Doritoの日記
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2005年06月13日(月) 教育人暗記地獄

ランダムに頭に思い浮かぶ人の名前を列挙します。

キャッテル=特性論
コメニウス=17c、一斉教授、直観教授、『大教授学』
エリクソン=自我同一性、モラトリアム
ペスタロッチ=直観主義、開発主義、「生活が陶冶する」、『隠者の夕暮れ』
ヘルバルト=四段階教授法(明瞭、連合、系統、方法)、管理・教授・訓練の区別
ロジャース=来訪者中心カウンセリング
モレノ=ソシオメトリックテスト
マズロー=欲望の階層構造(生理的欲求から自己実現の欲求へ)
ブルーム=診断的評価・形成的評価・総括的評価、完全習得学習
ブルーナー=発見学習、「どの強化でも知的性格をそのままに保って、発達のどの段階      のどの子供にも効果的に教えることが出来る」、『教育の過程』
ラングラン=生涯学習、1965年ウッズホール会議
ビネー=知能検査
ピアジェ=発生的心理学、認知発達段階<感覚運動期(0〜2)・前操作期(アニミズ      ム)(2〜7)[象徴的思考・直感的思考]・具体的思考操作期(7〜1       2)・形式的思考操作期(12〜)>
ジェンセン=環境閾値説
シュルテン=輻輳説
ソーンダイク=試行錯誤説、効果の法則
フレーベル=幼児教育、恩物
エビングハウス=忘却曲線
デューイ=経験主義、問題解決学習
エレン・ケイ=児童中心主義、『児童の世紀』
ロック=自然主義教育、タブラ・ラサ、『人間悟性論』
ルソー=自然人、消極教育『エミール』
レヴィン=B=f(P・E)、場の理論
ケーラー=洞察説、チンパンジーの実験
サイモンズ=サイモンズ指標 拒否―保護、支配―服従
ゴールドン=遺伝の研究、天才の家計研究
キルパトリック=プロジェクトメソッド
スキナー=プログラム学習、オペラント条件(比較的自由で自発的・随意的な反応)、     ねずみの実験、学習はオペラント条件付けによる強化
パーカースト=ドルトンプラン
ペーターゼン=イエナプラン(ぱどpay)
マカレンコ=集団学習

随時付け加えていこうと思います。なんだか高校生に戻った気分です。ひたすら暗記かよ・・・


2005年06月11日(土) 中央教育審議会答申

1998年(H10)6月30日
「新しい時代を開く心を育てるために」
※抜粋
子供達が身につけるべき「生きる力」の核となる豊かな人間性とは、
(1)美しいものや自然に感動する心などの柔らかな感性
(2)正義感や公正さを重んじる心
(3)生命を大切にし、人権を尊重する心などの基本的な倫理感
(4)他人を思いやる心や社会貢献の精神
(5)自立心、自己抑制力、責任感
(6)他者との共生や異質なものへの寛容

>>>現在の教育ではどうも「生きる力」がもてはやされているようです。これは教科書のみの知識では多様化する社会に対応することが難しくなってきたことのあらわれかもしれません。「生きる力」というのは現在人間が備えるべき美徳であると読み替えることが出来ると思います。現在社会が求める人間像が読み取れます。<柔らかな感性>という表現が少し引っかかりますが、他の点は全くすんなり受け入れられるものだと思います。<感性>というものが後天的に身につけられるものなのか、身につけられるとしたらどの程度まで感性の形成を教育の中で行うことが出来るのかというのが大きなポイントだと思います。「生きる力」を身につけさせるカギは道徳、特別活動、そして総合的な学習の時間をどう展開するかにかかっているのだと思います。

