草原の満ち潮、豊穣の荒野
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100 草原の満ち潮、豊穣の荒野  新たな童話〜Lights in the Sky


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※VAGRANCY様の音楽素材使用: copyright (c) akiko shikata



月と椰子の木

むかしむかし、南の浜に 特別な椰子の木がはえていました。
その木はまっすぐ 月に向かってはえていました。
その木は神様の木で、特別でした。
月や星をひとやすみさせるためにはえている木でした。
それはとても高く 空にむかってのびていました。
月や星はその枝に腰掛けて、こっそり
ひとやすみしては、 夜空へ登っていったのです。

ある夜、ひとりの少年が月をさわりたくて
木に登ろうと思いました。

とても高い木です。なんにちもずっと登り続けなければなりませんでした。
少年はとうとう力尽き、下に落ちました。
まっさかさまに落ちて行く少年を 風が吹き飛ばし
その体は海へ落ちて沈みました。

海流の女神は少年のバラバラになったかけらを拾いあつめて言ったのです。

「お前は海に住みなさい。あの木は登ってはいけない。
お前は空で生きるものではないのです」

少年はそのまま海に住み、それが海人のさいしょになりました。
海流の女神の仕事を手伝いながら少年はたくさんの生き物を作りました。
海の水晶を削っては女神に見せ命をもらって放したのです。
珊瑚、銀の魚影、大きなかたい体をした魚、海亀、海月、海獣...
彼は最後に海鳥を作りました。

女神は言いました。

「空には行けても海を離れて生きることはできないのですよ」

少年はそれでもかまいませんでした。

遠く遠くへ どこまでも行ければそれでよかったのです。
海も空も。
飛んで行く海鳥の目には 夜の海を渡るため
赤く燃える星の欠片を与えました。

それ以来海鳥は 星達が季節の度、踊るのを恋しがって夜空を飛び
広い水平線に方向を知るのです。


そして。

少年はもうひとつ何を作るかかんがえました。
残った水晶は欠片だけ。
女神は言いました。

「それはお前のために持っていなさい。
お前の子供達にいつか役に立つように
命をいれておきましょう。
もう星や月を追わなくても それが海の星なのです。
大切に持っていなさい」

少年は水晶を鉱石に包んで大切に持っていました。
子供や孫が生まれ海人や人魚が満ちていく深い海の底。
穏やかに少年は年老いて行きました。

それでも。
彼は時折いつか見た神様の木を思い出すのです。

空に星は瞬き 月は白く......







〜Lights in the Sky〜

むかしむかし、ある海鳥が海を渡っておりました。
海鳥はとても疲れ切っておりました。
星空へ向かい、どこまでも飛び続け、かなわぬ事に絶望して落ちてきました。
悪い事に海は嵐。海鳥は大海原へ激突する寸前、一筋の光を見たのです。
そこにはひとつの灯台がありました。
荒れ狂う海に、光は定期的に届けられていました。船達が座礁する事のないように。

海鳥は海面のスレスレで翼を嵐より強く打ちました。
海から生まれた鳥はもう一度大風の中舞い上がり、希望の灯を胸に灯したのです。
しかし、力尽きた翼は、とうとう波に巻き込まれ飲まれました。
そして嵐の明けた朝。

ひとりの娘が波打ち際に倒れた海鳥を拾い上げました。
娘は灯台の火を守っておりました。
毎夜、灯を灯し、海を星のない夜も照らして暮らしておりました。
娘はボロボロの海鳥を哀れに思い、手厚く手当してやりました。
不思議な事に、その海鳥は夜になるとひとりの若い男の姿になりました。
男は娘へのお礼に海の話や自分が見て来た事を話して聞かせました。
そして、いつか自分は海の星を見つけ、魔法の浜辺へ辿り着くのだ、とも。

娘は彼と毎夜、灯台に灯を灯しました。
男が触れるとその灯は今まで以上に強く光りました。
それはどんな大嵐にあっても決して消される事はなく、
多くの船乗りや漁師達の命を救いました。

娘の父は灯台を誇りに思いました。父親も他の地でいくつも灯台を作り
守っておりました。
彼はあまりの評判に自慢の娘に会いに行ったのです。
彼はその光を見たいと思い、こっそり夜、到着しました。
そして強い光を見たあと絶望したのです。
愛する娘がどこの男ともしれぬ者を大切な命を守る場へ入れていたのですから。

