たいむらいとのひとりごと
旧・ひいきのつぶやきへ

2005年02月28日(月) 将門2回目観劇。

27日、見てやはり思ったんですが
この戯曲は1970年代に書かれて、書かれた当初は
連合赤軍の崩壊とか、そういう社会背景を持って書かれた。
だけど、今の観客には(もちろん私も含め)そんな背景を
実感として知らない人の方が多いと思う。
だからこの戯曲が色あせているかというと、全然そうじゃなくて
赤軍がどうのとか、全く知らなくても十分に味わい深いし
何かを訴えかける戯曲だと思うのです。
だから、1回目は「へえ〜そうか〜、なるほどね」と思えたけれど
デモ隊と機動隊の衝突音とか、浅間山荘の外からの呼びかけ(?)
みたいな効果音は、なくてもよかったんじゃないかなあ。
その時代を知っている人は、そんな音がなくてもきっと
その時代の話として受け止めたと思うし、知らない人は
なければもう少しすんなりと戯曲の言葉を堪能することができたと思う。

でも蜷川さんの演出は気難しい題材を「エンターテインメント」に
うまくお色直ししていて、何も考えなくても楽しめる舞台には
仕上がっていたような気がします。


BBSにも書いたんだけれど、山下さんの凛と響く艶やかな声が
他の方の喉に疲れが感じられた今日は、よりよく目立っていて
すごい財産だと思いました。
花組ファンらしからぬ一般観客の会話にも、山下さんの声の良さを
ほめる声が聞こえて、すごく嬉しくなりました。

また惚れ直しちゃったかな〜。(笑)



2005年02月09日(水) 幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門

2月9日マチネに観てきました。
大幅ネタバレ。
あくまでも観ない人用レポなので、観る予定のある方は観てから読む(か、読まない・笑)ことをオススメします。

けっこう引き込まれ熱中して見られるお芝居でした。
堤真一になかなか力量があって、段田さんの存在でグッと舞台が引き締まることもあり、また中島朋子、木村佳乃の女優陣お二人も、思ったより達者で舞台栄えするお二人でした。
山下さんがご出演なさると知ってすぐに戯曲を読んだ時には、この戯曲の書かれた時代背景などを一切意識せずに読んだので、セリフに用いられた言葉の持つ普遍性とか、美しい詩のような言葉の連なりの中に秘められた意思とか、そういうものを想像して戯曲を楽しむことができたけれど、舞台を観てこれが連合赤軍、全共闘の崩壊、といった時代背景を強く意識して書かれた戯曲だということを教えられました。
建物を突き崩す鉄球、アジのような口調になるセリフ(笑いを誘っていたけれど ^^;;)、そして組織が今にも崩れそうに揺れている時に、バックで流されるデモ隊と機動隊の衝突のような効果音・・・そうか、そういう戯曲だったのか、と。
この戯曲が書かれた時代から30年がたち、わざわざ今この戯曲をとりあげるからには、そういった具体的な社会背景よりもこの戯曲の中にある普遍的な美意識のようなものを感じ取りたいと思いました。
狂った将門が、前半で盛んに「陶酔と苦悩の所在をはっきりさせろ」というような言葉をいいます。「陶酔」と「苦悩」。流されるな、と言うことなんでしょうか。苦悩しているつもりが陶酔して流される果てに偶像を見てしまう。そしていずれは拝むべき偶像を失い自己崩壊していく。将門伝説をモチーフにしながら、そんなことを描いているのかもしれない、なんて珍しく真面目に考えてしまうお芝居でした。

装置は稽古場レポートの動画でも見られたように、舞台正面、左右すべて階段、階段、階段。階段の所々に梯子もかかっている。そしてあちらこちらで階段を利用して客席からだけ効果的に見える本火が仕込んである。それから今回の降らしモノは7センチ大くらいの石つぶて。ザラザラ降ってきます。
私が蜷川さん演出の舞台を初めて観たのは、1979年の「近松心中物語」の初演だったと思います。セットで埋められない、何もない空間の生かし方がすごいと思いました。舞台の上にある空気の部分をスモークで何も見えないほど一杯にしておいて巧みな照明を当てたり、雪の降らせ方も尋常でなければ、普通降らないものでもガンガン降らせる(笑)。そんなずっと昔に蜷川さんに私が抱いた印象を再び思い出させるような演出でした。(「お気に召すまま」や「夏の夜の夢」の時はあまり思い出さなかった。)

