出るってどうよ」とか
「弟余計な事言いすぎ」 「いや、宣戦布告したのは向こうだし」とか。
「親を悲しませちゃあいけないなあ」とか。
「お嫁さんが来たらいきなり反抗期に出る長男って居るよね」とか。
じいちゃん、ばあちゃんの頃とは隔世の感があるのはこちらも皇室側も同じなの
かもねえ。私の周囲は、兄弟五分五分。ただ親を悲しませちゃあと言う所で妙に
一致しているのは 実感と言うよりは両陛下のご人徳か。
そんな中でひょろんと皇室を抜けて行かれる紀宮は外から両親を支えると言う
立場を取られるのだろう。年末に両陛下にも嬉しい話題だったに違い無い。
皇室なんか要らないと言う人もいるけれど、ちゃんとした外交の出来る政治家の
奥さんとか想像も出来ないし、言葉喋れればいいってもんでも無いからね。
日本人の美徳を広く伝えるお仕事をしてくれる人って必要だと思う。
紀宮の会見での綺麗な日本語を聞いてつくづく思いました。
災害や事件でいやな年の瀬の会見でしたが、お幸せに。

そして皆様、よいお年をお迎え下さい。




2004年12月30日(木) におうようなビデオ達。


NHKもさ〜「冬ソナ」いくら大当たりしたからって、また流しているよ。
完全ノーカット版も何も、カットしてんのも吹き替えなのも見てないし〜って
あれ?居間でどこかで聴いた事のある音楽が流れてるな・・・
ああっ「冬ソナ」を真剣になって見ている人が居るっ
新しい視聴者も地味に獲得してるんですね。年末のお茶の間にヨン様上陸。
元々母の友人が総出ではまってしまい、母にも勧めるので無視を決め込むのも
ちょっとアレかなと思って見始めたら続きが気になりだしたんだそうだ。
「このオープニングのがいいのよ」
「こんなのうちの裏の公園とかと まるきり同じじゃん」
「だからいいんだって」 何がだ。
だが 夜食を食べながら、こっちもついつい見てしまう。
「このオバハンむかつく」 何時の間にやら真剣に。
私はどうにも一途と言えば聞こえはいいけど 執着心の強いタイプの男がお好み。
ドラマでも俄然サンヒョク(主人公の女性を中々諦めず周囲をうろうろしてる)
応援派である。「ああっ好きな女の幸せを祈ってるっ!偉いぞサンヒョク!」
だが、母は私のこの悪癖に幾度か巻き込まれて迷惑を被っているので
「こう言うタイプが『彼女が店員と話しても怒る男』なんだよ」と牽制して来た。
「あんたは見てなかったけどこの人、入院中に点滴の針を引っこ抜いたんだよ」
ええ〜、いやだなそれは。サンヒョクご免ね、私のしょうもない男運がサンヒョクの
せい
みたく言われて・・・でも点滴の針を引っこ抜くってのは豪気で良いな。
出産の時、私も点滴が引っ掛かって針抜けたんけど血〜出る出る。すごい出るんだよね。
母は「冬ソナ」の録り溜めを始めている。まとめて正月に見るらしい。
俳優には別に興味は無いらしく、クリスマスのSMAPのドラマを見て「慎吾ちゃんと
ヨン様似ている」
などと どっちのファンが聞いても怒りそうな事を言っていた。

母の正月番組は「冬ソナ」だが、私は馬ビデオだ。娯楽映画も目白押しなんだ
ろうけど私は昔のレースを見る。JRAに還元しない(馬券買わない)競馬ファン
なのだ。借りて来たのはエルコンドルパサー、テイエムオペラオー、グラスワンダー
などなど。今、一線で走っている競走馬の お父さん達だ。
有馬記念のコスモバルクは残念だったが、JCの走りで 今年はもういいや。
ゼンノロブロイが良かったしね、来るなと思った時にかっ飛んで来る馬って
見てて気分がいいですね。

「冬ソナ」と競馬ビデオが積み重なる我が家の居間。
そこに息子の「かわいいことり」や「なかよしさかな」が負けじと自己主張
している。これが我が家のテレビ正月だ。


2004年12月29日(水) こすっちゃったよう。


あああっこすっちゃったよう〜っ。愛車を車庫にざりっとね。
オレオレ詐欺電話事件で年内は車に気を付けようって言ってたばっかりだった
のに。まあ対物、しかも自分ちの車庫じゃあ大した話じゃ無いんだけども。
でもべっこりへっこんだ助手席扉、何でこんな事になったのやら。
怒って運転してちゃあいけないね、その日はがっつり怒ってました。迎えに
行った家人を 無事連れ帰って ほっとしたからかな、怒ってる時って運転緊張
しますからね。出来れば怒りたくなんかないんだけどね〜、人間だもの。
板金系は年内は無理。来年も月中近くまで放置される事に。とほ〜
雪かきしてる息子が突然「おかあさんのヴィッ○のかけらが落ちてるよ」と
車庫の前を指差した。車のかけら? わあっ!塗料片がっ(泣)

息子と金魚 熱帯魚のビデオを見る。目下生き物に興味のあるらしい息子
金魚と小鳥は、家で飼っているので特に好きらしい。
グッピーが卵で産まず、身体の中で子供を返すと言うのは初めて知ったが
魚の卵の話が出た、その時
「さかなのおかあさんは卵を産む。そこにおとうさんがゼリーをかける」と息子。
ゼリー??
「そうすると・・・・・・(黙)」 「卵が孵るんだね?」 「そう」
ゼリーはかけないだろう お父さん。何かと混同しているな。ははあ、さては
蛙の卵とごっちゃになっているな。幼稚園で孵化させていたから。
息子よ、ゼリーはどっちかと言うと孵らないように使う物なんだよ。思ったが
勿論、言わない。だが訂正もしない。一応どっちも役割があるって事で正解。
「そして卵をうんだらお魚は死んでしまうんだよ」鼻をふくらませて言う息子。
ははあん、これはだな。学習教材として教育テレビで良くやるんだよね。
「金魚はそんな事ないよ」と私。「しんごちゃんはもう2回も卵を産んでるよ」
しんごちゃんは そのルックスから付けられた名前だが(失礼だな)どうやら
だったようなのだ。
「えっ!しんごちゃん卵産んだの?」
「産んだよ、2回産んだ。身体は大きくならなくなったけど死んでないよね」
「おかあさん、どうして教えてくれなかったの?」
恨めしげな息子。そりゃそうだ、人一倍好奇心が強いと言うか野次馬だし。
「うちの金魚の卵は孵らないんだよ」話をうやむやにする私。
ありとあらゆる所にへばりつき、フィルターの中にまで入り込んでる大量の卵。
気持ち悪くて、とても人呼んでる余裕なんか無かった
んだよっ。

幸い「ふうん」と一言いったきり、それ以上 追及されなかった。ほっ



2004年12月27日(月) いびきだ、ぐ〜ぐ〜。


明け方、眠りの浅くなっていた息子が隣で爆睡中の私に
「おかあさん、いびきがうるさくて眠れないよ〜」
「なにっ私、いびきなんてかいてた??」 「かいてたよう、眠れないよう」
生まれてこの方ん十年、いびきをかいたと言われた事も、ましてやそれがうるさい
と指摘された事も無い私、さすがに実の息子は容赦無いが、本当に周囲の証言を
聞いても 私は、これまで ほとんどいびきはかかなかったらしい。
2日ほど経って再び息子の訴え。しかも今度は昼間ガチンコで言われた。
「おかあさんのいびきってうるさいよねっ」
きぃっ!むかつく(怒)。ああ、だが何ゆえこんな事になってしまったんだろう?
椅子で仮眠していても自分のいびきで目が醒めるようになった。音が煩いと言う
よりは微妙に息が苦しい感じがするのだ。
これはひょっとして・・・睡眠時無呼吸症候群とか言うやつか!?
知り合いに患者さんが一人居るのだ。罹ると中々に厄介な病気である。
集中した睡眠が取れないので昼間も眠気が取れないと言う。ああっ私もだっ!
早速検索して見ましょう、お医者はだから。鼻に骨穿刺と言う怖い事を
しましょうか?と言われて逃げているのだ。緊急性はないのでそちらは良いの
だが、いびきなどと言おう物なら「やっぱりしましょうか?」
言われてしまうだろう。
感じでは 苦しいのはどうも鼻では無く、喉である気もするし。

年齢、身長と体重を入れるといびきの危険度を見てくれる親切なサイトがあった。
目安程度にはなるだろう。誰も見てないので体重も正直に入力する。
結果、病気である可能性は極めて低そうだ。そしていびきのシステムと急に
いびきをかくようになった理由がおぼろげながら見えて来たような気がした。
咽喉部の筋肉が弱ってもいびきをかく。使わない筋肉は年齢と共に衰える。
私はずっとご機嫌な歌唄いであった。カラオケ大好き。地域の合唱団にも
趣味で参加してまで歌ってしまうのだ。家でもキーボードを自己流で鳴らしては
何かしら歌っている。嫌がられたら直ぐ止めるが。
ところが今年の初めひどい風邪をやって、菌が鼻に付いたらしく嗅覚が半月ほど
全く駄目になった、声も全く出なくなってしまった。
治るまで3ヶ月。治っても歌は全く歌っていない。家族は有り難いと思っているかも
知れないが。キーボードにも触っていない、買い替えたばっかりだったのに。