父親は激怒しました。こんな恥知らずな娘に大切な灯台は任せておけないと追放しました。
娘は驚き悲しみ、男が人ではなく海鳥なのだと訴えましたが
今まで、魔物の光を借りていたのかと怒りをいっそう強めるばかり。
追放された娘は海鳥を抱いて放浪しました。
どこへ行っても名声は一転、魔女だと罵られ、やがて山奥にその身を隠したのです。
海鳥の男もまた、海から遠く離れ、自分達の逃れられぬ運命と直面していました。

「やはり、海を離れて生きる事はできないのでしょうか...」

娘は男が息を引き取る間際の言葉に泣き崩れました。
しかし彼女は彼と約束を交わしてもいました。
いつか必ず、海の星を見つけ、魔法の浜辺へ辿り着く、と。
彼女は海鳥の亡骸からまっしろな光を取り出しました。
その光を抱いて、いつか彼女は小さな赤ん坊をひとり生みました。

娘はたったひとり、山奥で身も心も疲れ果て海鳥と同じように命尽きました。
彼女は赤子をただひとり残す事を悲しみ、瞳が真っ赤になるまで涙を流しました。
その涙はとうに骨となった海鳥へ注がれ、その骨は燃え上がりました。
海鳥は焔となり山奥から飛び立っていきました。
焔の鳥は街へ向かい、娘の父親の大きな屋敷へ現われました。
街の人々はその焔の明るさに聖獣だと崇め、父親達は鳥を追いました。
やがて彼等は娘の亡骸の傍に眠る小さな赤ん坊を見つけたのです。

父親は娘の死を悲しみ、赤ん坊を大切に取り上げました。
しかし、裏切られた事がどうしても許せずにいました。
赤ん坊は、赤い邪眼と氷青の浄眼を持っていました。
成長するにつれ、それを怖れた周りの人々は彼に辛く当たったのです。
ついにその子は塔に幽閉されました。
それから焔の鳥は何度も塔の周りに現われましたが、
誰も本当の意味を知る事はなかったのです。


それからしばらくして、あるひとりの海の者が地上へあがりました。
彼は海の女神が少年に渡した水晶の残りを持っていました。
その水晶は引き寄せられるように成長した海鳥の子供を見つけ出しました。

そして水晶は地上の灯台の火と合わさり、かつてなかった程、強く燃えました。
あまりの強さにそれはすべての物を焼きました。
しかし、その焔には希望が強く刻み込まれていたのです。
その希望は命を強く望んで燃え、
そして灰は空に駆け上がり激しい雨を降らせました。
やがてその雨は大きな波となり、大地を潤したのです。

焼かれた人々や生き物はすべて命を得ました。
死んだ者は草原の麦や水に宿り、次の命を強く輝かせるものとなりました。
どこまでもどこまでも遠くまで歩いて行けるように。

そしてもうひとつ。
そこで命を得たものにはほんの少しずつ灯台の火がありました。
暗闇の夜に迷い、嘆いた者は夢を見たのです。
激しい嵐の暗い海に1羽の海鳥が飛んでいくのを。


海鳥は遠い岸辺に光る灯台を目指していました。
何度も波にさらわれそうになり、雨に打たれても海鳥は光に向かって
飛び続けました。
恐ろしい風は進む事を大きなうなり声をあげ、阻み吹きました。
しかし海鳥は怯みませんでした。

やがて。
波は鏡のようにぴたりと静まりました。
まだ夜明け間際の空。
海鳥は胸に明るい光を灯し、海面すれすれから再び空高く舞い上がりました。
灯台の光は見当たりません。
しかし海鳥は己の光を輝かせながらどこまでもどこまでも
海の彼方へ飛んでいったのです。


皆同じような夢を見ました。

やがて草原の街は豊かな街となり、草原も人々の建物の下に消えましたが
生き継がれる命の中にずっと萌え残っているのです.....


*******************************************************




「ルーくん、見てみい、新しくラベルを作ったで。
あの街の麦から作った酒、えらいな評判や。
飲むと元気になる、ちうてな。どう思う?」

青い髪を束ねた若者は書きかけていた筆記用具を閉じると元気よく答えた。

「待ってたんですよ!今行きます!」

「出来た酒、ブルー殿があちこちで行商しとるせいか
えらいな遠くからも注文がきよる」

黒眼鏡の男が笑いながらコップの酒を飲み干した。

「ブルー、元気にしてるかな」

「大丈夫や、あれは7度殺さんと死なんから。
風の頼りに海賊だか水軍の連中と荒し回っとるらしい」

「え?」

「あ、いや、冗談や、荒っぽい連中と一緒なだけやから心配せんでええ」

「すごい心配なんだけどな」

「それよりルーくん、成人の祝いに街で酒屋を開かんか?」

「街ってヒダルゴですか?」

「ああ。あそこはもうすっかり元の商業都市になっとる。
こら、黙って見とらんと商売せなあかん。なあ、そう思わんか」

「え、ええ、まあそうなんですが...」

黒眼鏡のナタクは一枚の絵を開いて見せた。

「そこでこのラベルや!酒屋開いて売るんじゃ。
カーくんももう地方へ飛ばされておらんが、ルーくんがおれば
いつかブルー殿もカーくんも寄る事があるやろ。
勿論俺もや。またいつか皆で酒盛りが出来るって算段や。

