書泉シランデの日記

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伊藤若冲と江戸絵画
2006年07月22日(土)

総勢6人で若冲展見てきました。
あまり混雑していなくて、いいのやら、悪いのやら。 若冲ってここ数年脚光を浴びているから、もっともっと混んでいるかと思いました。

正確には「伊藤若冲と江戸の絵画展」ですから、抱一、其一などの琳派、それに応挙、芦雪、暁斎、蕭白などなどいろんなのがありました。師宣の画帳もあったっけ。 まるでミニアチュールのような丁寧さでした。

いろんなのがあって、主流からちょっとはずれ気味の作品も多くて、まずまず楽しめました。 ほんとーのこといって、若冲の作品は、私的には三の丸尚蔵館にあったもののほうがインパクト大でしたけど、でも「紫陽花双鶏図」は迫力ありました。

ちょっと前の雑誌「和楽」の表紙になった「鳥獣花木図屏風」はなかなかの可愛らしさで、幼稚園バスのようでした。音声ガイドによれば、所有者のプライス氏はこの屏風にあわせて、自宅の風呂場にタイルを張り、象さんのお鼻のあたりにシャワーを設けたというから、金持ちというものは道楽者ですわ。

光線の具合によって絵の表情が変わるということを示すために、一部、照明に変化を持たせた展示を行っていました。これはなかなか意欲的な面白い試みでした。確かに、光の強さや色合いが変わると、金地、銀地はいうに及ばず、他の色も沈んだり浮いたりするのです。所蔵者側の発案のようでしたが、こういう試み、大いに歓迎。

同行6人、会場ではばらばら行動。出口で集まって、一緒にランチとなりましたが、ん〜ん、やっぱりランチの話題は各人の近況報告みたいなことになり、展示をみた印象が薄れたのが残念。


吉原治良展
2006年07月15日(土)

朝からガンガンに晴れ上がり、洗濯にはうってつけ。お布団を干して、シーツを洗って、午前中にはパ〜リパリに乾きました。

が、お楽しみ?はそれからで、12時を回ってから空が曇り始め、猛烈な嵐。雷も連続興行、鳴りやまずの一大セッション。近くに落ちたとおぼしき大音響。当然電車は止まるわなあ・・・でもって、庭をみると、白いものが草地に跳ねている。なんと直径2cm近い大きな雹!

まいったなあ、でも美容院の予約とってあるしぃ、と雨があがるのを待って美容院へ。この暑さじゃジダンみたいにしたいくらいだ。前回出ていたヤンカーでもいい。

で、午後もたっぷりした頃、吉原治良展@近代美術館に行きました。本日のメイン・イヴェントであります。

・・・がらすき。

天気のこともあったにせよ、がっかりするくらいの入り。その代わり、会場でしょーもないおしゃべりに興じる人は皆無。正直、おばちゃんグループが多い展覧会は騒々しいもん。私は立派なおばちゃんだけど、グループじゃないからいいんだ。

展覧会自体は、画風の変遷がよくわかる、オーソドックスで真面目な展示だった。「彼にしかかけない円」の一連の展示は圧巻。まだまだこれから変わろうとしているときに、急逝したのは残念至極。芭蕉の「不易流行」なんて言葉が頭に浮んだぜぃ。

芦屋のお坊ちゃんだったようだが、確かに前衛そのものというような作品にでも、丁寧なスケッチや習作が残されていて、育ちのよさだなあと感じないではいられなかった。1940年代以前の日本の作品だとは思えないような端正な抽象画もとてもよかった。時代に先んじているなんてものじゃない。その後、敗戦前後からまた具象的な画面構成をしていたりもするが、その頃の作品もとてもいい。とても理知的な人だと思う。

抽象画で、ポロックみたいな作品(でももっと厚塗り、どっちが先なのか私には不明)も描いているから、暮らしぶりもワイルドな人かと思いこんでいたけれど、吉原製油の社長さんまでお勤めになった程度のカタギだったと知ってびっくり。どっちが副業かわからないけれど、なかなか大したものである。貧乏を威張っていれば芸術にいたるものではないことがよくわかる。日々是研鑽。

来週は伊藤若冲@東博。これは「連れて行って」という人たちがいて、ちょっと気が重い。私の目当ては若冲じゃなく、酒井抱一なんだ。


頭突きのことから、あれこれ
2006年07月13日(木)

ワールドカップが終わって・・・終わってもう何日かたつが、わが家は入れ込みが激しかったせいか、祭りの後の虚脱感がうっすらと家の中に漂っている。連日の夜更かし、早起き・・・仕事がたんまりあったのに、本当に疲れた。日記の更新どころじゃなかったね。

ワールドカップはオリンピックとは全然違って素直に面白い。どうしてこんなに国によって試合運びが違うのかね、と飽きなかった。

さて、ジダン頭突き問題。

FIFAが改めて調査するようなことなんだろうか?