あと5キロ痩せて、ちょっとまたご機嫌に歌って、それでいびきが治らなかったら
医者かな。いや、その前にテーピングだな。
身体は横向き、枕も替えてね。お医者はやっぱり最後だよ。


2004年12月26日(日) システムの復元。


キーボードの上で物を食べてはいけません。
いけないのだが、「小腹が空く」の小腹って普通に変換出来るくらいだし、みんな
空かしている
もんなんじゃなかろうか?
で、打ちながら片手で何か掴んで食べていたりする訳です。30本入りで買って
余っているうまい棒のチーズ味
とか。
だけどコーンフレークなんて食べたっけ?食べたんだろうなあ、現に詰まって
んだから。初めは縦に入り込んでいた。ところが小指の爪でえいえいと適当に
いじっているうちに横に寝てしまった。コーンフレークは初め、XとALTキーの
間にいた。結構なでかぶつであるので、どうやって平らになって入り込めたか
不思議だ。Xキーが物凄く力を入れないと入力出来なくなっていると言う事に
気が付いて初めて慌てた。
物凄く力を入れた入力がキーボードに更なる負担を呼びそうだ。

仕方が無いのでピンセットを持って来て引っ張り出そうと試みる。だがコーン
フレークは割れず、でかいままであり、何としても出て来ない。
逆さに振っても駄目だった。分解掃除とかすれば良いのかも知れないけれど
数日前「Meを安定させる本」と言うのを買って来て、その通りにやったつもり
が、不安定を通り越して危うく壊してしまいそうなったばかりなので何だか
怖くて出来ない。

しばらく考えた後、コーンフレークの位置をずらしてみる事にした。
ALTキーに思いっきり寄せて見た。こっちのALTキーは押さないからだ。
もう一個の方はアプリケーションの強制終了のし過ぎで汚れて居るのだが。
考えてみればXキーも余り頻繁に使う物ではない。たまたま人から「クリスマス
カード作って」と頼まれたのと、さっきの「Meを安定させる本」に書いてあった
方法を試すのに連続して使う事になって気が付いただけだ。それまでは殆んど
使っていなかった筈なのだ。その割に薄汚れているのだが。
ぁぃぅぇぉは私はLキーを使っている。

ああ、でもシステムの復元って便利だなあ。私のように取り敢えずやってみて
から考える
タイプの人間には非常に良い物だ、多用は危険っぽいが。
人生にもシステムの復元ってのがあればいいのにねえ、いや本当に。


2004年12月25日(土) 白い花、黒い根。




光あるところに陰あり。白く清純で 案外ガーデニングで有名になっちゃった
新しめの花、クリスマスローズの隠された秘密のお話。
この花、昔は日本じゃそんなにメジャーじゃなかった。25年ほど前になるが
苗を探した事がある(まだ子供と言ってよい年齢だったが。いや本当に)。
苗をあげたい人が居たからだ。その人は多分、少女漫画で初めてこの花の名を
使ったタイトルの漫画を描いた人だった。
ところが花屋さんも知らないと言う、そんな花 見た事も無いと。

当時もこの植物、全く無いではなかった。だが、今では一般的に白いニゲル種が
クリスマスローズと呼ばれているが、ヨーロッパに古くからあると言うこの種が
人気になったのは随分後、その頃はオリエンタリスと言う 現在は園芸品種で様々
な色物を輩出する元となった赤い花が主に出回っていた。しかもほんの僅か。
ギボウシなどは戦前から古き良き日本家屋の便所隠しに使われている。それと
比べると原産国の違いもあろうがクリスマスローズは後から来て一躍人気者になった。
実はこの花、猛毒を持っている。

白いクリスマスローズは学名ヘレボルス・ニゲルと言う。ニゲルはあの蔑称の
ニガーの事だ。要するに黒いと言う事である。この花のどこが黒いと言うのだろう?
実は根が真っ黒なんだそうである。
先に書いたオリエンタリスも学名はヘレボルス・オリエンタリスと言う。
ではこのヘレボルスと言うのはどう言う意味か。これは、「食べると死にます」
と言う意味なんだそうだ。
クリスマスローズはローズと名は付くがキンポウゲ科だ。バラには全く似ていない。
福寿草の仲間なんである。クリスマスローズの後は福寿草。目出度いコンボだ。
だが双方とも猛毒を持っている。
福寿草は心臓毒、クリスマスローズは炎症と嘔吐と心臓の毒。どちらも毒は
に含まれる。毒はしばしば薬にもなる。なるけれど結局素人の扱える代物ではない。

美しいこの花は寒い窓辺に置いておくと半月以上はそのままだ。花屋の店先で
見かけたら置き場所によっては買っておくとリーズナブルである。
北海道では4月に咲く。確かに庭の花では一番早いんだけどちょっと惜しいかも。

植物には通称にしばしばイヌと付く物がある。イヌサフラン、イヌホウズキ
大抵は毒草である。ここでイヌと言うのは全くつまらない物を指すと言う。
犬好きの人が聞いたら怒りそうである。
ちなみにポインセチア、これまた毒草である。白い汁が皮膚につくと炎症を起こす。
食べて死んだ例もあるらしいので気を付けよう。園芸種は野生種に比べて毒性も
低いとは思うんだけど、そこら辺はちょっと良く判らない。
クリスマスの花屋の店先を華やかに、時に清純に彩るのは実は毒草ばっかり
だったりするのだ。

初めに書いた苗を探す話ですが、結局隣の市でオリエンタリスの苗をゲット。
室内に置いたら3日で枯れてしまいましたとさ。暑いのは苦手です。





2004年12月24日(金) 窓辺。





細かい事は気にするが 滅多な事では堪えないよんと言う私も、さすがに辛かった
時期があった。その年、あまりにしんどいので取り敢えずクリスマスツリーを
買って
みた。
「買って来い」と言われたのもあるが、ちょっと何かツリーでも飾れば 気分も
変わるかなあと思ったのだ。後はただ 時の経過を待つ。それしか無いのだ。
イブの日、私は家の真裏に回り、通りから自分の家の灯りの点いた窓を見ていた。
幸せそうに見えるだろうか?暖かそうに見えるだろうか?
他人の目を気にしてと言うよりは、ツリーの光が暖かそうに映る窓辺を自分の目
で確認したかったのだ。幸せそうに見えてても結構辛いんだぜ。
でも、暖かそうでしょ?それでいいのだ。そう言った気分だったのだと思う。
外は寒かった、当たり前だけど。

それから5年。外からツリーの写真を撮ってみる事にしました。
当時より大分派手になっている。実はこれ11月から飾ってるんだよ。さすがに
点灯はしていないんだけど。
我が家の家訓(?)は「人を呪わば穴二つ」「日にち薬」だ。
まったりとはしているが、一応家訓だから尊重している。結構役に立つ事もある。
クリスマスは他所の宗派のお祭りだけど華やかでいいよね。
街中や通りに溢れるが、文字通り 時には真っ暗闇に落ち込んだ心を照らす
事だってあるだろう。

5年前は通りから眺めましたが、これは裏庭から撮った写真です。
もう雪深くてずぶずぶ。無茶苦茶寒いし、撮ってる姿も妙にお間抜け

でもまあ、何はともあれめりーくりすます



2004年12月23日(木) ぷれぜんと。


あなたがわたしにくれたもの♪(byジッタリンジン。懐かしいねどうも)

タンポポ・・・じゃなかったと思うんだけど似たようなそこらの花。
5歳くらいの時、母の実家に遊びに来てた時、幼馴染の子がくれた。
まともな花泥棒が出来る歳でもなかったので、多分そこらにあったやつ。
帰りのバスで揺れた途端に落として人に踏まれちゃったんだよね。
すんごく泣いたのを憶えてます。

サンショウウオ。
小学校4年くらいの時だったと思う。タッパーウェアに入ってやって来た
そいつは頭の部分が妙に太い奴だった。「お父さんと採って来た」と
相手の子は言ったと思う。ちょっと山入ると川とかまだ綺麗だったんだろうね。
翌日、母に速攻で返しに生かされた。
その晩 母は、サンショウウオがタッパーから這い出して来るんじゃないかと
想像して全く眠れなかったと言う。
お礼と言うわけではないが飼っていたゴールデンハムスターをその子にあげた。
ハム太郎とか、ああ言うんじゃなくて大人でも噛まれると大流血すると言う
かなり危険な代物だ。要するに飼えなくなったわけですが。

ノコギリクワガタ。
5年生の時、隣の市へ引っ越した。お別れ会とかやって貰ったはずだけど
全然憶えてない。ただN沢君と言うクラスの子がクワガタを手掴みで持って来た。
N沢君は特別一緒に遊んでいた子では無かったので逆に憶えてる。
籠にも入れられずまんまの姿でやって来たクワガタにもびっくりした。
あのクワガタどうなったの?と最近 家族に聞いたが、誰も知らないと言う。
いや、でも本当に貰ったんだってば。

「やる」とだけ言われて物を貰った記憶はそのくらいかな。
いや、それ以外の事を言われて貰った事もあんまり無いんだけどね。






2004年12月22日(水) 「BERSERK」、声優さんなど。


15年の連載期間中、13年を読者として過ごしている漫画がある。
私の人生から13年を引いてみよう、おおっまだ若いっ!では13年を足して見る事
にする、おおっ腰が痛いかもっ!うちの一族は中年期を過ぎると揃って腰を駄目にしてしまうのだ。