どう?」

人懐っこい笑顔の男にルーも笑顔で答えた。

「喜んで!」






季節は秋。
その街にはかつて草原が広がった事があった。
今ではすっかり建物が建ち並ぶ都市となったが
その名残が牧場といくつかの麦畑にある。
駿馬が数多く育ち、その地に流れる水は長寿の名水と名高かった。

大きな災害に見舞われたその街は名水と駿馬により復興していった。
街人の記憶には青い髪と肌に流行病の恐怖があったが
名水と草原の恵みの豊かさと、ある夢がそれを打ち消しつつあった。


遠い岸辺。
激しい海原に飛ぶ、たった1羽の海鳥。
そして遠くまで海を照らす灯台。

その海鳥は黒く赤い瞳を持っていたが、胸に明るい光を持っていた。

Lights in the Sky.

その光だけはどんな人種、性別、国境、貧富問わず、必ずあった。
その光がどこから来たかなど知る者がとうにいなくなった頃にも
牧場を走る駿馬の黄金の鬣、水面のきらめきに見る事ができる。

そしてそれはその街のみならず、夜の星の瞬きにもあった。
魔法の浜辺がどこにあるかは永遠に誰も知らない。










草原の満ち潮、豊穣の荒野      完










99 草原の満ち潮   6 街の灯

...ああ、風が吹いている....歌が聞こえる。
鳥だろうか、娘達だろうか。
遠すぎてよくわからないが....穏やかだ。


草の中、ひとりの男が湿地に沈んで空を見ていた。
銀の小魚達が彼をつついては跳ね、水場へ去っていく。


...私は、これで消えて行ける。
約束は次の命へ受け継がれた。すべての者達が生まれ変わり
大地でそこに生きるものとして生きて行くだろう。

長い..長い夜だった。
私は何度生き死んだろう。
ただひとり、あの少年だけがあの約束を生きて受け取ったのだ...
本当ならすべての人々にそれを叶えたかったけれど...
鬼でも罪人でもいい。

これで私はもう眠るのだ...永遠に。


男は青く長い髪を草の根元に絡ませて空を見つめていた。

ひとつだけ心残りなのはこの最後の体の持ち主の一生を道連れにする事だけ...

彼は頬の傷に手を当て目を閉じた。

「すまない...」


「すまないじゃないだろう」


「!」


青い髪の男は上から覗き込む顔を見つけた。

「........」

「僕の浄眼は節穴じゃない。戻って来い」

「申し訳ないがもう火が残っていない。私はあなたのいう
人物の人生を奪った。戻す事が出来るものなら...」

覗き込んだ顔はカノン。
彼は草に沈んだオンディーンの胸元を掴むと勢い良く引き上げた。

「寝ぼけるんじゃない!僕の前で寝ているのは生きた人間だ。
さんざん問題を起こして、いや街をひとつ焼き払い、街人を一文無しにした
張本人そのものだ」

オンディーンは困ったように黙り込んだ。
カノンはため息をつくと引き上げた相手を座らせ、己も銀棍を置いて座った。

「........」

遠くまで草を払い風が駆け抜けてゆく。
カノンは真面目な表情で語り始めた。

「いいですか。きちんとお話しましょう。あなたは僕の心にやってきて
過去の僕と接した。僕には火があったからだ。それは海のものでした。
僕の父方の遠い縁に海の者がいたのです。
僕は眠っている時、赤ん坊の時に亡くなった両親を見ました。
追い出された僕の魂を守っていたふたりの姿を。
覚えてもいない父はあなた達と同じだった...」

オンディーンは黙って聞いている。

「父の瞳は青かった。母は黒髪で瞳は赤く、焔に仕える巫女でした。
ふたりは海の火を僕という命に託した。
その為に厳格な司祭であった祖父に追われたのです。
僕の邪眼は『ブルー殿』の体の変化と同じです。
生きた人間に埋め込まれた異物が副作用を起こしたようなものだ。
あなたもそれを知っていたはずだ。
だから僕は幼いながらも火を渡したのです。
いいですか。
僕は焔を守る番人です。渡してはならない者には幼くとも渡さない」

