やまねこの日記
週末食べ物日記

2005年04月30日(土)

朝ごはん
蒸しケーキ(ホットケーキミックス+レーズン+玉子2個+牛乳+サラダオイル)
グレープフルーツ
トマト+胡瓜+キャベツ
ココア

息子は学校、私は魚屋さんへ行く。
サヨリのよさそうなのがあったので買う。
くちばしが赤かったので買ったが、
家でさばいてみたらちょっと心配なので刺身にはしない。
開いて塩をあてピチットシートで包んで冷蔵庫へ。

8時半父と菜園へ。
車を降りてから父ゆっくり歩いて菜園へ。
風と日に当たりせいせいした顔をする。
菜園仲間のMさん来ている。
私は父の段取りに従って枝豆の場所を耕す。
大家さん(の奥さん)も来る。
Mさんは肝臓癌、大家さんのご主人は前立腺癌、それと父と私。
それぞれに「参ったなあ」などと病気の話しをして、笑っている。
タマネギの間引いたものを持って行ってもらう。
遠くでキジの声がして、日差しは暑いくらいだ。
父、ソラマメの芽かきをする。
10時過ぎ帰宅。
家で冷たい緑茶を飲む。
父はサイダー。(昔からあるミツヤサイダー)
吐き気があるのでゲップが出るようにサイダーなのである。
母と病院へ。
Dさん(ケアマネさん)、Oさん(看護婦さん)に会う。
吐き気の件、手すり工事の件で話しをし、
ついでにスーパーで買い物をして帰る。

昼は冷やし中華。
(父はおかゆ。ネギ味噌。薄焼き玉子と胡瓜も食べた)

午後は本を読みながら昼寝。
藤沢周平の又八郎様シリーズ(「用心棒日月抄」)。
又八郎様のかっこよさったら!
全集を読んできた中でこれが一番好きみたいだ。
でもまだ9巻なのでこの先にすごいのが待っているかもしれないな。

夕方うしろのお宅のOさん(近所の電気屋さんに勤務)が来る。
父の部屋のエアコンを取り替える相談をしたので
カタログを持ってきてくれたのだ。
夫も一緒にカタログを見てなんだかに決めたようだった。
(私は食事の準備で参加せず)
Oさんもボタンをほめてくれた。

7時前息子意気揚々と帰ってくる。
学校でいいことがあったらしい。

晩御飯
カツオのたたき
豚肉とタカナのピリカラ炒め(鷹の爪2本)
餅入り茶碗蒸し
冷やしトマト
レタスとポテトチップスのサラダ
たらこ
父たらこでおかゆを食べ、茶碗蒸しを食べ、トマトも食べる。
大丈夫みたいだ。

今夜も歩きに行く。



2005年04月29日(金)

いいお天気だ。
筍を掘りに行くことにする。
父は躊躇していたが、気持ち悪くなってもどうせうちの車で行くんだし
行く先は竹やぶなんだから、とわけのわからない説得をして
父も「そうだな、行ってみるか。」という。

父を竹林の近くでおろし、ゆっくり歩いていくのを見てから
車を置きに行く。
私は山の上のほうから、竹林の中を降りていく。
今年は筍の出が悪いな。
地面が乾いているかんじだ。
父の所まで降りて行く途中筍は見つけられず。
それから二人で気合を入れて探す。

「あのがけの上を見てまいれ」
「はは〜」
がざがさ・・
「あっ!ありましたぞ。」
ざくざく、ごしごし(私は筍の周りを掘った後小さなのこぎりで筍を切る)
ごろごろ(筍をころがす音)

父はずっと筍を楽しみにしていたので、
私はお付き合いと思っていたのだが
探したり掘ったりしているうちに楽しくなってきて、結局8本掘った。
意気軒昂となり鼻歌を歌いながら帰宅。
母(ぎっくり腰)が出てきて、すごい、すごいと言う。

M叔父の具合がよくないらしいので
景気づけに筍を少し送ることにする。
形のいいところ3本を新聞紙にくるんで、
ついでにタマネギの間引きも入れてあげようと
今度は一人で自転車で菜園へ行く。
鎌を持ってきたので駐車場からうちの菜園までの通り道、
柿の木の下あたりの草も刈っておく。
タマネギは多めに間引く。

母が荷造りをし、私が宅急便を自転車で出しに行き、ついでに買い物。
公園の中を自転車で通る。
散ってしまった桜の木の下はタンポポの盛りだ。

午後、息子が父の散発をする。
お風呂を沸かし、明るいうちに父はお風呂に入る。
何かあるとまずいので母が洗面所で待機している。
背中を流してほしいといわれたらしく、何か笑っている声が
開けっ放しのドアから聞こえてくる。