そんな話はともかく、その長期連載漫画は「ベルセルク」(白泉社)。
「剣風伝奇ベルセルク」の名で6年ほど前にアニメ化もされている。P-MODELの平沢進氏が音楽を担当していると言う事で、そちらの方からアニメをご覧になった方も居るかも知れない。当時バリバリの深夜帯放送であったこのアニメ、実は私の居住区域では放映されていなかった。
「6大都市とか言っといて結局は田舎って事じゃんっ!」情けない、ADSLにしようとしてNTTの人に「あのね〜、交換機から一番離れた所に家があるのでほんの
ちょ〜っとしか早くなりませんね」
と言われた時も同じくらい情けなかった。
アニメは恐ろしいほど後味の悪い終わり方をする。余りの後味の悪さにトラウマ
なった人も居るに違い無い。だが、その衝撃が多くの人の興味を惹いたと言う背景も
あったのだろう。それまで余りメジャーとは言えなかった「ベルセルク」はアニメ化を
一つのきっかけとしてブレイクする。後味の悪いアニメのラストは、原作では物語前半
の山場であり、物語の中心を為すエピソードでもある。原作はそこから始まっていると
言っても良い。アニメは長い長い物語のプロローグでもあるのだ。
主人公ガッツは身の丈を越える大剣を持つ。身の丈を越える大剣を持つ人物に
心当たりがある方、その人物 ガッツがちょっと入ってると言う事は大いに有り得ます。と言うか「ベルセルク」からインスパイアされて描いた作品に出て来る人物から
更にインスパイアされた
作品が出て来ても良い頃だ。15年ってそれほどに長い。
とにかく大剣を持った傭兵風の剣士と言えばガッツだ。
一部使わせて貰いました〜と言う場合は 掲示板に報告する代わりに頭をつんつんにさせて見るとか、いわく有りげで無愛想なキャラにしてみるとかで合図をしましょう。
他にもこの作品のキャラクターから、見掛けなり性格なりを受け継いだフォロワーは
沢山生まれている筈だ。それ自体 私は全く問題無いと思う。そこに作者独自のフィルターがきちんと機能していれば 元ネタを超える作品も幾らも登場する可能性があるだろう。「ベルセルク」はそれほど魅力的なキャラクターを多く抱えている。
勿論「ベルセルク」自体も作者がインスパイアされた多くの名作を背景に持っている。

読者としては、アニメ化によって特にイメージが崩れたと言う事も無かったのが嬉しい。
止む無く省略されたり置き換えられたキャラも居たが、時にハードな描写も深夜帯と
言う事で余り妥協せずに済んでいるし、とにかく平沢氏の音楽と声優陣の好演が光っていた。
好演の聞ける声優さんを一部抜粋して見る。真っ暗な神奈延年さん、眼鏡キャラ
じゃない(眼鏡キャラが多いらしい)森川智之さん、宮村優子さん、泣き節が新しい石田彰さん、金髪美少年役クレヨンしんちゃん矢島晶子さん、そしてちょっと
エッチな声が聞けます白鳥由里さん。
古くからの声優さんファンには内海賢二さんと玄田哲章さんの好演を。それと忘れてた田中敦子さん、PS2を持っている
ファンならゲームをチェックして損は無いかも。
チャンネルNEKOで1月から放映されるそうだけれど普通にレンタルしてるし、DVDにもなっているので、是非。

ちなみにこれから原作をと言う方は4巻から読むのがお勧め。4巻〜13巻まで
行き着く間に「駄目だっ!」となってしまったら残念だけど致し方ない。
アニメの方でもう一度チャレンジする事をお勧めする。
年末に向けて後味が悪い事うけ合いだ。

原作は現在休載中だけれど 長く読んで来た者としては、ここらで一休みしてでも
どうかどうか最後まで描き上げて欲しいと、切に願うのみなのだ。


2004年12月21日(火) 赤いオルゴール。




☆天使の姿がくるくる回りながら光の色を変える(見辛いかも知れませんが)
オルゴール。


急な坂の上の長屋で小学生時代を送った。長屋の裏側は何故か絶壁であり、トイレ
に入れば、下の住人が用を足す音が全部聞こえ、冬ともなれば凍ったうん○をで・・・
(以下自粛)。

それでも50mと離れていない友達の家は一軒家でピアノがあった。ぼっとん便所
ある事に違いは無かったけれど。
その頃の私の宝物は赤いオルゴールだった。開くとマドンナの宝石と言う、美しい
が、微妙にマイナーな曲を奏でてくれる。いつから手元にあるのか判らなかったが、
私は それを両親が、女の子の私に買い与えてくれた物だと思い込んでいた。
2歳違いの弟は泣き虫でチビだったので、夫婦喧嘩をしても母は弟だけ連れて出て
行くし(買い物にだが)ミシンの内職を納品しに行く時なども弟だけ連れて行く。
冬の日、それを見送る頼り無さを今も憶えている。父は事業を始めたばかりで子供
が起きている時刻に、家には殆んど帰って来なかった。
言って見ればちょっと寂しい子供だった私は、オルゴールを良く聴いた。そして
それを 両親が、女の子の自分に買ってくれた物だと信じたかったんだろう。
そして何時か 娘が生まれたらお祝いに自分もオルゴールを買ってやりたいと思う
ようになった。

つい先日の事だ。「あの赤いオルゴールさあ・・・」と何を思ったか私は、突然
思い出して母に話し掛けていた。
「え?あれ、あんたが持ってたの?」 「え??あれ、私んじゃないの?」

つまりはこう言う事だった。
昔むか〜し、母と父の結婚は周囲の反対に遭っていた。母は2つ年上で父はまだ20歳
を過ぎたばかり。
最初は頑張っていた母も次第に自信がなくなり、父に別れ話を持ち出した。
父も仕方無いと母に贈り物を一つして別れる決心をした。それが赤いオルゴール
だったと言うのだ。
つまり、あれは父が母に贈った物だったと言うのである。何だよそれ。
しかも何がどうなってと言うのは馬鹿馬鹿しいので ここでは触れないが、結局二人
は一緒になり、別れの品のオルゴールも母が「何となく持って」来ちゃったと言う
のである。両親の愛と信じた品は、愛は愛でも何となく縁起の悪い代物であった。

私には娘はいない。居るのは息子だが 不思議な事にオルゴールが大好きだ。
私の時とは違って特に寂しそうな様子でもなく、じっとオルゴールに聞き入っている。
今日オルゴール屋さんに行ったら大喜びだった。そして予算より若干お高めだったが
上の写真のオルゴールを買った。
数種類の曲目から選べたので、私は「花のワルツ」か「ノクターン」が良いと思ったが
息子が強固に主張してスピッツの「スターゲイザー」になってしまった。

赤いオルゴールは何時の間にか無くなってしまった。何時無くしたのか不思議と憶えていない。




2004年12月19日(日) 久々に頭が割れそう。


そもそもはHPを持ってみたいと思っていたのだ。
ホームページ。やってみたいじゃ無いか、何となく。
だが他所様にお邪魔しては好き勝手な事を言っている日々が続くうちに
これまた何となく思って来たのだ。「これは大変そう・・・」
だが完全に諦めたと言う訳でも無かったのだ。

これについて作ってみたいのよと言うテーマみたいなのはあった。
それに、更に加えてみたい物が出来た。
この二つのバランスが大層悪く、とてもおっぺけぺ〜な感じがする。
果たしてどんな感じになるんだろうかと、自分がまず見てみたくなった。
そこで買いました、HP作成ソフトと言うやつを。

・・・全然訳が判らないでは無いか。

いやでも、全てが最初はそんな感じだったし、時間かければ何とかなるん
じゃあ無いだろうか?いや、ならないと困るのだ。
フリーのエディターソフトと言う物も使ってみる事にする。
・・・元の知識が不足しているので混乱するだけだった。しかしフリー
ソフトの方は 理解出来れば中々面白く、良い物のような気がする。
気はするのだが・・・やっぱり全然訳が判らないのである。


2004年12月18日(土) 競馬をテレビで。


私にはとか臨終とかがタイトルに入った本を迷わず買ってしまうと言う癖がある。
但し、ホラーと推理小説は別、実録物に限るのだ。悪趣味だと言う人も居るに違い無い、
いや 随分言われたし。山田風太郎『人間臨終図鑑上、中、下』(徳間文庫)、桑原稲敏
『往生際の達人』(新潮文庫)、荒俣宏『知識人99人の死に方』(角川ソフィア文庫)
全部読めばきっと 頭の中が著名人の死でぎっしりする事請け合いです。
各々 得意とされる分野の違う人達がこぞって死を集め、描いている。僅か1頁に満たない
文章の中に、生と死が凝縮されている。人の一生は上手な人が書くと1頁以内にも凝縮できる
物なのだ。私の文は何時も無駄に長過ぎなんだな、あいたたた。
残した業績は そのまま生の証として書かれる事が多い。古今東西の著名人が列を為している。
『往生際の達人』などは一人に費やす文章は僅か3〜4行。黙って読み続けると まるで経文でも
読んでいるかの様な不思議な錯覚に捉われる。どんな人間も、死からは何としても逃れられない
のだと言う事を、荒俣氏の本の 手塚治虫氏の項では実感した。そうであるなら最期まで
使い切らないと何となく勿体無いし、何だか申し訳無いと言う気分にもなる。