カノンは黙り込んでいる相手に尚も訴えた。

「あなたが本当に『ブルー殿』の体を奪って支配した怨念であるのなら
決して僕の火、命の焔に耐える事はできなかったはずだ」

「........」

オンディーンは困惑したようにカノンを見た。

「私は....人の心をあまりにも長い時間が奪う事を怖れました。
だから...切り離し、何度も生きたものへ寄生して生きては死んだのです。
犠牲を出すつもりはなかった。
もうひとつの心に恨みや悲しみ、憎悪を預け、出来る限りの手段で
未来を開こうとしたつもりでした。
私にはこれが精一杯です。許して下さい。
どうしても最後のこの若者の体の魂だけは、私から解放できない...
どうか、許して下さい」

風の中で鳥が鳴き続けている。
仲間を呼ぶ声。
オンディーンは太陽の日差しに小さなうめき声をあげた。
カノンは自分の上着を脱ぐと頭からすっぽりと被せ、言った。

「それは君が当の本人だからだ」

「え、いや...」

うろたえるようにオンディーンは口ごもった。

「君はバカで考え無しの粗暴でケンカ好きの大酒飲みだ」

「..............」

「他の人間の振りをしたって僕の浄眼に君の魂はひとつしか見えていない」

「いや、それは...」

「オンディーンだって?そんな女性の名前。君の名はブルーだ。いつまで寝ぼけている」

「じょ...女性...」

「ああ、君はケンカっぱやい男だ。似合わないね、そんな名前」

「......」

「君はカマ野郎なのか?」

「.....」

「君にはキンタマもついてないのか?」

思わず、青い髪の男はかけられた服を取って目を剥いた。

「臆病者め。都合が悪くなると他人の振りなんて最低だ。
女々しい弱虫だってもう少しマシじゃないのか」

「なん...」

「文句があるのかい?腰抜けの癖に」

「...てめえ、いいかげんにしとけよ」

勢い良く立ち上がった青い男はカノンの胸ぐらを掴んで叫んだ。

「誰がタマなしだって?てめえこそタマを引っこ抜かれたくなきゃ黙れ」

「何か言ったかい?オンディーヌ」

「その呼び方だけはやめろ!くそったれめ!!」

「わかった、ブルー」

「あっ...」


青い男はカノンを放すと太陽に頭を抱えて座り込んだ。

「それが君の地らしいね。別人なんかじゃなくて。
いいかげんで認めたらどうなんだい?」

「くそったれ...やりやがったな。
どっちにせよこの太陽じゃオレは生きていけねえよ...」

カノンはブルーを見下ろすと笑った。


「ところがいくつか帰り損なった連中がいるんだ」

「え?」

「君はまだその体を大事に扱うべきだ」


汚れたカッターシャツ姿の司祭は掌の上にいくつか小さな青い火を灯して見せた。

「それは..」

「6つある。君に縁ある人々達がどうしても残ってしまったんだ。
他は皆、生まれ変わって新しい命を得るべく去って行ったのに」

ブルーは青い火を見た瞬間、嗚咽がこみあげた。

「...リラおばさん..べろべろじいさん、じじい、デライラ...それから..」

ふたつだけやや暗い。
ブルーはすぐにわかったが口に出さなかった。ひとつは腰巾着だった学生の人魚。
もうひとつはかつて自分が喰った......

「君は君のと併せて7つの命を持つ事になる。せいぜい死なないよう
気を付けて彼等のぶんまで生きるんだな」

「あ...ああ。」

「ブルー!」

背後で少年の声がした。
ルーだ。
あの長い願いの生き証人であり、唯一地上にそのまま辿り着いた少年。

「あ、泣いてるの?ブルー。駄目だなあ」

「バカ!泣いてるんじゃなくて..」

「いてーっ!ぶつ事ないじゃん。人が心配して探してたのに!」

ルーが頭を抑えながら怒鳴った。

「おお、ブルー殿、死に損なったんかー」

「ナタさん...おかげさまで....あ、いやそれより
いろいろ迷惑かけちまって...」

「あー?まあええわ、いや、俺急いで帰らんとあかんのや。
ルーくん、挨拶がすんだか?ほな行くで」

「行くって?」

ナタクはルーを片手で背中に放り投げると竜の姿になってまくし立てた。

「ルーくんに酒屋稼業を手伝ってもらうんや。これから忙しくなるって時に
呼ばれたから助っ人のひとりも連れて帰らんとボコにされるわ。
ほな、またいつかな。
カーくんも無茶すな」

