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2005年03月31日(木) IE/047 【INTEGRAL】 10(完結)

10.Job/白い虚無に抱かれて


―――生身の体では生命の維持も覚束ない女王を、維持装置の中に閉じ込め、政を……。

「ん、―――恋!」
 体を揺さぶる振動を、やがて現実のものとして感じるようになる。
 遠くから、波のように寄せてきて、地震のように揺さぶられる感覚を、知覚して、目が覚めた。
 閉ざした目蓋の裏側から、強烈な白色の光を感じる。
 まぶしいだろう。
 予感しながら、薄く、目蓋を開く。
 刺し貫くような鋭い光が、待っていたとばかりに瞳に飛び込んでくる。
 顔をしかめると、思わず呻き声が漏れた。
「熱、い」
 自分の声ではないようだった。掠れていて、無様だ。
 ただ、声帯の震えで、自分が生きていることだけは分かった。
 さっと、強すぎる光を遮るように、影が頭上に覆い被さった。
「大丈夫ですか?」
 見慣れた金の髪と青の瞳だった。
「フィ、メか」
 上体を起こそうとして、走った激痛に、あっけなく再び倒れこむ。
「動かないで下さい」
 手厳しい声が降ってくる。
「高圧電流で感電させられたような状態になっています。大事に至らなくて良かった。意識ははっきりとしていますか? ここがどこかは?」
「図星を突かれて、吠える、か」
 焦点の合わない瞳で、ただ高い天井を見上げていた。
「激昂して、ピストルを抜いたのは、あの女の所業に怒ったからじゃない、な」
「恋……?」
 無惨に殺されて、焼かれた骸に怒りが込み上げたわけではない。
 そんな、青い正義感に突き動かされるほど、何も知らない子どもでもなかった。
「他国の、ことだ。確かにこの国でこのようなことに及んだ事実に対しては、怒りも覚えたかもしれない、が」
 呼吸はいまだに、荒い。
 制御を失った口が、ただ動く。
「所詮は、隣国の、ことだ。政に口をだす、つもりは、ない。それでも、銃を抜いたのは、痛いところを突かれたから、だろうな」


―――自分ばかり、綺麗な花畑にいるような物言いは、感心しないな。
―――己のしていることが、”本当に妹のためなのか”、もう一度、胸に問うてみることだ。
―――生身の体では生命の維持も覚束ない女王を、


「俺は一体、何をしているというんだ」
「大分、意識が混濁しているようですね」
 憐れむような顔で、補佐用サイボーグが柳眉をひそめた。
 その所作が、何故か癇に障った。
「何がだ。俺はまともだろう」
「いつもの喋り方はどこへ行ったんですか?」
「……何?」
「堅苦しい喋り方になっていますよ。恋には似合いませんね」
 一陣、風が吹いたような気がした。
 頭の一部を覆っていた霞みが、さぁっと流される。
 ようやく、四肢に感覚が戻ってきたような気がした。
「俺、の。名前―――」
 伺うように、屈みこむ相棒の顔を見上げた。
「マティア王室近衛課直属エージェント、飯田恋。年齢は二十六。もっと細かい数字まで必要ですか?」
「そう、だったな。悪い」
 死んだ男の言葉で、喋っていたようだ。
「なぁ、俺生きてんのか? 一瞬死んだと思ったんだけど」
「ようやくらしくなりましたね。大丈夫、図太く生き残っていますよ。でも、まだ体は起こさないほうがいいですね」
「そ、か。で、俺らの護衛対象はどうした?」
「ロイヤルハルクホテルに入りました。予定通りの日程をこなすはずです」
「俺の右手側で死んでる女がいたはずだけど、どうなった」
「高音で焼かれて、性別その他、判別できない状況です」
「……そう、か」
 まぶしくて、恋は目蓋を閉ざした。
 上から、まだ少し痺れたような腕を乗せる。
「二人目の、ヨシアの聖女を見ました」
 ああ、と恋はおざなりに頷いた。
 空港のビルが爆破された直後飛び出してきた黒い影。
 思い返せば、あれが「代用品」だったのだろう。
「あれな、九人目らしいぜ」
 億劫を表面に出した、掠れた声で言ってやる。
 相棒は、何も言わなかった。
 しばらくの、沈黙を置いて。
「車を手配してあります。今は、暫く寝ていてください」
 静かに、相棒の声が告げた。恋は、腕を目蓋の上に乗せたまま、それを聞いていた。
 意識を、だらりと伸ばしたままの右手のほうへ向ける。
 消し炭になって、性別すら判別できなくなった焼死体が、そこにまだあるはずだった。
 それがまだ、生きて動いていたときのことを思い出す。
 数時間前の話だ。