『サラブレッド101頭の死に方』(徳間文庫)。いきなりの話だが、と言う文字を見て
反射的に買ってしまった一冊だ。サラブレッドって何で死ぬんだろう?そもそも馬って
何年くらい生きるの?同じ『死』と言う文字が、こちらは小学生の様な純粋な好奇心を
呼び起こした。サラブレッドって競馬場で走ってるアレくらいとしか知らなかったんだよね、
まあ今でも大差無いと言えばそうなんだけど。
馬の寿命は25~30年。名馬シンザンは長寿記録で36年。目一杯生きて人間で働き盛りくらい。
そんなもんなの?と言う微妙な長さだ。この本の中に出て来るのは、華やかな表舞台に
一度は顔を出し、人々の喝采を浴び そして消えて行った『ごく一握りの』馬達だ。
必ずしも全てが名馬と呼ばれる成績は残していないがここに載せられるだけの何か
はあった馬達なのだ。人の死を巡る物語とは無論、一緒くたにして語る事は出来ない。
彼らは言葉を残せない。走る事こそが競走馬の生の証なのだ。

私は正直言って馬は怖かった。昨日は、が怖かったと言っていたが馬も怖かったのである。
まずが怖いのだ、噛みそうだから。実際噛むらしいし。鼻も怖いのだ、穴が大き過ぎるから。
近くで見ると穴にが入りそうである。入れた事は無いが多分入るんだろう。
『101頭の死に方』の表紙は一頭のサラブレッドの顔である。初めて私は 馬の顔をちゃんと
見た気がした。その馬は綺麗な目をしていた。目がちゃんとカメラの方を向いていて 写真映りも
ばっちりだった。カバーの袖を見るとライスシャワーと書いてある。7歳と言う、うちの
ボタンインコのオーちゃんより2年も短い生涯を ドラマチックに走り抜けて行ったお馬さんだ
(オーちゃんの方はまだ元気である)。サラブレッドのがあんなに綺麗だとは知らなかった。
その形の美しさには ちょっと感動すら覚えた。
この馬の顔に惹かれて、私は往年のレースのビデオを借りて見る様になった。馬の名前や
姿を覚えると楽しい。10年以上も前のレースにテレビの前で声援を送る。今は彼らの産駒
一線で走っている。何時の間にか、競馬中継も観る様になった。
だがそれだけだ、私は馬券を買わない。競馬ファンでは無いのである。馬産地北海道も
地方競馬の不振等多くの問題を抱えるらしい。だが、らしい止まりで私は馬券の一枚も
買わないのだ。賭け事はどうにも相性が悪い。もし相性が良かったら、誰に止められようが
はまりまくっているに違い無い
のだが。
とは言え、、賭けなくても良い物を賭けて しばしば負けていると言う事はある。

ところで競走馬の死因だが、この本ではさすがに一線で活躍した馬達ばかりなので現役中の骨折や
病気
で数年で命を終えた馬が多い。腸が長く、ストレスに弱い動物なので「腸捻転」とか「胃破裂」
とか凄まじく苦しそうな病名が並ぶ。
だが、スポットライトを浴びずとも、特に病気にかからずとも 長く生きないサラブレッドも多いのだ。
彼らは元々家畜、華やかな舞台に出て来る者はやけに人間くさく感じる事もあるが、廃用として
飼料や食料となる馬達も多い。



さっぽろさとらんどにて息子。これ、今見ると危ないな、何か。息子はこの馬をタマモクロス
と言う往年の名馬だと何故か思ってる。本物はもうこの世には居ないのだが。


2004年12月17日(金) 『蛾』。 


『死んだ人の魂は蛾になって帰って来る』って何かで読んだ。

『蛾』。聞いただけで全身がブツブツになったもんだった。理屈じゃ無いんだよね。
ほんのちっこい奴でも「あうあうああ〜〜っ!!」ってなっちゃって、私のその声で
周囲は更に恐ろしい思いをする。でも話を聞くと 案外居るらしい、蝶とか蛾の駄目な人が。
こう、フラフラと何を考えているのか解らない飛び方が もしかしたらこっちに向かって
来てるんじゃ無いか?と思わせるところが嫌だとか、中学校とかの研修旅行で夜は
キャンプファイヤーで盛り上がって、朝起きて見たらかと思う様なデカイ白い蛾が周囲に
バタバタ落ちていて、それ以降トラウマになったとか。どれも苦手な者としては解る話だ。

何年も前の話。或る日、マンションの入り口に 地味な色をしたでっかい蛾が止まっていた。
総毛立つ。いい歳して漏らしちゃいそうだ。それでも何とか避けて外出した。戻る頃には、
入った所からまた出て行くか、住人に叩き殺されているだろうと思った。
しばらくして戻ると 蛾は居なかった。ほっとしてエレベーターに乗ろうとすると「ひいいい」
エレベーターのボタンの所にそれは居たのだ。同居人も蛾は苦手、そうっと昇りのボタンを
押すが、蛾は動かない。エレベーターに乗り込んで3階にある住処へ無事帰宅。
一難去ったと思ったら、こんな日に限って直ぐに用事が出来てしまう。外出止む無しの
事態となった。「いやだよう、蛾がいるよう」最早半べそ。「あれから飛んで行ったかも
知れないし」と同居人。とにかく、渋々家を出て、エレベータ−に向かう。「あんぎゃあ〜っ!」
同じ階の住人は全員が私の叫び声を聞いた筈だ。蛾はエレベーターを3階まで昇り 降りて、
今では3階ボタン部分にへばり付いていた。「のぼっ、昇ってるよう」 我々は非常階段を降りた。
用を済ませ、再び戻って来る。初めから非常階段を使う事にする。だが、最早ここまで来たら、
次にはどう言う事態が待っているかと言う予感が漠然と頭にはある。有り得ない事だけど
有ったらどうしよう。「ひいいぃぃ〜っ!」この時、3階の住人は全員思った事だろう「煩さ過ぎ」。
蛾は我が家の玄関にぺったりとへばり付いていた。何と言うか『紋章』みたいに。
有るかも有るかも〜と思いつつ本当に有った時の恐怖、大パニック。「ああ、家に入れない〜」
とは言え、入らない訳にも行かない。そうっと鍵を回し、ドアを開ける、蛾はじっとしていた。
同居人に箒を渡し、蛾の撃退を依頼する。同居人もやっぱり蛾が苦手なので中々行きたがら
なかったが、私のパニックを見ているのも嫌になったか、渋々出掛けて行った。「済んだよ〜」
しばらくして同居人が戻る。「箒で非常階段まで追い詰めて殺したから」
怖い物見たさと言う言葉がある。しばらくして私はそうっとドアを開けた。非常階段の側まで
行って見ようと思ったんである。ところが、「○☆◎●☆○〜〜っ!!」今度こそ、3階住人全員
から文句が出ても仕方無い様な声を私はあげた。ドアを開けたら直ぐそこに、スプレーで固められ
ボロボロの蛾が死んでいた。同居人は箒でドアから落としたまでは良いけれど 止めをさす事が
怖くて出来ず、ヘアスプレーで固めてしまったと言うのである。同居人がかけまくったスプレーの
跡より 蛾は、またこちらの家に向かって戻って来ていた。

パニックが収まり、さすがに考えた。夜になっていた。大切な人を亡くしてから、それほど
経っていなかった。自分にとっては 本当に大事な人だったのだ。やっと、本当に居なくなって
しまったのだと言う実感が沸いて来た頃だった。会える物ならもう一度会いたいと 何時も
何時も思っていた。
『死んだ人の魂は蛾になって帰って来る』と言う話を聞いたのは、それから更に少し経って
からの事だ。「あの蛾は変だ」と思っていたからか 割とすんなり納得した。
エレベーターを使う辺りがポイントだなと思うと一人の時に泣けて来た。その人はマンションの
9階にずっと住んで居たのだ。

それから数年後、やはり同じ様な事があった。庭に居ると必ず一匹の蛾が飛んで来て身体に
止まるのだ。同じ蛾の筈は無いと思っていたら羽根が日に日に傷付いて行き、どうやら同じ蛾
である事が解った。今度は余り大型では無い、やっぱり地味な蛾だ。蛾には案外知られていない、
不思議な習性があるのかも知れない。『手乗り蛾』と我が家では呼ばれ、「ガッちゃん」と言う
名前まで貰っていたその蛾は、2週間ほどでぼろぼろとなり、或る日見ると、鉢植えの隅で
休んでいた。その日は雨が降り、次の日見ると同じ場所で溶けるように死んでいた。

今でも、庭で水を巻くと大慌てな蛾が飛び出して来る。水が掛ってバサバサやっているので
掴んでその辺に置いておいてやる。昼間の蛾は手の中で大人しくしている。
卵を産まれたら厄介なんだけれど、今の所、さして深刻な被害は出ていない。
蛾の目は真っ黒で 怖いと言えば怖いが、可愛いと言えば可愛い。



