遠雷

bluelotus【MAIL

対岸の春
2006年03月24日(金)

幸せになれなんて、簡単に言わないでほしいです。
わたしは別に幸せを求めてはいません。
不幸になりたくはないけれど。

幸せ報告があまりに周りで多すぎて、春なのだなあと思います。
(一ヶ月内で聞かされた妊娠報告が3件ってどういうことですか!)
一時期遊んだ事のある男友達が結婚したらしいと言う話まで。
幸せになれるものなら、もちろん皆なったほうがいいと思います。
人の幸せをやっかみはしません(一点の曇りもないとは言えません)。
けれど、その話をわたしに当てはめようとしないでほしいだけ。
Hのことを知ったうえで言っているならなおさら。

なにが幸せかなんて、みんな一緒ではないということをわからない人たち。
生理的に苦手とかキライな人たちではないけれど、そういう小さな(でも大事な)ことでのわかりあえなさが、何よりも彼らとの距離を感じさせられてしまいます。
こちらもそれを主張するほどの気持ちもありませんし。
薄ら笑いで聞いているわたしは、とても失礼な人に見えることでしょう。

ただ、わたしの何がわかると相手の事を思っていても、わたしが相手の何をわかっているというのか。
それを忘れがちなので、それだけは心に留めておかなければなりません。
痛みを知り、そしてその痛みが人には理解されにくいということを知った、わたしだからこそ。


ここにも、そしてそこにも
2006年03月02日(木)

先日、職場の友達の家に初めて泊まりに行きました。

ああいう夫婦はいいよねと私たちの憧れであったG夫婦にどこか通じる雰囲気の夫婦で、おまけに部屋に行ってみたらなぜかインテリアも似ていました。そのときはかなりみんなで酔っぱらっていたのであまり深く考えていませんでしたけれど、翌朝目が覚めて、そしてまたこうして日が経つにつれ漠然と寂しさを感じています。ここにも(いろいろあったらしいです、それはわかっているのですが)二人でいられて幸せな人達がいる、と。

また今年もHの誕生日がやってきます。そしてわたし自身のも。その日に一緒にいるとかいないとかそういうことじゃなくて、ふたりで一緒に年を重ねて行ける幸せ。それが何よりのこと。今年もまたそのことをひしひしと感じ、もういないHとの決して狭められない、広がる一方の距離を思い知らされる一日を過ごす事でしょう。



ここまで書いていたら、友達からメールが来ました。妊娠したそうです。しばらくそのつもりはないと言っていたのですが、できたものは何はともあれおめでたい事です。もちろん嬉しいのです。でも泣きました。わたしが望んでも得られないものを次々と手にして行く彼女と、なにもできず休日の午後にこんな文章をパソコンに向かって書いている自分を比べてしまうのです。そんなことはしたくありません。でも、仕方がないと今だけ思っても、許されるでしょうか。勿論彼女にそんなことは言いませんし、言えません。

ほんの少し前までは、彼女には鬱になってしまったということを話してもいいかなと思っていたのですけれど、これで話せなくなりました。

メールでよかった。電話だったら、取り繕えなかったかもしれないですから。でも、次に会うときには心からおめでとうと言えるようになっているでしょう。



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