Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


全日記のindex  前の日記へ次の日記へ  

*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2007年09月28日(金)  幸福な死

精神病院で療養中の方からメールを頂いた。普通に知的で感じが良かった。自主的に入院を決めたようで、自分で自分を矯正する必要を感じるのは、理性があるということだ。おそらく問題は生理的なところに多く起因するのだろう。

ソクラテスのいう「無知の知」は、今さら持ち出すのも恥ずかしいくらいの基本概念だが。しかしやはり人間の生きる意味はこれに尽きると思うのだ。
己がどれだけ無知かを知ること、どれだけ小さいかを、どれだけ間違いうるかを知ること。その為にはとにかく、自分を見つめること、深く省みて、疑うことだ。
内省が過ぎた結果として精神を病むひともいるが、それでも私は、己の行動を一切疑わない盲になるよりは、その方が100倍もましだと思う。

私にメールを下さったかたは、病院で本を書くのだという。読むほうもかなりなさるようだ。
私は繰り返し「文学は飢えた子供を救わなくていい」と言っていて(かつて文壇に「文学は飢えた子供を救えるか?」という問いがあったのだ)、これは文学が崇高な遊びであることをも言いたいのだが、しかし文学は、飢えた人間が死ぬ時に、その死を救えるかもしれない唯一のものだと思う。
文学の中にある哲学が、それをなし得る。だから私はもう、哲学のない本は読みたくない。

幸福な死  *アルベール・カミュの著書。(1938)



2007年09月23日(日)  おやまあ こんにちは お久しぶりね オス よお おはよう ハイハイ また会ったわね

昨日、(9/19の)日記のタイトルに使ったので、久しぶりに矢野顕子の'Un Jour'を聴いた。
で、このタイトルについてふと調べてみたら。フランスの絵本のタイトルから取っていることがわかった。字が一切なく絵だけで構成された絵本。原題の'Un Jour, Un Chien' は、まんま歌詞に出てくる。
が。しかし。
'Un Jour'はフランス語で'One day'で、'Un Chien'が'A Dog'らしい。なのに、犬のことを歌っている矢野の曲のタイトルは'Un Jour'のほうで、歌詞は「労働する犬 この街に この国に この世界に 溢れださんばかりのUn Jourたち」というのだ。
・・・・・単語の意味を逆に取ってないか?(それじゃあ「ある日たち」だし)

こう疑うのも当然で、矢野には「湖のふもとでねこと暮らしている」という恐るべきタイトルの曲があるのだ。(一応言うと、「ふもと」は山に使う言葉。湖なら「ほとり」)
本人自ら、語彙が豊富でないことは認めているが。と言うより言語感覚が雑(緊急自粛します。あっ、間に合ってないか??)

よくケイト・ブッシュと矢野顕子は似ていると言われる。声質と発声法が似ているのだ。そして、医者の娘でピアノを弾き、幼い頃から頭角を現していた天才というのも共通する。
しかし、その音楽の本質においては、両極端と言っていいほど違う。
天才矢野顕子は、そのコアに、ちょっと暴力的なほどの粗雑さを持っていると思う。私は15歳で矢野顕子にかぶれたが、それから今までに2度ほど矢野の音源を全部手放している。自分の精神状態が弱った時期に、矢野を聴くのが耐えられなかったのだ。そうなるともう手元にあるのすら嫌で、そのくらい彼女の個性は強烈だ。
一方ケイト・ブッシュは、繊細さの鬼だ。気違いじみた美学をがちがちに構築する。 *私が「ケイト・ブッシュ」と言う時は、常に最初の4枚だけをさします。
つまり、例えば話を言語感覚だけに絞ると、ケイト・ブッシュに矢野の歌詞を見せたら拒否反応が凄いだろうなということ。とても歌えないだろう。