2004年12月16日(木) 血液型性格判断。


血液型がイジメにつながったりすると言う新聞記事を見てちょっとびっくり。
と言うか情報物って余り見ないから判らなかったんだけど、血液型別ダイエットとか、
相性の良い食べ物とか、いやはや何ともすごい事に。
話としては面白い。昔っからABO式血液型で云々と言うのはあったからね。これに星座を
ミックスして話の掴みに、或いは接ぎ穂に、便利は便利だけどリスクもでかい。
「ほほう、A型の山羊座ですか。私はしし座のB型で」さあ、後はどうするってな感じです。
「冬生まれなんですかあ、私は夏で暑くてお産が大変だったと聞いています」全然
違う方向
に持って行くとか。

話題になるのは何時もこのABO式だけれど、血液型って随分種類がある様です。
Rh式(日本人は2,000人に一人が−だそうです)MN式、P式、Duffy式、分泌型と非分泌型
まだまだ沢山あるそうです。それぞれの型も大きく分かれた上更に細かく分かれている物も
あります。詳しく知りたい方は『法医学』関係の書籍などが宜しいんでは無いかと。その中で
ABOが注目される理由はやっぱり身近だからでしょうか。分泌型ですか?」とか聞かれても
私だって知らないもんね。昔っから言われているのは「A型は生真面目、B型はいい加減、
O型は八方美人でABは二重人格」
って奴ですが、二重人格は性格じゃなくて病気ですね。
これって多分AとBの二つの血液型(性格)を持っているから〜って所から出たんでしょうけど
日本人の10%しかいないので言われ放題ってのもあるんじゃ無いでしょうか。大雑把に言って
A型とO型で日本人の70%を占める事になります。「いい加減と二重人格」は足して30%。

血液型占いに根拠は無いと思いますが、長く生きていると無理矢理に否定するにも「ん?」と
思う事があります。例えば気の合う仲間が揃った時、血液型がほとんど全員一緒だったり。
5人で楽しく過ごしていて全員がAB型だと判った時には、血液型を知る前以上の愛着が、
仲間に対して湧く事うけ合い。同時に ちょっと気味悪いなと思う気持ちも湧くかも知れませんが。

数日前の事、息子の幼稚園のクラスのお母さん達が集まりました。夜に。
パワフルです。それはさておき、普通はぽろぽろと中途脱落して行く筈の参加者が、
この日に限って一人も「帰る」と言い出しません。盛り上がったまま、どんどん時間は遅く
なって行きます。突然Y君のお母さんが一人一人の血液型を聞き出し始めました。
15人中A型は2人。ABは0人で残りはO型とB型が半々でした。Y君のお母さん曰く
「『ねえ私って何型だと思う?』って聞く人ってB型なんだよ」ほんまいかいな。
たまたま話を聞いていなかった一人のお母さんが早速言いました。「私って何型と思う?」
お、本当に聞いて来る人が居たよ。それで何型ですか?「B型〜」う、当たっている。
当たったからと言って何でも無いような実に他愛の無い事だけれど当たっている。
S君のお母さんが止めを刺します。「結局さあ、こんな時間まで飲んでるのってO型とB型
だけだって事じゃないの〜?」A型も二人混じってるけど何処と無く説得力のあるご意見ですね。
ちなみにこの半々のO型とB型、見事に別テーブルに血液型ごとに分かれて座っており、
A型はその真ん中に向かい合って座っていた。ここまで行くと性格がどうのと言うよりは
確率の問題で、非常に珍しい事になっていただけと言えるかも知れない。

国によってABO式血液型の比率が違うのは、様々な民族の血が独特の割合で流入して定着した
みたいな事を聞いたんですがどうなんでしょう?B型が人口の40%を占める国と言うのも
あるみたいですし。じゃあ「いい加減な国」って事なのか?インド・・・あっ。
いや、あっじゃ無いですな・・・。

でも実際ダイエットなんか血液型でやって見ると、やっぱ当たってないなと思う人が多い筈です。
無難な、どうでもいい事は「ああ、あるかもねえ」で済むけれど、深刻かつ積極的に取り組ま
なければならない物となれば「駄目じゃんっ出来ないじゃんっ当たって無いじゃんっっ」
ってな事になりそうです。
ダイエットはね、する必要が無い人と、上手く出来る人と 何やっても上手く出来ない人
居ると思いますね。で、そこに血液型の差は無いと思います。あるのは体質生活のリズムと、
あとやっぱり結局個人個人の性格の違いって事になるんじゃ無いですかね〜。
無難な事以外は血液型は余り役には立たんと。
だからイジメに使っちゃってるって声があるなら、やっぱりテレビとかで大仰に差を言い立てる
のは控えた方がいいんじゃ無いでしょうか。どうせ大人になったら話の接ぎ穂に散々やるんだから。
その程度の話なんだもんね。

今回は何故か話し口調で。


2004年12月15日(水) オレオレ詐欺来襲。


年賀状書きも終ってない。大掃除も途中。
だけど昨日は夜更かしをしたので、息子を幼稚園に送ったら取り敢えず寝る事にする。
買った時には大きいと思ったベッド。今では10日に一度の割合で私は墜落している。
一緒に寝るのはもう卒業だ。幸い、年末に向けて部屋が一つ空いた。巣別れの季節だ。
広いベッドにの〜びの〜び出来るのは息子がいない今だけだ。心地よい眠りに落ちた
まさにその時。

後はよろしく〜と、色々な事を頼んで置いた同居の実母が大慌てで階段を駆け上がって来る。
私の名前を呼びまくっている。幼稚園役員のお母さんから電話でも入ったかな?
「M子!(仮名)T男が追突事故を起こした!」
T男は2つ違いの弟だ、未だ独身。誰か良い人居ませんかね。それはともかく、弟はつい
1週間ほど前に実家を出、一人暮らしを始めていた。だから部屋が空いたんだけど。
「相手の車に小さい子が乗っていて、フロントガラスまで飛び出して大怪我をしたって
頭を打って 今、精密検査を受けているけれどT男は調書も取れない状態だって」

私は血圧が低く、直ぐには起き上がれない。目眩がするのだ。だが、そんな事は言っていられない。
階段を降りて電話機の前に寝そべる。ああ、目眩・・・。
始めに考えたのは、2〜3日前、会社帰りに実家に寄って行った弟が 私の運転の下手さを 散々に
くさして行った事である。「馬鹿者め、人の事をあれこれ言っておきながら」と声に出して憤慨する。
だが寝そべりながら、何となく何かがおかしいと思い始めた。

相手は警察を名乗っていた。弟の名前、勤務先を把握している。そして事故を起こした状況も
一見すると 有り得ない事では無いように思えた。だが、事故現場は仕事で通る可能性が非常に
少ない場所であった。「オレオレじゃ無いの?それ」
母は混乱している。弟と携帯が繋がらないと言って慌てている。よく見ると前後左右に僅かだが
ふらふらと揺れているでは無いか。やばいっ!
「職場に電話して見る。本当なら向こうにも情報が入っているだろうし」
まだ血圧の上がり切っていない頭で30kmほど離れた勤務地に電話をする。同じ課と思われる
男性の声。「今 接客中で」「そちらに居るのですね?」「ええ、居りますが」
やられた。「母ちゃん、T男は職場にいる。オレオレだった」

座り込んでいる母に言う。「着信見てみようよ」 母が答えるヒツウチだったよ」
「ヒツウチ〜〜〜〜〜ッ?」警察が非通知で電話して来るだろうか。無いだろう。そこまで判ってて
何故引っ掛かるかなあ。母の証言を聞くと、とにかく練られた話術の様な物が存在するらしい。
気が付くと「私は何をすればいいんですか?」と聞いていたそうである。危ない。
ところが先方にも誤算があった。おそらくは 職場の名簿から辿ったと思われる向こうには 本人の
情報があっても同居家族の情報が無い様子だった。少なくとも話術担当は最小限の情報の
持ち合わせしかない様だった。弟の実家を 弟が家族と構えている家だと思い、実母を弟の妻と言う
オイディプス王も真っ青な、洒落にならない勘違いをしていたのだ。

母は「に相談します」と言った。先方は「ですからご主人は調書が取れないほどの状態なのです」
と答えた。苛立った母は「それは息子の事で、私は自分の夫に相談すると言ったんです」と答えた。
そうしたら電話は切れたと言う。母は、何かとんでも無い事態がまた起きたのかと思い、私を呼びに
来たのであるが、実際はお手元情報とずれが生じた為、先方がさっさと撤退したのであろう。
一応、警察に電話で届けるが『知能犯』担当が大忙しらしく、後日また連絡が行くかも知れないと
言われた。オレオレ真っ盛りなのであろうか。

夕方までに、周囲のオレオレ被害が伝わって来た。殆んどが未遂で終っているが、実際に多額の
振込みをしたケースもあった。振込みは短い時間に二度なされたケースもあると言う。
我が家では交通事故であったが、その家の人の最も恐れていると思われるケースを巧みに創作し
複数の演技者を使って来るらしい。医者の息子を持つ人は「医療事故で人を殺した」と言う
『本人』の言葉に騙されている。それだけ私たちは多くの大切な物とそれと同じだけの不安を抱えて
生きているのだと感じる。

年末に向けてオレオレにも拍車が掛りそうな勢いである。驚いた所に中々難しい
かも知れないけれど、突飛な質問をしてみる事で案外簡単に相手は引いて行くと思う。
駄目元でやっている気配がある。落ち着いて、なるべく早く本人と連絡を取る事が肝心かも
知れない。本人不在なら友人や同僚でも、本人の行動を知っている人物とコンタクトを取るのも
有効かもだ。