「ブルー、ちょっとアルバイトに行ってくる。さよならカノンさん。
お世話になりました!」

「ああ、ルー君、また機会があったら勉強しにおいで」

「おいル...ぶは」


勢い良く飛び立った竜人は湿地の水と泥と銀の魚をブルーとカノンにひっかけて消えた。

「行っちまった....あいつあっというまに順応しちまって」

「ブルー殿...いやブルー。君はこれからどうする?」

「まだ何も考えてねえよ。死んだと思ってたんだから。
あんたこそどうするんだ?」

「決まっている。君達がやらかした後始末で朝から晩まで働くよ」

「あ...」

「街の人達は皆、住む家も財産も失った。幸いこの草原が恵みだったから
なんとかやりなおせるだろう」

「恵み?」

「見てごらん。この草原は麦だ。刈り入れまではあちこちから救援物資をもらいに
いかなければならないが」

「......手伝うわ」

「やめた方がいい」

「なんでだよ」

「街が消えた原因が君だと知れたら袋叩きに合うだろう。
出来るならあちこちの街へ行って救援を仲介してくれた方がありがたい」

「仰せの通りに...」






「秋にはパンを焼けるかな」

「畑を作れ。馬や家畜に被害がないのがありがたい」

「馬の品評会を開け!ここは名高い名馬の都なんだ!」

「とりあえず皆が雨露しのいで眠れる場所を」

「女達は救援物資を調理して皆に配れ」

「さあ、なくしたものは泣いても戻らん。皆一文無しだ。
金持ちがえらそうにしてないだけ気分がいいや」

「わーっ、私の屋敷が、倉が、財産がー!!」

「ざまあみろ」

「泥棒の心配がいらないねえ」

「なんてみじめなんだ」

「仕立て用の針と糸を救援メモに!」

「医療用品をもらってきてくれ!メモはこっちにもまわしてくれ」

「教科書と筆記用具を!教育を忘れてはいけない」

「学校なくなっちゃった。ばんざーい」

「牛は乳絞らなきゃ。つかまえて、いそがしい」

「かんたんな道具だけでもチーズを作れるかしら?」

「草でソリ遊びが出来るよ」

「魚取りに誰かいかないか」

「きれいな服、頼んでもらえない?」

「お菓子〜」

「酒ー!」

「バカ!薬が先だ!」

「火を灯せ!焔の女神に感謝を忘れるな」

「家屋敷はなくとも、街の灯を絶やすな!」


かつて名馬で名高かった商業都市ヒダルゴ。
今はどこまでも緑が広がる。
馬達はいっそう美しく、力強く駆け回っている。
空は完全なる青空。
穏やかな風は雲を一片たりとも寄せ付けていない。


























98 草原の満ち潮   5 草の海

「あ...雨...」

ぽつり、ぽつりと空を見上げる顔に水滴が落ちて来る。
やがてそれは勢いを増し、強い雨となって焦土に降り注いだ。

銀棍を右手にまっすぐ持ち、空を見上げるカノンの足元に燃えていた火が
静かに消えて行く。
降り出した雨に消されるというより、溶け合って消えて行く焔。

そこにいた者すべてが濡れていた。
カノン、魂であるルーやガレイオス、幽霊、ヴァグナーさえ。


「ああ...」

少し遠くの街があった場所。
そこには僅かに守られた地があった。
ナタクや若い神官達が守った魔法陣の陣形の中、寄せ合うように座り込む街人。
彼等の上にも激しく雨が降り注いでいた。

「空が...」

雨が激しくなるにつれ、澱んだ暗い空が明るくなっていく。

銀の長い髪のイザックが濡れた頭を振った。
傷を負って倒れ込んでいた者達が起き上がる。


「傷がなくなっていく」

陣を守り、疲れ果て膝を抱いていた若い神官は軽くなった体に戸惑い、空を見上げた。

「恵みの雨、ちゅうとこやな」

ナタクは黒い丸眼鏡を外し空を見ると再びかけなおした。

焼け野原となった大地に激しく降る雨はやがて川のように流れ始めた。
焦土を冷やすように澄んだその流れは焼けた大地の全てに流れていく。

「あっ!太陽だ」


子供が膝まで浸かった川の水面を指差した。
空にはまだ何もない。雨はいつしか止み、青空のように明るくなりかけた空だけがあった。
しかし川には強く眩しくきらめく太陽のそれが映し出されていた。