2003年(H15)10月7日
「初等中等教育における教育課程及び指導の充実・改善方策について」
※抜粋
・新学習指導要領の基本的なねらい
いまだかつてなかったような急速かつ激しい変化が進行する社会を一人一人の人間が主体的・創造的に生き抜いていくために,教育に求められているのは,子どもたちに,基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ,自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力,自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力などの[生きる力]をはぐくむことである。[生きる力]の重要性とその育成は,平成8年の中央教育審議会答申(「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」)において提唱されたものである。この[生きる力]は,学校においては教育課程の内外を問わずその教育活動全体を通じてはぐくむことが重要であるが,同時に,学校のみで対応できるものではない。これからの生涯学習社会においては,すべての教育を学校で担い,完結することを目指すのではなく,学校では,家庭や地域社会などとの密接な連携の下に学校でこそ行うべきことに絞って教育を進めることが重要であり,また,学校教育を終えた後も生涯学び続けていくために,その基礎となる資質や能力の育成を重視する必要がある。
平成14年4月から順次実施されている新学習指導要領においては,このような考え方に立って,知識や技能を単に教え込むことに偏りがちな教育から[生きる力]を育成する教育へとその基調を転換するため,教育内容の厳選,選択学習の幅の拡大,「個に応じた指導」の充実,「総合的な学習の時間」の創設などを行ったところである。ただし,このことが,知識や技能を軽視するものでないことは,前述の中央教育審議会答申においても,ホワイトヘッド(1861-1947 イギリスの哲学者)の「あまりに多くのことを教えるなかれ。しかし,教えるべきことは徹底的に教えるべし」という言葉を引用して基礎・基本の徹底の重要性を示していることからも明らかである。また,平成10年の教育課程審議会答申(「幼稚園,小学校,中学校,高等学校,盲学校,聾(ろう)学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について(答申)」)においても,「改善のねらい」の一つとして「基礎・基本の確実な定着を図り,個性を生かす教育を充実すること」が,「自ら学び,自ら考える力を育成すること」などとともに掲げられているところである。
このように,新学習指導要領では,基礎・基本を徹底し,自ら学び自ら考える力などの[生きる力]をはぐくむ観点から,個性を生かす教育の充実のために,学校教育の質的な転換を求めているところである。

・子どもたちに求められる学力=[確かな学力]
1では,新学習指導要領のねらいの一層の実現を図ることが重要であり,そのために,まずは[確かな学力]の育成を進めるべきであるとの考え方を示したが,それは,以下のような理由による。
これからの未曾有(みぞう)の激しい変化が予想される社会においては,一人一人が困難な状況に立ち向かうことが求められるが,そのために教育は,個性を発揮し,主体的・創造的に生き,未来を切り拓(ひら)くたくましい人間の育成を目指し,直面する課題を乗り越えて生涯にわたり学び続ける力をはぐくむことが必要である。
このために子どもたちに求められる学力としての[確かな学力]とは,知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学ぶ意欲や,自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力等までを含めたものであり,これを個性を生かす教育の中ではぐくむことが肝要である。
また,昨今の学力低下に関する論議は,学力を単に知識の量としてとらえる立場,あるいは思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などまでも含めて総合的にとらえる立場など,学力をどのようにとらえるかの立場の違いにより議論がかみ合っていないと思われる場合もある。本審議会としては,これからの学校教育では,[生きる力]という生涯学習の基礎的な資質や能力を育成する観点から,上記の[確かな学力]を重視すべきであると考える。
さらに新学習指導要領の下での学力の状況については平成16年1月,2月に教育課程実施状況調査が行われる予定であるが,平成13年度教育課程実施状況調査や国際数学・理科教育調査(国際教育到達度評価学会(IEA)調査),OECD生徒の学習到達度調査(PISA)等の近年の全国的・国際的な調査結果などからは,それぞれの分野における達成状況とは別に,我が国の子どもたちには判断力や表現力が十分に身に付いていないこと,勉強を好きだと思う子どもが少ないなど学習意欲が必ずしも高くないこと,学校の授業以外の勉強時間が少ないなど学習習慣が十分に身に付いていないことなどの点で課題が指摘されている。また,学力に関連して,自然体験・社会体験・生活体験など子どもたちの学びを支える体験が不足し,人やものとかかわる力が低下していることなどの課題等も明らかになっているほか,若者の勤労観・職業観についても各方面から課題が指摘されている。
それゆえ,本審議会は,[確かな学力],豊かな人間性,たくましく生きるための健康や体力までも含めて構成する[生きる力]がこれからの子どもたちに求められる力であることを前提とし,その育成を行っていくために,まずは[生きる力]を知の側面からとらえた[確かな学力]の確実な育成を,当面取り組むべき課題として考えたのである。