夕方大工のYさん来てくれる。
トイレ、廊下、洗面所、お風呂場に手すりをつける相談。
父の気に入るようにYさんが見てくれた。
見積もりを出してもらってDさんに連絡することにする。
終わって庭に出て、Yさんボタンを誉めてくれる。
今年は16も花をつけたのだ。
Yさんはご両親を癌で亡くされている。

晩御飯
骨お肉
胡瓜とキャベツの和え物
冷やしトマト
わかたけ煮
豆腐+ネギ味噌
たらこ
父はたらこでおかゆを食べている。

夜歩きに行く。



2005年04月28日(木)

仕事から帰って父の部屋をのぞくとベッドが届いていた。
なかなか快適らしい。
嬉しそうにしているが、午前中に2回吐いたとかでちょっと元気がない。

今日は午前中訪問看護のOさん(看護婦さん)が来て
そのあと2時過ぎベッドその他が届き、
市役所から介護認定の係りの方か見え
Dさんも来てくれたとかで、人の出入りが多かったらしい。
皆さんよくしてくれたらしく、ありがたいことだと父と母は言っている。

吐き気は薬の副作用だとわかっているのだが
ご飯が食べられないのは大打撃である。
父はおかゆを少しだけ食べている。
食べ終わってから、もうちょっと遊んでいったらとひきとめて
母と私の3人で食卓で長くしゃべっていた。
(夫と息子はまだ帰宅せず)
水族館はどこがよかったか、などということ。
息子が生まれてから長く(15年近く)5人で暮らしたため
思い出話みたいなことはいくらでもあるのだ。
しかも私が行く先々で失敗(なくし物など)をしているため
笑える話も多いし。
吐き気をうまくやり過ごすことができた。
やっぱりお笑いは大切である。
うまくモルヒネを飼いならすことができますように。

大工のYさんに手すりをつけたい旨連絡する。
早いほうが良いですねといって明日の夕方仕事の後寄ってみましょう
と言ってくれる。
うちは皆Yさんが好きなのだ。

私は明日から10連休だ。
歩きながら電車の事故で亡くなった方のことを考える。



2005年04月27日(水)

父の件で母と病院へ。
在宅診療と訪問看護を受けたい旨、受付で話す。
コーディネーターのSさん、ケアマネージャーのDさんを紹介してもらう。
医療相談室で在宅診療、訪問看護、訪問介護の制度について
説明をしてもらい、介護認定の書類を作成する。
老眼鏡を持ってくればよかったなあ。
家では介護用のベッドを買おうかと話しをしていたのだが、
介護用品のカタログを見せてもらい、
ベッド以外にもいろいろなものがレンタルできることがわかる。

主治医殿、在宅診療の担当医殿と話す。
今までの痛み止めが効かないこと、入院はいやがっていることなど。
痛み止めはモルヒネ系のオキシコンチンに変更になり、
併せて吐き気止め、お通じの薬など処方してもらう。
在宅診療の先生は初回は5月2日に来てくれることになった。
主治医殿、今までどおりいつでも相談に来てくださいと言ってくれる。

診察室を出ると在宅診療のスタッフの方が待っていた。
在宅診療ステーションへ。
在宅診療の申込書を作成。
在宅看護の看護婦さんの一人とお話しをする。
今度は在宅看護の申込書を書く。
今日は4時にケアマネージャーさんがきてくれることになった。

全部終わって家に帰ったのが2時過ぎで、
父に遅いお昼を出してから
気になっていた菜園に私一人で行く。
(母はぎっくり腰がまだイマイチ)
タマネギの間引きをする。
4月の風が渡っていく。

3時半過ぎ帰宅し、ケアマネージャーさんが見えたら起こしてと言って
ちょっとだけ寝る。
4時ちょうどにDさん見える。
今の父の状態(骨転移のことは父には内緒)や
お風呂が一人では入りにくくなったこと、
廊下に手すりがほしいことなど話す。
介護用品の会社より電話、明日ベッドと車椅子が来ることになった。

DさんもSさんも在宅診療のスタッフの方も看護婦さん達も
皆てきぱき動いてくれた。
そして何よりゆっくり話を聞いもらい、にこにこ仕事をしてくれて
本当にありがたかった。

食後父が新しい痛み止めを飲むのを見ている。
何事も起こらないのを見届けてから歩きに行く。




2005年04月24日(日)

朝ご飯
バタートースト
グレープフルーツ
トマト+胡瓜千切り

父、母と菜園へ。
ソラマメは花が咲いている。
ジャガイモは芽がでて、タマネギも順調である。
タマネギは間引きをする。
雑草を抜こうとして母ギックリ腰になる。
いやあ、こんなに簡単になるんだ、と私はびっくりする。

帰宅後母の代理でお芝居の券を取りにいく。
デパ地下でヒレ肉を買ってお昼前に帰宅。

お昼
ラーメン
午後昼寝

夕方餃子を作る。

晩御飯
餃子
トマト+アボカドの盛り合わせ
胡瓜とミズナの和え物
味噌汁(豆腐、ミズナ、ワカメ、ネギ)

