ぶらんこ
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2022年04月23日(土) $100のブルース




1ヶ月くらい前に書いたものだけど、ここに残しておく。




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その犬は$100だった。20年前とは言え、格安大爆発。
値引きを交渉したわけではない。何より彼には値札が付いていなかった。
某ペットショップでのこと。いわゆる売れ残りだったのだろう。
店主は言った。"$100 is fine."
 
犬はケージの仕切りが外された2部屋分を使っていた。
ショップ正面の中央上部に位置し、かなり目立つ。
彼の周囲の部屋では、犬種毎に数匹の小型犬がむにむにと動いていた。眠っているのが多い。
でも彼だけは、黒い大きな瞳をして凛々しい姿で私達を見ていた。
 
犬を迎え入れることは、娘との長年の約束だった。
彼女は物心ついた頃から「犬かって」と言い続けた。
買って、なのか、飼って、なのか。多分前者だろう。
私はどちらにも抵抗があったので、日本語のみならず「迎える」という表現を使った。
私たちは娘の小学校入学を機に、夫の母国である米国に移住した。
娘との約束は、アメリカに引っ越してから、その後、一軒家に引っ越してから、と、度々延期された。
犬は生きた命、家族だから、待とう。そう言い聞かせた。
 
その犬はAustralian Shepherdという犬種だった。初めて耳にする。
どれくらい大きくなるのかという私たちの質問に、女店主は軽く答えた。"It's almost the max size."
後にこれは明らかな偽情報だと判明する。
既に四ヶ月を過ぎたその犬を、彼女は何としてでも売りたかったのかもしれない。
 
娘はシーズー犬を欲しがっていた。私の姉の愛犬がそうだったこともある。
ショップにはシーズーもいた。仔犬なので毛糸玉か何かのようで、とても愛くるしい。
下見に行った日、小さな子を連れた家族連れらも何組かいた。彼らは小型犬をお部屋から出してもらっていた。
子供たちはもふもふする塊を抱っこしながら、しきりに仔犬に話しかけていた。
下見のつもりで出かけたので、私たちはどの犬にも触れなかった。
不思議と、娘もそれを要求しなかった。
 
翌週、私たちは意を決してそのショップに向かった。
今日、犬を連れ帰りましょう。
私は、あの犬まだいるかな、心の中でそっと思った。
私達夫婦の間では仔犬を選ぶのは娘に任せると決めていた。
 
ショップに足を踏み入れると、果たして

彼は、いた!

そして、周囲の仔犬たちは見事なまでに別の仔犬と入れ替わっていた。
胸が締め付けられた。
その時、娘が言った。"Can we have that dog ?"
私は驚き、夫を見る。彼は大きく息を吐き、自分もあの犬に決めていた、と笑った。
私もよ!

私達家族は、それぞれがそれぞれ、あの日、この犬に魅了されていた。
誰も口にしなかった。
でも、心の中で決めていた。もしまだいるのなら、それなら。
 

犬を部屋から出してもらい、サークルの中で遊ばせた。
ボールを見せても、どうしたら良いのかわからない。それでも仔犬らしい好奇心は垣間見えた。
実際に触ると痩せていて、ひどく小さく感じた。
ショップを出る時、歩こうとしない彼を、夫が抱えて運んだ。
犬は娘と共に後部座席にいたが、発進するや否や、おしっこしてしまった。
娘は怖がる彼をずっと撫でていた。

 
犬の名前はブルースとした。
哀愁を帯びた彼にふさわしい名ではないか。
夫は少し考え、Bruceにしようと言った。まぁいい。日本語的には同じだ。


こうして彼はやってきた。
彼のブルースはこの日から奏でられ、ブルースが虹の橋に行った後も尚、聴こえてくる。
家族の歴史、悲喜交々。

お金にはかえられない、私達のブルース。




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