ギネコ

2004年07月18日(日) これで泳げる

人はカン違いをする動物です。
本人は勘違いしていること自体しりません。だから、周りから見ると悲劇であったり、コメディであったりするのです。

小学生3年生のころ、テレビのCMで、「これさえあれば、泳げます。」ってのがありました。僕とおなじクラスの岡田くん(仮名)は、水泳が苦手でした。来週の体育で25m泳がなくてはなりません。今のところ、20mくらいは、泳げる(?)のですが、あともう少しがうまいこといきません。泳ぐといっても、手足をばたばたやっているだけです。前に進むのがふしぎです。水しぶきがすごくて、体がまったくみえません。知らない人が見ると、まずおぼれているな、と200%思うおぼれぶりです。

 悩んでいた岡田くんはTVのCMをみて、家のトイレにおいてあったのをこっそり もってきました。「これでぼくも、25m、やっくん(クラスで一番水泳の上手な子)みたいに泳げるんだ。」目をかがやかせて、両手にしっかりとそれを握って、プールへドボン。
飛び込みました。そしていつものごとく、てあしを大車輪の如く動かします。
すると、岡田くんの体は、まるでとびうおのように、スイスイと前方へ。

いくわけないか。
いつもと何の変化はありません。
「なんや、これ。ぜんぜん、なんもかわれへんやん」
「岡田くん、なにもってるの。それ、みせてよ」

それは、生理用タンポン、でした。

TVで、「これさえあれば、多い日でも安心して、泳げます。」と宣伝しているタンポンでした。「岡田くん、これはね、女の子しかつかえないんだよ」っていうと、
「ああそうか、それでか.」と納得してくれました。




2004年07月17日(土) しんちゅうの弁当箱

家族からいわれるんです。
「お父さん、もっと、ゆっくり、食べてよ」

なぜ、がつがつ、急いで食べねばならないのか。
きっと、そのルーツは中学生のころにあると思うんです。

中学生のとき、昼食はみんな、弁当を持ってくることになっていました。
6人が一組の班をつくって、机を寄せ合って、弁当をひろげるのです。
こちら3人は男子。向こう側が女子です。私の向かいには、光浦をガリガリにしたようなトリガラがいました。ヤセ光浦はアルミの弁当の蓋をたて、ベルリンの壁をつくっています。「私の弁当の中身を、みるんじゃないよ。みると、死刑だからね」まるで、東ベルリンの兵士みたいなセリフです。

「くそったれ、誰がみっか」といって、ぼくはバスケットボールのように大きなやかんのお茶をとりに行きます。帰り際に、遠回りして、肩ごしに、そこはかと、のぞいてみたくなりました。タコのウインナー、厚焼き玉子、鳥のからあげ、などなど。非常にカラフルな弁当定番メニューです。

お弁当には、それぞれのお家の事情が如実に現れるのです。
お弁当を見ることは、台所を見ることであり、冷蔵庫の中をのぞくことであり、まさに、夕べの食卓が、朝の食卓が、弁当の中に凝縮されているのです。だから、クソ光浦のいうように「みると死刑だからね。」となるのです。

ぼくは、弁当の時間がきらいでした。
弁当の中身を知られるより、弁当箱そのものに非常なコンプレックスを持っていました。みんなは、きれいなアルミの弁当箱です。そう、アルミといえば、当時流行の、冷ややかに光る最新の金属で、アルミの弁当箱といえば、戦後日本が復興しようとする勢いを現している最新鋭の一品なのです。

でも僕の弁当箱は、戦前の代物。
「しんちゅう製のペコンペコンにへっこんだ小判型の弁当箱」でした。

僕の記憶では
それは、深さ5cmはありました。
日露戦争に行った爺さんがよく使っていたらしい一物です。
しんちゅう製で表面はペコペコにゆがんでいるため、光が不自然な反射光をかもしだして、おちぶれた平家のような金剛色にひかっていました。

「アルミ製の弁当箱がほしいよー、」と泣き叫びました。しかし、戦争中、焼夷弾をかいくぐり、防空壕を走り回った経験をもつ母にとっては、僕の声はジーパンの上から蚊がさしたくらいのもんです。その代わり、弁当の中身は、極上でした。「ゆうべの晩のおかずよ、こんにちは」ということはありえないのです。朝早くからおきて、すべて、手つくりです。冷凍ものはありえません。

毎日、お品書きが違うのですが、おぼえているのは、「ひじきと厚揚げのにもの、やきざかな、昆布のだしまき、ほうれん草のおひたし、とうふの白あえ、きんぴらごぼう、きゅうりの酢もの、自家製つけもの、魚の煮付け、くぎ煮。」
なんか、「お父さん」の好みそうなものばかりです。そう、昔から、親父は弁当持参の職場だったので、弁当の中身は親父向けのメニューだったのです。ですからタコのウインナーに遭遇したことはありません。それは異次元の世界なんです。
じつは、そんなお品書きの弁当の中身が、あまりに、おっさん系なのが、恥ずかしかったのです。

ぼくの外見は、おっさん顔。中学生1年生で高校生に間違えられました。弁当箱も、おっさん。弁当の中身も、おっさん。これは、いかにも、はまりすぎる。おっさんづくしはあまりに危険すぎる。それゆえ、弁当速攻攻略術を編み出したのです。

弁当箱を開けると、おっさんぽいおかずを口にほうりこみます。噛むことなんかしません。それが侍というもんです。ごっくん、ごっくんとのみこむように平らげるのです。そして、最後に残った、白ごはん(上には旅の友がかけてある)を、一刀両断するのです。