・[確かな学力]をはぐくむ上で重要な視点,特に,学習意欲の向上
言うまでもなく,知識や技能と思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などは本来相互にかかわりながら補強し合っていくものであり,[確かな学力]をはぐくむ上で,両者を総合的かつ全体的にバランスよく身に付けさせ,子どもたちの学力の質を高めていくという視点が重要である。また,[生きる力]が生涯にわたり実社会を主体的に生きていくための力であることにかんがみ,子どもたちが,知識や技能を剥落(はくらく)させることなく自分の身に付いたものとする,それを実生活で生きて働く力とする,思考力・判断力・表現力や学ぶ意欲などを高める等の観点から,知識や技能と生活の結び付きや,知識や技能と思考力・判断力・表現力の相互の関連付け,深化・総合化を図ること等も[確かな学力]の育成に当たっての重要な視点であろう。その際,未知のものに積極的かつ主体的に興味・関心を抱き,理解を深めたいと思うなどの好奇心を持たせることや,子どもたちと実社会とのかかわりという観点から,社会の仕組みと個人のかかわりに関する理解を深めさせ,勤労観・職業観を育成し,生き方・在り方を考えさせることなども重要となろう。
中でも,子どもたちの学習意欲,学習習慣に関連しては,平成13年度教育課程実施状況調査の結果では,前述のような課題が指摘されているほか,基本的な生活習慣を身に付けている場合や,教員が創意工夫を生かした指導を行っている場合には得点が高い傾向がみられるところである。また,これからの生涯学習社会においては,生涯を通じて主体的に学び続けることができる学習意欲を持つことが重要であり,学校と家庭とが連携しながら学習習慣を身に付けさせることが必要である。このため,各学校において,「総合的な学習の時間」等を通じて学びへの動機付けを図るとともに,子どもの実態や指導内容等に応じて「個に応じた指導」を柔軟かつ多様に導入することなどの工夫を行うことにより,「わかる授業」を行い,子どもたちの学習意欲を高めることが,[確かな学力]をはぐくむ上でもとりわけ重要な視点であると言えよう。

・「個に応じた学習」を行ううえでの配慮など
 各学校で「学習内容の習熟の程度に応じた指導」等を実施する際には,児童生徒に優越感や劣等感を生じさせたり,学習集団による学習内容の分化が長期化・固定化するなどして学習意欲を低下させたりすることのないように十分留意して指導の方法や体制等を工夫することが望まれる。また,保護者に対しては指導内容・方法の工夫・改善等を示した指導計画,期待される学習の充実に係る効果,導入の理由等を事前に説明するなどの配慮が望まれる。
また,「補充的な学習」,「発展的な学習」を実施する際には,それぞれのねらいを明らかにし,扱う内容と学習指導要領に示される各教科等の目標や内容との関係を明確にして取り組むことが大切である。具体的には,「補充的な学習」を行う際には,様々な指導方法や指導体制の工夫・改善を進め,当該学年までに学習する内容の確実な定着を図ることが必要である。また,「発展的な学習」を行う際には,児童生徒の負担過重とならないように配慮するとともに,学習内容の理解を一層深め,広げるという観点から適切に導入することが期待される。
その際,学校が一体となって共通理解の下に進めるとともに,校長がリーダーシップを発揮して校内体制を整備することや教員間の情報共有を図ることなど,それぞれの役割分担を明確にすることが重要である。

>>>キーワードは「確かな学力」でしょうか。自ら課題を見つける能力、自主的に課題を解決する問題解決能力なと、より主体的で創造的な能力が求められています。さらにそれに加えて「確かな学力」は個性的なものでなければなりません。教科書の知識を基礎としてさらに高次な実際的な知識へと洗練することが必要です。また「個に応じた学習」を展開していかなければならず、そのためにはよりいっそうの教師間の協力が必要になっているようです。


2004年(H16)4月22日
「特殊教員免許の総合化について」
1) 新たな免許状の在り方と求められる資質能力

 ○  障害のある児童生徒等の教育については、特に近年、児童生徒等の障害の重度・重複化や多様化が急速に進んでいる中で、その一人一人の教育的ニーズに応じて適切な教育的支援を行う特別支援教育を推進することが重要である。
 このため、障害のある児童生徒等の教育に関する基本的な専門性を構築しながら、各障害種別に対応した専門性を確保しつつ、LD・ADHD・高機能自閉症等を含めた総合的な専門性を担保する免許状とすることが適当である。


 ○  特殊教育免許の総合化により新たに創設される免許状で担保すべき資質能力としては、
・  特別支援教育全般に関する基礎的な知識
・  障害のある幼児、児童又は生徒の心理、生理及び病理に関する一般的な知識・理解
・  障害のある幼児、児童又は生徒の教育課程及び指導法に関する深い知識・理解及び実践的指導力(重複障害児の指導に関する知識・理解を含む)
・  小・中学校等の支援のために必要なLD・ADHD・高機能自閉症等に関する知識・理解及び実践的指導力
 などをひととおり身に付けた上で、新たに創設される「特別支援学校(仮称)」の教員として、他の特別支援教育担当教員とチームを組み協力しながら、様々な障害のある個々の児童生徒等への教育を、著しい支障がなく担任できる資質能力であることを中心として捉えることが重要である。