夜歩きに行き、帰宅後IYちゃんに電話してみる。
息子さんが今年から中学生で、なかなかハードな暮らしをしているようなのだ。
長く話し込んでしまい、
電話を切ってからアイロン掛けをしていないことに気づく。
あちゃー。

1時過ぎ寝る。
昼寝をしておいてよかったぁ。



2005年04月23日(土)

朝ごはんの前に魚を買いに行く。
メダイ
鮭切り身

朝ごはん
黒糖蒸しパン(レーズンをたくさん入れる)
胡瓜とアボカドの和え物
グレープフルーツ+ヨーグルト
アイスココア

メダイは頭とお腹をとって開き、塩をしてピチットシートに包んで冷蔵庫へ。

7時半父と筍を掘りに行く。
(菜園の大家さんの山)
南斜面の竹やぶは気持ちのいい日がさしている。
スミレの花、ユキノシタの若葉。
どこかでウグイスが鳴いている。
父がずっと楽しみにしていた筍である。
でも父はもう掘るもの大変なので、私ががんばって掘った。
大小9本掘る。
父と私、機嫌よく家に帰る。
母が筍をゆでる。
(私は疲れて寝ていた。)

お昼
昨日のカレーを温めて食べる。

母と買い物。
春巻きの材料のカツオ、お肉、皮(春巻き、餃子)など。
今日の筍を使って母と春巻き30本作る。

晩御飯
カツオのたたき
イカを焼く
春巻き
ブロッコリ+アスパラ+トマト
胡瓜とミズナの和え物
ねぎ(うちの菜園のネギ。葱坊主ができてしまった)と削り鰹の醤油和え

夜夫に髪を切ってもらいそのあとヘナで髪を染める。
夫と息子、マトリックスの解説(評論)のようなDVDを見ている。
どこがおもしろいのか私にはナゾである。



2005年04月22日(金)

晩御飯
カレー
キャベツと胡瓜にサラダ
冷やしトマト
小松菜お浸し

後片付けをしていると夫珍しく早く帰ってくる。
どこか具合悪いの?なんて聞いてしまう。

夫晩御飯
ホタテのお刺身
明太子
キャベツと胡瓜
小松菜お浸し

夜歩きに行く。
月夜だ。
雲が光って白くて薄い貝殻のようだ。
しばらく歩きに来ないうちに星の配置が変わっていた。



2005年04月17日(日)

夜遊びが過ぎてぼやーっとしているが
夫達が朝早く父の郷里を立って帰ってくるので、一応起きておく。
お風呂を沸かしておいてとメールあり。

Kさん(菜園仲間)、野菜(ほうれん草、ミズナ)持ってきてくれる。
一時一緒に暮らしていらした親戚のおじいちゃんが先月亡くなったそうだ。
うちの両親ともなかよく付き合ってくださった方で、
Kさんが面倒をみたかったのだが、いろいろあってそれはかなわず
遠くの息子さんの経営する病院で亡くなったそうだ。
なくなる前お一人でいる時間が長かったそうで
Kさんはそのことを不本意に思っているようだった。
(こちらで一緒にいたら寂しくなかったのに。)
私は「寂しい最期でしたね。」なんていうのは
あのにこにこしながら蘭の鉢を届けて下さったおじいちゃんに
失礼な気がして
「またそのうち向こうでお茶飲んだりして楽しくしようね。
 みんなやがて行くんだから、また会えるよ。」
と言う。

死んだらそれで終わりとずっと思っていたのだが
最近、向こう側でまた会うんだから、ということを平気で言っている。
本当にまた会うことができるのだったらどんなにいいだろうか。
来週納骨とのことなので、今までのお礼を伝えてもらうようにした。

私が仕事でばたばたしている間に、仲の良かったいとこが亡くなった。
脳幹のダメージが大きい脳内出血で、47歳だった。
早くにお嫁に行き、早くにおばあちゃんになったそのいとこは
去年の夏父の郷里に遊びに行った時、
孫ちゃんを連れて会いにきてくれたのだ。
息子はびくびくしながら初めて赤ちゃんに触らせてもらった。
いとこは、若い、きれいなおばあちゃんで
その時の笑い声を思い出して、本当にまた会いたいと思う。

死は親切な顔をしているって何の本で読んだのだったろう。

10時前、夫達帰ってくる。
親戚友人その他たくさん人が遊びにきてくれたそうである。
わはは、わははと過ごした2日間だったらしく
お墓の話をしたら一番仲のいい叔母夫婦は
「そのお墓、楽しそうだから仲間に入れてほしい。」と言っていたそうである。
別の叔父夫婦も近くにお墓を買いたいらしい。