―――いずれ、貴方の前にも現れる。貴方を脅かすものが。

 背に、硬い舞台の感触を感じている。
 まぶしい光に照り焼きにされているようだ。

―――そのとき貴方が一体、どうするのか、私にはとても興味があるわ。

 何かに促されるように、恋は目蓋の上の左腕を退けた。
 うっすらと瞳を開くと、痛みを伴って光が降ってくる。
「俺のしてることは、なんなんだ……?」
 白く塗りつぶされた世界を見上げて、つぶやいた。
 他には何も見えない。
 白い虚無。
 膨大な光に包まれて、体全てが溶け出してゆく錯覚にとらわれた。
 とろとろと、思考も意識も、とろけてゆきそうな―――。
「任務ですよ、恋」
 落ち着いた声が、答えた。
 思わず首を傾けて、傍らに座るサイボーグを見つめる。
「貴方のしていることは、IEとしての任務です」
 何か思うところがあって言っているのか? それとも無自覚なのだろうか。
 しばらく、恋はぽかんと、美しい造作の相棒を凝視していた。そして。
「……そ、か。オシゴトか」
 笑ってしまった。
 そう思えば、少しばかり楽になる。
「寝る。車がきたら、お前が、運んでくれ」
 疲労と眠気が絡まった声で告げて、再び左腕を目の上に乗せた。
「了解しました」
 堅苦しく、相棒が答える。
 硬い舞台の床に、体がずぶりと沈む錯覚を覚えた。
 沈む。
 目蓋の裏の闇に、いつのまにか、体の全てが同化し、境目が分からなくなった。


―――ひとつ、謎かけを残していく。

 意識が途切れる間際に、男の声が耳元に蘇った。

―――ここに、贋物がふたつある。材料は同じだが、外見が違う。片方はとてもよく、本物に似せてある。他方は本物とはかけ離れた恰好をしている。

 体を支配している疲労感が、分からなくなる。
 闇に溶け出して、四肢の感覚が失われる。

―――このふたつを突きつけられたとき、一体ひとは、どちらを本物だと思うだろう?

(そんなの)
 切れかけの意識で、考えた。
 そんなもの、謎かけにもならないじゃないか。
 人間様ほど、視覚に頼って生きているものもいないだろう。

 そんなの、―――に、決まってる、じゃないか。

 かすかに繋がっていた糸が、見えない鋏でぷつりと、切断された。



Epirogue.HEADLINE/PM6:35

 さて、
 隣国、宗教国家ヨシアの聖女、アナスタシア・エレミア氏は、本日、全日程を終え、ヨシアへ帰国の途につきました。
 今回の初外交を振り返り、大変有意義なものになった、と公式なコメントが出されております。
 以前、ヨシアの内情はあまり明らかにされてはいませんが、これから、両国の間に何かしらの協力体制が築かれてゆくのではないかと、専門家の見解が―――。


