鮎見時子の日記
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2006年01月25日(水) 子どもに愛してるって使いますか?愛と好きの使い分け

某所で愛って何?って書き込みずっとやってまして

子どもへの愛の話になって
私は娘に「かわいい」とおなじくらい「大好き」いうけど
愛してるは使わないな〜って話から

そもそも私の親の世代は子どもに
「愛してる」「好き」使わない世代で
私は聞かされてもはい?って感じしかしないけど
もっと下の世代は聞かされてそうで
意味合い違うんじゃないのかな〜と思ってみたり

でも子どもへの愛情って守りたい愛で
好意の好きじゃなく愛してるなんじゃないの?なんて話もでて・・

今まで実際娘に意識して愛してるじゃなく「好き」を使い分けてきたわけ
じゃないんだけど
使い分けてきていてなんでだろうと考えたんです。

「愛してる」
べたべたカップルで毎日使う以外でどんなとき使うんでしょうか

子どもに愛してる一般的なんでしょうか。

私の感覚での話でほかはどうなのかわからないけど
愛してるって重たいというか幸せ願う、それしか出来ない
または相手に責任感じるそんな感じで

もちろん子どもは守ってあげなきゃとは根本は思うけど
日常ではそうは意識しない
もう少し対等というか守る存在ではない
で愛してるを使うとしたら
離婚でも決まって負担はかける
あるいはそうあえないでも愛してるから
とか思春期の反抗期で
危ないこともある程度は子どもが納得しなきゃだめでしょうってことを
見守るしかない
そんなときじゃないと使わない特別な言葉って感じ
もっと下の世代のなかでは違う意味合いで使われてるのかもしれないんですけど


この前も久々に派手な夫婦喧嘩
もう実家帰る〜とかまで怒鳴りあいやったけど
で娘何日もしてから

「パパとママは何で喧嘩したの?」

「パパとママは喧嘩したけど
パパもママも娘には怒ってないし
パパもママも娘は大好き」
と答えたんですけど

これ
「パパとママは喧嘩したけど
パパもママも娘には怒ってないし
パパもママも娘は愛してる」

なんか深刻さ違う感じしませんか?

子どもに愛してると好きの使い分けって
あまり意識したことなかったけど
何か違うんですよね・・・はっきりした答えは
ないんでしょうけど・・・


2006年01月21日(土) 実は相手の返事を制限してる表現

「何時だと思っている」が
普通にはつかわれない。
威圧的、虐待加害者、暴力加害者(モラルハラスメントも含んで)
結構使うかも・・・という話。

思いつきで書いては見たけど本当はどう?は不安でしたけど
日記&メルマガ発行サボってる間に
可能性はありそうと確信しました。

「何時だと思っている」の返事
何時何分
とかどうして遅刻したかの返事も
受け付けない。
そういう語感の言葉なのは間違いなく・・

でもそういう実は相手の返事を制限してる
言葉って一杯ある。

「頑張って」に
「私、頑張れる状態じゃないです」の返事想定ないし
「みんなおんなじ」も
「私あなたと同じじゃない」って返事もほぼ想定外。

それって私と会話したいんだろうか・・?

で、「頑張って」も
「みんなおんなじ」も言った相手の納得を要求されてる感じ

「私頑張れる状態じゃないです」なんて答えたら
そのあとの会話は、

どうやってか頑張れる常態にならないといけないって感じの
ありがたいけど今すぐなにか変えなきゃってせっかちさを感じ

「おんなじじゃない」は
どこが違うのなぜ違うと思うの?

う〜ん
私のこと知ってどうしたいの?と思う。


なんて思う私に
考えすぎ、たかが言葉でしょうっていわれてしまいそうだけど

本当にそうなんでしょうかね・・・




2006年01月08日(日) 「何時だと思ってる」で怒りを表現すること2

「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」
言葉の意味としては全然繋がらないのになぜ会話として
成立するか。

>「何」というのは誰何の言葉です。
>「なにっ」だけでも怒りを表現できる。
>起こっている人はとにかく「なにっ」だけでも言いたい。
>なので開始の言葉が「何」になっているのは非常に都合がよい。
>後は到着が遅れたことに対して怒っているので「時間」の要素をつけたす必要がある。
>それで「何時」。
>「何時なんだよ」とかでも怒りを表現できる。