では矢野の歌詞はよくないのかというと。
今も昔も私は、矢野の歌のことばを聴くたびに、他のどんな歌を聴くよりも、パブロフの犬のように号泣するのだ。
全然たいしたことは言っていない。それがこうまでしみるのは、つまり音楽の力である。私が、「歌の詞は、文学の詩とは全く違うんだ」と強く認識したのは彼女のおかげだ。音楽は、やはり音の力ですべてを変える。

言葉を粗雑に扱うのは、一番私の神経にさわることだが。それさえなぎ倒すのが天才の力技だ。
だから私は今日も、「ある日たち」という意味の変な歌詞を聴きながら涙ぐむ。

そういえば矢野には'Hello There'という短い曲があって、歌詞が(1行だけを除いて)全部ただの「挨拶」だ。なのに何ともドラマティックで、心が彼女の意のままに引っ張りまわされ、最後にはいつもじーんとなる。
天才ってのは、凄いなあ。

おやまあ こんにちは お久しぶりね オス よお おはよう ハイハイ また会ったわね  *Hello There / 矢野顕子 (1977) の歌詞。



2007年09月20日(木)  Do you love me babe? What can I say? Because I wanna be your boyfriend

かっちゃんが仕事でアメリカへ行くというので、夜中4時間ほどかけて旅行会話実例集を作る。
生徒の為にこういう作業をする時、市販本などから使えるものをまとめりするのだが。市販のテキストがどれもこれも間違いを含むことに驚く。
例えば「TOEIC満点ホルダーの著書!」と謳っている本に、「敬称は、'Miss Ann'のように使います」と書いてあったり。(Mr.やMiss等の敬称は必ず苗字またはフルネームにつく。ファーストネームに敬称をつけるのは、住込みの使用人が主人を呼ぶ時など特殊な場合)
また別の英語教授の著書には、「彼は単なるお友だちよ」の訳として"He's just a boyfriend."と載っていたり。('boyfriend'は彼氏=恋人)
私は前者を読書から、後者を会話から学んだ。要するにこういう本を書いている連中って、生きた英語に接したことが全然ないんじゃないのか。

しかし逆にネイティヴの書いた本にも、文法の間違いがあったりするが。これは驚きでもなんでもない。ネイティヴというのはどこの国でも間違った言葉ばかり使うものだ。
日本語でも漢字の読み間違いなんてザラだし(9割以上の人間が「独擅場」を「どくだんじょう」と読む)、言葉そのものも間違って覚えられていて、若者が「う覚え」と言うのをきくたびに鳥肌がたつ。
「確信犯」という言葉にいたっては、正しい意味で使われているのを見たことすらない。これは、「自己の信念に基づき正当な行為と信じて行う犯罪」の意で、要するにおかしな宗教にかぶれて殺人をしたりすることをさすのである。IRAのテロ行為などもそう。

ところでネイティヴの書いた英文eメールの書き方の本に、略語の例として、とてもビジネスには使えないような若者略語など色々出てきた挙句、しまいには'RTFM=Read The Fucking Munual'(マニュアル読みやがれ)というのが載っていたので目が点になった。・・・この本は捨てます。(Amazonで見ると、最も売れ筋の一冊らしい)

Do you love me babe? What can I say? Because I wanna be your boyfriend (僕のこと好き? どう言えばいい? 君とつきあいたいんだ)  *I Wanna Be Your Boyfriend / Ramones (1976) の歌詞。 *これが「ただの友だち」って意味じゃ変でしょ?


2007年09月19日(水)  労働する犬 この街に この国に この世界に

青梅街道を盲導犬が歩いていた。いや、勿論単独ではなく主人を率いて。
・・・いや、主人に率いられて。
その男性は非常に健康そうで、眼が不自由とは思えぬ速足でずんずん歩いていた。(訓練中には見えなかったので、やはり盲人なのだと思う)
犬は、非常に変な歩き方をしていた。ハーネスのハンドルの長さがあっていないのか、とにかくからだが片方にかしいだままで、ひょこひょこ歩いていた。そして時々何か気になるものがあるようで一瞬振り返るのだが、主人がずんずん歩くので仕方なくまた前を向いて歩き続ける。どう見ても主人を導くというより、主人に引っ張られている感じだった。
あの犬は多分、盲導犬としてはあまり優秀とはいえないのかもしれないが。
胴輪をつけられ、不自然な姿勢を強いられ、よそ見も許されず歩き続けなくてはならない。―――自分だったら間違いなくキレるな、と思った。