【End】


2005年03月30日(水) IE/047 【INTEGRAL】 9

9.INTEGRAL/浄化の火

 あふれだした銀が、肩をなめらかに流れ落ちた。
 糸のような細い髪だった。
 射殺されたはずの聖女が、黒いローブをまとって、そこに立っていた。
 うりふたつ、などという次元ではない。全く同じだったのだ。
 いくら距離を隔てているとはいえ、見紛いようもない。
 詰めた息を、恋はようやく飲み込んだ。
「人間を、バラでつくる技術がある」
 一段、黒いローブが階段を下る。
「人が最も美しいと感じるように、聖女は構成されるのだ」
 もう一段。
「構成する時点で遺伝子に細工を施す。それによって脳の能力を100パーセント活用する。それが聖女の奇跡のからくりだ」
 黒に、銀の髪がよく映える。まぶしい照明を跳ね返し、少女が階段を下るたびに、艶やかな光を放った。
「超人的な力は長くはもたない。枯渇し急激に老いるか、気が狂うか、”それ”のように、いずれ力を失い、とって代わられるという現実に耐えられなくなるか」
 がらくたを指すように、聖女が舞台を顎でしゃくる。
 既に動かない華奢な体を、恋は視線だけで眺めた。
「聖女は人柱でもあり、強力な兵器でもある。細切れの社会を束ねる希望として、常に完璧で在る必要がある。老いず朽ちず、奇跡で民を束ねる。人工的に作り出されたなどと、知れてはいけない」
「代わりがいくらでもいるってことも、バレたらいけないわけだ」
 拡大をやめた白い海から視線を引き剥がしながら、恋は毒ついた。気づけば、こめかみを嫌な汗が流れて顎に落ちてゆく。
「今のヨシアは、そうでもしなければすぐに瓦解する。これはひとつの、統治の形だ」
「詐欺師様だな」
 口元が引きつったように緩んで、自分がなんとか笑っていることに気がついた。
「希望を見せる幻もある。そしてそれが、人々の心を支え奮い立たせることも。これは、母国のためだ」
 いかにも正当な権利を主張するような言葉に、恋の戸惑いと動揺とが水をかけられたようにおさまった。
 その代わりに、燻っていた怒りが、風にあおられたように湧き上がってくる。
「国のため、ね。それで?」
 ポケットに両手を突っ込み、恋は聖女を見上げた。
 聖女は、怪訝に顔をしかめる。
「それで、あんたらは使い物にならなくなった聖女様の処刑場にこの国を選んだってわけか。二人目のアンタが無事に日程を終えてヨシアに戻れば、全てが元通り? ご立派なことだよ。隣国の政府をだまくらかして、いいご身分だな?」
 人工的に生み出されたものだとはいえ、使い物にならなくなったからといとも簡単に投げ捨てる。
 その姿勢が気に食わない。
 しかも、他国の土を汚して、だ。
「マティアのIEとしては、見過ごすわけにはいかない」
「秘密裏にことを済ませるつもりだったが、この国の反政府組織の動きが素早かった。結果的に大事になったことに関しては、釈明はするつもりはない。しかし、我々とこの国と、一体どれほどの違いがあるというのだ?」
「なんだと?」
 恋は気色ばんだ。
 二人目のアナスタシアは、感情など感じさせぬ顔で、予言者のように人差し指を恋に向ける。
「生身の体では生命の維持も覚束ない女王を、維持装置の中に閉じ込め、政をさせている。心は痛まないか、IEとやら」
「……何が言いたい」
「政に犠牲はつきものだと言っている。不特定多数を束ねるということは、身を切ることだ。自分ばかり、綺麗な花畑にいるような物言いは、感心しないな」
 つい、と。
 恋を指差していた白い指先が逸れて、無言の骸に流れた。
「それに、残念ながら私は―――九人目だ」
 ごうっと音を立て、瞬時に人形のような体から、炎が上がった。
 吹き付ける熱波に、思わず恋は、一歩退く。
 何が起こったのか、すぐには理解が出来なかった。
 肉を焼く、いやな臭いが鼻腔に飛び込んで、察した。
 証拠隠滅、ということなのか―――?
 ぷつり、と何かの糸が切れた。
「貴様ァッ―――!」
 咄嗟に、ホルスターからピストルを引きずり出し、魔女をも思わせる黒いローブに照準を合わせた。
「狂犬め。図星を突かれて吠えるとは」
 なめらかに手を持ち上げ、人差し指を恋へと向ける。
 乾いた発砲音。弾丸が黒いローブに向かって飛んだ。
 刹那、体を何か見えないもので撃ち抜かれたような衝撃に、恋は目を見開いた。
 抗えず、そのまま仰向けに舞台に倒れる。
 まばたきも、呼吸も出来なかった。
 焼かれたのかもしれない。
 背に、舞台の感触を遠く感じながら、気づけば叫んでいた。
 ホールに、絶叫が反響する。
 体中が沸騰するように熱かった。
 ごうごうと、脂を焼く臭いをさせ、大の字に広がった右手の先で、聖女だったものが燃えていた。
 急激に沈んでゆく意識の片隅で、女の声が聞こえた。

