ふつうのおんな

2004年12月30日(木) 今年の掃除

四角い部屋を丸く掃く私のやり方はオットが大層嫌がる。
のだが、手伝ってくれるわけでもないのでワイワイ言われても聞き流していたが 今日は年末最後の掃除。
カーテン洗ったりするレベルまでやらねばならないだろう。

と、ちょっとうつうつとしながら寝ていたらつめたいものが。
なんとオットがニコニコしながら凍ったかにの足を私の頭の上に。
見ればぽたぽた水が!!
ギャーギャーいいながら布団を見たら ああ 蟹汁・・・。

それを皮切りに掃除をはじめ、オットには「許してあげるからお風呂掃除して」と言いおき、布団のカバーをはずして洗って干して ムートンシーツをちぇっくしてはたいて・・・。

いま小休止です。

でもこんなに年末の気持ちになれない年末は初めて。

今日、母が一時退院してきます。

元旦には会いに行くからね おかーさん。

chick me

2004年12月29日(水) 初雪ですね

ぼたぼたと粒の大きい雪

あんまり降ると明日のお母さんの一時退院のとき寒くてお母さんが風邪引いちゃうから
明日は降り止んで欲しいな

今朝 朝食の最中にオットがいきなり吐いた。
メニューはたらこスパ(うちは朝が夕食のメニューで夜は食べないの)のゆで卵のせとハム&きゅうりとおみそしる。
で、おとーさんが買ってきた渡カニのキムチを食べてちょっとしたらいきなり。
ぜーんぶだしちゃってました。

か、風邪?
おろおろ

chick me

2004年12月27日(月) 一時退院 また入院

クリスマスの朝 急に母の一時退院が決まり、クリスマスは家ですごせました。

転移しまくっているとは思えない体調の安定具合に 逆にこわくなってしまいます。

今日また病院に戻って、年末に再び一時退院してくるようです。

母の気力が命綱。

chick me

2004年12月24日(金) 入院中の様子4

肝臓の機能が少しよくなってきているみたいです。
血液中のビリルビンの値が6.0から2.0まで落ちたみたい。(2.0mg/dl以上になると、眼球結膜などに黄疸が認められる。)

先週は、長く持たないと本気で思ってましたが 今の母を見ると 奇跡を起こしてくれるんじゃないかと期待してしまいます。

尿の色もだいぶ改善されてきているみたいだけど腎臓の転移のほうは大丈夫なのかな。

今日はクリスマスイブ。

皆さんにもよいことがおきますように。


chick me

2004年12月21日(火) 入院中の様子3/ありがとう

今日はゆっくり果汁をなめる程度だったけれど長崎から送ってきたみかんをひとつ母は食べた。
食べたといってもなめたに近いけど。

鎖骨あたりから24時間点滴の管を入れる手術をしたので殊更口からものを食べることに執着がわいているようだ。
私が帰った後吐いてるかもしれないけれど「おいしいおいしい」とよろこんでいた。
泣きそうになった けど こらえた。

手術室に入るとき姪が「ばーばー一緒に入る」と扉をばんばん叩いたらしい。
母は局部麻酔だったのでそれを聞いていたのだが うれしかっただろう。

で、造影剤をつかったCTの結果だが
右の腎臓 肝臓 大動脈周りのリンパ
に転移していた。
胃はもう腫瘍が大きくて小指一本分も隙間がないらしい。
そりゃなに食べても吐くよね 詰まってて落ちないんだもん。

そんな歩く癌細胞みたいなことになってるのに 本当に幸いなことに まだ痛みもなく発熱もなく起き上がって会話をすることができる。
歯磨きも洗顔も自分でできる。

でも母の肝臓はほんとうに一気に悪くなった。
今月の8日までテニスしてたんだよ??そんなひとが16日には手術不能なほどの肝機能障害。
目に見えてひどい黄疸。
だから、前にもした表現だけどPHジャンプのようにあるときを境に急激に様態が悪化するのではないかとそれだけが一番怖くて心配なことだ。

今日の結果を踏まえて父は「3ヶ月・・・2ヶ月もつかどうか」と言った。
母にそこまでは言ってないと思うが、母は年単位での延命を願っている。

私が母に望む最低限の時間は、2月末に生まれる妹の息子を抱くこと
最低限の希望は、最期のときまでできる限り苦しみが少なく 私を私とちゃんと分かる程度の意識を保っていてくれることだ。
痛みや苦しみがあるときは悲しいけれど、いっそ意識がない状態のほうが母にとってよいのは分かっている。
だけど最期のぎりぎりまで どうか私たちの声を聞いていてほしい。