以下の考察深めました。
日記の昨日メルマガの前号中途半端すぎました。

「何時だと思ってるんだ」

何で怒りを表現する
確かに何やってるとか怒ってる表現ではつかうけど
「何」と思って聞いてたけど「なにっ」が語源
(もっとさかのぼると「なぬ」あたり?(旧かな使いで「ぬ」に似たひらがなだったかも))

怒りの短縮擬態、擬音表記だと思うと
「何時だと思ってる」
「なにっ」は怖いし、威圧感じるのもある。
普通は使わない私なら
せいぜい「かなり待った〜」ということから
じゃあ私ならどういうときに使うか

ものすごく待って心配してやっと来たとか
感情濃い場ででかもと思った

「何時だと思ってる」は普通は使わないかも。です。
でも。
暴力加害者とか人間関係依存症の人って案外使う日常用語化
してる
私の夫はモラルハラスメントボーダーで
だから「何時だと思ってる」客観的に使っても
それは私に落ち度ありに思われるようなとき使う。
でも私の「何時何分」って返事に「誰そんなこと」と呆れはするけど
更には倍返しはないけど
でもボーダーでも
頻繁に怒りつながりで蒸返して今私が言ったことでなぜそれ?は言う。

更にDVの加害者になっていくと
威圧に感じる話も全部
「それだけ愛してるから使うんだ」って解釈簡単に変えない
同じこと言うにしても
威圧感じさせない表現ほかにあるんだからかえなくちゃって反省はない
(思考の何かがバランス取れてないかしないじゃなく、出来ない場合もありうそう)
かもしれず。

などなど考えめぐらせていくと
パートナー選ぶにあたって「何時だと思ってる」と怒る人は
問題抱えてるかもと思っていいかも・・
思いついただけですがあながち外れてないと思います。多分。

今回の話興味ある方
MIXIで「言葉と哲学」ってコミュニティ作っていて、
公開コミュニティなので見てみてください。
MIXIって何?の方は招待します。メールください。


2006年01月07日(土) 「何時だと思ってる」で怒りを表現すること

昨日の日記&前号「言葉って奥が深い」
の続きです。
思いつきのまんますぎかなり意味不明かもしれません。
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」
言葉の意味としては全然繋がらないのになぜ会話として
成立するか。

何時だと思っているで
表現してるのは怒りの感情だから。

これもMIXIで教えていただいたんですけど

>「何」というのは誰何の言葉です。
>「なにっ」だけでも怒りを表現できる。
>起こっている人はとにかく「なにっ」だけでも言いたい。
>なので開始の言葉が「何」になっているのは非常に都合がよい。
>後は到着が遅れたことに対して怒っているので「時間」の要素をつけたす必要がある。
>それで「何時」。
>「何時なんだよ」とかでも怒りを表現できる。

言葉のつながりはあってます。

前号、昨日書いた
「何時だと思ってる」と怒りを表現する人って
どうも偏屈な可能性ありって話
若干表現に問題あるから訂正で

「何時だと思ってる」と怒りを表現する人って
みんなじゃないけど
怒りつながりであれもこれも今関係ないこと蒸返す人
多い気がするんだけど

>「なにっ」だけでも怒りを表現できる。

「なにっ」が冒頭の開始で怒りをつなげてしまうって思えば
妙に納得。

更に思ったけど

「何やってる」などなど、確かに
怒り表現で「なにっ」は使われてますね・・・

切れたり、暴言、場にあわない怒りすぎ止めたい場合
「なにっ」の多用を控える。
使ったら反省してほかの言葉に置き換える行動シュミレーション
案外有効かもと思ったりします。

無造作に言葉繋がってるようで
でも実は意味は濃く繋がっているんですね。







2006年01月06日(金) 言葉って奥が深い

「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」の話
MIXIでしていたら
言葉の語彙としても繋がってるって教えられた。
勝手にコピーさせていただいてしまいますが、

***
「何時だと思ってる」も語源を考えると「このような時間に○○をするというのは非常識だ。何時だと思っているのか。」ということになると思います。
特に日常的に多用される言葉は短縮されやすいようです。

しかし上記の例に比べると「遅刻して・ごめんなさい」は意味が完結しているような気もします。
「遅刻したことに対して・謝意を表す」という意味ですから、過不足はないような。
「ごめん」についても「御免」、つまり「私を免除してください」に語源があると思うので謎はないかな。