「お前のしていることが、”本当に妹のためなのか”、もう一度、胸に問うてみることだ」

 スイッチを切るように、そこで意識はぷつりと切れた。



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【続く】


2005年03月29日(火) IE/047 【INTEGRAL】 8

8.DEATH/トリガーを引く者


 水の底を漂っているようだ、と思った。
 深く濃い闇のそこここで、苔のような緑の照明が足元だけを照らしている。
「せっかくいいところだったのに」
 楽しそうな男の声が、下方から響いてきた。
 恋は目を凝らす。まだ、闇に目が適応していない。
「君が指示系統を切り替えたから、スポットライトが落ちてしまったよ」
 深い深い闇を、更に潜る。猫のように気配を忍ばせて、階段を下る。絨毯に吸収されて、音など響かないにも関わらず、慎重に脚を下ろした。
「何者だ?」
「ああ、”君は僕を知らないんだっけね?”」
「誰だ、って聞いてんだよ」
「人に名前を尋ねるときは、自分から名乗るのが礼儀ってものじゃないのかな。ああ、でも君はそんなことをする必要もなく育ったから仕方ないのか」
「何の話―――」
「王子に名前を尋ねるような無礼な真似は誰もしなかっただろうからね」
 立ち止まり、恋は傍らの座席の背を掴んだ。
 爪を立てるように、それを強く握る。
「馬鹿なこと言ってんなよ。王子はとっくの昔に死んだんだぜ」
「公式には、ね」
 言葉遊びを楽しむような、笑いを含んだ声が、闇の底から返ってくる。
「墓、掘り返してみろよ、ちゃんと体も埋まってんだぜ。それに俺には飯田恋っていうリッパな名前と経歴が―――」
「十年近く植物状態だった人間が、どんな奇跡が起こったら目覚めるんだろうね」
 次々と言葉をせき止められて、思わず舌打ちが落ちる。
 くすくすと男に似つかわしくない笑いが湧き上がってきた。
 あと数段の段差を残して、恋は立ち止まる。
 おそらく、舞台と同じぐらいの高さにいるはずだ。
 声のするほうを凝視する。
 視線を感じる。おそらく、相手もこちらを見ているはずだ。
「覚えておくといい」
 真新しい白い舞台が、ぼんやりと浮かび上がっている。恋は目を凝らす。
 そこに、いる。
「俺は、お前を、近いうちに飲み込むつもりだ」
 やわらかかった語調が、急に芯を持って硬く尖る。別人のように、声が張った。
「だから、てめぇは何者なんだよ」
 確実に今、視線は絡まっている。そう確信する。
 射すような冷たさを、感じているのだ。
「ひとつ、謎かけを残していく。次に会うときまでに解いておいてくれると嬉しいね」
「おい!」
 まろぶように、恋は残りの段差を駆け下りた。
 声が、遠のくような気がした。
「ここに、贋物がふたつある。材料は同じだが、外見が違う。片方はとてもよく、本物に似せてある。他方は本物とはかけ離れた恰好をしている。このふたつを突きつけられたとき」
 舞台へのぼる段差を、勢いに任せて駆け上ると、舞台の床が小気味よく鳴った。
 板張りに、靴の踵がぶつかって立てる音だ。
「このふたつを突きつけられたとき、一体ひとは、どちらを本物だと思うだろう? 君はどう思う? シドニア王子?」
 フェイドアウト。音量のつまみを捻るように、語尾が煙のようにうすく消えた。
 まるで幻のように。
「どこ行きやがった!!」
 舞台中央に立ち、ぐるりと首をめぐらして叫んだ。

―――パンッ。

 答えたのは、乾いた破裂音だった。
 続いて、少し離れた場所で何か重量を持ったものが倒れる音。
 体の右手側だ。思わずそちらに首を向ければ、闇の中、僅かな緑色を跳ね返す、艶やかな銀色が浮かび上がった。
「銃―――」
 今のは銃声か―――?
「照明!!」
 天井に向かって叫びかけた。先程の命令が効いているのならば、この”声紋”に反応してシステムが作動するはずだ。
 カッ、と光が爆発した。そう錯覚するほどに苛烈な白が、天井から降り注いだ。
 舞台に設置された、膨大な光量をはなつ鋭い白が、まだ汚れもほとんどない舞台を照らし出した。


