遠雷

bluelotus【MAIL

静かではなくなる、かも
2008年06月22日(日)

静かな生活のつもりだったんですが。
ものすごくめずらしく連続更新してみたりするのは、まだ誰にも相談できないから。

母が、脳卒中か痴呆の初期か、そんな可能性がでてきています。
今はまだ大丈夫で、明日も大学病院でもともと検査の予定になってるのですが、どうにも今日起こった不安な状況に父と私、なにより心配性な母が一番参ってしまっています。

いますぐどうこうかもしれないですし、全然大したことないかもしれませんが、私は遅くに出来た子供なので本人たちもかなり高齢なこともあり、今でなくても近い将来必ず両親の介護という問題はやってきます。もし仮に入院などということになったら、私は学校を辞めざるを得なくなるかもしれません。

それを今から心配するのもどうかとも思いますが、入学する前から辞めることになるかもしれないという覚悟はしてはいました。心機一転、新しい人生のつもりで学校に入るという決断は、私には簡単なものではありませんでしたが、それでも家族の状況には換えられないものです。

今まで散々迷惑をかけて、私が通院していた頃あたりから引っ張られるように母も不安定になっていたのもあります。そのときは自分のことで手一杯で、両親の心の状態があまりよくないことはわかっていつつも、どうもできませんでした。祖母の介護から解放されて、やっとほっとした後すぐにまた、私がいらぬ心配をかけてしまって、落ち着く暇もなかったでしょうし。

泣き言と同時に、散々えらそうなことも書いて来たのに、いままたこういう状況になると、どこかで逃げてしまいたい気持ちが消えません。学校を辞めたくない。だってまだ一年も行ってないのです。いい加減学習の無い、なんてダメな人間なのだろうとほとほと自分が嫌になりますが、それでもどこかで思ってしまうのです。なぜ今なのだと。やっとこのところ、家族間のコミュニケーションができるようになってきたと感じ始めていたところなのに。学校に行ってまだ、3ヶ月なのに。

実際そうなったりしたら、脳卒中で倒れて即刻入院にでもなったら介護になるかもしれないですし、痴呆で様子見だけならすぐにどうこうする必要も無いかもしれませんが、そんな状況で学校の方に全力投球もできないでしょう。わたしはそんなに器用ではありません。

でも、後悔しないほうを選べと言うなら、母をとるでしょう。今までろくに手伝いもせず、親孝行もせず、脛をかじり続けていた親不孝娘であっても。なにができるかはわからないです。母がもし倒れでもしたら、父も祖母のときのように介護はできないでしょうし、共倒れになってしまいます。一人っ子であるからには、子供のときからこのような状況を漠然と想像はしていますが、具体的に目前にちらつきはじめると、不安で仕方ありません。

言い方は悪いですが、彼の場合は一緒に住んでいる訳でもない、結婚していた訳でもない。それを実行して防ぐべきだったと今でも強く思っていますが、とりあえずあのときの状況は違っていたので、電話という不安な細い線でしか繋がれていませんでした。でも家族となると、同居している両親となると、そんなことは言っていられません。それにあのことを私は経験してしまった。勿論、状況は違います。でも何かをしなければいけないのは私です。それだけはほんとうに実感があるのです。なのに相変わらず私は不安と、何をして行けばいいのかがわからない、そんな気持ちばかり持ってしまうのです。なんて弱い。だめな娘なのでしょう。こんなことを今頃言っているようだから、彼のことを救えなかったのは当然かもしれない、そんなことまでこれを書いていたら思いはじめています。いい傾向ではないことは、わかっているのですが。

杞憂であってほしいけれど、そう、絶対、近い将来に起こることなのです。もし今回どうということがなくても、今覚悟を決めることは、悪いはずがありません。


気持ちひとつのお引っ越し
2008年06月21日(土)

前回の日記を書いた後、もう書かないことにしようかとまた思いましたが、やっぱりまだ時々吐き出したくなる気がしたので、月記状態ですが残すことにしました。
消すつもりはないんです。
あれからの日々は、彼と過ごした日々と同じくらいに、苦しいけれど決して忘れたくない時間です。
そんな自分を誇らしいとかそんなのじゃなくて、もうすこし後ろ向きに、だけど体は前を向いているみたいな。
彼の思い出をこれを読んでまた思い出して、懐かしむこともあります。
わざわざつらい気持ちの吐露を読んで、つらい気持ちに浸り直すこともあります。
だけどもこれからまた生きて行かなきゃならない、そのために。

ただ、せっかくなので、暗いことを書き綴ることも多いと思いますが、ジャンルを変更してみました。
忙しいけれど、静かな日々を、いま、私は過ごしています。


おだやかに
2008年06月19日(木)

もう書くのはやめようかとも思っていましたが、また今年も命日がすぎて、やっぱり書いてみます。
5日も経ってしまっているけれど。

今までのように自由に平日休める身分ではなくなったというのに、今年は狙ったかのように土曜日に当たっていました。
まるで忘れないでと言われているように。
そして、今年は初めて、命日の日に一人ではありませんでした。
今までは平日だったので無理だった彼の友人たちとの合同お参り。
ひとりで話す時間も欲しいけれど、一年に一度会って話す機会を楽しみにしてもいるのです。
ということで間を取り、先にお参りに行って、墓地で皆が来るのを待っているという方式をとりました。

3ヶ月ぶりの墓地はとても静かで、天気がよくて、風がさわやかで、4月から駆け足で過ごして来た時間が、ふっと止まったかのようでした。
色々報告をして、相変わらず風に難儀してお線香をつけるのに苦労して、あずまやでビールを半分飲みながら、考え事をしたり本を読んだり、なんだか例年より穏やかな気分でした。
なんてこのところ毎回書いている気もしますが、気持ち良さ半分、それが悲しい気持ちが半分。
そしてそのまましばらくしたら皆が到着したので、ひとり泣いてしまうことも無く、一日が終わりました。

久々につけた指輪に慣れず、ずっと違和感があり触っていました。
彼の友人の一人が離婚していことに驚きました。
私が大好きで彼に貸したら、大層気に入って欲しがっていた絶版漫画が復刊されたので、それを彼の親友に読んでほしくて新しく買い直して渡せたことが嬉しくて、そして気に入ってもらえるかどうか密かに心配をしています。
いつもお参り帰りに行く、彼との思い出がある居酒屋のつくねが一時期味が落ちたのに、少し戻っていたことに皆で感激したり。
そんな風に、過ごしました。
こんな穏やかな気持ちで来年の今日も過ごして行くのだろうかと少し寂しく思いながら。

次の日は別件で出かけて、友達となんとなく気持ちのズレを勝手に感じてしまい、どんどん落ち込んでしまって途中で切り上げて帰って来てしまいました。
帰りの電車でさみしくてさみしくて、そんなときには無意識に彼に話しかけて、寂しい悲しいと訴えていました。
最初、ほんとうに意識をせずに。
そして彼に話しかけていたことに気がついたときに、泣きました。
電車を降りる直前だったので、なんとか我慢して人通りの無いところまで行って、泣きました。
泣けたことをやはりうれしく思いつつ、そういえば数日前に珍しく彼の夢を見たな、などと思い出して、また泣きました。


やっぱり、毎年思うことは同じでした。
会いたいです。
寂しいです。
死なせてしまって、ごめんね。



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