- 2005年12月17日(土) もう、こんな日記を書くのは終わりにしたい、 と思うそばから、書かずにはいられない記憶が 湧いてくる。切ない感情を伴って。 しかし、そもそもそれらの記憶は本当なのか。 私のなかで歪曲されているのではないか。 でも、思い出される記憶は、私にとっては真実。 記憶を消し去ることは、できないのだろうか。 記憶を薄める手段として、こうして書いているのだけれども。 書けば、私のなかから出ていってくれるのではないか、と 期待しながら、書いているのだけれども。 なかなか、そうはいかないみたい。 - - 2005年12月06日(火) ふと、祖母が生きていれば今年で百歳になることに気がついた。 私は、何度も何度も祖母を裏切った。 祖母を裏切り、母を選んだ。 そうするしか、生きていく方法がないと思い詰めていた。。 二人は、常に対立概念であった。 幼いながら、自分の存在が祖母と母の間に 軋轢を生むことを感じていた。 *** 台所に、お米が落ちていたことがあった。 ねずみかしら、と母は騒いだ。 おばあちゃんがこぼしたんじゃないの? と私は暢気に答えた。 小学校3年生の頃だ。 たちまち、母の目がつり上がり、私はなにかへまをしたことを 悟った。でも、もうどうしようもなかった。 おばあちゃんは、ここからお米を持っていっているの? ここからお米を出すところをみたの? 私が答えるいとまもなく、母は祖母の居間へと向かっていった。 私は、一緒に暮らしている家族が米びつを別にしているなどと 思いもしなかったのだった。 食事は幼い頃は一緒だったが、いつからか、別になった。 でも、食材は一緒に買って使っているのだと思っていた。 しかし、そうではなかった。一緒の家に暮らしていても、 なにもかもが別なのだった。 この時に感じた、すべてが凍りついてしまったような なんともいえない気持ちは、いまだに私の根っこにある。 いつまで経ってもなくならない。 -
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