 ひたひた、寄せてくる水溜りがあった。
 思わず息を詰めて、ゆっくりと一度、まばたきをする。
 まるで悲劇のヒロインのように、華奢な体が舞台にうつぶせに倒れていた。
 体の下に、徐々に広がりを見せる水溜りがある。
 水分は、白い色をしていた。
「人工、血液だって―――?」
 銀の髪を振り乱し、放り投げられた人形のように舞台に転がっている”聖女”。
 体に開けられたであろう穴から溢れ出すのは、なまなましい赤ではなかった。
 血液と同じ成分の、同じ役割を果たす白い液体だ。
「ご協力に感謝するよ、IE047」
 愕然と舞台上で立ち尽くす恋に、女の声が降ってきた。
 振り仰ぐと、恋が飛び込んできたまま、開け放たれた扉に、死神が見えた。
 小柄な影は、頭から爪先まで黒い布をすっぽりと被っている。
 暗黒の傍らに、人形のような男が立っていた。黒の上下に、胸にヨシアのエンブレムがある。
 なめらかな黒髪が、瞳を覆うほどに零れかかったその姿は、昼過ぎに空港で出迎えた男のはずだ。
 聖女の側近である、キエフトと言っただろうか。
「おい、―――何でお前が、狙撃用ライフルなんか持ってんだ?」
 側近の手には、高性能の狙撃用ライフルが、当たり前のようにぶら下げられていた。
「ご協力感謝します」
 抑揚のない声で、キエフトが礼を述べた。
「これで、公の場での聖女アナスタシアの暗殺は防ぐことが出来ました。これで、聖女の秘密は、露見しなくて済む」
「どういうことだ」
 噛み付かんばかりの勢いで、恋はキエフトを睨みつける。
「ヨシアのためなのです。ご理解いただきたい」
 キエフトは、憂えた顔をした。
 その傷ついた表情が、尚更に恋の感情を逆さに撫でる。
「どういうことだって聞いてるんだよ! 何でお前が、聖女をぶっ殺すんだ!」
 白い海が、恋の足元のすぐ傍まで懐くように寄ってきていた。
「聖女の秘密を、知られるわけには行きません」
 マニュアルのある機械のように、キエフトが答えた。
「聖女様が作り物だってことをか? 人工血液ってことは、まともに生まれてきた人間じゃないんだろうが、それが殺す理由だってのか?」
「彼女は、この国の反政府組織とつながりを持ち、自分で自分の暗殺予告を出させたのさ」
 死神が口をきいた。
 フードに覆われた奥から、どことなくくぐもった声がホールに流れ出してゆく。
「ヨシアの安定を覆す、重大なスキャンダルを自ら暴露するために」
 死神が、フードに手をかける。
 一気にそれを引き摺り下ろした。
 目を皿のように瞠って、恋は絶句した。
「おまえは……」



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【続く】


2005年03月28日(月) IE/047 【INTEGRAL】 7

7.I7GQ6F******047/ドアの向こう


「静かだな」
 恋は、ひとりごちた。
 目の前には、巨大な亀の甲羅のようなドームがうずくまっている。
 甲羅のおもては全面巨大な硝子張りにされていて、少しばかりくすんだ空の色を跳ね返していた。
 噂の芸術ホールだ。
 周囲に人気はない。

―――建設中の芸術ホール周辺の、監視カメラの映像を洗ったわ。エレミア氏は確かに芸術ホールに入っていってる。だけど、単身なのよ。攫われたって様子じゃないわね。奇妙だわ。

