Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


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2010年12月19日(日)  I've just seen a face, I can't forget the time or place where we'd just met

SOに連れられて、車のカスタムメーカーのクリスマス・パーティーへ行く途中、カーラジオでピンク・フロイドがかかった。「・・・ピンク・フロイド、好き?」と訊いたら、案の定たいして好きじゃないという答え。短いつきあいながら、音楽の話はさんざんしているので、SOの趣味は大体見当がつく。ところが続いて「でもアルバムは一枚持ってたけどね」と言う。どのアルバムだか訊ねたら、なんと「原子心母」。げっ。
「・・・面白くなかったでしょう」と訊いたら、全く記憶もないとのこと。だろうなあ。一曲めが24分近くもある壮大なインストだ。「なんで買ったの」と訊いたら、ジャケットが気に入ったんだという。ああ。納得。見返り美人ならぬ見返り牛。

昔は「ジャケ買い」というのが存在した。今はない。ジャケに賭けてみるまでもなく、音源を事前に確認する手段はいくらでもあるし、そもそもCDの「ジャケット」はちゃちなプラスチックに入った小さくてぺらぺらな紙に過ぎない。
が、かつてのLPレコードのジャケットは美しかった。一枚100円均一LPのジャケットのきれいなのを数枚買ってきて壁に留めておいたこともあったくらいだ。
「ジャケ買い」は、何も中身を確かめるすべがないことばかりが理由ではなく、その美しいジャケットを見ている段階ですでにある種の価値が生まれていたということもあるのだ。

中学校の時、教室の向かいの美術室の窓から、生徒の描いた一枚の絵が見えた。目をぎょろつかせて口を空いた男の顔がカンバスいっぱいに描かれていた。その迫力のある赤と青は、地味な教室の中で文字通り異彩を放っていた。いつまでもその絵が、頭に残った。
高校に入った直後に、その絵の元になったアルバムジャケットに出会った。あれは模写だったのか。そのアルバムの一曲目を聴いた時、ジャケットと同じ、いやそれを遥かに超えた衝撃を受けた。ロックファン相手なら、アルバム名を明記する必要もないだろう。キング・クリムゾンの"In the Court of the Crimson King"―――「クリムゾン・キングの宮殿」だ。

レッド・ツェッペリンにも高校1年で出会った。それまで名前しか知らなかったこのバンドを、わけあって1stから"Presence"まで7枚一気聴きしたのだ。わけあって(=憧れの痩せたべーシストの先輩が一番好きなバンドだと言ったから)、どんな糞バンドであったとしても全部聴こうと思っていたが、驚いたことに全部気に入った。中でも5thの"Houses of the Holy"は、誇張ではなく、私の一生の宝になった。(先輩への熱は1年かそこらで冷めたけど、音楽は一生モノになったという、大変いいお話です)
だが思う。数ある好きなロックのアルバムの中で、このアルバムが私にとって手につかめるような固有の存在感を持っているのは、ジャケットの力も大きいのではないかと。

「宮殿」や「聖なる館」は、勿論ジャケットがなかったとしてもロックの歴史に残る名作だと思う。でもあれらのジャケットには、中身を聴く前に、錯覚の思い入れを与える力があった。錯覚の思い入れ、つまり「恋」だ。
うわべに恋をして、中身が素晴らしければ、本当の愛に至る。しかし、たとえ中身が薄っぺらだったとしても、最初の恋の余韻が消えないということもある。
実は私はピンク・フロイドは好きなのに、未だに「原子心母」の良さがぴんと来ない。しかし、見返り牛のジャケットの与えた印象は、今もあれを「名盤」と思い込ませる力がある。うん、あれは私が理解できないだけで、きっと名作なんだろうな。うん。

本も音楽も、自分にとって大事な何かが決定される際に、最初の印象から生まれる思い込みというのは、結構大きな、そして、うつくしい要素だと思う。
誰でも皆、独りでその思い込みを胸に抱き、大事にする権利がある。

6年前に私はあるジャケットを見て、あれが欲しいなあ、と思った。6年たって私はそれに再会し、手に入れた。中身をじっくり聴いてみたら、ジャケットより素晴らしかった。
でも私は今も毎日、その大好きなジャケットを見てうっとりしている。最初の印象の思い込みが、SOへの恋が、このまま消えないといいなと思っている。

―――え? この長文って結局ノロケなのかって?
ええそうなの。ごめんなさいねw

*「宮殿」と「聖なる館」(Houses of the Holy)のジャケットはこちらでご覧になれます

I've just seen a face, I can't forget the time or place where we'd just met (顔を見ただけなんだ。その時のことが忘れられない)  *I've Just Seen A Face / The Beatles (1965) の歌詞