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この日記をよんで連絡をくれる友達たちへ

16年以上も前から母を知るあなたたちには、母の今の状態は想像がつかないと思う。
けれどまだみんなの知る母に近い状態だから。
痩せちゃって体の中はぼろぼろだけど まだ生きていて話もできて シャーベットたべたいな とか言ってるから。

心配かけてごめんね

そして、私のことを心配してくれてありがとう
ありがとう
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メールをくださった方たちへ

皆さんも親のことや家族のことで私と同じ苦悩を味わってこられるのですね。
励ましのお言葉ありがとうございます。
ほんとうに うれしかったです。

chick me

2004年12月20日(月) 入院中の様子2

プロテカシンは気持ち悪くなるのでやめるとのこと。
胃の粘膜保護の薬だ。

続けるのはTC443、つまりTS-1。
経口の副作用は比較的少ないといわれる抗がん剤。

母は豊かな髪の量が自慢なので絶対に抜けさせたくないが、眉毛がここ1週間で白髪が多くなっている。本人も気がついているだろう。
だけど抜ける良しましだし、それはストレスのせいかもしれない。

ふた粒だけ食べたイチゴをはいていた。

くよくよと気に病まないようにねと声をかけて病院を出た後、父が「喪服は買っておきなさい。オットくんにもないなら買うように言いなさい。」と言った。

いやだよ

chick me

2004年12月19日(日) 入院中の様子1

18日>
ベッドで横たわっている母は確かに黄色い。
黄疸が出ているというのが解るが、なぜ先週あったときは気がつかなかったんだろう。
化粧していたから?
それにしても解りそうなものだから、きっと急激に変わったんだろう。
しかしこれほどハイスピードで目に見えて悪くなるなんてあまり例がないらしい。

14時ごろには病院を出て、仕事に行くつもりだったので母にもそう伝えていたが13時半になってから「ご飯食べないの?」としきりに聞いてくる。
何か食べたいのかなと思って聞くと、デパートの地下の和風の弁当なら食べられるかもしれないから一緒に食べよう と。
胃はまともに消化運動をしていないので、食べ物はほぼ原型のまま腸におちている状態なのだが、食べたい気持ちがあるときは何でも食べさせていいというので(消化によければ)すぐ買いに行く。
仕事はパスした。

小さなお弁当を2/3くらい食べる。
前夜は食べたものを真夜中に吐いたというので、すごくうれしかった。
これは吐かないですむといいなと思う。

19日>
昨日は世間話をしているときも元気だったが、今日はどう見ても具合が悪そう。
なにせ生まれてはじめての入院なので、ちょっとしたことでも過敏になっているのもよくない。
ひとり個室だから携帯は使っていいんだよ、といってもびくついて隠すし、点滴の管に血液が逆流するのも怖がる。
尿の色(飲んでる人いたらごめん。午後の紅茶のストレートティーの色)が全然薄くならないと嘆いた数分後に
「まだ入院したばかりだもんね 気長にいかなくちゃ」といい、またトイレから帰ると落ち込んでいたり。

父はそういう母の泣き言をいさめる時に口調がきついので、母は苛立ってしまうという悪いサイクルがたまにみられるので父がいるときは私もなるべくいた方がいいと思う。
医者って身内の病気には冷たいんだよね。よくないよ。

少し元気になった頃オットと携帯のTV電話でちょっとだけ会話をする。

母には伝えていないが、実は経口の抗がん剤(確かTS1)を使っている。それとEM-X。
点滴は肝機能のためのもので、抗がん剤ではない。
それでも軽い吐き気が常に付きまとうらしい。さらに初めて「胃が痛い」と言った。
「そっかあ」と返事をしながら私は気が遠くなるかと思った。
体温も35度2,3分と低く、通常伴うであろう発熱はでていないが ある日を境に一気に悪化するのではないかと余計に怖い。

母は痛みやだるさに極端に弱い人なので、それだけですごく弱弱しくなってしまう。
体重はどうにか50キロ台を保っているが食べられなくなればそれは簡単に減ってしまうだろう。