 先程、先輩エージェントから入った通信を、反復する。
 周囲の監視カメラの情報から推察するに、他国の聖女は、”ひとりで”この芸術ホールに入っていったらしい。
 懐古主義的な回転ドアの傍では、二体のガードロボットが沈黙して前のめりに倒れこんでいた。
(聖女様が横を通っただけでショートしたって?)
 フォルの報告に、恋は首を傾げる。
 サイボーグのように、器用に情報のやりとりができるわけではないから、映像を見たわけではない。だから、俄かには納得が出来ない。
 アナスタシアが入り口を通り抜けただけで、外部侵入者を排除する役割のロボットが、膝から崩れ落ちて地面に倒れたのだという。
(本当にそんなこと、できるもんなのか?)
 人気のない建設地で、視覚が動くものを捕らえて、思わず恋は重々しい溜息を落とす。
「荒事は、俺の守備範囲外なんだけどな」
 わざとらしく肩を回して準備体操をする。
 糸の切れた人形のように倒れ伏していたガードロボットが、角張った動作で立ち上がった。
 右手を、腰のホルスターに伸ばしかけて、やめる。
 ロボットに銃弾は―――効かないだろうな。
 無駄弾を使うのは惜しい。
 正確にGPSを探知して、そのうちに相棒が駆けつけてくれるだろうけれど、それを待っている時間も惜しい。
 今回は何しろ、国賓の警備が任務だ。
 彼女を見失った時点で、説教は覚悟しなければいけないが、早いところ彼女の身柄を確保してしまいたい。説教で済ませたいところだ。
 重量感を感じさせる歩みで、スーツ姿のロボットが恋に歩み寄る。
「強制介入コード、I7GQ6F******047。指令系統を切り替える」
 片脚を踏み出したままの無様な体勢で、ガードロボット二体が立ち止まった。サングラスの奥で、赤い明滅が起こる。
《介入コード確認。声紋照合確認。政府特務指令:ランク特A により、指令の優先順位を切り替えます》
 カタコトの男の声が答えた。
「現在の警備状態を解除。現場の維持を最優先。IE(インペリアルエージェント)か、更に上位の指令系統を持つもの以外は通すな。民間人に危害を加えないこと。―――以上」
 右目と左目が、忙しく点滅をした。
《……………………。……了解 しました 直ちに適応します》
 規律ただしく「気をつけ」体勢になったガードロボットの横を通り過ぎ、恋は首を大きく回した。
「よかった、コード間違ってなくて」
 五番目が「6」か「9」かで、少し迷っていたのだとは、恥なので誰にもいえないが。
 民間人には伝えられていないことだが、ネットに接続されているシステムのほとんどは、上位の介入コードがあれば制圧下に置くことができる。
 特S―――つまり、全てのシステムを制圧下に置くことができるのは、王族と数名の補佐官のみ。それから、S、特A、Aと政府の要人は、その地位と比例するコードを与えられる。
 コードと声紋、その他の個人情報は、コードを伝えた時点で、システムが自動的にネットを介して照会、現在の命令系統よりも上位であることが確認されれば、問答無用で制圧下だ。
「滅多に使うなって言われてるんだけどな」
 またお小言の数が増えそうだ、と恋はこめかみを掻いた。
 使用した時点で、報告が課長に届いているはずだ。
 もっと他の手を考えろ馬鹿者が、とゴスロリ課長の声が聞こえたような気がした。
(今は知ったこっちゃねぇ)
 警備の解かれた回転ドアが、ゆるく回り始めていた。
 今は聖女の身柄確保が最優先だ。
「なんか、おかしいな」
 くるりくるりと回転する入り口に、タイミングを合わせて踏み込み、口に出して呟いた。
 誘拐されたわけでも、誘導されたわけでもなさそうだ。
 何故、隣国の奇跡の聖女は、わざわざ暗殺予告が出されている国で単独行動を取ったのか?
 与えられている情報だけでは、ピースが少なすぎて、全体像が見えてこない。

 新しい建物の、塗りたての塗料の匂いが鼻腔を刺す。
 回転ドアを抜けた先には、ただっ広いホールが開けていた。
 高い天井からは、おそらく恋の体などあっさりと下敷きにしてしまえるだろう、巨大なシャンデリアがぶら下がっており、入り口の正面に、古い映画にでも出てきそうなやたらに幅の広い大階段が緩やかな段差を見せている。
 床は、大理石を模して作られていて、一歩踏み出すごとに、足音が高い天井に反響した。
 階段も剥き出しの石だが、おそらく完成した暁には赤い絨毯でも敷かれるのだろう。
 オペラ座をモチーフに作られた、とどこかで読んだ覚えがある。
 多くの人間が出入りする場所はどうして、誰もいないとこうも気色が悪いのだろう。
 何か、人ではないものが棲みついているような錯覚に陥る。
 ゆるい階段を、数段上る。
 最上段の奥。ホールへと続く分厚い防音扉を視界におさめて、恋は思わず苦笑した。
 扉が、手前に僅かに開いている。
 招いているようだ。分かりやすい。
「ホント、至れり尽せりで参っちゃうわ」
 靴音を響かせて、招く扉に向かう。
 最後の数段を小走りに駆け上がって、誘うような右側の扉を、引っつかんで開いた。
 眼前に、広大な暗闇が口を開いていた。