3時間目の休み時間にたべてしまうという裏技もありますが、究極の必殺技は、非常な危険を伴います。しかし、勇気を持って、実行に移さねばなりません。授業中に本をたてて、弁当を広げて、すべて食べつくすという技です。同志の中には、教師の鋭い視線の矢に、討ち死にしたものもおりました。弁当箱と中身を見られまいという思いが、自然といろんな技をあみだしていったのでした。

ところで、クソ光浦のとなりには、細川ふみえから巨乳をとった感じのマドンナがおりました。ぼくにとっては、高嶺の花で、口をきいたことは、「おはよう」くらいのもんです。プライベイトの話なんか、してくれません。それがある日の弁当タイムのとき、マドンナ細川は、「I君(ぼくのこと)のべんとうっていつもおいしそうね」っていってくれたのです。
ぼぼぼぼぼぼぼっくの、ぼくの弁当が!おいしい?!
おっさん弁当を、おいしそうっていってくれた!「いつも」ですよ。いつも!

「神様、ほんとうですか」
「母上、ありがとうございます。」
「これで、拙者も弁当速攻攻略術を封印できるかもしれない。」そう思いました。



ずいぶん、実家にはかえっていないけど、
ほんとに、おかあさん、ありがとう。
はずかしくて、昔はいえなかったけど、おかあさんのお弁当いつもおいしかったよ。

PS:長年つちかわれた弁当速攻攻略術はいかんともしがたく、その後も続き、現在にいたっております。



2004年07月16日(金) 赤ちゃん、できちゃった

「赤ちゃん、できちゃったみたいなんですが」

それで、生む予定?、それとも、中絶手術希望ですか?
「もう28歳だから、生みたいんだけど、生めれないんです。(涙)」
彼女はうつむき加減に、涙をうかべて、つぶやいた。キュートな丸顔で、人あたりのよさそうな人妻ってかんじ。

うん、うん、しかたないよね。きれいな人の涙には弱いんだ。
手術代、いくらかって。うちは普通10万だけど、うん、きれいから、おまけしちゃう。8万でいいよ。

手術が終ると「ありがとうごございました。」って、ご主人とおぼしき人と一緒にたちさっていきました。

それから、一年後。
あれ、又きたの。で、今度は彼氏が、違うのね。
今度は不倫ですか。仕方ないよね。きれいな人は誘惑多いもんね。でも、ご主人、かわいそうだなぁー。

それから、2年。あれ!彼女又来たの。
でっなに?又、妊娠した!
今度は、最初の人の子。ああ、それじゃ、ご主人の子ね。

えっ、ちがう!
えっ、あなた、未婚なの!
結婚したいけど、できないって。
なぜなら、彼氏にはおくさんがいる。へぇ、子どももいる。
ふむ、ふむ、それじゃ、まあしかたないね。

でも、それって最初からあなた、全部不倫ジャン。

で、あんたのお仕事は?

中学校の国語の教師!
相手の男は、市役所の管理職!

ウーム。   
日本の未来はとっても明るいようです。



2004年07月15日(木) あかちゃんに優しい病院?

地球に優しいガソリン、環境に優しい洗剤とか、
○○にやさしい○○とかがはやっています。

なかには、
非モテ男にやさしいママ;これは後から怖い目にあいそうな予感があり、
美人にやさしい上司;これには下心の予感ありありです。

赤ちゃんに優しい病院というのがあります。
ちち子さん(仮名)はある「赤ちゃんに優しい病院」で出産しました。
そこでは、自然なお産を目指し、誘発剤をつかいません。母児同室でいつも赤ちゃんをそばに見れるのです。ぶじお産が終って、2,3日たったころ、
大きな非常事態が発生したのです。

「ちちこさんのお乳からおちちがちっともでないのです」

ちち子さんの主人、ばばおさん(仮名)は困ってしまい、看護師さんに相談しました。

「赤ちゃんに優しい病院」では、ミルクはあげれないんですよ。そいうルールなんですよ。あげると「赤ちゃんに優しい病院」の認定が取り消されるからですよ。

赤ちゃんに優しい病院では、母児同室なので、夜中におなかが減ったと赤ちゃんはなくわ、母乳はでないわ、睡眠不足でふらふらになるわで、
ぐわわわわわわわわぁーーー!です。

赤ちゃんに優しい病院はちち子さんにとってはちっとも優しい病院ではなかったのです。

ばばおさんは、こっそりと買ってきたミルクを、説明書を見ながら、何とか溶かして、飲ませたとのことです。
めでたし、めでたし、シャン、シャン。




2004年07月14日(水) 投票にいったよ

みんな、投票に行ったかい。
おれは行ったよ。自民党が敗北したけどね。残念!

医師会からは、全員、自民党のニシジ○候補に入れるように、御達しがあったのでございます。医師会の意見は自民党とは、かみ合わないものが多いのですが、自民の中に代表を送り込んで意見をいってもらわないと、主張がとおらないらしいのです。

でもですよ。今度の自民党の行動はなんですか。国民年金は未払いするわ、年金料をあげてくるわ、年金法案を強行に採決するわ。
ゆるせんですよ。
自民党は国民を馬鹿にしているのです。

確かに、医師も最近、経営は実に苦しく、自殺した整形外科の開業医もいるらしいです。自分らの意見を通してもらわないと、経営が、従業員の給料が払えなくなるようです。うちも、従業員の夏のボーナスが出せなくなってしまいました。だから私も背に腹は替えられず、三度の食事も
しっかり食べて、考え抜いて、投票しましたよ。


「民主党」っにね。

地方区は誰かって?
まったく主張は知らないんだけど、民主党の人でした。
名前は、・・・忘れました。


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