ぶらんこ
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2006年02月26日(日) ギター

こころがギターを習いだした。
ギター教室に通わせてもいいかな、と思ったのだけれど、¥7.500@月3回(3時間)とのことで、あっさりあきらめた。
で、わたしの姉に教えてもらうことに。
といっても、コードの読み方や弦の押さえ方などを教えるだけだろうから後は独学かな。
それで良いよ、というか、そのほうが良いような気がする。


こころが習っている姿を見て触発され、わたしも久しぶりにギターを抱いてみた。
AmとかCとかG7とか。なんだか懐かしいゾ。しかも不思議と指は覚えているみたいだ。
つたないながらも、なんとか弾ける。なんとかメロディーになってる。
思えばわたしもこころくらいの頃に兄貴のギターをこっそりと借りて練習したんだった。
あぁ途中で投げ出したりせずに続けていたら・・・。
ま、そんなこと今さら言っても仕方がないけれどね。


それにしてもこころの最初の曲が「縁切寺」とは。
「なんだかすごい歌だねぇ・・・」と、こころ。
意味はちゃんと理解しているらしい。
一緒に口づさみながら、母はヘンテコリンな気分。かなり可笑しい。笑ってしまう。


さて、こころの目標としている曲は「飛行機雲」@荒井由美
わたしは「船乗り」@スピッツ




2006年02月25日(土) メモ


   選択
   自由
   苦痛
   受け入れること
   馴れ合い
   冒険への不安





古いメモを見つけた。そこに書き留められていた言葉たち。



そのひとにとって何がしあわせなのか。
それはそのひとにしかわからないこと。
それでもひとは誰かのことを想って、心を痛める。

愛しい気持ちって、そういうごくごく普通の、ちいさな素朴な想いなのかもしれない。





2006年02月20日(月) 心を向ける



   伝えるのは「言葉」
   伝わるのは「想い」









先週参加した研修で印象に残った言葉。
ひとは伝える術として「言葉」を使うが、相手に伝わるものは言葉以外のもの。とのこと。
言語的なものよりも非言語的なもののほうが圧倒的に多い、と。

確かに、テレパシーとか予知能力とか、そういった大袈裟なものでなく、ひとは皆、何かしらそういった力を備えているように思う。
考えてみれば、心当たりがあろう。
熱心な先生とそうでない先生。なんとなくわかる。
押し付けがましいひとと、さりげないひと。たとえ同じ言葉で何かを説明されたとしても全然違う。
なんとなく冷たい感じのひと。
話しかけやすいひと。

「わたし」に心が向けられているか。
向けられた心は「わたし」を信頼しているか。

そういうことを、おぼろげながらも、ひとは感じ取ることが出来る。


さて、患者さんのケアをしているとき、わたしはその患者さんにしっかりと心を向けているだろうか。



写真は、瀬留教会。
パイプ椅子が並べられているのが懐かしい。
わたしの町の古いお御堂は中央部分が畳で、両脇にパイプ椅子がそれぞれ縦一列に並べられていた。
そこへ腰掛けるのは、畳に座るのがキツイ年寄りたち。



2006年02月19日(日) スペース

こころが幼い頃から、母親どうしの付き合いというものが苦手だった。
苦手というよりも、興味がなかった。と言ったほうが正しいかもしれない。

それは、「社交的でない」というのとはちょっと違うような気がする。
いわば「お高くとまっていた」という言葉が一番近いかも。
積極的に他人と交わろうとしない。
もしかしたら相手を選んでいたのかもしれない。
うーーー。なんだか嫌なヤツだ。

でも、だからこそ、自分のなかで「疎外感」というものを感じなかったように思う。


こころは密かにそんな母親(わたし)のことを心配していた時期があった。
わたしが彼女の友人の母親と喋っているのを見てものすごく嬉しかったらしく、何を話していたの、と興味津々に聞いてきたことがあったから。
あのとき、あぁこの子はわたしに人並みに(というのかな?)母親どうしのチャットをして欲しいんだなぁ。。。
なんて、ぼんやりと思ったものだ。


そしてわたしは、今もさほど変わっていない。
こころの学校へ行くと、母親たちは何人かのグループになって話している。
わたしはにこやかに挨拶はするけれど、すすんでその中へ入っていこうとはしない。
だから、いつもひとりでいる。
特別それを苦痛だとは思わない。
思わないどころか、そのほうが心地良い。
それがわたしの持つ「スペース」なのだ。


そういうわたしを長年見てきたこころはどう思っているのだろう。
特別聞いたことはないけれど、「マミィはマミィだからね」と言うかもしれないな。


ところで、相手が子供とかお年寄りだったらそんなことないんだけれどなぁ。
なんでだろう???
自己分析は続く。。。。(してないけど)





2006年02月16日(木) 教会



     瀬留(せどめ)教会。

     島には父の建てた教会がまだいくつか残っている。
     写真はそのうちのひとつ。









2006年02月15日(水)

















「島はどうだった?」と聞かれ、
「最高。やっぱり島で暮らすことにするよ。」と答える。

写真は、二日目の朝。
父を偲んで(?)家族で釣りへ出かけたときのもの。
釣果はがっつん約20匹。







2006年02月06日(月) 誕生日

 
     海に行った!