***
だそうです。

言葉に関しては語源の情報もらったし
言葉だけなら全然変じゃないっていうことはそのとおりで
だから納得しました。


でも、それじゃ何を問題に私は思うかは・・
言葉の意味とは違うことだったんだと
私の頭のなかで整理区分ができた。

語彙的にも成立してるという
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」は双方対等で穏やかな関係なら
全然問題ないけど
(ちなみにアスペルガーの私はどうやっても遅刻してごめんなさいじゃなく、「何時何分」って言葉がオートででます。)

そうじゃない
双方の行動を拘束する、行動の選択肢を言葉で縛ってる問題発生の
たとえにしたところで
いまいち通じなさそうだな〜と
やっぱり簡単じゃないと思った。



「何時だと思ってる」じゃなく
遅刻されて嫌だったでもなんでももっときちんと
自分の気持ちを言語化するほうが一方的じゃないし
それに
*「何時だと思ってる」も語源を考えると「このような時間に○○をするというのは非常識だ。何時だと思っているのか。」

語源からしてでも怒ってる感情表現だし・・・

夫の思考回路がそういうひとだけど
延々と怒り感情でほかのことも全部繋がっていて話にならない。

すごいヘビースモーカーで
「タバコでのどが痛い」といっても
「こんな汚い部屋片付けないくせに」

繋がってないよな〜って。

私の頭のでは
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」も
日常の挨拶用語の範囲で簡潔してる双方の対等性あればいいけど

私の夫は
「***だと思わないの?」とか
そういう系統の嫌味をくどくどいう人で
でもまあ、下手に返事をしたら
あの時努力するって言ったでしょうと延々くどいから
返事しない作戦で無視して回避できるかわいいレベルだけど

常に自己正当で結論みんな、
「ほんと言ったのにやらない」
「自分できめたんでしょう」とか・・
(後者は夫はないけど)

家族やパートナーの濃い関係では
すごい迷惑を含む可能性ある表現なんだよね
「何時だと思ってる」って怒る人って。

私の周りあんまりそういう人いなかったから
わかんなかったけど
「何時だと思ってる」と怒る人は偏屈である可能性大
パートナーに選ぶときは慎重になった方がいい。

反省をこめて。

ちなみに私の夫ですが、
もともと地声の大きい人ででも加齢&病気で手術以降
ますますひどくなった。
でもそういうの私の実家もそうだったから
嫌だな〜とは思ってたけど慣れ親しんでいたんで
まあ仕方なくないけど仕方ないの範囲だったけど
娘が4歳でパパがちょっと大きい声だしたら
めそめそ泣くようになって
そのたびにボリューム落としてはいるけど
でも長年夫に釣られ私も声大きいんだな〜と
娘のパパママ会話そのまんまの喋り方聞いて反省。
パパもママも反省しなくちゃいけない
ママに怒ってるよ**ちゃんにじゃないよとか
夫は余計こと言ってるけど
でも娘にそんなの通じないです。

とりあえず、
「お前が(私)悪いから
怒鳴って娘がなくんだ〜」とかまでいって怒鳴る
馬鹿じゃないから夫はありにしておく(汗)








2006年01月04日(水) 思考と心と言葉

言葉について、「脳はなぜ心を作ったか」読んで
理数系の人が哲学した私と同じものを
被虐待のその後、自分って何?を考えた「解き放たれる魂」も
おんなじ図解をしていて
脳のコンピューターモデル化というような物理の情報なしに
おんなじことを考え付けるって
すごい哲学性でみんなができることじゃないと
改めて書いた穂積さんを尊敬しなおし
それを手紙で直接書こうとしてで、
穂積さんの魂3部作と「脳はなぜ心を作ったか」で

私にとってずっと謎だった言葉の繋がり方の答えが
わかったような・・も一緒に書いてみて
まとまりきらず中断。

でもそれでひとつわかったこと

今現在なんと日本語言語で
日記に少し書いてみたけど
遅刻で
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」

ここまで文章は繋がらないことをでも
繋がって感じるのはなぜかなんて理系哲学でも
文系哲学でも登場してない。

そうか・・これがわかってもらえなきゃ
私の言いたいこと繋がらないな〜と
重大なことを悟った。

私も頻繁に
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」
これ人に話してたけどそこまで
考えつかなかったけど