私はスポーツ選手であることにあまり人格を期待しないので、聖人君子有終の美を飾るというような猿芝居にならずに済んで、そういう意味では、正直で結構な幕切れだと思ったくらいだ。

ジダンはレッドカードをくらった。レッドカードで退場というのが罰なのだから、改めて調査して何らかの処分をする必要があるのだろうか?一説にはMVP剥奪だとか?そういうゴタゴタやめなよ。

スーパーアスリートが類稀なる人格者であれば言うことなしだけれど、そうじゃなくても、ジダンのこれまでの素晴らしさには変わりがない。後にジダンを直接知らない人たちが、この頭突き引退を知れば、当然疑問を持つが、まさにそれこそ伝説に磨きがかかるってなもんだ。私たち目撃者も若いもんに謎を語るチャンスができる。それをFIFAの調査だの公式見解だのって言い出すと、あ〜あ、だ。

今回のワールドカップではスタンドにマラドーナの姿が見えることがしばしばあった。神様ペレや皇帝ベッケンバウアーのような地位ではなく、ただの観客である。まるで何かの着ぐるみのようなマラドーナ。名誉な地位こそないが、哀れさの一片もなく、明るいサポーター。あのはしゃぎようが薬物のせいでないことを祈りつつも、私は神様や皇帝より観客マラドーナが好き。(後継といわれるメッシ、シャブ中になるなよ!)

話をジダンに戻す。ジダンだって普通の人でいいじゃないか。神性を演じているジダンより、素のままでスーパープレイをするオッサンが魅力的。

ついでに書けば、今回物分りのいいオジサンのカーンがいたけど、なんだかね。カーンは理不尽な「グズ共、走れ!」がいいのに、レーマンを励ましたりしてつまんなかった。理性的なカーンなんてベンチでいいや。

オジサンついでにもう一つ二つ。フィーゴの旦那はよく走って、チョイ悪オヤジの魅力炸裂、と思ったのは私だけか。次回はもう見られないだろうが、猫背のヌビルも好きだなあ。

最後に、サムライ・ブルーには全く興味が持てなかったけれど、あの名称だけはやめたほうがいいと思う。青侍、でしょ。まあ正鵠を得ているっていえばそうだけどさ。


中田が引退?
2006年07月03日(月)

サッカーの中田英寿が引退なんだそうだ。
私はそもそも中田に関心を持ったことはないから、どうでもいいんだけれど、まだ29歳なんだってね。

フランスのジダンや、ポルトガルのフィーゴ、ドイツのレーマンなんかを見た後で、29歳の彼が最初からそういうつもりでのワールドカップだったのだと知ると、ああ、それならあんなもんかも、と納得できたりもする。もちろん私の1人よがりは百も承知ですが。

ともかく、ワールドカップは面白い。オリンピックとは全然違う。

運動音痴の私が毎晩最初の試合だけは見ようと思って、そうしてきた程度に面白い。あそこに出ている選手たちが今更何に対してハングリーになるのかよくはわからないけれど(だってみんなもう十分お金持ちでしょう)、シャカリキになってボールを追いかけてくれるから、やっぱり何かに対してハングリーなんだろう。交代を余儀なくされて涙を見せたりするものねえ。かと思うと、交代したほうがよくても頑張り続けるから、「おいおい、足は商売道具だろ」と画面ごしに声をかけたくなったりもする。

クールなことがかっこいいのか、泥臭いのがかっこいいのか ― 私のような年になると、人が正直でいることのムズカシさを痛感するから、やっぱり泥臭く根性むき出しのガッツが見ていて気持ちいい。夜更かしの甲斐があるってもんだ。



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