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【続く】


2005年03月27日(日) IE/047 【INTEGRAL】 6

6.Rendezvous/スポットライト


 アナスタシアは、ホールの分厚い扉を押し開ける。
 音を逃がさない仕組みの扉は、ずしりと重厚だ。
 非常灯の緑が、ステージまで続く緩やかな段差を彩っていた。足元だけがかすかに明るい。
 照明の落とされたホールは、下ろしたてのやわらかな座席が無数に並んでいる。
 なんとも言えぬ真新しい建物の匂い。
 深く息を吸い込みながら、アナスタシアは一段、段差を降りた。

「やぁ」
 気安い声が、広いホールに良く反響した。
 舞台は真新しく、ぼんやりと白い。
 一筋のスポットライトが、舞台を照らし出した。
 アナスタシアは、色素の薄い瞳を僅かに細め、その明るさに耐える。
 円形に照らし出されたステージに、黒い影がひとつ、浮かび上がった。
「ようやく会えたね、聖女様」
 芝居の途中のように、影は両手を大きく広げた。
「貴方が、ヴリトラ―――?」
 靴の裏に、柔らかい絨毯の感触を踏みしめながら、アナスタシアはゆるい段差を下る。
「そう呼ばれているね」
 線の細い男が微笑した。
 距離を詰めるうち、端正に技巧を凝らされたらしい顔が視界に飛び込んでくる。
「王子に会ったわ」
 客席の段差を下りきり、舞台の下から、アナスタシアは黒いスーツ姿の男を見上げた。
 へぇ、と少し感心した素振りをして、舞台上の役者がステージの縁に近づいてきて、腰を折った。
 アナスタシアを覗き込むように、しゃがむ。
「元気そうだったかな?」
「貴方は、彼を脅かそうとしているのね」
 質問には答えずに、アナスタシアが言った。
「私が今、そうされているように、貴方もまた、彼を食い潰そうとしている」
 唇の端をゆるめて、ヴリトラはただ、笑う。
 慈愛の女神のような、やわらかな微笑だった。
「貴方は、私を殺してくれるの?」
 銀の瞳に、まるで感情を感じさせない様子で、アナスタシアが物騒なことを言う。
「君はどんな最期がお望みかな?」
 食べ物の好みを問うように、穏やかな微笑のまま、ヴリトラが尋ねる。
「大勢のひととメディアの前にして。ヨシアの聖女アナスタシアが、誰から見ても死んだと分かるように。聖女がいなくなったと、ヨシアに分かるように。彼らの目を覚めさせないといけないのよ」
「目を覚ます、ね」
「聖女が老いもせず、朽ちず、死なずに生き続けていると人々は信じている。神の所業だと、ね」
「だけど、そうやって国民を束ねているのがヨシアだろう。絶対的な力で多くの意見をねじ伏せる」
「このままでは、駄目になる。上から押さえつづけると、いつ大きな反発が返ってくるのか―――」
 男とは思えぬ白い手が伸び、アナスタシアの顎を捕らえる。
 形の良い顎を、上向ける。
「君にはまだ、未来が見えるのかな?」
「貴方の未来は、混沌としていて、よく見えない」
「結構」
 含み笑いを残して、ヴリトラは指を引いた。
 がちん、と金属がぶつかるような音がして、照明が落ちた。