無意識にこれが引っかかってた
でも話たいこと知りたかったことのかぎだった。


言葉の整合がずれると気になる
アスペルガー気質な私は
どうして繋がる?って謎で哲学性含むとおもうけど
普通はそうじゃない
たかが言葉なんですよね・・・

でもこの説明、私、立体のを図にするとか
不得意で私が言葉にしてもいまいちで
だれかきちんとした概念として
説明頑張ってほしいです。


で、人にわかってもらえるための言語化
すごい長期整備問題と悟ったけど
思考は立体物、文章化した言葉は
横に言葉からの記憶を脳の中では横にもつなげるし
言葉の持つ意味どおり時間もつなげて連想するし

その両方が大まかな客観性の法則と一致して初めて
人に通じる言葉。

例えばだけど
「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」

そんなの文章としては通じないと頑張っても
正しいけど不毛すぎ。

言葉の持つ空間縦横座標ではあって、会話として
成立してる。

このイメージわかってもらえないと
例えばぽんと最初に思いつくことが
実際には社会から受け取った操作された無意識で
それは変えられるんだ、なんてもっとわかってもらえない
のかもな〜って思う。

だからといって、
9年も監禁されてやっと生還した女の子の話
(開放された時はもう子じゃなくなってる)
知って最初に思うこと
「大変だったろうな」とか
「怖い思いしたんだろうな」でもなく

「どうして逃げなかった」

そんな残酷はない。とっさに人って思ってしまう仕方ないことでは
全然ないんだよ
それを連想させるような情報しかないからそうなるだけ。

言語って特に喋ることって
小脳が関与して自転車に乗るのと一緒で実は
全部は考えるようで考えてない
いつかどこかで聞いたとおりそのままオートでつなげてるだけ
倉庫にしまいこんだままの情報の整理並べ替えは
あとからでもできるからしたほうがいいです。
言葉も時に凶器それも喋るほうは意識もしない
みんな気をつけて直しましょう・・









2006年01月01日(日) 言葉による思考は立体構造

あけましておめでとうございます。
元旦付けの日記なのでご挨拶してますが
今日すでに31日、29とほかのサイトに書き込んだものを
推敲して長文、UPしていて、
(そのためメルマガは配信時間を遅らせ1日深夜の配信
この号の配信を二日の夜中配信と時間ずらして配信してます)
元旦も普通の1日です。

言葉による思考は
時間の経過でつなぐものと情で横につなげるもの
がある。

「脳はなぜ「心」を作ったのか」
読んでやっとわかった感じがして
でもなんだそれ?といわれて説明するには、
整理しきれてなく、多分何年もイメージを
表現するのに適切表現をさがして
この話繰り返してるかと思います。

遅刻の場面で、
「何時だとおもってる」
「遅刻してごめんなさい」

言葉のみで言語が成り立つならば、
絶対おかしい
「何時だと思ってる」
「何時何分です」
が正解

でも実際には
「何時だとおもってる」
「遅刻してごめんなさい」
が通用し
「何時何分」が答えではない

どうしてそうなるのか

思考が立体で言葉をつなげてるから。

横へつなげることをとりあえず情でつなぐと表現し
時間に沿って縦へつなげることを言語でつなぐと表現し

そんな感じで思考は立体物3次元構造だから。

「何時だと思ってる」に
「遅刻してごめんなさい」
これは横つながりではあり。


私は横つながりの言語回路が麻痺して
オートで
何時何分って言葉が口から出る感じ
相手が言葉どおり言ってないのはわかるけど
でもどうやってもなぜか

遅刻してごめんねの
言葉は口から出てこない。

わざとじゃない。なぜかそう繋がらない。


「何時だとおもってる」
「遅刻してごめんなさい」
じゃなきく
「何時何分」と答えが口から出る話
何度となく話してでも

「何時何分」が正しいよね
そういえばと言った人はいない

そんなのおかしい、
言葉の整合に沿った表現に時間かけて訂正するのが
正しいこととに感じた時期もあったけど

私の口から出ないにしても
遅刻の文脈で
「何時だと思ってる」と「遅刻してごめんね」が
絶対変に思えない以上どうやってか
心にはそう繋がってる感じる法則がある。

そう考える方が筋が通る。

「何時だと思ってる」
「遅刻してごめんなさい」の会話のなかに

言葉の中に時間の縦軸をイメージする表現がないんで
縦と横の説明には向いてないけど
文章としてだけならば絶対繋がってないのに
会話としては成立してしまう極端さをわかってもらうには
ほか思い浮かばない。