 ○  児童生徒等の発達段階に応じた専門性を確保するため、学校種ごとに免許状の種類を設けている現行の教員免許制度の趣旨等を踏まえ、今後の特別支援教育に対応するための免許制度とするためには、免許状の種類としては、従前どおり小・中学校等の免許状を基礎として、新たに創設される「特別支援学校(仮称)」の教諭が有することを前提とした「特別支援学校教諭免許状(仮称)」とする。
 なお、「特別支援学校(仮称)」のみならず、小・中学校等の特殊学級や通常の学級に在籍する障害のある児童生徒等への対応も含めた「特別支援教育」を担当する教員の資質を担保するものとして、「特別支援教育免許状」を構想すべきとの議論もある。これについては、今後の特別支援教育の在り方のみならず、免許制度全体の見直しを視野に入れつつ、中長期的な課題として検討していくことが適当である。

(2) 小・中学校等の特別支援教育に関わる教員への対応

 ○  小・中学校等における特殊学級や通級による指導を担当する教員や、通常の学級においてLD・ADHD・高機能自閉症等の児童生徒等を担当する教員についても、特別支援教育に関する専門性が求められることから、当面、「特別支援学校教諭免許状(仮称)」の取得や、小・中学校等の教員養成カリキュラムにおける特別支援教育に関する内容の充実を促進することが必要である。

<特殊教育免許免許の種類>
 一種免許状
 特別支援教育を担当する教員の標準的な免許状として、全ての障害種別に共通する基礎的知識・指導方法や、複数の障害のある児童生徒等の心理、生理及び病理や、教育課程及び指導法の基礎を身に付け、その上で、例えば視覚障害や聴覚障害など「特別支援学校(仮称)」の対象となる5種類の障害種別(盲・聾・知的障害・肢体不自由・病弱)から1障害種別を選択するか、又は、大学の履修設定に応じて、選択した1障害種別に加えその他の障害種別(言語障害、情緒障害、LD・ADHD・高機能自閉症等を含む)についても選択して、一定の専門的な知識、指導方法等を身に付ける。

   専修免許状
 特定の障害種別に対するより深い専門的知識、指導方法等に加え、重度・重複化への対応、地域の小・中学校等における特別支援教育を視野に入れたコーディネートや、「特別支援学校(仮称)」のセンター的機能を総合的にコーディネートするために必要な知識や技能を身に付ける。将来、「特別支援学校(仮称)」等において指導的立場に立とうとする者が積極的に身に付けることを想定する。

   二種免許状
 一種免許状の取得を原則としつつ、特別支援教育についての専門性のある教員を少しでも多く確保するため、全ての障害種別に共通する最小限必要な基礎的・基本的知識や、各障害種別に対応した指導方法の基礎を身に付ける。
 この免許状は、特殊教育担当教員を確保するための経過措置として、新たな「特別支援学校(仮称)」の教員の免許状取得率向上を図るために取得すべき免許状として捉える。例えば二種免許状取得後、特別支援教育を担当する教員が有することが原則である一種免許状の取得を目指すものとする。




答申を全部チエックするのは相当時間がかかります。。ポイントを絞ってやるしかありません。



2005年06月10日(金) 日本国憲法

<前文>
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、我らと我らの子孫のために、諸国民の協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。われらはこれに反する一切の憲法、法令及び勅諭を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の構成路信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去し様と努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


日本国憲法はGHQによって制定された、といっても過言ではありません。1946年2月1日、日本政府が立案した憲法改正案が毎日新聞に載せられ、それを見たGHQは予想とはかけ離れた保守的な内容(それには天皇制や基本的人権の弱さなどの問題があった)に驚き、即座に改正案の作成に取りかかったのでした。2月8日に日本政府は正式に憲法改正案をGHQに提出、しかしGHQはそれを拒否し、同時に秘密で進められていたGHQの改正案を13日に提出したのでした。日本政府は絶対権力であるGHQの命令には逆らえないので、それを草案として翻訳する作業に取りかかったのでした。3月6日に日本政府が作成したこととして発表されることとなりました。
日本の民主主義は、戦後の占領の下、実はアメリカによって作られたものなのです。現在の平和な日本があるのはアメリカのお陰であるといえます。最近アメリカ反対の気風が漂っていますが、歴史的事実としてアメリカの功績を認めるべきだと思います。さもなければいまだに天皇主権が続いていたかもしれません。それは軍国主義につながっていく危険性をはらんでいる体制なので、平和的な国家とはいえません。GHQの改正案がなければ北朝鮮のようになっていたかもしれないのです。
(参考web http://www1.sphere.ne.jp/KENPOU/nakayama/nakayama1.html)