物語は、(これ以下は観ない人だけ読んでください。)
自らが新皇と名乗り朝廷に楯突いた将門の軍勢が、藤原秀郷率いる討伐軍に攻められいよいよ敗色濃厚となった頃、将門(堤さん)は頭に傷を負って自分が将門を敵と狙う人間だという妄想を抱いてしまう。将門を信奉してきた武士達は戸惑い、将門は健在であるというアピールを続けながら敗走する。将門にはもともと影武者がたくさんいる。参謀役の三郎(段田さん)を除く部下は皆影武者と言っても良いほど。その内でもリーダー格で、三郎の弟の五郎(高橋洋さん)は、自分が将門に取って代わろうとするが、その企ても潰え、結局将門の影武者として一生を終える。
将門の妻、桔梗の前(木村さん)は、将門が自分のことすらもわからなくなってしまったことに対する悲しみと怒り、そして自分はなんとかして生き延びようと、五郎を誘惑したり、三郎をそそのかしたり、それでも将門を忘れきれず、苦悩の果てに、結局自らの命を断つ。
参謀の三郎は将門の幼馴染で、弓も剣も将門に劣らないが出自が孤児であるという劣等感から、将門の側に寄り添い、同じ幼馴染である桔梗への恋慕を隠しながら、将門を大きくすることを喜びとして生きてきた。将門が狂ってしまいシンボルを失った三郎は、それでも自分が将門の代わりにはなれないことを一番良くわかっている。そして結局将門が狂ってしまったことを知る者全員(もちろん自分も含めて)の命を断つことで、将門が狂ったという事実を抹殺し、将門を英雄として永遠に生かそうと考える。
流れ巫女(戦場を渡り歩き、兵士に身を売る女たち)の一群の中にゆき(中島さん)という三郎・五郎の妹がいる。このゆきは、かつて三郎の陰謀により将門の一夜の慰みものとして供されたことがある。一見狂っているような、虫けらのような流れ巫女だが、ものごとの本質を見据え、自分の感情の赴くままに生きているように見える。将門が正気な頃は、ひたすら将門を恨んで生きてきたが、狂ってある意味子供のように純粋になった将門を可愛いと思い求められるままに将門に寄り添う。しかし最後は兄三郎の考えを察して三郎と刺し違える。
山下さんの演ずるのは影武者の右太(ゆうた)。影武者には影武者の苦悩と陶酔があるのだ。若くて野心もある五郎は、影武者生活から抜け出し将門そのものになろうとしたが結局叶わなかった。右太は五郎のような野心は持たない。あくまでも将門に忠誠を近い、捨十(田山涼成さん)、源左(二反田雅澄さん)と、よき影武者仲間だった。影武者はあくまでも影であり、自分としての生き方はない。しかし、後半いよいよ仲間が残り少なくなり、滞在する村々でも将門の家来と言っても匿ってもらえなくなった頃、右太は一人逃亡する・・・。そして三郎に追いつめられた時、右太も自らの腹に剣を突き立てた。そのシーンはないけれど、そのあとで右太の死体人形が登場して、階段の上から放られる。あのシーンはショックでした〜。悲しかった。ううっ山下さんの変わり果てた姿・・・。

衣装は、鎧のようなものを身に着けているけれど、よくみると下はジーパンだったり、ミリタリー風のカーキ色のズボンだったりで、靴もブーツ。鎧の上からボロの布を身体に巻きつけている。髪は武士は皆、髷のほどけたザンバラ髪のイメージか、肩より長い髪だけれど、山下さんを除いては皆鬘。
山下さんのあの髪にあのお髭は、普通の服を着ていても落ち武者風(笑)なので、もうその扮装が似合うこと似合うこと。すんなりと身体になじんでいるようで、かっこよかった。けれど役としては、どちらかというと颯爽とした涼しい役ではない。影武者という卑屈になりがちな人種の悲哀のようなものが自然とにじみ出ていました。

また照明が鮮烈で良かった。赤の使い方は言うまでもないが、青もあったような気がする。また将門が一瞬正気に戻るシーンの透明な白。
音楽は、コリアンを意識して使ったというが、私には全然耳に入らなかった(^^;。次回、その辺にも注意してもう一度見てきたいと思います。

お疲れ様でした。


 < 前  もくじ  次>


たいむらいと