動物を喰うこと、殺して色々な目的に利用すること、医療用の実験台にすること、それらを基本的に肯定してきたけれど。
使役することはどうなんだろう。盲導犬は最も気高い働き手だと思っていた。でも単純なことを忘れていた。本人が「働くのが嫌で嫌で仕方がない」場合もあるということ。
人間だって我慢して働いているんだ!という理屈はこの際通らない。まして人間にも「職業選択の自由」はある。
あの犬は、「俺、何やってんのかなあ」という顔をしていた。
そろそろまた盲導犬協会に募金しようかと思っていた矢先なのだが。初めて何となく、少し気をそがれた。
眼が見えないという、これ以上は考えられないような恐ろしい事態を、一匹の犬が少しでも楽にしてくれるのなら、と思っていたんだけど。

―――まあ。とりあえず。
だから人間は自分のしていることを、例え何であっても、100%正しいなんて思わないほうがいいな。うん。

最後の授業を終えて、23時半に西荻BITCHへ。ゆかちんがいたので、生徒にもらった羊羹をおすそわけする。私、あればあるだけ食っちゃうから、少し減らさないとね。
最近はどういうわけか自制心が強くて、また今日も終電で帰る。

労働する犬 この街に この国に この世界に  *Un Jour / 矢野顕子 (1987) の歌詞。



2007年09月12日(水)  And I'm wondering who could be writing this song

2001年にBBCが製作した番組"Syd Barrett: Crazy Diamond"(後に"The Pink Floyd & Syd Barrett Story"のタイトルでDVD化)を昨日から見ている。
実はこれ、大分前に十文字さんに頂いたのだ。なのに見るのは今回初めて。彼から頂いた他のDVDはすぐ見ているのだが。これだけは、シド・バレットが亡くなっている今、見るのに気力を必要とした。

番組のつくり自体はどちらかというと平坦。音楽ドキュメンタリーは、個々の曲を流す時のタイミングとインパクトが命だ。何故なら見る側は音楽に感動するからだ。だから、緩急をつけて、然るべき場所で音楽を最大限の効果を狙って投げつければ、我々はあっさりと涙ぐんだり鳥肌を立てたりする。なのに、あの"Interstellar Overdrive"をあんな風に捨て曲扱いされては困る。あれは使いようによっては「雷の一撃」になる筈の曲だ。
我々は、音楽さえあればいいのだ。印象的な写真も、含蓄のあるコメントも、全ては音楽の為の食前酒だ。

とはいえ。アーティストのバックグラウンドにうとい私が、全く無知のままピンク・フロイドとシドについて以前書いたことを、この番組は多少訂正することになった。まあ、当然だが。
ロジャー・ウォーターズが単にシドに恋する男だという印象は変わらないが。ニック・メイスンが、シドの奇行でライヴをふいにされた苛立ちを語り、「彼のしたことに同情など出来なかった」と発言したり、逆にリック・ライトがあっさりと「彼がいなくて寂しい」と言う。一方ギルモアは、バンドに参加した当事は明らかにシドのサポート役であり、シドさえきちんとしてくれれば要らない存在で、本人もそれを自覚していたと話す。
要するに、色々と、大変だったんだなあ、と。
核となる人間を失うことで潔く解散するバンド、それでも足掻いた挙句に消えていくバンドは数あれど。ピンク・フロイドのように見事に切り抜けて、その後20年近くも活躍する例など殆どない。

シドのソロに参加した元ハンブル・パイのドラマーが言うには、シドは「気狂いのふりをして、そのことを利用してたんだ」とか。
でも彼にはわからないんだろうか。そんな真似をするのが己の利益になると考えること自体が、既におかしいんだってことを。

