| 2005年09月04日(日) |
人は、本当に神に創られたのか? |

秋らしく、またまた、センチメンタルになって来ました
前月、勤務先で人権標語の宿題のようなものが出ました 普段はあまり考えない問題だけど、私の中で、あらためて考えた問題だった そもそも・・・人はそれぞれ、外見も、考え方も違うのである 個性とか、差別とか・・・必ず表面化してくる問題ではないだろうか 例えば、自分とは違う考えをなかなか認める事が出来ない私がいる 年齢と共に頑固になって来たのだ 若い時は、人の考えに相槌を打ち、ニコニコしていたこの私も 自分の考えや好みが一種のこだわりになって来ている為、相反する考えには、差別をする自分がいるのだ この場合、生まれてから今までの経験や、産まれ育てられて来た環境などから作られる性格的見解のことだ では、それ以前の元々の差別とは何だろう 差別とは、産まれながらに肌の色が違うとか、生まれた地域の差別、男と女の差別・・・・様々である では、何故?最初から、そんな差が人間にはあるのだろうか? 人を神が創ったのなら、差別を創り、起しているのは神ということになる 美しい外見で誰もが生まれたいし、家柄だって良い方がいい 裕福で、健康な優しい両親の元で産まれ、育てられたい なのに、神はどうして、それぞれ、違う形で創ったのか・・・ 個性とか奇麗事では片付けられないほど、苦しく辛い立場で創られたものも居る事を神は知っているのだろうか
私は、宗教を否定する訳ではないが、この宗教に関わる人ほど、胡散臭いものを感じせざるおえない 若い時に、散々な悪事を重ねたあげく改心して宗教を唱えたり 自分の欲を優先し、家族を泣かせ辛い思いをさせて、出家して、著書もかなりある有名な作家であり、他人に悟りを平然と唱える宗教家・・・ お金が必要な宗教社会も、それを非課税にしている社会も・・・ 私個人は理解出来ないのである 毎日毎日、ただただ真面目に生き、守るべきものだけをみつめて生活している人もいるのだ それが、どんなに納得のいかない状況であろうと、身動き出来ない人も居る でも、救われるのは、そんな中にもチャント、小さな幸せを見つける強さを持っていることだ 他の人から見たら、些細な事が、とっても幸せだったり、嬉しかったり、温かかったり・・・・ 考えや、心持は、経験や教えや訓練で直せたり、方向性を変えられる事ができる 神の入る事の出来ない世界かもしれない 魂の世界とも言える でも、この心の領域までも、神が支配しているかのように考えられているのは、どうしてだろう 人を形として創った創造の神とは、違う神が存在するのだろうか・・・
秋の気配を感じながら ヘンテコな哲学を唱えてしまった私でした・・・・(^^ゞ
|