2010年12月05日(日)  Have a cuppa tea, have a cuppa tea

横浜のモーターショーへ。SOの雑誌もブースを出すので、まる一日、その手伝い。モーターショーとはいっても、SOの雑誌が扱うのはホット・ロッド(主に1920〜1930年代の車を軽量化したカスタム・カー)なので、この日もそういったフォトジェニックな車がずらりと並んでいる。

で、私はこの日、「通訳」という名目で行った。このショーには外国からの参加がかなりあり、SOたちは著名な写真家だの車のオーナーだのにインタビューして写真を撮るのだ。SOやカメラマンの後からついてまわったが。
・・・正直、まっったく通訳の必要はないんじゃないかと思った。
まずこのカメラマンが慣れたもので。"Come, come, come!"と手まねきで被写体を呼び寄せ、"Stop!"と止め、"Look."と手であっちを示して向きを定め、"Eye."と手で目線の方向を示す。・・・まったく問題ない。
SOも、雑誌のスタッフも、通訳しろというくせに、私が適切な言葉をちょっとでも選ぼうものなら、その間が待てずに適当に話し始めたりする。そしてそれが結構通じる。
ふと見渡せば、会場全体にいる日本人たちの殆どが、外人相手に全く問題なく談笑している。ちょっと離れて聞くと、ネイティヴ同士の会話のようにスムーズだ。
・・・ちょっと離れて聞くと、という理由は、もし集中して聞いた場合、日本人側が英語ネイティヴでないことは容易にわかるからだ。短文をつなげて喋っているし、語彙も狭い。が、しかし日常的なフレーズを知っていて、基本動詞を駆使した熟語に強い。要するに、タメ口に強いという、日本人英語学習者が一番弱いところに強い。
そしてリスニング力が凄い。まず聞き返すことがない。勿論、外人のほうでも日本人慣れしていて、わかるように喋っているというのはある。それを割り引いても凄い。
全体的に見て、平均的なTOEIC900点台の人間より、遥かに意思疎通能力が高い。
何が一番驚きかというと、ここにいる日本人たちの殆どが、英語を身につけたくて覚えたのではないということだ。英語は、彼らにとって「アメリカ車」の世界に触れる為のツールである。
SOも同じで、古いアメリカ車のことを知りたければ、資料が英語しか存在しないから、一生懸命無理やり読んできたんだという。そして雑誌をつくる為にアメリカ人とやり取りして英語を覚えてきた。

考えてみれば、英語が目的でなく手段なのは当然のことだ。英語は、ひいては言語は、コミュニケーションツールなのだ。しかし、日本の多くの英語学習者は、英語の習得の為に英語を勉強している。別にそれが悪いとは言わない。だが、ひたすら趣味や仕事という目的を達成する手段として英語を覚え、英語を基礎から「学習」している者たちよりよほどうまく使いこなしている人間を、こうも大量に目の当たりにすると、これはもう驚きを超えて、悔しい。
英語を机上の学問として扱う英語上級者を一人つかまえて、この会場に放り込んだら、恐怖すら感じるのではないかと思ってしまう。
――――いやもう、ちょっとした衝撃的体験だった。
英語を学ぶということに関して、根本から考えさせられた。

以前に博物館で、見事な年代もののティーセットがガラスケースに陳列されているのを見て、ミイラを見るような憐れさをおぼえたのを思い出す。お茶を入れる為につくられたのに、その役割を果たせずに飾られているだけの憐れさを。
ティーセットは、どんなに貴重でも、お茶を入れて飲んだほうがいいと思う。でないとそれは茶器ではないからだ。
道具は、使ったほうがいい。使うための道具だ。

Have a cuppa tea, have a cuppa tea (お茶を飲もう)  *Have A Cuppa Tea / Kinks (1971) の歌詞



2010年12月02日(木)  diagnosis of acute enteritis

一晩たって吐気は取れた。翌朝医者がいうには急性腸炎。原因は不明。白血球の数が2万(正常の倍以上)になり、普段は正常値ど真ん中の血圧もかなり下がっていたらしい。「まあ、入院して4日くらいは点滴だけで栄養をとって、その後流動食に変えて。一週間くらい休めば」という医者に、「あの、今日帰りたいんですけど」と言ったら、はっはっはと笑われる。

両親が面会に来る。SOがさんざん電車のルートを説明したにも関わらず、面倒になってタクシーで来たらしい。(ちなみに昨夜のタクシー料金は2万以上)
顔を見て安心したらしく、予定通り伊豆へと向かった。