何もない大地に流れる川は流れを増し、打ち寄せる波のようになった。
太陽をその流れに映し出したまま、人々の背丈まで押し寄せる。

「わあっ!溺れる...」

逃げる間もなく人々はすべて水に沈んだ。
カノンも微動だにしないまま水に飲み込まれた。



「たっ、たすけて」

街の者達は悲鳴をあげ泳ごうとし、倒れた。

「?」

眩しい空。
青い空に太陽が強く輝いている。

「あれ、苦しくない」

「ぶわ!」

息を止めた者が絶えきれず吐いた。

「あれ...」

波をかいたつもりが異様な手触り。
恐る恐る目を開けた者が叫んだ。

「く...草だ!水じゃなくて草が!」

自分達の周り一面が草の海になっていた。
かつて街があった場所、荒野、街道すべてを覆い尽くして
緑の波が風を伴って走り抜けていた。
遠くで馬の嘶きがする。
かすかな鳥の声。


カノンは草の中に立っていた。
ボロボロの司祭服以外は傷も消えていた。

「ルー君、大丈夫かい?」

彼は傍に座り込んだ少年に声をかけた。

「カノンさん...」

ルーは自分の体が元のように肉体を伴って動く事に驚いていた。
胸の穴は傷ひとつない。


『さて、首謀者も消え失せたところで、この始末は誰に?』

幽霊が薄れた姿で笑った。
傍のガレイオスも薄れたまま呆然としている。
カノンは一度だけ、ガレイオスに視線をくれたが黙殺した。

『海の大悪人は奪った魂を返して死んじまったからなあ。
事の責任を取る奴がいないとまずい。なあカノン』

カノンは忌々しそうに眉をしかめ、眼鏡に手を当てようとして
何もない事に気付いた。

『海と地上の取り決め、ってもんが古い昔からある。
一方的に海から破ったのなら当面、便宜でも図ってもらわねえとな』

カノンは腹立だしそうに呟いた。

「僕は何も見ていない。関知もしない。さっさと戻るなり勝手にすればいい」

彼は、自分の体を使われた事を敢えて思い出さないよう銀棍を固く握りしめた。

『だとさ』

ガレイオスはじっと空を見て言った。

『責を求めるというのなら受けよう...それですむなら』

幽霊はそれを聞いて手を叩いた。

『あったりめえだ、このトンチキ。他の答えをしてたら今頃カノンに叩き消されてただろうよ』

ガレイオスは俯いたままで呟いた。

『お前達にはわかるまい。俺にもお前達の事は理解出来ぬ。
だが、壊滅や破壊も望んでいない。修復は最善を約束する』

『さっさと海に帰りやがれ』

幽霊は笑うとガレイオスの背中を蹴飛ばし、カノンに手を振った。


『さてと、お前の武器の中は窮屈でたまらねえ。今度こそ、あばよ』

「ヴァグナー!」

カノンは銀棍を落としかけたが、即座に握り直した。

一陣の風と共に幽霊も海の獅子も消え失せ、草だけがそよいでいる。

「カノンさん、ブルーは?」

「さあ。行くべき場所へ行ったはずだよ...」










「さあさあ、皆もう帰ってもええで〜」

ナタクの声が響き渡る。

「か、帰れと言ってもここはいったいどこなんです?
草ばかりで、街はいったい..」

「燃えてしもたやん」

「嘘だ、何かおかしな夢でも見てたに違いない」

「わーっ」

「キャーッ」

あちこちで悲鳴があがった。
澱んだ夜、首を刈られた者、焼かれて消え失せた者達が裸の状態で
草の間から顔を出していた。

人だけではない。
すべての失われた生き物という生き物がいた。
鳥は空高く駆け上りさえずり、魚は草の下に残る湿地で銀の鱗をきらめかせている。

「わ、わしの馬達があんなところに!」

「高い金を出した猟犬が、あんなところに!だっ誰か捕まえてくれー!」

裸の太った男が股間を隠して走り出し、若い女が顔を覆った。

「ま、命だけは取られんですんだんや、街や財産は気の毒やけど一から...」


ブーイングの嵐が沸き上がった瞬間、ナタクは皮膜の翼を広げ飛び去ってしまった。

「わしもそこまで知るかいな!命があっただけ儲けもんや、ちゅうに」


どこまでも眼下を草原が広がっている。
ナタクはカノンの姿を探しながら呟いた。



「...草の海やなあ...」














97 草原の満ち潮   4 古い童話〜Lights in the Sky

幼い頃、ブルーは空を駆ける事が望みだった。
禁断の空を見上げ、巨大な星空の生物達に出会った。
沈んだ船の書物に記されていた星座。

そして魔法の浜辺の話に思いを馳せ
ブルーは獅子を夢見た....