で、これくらい違ってもあってると感じるのは
縦と横に言葉が繋がってるからで

そう思えば、
叱る、怒る、励ます、が
感情で繋がる中身
言葉が増えるほど、私の頭の中では
言葉どおり時間の流れで聞こえ

今の私の事情を聞いてそれをあるまま肯定し
今できること、あとからの長期課題
きちんと私にあう個別性を理解して
コーチ的アドバイスじゃない

一生懸命喋ってくれるのは確かにしても
ただの説教。

お説教も場面性では私が悪いと感じ
言葉どおり説教してる意識があればいいけど

「叱る」「怒る」「励ます」が
「あなたのためを思って言ってるのよ」

で括られてると
じぶんが説教してること自覚しない

もちろん、説教も「あなたのためを思う」を
含むけど
説教って一方的である自覚をもって使われてるから

「こんなに説教しても通じない?」とは
表現しない。

ところが
「叱る」「怒る」「励ます」は
聞いてる私の事情に沿ってないことを
私の事情を肯定せず、

「こんなにあなたのためを思って言ってるのに
どうして通じないの」
もう少し聞いてくれてる場合でも
なんていうか、そういう場合で自分の経験ではこう・・など
話す中身は主観、きっちり前後省略しなければ主語がすべて
話す人を「私」にし
聞いてる私は後回し。

別に私が素直じゃない人の話聞かないわけじゃなく
単純になぜか個性の強いキャラで
向き不向き、出来るできないのストライクゾーン狭いので
聞かされても困るというか
あなたはそうでも私は・・・なんだけど
この「・・・」が結局、なぜか器用に
できちゃう人にはなんで?になって話し通じない。

と書いてい
なんで話が通じないかを
説明するのに二つの話ごっちゃで切り離せてない。

叱る怒る励ますについての後半の話は
きっちり主語を入れないで思考してると
話の中身が
ほとんど文脈的に
聞いてる相手「あなた」について私はこう思うって
話を延々一方的になっていても

でそれ聞かされてる側が肯定されてると感じないってことで
言葉の縦横とちょと違うけど

で、更に「叱る」「怒る」「励ます」など
感情で横つなぎだと
言葉の本来の持ってる時間軸を軽く感じ喋ってしまう

(そういう意味でも説教は感情じゃないからやっぱり違う)

「こんなに言ってもまだわからない?」
これ
「言われてることはわかる」
言葉本来の時制に沿って返事したところで

「何時だと思ってる」に
「何時何分」と答えるのと一緒。

「こんなに言ってもまだわからない?」で
期待する返事は
「話わかったよありがとう(またはごめんなさい)
今後は努力します」

「言われたことはわかるよ。でも私は・・・・」と返して

「でも私は・・・」を聞く側の言い分として受け止めてくれる場合
経験的に少なく
「でも私は・・・」は言い訳と更なる説教が返ってくる

で思うけど
「叱る」「怒る」「励ます」は
相手のでも私は・・を言い分と思える共感、理解が伴ってなければ
「叱る」「怒る」「励ます」になってない
一方的説教だと思う。

***
今日細木数子の番組みました。
好き嫌い別れる細木数子は
私的には彼女の思考はOKに感じる
なぜって
自分の話が説教だと自覚して喋ってるから
で、30年後日本は経済破綻で難民ばかりになるよって
海外に資本出して技術教えて
30年で自国で技術さえ学べばあとは教わらなくていいと
切られる。
う〜んそうかな。まあ経済のみ追うといいか
ワーカー依存ならね。
教えている間にリタイア後の富を蓄積するとかね
国家についてもそういう方向で
よその国に非難どれだけされようが
国家としてはよその国に国家予算としてお金の支援出さないで
溜め込むかわりに
民間事業経由で
お金と人を支援するとか。
まあ確かに今みたいことの延長には危機感覚えた方がいい
そこだけは正しいと思う細木数子。

一昨年の国会で
日本の農業も発想転換して手間の分高級輸出産業として
やっていけばいいとか
馬鹿じゃないかと思うこと言う首相を支持してる
細子数子はいただけないけどね。

でも絶対中国の人口で今の日本のような生活水準に向かえば

地球規模では再生不能環境破壊臨界まで秒読み単位。

10年後地球がまだ人間の生存可能を維持してるかさえわからない。

かといってじゃあいいやで、生きるためのスキルの獲得放棄して
自暴自棄は馬鹿だし

自分でできること責任、変えられないことや運区別つきにくいです。

それにしても6星占星術私今年天中殺です。
去年までだって運があると思えなかったのにな〜・・




























鮎見時子 |MAIL

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