昼に点滴を換えに来た看護婦に、「あの、帰りたいんですけど」と言う。困った人ねえという顔で、「まず先生が承知しないと思いますけど、一応お伝えしてみます。まずだめだと思いますけど」との返事。
その後、医者が現れ、本来ならこんなことはあり得ないのだがとか、どうしてもとのことなら止める権利はないとか、ごちゃごちゃ言う。何かあったら責任は取れないという意味だろう。頑として笑顔で「帰ります」と言ったら、わりとすんなりOKが出た。

午後に、SOに車で迎えに来てもらって帰る。

帰ってSOに、「生まれてから一番苦しかった 」と言ったら、「生まれてから一番びっくりした」と言われた。
そういえば昨晩ずっと救急隊員が、「ご主人、落ち着いて下さい!」と繰り返していた。苦しくて見てみる余裕もなかったが、意識の片隅で「・・・よっぽど慌ててるんだろうなあ」と思ったっけ。

diagnosis of acute enteritis (急性腸炎と診断)



2010年12月01日(水)  Mom, I'd like you to meet my husband.

新宿で6時間授業をした後、SOと待合せて東京駅近くのライヴレストランへ。東京に遊びに来ているうちの両親とK叔母にSOを会わせる。親に「あ、こちら私のダンナさまです」と紹介するという大変珍しい事態であるが、思えば「前回」は紹介するヒマすらなかった。

こじゃれたライヴレストランは、ミュージックチャージだけで1万円強。コース料理を入れたら一人2万円。さらにお酒だから、親はこの日、十数万払ったものと思われる。
しかしミュージックチャージは仕方ない。出演がスリー・ディグリーズなのだ。母が昔から大好きなのだが、たまたま今回ライヴがあったようだ。
大ベテランだけあってさすがに上手い。MCも、日本人の英語力に合わせてわかりやすく喋り、ちゃんと笑いも取る。
最後に全員がステージを降りて帰る時、私たちのいたボックス席の脇を通ったので、母が一番好きだというメンバーをつかまえて、「うちの母が40年来あなたのファンです!」と母を引き合わせたら、母を思いっきりハグしてくれた。感激屋の母が涙ぐんでいた。

・・・と、大変いい話で終わる筈であったのだが。
こっからが大騒動で。

帰る前にお手洗いに・・・と思って立ち上がったら、急に気分が悪くなった。そこから意識が少し飛ぶ。後から思えば私は軽く失神したらしい。おお。生まれて初めての失神。本格翻訳ミステリーを読んでいると、女性が簡単に失神するシーンがよく出てくるので、貧血と失神には全く縁のない私は、一度くらいはああいう女らしい真似をしてみたいもんだなあと思っていたが。これが憧れの失神。なんだか実際には全く美しくない。
何しろ意識が戻るなり吐くわ吐くわ吐くわ。
実は食事の時に母が、大和市まで戻るタクシー代をくれた。もらった時に夫婦で目を合わせ、「これは取っといて電車で帰ろうね」と心で会話していたのだが。
いやもう。タクシーでしか帰れませんという有様。それどころか途中でとめてもらってさらに吐く。
家についてもまた吐く。体が汚い気がして浴室に行ったが、服が途中までしか脱げず、しかし寒いのでそのままシャワーのお湯をかぶる。そしてまだ吐く。苦しい。既に吐くものなんて何もない。なのに吐気が。
東京にいる時点では、自分が泥酔しているのかと思っていた。しかし飲んだのはたった3杯、キール・アンペリアル、ベイリーズのカクテル、チンザノ・エクストラドライのロックだけだ。・・・普段ならこの程度で酔っ払うわけがない。チンザノなんて、まる一本近くあけたこともある。(清志郎が死んだ時。まあその時は、普通にけろっと吐いたけど)
吐いても吐いても吐き気がおさまらない。
ワタシ、変だわ。これ、ただ酔ってるんじゃない。

救急車を呼んでもらい、浴室の床に倒れたままで到着を待つ。ストレッチャーで運ばれる。救急隊員に何度も「○○さん!」と名字を呼ばれる。同乗しているSOを呼んでるのかと思い、しばらくして自分のことだと気づく。
病院へ。浴室で服を着せられて運ばれたので、服も髪も濡れていて寒い。検査されて入院だと言われ、点滴をされながら大部屋に運ばれる。布団がぺらぺらで寒い。

明け方、同じ部屋の高齢の女性が転んだらしく、何か騒ぎが起きていた。
寒い。

Mom, I'd like you to meet my husband. (お母さん、こちら私のダンナさま)



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