教育に関係のある法規のみまとめておこうと思います。

<第9条>(戦争放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)
 1.日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、これを永久に放棄する。
 2.前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。

<第11条>(基本的人権の宣言)
 国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことの出来ない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。

<第12条>(自由・権利の保持、その乱用の禁止)
 この絹布緒が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

<第13条>(個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利)
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。

<第14条>(法の下の平等)
 1.すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により。政治的、経済的又は社気的関係において、差別されない。
 2.華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
 3.栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

<第15条>(公務員の選任)
 1.公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
 2.すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
  
  c.f.教育基本法第6条
    2.法律に定める学校の教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し    その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重    され、その待遇の適正が期せられなければならない 

<第19条>(思想・良心の自由)
 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

<第23条>(学問の自由)
 学問の自由はこれを保障する

<第25条>(人間らしく生きる権利)
 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

<第26条>(教育を受ける権利)
 1.すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
 2.すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う。義務教育はこれを無償とする。

  c.f.教育基本法第3条
    すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなけ    ればならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は    門地によって、教育上差別されない。

<第27条>(自動の酷使の禁止)
 1.すべて国民は、勤労の権利を雄姿、義務を負う。
 3.児童は、これを酷使してはならない。

今日はこのぐらいにしておきます。 


2005年06月09日(木) 教育基本法

<前文>
 われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものである。
 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本教育の基本を確立するため、この法律を制定する。

 この前文に崇高な教育の理想が掲げられています。「世界の平和と人類の福祉」の実現を「教育」に見ているという点は教育者と言う立場のの重要性を感じずにいられません。「普遍的にしてしかも個性豊かな文化」というのはなかなか解釈が難しいですが、おそらく国際的な文脈の中で「普遍的」な文化であるべきだということでしょうか?国際化された社会にうまく溶け込める柔軟性を持つべきだ、と言うことだと思います。現代社会の文脈の中で考えるとそういうことになるでしょう。
 この教育基本法が制定されたのは大戦後の昭和22年(1947年)、日本が打ちひしがれて社会的に不安定な時代でした。そのときに、日本の建て直しを教育に見出そうとしたのです。今の日本の情勢をみると、この試みは多かれ少なかれ成功したと見ることが出来るでしょう。敗戦国から今や世界を引っ張る存在までになりました。教育基本法の元で教育を受けた人々が1970年代に入って日本建て直しの重要な役割を果たしたことは言うまでもありません。
 教育基本法はアメリカの占領軍の押し付けによって出来たものではなく、日本側から出来たようです。もちろん司令部の許可は必要としたようですが、当時の文部大臣だった田中耕太郎を中心とする関係者たちが自発的に草起・立案し、制定しました。日本国憲法をはじめとするほかの法律はアメリカの意思に拠るところが大きいことは否めませんが、教育基本法だけは日本側から積極的に作られたものであると言ってよさそうです。安倍健二氏はこう回想しています。

「当時わたしは文部省の調査局におりまして、この教育基本法の仕事をやっておりまして、またかたわら教育委員会法とか教育公務員特例法などの仕事をしておりましたが、ほとんどがアメリカ側の書いたものを直すという形で作業が進められたのでございますが、教育基本法だけは全く日本側がつくったものであります。もちろん司令部のOKを必要としたものでございますけれども、向こうからこういうものをつくれと命令されてつくったのでもなく、全く日本側の意思に基づいてつくられたものでございます。」

教育基本法は軍国主義からの脱出の指針となるものでした。従来の画一的・特権的な教育システムは軍国主義に陥りやすく、平和的なものとはいえませんでした。新しい教育観の根底に流れているのは「平和」です。僕はこの考え方には大いに賛成です。しかしながら、現在のイラクへの自衛隊派遣問題など、最近はこの教育基本法に掲げられた「平和」の理念が残念ながら崩れていっているように思えます。日本の弱さはやはり国際情勢に左右されやすい立場にあることだと思います。世界の文脈のうちに成り立っている国家です。そのなかでもアメリカはなんといっても無視できません。日本の悲しいところですが、認めなければならない事実だと思います。