いや.....。
そうじゃない。この姿は鳥のそれだ。

飛び続けながら彼は自分の前に水の球体が浮かんでいる事に気付いた。

ええと。
彼はあたりを見回して愕然とした。
一面星の海。
様々な星の光が、暗く吸い込まれそうな深海より暗い空間に瞬いている。
不意に脳裏で声が響いた。


『あなたは魔法の浜辺を見つけたの?』


星の海に佇む、巨大な乙女がそう語りかけて来た。

「あなたは?」

『私は誰でもないわ。だけどあなたの事は知っている』

「え?」

『大きな焔を抱えた鳥よ。星も月もまぶしがっているわ。
ここでのんびりしていてはだめよ』

「ああ、オレ、行かなきゃならないんだった」

『何処へ?』

乙女が微笑んだ。


「街へだよ。あの男を止め....?」

あれ?
オレ、何を言ってるんだ?
あの男って.....

銀河の魔鳥が大きく叫んだ。
その胸には太陽のように燃え上がる強い光。
近くの星や星座達がこそこそと隠れた。

『思い出したのね?』

「...行かなきゃ」

魔鳥は浮かんだ球体に突っ込んだ。
その球体には水が永遠に巡回するかのように流れている。
頭から突っ込もうとしても流れの勢いが拒む。

『火は大丈夫?』

鳥が笑った。

「問題ない。この火は決して...」

鳥の翼は焔を吹き水を粉々に散らした。
球体は硝子か氷のようなもので覆われている。
鳥は嘴を凄まじい勢いで叩きつけるとヒビを入れた。
そのヒビは叩き付ける度少しずつ広がり、
さながらふ化する雛が卵の殻を破る時のようでもあった。

『お行きなさい。海を離れても行ける所まで...』

鳥はついに球体のひび割れから内部へ突入した。
不思議な事にその球体は内部に入った瞬間巨大な空間を広げていた。



********************************



「そ...空が割れる」

赤い稲妻のように焔が走る度、巨大な鳥が姿をはっきりと現して行く。
呆然とルーが空を見つめていた時、鳥が巨大な翼をひとつ打った。
街を一陣の風が吹き抜け、少年を打った。

「ぎゃっ」

「行くぞ、ルー」

「その声はブルー?」

焔の鳥は銀棍を足でつかむとルーをひっかけてさらった。
あまりにも早かったのでルーは
胸の真ん中に銀棍が刺さった格好のままさらわれていった。

「なっ、なにするんだ、ブルー!火が...」

ルーが串刺しのまま叫んだ。
魔鳥が羽ばたく度焔が噴きあがり街や人を飲み込んで行く。

「これでいいんだ」

魔鳥は一帯を火の海にするとやがてあの荒野へ降り立った。
ひとりの青い男の前へ。
その足元にはカノンが倒れている。生死はわからない。
カノンの体から追い払われた深海の獅子は力なく佇んでいた。
幽霊、ヴァグナーは焔の逆光で顔がよく見えない。