この番組には、思わぬところにボーナスがあった。グレアム・コクソンがコメントしているのもそうだが、それ以上にロビン・ヒッチコックがシドのソロを弾き語っているのだ。
この、25年の実績とカルト的人気を持つアーティストは、日本では何故こうも無名なんだろう。このひとの演奏を、昨年マイナス5R.E.M.のピーター・バックのいるバンド)目当てに行ったライヴで、おそろしく小さなライヴハウスの最前で見られたのは運が良かった。
あの時、彼はルー・リードジョン・レノンデヴィッド・バーンに似ていると思ったが。―――そうか、シド・バレットにもかなり影響されているんだな。

ところでシドの書く歌詞は、メタフィクションみたいだ。"And I'm wondering who could be writing this song"だなんて。しかもああも感情を込めずに。
人間が、あまりそういうことをするのは良くない。戻ってこれなくなる。

And I'm wondering who could be writing this song (一体誰がこの曲を書いたんだろう)  *Jugband Blues / Pink Floyd (1968) の歌詞。



2007年09月10日(月)  Ooh, Bring it back, Bring it back...

亡くなったひとのことは徐々に忘れるのが自然だし、そのほうがいい。勿論思い出は大事で、例えば私は彼が私の為に編集してくれたCDを持っている。亡くなった後に店内で見つかった、「For Bunny」と書かれた44曲入りのCD。これは、結婚指輪や子供の頃の写真まで処分した捨て魔の私にとって滅多にない「捨てられないもの」のひとつだ。
しかし一番大切なのは記憶で、それは頭の中で徐々に薄れる。或いははっきりしているつもりでも、どこかしら変更が加わっている。

今日はBLACK AND BLUEのマスターの命日だ。もう、まる3年になる。

今日は、先週の台風の日の振替などもあって、私にしては相当忙しい日だった。12時半に家を出て、途中休憩を挟みつつではあるが、最後の授業が終了したのが22時。
で、すかさず西荻BITCHに出かけた。入店時に店内にいた全員に一杯おごる覚悟で行ったら、お客の切れたところだったらしく女性客一人。彼女とマスターに一杯ずつおごり、代わりにちょっとだけ話を聞いてもらった。
あのね、亡くなった一週間後にね、常連みんなで店に集まって一晩飲んだんだよ。なのにカウンターに何ヶ所か埋め込んだブルーのライトをつけるスイッチがどうしても見つからない。
午前5時、マスターの好きだったストーンズの武道館ライヴの'Jumpin' Jack Flash'がかかった瞬間に、誰も触っていないのにブルーのライトがいっぺんについた。
私は超常現象を信じない。でも、その時は泣いた。大泣きした。

「追悼リクエスト」と言って、"Sticky Fingers"をかけてもらった。私がBLACK AND BLUEに初めて行った日に、初めてリクエストしたのが"Sway"だったから。「私、"Sticky Fingers"の最初の3曲が大好きなんですよ」と言ったら、にっこりして「僕は最初の10曲が大好きなんですよ」と返された。

BITCHに、例の44曲入りCDも持っていき、店の雰囲気に合わないと思ったのでかけなくていいと言ったけど、マスターに曲目を見てもらった。
44曲の全部にいちいち思い出がある。例えば"Killing Me Softly With His Song"は最初にリクエストした時に「黒は嫌いじゃなかったっけ」と言われた。そうなんだけどこれは特別と言い、歌詞を全部熱く解説してしまったっけ。

この後まだ書こうと思って、「For Bunny」のCDを聴きだしたら、4曲目のクライマックスの"Precious And Few"でぼろぼろ泣いてしまったので、もう無理ですw

あの店に行くたびに、泣いてばかりいた。あんまりにも自分が汚くて。音楽がきれいで。いつもあの店が、私の苦しみを浄化してくれていた。

やっぱりなかなか、忘れないなあ。

Ooh, Bring it back, Bring it back... (何度も何度も思い出させる)  *The Battle OF Evermore / Led Zeppelin (1971) の歌詞。 *「For Bunny」に入っていた1曲。



2007年09月06日(木)  What a surprise!