我が家では 親の寿命がちょっと縮んでいるかも知れないが、年末に向けて、いっそう車の運転
には気を付けようと言う無難な教訓が残った。


2004年12月12日(日) スピッツ。


数日前に壊れたラジカセで今、私は長い事行方不明だったリュートのCDを聴いている。大満足だ。
ラジカセは結局、未だ修理に出しては居ない。ついさっき、思うところあって、ある部分を強制的に
持ち上げ
、ある部分を強制的に引っ張って見た。そうしたら動いたでは無いか。
叩くだけじゃ駄目なんだね、最近の家電はね。もっとこう、手の込んだ思い知らせ方をしてやらない
と。年末だもん、ラジカセ修理に出している場合じゃないよ、虫歯の治療も途中だしさ。

スピッツの「ロビンソン」がヒット街道驀進中と思われた頃の事だ。買い物をしていても有線で流れて
来ていた。誰が歌って居るのかも良くは知らなかったが、ぼんやりと どこかGS時代の様な懐かしさを
感じさせるメロディーを聴いていた。掠れた甲高い声の割には歌詞がはっきり聞き取れるボーカルで
言葉にきちんした流れがあったので、つい聞き入ってしまった。そのうち2番の歌詞に入り呼吸を
止めない猫
と言う言葉にぎょっとした。その時がこのグループに興味を持った最初だ。
呼吸を止めたら生き物は死ぬ。人でも猫でもおんなじだ。だからこれは「まだ死んでない」と言う事なの
であろうが、何れ死ぬ事を暗示している。そして死ぬまでを見ている作詞者の目がある。
生き物の死に行く様を間近で観察した事のある人なのかも知れないが、少なくともここに出て来る
「抱き上げて無理矢理頬寄せ」られる猫は『観念の上での死』を迎えようとしている様だ。
だからぎょっとはするが、強烈な印象を耳に残した後すんなりと詞は続いて行く。そして残った印象も
決して心地悪い暗さを伴った物では無いのだ。臭うような死では それは無いからだ。
立て続けにヒット曲が出たようで、さすがにスピッツと言うグループが歌っているのだと言う事が
判った。歌詞には初めから関心があったので 知っている人に聞いて見ると歌っている人が作詞作曲
もしていると言う。成る程と思いつつ、特にそれ以上追いかける事も無く、音楽を余り聴く余裕も無い
生活となってしまった。

スピッツの名前は憶えて居たので、最近になってCDを借りて聴いて見た。
「海を見に行こう」と言う曲のイントロを聴いて サイモン&ガーファンクルの「木の葉は緑」である事に
気付く。違う!と言われたらそうですかと言うしか無いのだが、違わないんじゃ無いだろうか。
家にアルバムが4枚あったので、S&Gは小学生から聴いていた。
私としては非常に嬉しい。自分が生まれる前にヒットした様な洋楽ばっかり聴いて大きくなったので、
自分にとっての懐メロは既に廃盤は当たり前、リバイバルブームと言う奴ですら とっくに終わっているなんてざらなのだ。名曲が 何かを残したままに 形を変えて生まれ変わるのが聴けるのは嬉しい。
同世代の人間がそれをしてくれると言うのは更に嬉しい事だ。
実はこのスピッツのボーカルの 草野正宗と言う人は、思い切って言ってしまって私と同世代の人
なのだ。確かに年は幾つか下ではあるが 仮に結婚してもへえ〜っとか周囲は言わないくらいの
年の差なのだ。(例えにしてもファンの人が読んでいたら済みませんね)
レンタル率が高いのか、ショップでスピッツを借りて行く人を何人も見掛けた。(それに比例してCDは
みなボロボロである)。借りて行くのは10代後半から20代前半と思われる『若い』人達だ。
レジで並んでスピッツと言う事が一度あって、隣りでハチミツを借りていたのは多分 まだ10代半ばの
お兄ちゃん。自転車で来てたに違い無い。
自分の息子が女の子くどく時にかける音楽を作って歌っていられるなんて、素晴らしい事では
あるまいか
と これまたファンの人が聞いたら本気で怒られてしまいそうな事を思わず考えてしまう。
草野氏は独身だそうであるが。

桑田佳祐は言葉を弄って遊ぶ事が好きで、かつ綺麗なメロディを作る人だが、この草野正宗と言う
人も『韻』を踏ませて言葉で遊ぶのが上手な人である。
ジャンルによっては『韻』で取る調子が大きな部分を占める音楽もあるが、スピッツの『韻』はもっと
古い時代の洋楽の匂いを感じさせる。日本語はメロディに乗せて綺麗に『韻』を踏ませる事が
難しそうな言葉だ。だが、スピッツの音楽はメロディも美しい。古式ゆかしい美しい日本語、外来語、
造語、略語これらを総動員して『韻』を踏み捲る。意味より流れを重視しているかのような独特の
歌詞世界の中で 意味もまたちゃんと通じ、それにも何処か観念的で美しい独特の味がある。
この人がどんな音楽を聞いて育った人なのか詳しく知らないが、スピッツのメロディを聴いて連想する
のはソフト・ロックとかフォーク・ロックとか ちょっと独自な呼ばれ方をされながら美しい言葉とメロディ
を提供し続けた60〜70年代の幾つかのグループだ。

スピッツと言うのはボーカルの草野氏の声が「スピッツのように甲高いから?」と思っていたのだが
違うらしいと最近知った。


2004年12月09日(木) 家電製品の壊れ方。


ずっと行方不明になっていたCDがあった。何故なくなったのかも、何時から無いのかも不明。
ある時、聴こうと思ったら既に見当たらなかった。
リュートと言うマニアックな楽器の、日本人奏者による既に絶版になっているCDであり、中古で
出回るにしても ややマニアックに過ぎる代物だ。
幾ら探しても見付からないので諦める事にした。家族が「年末の大掃除の時に間違って捨てた」
と言う嬉しくない理由を提供してくれたので渋々それで納得していた。
今日、ひょんな事からそれが見付かった。あった場所は何時も見ている場所である。今までは
確かに無かった。実際は見落としていたとか、何か理由があるには違い無いが「突然現れた」
としか思えない見付かり方だった。こんな事が1年・・・いや2年に一度くらいかな?あるのだ。
だが他でもこんな話しは良く聞く気がする。案外ある事なのだろう。
さて早速かけて見ようと、ラジカセ(別な呼び名が今はあるのかな)の電源を入れてびっくり。
ピクリとも動かない。昨日まで普通に聴いていたのだが。入れっ放しのCDも出て来ない。うう。
『人間万事塞翁が馬』と言う。得てしてこんなもんだと思いつつも 腹が立った私はラジカセを
叩いて見た。動かないので軽く蹴って見た。駄目なので軽く踏んで見た。・・・駄目だ、動かない。

動かなくなった家電は取り敢えず叩いて見ると言うのは基本だ。
これで動くようになる物だって結構あるのだ。他の部分に異常が起きるほどは叩いちゃ駄目だが。
ところが最近の家電は、そんな単純には中々行かないらしい。中が複雑な分、壊れ方も どこか
シュールなのだ。
ちょっとだけ昔、知り合いの家で起こった出来事だ。居間に居るのは私一人、他は皆ダイニングに
居た。突然、居間のテレビがうぃ〜んと音を立てて回り出した。
私の顔色が変ったのは、その場に居た全員が判ったと思う。だって かなり古い例えだけど本当に
エク●シストみたいだったんだもん。
家人の話しでは、数日前からテレビの調子が変なのだと言う。家電屋さんが言う事には「今は
何でもコンピューター制御だから壊れ方も単純じゃない」んだそうである。
そのテレビにあちこち扇風機みたいに顔を向ける機能が付いていた事を私は全く知らなかった。
短い期間に、壊れたテレビは実に色々な異様な症状を起こしたんだそうだ。

◎ボリュームが突然どんどん上がって止まらなくなる。
◎チャンネルが突然切り替わり、変ったが最後元に戻らない
◎電源が勝手に消えてしまう。

最早 買い替えるしか無さそうだと言う事で、その時は新しいテレビを注文中であったのだ。
だが、テレビはテレビで勝手な行動を起こし続けている。慣れている家人は笑っていたが、
今 思い出しても、何となく笑えないな私は。

このラジカセ古いんだよね。部品あるのかなあ。結局買い替える事になるんだろうか。
どうせ駄目ならもっかい蹴って見ようかな。



2004年12月08日(水) 大河ドラマ『新選組!』。


NHK大河ドラマ。一番古い記憶にあるのは多分『風と雲と虹と』である。
物語自体まだ余り上手く把握出来ていないと言うか、親の隣りでぼんやりと見ていただけ。
それ故に加藤剛演じる平将門の最期が鮮烈に残った。それと音楽、でっかい墨字で役者名が
画面にバンと出る。何て格好良いんだろうと思った。
ドラマは昔から余り見ない。贔屓の役者さんが出る時だけチラッと見る程度だ。
但し大河ドラマは別。一時期までは毎年見てました。元々日本史音痴なのでどう演出を入れ
られても「ふおおお〜」などと感心して見てしまう。上手く騙してくれた年のドラマがやっぱり
一番面白いのだ。それとやっぱり役者の魅力だ。