夕飯は全て残した。

帰る少し前になって「シャケのオニギリなら食べられるかも」と言うのでコンビニに買いにいく。
海苔や佃煮のようなものは消化が遅いので良くないのだが海苔つきがいいというので(こういうところで父や私が『海苔は良くないよ』といっても欲しがる母も悪い)もうひとつは五目オニギリにする。
半分くらい齧ったところでいきなり部屋を出て吐きにいった。

1,2分待ってから見に行くと「昨日食べたものがほぼ原型で出た」とのこと。
それでまた落ち込んでしまったので父が背中をさする。

面会時間が終わりになり部屋を出て行くときベッドにちんまりと座ってこちらに手をふる母は一生懸命微笑んでみせていた。

chick me

2004年12月17日(金) 帰ってきてね

夕べ、母と電話したとき初めて母が電話で泣いた。
久しぶりに姪をお風呂に入れたら自分の肌の黄疸がすごくよく解ってビックリしたと。
そして「ああこの子を2年もお風呂に入れてきたな」と思ったら抱きしめながら泣けてしまったと。
姪は「ばーば 泣かないで」と言ってくれたみたいだけど、なにせまだ2歳。

きっと大人になったら忘れてしまう。
どんなに母に可愛がられ愛されてきたのか。

覚えていてくれる年まで生きたい と泣いた。
妹もはじめて母を抱きしめてワンワン泣いたそうだ。

「お母さん 絶対に 病院から帰ってきてね」
私は言いながらもう嗚咽が止まらなかった。
私はオットに受話器を渡した後枕に顔を押し付けて号泣した。
あんなに声をあげて泣いたのは母が癌だと知ったとき以来だ。

オットは私の後頭部を撫でながら母に大切な言葉を告げていた。

母はこれから戦いが始まる。

chick me

2004年12月16日(木) 母の手術と入院 /手術中止

朝 駅までの道すがら妹に電話して母の様子を聞きました。

結局、手術はできなくなったとのこと。
肝臓に転移しててリンパまでいってるだろう から、おそらく手術に耐えられないと予想されると担当医に拒否られました。

だから
「とにかく1ヶ月入院して肝機能を調整する。」
になりました。
手術はナシです。

「西洋医学的に言えば余命は4ヶ月から半年あるかないかだと はっきり言われた。」
と、妹が「おねえちゃん 気をシッカリもって聞いてね」と前置きして言いました。

手術をしたらいちかばちかで余命が決まる、つまりもしかしたら・・・も考えていたのでこういう言い方はなんだけど、家族が母の永遠の不在に対してゆっくりと覚悟をしていく時間を与えられたんだ、と少し力が抜けました。

よほど病状が悪化しない限り、1ヶ月経ったら退院というのは一応決まっているそうです。
その後は自宅療養で24時間ドレーンをつけたまま胆汁の除去を行う。

母は「絶対に赤ちゃん(3月出産予定の妹のコドモ・男の子)の世話をするから。お母さん絶対に生きて病院を出るから。」と妹に言ったそうです。

そういう前向きな気持ちがNK細胞を増やすので、本当の母の余命は誰にもわかりません。
わかりませんが、長くはないのはもう確かなことです。

1月は私の誕生日があり
2月は妹の誕生日があり
3月は私の結婚記念日があり 妹の子供が生まれる
5月の終わりに母は58歳になる。

58歳の母は見られるかもしれない。

chick me

2004年12月15日(水) 母の手術と入院 続き

来週から少なくとも年内いっぱい予定が立たなくなりました。

母は2年前から胃癌で免疫療法を続けてきたんだけど最近とみに具合が
悪くて検査したら 腫瘍が胃を塞ぎそうになっていました。

難しく言うと胃癌のボールマンIV型、つまり悪質な進行性のものです。
逸見正孝とおなじ。

来週入院して手術することになってましたが、昨日の検査で、まる1日
絶食してもおとといやその前の食べ物がまだ残っててさらに黄疸が
出始めたので入院が早まりました。

入院は今週の金曜日です。

私は「最悪の状態ならあと3ヶ月か」と自分なりに予想していましたが
転移してるのかもしれないので、想像より早くから覚悟が必要かも。
といっても全然覚悟できてないし、できない気もしますが。
だって癌を患ってるとはいえ、ついこの間まで元気に生活してきたんだもん。
いきなり「もうだめかもしれない」なんて思えないよね。