台風。期待通りに企業の方からキャンセルが来た。当日キャンセルは消化とみなされるので、何もせずにお金が入るのがよろしい。
残りの授業はふたつとも自宅だが、特別に振替するから休むようにと連絡。企業の場合は会社がお金を出しているからいいが、残りは個人なので。

NORITAさんのブログに、ネパール航空が機体の不具合を直す為に羊を生贄にしたという記事が載っていた。ひつじ。
・・・うーん、ちょっとぐっとくるほど、素朴だな。
無論彼らはこれが「効く」と信じて行っているわけで、先進国がそれを笑いものにするなどとは考えない、もしくは気にしないのだろう。
人間の意志の力は恐ろしいもので、激しい思い込みは物事を現実にしてしまうことがある。彼らの信仰心がひょっとして本当に機体を・・・いや、いくらなんでもジュラルミンの塊りじゃ無理か・・・ネパールの飛行機がジュラルミンで出来ているとしてだが。

この話題をネットで検索すると、ニュースサイトから個人のブログまで、あちらこちらで呆れている。しかし、世間がそんなに呆れるとは、それこそ驚きだ。
だって、日本でもアメリカでも、いい大人が星占いを本気で信じ、道端の手相見に結構なお金を払い、UFOを呼ぶだのいうようなTV番組を真剣に見ているじゃないか。何が違う?
私は、超常現象や占いは一切信じない。私の敬愛する、生化学者で「SF作家の」アイザック・アシモフが、「UFOを信じている人がいたら、その人は頭がおかしいと思いますよ」と言い、その著書の中で占星術を「でたらめの世迷言で、まったくの荒唐無稽で、どうしようもないガラクタ」と言うのをきくと胸がすっとする。(ちなみにアシモフは非常に礼儀正しくユーモラスで愛情豊かな人物なので、今引用した文章も、前後を読めば攻撃的でも何でもなく、また何故そう思うのかもきちんと科学的に説明している)
しかし、占いやUFOを「信じたい」人にいちいちケチをつける気はない。誰でも好きに勝手にやればいいのだ。頭に来るのは、自分がやっていることを棚に上げて、他人の(こっちから見れば同レベルの)信条を馬鹿にすることだ。
私に言わせれば、「今日のラッキーカラーは赤」とTVに言われて赤い下着をつけるアホ女より、神の怒りを鎮めようと羊を捧げるほうがよほど真摯でうつくしい。

じゃあオマエはネパール航空に乗るのかって? 乗るわけねえだろ。(それは話が違うのよ)

What a surprise! (それこそ驚き)  *Sheep(羊) / Pink Floyd (1977) の歌詞。



2007年09月04日(火)  And the bright light of salvation shines in dark and empty skies

筒井康隆の「ヘル」を読了。筒井はこれで90冊目くらい。最近英語ばかり読んでいたので、久々に読む日本語、しかも筒井の文章は、骨太でリアルだ。ストーリーを読ませるのではなく、文章を読ませる。

以前に筒井の「敵」という小説を読んだ。一人暮らしの老人が「有り金がなくなったら死のう」と決め、細々と暮らしているという、恐ろしい設定の話。
「ヘル」は、老いと死に関して作者が見出したひとつの解決策だろうか。これが本当なら地獄どころの話ではない。救済だ。

さ、今月末はTOEICを受けるので、それまでもう日本語を読むのは禁止だ。
というわけで皆さんも、メールやbbsの書込みは英語で。(嘘です)

And the bright light of salvation shines in dark and empty skies (そして救済の明るい灯が暗い虚空に輝きわたる)  *Death Is Not The End(死は終焉ではない) / Bob Dylan (1988) の歌詞。



2007年09月03日(月)  わたしを認めよ!