父も思ったほどは疲れていないらしく、
少し休むと庭で胡瓜の苗の世話をしていた。



2005年04月16日(土)

午前中、奥山貴宏のブログを読む。
(彼は17日に亡くなりました。この日記は22日に書いています。)
死と馴れ合わない人の日記だ。
読んでいて胸がつまる。

両親は父の郷里にお墓(の土地)を買った。
今回はそれを見に行くのも目的の一つなのだ。
真言宗のお寺の、父のご先祖様方が眠っている墓地の一角で、
その墓地はお寺から正式(?)に行くこともできるが
あぜ道を渡り、弁天様の裏を通り、りんご畑の横からも
行くことができる。
墓地の裏は田んぼが広がり、その向こうは福島盆地を取り囲む
なだらかな山々だ。
夏は稲の匂いの風が吹き渡るような場所だ。

私が小さいときにお墓に行く時は、いつもりんご畑コースだったなあ。
お盆のお迎えに行くとき、父の地方は夜行くので、
帰りに弁天様の池のところを通るのが怖くて
よくおぶってもらったりしたものである。

夫と私も死んだら分骨して半分このお墓に入れてもらうことにした。
「しいて言えば散骨かな」と、
死んだ後どうしてほしいか以前聞いた時に夫はそう言っていたのだが
今回誘ったら(どういう勧誘だ?)そういうことになった。
(夫の両親に申し訳がないので、半分は(夫も私も)鹿児島にかえります。
 可能ならば錦紅湾に撒いてくれるよう息子に頼んでおきました。)
お墓にこだわりなんてなく、野垂れ死にでもいいや、とずっと(今も)
思っているのだけれど。
でも
「お墓、買ってよかったね。
 おじいちゃんやおばあちゃんやおじちゃんのお墓もすぐ近くだし、
 お父さんとお母さんが向こうでちょっと待ってると
 婿殿も私も行くからね。
 そうしたらまたみんなで楽しく暮らそう!」
などと言っていると、なんだか安心したような気持ちになる。

お墓の話を書いたけれど、まだ父は普通に暮らしています。
ひどい痛みが来たとき、
あちら側での暮らしの想像図が役に立ってくれますように。

午後から息子の学校の母友とお茶。
Sさん、Mさん。

晩御飯(なんだったか忘れました)の後、
Aちゃん、Iちゃんとお茶。
息子に留守番をさせ、午前3時過ぎ帰宅。



2005年04月15日(金)

朝6時過ぎ、両親、夫の3人で父の郷里へ。
夫が居眠り運転をしないか心配だ。
息子が明日も学校なので、私と息子は行かない。

父には連休になると混むからね。という。
のんきな父は婿殿に仕事を休ませてしまって申し訳ないなどと言っている。

常磐道から磐越道を通り、郡山から東北道だ。
そろそろ安達太良が見えてきただろうかと仕事をしながら思ったりする。
何度も何度も通った道だ。
磐越道の正面に稜線を長く引く山を見ると、私はいつも必ず
「お、安達太良だ。もうすぐ郡山だね。」と言ってしまう。
しばらくいくと別の山が出てくる。
「あ。これか。さっきの間違い、ニセモノ」と訂正する。
だからうちにはニセ安達太良がいくつもある。
本当の安達太良はまだ雪なんだろうな。



2005年04月13日(水)

父病院へ。
仕事を休んで付いていく。
血液検査の後、腹部CT、骨盤レントゲン。

前もって主治医殿に、結果が思わしくない場合
本人にはぼかして伝えてほしい旨お願いしておいた。

貧血なし、腎臓の機能も正常です。
スバラシイ。
お花見には行かれましたか?
それはよかったですね、
私は行きそびれてしまって。
桜はこの雨でおわりでしょうね。
足の痛みは、そうですね、もうご高齢だってことでしょうか。
痛み止めを出しておきます。
胃炎のような副作用があるかもしれませんからその薬も出しておきます。
そろそろタケノコですね。
たくさん掘って下さい。
主治医殿、父にはこんな話をされた。

父が廊下に出た後、
母と私だけ骨転移していることを告知された。
これから先は痛みのコントロールをして
なるべく本人の意に添う生活ができるように
サポートしていくのが私の仕事ですとおっしゃっていた。
父は早ければ今月末には痛みで動けなくなるかもしれないそうだ。
27日母と私でまた病院に伺うことにする。

いやあ、友達に会ってしまって。
ロビーで待っている父にそう話して家に帰る。

夜帰宅した夫に骨転移のこと話す。
飲んで帰ってきてふざけようかとした夫、ちょっとまじめな顔になり、
(夫は飲んでも酔わない人なのだが、わざと「酔っ払いだぞー」といったりするのである。)
じゃあ早く行こうか、という。
父の郷里に両親を連れていってくれることになっていたのだ。


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