手術ができるのかできないのか
胃はどのくらい残るのか 1/3か1/5か全摘か
それとも開けてすぐ閉じることになるのか
退院できるのか できないのか
まるっきり解りません。

ただ、今からずっと考えても悪いことばかり想像して苦しいので
手術室から出てくるその時まで 胸の奥におさえておきます。


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chick me

2004年12月12日(日) 母の手術と入院

が、きまりました。

20日に入院して検査ぶっ飛ばして21日手術。
なんで検査しないかというともう散々してるからです。
胃カメラくらいは飲むみたいだけどね。

術時でだいたいのことが想像できてしまうので、術中はきっとすごくつらいだろうなと我ながら思います。

この話を仕事の付き合いのあるとある社長にしたら、社長は自分のことのように涙を浮かべていました。
ありがとうございます。

chick me

2004年12月08日(水) ひとりでご飯の理由

お昼休みも終わって皆さん眠くなってる頃では。
って、書いてる自分がちょっと眠いんですが。

一時期あれこれ仕事にまつわることで頭を悩ませている時に、隣人が言った。
「一人でお昼に本読んでご飯食べちゃうのもよくないんじゃない。
皆で一緒にいこうよ。」

私は「基本的に一人が好きだし、皆と行きたいときは行ってるからそれはほっといてくれ。」と答えた。

大体まわりのひとは平日は買ってきたり持参したお弁当を社の入っているビルの広場で食べて、金曜日はどっかお店に行くって感じなんだけど 私は一人でさっさか行ってしまう。
なんだか一人ひねてランチしてるみたいに見えているのかもしれない。

でもね、一番の理由は「煙草を吸うのは私だけ」って事なんだよね。

君たちは気がつかないだろうが、君らがいつもランチを食べている広場は禁煙なんだよ。
イチイチ外に出ないといけないんだよ。

吸わない人はわからないだろうが、喫煙者はランチで店に入ったとき最初に眼で探すのは「XX時禁煙タイム」の文字なんだよ。
食後すぐ席を立つわけじゃないから、2,3本は吸いたいんだよ 30分くらいの間。

ノンスモーカーには恐らく思いつかないだろう私が一人でご飯を食べる理由。

でもそれを言ったら「じゃあ広場は駄目だね」といって別の場所を探すことになるでしょ?
スモーカーは辛いよ。


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chick me

2004年12月07日(火) かぜっぴき

大事な休日出勤の代休を「風邪」なんかでつぶしちゃいました。

しょーっく。

ところで日曜日、某カクテルコミュニケーション団体のパーティに行ってきました。
連れ@会社の男子と連れ@会社の女子の3人で。
3年ぶりくらいかな?
ドレスアップした女性たちを眺めていたら、以前よく銀座のMバーでお見かけしていた某生命保険会社のキャリアのおねーさまのことをふと思い出し、連れに
「知ってる女性でアジアンテイストな格好がすごくかっこいいおねーさんがいてさ」
などと話したりしていたら、ばったり会いました。会場で。

ものすごく久しぶりの再会だったのでうれしくて、次は銀座で会おう!と名刺を渡したり。

1年以上後無沙汰のバーの店長さんや、とあるバーテンダーさんの奥様などいろいろな人とお会いできてとても楽しく。

パーティ自体で言うと、グループごとに味を投票して最後にもう一度投票して一番を決めるんだけど、これはねー。
皆ほんとに味で選んでるのかなあ?
味だけで選んでるんだとしたらちっとマニアックなあの味を上位に持ってくるかしら?
次は「誰が作ったかわからない」で投票にしたらどうだろう。
レシピでばれちゃう人もいるでしょうけど。
私が選んだ人は4位でしたが、いやいや美味しかったすよ。

で、一位は銀座Tのバーテンダーさんだったのだが、連れ@会社の男子が「ヨン様みたい」などというので頭をはたいたりしていたのだがアナウンスで「銀座のヨン様」などと紹介されていてびっくり。
ヨン様って言われるほうは嬉しいのかなあ?

ま、いいか。
ところで私は黒の膝丈ワンピースに黒の薄いカーディガン、蝶と花の刺繍のミュールだったのだが、そのときつけていた


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chick me
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etsu

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