夕べ家に帰る前に、ほろ酔いで気持ちよくコンビニに寄り、何故か、荻窪に来て以来3年間で初めて、コンビニの店員と言い合いをしてしまった。凄くつまらないので詳細は省くが、「責任者」の名札をしたその横柄な店員が言うことにゃ、「ご飯がお握りになっているお弁当は温めなくていいんです」だと。私が「お宅のマニュアルがどうっていう話じゃなくて」と言ったら、「マニュアルじゃありません。これは温めないんです」だって。あ・・・常識?

こっちは酔っ払いなので、逆に興奮もせず平気で言いたいことを言ったが。明らかに向こうは激怒している。「あなた怒ってるでしょう。それがまるわかりだし」と言ったら、「僕は怒ってませんよ。じゃあどうすればいいんですか!」って。
「・・・何か面倒くさくなってきちゃったな」と途中で笑ったら、向こうもふっと力を抜き、謝った。「もういいです」とさっさと商品を受け取り、手を出して握手した。そしたら向こうがびっくりして毒気を抜かれたようで、うって変わった調子で「また来てください。待ってます。また来て下さい」と言った。
こちらは酔っ払いなので、「はーい」と言いつつふらふらと退出。

なんだか感動的な終わり方のようでもあったが。
しかし私は知っている。彼はまだまだ変わらない。人間は、昔の道徳物語のように一度の経験で反省したりはしない。結局また同じことをやる。本当に自分を変える為には、まだまだ何度となく同じ失敗と後悔を繰り返す必要があるのだ。
私だって生まれてからずっと自分と戦っている。そして負けっぱなしだよ。(こうやってコンビニの店員とモメてるしな。恥ずかしいんだよ正直)

あの店員が横柄なのは、結局自分の職業にプライドがないからだ。接客業が客の怒りを煽っては負けだろう。同時に自分自身に対しては、根拠のない自尊心がある。
結論から言うと、自分に対するプライドと、周囲がそれに見合う扱いをしてくれないというジレンマに悩む者は、たいした人間ではない。
何で断言するかって。私がそうだったからだよ。
どうしても自分が優れているように思え、周囲が皆自分より低く見えるのは不幸だ。何故ならそれは単純に間違いだからだ。
しかし、そう思い込んでしまった人間は、物凄く不幸だ。

わたしを認めよ!  *勢古浩爾の著書。(2000)



2007年09月02日(日)  奴はブルースをきめてギターを引きずる

16時過ぎに目覚めたら、数分後にOJ(drs)から飲みに誘われる。20時に会おうとのことで、それなら余裕で間に合うわと思ったが、結局家を出られたのは20時半過ぎ。

西荻BITCHへ。しょっちゅう会うお客に挨拶したら、反応が悪い。きけば私に覚えがないとか。・・・ああ、そうかもしれませんね。私いつも、床に寝ているそちら様をまたいで帰ってますから。(ロックバーには本当に、こういう心やすらぐ人ばかりが。・・・こんなとこ通ってていいんかなw)
実はギタリストだというので今度セッションしませんかと言ったら、ギターに自信はあると言った後に、「でも俺、○ゲなんだよね」って。・・・ははは。大丈夫ですよ、私、男性をそんなハ○とか○ビとかイ○ポとか些細なことでは判断しませんから。男にはもっと大事なことがあるじゃないですか・・・体脂肪とかw
あ、男の話じゃなくてギタリストか。えっとじゃあ、「ストラップの長さ」とかw(リーチいっぱいくらいが好きです)

チンザノ数杯の後、イエロー・ローズ・オブ・テキサスのロックに切り替える。チンザノ・ドライ(18度)は飲んでも飲んでも酔っ払わないのがいいけど、やはりジンやバーボンをストレートかロックで飲むと、酒ってこれだなあという気がする。

OJは、とても素敵にスマートにお会計して先に帰った。私はもうしばらく飲んでから、1時過ぎにタクシー(900円)で帰宅。

奴はブルースをきめてギターを引きずる  *ドカドカうるさいR&Rバンド / RCサクセション (1983) の歌詞。



前の日記へ次の日記へ