今日はこころの誕生日。
こころは14年前の今日、予定日より1週間くらい遅れて生まれてきた。
そして誕生日がダディとおんなじ日になった。
よって今日は夫の誕生日でもある。

先週、彼に贈りものとカードを送った。
こころからのダディへの言葉を読んで、なんとも言えない優しい気持ちになる。
わたしたちの姫さまはわたしたちが思っている以上に成長してるみたい。


写真は昨日のもの。内之浦の海岸にて。
とっても良い天気だったのだけれど、風が強くて寒かったー。
ぷーとひとしきり砂浜で遊んだ後、ふたりでけらけら笑いながらたくさん写真を撮った。


それにしても・・・やっぱり外洋はいいなぁ!




  


2006年02月05日(日) おじぃちゃん

おじぃちゃん
わたしね、おじぃちゃんにあやまりたいって思ってる
けどまだできない

おじぃちゃんのところ行くの
ほんとうはこわい
おじぃちゃんなんにも話さないし
どこ見てるかわかんないし
それに
おじぃちゃんの顔ちがう色になった
きいろくなった
ちゃいろになった
そのうち
まっくろになってしまうんだろか


おじぃちゃんのところに行くと
おばぁちゃんがよろこぶ
おりこうさんだねぇ
おじぃちゃんに「ただいま」言っておいでねぇ って
お母さんもそうしなさいって言う
おじぃちゃんがよろこぶから行っておいで って言う
お父さんは黙ってるけれど、きっとおんなじ気持ち
だからわたし
おじぃちゃんのお部屋に行く

おじぃちゃん
わたしが来たら うれしい?
前は ちょっとだけわかってたみたいだったけど
いまはもうなんにもわからないみたい
どうなんだろ?
わたしには わからない


おじぃちゃんは
ぜんぜん動かない
看護婦さんが来て
からだを拭いたりしたときにだけ
あー とか うー とか言う
ときどき 痛い っても言う
おじぃちゃんは
どうしたいんだろう
なんにもしゃべらないおじぃちゃんもいやだけど
痛い って言うおじぃちゃんを見るのは
もっといやだ
でも
おじぃちゃんがなにか言うと
こころのなかで ほっとする
おじぃちゃん
起きたんだな って ほっとする


おじぃちゃんのお部屋に行くと
おじぃちゃんの匂いがする
それはおじぃちゃんのタバコの匂いじゃなくて
髪の毛につけてたなんとかというくすりの匂いでもなくて
消毒の匂いでもない
それはおじぃちゃんの匂い
おじぃちゃんが病気になって
病院からおうちに帰ってきて
なんにも話さなくなって
食べるものも少なくなって
それからの匂い
わたしねホントのこと言うと
それがちょっと苦手

おじぃちゃん
どっか行っちゃうんでしょう
まだそこにいるけど
遠いとこへ行っちゃうんでしょう


おじぃちゃんは
死んじゃうんだ


みんななにも言わないけど
わたしにはわかる


おじぃちゃん
ごめんね
おじぃちゃんのこと
大好きなのに

ごめんね
おじぃちゃん





2006年02月04日(土) 本心

先日とはまったくの別人かと思えるほどの変貌だった。
東横インの社長は深々と頭を下げて「反省しております」と言っていた。

あの記者会見での彼の言葉は本心だったろうと思う。
あいまいな言葉や難しげな表現で誤魔化す釈明はよく聞くが、あれはあからさまともいえる、彼の本心だった。
彼は自分の考えを正直に述べた。言い放った。それはそれでよろしい。
ただ、その考え自体が問題だったのだ。
「問題」だとは思っていなかった、彼の「本心」こそが。



きっと彼は、彼自身のなかで決定的に欠落していた何かを学ぶために、あのようなことを引き起こしたのかもしれない。
報道陣に取り囲まれ、言葉を選びながら話す彼もまた、本心からなのだろう。。。と、思いたい。




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