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【続く】


2005年03月25日(金) IE/047 【INTEGRAL】 5

5.Miracle/充填

 風に、黒い布がはためいていた。
 不吉な印のように、フィメには思えた。
 来賓専用空港のビルを爆破し、ガードロボットを軽々と薙ぎ倒しながら接近してきた不吉な人影は、頭から爪先まで深い深い闇の色をしている。
 風の抵抗を大いに受けるであろう布をさばきながら黒服のガードロボットを打ち倒す影はしかし、小柄だった。
「止まりなさい」
 毅然とフィメが声を投げる。
 しかし最早、その場に立っている人影はふたつだけになっていた。
「これ以上、勝手をさせるわけには行きません」
「FI-ME017」
 フードに隠された口元から、女の声が漏れた。
「貴方に私を止めることは出来ない」
 予言のように厳かに、女は告げた。
 フィメは体重を落として、片足を後ろに引く。身構えた。
「どういうことでしょう。量産型ガードロボットと同じ扱いをなさるおつもりですか」
「私は、貴方が阻む先へ行かなければならない。それが、この国の為でもある」
「行かせるわけにはいきません」
「……それは残念だ」
 あまり落胆した様子もなく、彼女は言った。
 黒い布を翻し、病的に白い指先を、指揮でもするような所作で動かした。
 フードの合間から、銀の色が零れて落ちた。
 フィメは、すぐに異変に気がついた。
 指先の一本も動かせない。
 まるで、指令を伝達する中枢と末端とが、遮断されたかのようだ。
 冷静に、フィメはその異変を受け止めた。原因を探る。
「流石に、動揺はしないようだ。やはり人とは違うな。人々はこれを、奇跡と呼ぶのに」
「……どうやって、私の伝達神経を麻痺させたのですか」
「奇跡だ」
「冗談を聞きたいわけではありません」
 生真面目に、フィメが切り返した。
 女は、フードの奥でかすかに笑ったように見えた。
「ちいさな国を―――しかも、細切れにように多くの宗派に分かれている国をまとめるためには、どうすればいいと思う?」
 金縛りがとける、という感覚をフィメは味わった。
 急に自由を取り戻した体が、前のめりに崩れかける。慌てて体勢を立て直した。
「ヨシアのことですね」
「……強固な力が必要だ」
 フィメの問いには答えずに、黒い影が続ける。
「絶対的な、誰もがひれ伏すような眩しい奇跡が必要なのだ。聖女は、そのための生きものでなくてはならない。国をまとめるための、人柱たる必要がある」
 間違っても、逆らおうなどと思わせないほどの、絶対的な力が必要なのだ。
「人柱は、枯渇する」
 何かを指し示すように、女は病的なまでにほそい指先をフィメに向けた。
 そして、勿体つけるように、己のフードに指先を引っ掛ける。ぐい、と顔を負おう布を後ろに引き摺り下ろした。
 ざっと、闇の色に銀が流れ落ちた。
「貴方は……」
 あらわになったおもてに、フィメは戦闘態勢を解いた。
「道を開けてくれるだろう。私は人柱の元へ向かわなければならない」


              *


「おい、どうしたってんだ、起きろ!」
 やや乱暴に、サノスケが後部座席に横たわるキエフトの頬をはたいた。
 端麗な顔をした側近が、渋そうに顔をゆがめて、薄く瞳を開く。
「聖女様はどうした!」
 荒っぽい尋問をする体育会系の刑事のように、サノスケがキエフトの胸元を掴んで揺すった。
「急に、車が止まったと、思ったら―――このドアが開いて、アナスタシア様がそとへ。殴られたのかもしれない、急に腹部に衝撃を感じて、それきり……」
「どこに行った!」
 サノスケは尚も胸倉を掴んで揺する。
 ゆるりと、だるそうにキエフとが首を横に振った。
「やめなさい、仮にも怪我人なんでしょ」
 相棒に襟首を掴まれて、サノスケは後部座席から引きずり出された。
 小さく咳き込んだあと、キエフトは人差し指をサノスケの肩越しに向けた。
 サノスケとフォルは、人形のように生気の感じられない男が指差す先を振り返る。
「方向は、あちら、だと思います」
 キエフトが指差した方向には、美しい硝子張りのドームがある。
「建設中の公会堂、ね」
 車のトランクから常備されている商売道具を引きずり出しながら、恋はひとりごちた。
 量産型であまり手になじみのないピストルに手早く弾を込めて、ホルスターを腰に巻きつける。重い正装の上着を脱いで、トランクに投げ込んだ。
「銃ぐらい、正装でも携帯するだろ」
 慌しく戦闘準備を始める恋を眺めて、サノスケが揶揄を寄越す。
 準備不足だ、と言いたいのだろう。
「俺は平和主義者だし、いっつも強いのがそばにいるから」
「フィメも大変だな」
 呆れたようにサノスケが肩を竦めた。
「建設中だと、中の警備システムも完全には動いてないみたいね」
 こめかみに指先を当てていたフォルが、美貌を曇らせる。
「警備システムに侵入して内部を覗いてみるつもりだったんだけど、ダメね、死角が多すぎる」
「兎にも角にも、行ってみるしかないってことか」
 面倒くさいが仕方がない。
 正装とはお世辞にも呼べぬほどにワイシャツを着くずし、恋は準備体操のように首を大きく回した。


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【続く】



如月冴子 |MAIL

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