オンディーンだけがその顔を焔に照らされ真正面から見ていた。

「何も残すな...。人も街も歴史も想いも、何もかもすべて...」

魔鳥は倒れているカノンを見ると掴んでいた銀棍を放した。
ルーがころりと転がり落ち、胸に手を当て叫んだ。

「火...火が!」

ガレイオスに壊された体の空洞に火が踊っている。
魔鳥の体から銀棍を伝い、赤と青のふたつの焔が燃えていた。

「さあ、私が持って来たものを持ち主に戻してやってくれ」

「わ..私?」

ルーは戸惑うように魔鳥を見上げた。

「君ならできるよ」

魔鳥から上品に微笑みかけられ、ルーはあわてふためいた。

「遠い過去、君が持って生まれた能力を忘れたのかい?」

「え?」


「ああ、もう面倒くせえな、とっととカノンを起こせって言ってんだよ!
長い事時間がたってボケたか?チビのくせに。ああ?」

「................」


ルーは混乱したままカノンの胸に手を近づけた。
勢い良く胸の炎が燃え上がり、銀棍がカノンの足元に自ら突き刺さる。
魔鳥が言った。

「笑わんかいボケ」

「!?」

「お前の役目はなんだ?オレのドタマぶっ飛ばしてまで助けたんだろが。
とっとと笑って治してやれバカ」

「........えー!!!!!!」

ルーが何かに気付いて叫んだところで魔鳥が少年の尻を蹴飛ばした。
少年は勢い余ってその手をカノンの胸に当てる形で突っ込み倒れた。

幽霊がニヤニヤ笑っている。

「あっ」

少年が声をあげた。カノンの鼓動。そしてゆっくりと開かれた赤と氷青の両眼。

「い、生きてる!」

ルーは起き上がり魔鳥を見てそう叫んだ。
魔鳥がニヤリと笑った。

「なあ、ルー、お前が笑う事しか出来ずに生まれて来たわけ、
わかったか?」

「..........あなたは...」



オンディーンが怒りに燃えた目でルー達を睨んでいた。
焔に照らされた鬼の形相。

ルーが笑い出した。カノンに抱きつくと彼は全力で笑いこけた。
半泣きに近い笑顔。カノンの顔に赤みが差して行く。
残っていた傷跡も薄くなっていた。

「そうだ...ぼくは...」

カノンは笑いこけるルーに戸惑いながら起き上がると、懐かしい幽霊を見つめた。

「ヴァグナー..」



「何故邪魔をする」

悪鬼が低い声で言った。

その声にカノンは飛び起き、銀棍をいつものように握りしめた。
幽霊は背中を向け、頭をかいている。

「カノン、あんたが火を渡してくれたおかげで
なんとかなりそうだよ」

「!」

カノンは振り向きざまに、話しかけて来た魔鳥を銀棍で殴った。

「何すんだこの!」

「なんとかだって!?この惨状を見てなんとかだって!?
いったいどんな神経をしている!」

「てっめえ、元気になりやがって」

幽霊の肩が震えている。
ルーはぽかんとして笑うのをやめた。

「いちいち細かい司祭だな。しようがねえだろ!
最小限の被害は目を潰れよ!」

「最小限だって!?街が全焼してるじゃないか」

「ふっ」

魔鳥が笑った。
続いて幽霊がたまらないように爆笑した。

「何がおかしい。ふたりとも」

魔鳥と幽霊が顔を見合わせると
同じタイミングで言った。


「お前の火はいったいなんだ?」







オンディーンが一歩後ずさった。
その足元には僅かな泥水が残っているばかり。
ルーは魔鳥を見上げると言った。

「あ、あの...ぼくはあの時、あなたに言わなければならなかった事が。
助けてくれてありが...」

「ガタガタ言ってる間に奴をとっつかまえやがれ!」

勢い良く魔鳥が体を旋回させ、シッポでルーを弾き飛ばした。

「わああああっ!」

少年はオンディーンに激突する形でふっとんでいった。

「ぐ!」

少年の胸の火が最後の泥水を奪い去った。

「わあ...こっちとあっちと...ええと」

今度はブルーと似た顔の男に、抱きつく形になった少年は戸惑った。
この顔の男がかつて自分を命と引き換えに救ってくれたのだ。
捕まえろと言われても...

「ルー君、おいで」

カノンがずいと進むとルーの手をひいた。

「あ!」

ぼろりとオンディーンの腕が外れ落ちた。
ルーが思わず掴んでいた右腕。
魔鳥が嫌そうに首を振った。

「嫌な野郎を思い出すよな...」

カノンがルーを背後に押しやりオンディーンの前に立った。
たったそれだけでオンディーンは残った片腕で顔を覆い呻いた。

「い...命の火...」

「カノン、頼む。そいつで終わりだ」

魔鳥が無表情に言うのを聞いた幽霊が一瞬
複雑な顔をしたが、そのまま背を向けた。

「私が消えればお前は...」

「うるせえ。カノン、仕事だぜ」

「あっ」


ルーが目を見はった。魔鳥に言われるまでもなく
カノンの足元から走った焔がオンディーンを包み
容赦なく一瞬で焼き払っていた。


「命に勝てる屍はないさ...」

魔鳥がそうつぶやくと地響きを立て倒れた。
胸の火が徐々に体全体を包んで行く。

「ブルー!」

ルーが駆けより火を消そうとしたが、ますます燃え上がってしまった。

「どういうこと?なんでブルーが...」

「あちー。あっついわ...」

カノンは燃え始めた魔鳥と、幽霊を交互に見ると少年の肩に手を置いた。

「よいしょ」

魔鳥が起き上がった。全身を燃え上がらせたまま。
もはや鳥の形とはいえない焔の塊。

「最後のひと仕事だ」

「ブルー殿?」

「殿はいらない。あんたの火とオレの海の火はフェアだ」

ルーがたまりかねて叫んだ。

「オンディーン!あなたは何を」

焔の塊が笑うように揺れて答えた。

「あの童話はまだ終わっちゃいない」

「!!」

何かが飛び立つように焔が噴き上がった。
ひび割れた空に向かってまっすぐ。
ひとすじの青い焔が天高く飛んで行く。

「カ、カノンさん!今のは...」

「ルー君、落ち着き給え。いいんだ」

カノンはそう言うと幽霊の方を見た。
幽霊が笑っていた。

何もない焼け野原の大地に暗い空が広がっている。。
青い焔は矢のように天に刺さり、何かが砕けたような轟音が響いた。
しばしの沈黙。
そして...


「あ...雨...」