「真理と平和を希求する」人間を育成していくことが今まさに求められているのだと思います。教育者に課せられた使命はどうやらそんなに簡単なことではなさそうです。

(参考web http://www003.upp.so-net.ne.jp/znet/Education/edulaw-art10.html)

<第1条>(教育の目的)
 教育は、人格の形成を目指し、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

<第2条>(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

<第3条>(教育の機会均等)
 1.すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。 
 2.国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由にって就学困難なものに対して、奨学の方法を講じなければならない。

<第4条>(義務教育)
 1.国民はその保護する子女に9年の普通教育を受けさせる義務を負う。
 2.国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。

<第5条>(男女共学)
 男女は互いに敬重し、協力し合わねばならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

<第6条>(学校教育)
 1.法律に定める学校は、公の性質を持つものであって、国又は地方公共団体の外、法律に定める学校法人のみがこれを設置することが出来る。
 2.法律に定める学校の教員は全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は尊重され、その待遇の適正が期されなければならない。

<第7条>(社会教育)
 1.家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない。
 2.国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によって目的の実現に努めなければならない。

<第8条>(政治教育)
 1・良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。
 2.法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治的教育やその他政治的活動をしてはならない。

<第9条>(宗教教育)
 1.宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。
 2.国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

<第10条>(教育行政)
 1.教育は不当な支配に屈することなく、国民全体に直接に責任を負って行われるべきである。
 2.教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するために必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。


教育基本法万歳です。日本の教育がよりよい方向に向かうことを願うばかりです。


2005年06月08日(水) A Small Nap Forever

健康診断の結果を取りに行く前に1時間くらい昼寝をしようと午前11時くらいにベッドに入りうとうとし始め、次に時計を見たときは午後11時40分でした。最近疲れてたんだなあと思います。

全身がキンニクツーです。昨日テレストラタワーに上ったせいです。

嗚呼、今日もまた一日が過ぎた。どうしようかな。かなり切ないぜ。

明日は必ず康診断の結果を取りに行こうと思います。




2005年06月02日(木) だらだら

だらだらと夜中の5時とかまで起きていることが多いです。何をすることなく、ギターをいじったり、インターネットのサイトを見たり、無為な時間を過ごしてしまいます。
別に全然忙しくないのに、本格的に不眠です。この現象を式にしてみると、

(「寝てしまったら今日が終わり」という焦り+起きていたら何か起きるかもしれないという期待+寝なくてもなんとかなるだろうという幻想)×「何かしなければ」という思い=とりあえずおきている

いけません。危ないです。焦りと幻想のためにこんな無為な時間を過ごすのは本当にもったいない。こんな風におきていると必ず明日の行動に響きます。精神状態にも響いてきます。健康にも悪いです。

ある友達が「眠れないときにこそ難しい本を読んで勉強すると眠くなる」と言ってました。そのときはなるほど、と思いましたが悲しいことに一回も実践していません。

多分僕は生活の中で睡眠の役割を過小評価しているのだとおもいます。結局明日昼まで寝ていることになるのです。こうやってだらだら過ごす時間はもったいなすぎる!

考えてみると、こういうだらだらした時間を有効に使うことが出来るようになることが生きていくうえで重要なのかも知れません。時間の使い方をちょっと考えれば人生変わるんじゃないか、なんて本気で思います。『ABOUT A BOY』の主人公が言うように、時間を30分のユニットに区切って物事を片付けていけたらどんなに楽でしょう。しかし考えないで物事をロボットのようにこなしていくことは人間には出来ないことです。

しかしある程度自分で自分の行動を理性的にコントロールする能力は持っていなければなりません。僕にはそれが欠けているのだと思います。感情的な面で行動してしまうことが多いからです。だらだらおきているのもぼんやりとした感情的な部分から来ているのだと思います。「人間は寝なければならない」という自明の事実をを感情的な面で否定してしまっているのです。

これから睡眠を取れるときはしっかり取る方向で、明日から気を引き締めて生きていこうと思います。もう自分でも何を言っているんだか分かりません。


2005年06月01日(水) 詩を書いてみる

気が向いたので詩でも書いてみようかなと思います。2004年10月の欄に書いてみます。ちょくちょく書けたらなーと思います。


Dorito

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