私が見た大河ドラマでベストを挙げるなら今の松本幸四郎、当時は市川染五郎の『黄金の日々』だろうか。とにかく演出が奇抜なら役者がきっちりと締める、役者が奇抜なら演出が締めるみたいな、そうした所が面白かった。
川谷拓三、根津甚八、鹿賀丈史、近藤正臣、濃すぎる面々である。幸四郎の一家では当時子供だった染五郎と親父さんの松本白鸚(当時の松本幸四郎)の3代で出演していたのだそうだ。私は子供時代の染五郎はちょっと憶えていないのだが。
ここの一族ってテレビ出るの好きなんだなあ。

いつの頃からか大河ドラマを見なくなった。面白く無くなったからと言う訳でも無いのだけれど
一度足が離れると元々日本史に興味が薄く、好きな時代や武将が居ないだけに中々戻っては
来づらいのだ。最近では『利家とまつ』は見れば良かったかなとちょっと後悔した。
男性陣に見たかった役者さんが居たもんで。

でもって今年は久々に大河ドラマを欠かさず見てました。『新選組!』である。
今年だけ見たと言う理由は単純で、三谷幸喜の脚本が好きなのだ。香取慎吾も 私は大柄で
見栄えのする男が好きなので、バラエティは殆んど見ないが、ドラマで「好演しているな」と勝手に
思った時は欠かさず見て来た。ベトナム人とか知的障害のある子とか、どこまで考えてやって
いるのか判らないが時折妙な存在感が出るところが役者として見ている理由だ。
次回が最終回。面白い大河だったと思う。ただし 異色の大河だった。45分、毎度毎度オチの
あるドラマみたいである。隊士がぼろぼろ死んで行くが、どの回もきちんと焦点を絞り描いているので『死』がだらっと流される事が無い。
陰惨な感じは無かったけれど、それこそ大河ドラマならこれで良いのでは無いだろうか。
小劇場系の役者さんが多かったと言う事でテレビで見慣れた顔は少ない。だが 死んだ隊士達は 死に際の演技を競い合うかの様な、或る種の華やかさでこちらを魅了した。
河合耆三郎の死の回の45分などは 一編のドラマとしての完成度も高いと思う。
『新選組』の存在自体、史実に証言、創作と入り混じって壮大なファンタジーと化しているのでは
無いかと言う感を受ける。大河ドラマでそれをやり、見た者を上手く騙してくれると言う意味では
悪くなかった今年の大河だった。(肝心の『最終回』はまだだが)
涙もろいもんで結構泣いちゃったんだよね、正直言って。


2004年12月06日(月) ど金魚。


我が家の裏手は やや大きめの公園で、住宅地側はグラウンドになっており休日には少年
野球チームの練習する 威勢の良い掛け声が夕方まで聞こえている。他にも幼稚園対抗
サッカー大会などと言う物が行なわれていた事を先日、参加して初めて知った。
息子はてんで見当違いの方向にボールを蹴り、足で砂を掻いてみたり、敵のゴールに入って
みたりで見ているこちらは胃が痛くなったが、本人は帰って来て いたくご満悦の様子だ。
何が一番楽しかったかと訊ねると「k君と虫の抜け殻を見に行ったのが楽しかった」のだ
そうである。試合に負けて心底悔しそうにしている男の子の姿もあった。
本人が特に希望しないようであれば うちのはまだ虫探しでもさせて置いた方が良さそうかな
とも考えてしまった。

その公園が 夏の数日間「町内夏祭り会場」となる。
お祭り名物「金魚すくい」を解禁し、息子に金魚を飼わせる事を決めたのは昨年の夏祭りの
事だ。事前に水槽と飼育道具一式を購入。何より私がやる気満々だった。
金魚を飼うのは子供の頃以来なので かなりわくわくだ。
町内会のお祭りなので、すくえなくても金魚は貰える。4匹の小さな赤い金魚をゲット。
「好きな名前を付けていいよ」と言うと 息子は中で一番大きく一番赤いものに「ぽんぽん」と言う名前を付けた。他の3匹の名前は思い付かないから後にすると言っているうちに全滅。
白点病である。「ぽんぽん」は一番頑張ったが、それでも駄目だった。
アジサイの根元に息子と一緒に金魚を埋める。残った水槽が実に物悲しい。
水槽や道具一式が勿体無いのと、何だか癪に障ると言う理由でD.I.Yショップにて一匹29円の和金を4匹購入。ここからが「リベンジ・ざ・金魚飼育」の始まりだ。
病気の知識を仕込む。薬もちゃんと買った。それでも白点病が出たら洗面器で薬浴
4匹のうち、3匹まで大きくする事に成功する。
結果から言えば 現在我が家には5匹の金魚が暮らしている。全て和金タイプで 29円の赤い
金魚が巨大化したものが3匹。300円の紅白のコメット、三色の朱文金が巨大化したもの
1匹ずつ。誤算だったのは、やはり成長させ過ぎてしまった事か。病気には気を付けたつもり
だが 何かに気を付けるのを忘れてしまったらしい。
結局、水槽は2つになってしまった。掃除が大変だ。やっぱりだもんで生臭くないと言ったら
完全に嘘になる。
大食漢で愛想のない彼らだが、餌を貰える時はちゃんと判っており跳ねる奴がいる。一匹が
跳ねると同じ水槽の金魚は跳ねるようになる。ばっしゃ〜んっ!ばっしゃ〜んっ!おねだりと
言う感じでは無い、まるで抗議行動だ。

赤い和金の中で一番赤い物を息子が「ぽんぽん」と呼んでいるので「これは『ぽんぽん』じゃないよ」
と何度説明しても頑として聞き入れない。「これは『ぽんぽん』だ!」の一点張りだ。
「初代」は埋めた筈なのだが、息子が記憶の中で混同してしまっているらしい。「ぽんぽん」はお祭りで買って来て、ずっと生きている事になっているのだ。そう言えば何となく「初代」と似ている。私は 顔がかつての大物某政治家に似ているので勝手に「N中さん」と呼んでいるのだが。
一匹だけ雌が混じっていた。やはり和金で目がちょっと飛び出て口が大きく性格が温厚で『慎吾ちゃん』と呼ばれていた金魚だ。二度ほど産卵したら「ほっちゃれた」(鮭が産卵後ぼろっとなる様子)ようになってしまった。でも元気な事は元気である。
紅白の身体に長い尾が美しいコメット、名前は「ちんころちゃん」。やはり息子が付けた。
これと「ぽんぽん」の2匹が特に可愛いのだと言う。
5匹揃って今年で二冬目。一丁前に 水槽には安物ではあるがヒーターを入れて貰っている。



☆太ってしまった朱文金、名前は「ベイブレードちゃん」。
巨大潜水艦と言った感じ。


2004年12月05日(日) 雪が降る。そして降り過ぎる。


♪雪〜があ〜降〜るう〜♪ 降り過ぎです。
ここ一週間ほど雪は降らなかったし、「年内は暖冬です」とニュースでやっていた
のを聞いたもんで「ブラッククリスマスかね。それも何か寂しいね」などと甘い事言ってたらまあ。
降るわ降るわ降るわ降るわ。まだ降っている。
「いやいや、これは明日までジョセツはいるかねえ」
(やれやれ、除雪車が家の前を通って 明日までには人の通れる道をつけてくれるかなあ)
「はいんでないの?」(来てくれるんじゃないのかなあ、除雪車)
冬が一番 訛りが強くなってしまっているのは気のせいばかりでは無い筈だ。
夜9時前のニュースでは大阪は25度を超えたとかで、道行く人は半袖。千葉でもマリンスポーツを
楽しむ人の姿が・・・日本って本当に縦に長いのね。
こう言う、もう嫌になるくらい唐突に大量の雪が降り積もる事を『ドカ雪』が降ると言う事があるが、
『ドカ雪』の後は、裸の街路樹には白い花が咲いたようになって これが見ようによっては
中々綺麗である。
ただし この花は時々どそっと言う不気味な音を立てて枝から突然落ちて来て、歩いている人を
ぎょっとさせる事がある。
『雪が降る。貴方は来ない』
原曲はS.アダモの"Tombe La Neige" 意外にも大ヒットとなったのは日本だけであったそうである。
有名な訳詞は安井かずみさんによる物だ。
『来ない』理由はバスが止まっているか、JRが止まっているか、或いは車が埋まっているからでは
無いのか。携帯電話で呼んでみよう。何度呼んでも通じない、或いは既に使われていなかったりしたら
やっぱり本当に来ないのかも知れない。

『いろり火はとろとろ 外は吹雪』
明治45年の尋常小学唱歌に載っている『冬の夜』の一節だ。
中央集中暖房とか言っても、この微妙な孤独と閉塞感、そして春を待ち遠しく思う気持ちは当時と大して
違いはないんじゃ無いだろうか。



