ゼロノオト

2006年03月24日(金) 身軽にいきたい

「ひとにされてうれしいことをやってあげてください。
ひとにされていやなことはひとにもやってはいけません。」

でも必ずしも自分がされてうれしいことを、ひとが喜ぶとはかぎらないんだよなぁ。
だからにんげん、むずかしい。
プレゼント選びとか、むずかしい。

物質に限らず、今までもらったものと、あげたものは、
ぜーんぜん、プラマイゼロになってないんだろうな
あのこに対しては多すぎたり、あのひとに対しては少なすぎたり。

あきらかにあげ足りない(って日本語もおかしいけど)
そういうひとがおおすぎるような気がする。
もらってばっか。...でもないのかな。

でも、これは、いらないのになー
というのも案外あるよね
質量0グラムで超重いものとかね。
むっずかしいな。


ミスチルで育った世代なので、
愛はきっと奪うでも与えるでもなくて、気がつけばそこにあるもの、
と信じて疑わないわけですがね。
でもさいきんは育ちきった感があるのか、ミスチル、きいてないね。


身軽なのって、いいことだとおもいます。

それにはバランス感覚が大事。

自由時間の使い方に関して、激しく忙しいのと、激しく暇なのしかできないのは、
あんまりかっこよくないなーと思う。

かっこいい大人になりたい。

ふわっ
とろっ


2006年03月23日(木) 繋

題名に1、2、ってやって、旅行の記録を残そうとおもっていたのだが、
LA、沖縄、タイと、立て続けに旅行し、タイから帰国翌日に卒業式という
きわめてタイトなスケジュールだったため、あとから旅行の一日一日を記録することが
ひじょうにめんどくさくなってきたし、いつどこでなにをしたか、という記録は
たいがい写真のデータとして記録されているので、それらの記録にはない「思ったことや考えた部分」を
ここに残すことが大事なんじゃないかと思うので、書こうと思った。書くことは思考することと結びついている。
そろそろ思考せねば。



15年前に住んでた家の住所をなんとかカーナビに入力できてほんとうによかった。
7歳まで住んでた家の番地、案外覚えてるんですね。最後の1桁間違えてたけど、充分だった。
大きくなってから昔住んでたとこへ行ったら、やたらと家が小さく見えた現象を体験してみたくて。

確かに家はちいさくなってたし、庭は狭くなっていたし、垣根は低くなっていたし。
でもバス停へいく緩い坂道の広さは相変わらずだったし、
いつかどろんこの水溜りに片足をとられた半分未舗装の曲がり角も健在だったし
名前は変わってたけど、丘の上のスーパーもあやふやな記憶のとおり丘の上にあったし。
チャッキーチーズというゲーセンはそのまま同じ場所にあったうえに
当時遊んだゲームもそのままあって。
15年という月日が流れたはずなのに、ゲーセンは廃れるどころかちびっ子たちで溢れていて、
15年前の子どもとおんなじようにズルをしている女の子がいて。
懐かしのトーランスは予想通り、変わってなかったし、変わっていたし、
予想を超えて変わったり変わってなかったりしていた。

勝手に15年前、この場所の時間を止めていただけで、
ちゃんとここにはここの時間が流れていて、
過去から現在へと、ちゃーんと繋がってる。

サンタモニカから眺めるサンセット見ながら、
太平洋の向こう側の日本のことをおもった。
海は繋がっている。

時間も場所も、すべて繋がっているんだなぁ
っていうのが、ああ、そっかあ、ってわかった。


ああ、なんか、ひさびさに文章かいてるからかね、まとまりません。


人気はあるのにどこか打ち捨てられた感のある不思議な朽ち方をしていた昔の我が家とか、
絵に描いたような静けさのなか聴こえる鳥のさえずりとか、
あまりに少ない人通りとか、
当時とは違う印象だった部分もあって、

ここがほんとうに15年前のあの地なのか、すこしだけ、違和感があったりもして。

考えてみれば、
飛行機で10時間ちょっとの場所に、15年前住んでた場所があるというだけで、
飛行機で10時間ちょっとで15年前にタイムスリップするわけじゃなかったんだ。
どの場所にも等しく15年という月日が流れ、朽ちたり、消滅したり、再生したり、生まれたり、したりして。


あまりに速い速度で移動する飛行機のなかで、実は機体は静止しているんじゃないかと錯覚するみたいな
記憶と想像と時間と場所の混乱が、すこしほどけた気がする。

そんな旅だった。




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