☆裏庭の木蓮の木。更に降って降って降り続いているが。


2004年12月04日(土) 青いバラ。


最近読んだ本の中から面白いなと思った物を。


☆トルコ石の『青いバラ』。実は誕生石。

『青いバラ』・・・最相 葉月 (新潮文庫)
英語でBlue Roseと言えば「不可能、有り得ない事」を指すと言うのは
聞いた事があった。
高校時代であるがセントポーリアと言う室内植物を育てた経験がある。
咲けば大層美しいが ちょっと放置しておくと形が崩れたり枯れてしまう、捨て身で愛情を得ようと
する姿が、私なんかは寧ろ ちょっと見習った方が良いんじゃ無いかと今では思う花である。
これは黄色が出ない。行きつけのお店が黄色のセントポーリアの写真をあしらって展示会の案内状を寄越した時は度肝を抜かれた。勿論 加工写真だったのだが、ちょっと止めてよな感じである。
今も黄色は無い筈で、だから鮮やかなオレンジも無い筈である。
だがこの先ずっと無いのかと言えば判らない。遺伝子操作で 有り得ない色素を入れる事が時に
可能となったからだ。これで今までに無かった花色が作り出されている。
だがすんなりと行かない物もあるらしい。花色を作り出すシステムはそれほど単純では無いらしいのだ。
『青いバラが出来たとして、それが本当に美しいと思いますか』
日本のバラ育種の第一人者である老人が著者に尋ねる。その一方で現役を退いて尚、老人は
青いバラに思いを馳せる。『千一夜物語』から『ツインピークス』まで、古今東西様々な作品で
あらゆる意味合いを与えられて来た青いバラ。それは一体どんな青か。
夕闇のビロードの様な質感か、晴れた日の高い空の青なのか。
いつか進歩の名の元に、私達がそれを目にする日もあるのだろうか。
ちなみのこの方(さいしょうはづき)さんと読むらしい。「何か読めない名前の人なんですけど〜」
と言ったのに 探して出して来てくれた本屋のお姉さん、偉い。



☆デルフィニウムはデルフィニジンと言う青い色素を持つ。そっくりバラにとは行かない物らしい。

『ネグレクト』・・・杉山 春 (小学館)
赤い花の種から白い花が咲く事もある。だが、大抵は同じに赤い。栄養が足りないと花は痩せ、
過剰にしても枯れる事がある。頑固に拒否する子供の様子を見た親が むかついて「もう、いい」と放置して行こうとする。周囲が「ねえ、泣いてるよ〜」「戻ってやんなよ」とか言っても「いい」の一点張りだったりして、結局親子似てんじゃんねえと思うと 他人事なら可笑しいなあで笑って済む。
他人事ならだが。
良く調べてある。そして答えは無い。両親に対しては判決があるだけだ。
気になったのは拘留中の両親が共に「未来への希望と幸せ」を口にしている事。死んでしまった
子供には可哀想な事をしたが、自分達は今度はその子の分まで幸せになると。
「コンクリート殺人事件」と言う とりわけ心の底で風化させたくない事件があった。
当時未成年だった被告の一人がやはり「彼女と死んだ子の分まで幸せになりたい」と言ったと
何かで読んだ。非常に印象に残った。幼いとか非常識とか馬鹿とか言うより、何か向き合う物が欠けたまま
大人になってしまったのでは無いかと不安にさせられる。
「自分だけの神様」でも居た方が良い。人は常に何かに向き合っているべきだ。

『へんないきもの』・・・早川 いくを (バジリコ株式会社)
       イラスト 寺西 晃
特殊な環境で特殊な進化を遂げる。それがちょっと極端だったり変だったりしただけなのだ。
笑ったら悪い。悪いがここはやっぱり笑うべきなんだろうと思う。笑えない事が多過ぎだ。
オオグチボヤは笑ってる訳でもないのに笑っているし キンチャクガニは今日も何処かで
イソギンチャクを両手に持ってチアリーディングをしているのだろう。
しかも二匹向き合って。
ブチクスクスの竹内力の顔となったイラストも必見だ。ややお高いけどお勧めの本です。
生物全般が平気で妙な物好きなら是非。



2004年12月02日(木) 苦手な『音』。 Part.2


『音』の話の続きを少し。
苦手なのは「男性(オヤジ限定)の怒鳴り声」と言う私だが、ひょっとして過去に
トラウマがあるのかと思って見た事もあった。が、どうも違うらしい。
怒鳴り声に限らず、私は結構いろいろな『音』が苦手だ。閉鎖された空間で
大きな音が響いていると言う状況が最も駄目で、だから 映画館がまず苦手なのだ
映画自体が嫌いな訳じゃ無いんだけど。同じ理由でコンサートも駄目だ・・・。

今やどうやら大ピンチの最中にあるらしい、私がかつて勤めていた会社の社長さんが
「怒鳴るのが趣味」と言う人だった。この人がまた威圧的な「オヤジ声」で、しかも
ものすごい大声。日常的に怒鳴っているので 声も鍛えられたんだろう。
普通、怒鳴られるのは叱られる時と相場が決まっていそうなものであるが、この社長さん
の場合、叱る時には案外怒鳴らず、それ以外のシチュエーションで怒鳴る。
例えば『励ます時』とか。
しかも わざわざ社長室に呼び出して閉鎖空間でそれをやる。
多分、単純に相性の問題なのだろう。普通の人にはあの声が『力強い励ましの声』に
聞こえて居た筈だ、ちょっと煩くはあったろうが。
ちょびっとだがカリスマ性のある人であった事からもそんな気がする。
だが、悩んでいる本人のみならず時には周囲まで呼び出しては怒鳴り励ます
この社長は 私の「のほほんOL時代」最大の鬼門であった。
当時のこの社長さんの口癖は『君達の給料は迷惑料だ』と言う物だった。
多少は理不尽なお客の注文にも耐えよと言う意味だろうが、上手い事言うねと
思ったもんである。

息子は現在5歳になるが、やはり『音』には敏感である様だ。
教えた憶えは無いのだが 「この音嫌い」と言っては避ける物は大抵は私も苦手な
音であり、こんな所まで遺伝するのかと驚いた。
好きな音はオルゴールの音だが、周囲が良かれと電子オルゴールの玩具を買って
来ても苦手なので困っている。音量が調節出来れば 小さくして聴いている。

自分の日記なので堂々と自慢させて貰うと、私自身『音感』は悪く無い。
高校時代、調音の試験で2つまでの和音であれば問題無く聞き取れる事が判った。
ピアノをやっている友人に褒めて貰った、褒められる事自体少ないので憶えている。
『音に敏感』をプラスに転じて欲しいと、息子に対しては つい期待してしまうのが親心
と言う物だが、先日 気分良く歌っているのを聴いていたら「音痴」の気味があった。




2004年12月01日(水) 耳に苦手な『音』。


昔、むか〜しの事だが『昭和』と呼ばれている時代があった。
さすがにその頃は 私も初々しい学生さんだったのである。

私が通っていた短大は、某国立大学の所有する 広大な農場の端っこに引っ付く
ようにして建てられていたので しばしば付属施設かなんかと間違われていた。
或いは余り大きなキャンパスでは無かったので、幼稚園と間違われる事もあった。
だが教授陣には それなりの方々が名を連ねていた様に思う。
専任教授以外は皆 名誉教授の肩書きを持って居られた。つまりはかなりいい歳の
学者としての 地位と名誉がしっかりとあるお爺様先生が 言葉は悪いがちょっと
したアルバイト感覚で教えに来られていたのでは無いかと思うのだ。
或る日、こんな事があった。当時70数歳であったが大変お元気な心理学のF教授が
授業中発言した生徒に向かって一言。「私はどうも女の子の、こう甲高い声が
最近聞こえなくなってね。悪いが全然聞こえなかったんだが」
突っ込んで良い物かどうか、迷った。発言した子も困っていた。
確かゆっくりと『低い声』で言い直していた筈である。
他にも、教壇でいきなり咳き込み、身体を丸めてずっと咳き込み続け、大教室中を
手に汗握る緊迫の渦へと巻き込んだ81歳のA先生。(数分後無事復帰)
学生番号を書いて回す紙が回収されて、そこに書かれている人数と実際の出席者に
余りにも人数差がある事に(つまりは代返)泣き出しちゃったT先生。
留年なし、卒業時単位落としてたら退学扱いと言うシステムは厳しいが、そうした
本物の学究に生きて来られた方から物を教わる事の出来た大変貴重な2年であった。

初めのF先生の「声が聞こえない」の話だが、苦手とする周波数と言うのは人に
よって随分と違う。聞こえなければいっそ良いのだが、嫌いな音ほど身体に響く。
私がどうにもこうにもならないのは『男性の怒鳴り声』だ。
但し、都合の良い話のようだが青少年はオーケー、駄目なのは『親父の怒鳴り声』
限定である。理由は判らない。
かつて知り合いで漫画を描くお仕事をしている方が居て、作画中のB.G.Mを何時も
探して居られた。その人は女性の高い声がどうにも我慢出来ないと言う。
プラシド・ドミンゴを好んで聴いて居られた。
私の耳に心地よい『音』は逆にかなり『高い音』であるらしい。
サラ・ブライトマン、シャルロット・チャーチ。人によっては好んで聴いてもリラックス
までは出来ない高さの声だろう。
楽器にしても 聴くならセロよりオカリナの方がリラックス出来 集中出来る。

先のF先生、女性の高い声が駄目と言いながら、それから10年近く出張講師として
短大の方の仕事をなさって居たと聞いた。どこら辺で折り合いをつけていたのかは
不明だが、女の子の声は苦手でも容姿は決して苦手では無い、そんな茶目っ気が
あった方だったのでそっちが優先したのかも知れない。
当時の、尊敬しつつも『愉快な』教授陣はほぼ鬼籍に入られた。
本当に『昭和』は遠くになってしまったらしい。



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